ドラグーン

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 第二回『グラン・プリ』、予選当日。

 わかっては、いたことだった。
 そして、雑誌の写真から寸法を割り出したりして、モデラー達を焚き付け、実物大モデルを木や紙で、でっちあげさせたりした。それで、だいたいを、掴んだつもり、だった。
 だが、聞くと見るとでは、大違いだった。
 低い。長い。幅広い。
 そして、流れるような、ボディライン。
 カッコよかった。うっとりするほど、カッコよかった。
 それが敵のクルマであるとか、戦争で負けたあの国のクルマであるとか、そんなことは頭の中から吹っ飛んだ。一人のクルマ好きの少年に戻って、若いメカニック達は恍惚の表情で、そのクルマを見つめた。
 ボディカラーは、黒。複雑にうねる曲線と曲面のボディラインに、日の光が艶々と反射する。
 禍々しいほどの迫力。そして、吸い込まれるような美しさ。
 ワイバーンは、その名の通り、翼を広げた翼竜さながらに、レースフィールドに颯爽と舞い降りた。
 周りの全てのクルマは完全に引き立て役だった。マッチ箱。オモチャ。折り紙細工。なんと評されても、何の反論もできなかった。「流麗だ」と讃えられていたドラグーンのボディでさえ、サラブレッドとして生まれてきたワイバーンの前では、少しスタイルのいいロバに過ぎない。目くそ鼻くそ、だった。
 幼稚といってもいい青・白・赤のトリコロール……ナイト自動車のイメージカラー……に彩られた、自らのクルマに恥じ入りそうになる。

 ザイゼン・レーシングのメカニック達が、自分たちの手柄でもないのに誇らしげに、前後のカウルを開けっぴろげにして整備を始める。
「見たいのなら、見ればいい」。余裕、綽々。
 そして見る。驚く。
 ボンネットの下に、エンジンが、ない。
 当たり前だ。あのボンネットの低さでは、どんなエンジンだって入りようがない。それも、わかってたことだったが、初めて見た。
 これがミッドシップ。
 エンジンが、ボディの真ん中、ドライバーズシートの、後ろにあった。
 エンジンというクルマの中で一番重いものを、真ん中に置く。そうすれば、真ん中の重いコマと同じ、回りやすくなる。機敏な運動性を手に入れることができる。だが、人も荷物も、載らない。レース専用車、ならではの贅沢な設計。もちろん、ドラグーンは普通のクルマである。前にエンジンを置き、後輪を駆動した。

「ミッドシップだぁ……」
「は、初めて見る……」
「ア、アホ、こんなもんナカジマのチビトラックと一緒やっちゅーねん。お、おそるるに足らずや!」
「あ、イナ、あれは違うよ、あれはリア・エンジンだよ。後輪の後ろに、エンジンがあるんだよ」
「ふえ? そ、そうなんか?」
「あ! ザイゼン君だ……」

 君、をつけていいほど、天才・ザイゼンは若かった。ナイトのメカニック達と同世代。だが大金持ちの御曹司としてドライビングの英才教育を受け、レース歴も長く、もちろん、技術も素晴らしかった。その上、美男子。ボディの黒と抜群のコントラストを描く、真紅のレーシングスーツが、とんでもなくカッコイイ。そしてボディには、誇らしげに前回覇者の称号であるカーナンバー、1。
 非の打ち所など、ない。
 まるでこのドライバーとこのクルマだけは、別世界だ。
 雑誌の中で見るような、外国の、グランプリだ。

「ど、どうしようイナー……な、なんかあそこだけ世界が違うよう……」
「ア、アホか、俺らにできることなんかもうないっちゅーねん! あとはシンジの頑張りと俺らのドラグーンの頑張りに、全てを託すしかないやろう!?」
「で、でもシンジはレース、初めてだし……」
「大丈夫、大丈夫や。
 アイツは世界一、ドラグーンを知ってる男や。
 アイツは世界一、ドラグーンに乗ってる男や。
 このサーキットかて、何百周したかわからへん。大丈夫や。シンジやったら、きっとなんとかしてくれる……」
「ううう、シンジ〜」
「イナ! もっちー! そろそろ予選が始まるぜ!」
「おう!」「うん!」……


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 予選の結果は、哀しいほどに、予想通りだった。
 トップはザイゼンレーシングのGCワイバーン、もちろん二位に、ナイト・ワークスのドラグーンが続く。
 その差、3秒。
 一周1分20秒程度のこのミカサ・スピードウェイで、3秒というのはどうしようもないラップタイム差である。ドライバーの腕がどうのこうのというレベルの話では、ない。
だがこれを人々は予想外の健闘と讃えた。
なぜならドラグーンのドライバーは、このレースがデビューとなるルーキーだったからである。

 ガモウ監督は、奇策をとった。
 国内の有力ドライバーで、フリーのドライバーはみな、首を縦に振ってはくれなかった。誰だって、負けるとわかってる勝負には、立ち向かいたくはない。
 それならば、身内から捜すまでだ。
 クルマ屋には、クルマで走るのが三度のメシよりも好きだ、という連中がゴロゴロ居る。そんな連中の中から、一番速いヤツを使おう……またそれでなんとかなるような、牧歌的な時代でも、あった。
 ドライバーは予想に反して、すぐ見つかる。社内公募をかけるやいなや、あらゆるところから、一人の若者の名前が、上がったのである。
「それなら、シンジだ」
「ウチで一番速いのは、シンジだよ」
 若者は、テストドライバーだった。
 天の配剤、しかも、市販車ドラグーンを、量産試作車段階から乗り続けていた。
 ドラグーンのことなら、ネジ一本まで知っている。
 ドラグーンになら、何千時間乗ったか、わからない。
 ガモウは藁にもすがる思いで、彼に逢う。テストコースで、市販車のドラグーンを走らせる彼に、逢いに行く。
 瞬間、悟った。
 彼しか、いない。
 彼の駆るドラグーンは、ガモウの知っているドラグーンではなかった。惚れ惚れするような美しい曲線をコースに描き出す。排気音ですら、まるで音楽のように聞こえる。
そしてもちろん、見たこともないほど、速かった。
 まるで路面を滑るように、タイヤが地に着いていないかのようになめらかに、風のように、走った。

 ガモウはテストを終えて引き上げてきた彼に飛びつくように迫った。
 次の『グラン・プリ』で、ドラグーンに乗って欲しいと。
 これにはナイトの、いやこの国のクルマ達の希望が、未来がかかっているのだ、と。
 優しい目をした若者は、
「わかりました」
と一言だけ、応えた。

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「3秒か……苦しいなあ……一周でそんなに差がつくなら、レース・ディスタンスではちょうど一周差だぜ。ラップされないことを祈るしか、ないのか……」
 頭を掻きながら、コウジがつぶやいた。声に出してつぶやかなくとも、そこにいるみんなが、同じ気持ちだったに違いない。たった一人を、除いては。
 その一人は、未だ流れ出る汗を拭おうともせず、各車の予選ラップタイム一覧を、食い入るように見つめていた。ガモウが、声をかける。
「お疲れ、シンジ。19秒台に入るとは思いもよらなかった。さすがだぜ」
「いえ……」
「ま、ポールポジションはいい。放っておけ。トミタや実産のクルマに、2秒以上の差をつけてちぎってる。この調子で行けば二位は」
「いえ、放っては置きません。これなら、勝負になります」
 周囲から驚きの声が上がる。あのおとなしく、物静かなシンジが、そんな虚勢を張ったことに。
「おいおい、無理しなくていい、シンジ。ここで3秒差ってのがどれほどの大差かってのは、俺が一番よく知ってる。第一……」
「3秒では、ないです」
「なに?」
 強い瞳。ということは、虚勢ではない。何らかの理由がある。
「見て下さい。ワイバーンの1分16秒789は、一つだけ飛び抜けてます。次は、1分17秒311。その次は、1分17秒355。その次は17秒890。僕の最速タイムは、1分19秒800です。これなら、2秒差」
「あっ……」
 慌てて数字が羅列されている紙をのぞき込む、メカニック達。
「む……」
 監督も改めて数字を追う。確かに、16秒789は、一つだけ飛び抜けている。
「これはおそらく、まぐれとまではいいませんが、全てがうまく行きすぎた、パーフェクトラップです。本来の実力は全開でも17秒33あたり、もちろんそれよりも遅い周回もあります」
「本当だ……」
 天才肌のドライバーによくある、ムラのある走りだった。一発はある。だがそれは並べられない。ガモウ、改めて去年の様を思い出す。そう言えば、去年も予選で、苦労した。
 それに比べてシンジのラップは、明らかに他車にひっかかった周回を除いて、19秒8〜9の間に、ぴたり、と収まる。正確無比、さすがは、テストドライバー。
 ならば、2.5秒から2秒ほどの差しか、ない。だがそれでも、大差。
「だが……」
「2秒なら、ホームとバック、両ストレートの最高速度でしか、差がついてないことになります。それならば、ついていける」
「あ! そうか! スリップストリーム! レースなら!」
「うん」
 モトヤマが上げた声に応えるシンジ。前車の後ろにぴたりとつき、それを盾に空気抵抗を減らし、直線で実力以上のスピードを出す、スリップストリーム。
「なるほど……だがしかし」
「もちろん、タイトロープであることには変わりないです。ラインを変えられたり、こちらが少しでもミスをすれば、スリップを外される。そうなれば、もう捕まえることはできない。独走を許します」
「うむ、そうだな。だがもしそれがうまく行き、ずっと食らいつくことが出きるなら……」
「相手のほんの小さなミスをついて、前に出ることが、できるかもしれません。前に出られれば、抑えきることも、できるかもしれません」
「……そうか……」
 皆の顔に、光が射してくる。
 監督は、下唇を噛みしめて、悔やむ。そして。
「スマン、シンジ!」
 驚くスタッフ。
「俺がバカだった。ホントなら、こんな事実を発見して、お前やみんなを鼓舞するのが、いやそれだけが俺の仕事なのに……最初っから諦めの気分が入るなど……監督として失格だな!」
「いえ、そんな」
 頭を下げる。皆は予想もしていない監督の行動に、息を潜めて成り行きを見守るばかり。だが顔を上げるや。
「だからこれからは俺も一メカニックのつもりで戦う! シンジ、クルマのことなら何でも言ってくれ!」 
「監督……」
「そうやッ! シンジ! 勝負や! 勝負はやってみやなわからへん! なんや! なんか必要なもんがあったらゆうてくれ!」
監督の真摯な姿勢に突き動かされて、外装担当のイナが叫ぶ。
「シンジ、エンジンのチューンは任せとけ。ここの天候は読みにくい。あんなポッと出のクルマにセッティングなんか出されてたまるか。GP20最高のパフォーマンスを見せてやる!」
 エンジン担当の芸術家肌のチューナー、シュンがいつにない大声を出す。
「タイヤもそうだ! あっちのタイヤは凄いタイヤみたいだけど、あんなグリップでレースディスタンス持つはずがない! 俺達が死ぬほど走り込んで特性を出したスペシャルタイヤが、トータルで負けるはずがない!」
 タイヤ担当のコウジが吼える。
「え、あ、う……」
「ほら! もっちー!」
「ぼ、僕は……僕は……シンジ! 頑張って!」
 あっはっはっはっはっは……
 極端な緊張から、素っ頓狂な声を上げるモトヤマの様子に、空気がほぐれる。後には決意と、いいゆとりが、戻ってくる。
 レースは、始まっている。
 逃げていても、何も始まらない。
 結果は、神のみぞ知る、である。そんなものをいくら考えても、無駄だ。
 やるしか、ない。

「あははは、みんな、ありがとう……クルマのことは、お願いするよ!」
「おう!」「よっしゃ!」「OK!」「まかせとけ!」「うんっ!」
「じゃあ、早速もっちーにお願いがあるんだ」
「え!? ぼ、僕に!? サ、サスセッティングに、何かマズイところ、あった!?」
シャシー担当のモトヤマが色をなす。だがシンジは落ち着いた声で続けた。
「いや、違う。あのセッティングはスピードを出すのには完璧だったよ。あれ以上は無理だと思う。だけど少し、乗り難いんだ」
「う、うん……ちょっと、ピーキーかな」
「うん、アンダーからオーバーへ移行するときの変化が急激だね。そこをうまく利用すると抜群に速いんだけど……もう少しそこを、マイルドにしてほしいんだ」
「わ、わかった、でも、そこをいじると……」
「遅くなる、ってのは無しだよ。そんなことじゃ、天才モトヤマの名が廃る」
「頼むぜもっちー!」「簡単だよな」「さすがモトヤマ!」「ヨッ! サスの神様!」
「あ、ああうあうあう……が、頑張る……」
 皆に肩や頭をバンバン叩かれて、小さく声を出す。だが皆も安心する。頼りないように見えて、一度言ったことを必ず実行することにかけては、モトヤマの右に出るものはいない。なにがなんでも、シンジ好みのセッティングを出してくるだろう。
「あとはイナ!」
「おう! なんや!」
「ドラグーンの車検結果を見ると、最低規定重量より5キロ重かった。クルマのコーナーでのスピードは、パワーには関係ない。車重で決まるんだ。ワイバーンは生粋のレーシングカー、最低重量ぴったりだと思う。この5キロ、なんとかならないか」
「ううむ……それは……」
 ここに至るまで、部品一つ一つを舐めるようにチェックして、削ってきた。もはやどこにも、贅肉はない。それはもちろん、シンジにもわかってる。天を仰いで考える。思いつく。
「せや! 忘れてた! 目玉や! 雨で走るハメになったら思て残してたんや! この天候ならあれは要らん! よし、配線まで入れたら4キロ近う減らせるぞ!……あと1キロ……あ!」
 ふと、思いついたらしい。やにわに自分のツール・ボックスを漁りだして取りだしたのは、サンダー(研磨機)。
 訊ねる間もあらばこそ、電源の入れられたそれは甲高い音を立てながら回転する。何の躊躇もなく、ボディにそれを当てる、イナ。
「な、イナ! 何を!」
「塗装を落とすんや! 薄膜言うてもクルマ一台分言うたら何百グラムにはなるで!」
 そのボディに描かれた丁寧なトリコロールは、イナが心血を注いで仕上げた作品だった。「この赤はフラーリでつこてる赤やで」「この青はホードから分けてもろた」自慢げにそんなことを言っていたのを、思い出す。それを、削って、落としていく。
 ボディの、鉄の、銀に輝く地金が、見えてきた。
 サンダーの甲高い回転音、イナの真剣な表情、剥きだしになっていく鉄の色、そして塗膜の剥がされていく大きな擦過音は、生まれ変わろうとするドラグーンの、悲痛な叫び。
 皆の顔に、真剣味が戻ってくる。
 瞳の光が、強くなる。
 できることは、すべてやる。
 絶対に、負けるものか。
「シンジ。後は任せて、お前は休息をとってくれ。今日は俺達が頑張る。明日は、お前に任せるしか、ないんだから」
 シュンが背中を押し、パドックからシンジを追い出す。メカニックとして、裸のクルマを見られるのは、嫌だった。いや、裸を見られるクルマが、可哀相だった。シンジもうなずく。
「頼んだ、よ」
「ああ、信じてろ」
 イナのサンダーの音は、響き続ける。


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