ドラグーン

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 それから、長い、長い年月が、過ぎた。

 ドラグーンとワイバーンの死闘は伝説となり、若者達はこのクルマを手にすることに、このクルマで走ることに憧れた。だが、急激な時の流れは、そんな小さな夢さえも打ち砕く。
 合併。
 手っ取り早く国内の自動車産業を育て上げたい、政府の意向だった。自動車産業は装置産業だ。スケール・メリットがモノを言う。業界第二位の実産と第五位のナイトが合併すれば、文句無く国内一位の巨大企業が誕生する。両者のメイン・バンクが同じ事や、技術を大切にする社風が似るも手伝って、それは突然発表され、迅速に実行された。

 市販車『ドラグーン』はその後、急速に発展する技術についていく形で、モデルチェンジされた。
 期待されたそのクルマはしかし、「裏切り者」「面汚し」とまで酷評される。モノ自体は、悪くなかった。広く、大きく、豪華で、壊れない、そして、安い。人々の現実的な所有欲を掻きたてるクルマだった。
 問題はたった一つ。
 それが、実産の従来からのブランド、『ブラックバード』の兄弟車……エンブレムを替えただけの……だったことである。

 『ドラグーン』は、特別なクルマでなければならなかった。
 誰もが乗っている、また誰もが乗れるクルマでは、ダメだった。
 経済成長に乗って一山当てた、下品な小物が乗り回す、と同じクルマなど、『ドラグーン』では、なかった。
 まして、永遠のライバル・ワイバーンのイメージカラーである、「ブラック」バードと同じクルマ、など。

 その後も二代、同じ戦略を取った、取らされた『ドラグーン』は、それで打ち止めとなる。吸収された企業の、哀しさ。
 そして時の流れは早かった。
 クルマは、より大きく、より速く、より豪華に。
 人々は、小さなスポーツ・セダンの存在を、忘れていく。
 いつしか、第二回『グラン・プリ』の記憶すら、人々の中から、消えていった。


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「親父、ちょっと見てもらいたいものが、あるんだけど。いいかな」
「ああ、どうしたんだい? あらたまって」
「いや、お袋との結婚四十周年、だろ? いつまでもポンコツバンに乗せるのも息子としてはカッコ悪いかな、と思ってさ」
「また買い換えろっていうのかい? だがアレにはお前達との想い出が……」
「またそんなことを言う! オレ達だってもう三十過ぎだぜ? いつまでも恥ずかしいじゃないか。物持ちがいいのは結構だけどさ……ま、買い換えじゃないんだ。アレはここへおいといてくれれば、ウチの家族も借りに来るよ。そうじゃない、もう一台、どうだい?」
「もう一台って言われても、なあ……」


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 その後、その国のモータリゼーションは、極めて順調に発展した。
 自信を取り戻したこの国の人々の、元来からの手先の器用さや、繊細さ、執着心。モノづくりに向いた性質が、自動車という舞台に花開く。
 スペックがよく、作りが素晴らしく丁寧で、信頼性がバカに高く、そしてなにより、安い。
 工業製品としての高い完成度を誇るこの国のクルマ達は、先達を吹き飛ばすようにして世界中に溢れていった。いつしかこの国は、世界第二位の自動車大国へとのし上がる。
 実産は国内二位へと地位を落としたが、世界的大企業としてこの世の春を謳歌する。

 この間、いろいろあった。
 石油がなくなると言われた。このときは低燃費車、小さなクルマが、売れた。
 異常なほどの好景気が続いたこともある。このときは、とにかく高級車、高額車、きらびやかなスポーツカーが売れた。
 その後は、ファミリー層にRVと言われる、人や荷物がたくさん載るクルマがもてはやされた。
 クルマは、その時その時で形を変えながら、人々に愛されていた。

 だがそんな中、実産の経営は好景気の崩壊後、急速に悪化する。
 技術中心で顧客を省みなかった、高コスト体質が改まらなかった、系列や銀行とのもたれあいが治らなかった、社内でのくだらない権力闘争が……だがどれも、後付の理由である。
確かな理由は、たった一つ。
 人々が、欲しいと思うクルマを、作れなくなったのである。

 しかしこの国の人々は、ピンチに立つほど、素晴らしい力を発揮する。
 そう、戦争に負けたあの日から、立ち直ったように。
 そう、どうしようもなく強い敵に諦めずに立ち向かっていった、あの日のように。
 引責の形で、それまで好き放題やってきた愚鈍な役員達が辞任した後、技術畑、エンジニア出身の社長が誕生した。「敗戦処理だ」などという揶揄の声も聞かれる中、彼は一ミリも諦めてはいなかった。
 号令一下、社運を賭けたプロジェクトが始まる。
「コンパクト・スポーツ・セダンを作れ」
 まるで売れ筋ではない、忘れ去られたジャンルのクルマを。

 社の内外から「無謀だ」という批判が飛んだ。「お得意の特攻精神では、自滅の道を歩むだけである」と、諸外国から笑われた。だが、彼にはハッキリとした勝算があった。
 大きく重い高級車や、箱形で背が高く運動能力に劣るRVや、小型であっても実用性や省燃費ばかりを重んじたゲタぐるま……ユーザーは、いやクルマ好き達は、そんなクルマ達に飽き飽きしている。
 走って楽しいクルマを、欲しがっている。
 このクルマは、必ず、売れる。


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「いや、確かにアレはもうヨロヨロで、走らせても可哀相な気がするぐらいなんだが……」
「だろお!? 走行五十万キロなんて、たぶんあの車種の最長不倒だぜ。そもそも親父がなんでスポーツ系のクルマに乗らないのかがわかんないんだよな。中学の時とか、友達が家に来てクルマ見ると『お前の親父は本物か?』って聞かれたもんだよ」
「まあ、な。仕事で、乗ってると、家では、ああいうバンが、いいんだよ」
 嘘を、つく。が、もういい大人になってる娘には、通じない。
「ふふふ、お父さん、嘘つき。お父さんは、あのクルマ以外に乗りたくないんだよねえ。ほんと、いくつになっても、純情一途なんだから」
「ま、もういいだろ? 親父。もうその仕事も引退したんだし、それになにより、あのクルマが」


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 乾坤一擲の大勝負、全ての経営資源を投入した新型車は、「この会社にこれほどの活力が残っていたのか」と思わせるほど猛烈な勢いで開発が進んだ。余計な重石が取れたこともある。泣いても笑っても、これが最後の一台だ、という緊張感もあった。だがなにより、久しぶりに創り手が、ワクワクしながら、楽しんで創った、クルマだったのである。
 そう、人のこころを動かせるのは、人のこころしか、ない。

 そのクルマは、人々の予想よりはるかに早く、その姿を現した。
 そしてそのクルマは、人々の予想よりもはるかに、魅力的だった。

 小さかった。だがキャビンは必要充分、いや、広いクルマなど家にもう一台、ある。
 贅沢な装備など、なかった。だがそんなもの、もうたくさんだった。雨滴を感知して全自動で動くワイパーに、何の意味があるというのだ。
 少しばかり、高価だった。だが金なら、ある。それが言えるほど、この国は豊かになっていた。
 そして小さく、無駄が無く軽く、たっぷりとお金をかけて造られたエンジンとボディは、なによりもクルマの根元的な魅力、最高の魅力に満ちあふれていた。
 「走る楽しさ」である。

 発表と同時に問い合わせが殺到した。どころか、まだモノも見ないウチから、ディーラーに注文が殺到した。大量のバックオーダーを抱え、休眠していた各地の工場の生産ラインが、目を覚ます。海外のディーラーやユーザーからも、いつウチの国に持ってくるんだ、という絶叫が聞こえてきた。
 もう、クルマに国境などなかった。
 世界中から「クルマを寄こせ」の大合唱に、息を吹き返す実産。

 モトヤマ社長は、賭けに勝った。
 奇跡はいつも、このクルマと共に訪れる。
 その名は、言わずもがな。
 『ドラグーン』。

 竜騎兵の伝説はまだ、終わっていない。


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「『ドラグーン』が、帰ってきたんだからさ」
 その言葉に、思わず反応してしまう。
「あっ! ……あー……いやあまあ、それは……」
「ほらほら、素直になりなさいよ、お父さん! 実はね、『ドラグーン』復活を聞いて、私達兄妹でお父さんにプレゼントしようかな、って」
「ええッ!? バ、バカ言っちゃいかん、あれは高いクルマだぞ、お前達だってこれから子供達も大きくなって……」
「ところが、さ。何でも言ってみるもんだねえ! そんな話をダメ元で実産の広報室に持ちかけてみたんだよ、そしたらこれがうまい具合に社内を駆け上がったようでさ」
「お、お前達なんて厚かましいことを……」
「いいじゃない、きっとあっちにしたって、いずれパブリシティで使うつもりだって。お父さんとドラグーンの組み合わせって、復活のシンボルとしてはこれ以上ない存在だと思うし! そのうちCMとか、出なきゃいけないかもよ〜」
「う、うーん……」
「で、取締役とかなんかその辺りまで行っちゃったみたいでさ、なんてったけな、ああそうそう、モトヤマ取締役。知ってる?」
「あ、ああ……」
(もっちー……)
 胸の内に、あの時あのガレージの光景が、蘇ってくる。
 あの時の、みんなのあの笑顔が、蘇ってくる。
「それで何とタダで貰っちゃったよ。ドラグーン、トップモデルを一台」
「ほ、ほんとか!?」
「ほらほら、ホントは欲しいんだ! お父さんホント素直じゃないね!」
「そうだぜ。家中ドラグーンの特集ムックや雑誌で一杯じゃないか。トイレの中にまで『ドラグーンのすべて』なんて本があるのにさ」
 チラ、と妻の方を見る。
「お母さんだって、実は反対じゃないのよね」
「……お父さんがまた、あのクルマに乗ると、年甲斐もなく、飛ばしそうですもの。
でも、切なそうにカタログを見る姿は、もう懲り懲りです。だから仕方なく」
 済ました顔で、ティーカップを下ろす。
 途端に崩れる表情。これ以上ないほど、嬉しそう。
 まるで、五つの少年。
 初めて、クルマに乗った、あの時の、よう。
「あはは、お父さん、すっごいいい笑顔!」
「親父ぃ、相変わらずお袋に弱いなあ! オレが嫁さんに頭あがんないのは、親父の遺伝だぜ!? どーしてくれんだよ」
「そ、それより、い、いつ納車されるんだ!? あ、あれは今半年待ちとか……」
 息子娘の感想そっちのけで、おろおろと訊ねる。
「えへへ、実はもう、納車されてるんだよー」
「ああ。向こうもその気だったんだよ。なんたってシャシーナンバー1番だぜ!? さっき家の前に回してきた。見に行く?」
「ああ!」
 返事の前から、そわそわと落ち着き無く立ち上がっている。父のこんな可愛い様子は初めて見る子供達が導く。済ました顔で母親が続く、玄関前。

「じゃじゃーん」
「ああ……」
 言葉は、無かった。
 小さな直列6気筒を胸に抱くFR、コンパクト・スポーツ・セダン。
 低く、短く、小さく構えたその姿。ディテールこそまるで別物だったが、そのたたずまいには、確かにあの日の、面影が。
「小さいスポーツセダン、ってやっぱカッコイイよなあ……オレもチビの手が離れたらこういうの、買おうかな」
「うん! そうだね! 私はお父さんのこのクルマ、貰うわ!」
「アホかお前、親父がこのクルマを手放すかよ。棺桶にまで入れてどこまでも乗って……いや、コイツを棺桶にするに決まってるさ。……見ろよ、あの嬉しそうな顔」
「ほんと、大正解だったね、お母さん」
「……あなたったら……まるで初恋の人に逢ったみたい……」
「あはははは、お母さんのやきもちヤキは相変わらずだね!」
「でも久しぶりに見た気がするなあ……親父! ほら、キー!」
 投げ渡す。
 そのキーには、小さなアルミプレートのキーホルダー。
 『SHINJI 0』
 誇らしく、彫られている。どうせ、もっちーの仕業だ。
 握りしめる。
「アキ! 走りに行こう!」
「はいはい。そう言うと思って、お財布も持ってきましたよ……シンジ」
 母親が左手を振って応える。あの日の小さな輝きと共に。

 バタム。
 素晴らしいボディ剛性を想起させる重厚なドアの音。
 
 キュッグォォオオオオオオオオオオオオオン!

 クランク半回転、吼えるストレート6。
 普段はどこまでも優しい父親は、こんな素敵なプレゼントをくれた、親孝行な息子と娘を振り返りもせず走り出す。
 滑るように、風のように、人馬、一体で。

「今日は帰ってこない、かな」
「うん」

 二人の見送る先は、グランプリドライバーと、その恋人。
 そしてグランプリカー、『ドラグーン』。
 ナンバープレートは「・555」。
 色はもちろん、光り輝く、
 シルバー・メタリック。



「ドラグーン」Fin.


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