街道へゆこう! プロローグ 「Good morning!」
■2 |
僕は慌てて声のする脱衣所の方へ……行くまでもなく。 ソレを直訴状のように捧げ持ったみどりと、廊下の途中で鉢合わせ。 しまった。 そこにあったのか。 万事きゅうす。煎じヤカン。 「わっ、私のものじゃない可愛いパンツがあるよーーーーーっ!!」 「えーっとそのーっ、それは僕のだ」 「はい!?」 「試みに買ってみました」 「絶対ウソ!!」 「む。どうしてわかった」 「遼太郎の好みじゃないもん!! 遼太郎こんな派手なシルクのなんか嫌いだもん! 木綿一辺倒白至高主義者だもん!! こんなライトブルーなんて買うはずないもんっ!!」 「そんなことはないっ!!」 だからー…… おまえなー…… というか、ワザとだろ。 「昔はパステル系とか結構好きだったの! ペパーミントグリーンとか!! あんま好きじゃないのにピンク履かされたこともあるし!!」 「履かしたことなんてないだろ!? どういうのがいいかって訊くから答えただけで!! それとも何か!? 黒とか紐とか言えばよかったのか!?」 「紐も履いたよ? 覚えてない?」 「えっ」 そういえば……引っ張って遊んだような遊んでないような。 ちがう、それはなんか宴会の余興だっけ。 「それ、たぶん私」 「おー、そーだそーだ、あの白と緑のストライプのヤツな」 「誰とでもやってるの!? やっぱ遼太郎……変態だったんだ」 「何を言うか人聞きの悪い。 好きな人のパンツじゃなきゃ脱がす気など起きんわ!!」 「問題はそこじゃなくて」 「遼太郎、ところで」 みどりのひくーーーい声が響いた。 ああ、やはりごまかしきれない。 「……この裸シャツのセクシーなお方は、どなた」 「えーと編集さん」 「歴史と文学について夜遅くまで語り合った?」 「あ、はい、そうです。 逢沢流花と申します。よろしくお願いします」 「あ、遼太郎の妻のみどりと申します。 よろしくお願いいたします」 ぺこり。 ぺこり。 「あはははははははははははははは」 「うふふふふふふふふふふふふふふ」 「あはは……」 「うふふ……」 「……」 「……」 「遼太郎ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」 「はぃい!」 「そこへなおれぇえい!! 斬るっ!! 斬ってわらわも死ぬっ!!」 「あの、差し出がましい口を聞くようですがみどり姫」 「なんじゃっ!?」 「斬り捨てるぐらいなればその方、私めにいただけまぬでしょうか」 「なにをとぼけておるのじゃ!! その方も同罪じゃあ!! 斬るっ! 斬ってわらわも死ぬる死ぬる〜〜〜!!」 ぴんぽーん。 目がぐるぐるになって混乱と興奮の極みに至っているみどりと、わかってて油を注ぎ倒す流花に水を掛けたのは、軽やかな電子音だった。 「あ、ほら、お客さん! お客さんだよ! 話は後で、後で!!」 「あう〜〜〜!」 「普通お客さんが後じゃない?」 「お前はいいからパンツを履けとりあえずパンツを。 はーい、どちら様でしょうかー」 予定はない。しかしセールスにしては朝が早い。 カメラ付きインターホンを確認する。 女の人だ。 スピーカから、声が流れた。 「須磨と申します。 千葉先生のお宅はこちらでしょうか。ご挨拶に参りました」 「須磨画伯!? わざわざこちらへ!?」 流花が慌てる。 と、昨日の打ち合わせの一シーンを思い出す。 『挿絵にはとびっきりの大砲を用意してるからね、期待してていいよ!? というより、頑張らないと絵はいいけど文がダメ、とか言われちゃうよー』 「須磨画伯……須磨克美(すまかつみ)さんか!!」 「そう! 早くお通ししなきゃ」 「わ、わかった!!」 「えっ、えっ、なに、なにがどうなってるの!?」 「おはようございます」 「「「わあ!!」」」 須磨画伯はもうそこに立っておられた。 いつのまに。 「開いておりましたもので…… ん」 こちらの驚きどこ吹く風、画伯は丁寧に頭を下げられた。 キャラクターイラストから油絵まで、柔らかいタッチと優しい色遣いが老若男女に大人気、新進気鋭の絵描きさんだ。確か二十四歳とお伺いするが、大柄で、巷の評判通り驚くほどの美人で……なにより、その胸が巨きい。 そう、三流週刊誌などで「巨乳絵師」などと話題にされるソレ、は、間近で見るとさらに迫力があった。 ふと、視線に気がつく。 須磨さんが、じっ、とこちらを向いておられる。 瞳が幾分か、潤んでるような、そういう目で。 「……あ、あの……」 「ヤバイッ!!」 疑問を呈しようとする僕の横で、突然流花が叫んだ。 「ど、どうしたの!?」 「あれは……あの眼は! あの画伯の眼は!!」 「なになに!? どうしたの!?」 画伯は僕と目が合うと、 にこっ…… と果てしなく微笑まれた。 ただでさえお美しく可愛らしいそのお顔に微笑みが乗ると、それはもう愛らしさのビッグバン。思わず吸い込まれそうに…… 「……大好きなものを、見つけた時の眼……」 「は?」 「あ、気に入って頂けたのかな、はは、嬉しいね」 「遼太郎……ちょっとだけ、覚悟して。なに、すぐ終わるから。 ……生きてればね」 「は?」 「なになに? なにが!?」 ばふっ!! と、突然視界が暗転した。 む? ここは!? 「あーーーーーーーーーーーーーーっ!?」 「きた……」 ……って!? これは!? これはこれはこれは!? 「ぶむふぅうぅうう!?」 「遼太郎さん……遼太郎さん……遼太郎さん…… ああ……なんてステキなお方……」 僕は画伯の巨大な両胸の間にすっぽりと…… すっぽ……りと…… そう両頬に克美さんの暖かさと鼓動が聞こえてくるぐらいに…… そこはまるで胎内回帰を彷彿とする至福の時空、というか胎内に帰ったことはないんだけど、とにかく暖かさと安らぎに包まれて、このまま眠ってしまいそうに…… 眠って…… あ…… 酸素……濃度が…… 「ちょっ、こら、ちょっ、あーーーーーー、あーーーーーー、あーーーーーーーーー! 遼太郎が、遼太郎が痙攣をーーー!」 「画伯、画伯、そろそろ落ち着かれて、そろそろ落ち着きになられてーーー!」 「んー、んー、んー」 二人の懸命の努力虚しく、克美さんは、僕の肩を抱きしめたままぶるんぶるんとそれを揺すった。 ふにょんふにょんが、両頬を交互に襲い、離れ、襲い、離れ…… ああ……みどりではありえないこのファンタジー…… このまま夢の世界へ…… 「りょうたろーーーーーーーー!! 離れる努力をしなさーーーーーーい!!」 「しっ、しかふぃ、それひゃ……」 「画伯、画伯、これは、これは他人の所有物でございます、どうぞ、どうぞここはひとつ我慢なされてー」 「流花ちゃんが言うと全然説得力無いよ!!」 「今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょ!?」 「……んー……素敵……良いものでございます……」 こちらも良いものでございます…… などと言うてる場合ではない。 「ふぁの、ふぁのふぁの、ぷはあっ! 画伯、画伯、じっ、自己紹介もまだでございます!! そう、まだ、挨拶もさせていただいておりませぬ〜〜〜!!」 「……あ。 ……そうでした」 「くはっ! ぜえ、ぜえ、ぜえ」 「「大丈夫遼太郎!?」」 「だっ……だいじょうぶくない……」 ようやくにして僕を解放してくれた須磨さんは、両手を前に深々と頭を下げられた。 「須磨克美と申します。 ご挨拶にまいりました。 どうぞ、よろしく」 先ほどの迫力どこへやら、落ち着かれた画伯はそれだけ言われると、また頭を深々とおさげになる。シンプルだがそれだけに力がこもりまくった、真心のご挨拶。こちらが恐縮する。姿勢を整え直した。 「ちっ、千葉遼太郎と申します! このたびは弊社のような小さな新聞社の企画にご賛同頂き、誠にありがとうございました! 精一杯頑張りますので、どうぞよろしくお願いいたします!!」 「はい」 そしてまた、ニコヤカに微笑まれた。 殺人的に可愛らしいお人である。 事実殺されかけた。 「……どこへ行きますか」 「はい?」 「……旅に出る、と聞きました」 「あ……」 僕と流花とは顔を合わせて、思わず微笑んでしまった。 なるほど、聞きしにまさる天然系だ。 「画伯、申し訳ありません、まだ第一回の企画も立っておりませんで、これからどこへ行こうかと検討するところです」 「……そうなのですか」 「折角ご準備までしていただいたのに、申し訳ないです」 画伯は心底「しょんぼり」という顔をした。 表情が豊かで、見ているだけでもすごく楽しくなる。 見ればなるほど、左手にはおおきなスケッチブック、背にはおおきなリュック、そして足元は童話の世界の子供達が履いているような厚手の革靴。これが画伯の完全武装なのだろう。 「旅、ってあの、遼太郎の企画!?」 「そう、画伯はその挿絵を担当頂けるそうなんだ」 「ええっ!? 今をときめく須磨克美に!? すごいじゃない遼太郎ー!!」 「流花がコーディネートしてくれたんだよね」 「むっ」 「ま、ね。 画伯とはちょっとした知り合いで。無理矢理ねじ込んじゃった。ごめんね、克美ちゃん」 「無理矢理じゃないです。流花さん。 旅が、楽しそうだったから」 なるほど、旧知のよしみか。 だよな。普通考えてウチみたいな弱小新聞が、こんな売れっ子を使うなんてできっこない。にしてもありがたい。流花――と出版社――のやる気も伝わってくる。そもそも、こういうコネを持ってる――そして頭脳明晰で手の早い、つまりはバリバリに仕事のできる――流花を担当につけてくれること自体、この企画を大切にしてくれている証拠。 身が引き締まる。 「ね、ね、遼太郎」 「ん?」 「こんなところで立ち話もなんだから、上がって頂こうよ」 「そだね。どうぞ、おかまいできませんが……」 「いえ、そのようなご迷惑は。 本日はご挨拶ですから。 ここで失礼いたします」 「そんな水くさいことおっしゃらずに〜。せっかくですから〜〜〜」 「……流花さん。こちらの、可愛いお嬢様は?」 「まっ。可愛いお嬢様だなんってっ!! 見たままをっ!!」 簡単なおだて文句にみどりは舞い上がって頬に手を当てている。 みどりは意外と、いや見たままか、ミーハーである。 「あ、遼太郎さんのなんかであるところのみどりさんです。今回の件には全く関係ない方です」 「『なんか』って何ーーーーー!! 妻です!! 遼太郎の人妻です! 得意な料理はソース焼きそば!」 「おや」 須磨さんは目を丸くして、みどりを見た。僕と見比べる。 「遼太郎さんは、奥さんがおいでですか」 「ええ、まあ……」 「可愛い奥さんです」 「えへへ、そうですかー?」 「……でも、いいです。だいじょうぶです」 「はい?」 「大丈夫です」 くすくすくす…… 横で流花が笑った。 どうやら、これが克美さんのペースらしい。 にっこりと笑って、須磨さんが続ける。 「みどりさんのような楽しい方と旅ができるのは、とても楽しみです」 「え……あの」 「あ、あの画伯、みどりは今回の旅には……」 今回の企画が通ったと聞いて、一番喜んでくれていたのがもちろんみどりだが、一番寂しそうにもした。近場なら一泊二泊でも、例えば海外へ、となると一週間の単位で家を空けることもある。といって連れて行く訳にも…… 連れて行く? と、そういえば。 「……流花。カメラマン、要るよな」 「へ? まあ、記録上はいるに越したこと無いけど……」 「手配、ついてる?」 「ううん、短期はあたしが、長期になる時だけ知り合いかウチの社の…… ってあー、まさか!」 「ってのは、どう?」 会話を理解したみどりが、両手を高くに挙げた。 「あっ! やります!! カメラ大得意!! 写真部!!」 「ホントに〜〜〜!?」 大嘘である。 みどりは機械に弱い。 そりゃもう、果てしなく弱い。 魔法瓶は飲みきらない限り永遠に温かさを保てると信じていた。 理由は「『魔法』だから」。 こないだカメラ付き携帯を買って、使い方を教えるのに一週間かかった。 写真部、というのは高校でモデルやってたからで、暗室作業などは一秒も経験がない。 「ま、まあ、専門職じゃなくてもいいわけだし、須磨さんで予算使い切っちゃうだろうから、こんな感じでいいんじゃない?」 「だけどー……」 「荷物も持つよ! 力持ちだから!」 曲げてみた二の腕から、力こぶはもちろん出ない。 ちなみに握力は右18キロ左15キロ、50m走は18秒4。 しかし流花も、仕事の話はプロの顔。コーディネーターとして純粋に、一名分仕事が増えることのコストと、メリットを計算しているらしい。しばらく天井を睨んで、きゅっ、とこちらに向き直る。 「遼太郎の世話……なら、プロだよね」 「もちろん!! それはまかせて!! おしめの取り替えまでバッチリ!」 「そんなプレイはしとらんわ!」 「ふ……じゃ、お願いしようかな」 「やった! 流花ちゃん、大好き!!」 「ふふ」 軽くため息をつくようにして、流花は腕を組んだ。 しかし、まさかこんなに簡単に通るとは。 居並ぶ顔を見るとまあなんとも……バラエティに富んでることか。 確かに、この面々で旅をすれば、いろんなことが起きて、いろんなものが見れるような気がする。 きっと流花も、そういう効果を期待したに違いない。 みどりの元気と勢いは両方とも……旅に、すごく威力のある武器だった。 奇しくも図らずも出逢ったこの機会を、逃す手はない。 「そうだ! じゃ、企画会議も兼ねて、みんなで朝ご飯でも行きますか! 画伯もぜに、ご一緒に!」 「ん」 「あっ、それがいいね! ぜひそうしましょう!!」 「あでも、あたしいただいちゃったので、座ってるだけでいい?」 「大丈夫ですよ、流花さん。 私も朝ご飯は食べてきました。 同じです」 「何が大丈夫かよくわからないのですが」 「朝ご飯は三食まで可能です」 「それは画伯だけの特殊事情であって」 「……。 ……四食は頑張れば何とかなるのですが、五食は無理です」 「いや多い方ではなく」 「そうだね、五食は無理だよね。お昼になっちゃう」 「試したことあるの!?」 「なってしまいます」 画伯は眼を細めて大きくうなずかれた。 試されたことがあるのだろう。 なるほど、あの二門の大砲はそのようにして製造されたのか…… 「流花ちゃん、コーヒーだけでもいいじゃない」 「コーヒーはさっき遼太郎に淹れてもらったから」 「はい!? なにそれなに!? コーヒー淹れた!? それよりなにその呼び捨て! なんかめっちゃいい仲みたいじゃない!!」 「だっていい仲だもん」 「嘘だ嘘だ嘘だーっ! 人の旦那を勝手に呼び捨てるなーーー!」 「だってだって遼太郎が『遼太郎って呼んでいいよ』って言ってくれたんだもん遼太郎が」 「だから遼太郎遼太郎言うなー! それいつ!」 「昨日の夜。二人っっっっっきりの時」 「きー!! なにそれなに遼太郎それほんとー!?」 「だっ、だって同い年だしさ、逢沢さんとか千葉さんとか言うのもよそよそしいだろ?」 「えっ……同い年なの、二人」 「そ。羨ましい?」 流花はウィンクを一つ飛ばした。 昔のことは黙ってる、ってことか。 ……ほとんどバレてるって。 「……おばはん」 「きっ……ふ、ふん。小娘が」 「わったしは既っ婚者若っ奥っ様〜〜〜」 「く……きき……」 「大丈夫ですよ、流花さん」 「画伯、またしても何が大丈夫ですか」 「私も未だ結婚していない未婚者です」 「いや、それはまたなんの根拠にも」 「うん、画伯、二十四ならまだまだ大丈夫です。 あと四年は大丈夫です」 「二十八は駄目だと言いたい?」 「あのね、はとこの旦那さんの義理のお姉さんの友達に二十八でお亡くなりになった女性がいて」 「遠いなー」 「ていうか赤の他人じゃない。なに、嫁に行けずに絶望して?」 「ううん、交通事故」 「なんの関係もない話じゃない!!」 「違うよ、だから流花ちゃんも早く『テキトー』な人見つけないといつ死んでもおかしくないよ」 「だから死なないって。しかもどしてそう『テキトー』ってのにアクセントあるのよ。 ……そうだね。 テキトーってのなら、ここにヒジョーにいいのが一人」 きゅっ。 流花が僕の腕を取る。 なんの反論もできない。 「だからやめなさいと言っとりまするでしょーーーっ! ウチの遼太郎はテキトーじゃないもんっ!!」 「若くて可愛い嫁がいるのに、留守宅に女引っ張り込むようなヤツをテキトーと言わずになんという!!」 「うっ。それは否定できないよ……特に『若くて可愛い嫁』というあたり!」 「ひどいよ流花、裏切り者ー!!」 「裏切りってことは何か密約があったのー!?」 「いやそうじゃなくてそれは言葉の綾子さんで」 「そもそも『流花』とかなにその親しげな下の名前の呼び捨て合いはー!」 「いやだから流花が『流花って呼んでいいよ』って言ったんだよ流花が」 「流花流花流花流花言うなー! 遼太郎、あなたジーザスクライストスーパースター!?」 「あ、ルカは一世紀の人だからイエズスと直接の面識はないはずだよ」 「そんな細かい歴史的事実はどおでもいいの! とっとにかくこの、この腕を離しなさいってばーーーーーっ!!」 「あの」 脱皮前のセミのように僕の腕にすがりつく流花と、それを引きはがそうと流花に脱皮前のセミのようにすがりつくみどりに、画伯が割って入ってくれた。 おお、ナイス助け船。 「楽しそうなので私も混ぜてください」 「「楽しくないです!!」」 ……別の海賊船だった…… 「残念です」 画伯は右の人差し指をまるでしゃぶるように唇に当てた。 そういう子供っぽい、というよりも子供そのものの仕草を、24歳花盛りの大柄女性がすると、やっぱり果てしなく可愛らしい。 なるほど、こりゃ人気も出るわ。 「では……朝ご飯に行きませんか」 「「あ」」 と、ちゃんと助け船も入れてくれる。 見ると、微笑む。 画伯、ボケッとしてるようで、実はちゃんと考えてるのかも。奥の深い人だ。 「そだそだ、じゃ流花ちゃんは見てるだけね」 「やっぱ食べる。トースト半分とベーコンエッグとヨーグルト少ししか食べてないもん。ヨーグルト少ししか。ね、遼太郎」 「ま、まあ」 「あ、なに、それまた何かのキーワードなの!?」 「いや、まあ」 「洋食ですか」 「え、あの、んーと、そうですねー……遼太郎、どこにする? 洋食? 和食?」 画伯の少し古風な言い方に釣られて、みどりが尋ねる。ようやく収まりそうな場に胸なで下ろしながら、少し、思案した。 「じゃ、お客様も多いことだし、駅前ホテルのブレックファースト・バイキングと張り込みますか」 「やたーーーー!」 「あたしはどこでも」 「私も」 「美味しいですよ、和も洋も点心もあります!!」 「点心……いいですね。餃子、好きです」 「画伯、朝から餃子は少し厳しいんじゃ……」 「大丈夫だよ流花ちゃん、あそこのはニンニク使ってないし、水餃子、とっても美味しいよ!」 「なる、水餃子……ならまあ、悪くないかな」 「うん! あそこの水餃子なら、朝から百個はいけるよ!!」 「百餃子!!」 ぴしゃぴしゃぴしゃ〜〜〜ん!! 画伯の双眸が光り輝いた。 お手にもたれたスケッチブックから延びる紐をくるり、とたすきに掛けると、鼻息荒く言い放つ。 「まいりましょう!!」 「はい!!」 その脳裏には既に、水面に浮かぶ半透明のプリプリ物体が百ばかり泳いでいるのだろう。 居ても立ってもいられないとばかりに大股で歩き出す画伯の後ろから、跳ねるようにみどりが続く。 その後ろで、ドアにカギを掛ける僕。 待ってくれる流花。 「……みどり、ホントに連れて行っていいの?」 「連れて行きたくないの?」 「んなことはないけど」 「正直なところを言うと」 流花の大きな猫目が、朝の光に輝いた。 「わかんない。……昨日の、今日だからね」 「……」 「でも旅は。んっ……」 両手を挙げて伸びをする。 シャツは、僕の。 「一人でも多い方が、楽しいよ」 それは、間違いなかった。 うなずくと、笑う。 眩しいのは、笑顔も、朝の光も。 「ふふ……楽しい旅に、なりそうだね」 「はは……僕は今から不安でいっぱいだけど」 「遼太郎、心配症、変わってないね。 世界中の悩み、一人で引き受けてるみたいな顔して」 「流花のクソ度胸こそ変わってないよ。 ぶつかってきゃなんでもできると思いすぎだ」 「……今も、思ってるよ」 「そんな真剣な眼なんか見つめない」 「……相変わらず、イジワル」 「そんなことないよ、僕がいつ意地」 ちゅっ。 「……なっ、おま、それは」 「朝の挨拶、だよ? ただのね」 眼を細めてウィンク一つ、右手がぽん、とシャツの胸元を叩く。その癖も、昔と同じ。 ――二人を現在に引き戻したのは、朝の空気に響く声。 「……二人とも遅いよーーー! 早く早くーーー!」 「はいはーい。今行きまーす! 餃子、餃子」 小走りに駆け出す流花の後ろで、僕は一つ小さく、ため息をついた。 でもそれは嫌なため息ではなくて……肩の力が抜けるような、心地よい一呼吸。 歩き出す。 跳ねるように、脚に、身体に、力が湧いた。 新しい一歩はいつも、人の心を春にする。 ……楽しい旅に、なる気がする。 というよりも。 “……楽しい旅に、しよう!” これより出発! |