12/31 20世紀最後の日 |
僕としては小さい頃から今年より去年の方がワクワクして待ってたんです。
でもあんまもりあがらなくてガッカリ。
不景気をどうにもできない政府のバカ。
「どうして2000年の時にはあんなに盛り上がったのに、
21世紀だってのに盛り上がらないんだろう」
Rさん答えて曰く。
「2000年は1000年に1回だけど、
21世紀は100年に1回だからかな」
なんとなく納得したようなしないような。
なんたって21世紀ですよ!?
今年、2000年になってのエポックは何と言っても
「『北斗の拳』がフィクションだった」
という事実が明らかになったことでしょう。
ケンシロウやシンが、どこかでひっそり修行してると思ってたのに。
武論尊原哲夫の嘘つき!
当然来年一杯の問題は
アーサー=C=クラークが嘘つきかどうかってとこですな。
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でもですね、決してそれは人類の進歩が止まったわけでも
スピードが遅くなったわけでもなんでもないんです。
インターネット。
こいつは誰も予見できなかった。
ハード・インフラ的にはともかく、じゃあその上で行われるメールのやりとりとか、
個人ホームページが腐るほど立ち上がるとか、
そんな未来は誰も予想してない。
未来予想図というとすぐ動画がホログラムで浮かび上がるんですが、
ありゃ嘘です。
もちろん、そういう技術もできるでしょうしそういうコミュニケーションも起こりえますが、
相変わらず文字だけのメールも飛び交いますしそれどころか郵政省メールもFAXも
飛び交い続けるわけです。
いっちゃんひどいのは電報とか。あれだって未来永劫とは言いませんがかなり
しぶとく生き残ると思いますよ。
それぞれのコミュニケーション手段には、それなりのメリットデメリットがあって、
人はそれを上手く使い分けるものです。
PCのメールとiモードメールだってちょっと使い方が違います。
だから無くならないし、また、だからどんどん新しいコミュニケーション手段を欲しがるんですよね。
違う楽しさがあるかもしれないから。
ということで、月へ行ったり火星へ行ったりしてるヒマあったら、
中学からの友達とiモードでバカ話してる方が、
よっぽど楽しい
んです。だから、HAL作ってるヒマがあったら、iモードのサーバを強化してくれた方が
ずっとずっとありがたい。
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ひょっとするとね。
あらゆる星で生まれた「文明」というのは、こういう進化を遂げていき、
ついにはS字曲線の安定部分に入って、そのままのんべんだらりんと結晶化していっちゃうのかも知れません。
平均寿命が延びる代わりに平均出生率が2を切る切らないというレベルに落ち、
自然環境も食料生産も足りなくはないギリギリ一杯で推移、
エネルギーなんざ今の我々みたいな乱雑な使い方してても、
石炭も天然ガスもぜんっぜん使い切れてないですから、太陽だの生物エネルギーだのなんだの
使えるような技術が確立すれば、核分裂反応なんて野蛮なことしなくてもじゅーぶん足りるんでしょう。
わけのわからん、コミュニケートできるかどうかもわからん異星人探しに行くより、
友達とキャンプ行った方が楽しい。
もちろん、フロンティアスピリッツ溢れる人、いると思いますよ、
何万光年先にでも行ってみたい、と思う生命体。
でもね、たぶん社会的に金は出ないですよね。
僕なら出さない。
そんな道楽のために出すお金があったら、他にまわしてよ。
もちろん、生命体だって我々みたいなCとHとOで出来たものとは限らないし、
文明が進歩する、というのが他の生命体にどういう意味を持つのか、
そりゃわからないですよ。
でもね、アダムスキー型UFO、ありゃどーみても我々地球人みたいな
文明の発展の仕方を遂げた連中の仕業ですよね。
細かいディテールはどうでもいい、
大きな物体を作ってなんらかの推進機構を備えてそこに乗組員が乗り込んで旅をする。
そんなメンタリティ持ってる連中は、星の海には漕ぎ出せないんじゃないかなあ。
社会的にね。
現に地球人の技術って、宇宙関係ピタッと止まったきりですよね。
火星にすら行けてない。
技術的に行ける、というのは行ける、とは言わないんです。
行かないと。
行けそうにないですよね。しばらく。
行きたいとも思いませんよね。
いや、思ったとしてもそれは観光地の一環ですよね。
移民、したいです?
あるいは太陽系を飛び出したいとか。
んなことどんな発展途上国の人だって思ってない。
彼らはアメリカ人みたいな生活がしたいのであって、そんなところではアメリカ人みたいな
生活はできっこないから。
技術の壁の他に、金とこころの壁がある。
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それでもずっとずっとやってると特異な生命体とか為政者が出てきて、
「行くぞー!」「おー!」
ってなことになるのかもしれませんが、科学技術文明、っていうのは実は
めっちゃ寿命が短かったりして。
だって人類のハードウェア自体は20万年とか30万年の歴史を誇るのに、
まともに科学と呼べる技術が確立してきたのはここ100年と言って過言ではない。
(もちろんその前に4000年単位の下積みがあるんですが、それにしたってたった4000年)
今、S字の立ち上がりのところを急速に駆け上がってる。
でも、あと100年ぐらいで大体開発できるものは開発しきっちゃって
「もーえーやん」
っていうことになるんじゃないかなあ!
人のこころというのは最後までどうにもならないものですが、
ところがどっこい解決法は無くはなく。
人型ロボットとか。
クローンとかもね。
やっぱりマルチは偉大ですねえ。
人類に必要なのは、ドラちゃんでもアトムでもなくて、マルチなんですよ。
そうなってくると、心の問題もかなり解決しちゃって、
もうみんなでほわーんと「楽しいね」「楽しいなあ」っていうような世界。
技術は忘れられていったりするんだけど、でも先人達が確固たるものを残してくれているから、
全然大丈夫。メンテフリーで。
人もロボットも電脳も、なんやぐちょぐちょでよーわからん社会でみんな楽しんでるウチに、
遺伝子の限界というか寿命みたいなのがきて、
徐々に徐々に(一気かも知れないけど)種として衰退していく。
そして滅ぶ。
よくSFである筋になっちゃいましたが、これが実は文明のありがちなパターンだったりして。
でもニア人類みたいな生物は生き残ってますから、そこからまた進化が始まるかも。
それでもまた、30万年もすればロケットとばせるようになる訳です。
30万年って言ったって、46億年の地球の歴史から見れば
カス
みたいな時間ですからね。0.000……いくつ%や。わからへんぐらいちいちゃいですよね。
ナスカの地上絵とか、マジで一個前の人達のかもしらん。
Oパーツの類とか。
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そんなことで、月や火星は行ってみたいとは思いますが行けるようになると行かないものかも
知れませんよ。南極だってそうじゃないですか。
資源が豊富に?
いやあ、もう、いいでしょう。
モノは。
そう、今目指す最後のフロンティアは、人間のこころかも。
そこも結構、昔から開拓者達が頑張ってはいるところではありますが、
僕としてはここんとこをがつがつ行きたい、です。
ロケットよりも高く飛び立てる翼、 創りたい。
来世紀も頑張ります。
ながたかずひさと「ほえなが」と「PowerNetwork!!」を、
どうぞよろしく。
12/30 コミケ休みました |
自分が出てないとこれほどまでにモチベーションが沸かんとは
思わなかったです。インテックスなんかだと這ってでもいったかもしれませぬが……
というか
イザとなったら行かないでもええわ
と思うからこそ体力の限界まで飲んじゃったんでしょうけど……
コミケ模様期待された方、ごめんなさい。
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青山でコーヒー飲んで、お勘定するときにウェイトレスさんに。
「有明は寒かったですか?」
にっこり。
「……こ、これからです……」
嘘をついてしまいました。ごめんなさい。
「何でばれたんだろ」
「ていうか『ドラグーン』配ってたじゃんか」
「あ」
でもまあ、その模様だけでバレてしまうというのは強者だな。
年格好からして「C翼」世代か。
ううむ。
壁に耳ありクロード・チアリ。
特捜最前線のエンディングはクロード・チアリじゃないですよね。
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まだ明日ありますが通信販売、ここまでのところ30冊近いご注文をいただき
大変感謝しております。場所柄も北海道、富山、鳥取……となかなか
即売会に来られるのが大変そうなところからいただいており、
やっぱできるだけはやらんといかん、と思いました。
ありがたいお言葉もいろいろ頂戴し、のみならず遂に今日などは
差し入れ
いただきました。
お気遣い感謝いたします。美鷹と一緒にいただきます。ありがとうございました。
またやりたいです。
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あしたで20世紀も終わりですねえ。
遂に新世紀か。
まあ世紀と言わなくても皆様、今年はいかがでしたか?
まだ一日残ってますが、僕は5点評価で
4.5
かな。
人生の方向性の覚悟を無理矢理決めた
という意味ではエポックで、その後地道ではありますが
本当にみなさまのお陰を持ちまして順調に来てます。
5点満点、あげてもいいんですが、
「現実としてはなんっっっっっっにも変わってない」
という点で-0.5点。
でも実に久しぶりにこんな高得点のつけられる年でしたよ。
よかったよかった。
やっぱり闇の90年代を超えただけのことはある(笑)
来年はフルマーク、行きたいですね。
ちょっと振り返ってみますと。
1Q(1/2/3月)は悲惨でしたわ。
去年から引き続く個人的難題は悪化の一途、死にそうでした。
#「死にたい」ではないのが90年代と違うところです
ただそれでも
3月23日だっけ、「悟りの日」(笑)があって、
「俺は書くんだあ」
と覚悟決めました。その一点だけでもいいのかもしれません。
2Q(4/5/6月)はとにかく走ってみました。
4/23こみパ、は画期的でしたあ。109冊も売れてねえ。
あれで美鷹の本が通用する、とわかったのは大きかったですよ。
ただ、その後のイベントは実売部数の少ないのが続いたので
辛かったです。
3Q(7/8/9月)は楽しかったな。
7/15までにコミケ用の新作をあげて、
7/17からg石アナと韓国旅行。7/22にブライダル演芸会で大騒ぎ。
8/13にコミケで128冊、だけでなくいろんな人にお会いできて
しかも頑張れ頑張れと言ってもらって。
地元CCもよく売れるようになってきたし、そして9/13にドラグーンがアップ。
ええ季節でした。今年の夏は。
4Q(10/11/12月)は小休止、というか待ち、かな。
ドラグーンで目一杯エネルギー使っちゃったので、なんとなく
筆が進まず。レヴォも冬コミも落選。なにもかもがぱったり止まっちゃって。
でもまあ、12月のこの半月はある件があって、これまでを
取り返すかのように書き殴っております。
同窓会もすっごい楽しかったし。
この勢いのまま「世紀を超えて」行けるのはいいんじゃないかな。
来年は現在進行形の挑戦の結果判明から全てが始まるわけですが、
OKならいいですし駄目でも(今現在でも)もの凄く勉強になってますので、
次につながると思います。
来年はどんな春、どんな夏、どんな秋、どんな冬になるんでしょうか。
「来年が楽しみだ」
といえるのは、とても幸せなことだと思います。
皆様もそうだと、よろしいのですが。
来年も、ともに頑張りましょう。
12/29 同窓会だ |
B組幹事なのだが何もせずただ茫洋と佇んでいるだけで物事は着々と進行した。
C組幹事K君苦心の作、「卒業時の顔写真入りネームプレート」は大好評。
無論司会は我等がg石アナ。
だがアナの絶妙の司会も今日は空を切り気味だ。
なにせ皆喋るのに夢中。
あの35期生、修学旅行のホテルで出された料理を総ざらえ、
「おかわりはないの」
という間抜けな質問を真面目にした連中が、料理そっちのけで話に夢中。
仲がいいのだ。
卒業以来11年、だがほとんどの面々は変わってはいなかった。
いや、変わってるように見えても、酒が一滴でも入ると変わっていなかった。
見てくれが変わってても中身は、そのまま。
変わってないからこそ、同窓会に来るのかも。
でも29は辛い、30にしてくれたら行けたのに……という恨み節はよく聞いたので、
次回は考えよう。
いや今年も両日で悩んだんだんですが種々の状況から。
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面白いのは久々に喋る人々で、「えっ!?」っていうことも多い。
35期用の「同窓会準備HP」を開いてることもあって、僕にメールくれた人もいる。
そんな人に
「はよ就職しろ」
と言われたり、はなはだしきは
「どうしてドラグーンは最後……」
と言われたり(笑)。
楽しかった。
時間が立つにつれ次第にいつものアホ連としゃべるようになるのだが、
それでも、周りにいるのが関係のないお客さんではなく、
あの連中だ
というのは想像を絶する心地よさで、
本当に気分は18歳、あの夏の山荘の食堂のようである。
飲んでるのが茶かビールかだけの違いで、
それとても色は同じなのである。
楽しかった。
参加50人だが、40人を超える人間が2次会に押し寄せる。
皆帰らない。
11時を過ぎて中締めしても、まだ20人は余ってる。
結局2時過ぎにそこを出て、アホ連6人で青山→神座。
楽しかった。
都合で参加できなかった人には申し訳ないぐらい楽しかったので、
再来年ぐらいにまたやりたいものである。
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二人の恩師に逢う。
本当に心から「恩師である」と頭を下げられる数人の中のお二人であり、
それはやはりお会いできるだけで嬉しい。
「また若作りして。(名札の11年前の顔写真を見て)今の方が若いやんけ」
「ながたには昔怒られた。先生そんな嘘教えちゃ駄目ですって」
……そんなことしたっけ(笑)
でもまあ、考えられなくもない。あの時は若かったからなあ……
というか、あの時は軍隊で言うと
「曹長」
で分隊指揮、とりあえず上の言うとおり目一杯戦ってたらよかったので
世の中がめっちゃ簡単。
上も非常に的確に指示してくれたし。
懐かしいなあ。
とりあえずS先生が鬼籍に入られる前にISBNコードのついた本を贈呈したい。
先生もきっと、教え子から物書きが一人出ればもう今生に思い残すこともあるまい。
おいおい。
「おう、コードやったらなんぼでもやんで。納本して納本」
国会図書館勤務のヤツに言われた。
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ワインに限らずなべてアルコールに「出来不出来」の年があるというのは常識で、
それは天候を中心にいろーんな要素がいろーいろ重なって起きる現実である。
そうであるならば一個の物理的物体としての人間もそういういろーんな要素に
左右されるだろうから、
「この年の産はこういう特性」
という大まかなくくりが基本的にあるはずだ。
しかも幸か不幸か人間を取りまく社会情勢というのは割りに年単位で
変化する物事が多く、それが
「この年の産はこういう特性」
に拍車をかける。まして、6年一貫校で同じ面子で似たような先生陣に教わっていると、
どーしてもそうなる。
ウチの学年はアホだ。
当時近年マレにみる悲惨な大学進学状況を出してしまった
我々35期は
(しかもそういう期の前の期というのは大抵できる期なので優秀な浪人は残っておらず、
また35のもうちょいが次の年に大挙して入るのでますます前後との差がでかく見える)
学校側の一部の人達にしてみれば
その担任陣ごと忘れてしまいたいような期らしく、
36期の受験相談に34期のデータが使われたというのは有名な話である。
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ウチの中学高校の売りとして、
黒姫山荘・南部学舎
という学校所有の山の家海の家、そしてそこでの休みごとの合宿生活がある。
必須だけでも
中1・中2・中3の登山合宿、
スキー合宿、遠泳合宿、高1春の勉強合宿。
各長期休みには主に成績不振の生徒達が「いかなあかん」と指名されて
両合宿施設に拉致監禁され、そこには成績がそこそこでも
「家ではやりにくい」というような連中が付いていって邪魔をする。一緒に勉強をする。
担任を中心とする先生だけでは手が足りない。
そこでOBを雇う。
雇う、といっても半分ボランティア、3000円/日というお手当と三食メシ昼寝付きという条件だ。
ただし長い。
一週間や10日はザラ、酷い場合山荘合宿などは、OBだけが1月近くずっとそこに居て
違う期が入れ替わり立ち替わりやってくる、などということもある。
貴重な大学生活の休み期間を潰すのには、少し躊躇う条件であろう。
金を稼ぐには安すぎる。
遊ぶには制限が多すぎる。
卒業後1-2年というフレッシュで好奇心のある学年をコマに、
頭には教育系や理科系の学部へ行って先生を目指すちょっと年齢高めの連中を混ぜ、
なんとかやりくりする。
基本的には、OB達の「後輩達のために」という気持ちに三分の一ぐらい依って成り立っている
システムだ。
ここに卒業後5年を超え、大学を出てもまだ大挙してやってきて、
10近く年下の後輩達の面倒を楽しそうに見る連中が居た。
35期である。
この世の中斜め見の僕ですら南部学舎ばかり5回、
新人賞総なめ、今や日本数学界の松坂大輔と言っていいS上博士は2桁に届く勢い、
フロリダの陽光の下医師の修行にいそしむハマー先生に至っては、水泳山勉強スキー、
両手両足でも効かないかもしれない。
大学3年生、卒業後3年目。
夏の南部学舎で42期・中2のサポートに行った。
OBは4人が35期である。(34がお一人)
36や37は何をやっているのだ。
一週間が終わって学舎を発つ。
海岸沿いの道、すれ違うのは43期・中1だ。
さらに若々しく、本当にまだ「子供」という彼らを率いて向こうからやってくるOBは……
35期だ。
しかも、3人。
「おお」
「おう」
「がんばれよ」
「おつかれさま」
どこの大学に何人行った、などという事柄にどれほどの価値があるのか。
確かに、ウチの学年はアホである。
休みを潰して後輩の面倒を見る、アホばかりである。
12/28 フリスク他雑感 |
あればかなり危険な薬物だろうから、コンビニの棚では売らん。
黒人が夜の三角公園で売る。
食べ終わるとプラスチックの箱が残る。
「何かに使えそうだ」
といつも思うのだが、いつも良いアイデアが出ずやむなく捨てる。
この間、ちょっと良い案が出た。
「これは西洋仁丹のようなものなのだから、
仁丹を入れるのにちょうどいい」
さらに15秒ばかり考えた結果、名案を思いつく。
「あ。フリスクを入れるのにちょうどいい」
かなり疲れているらしい。
-----
ながたさん自慢といえば顔と従順でシャイな少年のような性格とその記憶力だったのだが、
どうもそれに陰りが見えてきた。
物忘れ
というものを経験したのである。この年忘れに。
食卓にじゃがいも、人参、タマネギ、そして牛肉が煮込まれた料理の皿があった。
ビーフシチューの汁が少ない物だ
という認識の元食べ進めると、どうもビーフシチューにしては味がおかしい。
どっかで食べたことあるのだが。
思い出せない。
でもビーフシチューと思えなくもない。そのまま食べた。
食べ終わってからその料理が
「肉じゃが」
であることを思いだした。
かなり疲れているらしい。
-----
生涯の伴侶もゲッツして意気上がるKさんは、もともと切れ者だがさらに切れが増している。
僕の書き物を
「新喜劇」
と袈裟懸けに切られたのには参った。
さすがである。
それは、本人が密かにいやおおっぴらに目指す一つの到達点。
笑いあり涙あり、よく知ったキャラクターがよく知ったギャグと、もちろんその場のアドリブを交え、
観客を巻き込んでストーリーは進む。
なに、スジと言うほどのスジはない。
いつも一回ピンチなって脇役が暴れ回って、主役が改心して頑張って。
しかもそこに救世主。辻本は実は超金持ちのご隠居で。
知らないウチに敵も味方も大団円。
土曜の昼は新喜劇。
季節に1冊ミラクルズ。
これであろう。
なにが「これであろう」だか(笑)
あるいは「早くエッセイを書け」とうるさい乃木将軍を前に
「あと二三年ですね」
と本人よりも的確な未来予想図を描かれては、本人は未来予想図2をカヴァーするしかないではないか。
美和ちゃん、あんま無理せんでええよ。
ゆっく行こや。
ブレーキランプ5回点滅?
ABSの故障?
まあマジな話来年は、例の「週刊で煮詰めてみる」ってことも含めてもうちょいイロイロ考えますわ。
日中フルタイムやってると、よりこの「ほえなが」が貴重なのです。いろんな意味で。
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駆動15日間で「坂の上の雲」一冊分。
(43文字*18行*380ページ/その他ドラフトを95ページ分ばかり)
割と頑張った。
ということは15*8巻で120日、つまり4ヶ月いただけると「坂の上の雲」が
書けるわけですな。
書けるかアホ。
肉体労働。
腕のスジ、パンパン。
SONYの方、C1のキーボードのリビジョン変えたいときは耐久テスト承りますぜ。
ASCII配列ならなおよし。
ロボットに叩かせるより、人間が叩いた方がより実状に近く。
なんか去年も12月は腕のスジパンパンにしてた記憶があるんですけど。
そういう運勢なのかな。
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明日は高校の同窓会。
ウチのアホ連もほとんど出るので、たぶん更新はない。
明後日はコミケ。
朝一で出てオーラスで帰ってくる予定なので、たぶん更新はない。
でも折角ネタがあるんだからやるかも、と思える自分がちょっと嬉しい。
頑張るのは他の誰のためでもない、自分のためだ。
だが、なぜ自分のためにやるのかというと、
他の誰かが待ってくれているからである。
がんばるー。
12/27 ワイン地獄 |
ワイン地獄。
いいでしょ(笑)
仮名さんはすごいワイン通で、思わず
「田崎」
などと呼びたくなるぐらいなのだが、
クルマ通と違ってワイン通は居ると便利である。
「らとぅーる」の96と
「ぺとりす」の84。
わかる人にはわかるかなり偉いワインらしい。
通が大切そうに空き瓶を抱えて帰ったところを見ると、かなり偉いのであろう。
あんまわからないアホ三人は
「ひゃひゃひゃ美味い美味い」
などと奇声を発しながらぱっかんぱっかん飲む。
通は薫りだけで昏倒しそうなほど楽しんでる。
ちょっと羨ましい。
いや、確かに今まで飲んだこともないぐらい美味かった。
特にぺとりすの方。
でも個人的にはらとぅーるの方がパンチが効いてて、
美味しい脂っけたっぷりのステーキなんかと一緒に飲みたい、かな。
かぐわしい香りを嗅ぎながら
「こんな時、通は『消しゴムとなめし革の匂いがします』なんて言うんだよね」
などと愚かなことを言っていると、通が
「いや、壊れた人達は本当にそういうモノを嗅いで勉強するんです」
と、教えてくれた。
そこまでいきゃあ立派だと思う。
かく言う私もバブルの残り香があった頃、オリックスレンタカーの特殊車輌貸し出しサービスの
いっちゃん上に
「ポルシェ911」
を見つけ、24時間10万円という値段表を見ながら
「ああ、借りれないわけではない」
と思い詰めた経験がある。
まあ、マニアなんてそんなものだ。他人からは理解されない。
-----
「吟こうぶり」というお酒がある。
なんば高島屋で一升瓶一本2万円なのだが、僕はあのお酒がどうも好きになれない。
美味いのは美味い。
無茶苦茶によくできてるのは認める。
あれ以上よくできている日本酒は知らない。
飲むと「おおこれわ!」とひっくり返る。
でもなんて言うんだろう、偉そう、っていうか
「おらどないや美味いやろが」
「ほれ、こんなに上手いこと作ってる酒、他にないやろ?」
って酒が、つまりは創り手が言ってるような気がして、
それがどうしても鼻持ちならない。
酔っぱらった御大と昔大激論になったことがあったが、
その辺は世代の差もあろう。
・心安らぐべき趣向品に金払って勝負挑まれては、たまったものではない。
とか僕は思うのだが、御大は常に
・かかってこんかい。
である。
考えようによってはこんなシンプルな戦い方はなく、
「常に進撃」
であればあとは頑張るだけである。
何か他のことを考える余地もない。
ただし犠牲は大きい。成功しても失敗してもたくさんの兵が死ぬ。
-----
ワインの世界もきっと、本国で値段表見回したところ
3000円も出せばかなり立派なワインで、現実になにがなんだかわからなかったが
そのあたりを払っていれば文句がでるような物はでてこなかった。
きっと日本でも、ちゃんとそういう知識を得てもしくは知識のある酒屋さんと
友達になれば、そのあたりで充分楽しめるのであろう。
自分がコストパフォーマンスオタクであるのはよくわかっているが、
ひょっとすると歳取るとこうなるのかも、とへべれけな御大を見ながら、
らとぅーるの残りを空けた。
それはいいことなのか悪いことなのか、
それともどうでもいいことなのか、よくわからなかった。
酔ってたのだろう。
12/26 シンクロニシティ |
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僕が今書いているものに昨日、ギャグ用の狂言回しキャラクターとして
「久代大尉」
という人物を出した。彼は姫の逆鱗に触れるようなことをぺらぺらとしゃべってしまい
案の定朝までの漕艇訓練を命ぜられたりするのだが、
実は「久代」という名は高校の同期生にある。
ふと、思いついたのでその名を使った。
別に本人はギャグが好きなわけでも、漕艇が好きなわけでもない。
ところがそうこうして夜、メールを開くとなんと件の
「久代」君からメールが来ている。
同窓会はどうなったの? 連絡がつかなくなっちゃったのでながた君から連絡して下さい。
というものであった。
びっくりである。
なにせ久代君と接触を持ったのは実に4-5年ぶり。
高校の時も仲良く喋るというような間柄では無かったのに。
こういう偶然と呼ぶにはあまりにも偶然すぎる出来事が「同時性」。
別に大尉の名は「久代」でなくてもなんでもよかったわけで、
そこで何の関連もない「久代」を使ったことも使ったことなら、
本来A組の出身なのに、B組出身B組担当幹事の僕に、
A組幹事のメールアドレスの紛失
という偶然で久代君がメールを送ってくる、というのももの凄い偶然だ。
しかも、同じ日に。
-----
こういうことはマレであるが、さりとて一生に一度というレベルではなく、
年に数回、とかそういうレベルで起きてしまうからこそ、
ユングならずとも「???」と頭を捻ってしまう。
理屈はわからないが、どうも何かがあるらしい。
そう思えばこそ、科学は発展するのだ。
「偶然だ」などと切り捨てても、何も始まらない。
あるいはこういう経験をすると、
「言霊」
というのが本当にあるのか、などと思ってしまう。
昼、「久代大尉」という登場人物を出してしまったが故に、久代君からのメールを
引き寄せてしまったのか、なんて。
それならばよく言われるような、
「毎日願いをノートに15回ずつ書けば、必ず叶う」
というようなことも、ひょっとすると起こるのかもしれぬ。
……ちなみに僕は試してみたが、10ヶ月経っても効果がなかったので、止めた。
まそれはさておき、
「これってなんだろう!?」
っていうところが学問の始まりであるのだから、
誰かにピシャッと説明してもらいたいものだ。
できれば、こういうのをコントロールできるようになるとすっごく楽しいと思うのだが……
それは欲張りすぎだろうか。
ともあれ、もしかすると……という気持ちも込めて、今日も妄想の翼拡げるながたさんであった。
12/25 職業プレート |
AMGのC36、右ハンドルなんてあったっけ(その後RS-1さんに聞くとあるらしい)
とか思いながらよく見れば、ナンバープレートは
「神戸 3** * ・893」!
それはネタですか。それともマジっスか。
どっちにしろ煽られないでしょうねえ。
……いや、「・893」のE55とかに煽られたりして(泣)
12/24 ドラグーン |
この稿はいろんな意味で本人に取って画期的だったので、思い入れ深いです。
もし明日交通事故かなんかでぱったり死んだら、代表作はこれ、ということにしておいてください。
以下、お読み下さった皆様へ。
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テクニカルな面では普段から心がけている
「音節重視」
を徹底しています。音読するつもりで読まれるとおわかりになりますが、
リズムと音の響きにはかなりこだわっています。
ある程度は成功した、と思うのですが、逆に己の日本語能力の低さを思いしりました。
同音節で他の単語、というのがなかなか出てこないものです。
勉強がたりません。
また、ちょっとトモロヲ入ってますがそこはそれ最近の作ですので
影響されるのは仕方なし、ということで。
「実在する話/よく知られた話をズタズタに弄くり倒してフィクション化する」
という手法は久しぶりに使った超得意戦術です。
劇の脚本はこればっかりです(笑)
いいんですよ、おもろけりゃ。
元になったお話は伝説の第二回日本グランプリですが、あのお話を読んだときには
感動しました。大学確か二年ぐらいだと思うのですが、それ以来、
なんとかしてこのお話を表現したい
と思っていたものがようやくスカッと。
8年越しぐらいかな。
逆に得意のパターンを使わなかったところもあります。(意識的無意識的にはともかく)
ながた作品としては実に珍しく
「綿密なキャラクター設定を放棄」
しています。名前からして借り物ですし(笑)
時間がなかったのもありますが、ストーリー……というより「ながれ」を最重視した結果、
取り立ててキャラを立てる必要がなかったのです。
「へえ、キャラなしで書けるやん、俺」
っていう感じで、とても勉強になりました。
逆に言うと、ここにキャラ入れていくともっと強くなる……だろうと。
また、ながた作品の特徴の
1.5人称
場面がほとんどありません。レース中ちょっとだけ両ドライバーにでてきますが、これぐらいです。
人称を一人称三人称それこそ一行ごとに替えながら進め、
お互いの心理状態や独白を生で転がすやり方は
その高速性も含めて僕が書いてて一番好きな場面なんですが、今回は控えめ。
これもまた、これが混ぜられるともっと気分が良くなるか、と。
-----
ストーリーは単純です。
単純なストーリーに、絡みあう場面場面を小刻みに切って貼って全体を構成する、
というやり方を意識的にやったのは(確か)初めてです。
これは、劇脚本を書いてた時に培った方法です。
第何幕第何場、というヤツです。
で、一場一場でオチ(的なまとめ)切って切って繋げていく。
すると、一場面ごとに見る方(この場合は読む方)がリフレッシュできますし、
書く方も短いのがたくさんつながって長くなるので、書きやすいです。
自身400走者だと思ってたのですが、いや、1500ぐらいならなんとかなるぞ、
と、200を走って逆に思う今日このごろ。
あとは「ほえなが」集大成とも呼ぶべき「ほえなが」ファン感涙ものの決めゼリフ(笑)
が随所に散りばめられており、書いてて
「アホや俺」
と酔っぱらってました。その辺は読み返すと恥ずかしいです。
指摘するまでもないと思います。読んでニヤリとしてください。
デフォルメはかなりキツイですね。
あえてキツメ、わかりやすめです。
レース知らない人には一周三秒の重みなんてわかんないですから、
「頑張ったらなんとかなる差」
て「感じ」で。
この辺のリアリティはもちろん、ある程度は大切ですが所詮重箱の隅、
数字や単語は飾りだと思ってスルーしてください。
#それでも「こいつわかってない」と思われるのは嫌なので「完全バランス・直列6気筒」とか
#「ナカジマのチビトラック(RR)」とか牽制球投げてるところが可愛いですな(自分で言うな)
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変な気概かも知れませんが、今、
僕らぐらいの男の子(あえて子)が読む本
が無いんです。
雑誌すらない。
でも、「北斗の拳」みたいな小説とか読みたいんです、きっと。
それは、司馬遼太郎や池波正太郎じゃないんです。それもいいんですけど。
だからって富士見ファンタジアは読めない。恥ずかしいし、やっぱり対象年齢が低い。
ということで、
「自分が読みたいものを自分で書く」
という実に変梃なことになってますが、
実はこの気分こそが「ドラグーン」を書いて得た教訓の中で一番大きなものかも、しれません。
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うまく行くときは全部が全部うまく行くもので。
伏線なんかも小気味よく何本も張られているんですが、計画立てて張ったものは
ほとんどなく、書きながら即興で張っていったものばかりです。
そもそも、いつも「ミラクルズ」を書くときにはプロットをB5で一枚半埋めるぐらい書き殴って、
妄想の貯金をしてから書き始めるものですが、これはそんなことなしでほとんど一気書き、
基本完成までに要したのは2日です。
しかも出来がいいから後から弄るところはホントに語尾どっちがいいかとか
句読点どこで打つかとか、そんな些末しか残りませんでした。
実はある枚数制限を前提として書き始めたのですが、そこにもピタリ、と冗談のように上手く収まりました。
で自分でも会心の出来だったのですが、
逆にその後今まで(今ちょっとマシですが)本人を苦しめています。
「俺はドラグーンが書けたんだ、もっといいのが書けるはずだ」
無理無理(笑)
また「いいの書こう」っていう陥穽に落ち込んで、しばらく出られなかったものです。
そうではなくて、しっかり気持ちのせて書くのをただ黙々と続けるウチに、
これを超えるものもポン、と生まれるかもしれない。
そんな気持ちで行かなくちゃ。
しかしそれでも得る物は大きく、次はこれに「ミラクルズ」なんかで培った
「キャラで/を楽しんでいただく」
揺れる人称と講談さながらの節回しで
「読んで酔える」
という要素をさらにぶち込み、そして忘れてはならない今回ほとんど使えなかった
「あまりにマイナーすぎてなかなかついてこれないワードギャグの数々」
をねじ込んだような新作を書きたい。
というか今書いてる。
えらい風呂敷になってしまって自分でも収拾ついてないのですが、
割と、そこそこ、いい感じになり、つつあるかもしれないような気がせんでもないように思える
ので、またしばらく後にはご覧いただけると思います。
お楽しみに。
一年後には
「あはは、『ドラグーン』ぐらいで大層なこと言ってるよ」と言いたいものです。
お読みいただき、ありがとうございました。
ご感想などありましたら、ぜひお送り下さいませ。
12/23 似合う似合わない |
そこでいっしーさんは山男用ソフト帽フリース素材を手にした。
「ぼくねぇ、帽子が似合うんですよ」
似合った。
まるでその格好で生まれてきたかのように似合っている。
帽子を取ったら変に思えるぐらい似合っている。
彼のためにワザワザ誂えてもこんなには似合わないだろう、というぐらい一体化している。
ついで手に取ったのは、キャップなのだが耳当てがついており、
それは長くマジックテープで顎下で止めれるようになっている。
しかも内側がボアで覆われている。
カーキグリーンの色とあいまり、遠く満州の地で戦う兵隊さんが被るような。
さっそく被ってみる。
遠く満州の地で戦う兵隊さんだった。
「ただ今満蒙の地より戻って参りました」
というセリフがいつ飛び出すか、という似合いようである。
敬礼と村田銃が変な現役自衛官より似合いそう。
こんなに「何かが誰かに似合っている」というのを見たのは、実に久しぶりだ。
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だが、「似合う似合わない」というのは一体、なんであろう。
いつものほえながであればここから絢爛豪華な眉唾理論がゾクゾクと展開され、
「宇宙の愛だ」
などという結論に至るのだが、こればかりは今ちょっと決定打が思いつかない。
ウチには五匹のネコがいる。
面白い物で、ネコというのは首輪をつけた方が可愛いのである。
元来があんなものは当然、首輪なんてついていようはずもなく、
「自然が一番」
などという一度ゴビ砂漠で渇死した方がいいナチュラリスト的立場からは
絶対に、首輪なしの方が可愛いはずである。
だが現実には絶対に、首輪つけてる方が可愛い。
普段見慣れてるとかそういう要素でもなく、野良猫でも掴まえてきて晴れやかな
首輪をつけると、それはそれで決まるものである。
もっと面白いのが、その首輪にも似合う似合わないがあることだ。
リッキーさんはアホ、かつ色が白と黒なのだが、彼に一番似合うのは
「赤単色」の首輪である。
これは理屈がつく。見慣れている物体にイメージが近いからだ。
おにぎりである。
梅干しの。
また、みる吉(本名・ミルク)はスレンダーなボディが自慢で、頭が小さく手足が長く、
そして目が小さく目つきが悪い。
この大型ネコ科猛獣をそのまま小さくしたような彼に似合うのは、
「ヒョウ柄」
の首輪である。
いやホントに。
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「似合う似合わない」には、
単純な色彩論やデザイン論、例えば補色がどうの彩度の差があるのないの、
太ってる人には縦縞がどうの、などというものでは計り知れないなにか、がある。
その人の、形状ばかりではなく、
普段の行い、言葉、動き、さらには今までやってきたこと。
つまりは、「イメージ」がその物品と、あうかあわないか。
なんか偉そうなことゆうてるみたいですけど何もゆうてませんぜ(笑)
その昔、現場の駐車場でクルマを入れ替える必要があって、
スーパーホワイトツートンのソアラ(二代目)
を動かしたことがあった。
一緒にバイトしてたS上助手が駆けつけて曰く。
「おそろしく似合っている」。
二代目ソアラは好きなクルマの一台だったので嬉しかったが
#今でも「ジャパニーズ・グッドデザイン」の十指に入るクルマだと思う
これとても運転席に見える顔立ちがあっている、というだけではない。
クーペという実用性の低いただ贅沢なボディ形状、
もう完全に終わりを告げていた無邪気に栄光の80年代気分、
スーパーホワイトツートンが「いい」といえる、子供っぽさ恥ずかしさ、
そりゃ下らないところも間違ってるところもあるけど、誰が何と言っても
日本オリジナルの商品コンセプト、(本国でもSLや6なんか大学生に買えるかアホ)
デジパネや8ウェイパワーシート、ダブルヒンジドライバーズドアなどに象徴される
重箱の隅をつつき倒す偏執狂的な科学技術いやギミックへの思い入れ、
車体本体も高ければ燃費の悪さから維持費も高い、この扱い辛さ使い勝手の悪さ、
ターボと大排気量で走れば鬼のように速いのに戦闘には興味がない、
世の中への斜め向きの姿勢……
というようなところが、「ながたかずひさ」という人物に色濃くオーバーラップしたのであろう。
別に似合ってないから止めろなどとは言わないし
現に自分だって似合ってないものをいっぱい持ってるから言えないのだが、
やっぱり、無理して似合わないものを持つよりは、
我が身振り返って似合うものを持つ方がいいかな、と思ったりする。
ただし、ものにあわせる、とまで言うと言い過ぎだが、
「これが似合う人間になろう」
というやり方はありである。清少納言も書いていたが、立派な衣冠束帯をつけていると、
そのうちにそういうのが似合う人物に育つような場合も、多い。
松井秀喜は舐め回すように大切にされた結果、セ界一の四番バッターに育った。
まあそーわゆーても……ヴィトンのバッグを持ちこなしてる人って
ほんまビックリするほどいまへんな。
サンプルが多いから余計にそう思うのかも知れないけど。
12/22 機能性衣料 |
そこで色・形状・軽さなどほとんど全てを気に入った(サイズがちょっと小さいが)
じゃんぱあ(マウンテンパーカーと言うには裾がない)があったので、手に入れた。
定価は29000円である。
それまで今季はユニクロで買った5900円のコート(マウンテンパーカーと言うには裾が長すぎ)
を着ていた。
防寒性も防水性もバッチリ、特に不満はなかったのであるが、
いかんせんあそこのは「格好」が悪い。
おそらくはどんな人にもある程度フィットするように作ってあるからだと思う。
体型のみならず顔かたち、年齢性別まで含めて。
だから、誰にもジャストフィットはしないのである。
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余談だが
最大公約数がピッタリはまる人
っていうのは実は居ない、のは、大昔そんなTV番組があって、その名も
「大凡人」。
とにかく100人ばかりスタジオに集めて何かと何かを選ばせ、多数を選択した人々を
勝ち抜けとしさらに何かと何かを選ばせる。(クイズではない。正解はない)
しかもこの何かと何かが、もう全くどっちを選んでもよさそうなものばかりが並ぶ。
これを勝ち抜いて残った数人、この中から最終的には負けていった凡人でない人々が投票で
「大凡人」
を選ぶという画期的な番組であった。
第一回放送を見た(と思う)が優勝者つまり「大凡人」は、そりゃあもうどこからどうみても
「大凡人」
だった。
よくできている、と子供心に感心した。
すぐに「こちらが多いだろう」という予測の元参加者が動くようになり、
また見ててそない血沸き肉踊る物でもなかった故、すぐに終わった。
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とまれ29000円のおにゅーのじゃんぱあを着て例によって痛勤電車に揺られると、
その大いなる優位性を発見した。
むれない、ので汗をあまりかかないのである。
つまり、快適である。
実はこれには「エアロポーラス」という素材が使われている。
高透湿でのウィンドブレークを主眼に開発されたらしい。
活発な運動や発汗量が多いシチュエーションでの使用目的で。
なるほど、お題目通りの戦闘力を発揮している。
しかも中綿も「サーモライト・エクストラ」という新素材、断面がメルセデスのエンブレムのような
中空繊維、それがスパイラル構造でバネのような格好をして空気を中に閉じこめるという。
タグでは超ソフト超軽量、しかし断熱効果バッチリだと吼えている。
これもお題目通り。とても暖かい。
頼りないぐらい軽いのに、ビックリするほど暖かいのである。
エライものだ。
やはり衣料といえど、29000円には29000円なりの機能が込められており、
現実に多大なる効果を発揮しているのだ。
アウトドア衣料が一時ほどではないにしろしっかり根付いたのは、
「着心地」や「デザイン」のように定量評価できないようなものではなく
その「機能」に金を払っている、という確かな手応えがあるからではないだろうか。
特に日本の消費者は平均的に見て
「納得した時に出す金の額」
はまず間違いなく世界一であり、だからこそクルマ、バイク、カメラ、電化製品がこのように
大発達したのだろうが、衣料にもそういう流れがまた大きく、来るのかも知れない。
パソコンスーツのデビューを待つばかりである。
「アルマーニ? バカ言っちゃいけない、俺のスーツは富士通だよ!」
12/21 女性ヴォーカル |
ながたさん女性ボーカルが大好きなんですけどね、
女性ボーカルって二種類あるんです。
くっきり二種類に分かれて、片方の人はジャンルに関わらず片方しか歌いません。
「私あなたを振ったけど、あなたは幸せになってね、私めっちゃ幸せだけど」
という歌を、歌うか歌わないかです。
(自身に決定権のないアイドルは別ですよ)
割りに多くの女性ボーカリストはこういう歌を歌います。
僕は嫌です(笑)
なので、曲が好きでもこういう女性ボーカリストの歌はほとんど聴きません。
松任谷由美、平松愛理、松田聖子などです。
逆に、絶対にこういう歌を歌わない人達がいます。
詞的にはそれに近いことを言ってても、込められている情感は逆だったりします。
吉田美和、MISIA、そして中森明菜。
香美ちゃんのはぱっぱらぱあですが、この嫌な曲を歌わないのでまあええかな、と。
ちなみに男性ボーカルでこういう詞を歌う人は寡聞にして知りません。
演歌歌手なんかにはいたはるのかもしれませんが。
大抵捨てられるように持って行くんですよね。カサブランカ=ダンディみたいに。
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だってね、そのセリフってね、(男女問わず)おかしいじゃないですか。
「幸せになってね」
ってなんですのそれ。
あんたさえOKだせばそれで幸せになるのを拒否しておいて、どの口が言うてんねん。
1人しか通らない就職面接があって、友達と2人で受けに行って、
友達が落ちて自分が受かった。そんなときに、
「お前もいい会社に入ってくれよな」
そんなセリフ、言えます?
人間として。
言う前に譲ればいいじゃないですか、ホントにそんなこと思ってるなら。
嘘なんですよ。
不誠実極まる。
自分の罪悪感を少しでも軽くできると思いこんでいる、嘘。
これがこと愛だの恋だのという話になると平気でこんな話が通用する
(と、思ってる人が多い)
のが腹立つんです。
人間関係じゃないですか。男女関係(いや男男関係かも女女関係かもしれんが)いうても。
なら、そんなつまらないセリフを、一生懸命想ってくれる人に対して
吐き捨てるのはおかしいでしょう。
でも、現実としてはそんなことにもなるでしょう。
でもなったらもう、ひたすら「ホンマすんまへん」としか言いようがない、と思うんですが。
少なくとも高らかに歌い上げるようなこっちゃない。
妙に晴れ晴れとした酔っぱらい優越感を持ってね。
聴いてみて下さい。
こういう曲を歌ってるときの女性ボーカリスト達の晴れがましい酔っぱらい声を。完全に
「私中心に世界がぐるぐる」
モード入ってますから。
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最近トゲトゲしてますな。すんません。
こう、余裕無くなると全然余裕無くなるのがいけないところだとは思ってるのですが、
「全力でやってるフリをするのが礼儀である」
という子供の頃から叩き込まれた処世術が未だ抜けきらず。
ほな余裕あんねやん?
いや、だから余裕無いようにならなあかん、て追い込んでるんですよ。そのことに余裕がない。
考えすぎだとは、よく言われます。
じゃあ、明るい話題を一つ。
高槻のJTの研究所というと、我等がK西技建が心血を注いで測量した大研究所なのですが、
ここに勤務してたマッド・サイエンティストが、JR高槻駅前で放射性物質をバラまいたらしいですな。
節分の豆のように。
設計図には「イヌ室」「サル室」「マウス室」「処分室」など、素敵な文字が踊っていました。
体重2kgぐらいあるマウス100匹とか、そんなんじゃなくて良かったですね。
12/20 脳力 |
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体力という単語があって、脳力という単語がないのは何故だろう。
人間の体力には限界があるのは、皆さんご存じの通りである。
体力にはいろんな要素があって、筋力であるとか
そこに蓄積される疲労であるとか、すぐに使えるグリコーゲンが枯渇するとか、
種々雑多な要素が絡み合って、限界が来る。
限界が来たときにすることはなにか。
睡眠である。
もちろん、単なる休息も必要だし、それでかなり回復することもできるが、
やはり、体力を100%マックス(近くにまで)戻す手段は
充分な睡眠の他はない。
例えば猛烈な力仕事の後8時間ぼけーっと休息するのと
8時間ぐっすり眠るのとでは、次の力の出せようは比較にならないほど違う。
なんてことは皆さんご承知の通り。
で、これは多分、頭脳労働にも当てはまるのだ。
頭脳の力も様々な要因が折り重なって構成されているものである。
集中力。洞察力。記憶力。そしてそれらを持続する力。
それら各々の力がまんべんなく減ってきたり、あるいはどれか一つが極端に落ちたりして、
脳力の限界
が来るのだ。
で、これが来たらやっぱり、体力同様、
寝るしかない
のである。
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ながたさんが不規則生活術五段、小学生の頃からこの道一筋、
「不規則界の板井」(廃業・ただしスピード出世記録かなり上位)
と言われてることは何日か前にも書いたが、
「どうしてそんなに不規則なんですか」
と問われれば結局の所、
「脳が疲れたら寝るんです」
と答えざるを得ない。
力もなく金もなく顔はかなりいいが売れるほどはよくなく、性格がひどいこの私の場合、
売り物といえば脳とその生産物しかないのだ。
しかるに、まあ特に個人的に一発のある(しかない)集中型だというのも大いに災いしているのだが、
世間の人々は学校にしろ仕事場にしろ、
一日八時間連続稼働
などという途方もないことを要求する。
無理である。
一発集中力については諸説あって、30分とする説もあれば90分とする説もある。
これはおそらく個体差が大きいので一概には言えないと思うが、まあ1時間前後としようか。
本格的睡眠を採らずしてこの最大集中力を発揮できる1時間セットを
1日何回取れるか、という話になれば、僕は
3回
が限度だと思う。無理して4回だ。
なればこそ、大学の講義は4限が原則なのである。
とどのつまり1日24時間、というセットの中に、8時間の頭脳労働は無理なのである。
いや、やってもいいが大幅に遊んでる時間が中に入ってしまうのである。
それは、もったいないではないか。
ならまだ、
12時間セット、4時間目一杯働いて4時間遊んで4時間寝る、×2
の方が効率がいいのではないか。
ということで高校生時代、頭脳フル回転時のながたさんというのは
7時30分起床 4時昼寝7時起き 2時半就寝
というほぼ大体2セット制を引いていた。
大学時代以降はぐちょんぐちょんになったのでこんなにキレイではない。
というかそれ以降あんまり頭使ってないからこんな有様なのである。
ほっといて下さい。
また規則正しい人を腐すように聞こえる発言で申し訳ないが、
言いたいことは
「不規則に生活している・夜中起きてる人間でも、やるやつはちゃんとやってる。
だから、それだけをとらまえて非難するのは止めて欲しい」。
もちろん、こんな貧相な我が身一つを例にしてのヒガミではない。
同様に一日を二つに分け、少し寝るのを二回取って大活躍した人物が一人いる。
彼も夕刻に少し寝て、夜の睡眠を早く切り上げ朝の時間を活用したという。
「コンピューター付きブルドーザー」、
田中角栄である。
12/19 幸せバカ |
子供が入ってきた。小さな女の子。3つ4つか。
彼女は店員の制止を軽やかに振り切り、店内を自在に闊歩する。
店員も小さく聞く耳は持たないとは言え場合によっては
最も消費金額の大きい客であるので強引な制止はできない。
これは、よくある風景である。
毎度のことだが問題は、親である。
バカ母、バカ父、そしてどうも顔立ちからしてバカ母のバカ母、そして子供という
黄金の四角形を描いて彼らは地上に舞い降りた。
嫌な予感通り、子供は手にしたサンタさんステッキを振り回す。
なんとこの物体は、ボタンを押すと電子音のクリスマス・ミュージック
(曲名はわからん。よく聞く曲だ)
を時間無制限一本勝負で鳴り響かせるという迷惑防止条例違反品である。
子供はもちろんのこと、断続的に
「くりすますーららくりすますーららくりすますーくりすますー」
とゆーよーに聞こえる、携帯にも劣る単音電子音を魔法のステッキから繰り出すのだ。
やかましい。
母に社会的な躾を教わったながたさん的には、
最も叱りとばしたいのはバカ母であり、ついで
完全に「威厳」の威の字の右上の点ほども迫力のないマスオバカ父であり、
最終的には年代的にエエ歳であるにも関わらず何ら関与しようとしない
バカ母バカ母。
ただし、バカ母バカ母の場合は「おばはん」という治外法権に位置する社会的地位に
立っているので、批判は無駄である。口を開くその間に蒸発する唾液分勿体ない。
だが考えてみればバカ母バカ母の娘であるからこそバカ母になるのであり、
このバカ母から生まれた魔法のステッキ少女は当然またもバカ父候補を婿に貰って
バカ母化するのであろう。
ああ歴史は偉大なり。
文化的情報や精神的情報の遺伝子をでっち上げ(物質としては当然ながら確認されてない)
「ミーム」(模倣子)
といったりするが、こうまでバカ女三世代が奇麗なフォーメーションを作っていると、
このミームなるものはきっと化学構造で特定できるなんらかの物質で
脳か足の裏の土踏まずかどこかに蓄積されているに違いない、などと思ったりする。
生物・化学系の人は狙い目である。
発見すれば間違いなくノーベル賞で、己の欲望のために糟糠の妻を捨て
後から若い二回目の嫁はんを貰うことすら正当化してもらえる。
-----
本来幸せである人はその税金として「お裾分け」をするべきであって、
「望月の欠けたる代表見てみたい」
などと道長が言ったように、幸せでパンパンになってしまえば後は下るだけである。
だから、パンパンじゃないように、幸せな人はみなへりくだる、のが日本古来の伝統だ。
それは、誰のためでもない、自分のためである。
別にビクビクしろとも言わないしミスやうっかりは誰にでもあるが、
大きな顔をして我々のやっていることは正義だ
と思えるようなことでは、あるまい。
みんなが楽しくご飯を食べている席で、けたたましい電子音を響かせるのは。
ならば注意すれば……というのは机上の空論で、
そんなことしようものなら三バカの
「何が悪いかわからん、だって私たち幸せだもの」
という虚ろな視線を受けてより一層悲しい気分になるだけだ。
それならば、右も左もわからない子供の横暴に耳を任せる方がなんぼもマシである。
この子はまだ、立ち直る機会がこれからあるかもしれないのだから。
子供には、輝く未来が待っているものである。
12/18 おなかいたい |
何も進まず、呆然たる神経のまま帰ると、まま上も
「調子が悪い」
という。
食性が近い二人して調子が悪い場合は、大抵
「何かに当たった」
のである。
「牛乳ではないか」
低温殺菌は賞味期限が短い。特に開封後はすぐ悪くなる。
和久の問いにまま上は答える。
「私飲まへんもん」
ううむ。
それでは風邪か。
熊型研究者にでも伝染されたか。
しかし一時間後、疑問は氷解した。
「……あ、私昨日フレンチトースト食べたわ」
やはり牛乳である。
今朝は「ちょっと調子が悪い」と思って、牛乳とヨーグルトだけを採って出撃した。
毒を飲んで調子が悪いのを、毒を飲むことで忘れようとするようなものだ。
まさに一人日本経済。
一気に下痢になって上下水道大貫通ならまだしも、
エネルギーを欲する脳と身体のおかげで食欲は旺盛である。
新しく詰め込まれた食物をよすがとして、
体の中に腐敗物がたまり続けるような
いやあな
感じがずっと拭えない。
こんな時は戦闘も上手くいかないし、
戦闘が上手くいかないから身体不調への好影響もゼロ、というのは
日頃うるさく訴えているとおりである。
浣腸でもしたろか。
ながたさんは大学で
軟便会
に入っていたほどの軟便家であり、便秘とはかなり無縁な人生をおくらせてもらっている。
だからこそ
「洋式トイレはその全てがウォシュレットでなければならない」
という法律を一刻も早く制定して貰いたく、そのためには
節を曲げて大阪府知事になってせめて大阪府だけでも
100%ウォシュレット
を実現したいと常日頃思っているが、
この法案に「無関心」という名の消極的反対作戦を繰り広げている連中が
強便家
の人々であることは論を待たない。
しかもまずいことに、強便家の皆さんの多くが、家計と家庭の設備を預かる
主婦(を中心とする女性陣)であることが事態をさらに複雑にしている。
軟便家と並びこの法案の一刻も早い制定を望んでいる
痔主
という特権階級が日本には多数存在する。
我々軟便家はこの階級と早くタッグを組んでの共闘が不可欠である。
ところが神様は悪戯好きである。
痔主の多くが強便家
という運命の皮肉がある。
痔主はその特権が行使される場合に置いてのみウォシュレットの重要性を熱く語るが、
いざや切り口がふさがり、もしくは突出部が矮小化すると
喉元熱
であり、すっかりとその重要性を忘れ去り、国家百年の計ウォシュレットに払うべき国家予算を
家族ででぃずにーらんど
などという唾棄すべき目的に浪費する。
かくて
新築マンションにウォシュレットが入っていない
などという信じられない事態が現在も日本のあらゆる場面で繰り広げられている。
ウォシュレットもついてないのに
「バリアフリー」
などとはチャンチャラ片腹痛い。
設計者に本当に、日常で困ってる人の視点に立つなどと言う意識は全くなく、
ただ床を均して棒を壁中に貼り付けまくればそれでいい、その程度の意識である。
そんなヤツに本当のバリアフリー住宅なんか作れるかあ。
おなかいたい……
低温殺菌牛乳の意外な弱点を発見した……
12/17 グリル・マルヨシ |
髭面の熊型研究者(剣道五段)と共に。
(T^T)
お店は古き良き時代の洋食屋さんである。
昭和30年代40年代あたりの。
すごい、と思うのはそれはいわゆる
レトロ(懐古趣味)ではなくて、
現実に古い
のである。まさに、時が止まったごとく。
時が止まったような阿倍野という土地によく合っている。
古い理髪店のようなガラス戸をぎぃ、と開けると、
古い理髪店のような大きな鏡が出迎えてくれる。
コックさんが三人、小さなカウンターの中で立ち働いている。
二階へ行けと言われて行くや、そこはもはや大衆食堂。
絶滅寸前のビニール製テーブルクロス、ピンクと白のチェック模様。
イスはもちろん、パイプイスみたいなもの。
そして高々とした位置に掲げられる横に長い14インチが、
NHKを映し出す。
我々の座ったテーブルの横には食材の段ボールが剥き出しで積まれ、
かなり時代物のナショさんのフリーザー(冷蔵庫じゃないよ)が突っ立っている。
そして壁には、
「エスカルゴ
三ヶ 九〇〇円」
の貼り紙が。メニューではない。貼り紙である。
メニューはビニールに覆われたモノクロで、これがまた懐かしの
和文タイプライター
で作られたような、中途半端に文明の手が入ったもの。
異常な郷愁を誘う。
「御集會、御商談に是非!!」
初めて目にする日本語である。
最後のダブル・エクスクラメーションマークはニコイチで斜めになっている。
二人が頬寄せ合って相談して決めたのは
#なんか嫌になってきた
・ハヤシライス ・オムライス ・タンシチュー ・ビーフメンチカツ。
美味かった。
特に濃すぎず嫌味のないドミグラスは絶品。
ドミグラスにひたひたになった「メンチカツ」。
白米を頼まなかった愚かさを思いしる瞬間ですね。
あのね、「ばらの木」ほど暴力的に美味いってわけじゃないんだけど、
「ホッとする」というか、安心してガツガツ行けるっていうか、
食堂
なんですよ。お店も構えてなければこっちも構えないっていうか。
もちろん、そこらの洋食も出しまっせ、みたいなお店とか
ファミレスよりずっとずっと美味いですよ。
美味いライスものは、美味い丼もの同様、
「ごくごく」
いけますよね。まるで飲み物のような一体感。
これにビール2本貰って6000円。
食べ物も美味いのだが、
店内の何とも言えないタイムスリップ感がたまらない。
TVからは古いモノクロ映画を流しっぱにして、
店内のBGMも僕らが聞いたことないような超懐メロのオンパレードとか……
そうすると狙いすぎててヤらしくなるのかな。
あくまでも「今の昔」だからいいのかもしれない。
阿倍野へお越しの際は、ぜひ一度どうぞ。
あ、そうそうもちろんスプーンとフォークは、紙ナプキンにくるまれて出てきます。
12/16 コカ・コーラ |
よく考えてみればあんな変梃な飲み物は他になく、
原材料も何もわからない黒いシュワシュワした液体、
冷静に考えればなんだかよくわからないあの味、
あれをごっくんごっくん、世界中の人が飲んでいるというのは
どういう訳か。
簡単である。
カフェインと炭酸と糖分が、一発で取れるからだ。
カフェインが神経に覚醒作用刺激作用、
炭酸が胃腸を物理的に刺激して身体を叩き起こしてくれ、
しかも脳に足りなくなっていたエネルギーを大量の糖が
補ってくれる。
熱いコーヒーなどもいいのだが、同じ体積の糖を入れると、
たぶん飲めなくなるぐらい甘甘になる。
熱い紅茶に砂糖とミルクならまあエネルギーの面は満たすが、
炭酸の刺激はない。
じゃあ炭酸の刺激、といえばサイダーにはカフェインはない。
ジンジャーエールはその点をショウガの強壮作用で補っているので、
似てるかも知れないが。
とまれコーラは、覚醒刺激という点でずば抜けて高い性能を誇る、
「機能性飲料」
なのである。
-----
コーラと言えばコカ・コーラである。
というと「ビールと言えばラガー」親父みたいであれがあれであるが、
だってそうだもん。
長年日本市場では幾多のルーキー達がコカ・コーラに戦いを挑んだが、
現在コスイおまけ戦術とサントリーの強力な販売能力で
何とか戦えているペプシを除いて全て討ち死にした。
ロックインがかかってて、もう「コーラと言えばあの味」という刷り込みがなされ、
他のコーラを受け付けないと言う面もある。
ベンダーの力があまりにも強力で、商品力の微々たる差など吹き飛んでしまう、
という面もある。
店頭小売・業販が強力なのはもちろんで、独占禁止法一歩手前、
喫茶店や飲食店でコーラ頼んだ客がコカ・コーラじゃないことに腹を立てるリスクを考えれば、
よほどのメリットが無い限りペプシを入れる必要などない。
だが何より大きいのが、ペプシ始め他社の勘違い、
「あれが美味いから売れている」
と思ってる点である。
最近でこそ聞かなくなったが、以前ペプシが必死で自社の優位性を訴えるときに
使ったのが、
「目隠しテストでの好成績」
であった。
アホウか。
コーラは覚醒剤である。
お薬である。
プラシーボ効果含めて、効いているのである。
だからあの、紅白のおめでたいカンカン、あれを手に握りしめるところ、
いやそれ以前に他に飲むもののないしょーもないラインナップの
コカ・コーラヴェンダーから
「やっぱコーラでしょう!」
と言いながら120円を投ずるあの瞬間、あの気分の盛り上がりまで含めて、
コカ・コーラ
なのである。
以前にも言ったがあのヴェンダーの他の製品がロクなものではないのは、
ひょっとするとコーラを買わせるためか、と思うぐらいである。
で、あるからして「美味い」などという必要はない。
むしろ逆。
パンチが効きすぎるぐらい効いて、飲み残しちゃうぐらい甘ったるくて、
そして訳のわからない薬臭さが鼻を突き、
「骨入れたら溶ける」。
だから、
「効く」
のだ。
現在も勘違いを続けるペプシは飲みやすく優しい味のコーラを作っている。
あれはあれでいい。あれが好きな人も多かろう、そりゃ。
だが、コーラはコーヒー同様に、
少数のヘビーなユーザーが忠誠心高く大量に購入する物品であって、
年に何本も飲まないような一般客を
ダースベーダーの人形でなんぼ釣り上げてもそれは一過性のものである。
ヘビーなユーザーを取れないから別の層を狙う、
それは悪いことではないと思うが、
果たしてコーラのようなタイプの飲料でそれが成功するかどうかは、わからない。
-----
その昔、UCCがジョルトコーラというコーラを大々的に打ち出したことがある。
CMにたけしさんを使いかなりお金も突っ込んだ戦略商品だったように思ったが、
あにはからんやそれほどの支持は得られなかった。
そしてそうこうしているウチにUCCはヴェンディング部門を丸ごとネスレに売り払う。
(ったよね、確か?)
本業専念、珈琲屋としての原点に戻るために。
ジョルトコーラも、今も作ってるかどうかわからないのだが、とにかく簡単には飲めなくなった。
だが僕は割と好きだった。
「カフェインがよその2倍」
という点はいいところを突いてたと思う。炭酸もよく効いてて、
「コーラらしいコーラ」
だった。
飲めなくなると美味く感じるものかもしれないが。
12/15 職住接近 |
歳をとるとどうして時間を短く感じるか、という疑問に
「5歳の1年は人生の20%だが、
50歳の1年は人生の2%だから」
という話がある。
だから時の流れるのが早いと。
ちゃんと答えてるんだか騙されてんだかわからない。
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それとは別に純粋に移動時間が長い。
今ほよほよと通ってる場所は、家から小1時間の所にある。
会社員時代は自転車飛ばして15分、定期代貰ってそれを浮かせるために
よく漕いだものだ。
それは横領です。
と、いうことは往復で90分も移動に多く割いている。
睡眠8時間とするなら活動可能時間は16時間で、その約9%に相当するではないか。
もし今までの生活のように自宅から動かなくていいのなら、
約13%にまで比率があがる。
僕の場合。
電車でも徒歩でもディスクマンを耳に突っ込んで
#の、イヤホンを、ですよ。
##わかっとる、っちゅーねん。
妄想にヨダレと笑みを垂れ流していればいいので、その時間は無駄ではない。
仕事に直結しとるし。
だが普通の人普通の仕事ではそうはいかない。
いくらかの人は資料を読んだり業界紙を手にしたり、涙ぐましい小さな努力を重ねている。
が、たいていは惚けた顔をしてぼんやりと窓の外を眺めるだけだ。
地下鉄の窓からは何も見えないんだけど。
しかしサラリーマン通勤ご経験のみなさまならおわかりのとおり、
朝寝ぼけてるのに日経を読めとか、
夕方くたびれ果てて腹も減ってるのに実になる本を読めとか、
それはムチャである。
身体壊す。
やっぱりせいぜいが週刊なんちゃらであり、スポーツ新聞であり、
まあ頑張って歴史小説ぐらいだ。
しかも世には活字の得意な人と不得意な人が居て、
不得意な人はどうすればいいのかという解決策は未だに提示されていない。
ザウルスみたいなもので地下鉄構内でもW-CDMAの定額料金高速通信が可能になって、
Webブラウズでもできるようになれば話は変わるのか。
何年後のことやら。
あるいは現在の技術でもちょっと無理をすれば、
オリンパスやソニーの出しているメガネ型ディスプレイをかけ、
カバンに忍ばせたポータブルDVDを見る、などということはできんこたないが、
そのフォーメーションで口許だけヘラヘラ笑ってたり、
あるいは見るものによってはヨダレを垂らしてたり舌なめずりをしたりすると
もはや迷惑防止条例で鉄道警察隊に突き出されても文句は言えない。
ご存じでしたか。
迷惑防止条例って「婦女」相手の迷惑行為にしか適用されないので、
痴女の皆様はやりたい放題です。
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でも考えてみれば、確かにストレスはすごく高いのだけれど、
クルマで通勤1時間に比べれば遙かに自由度は高く、
寝る、仮死状態のようにボケッとする、本を読む
などというクルマ通勤では絶対不可能な行動をいくつも選ぶことができる。
対してクルマでないとできないことと言えば
歌を歌う、メシを喰う、髭を剃る
ぐらいのことか。
日本のサラリーマンの高い生産性の背景には、こうした
小さな時間を活用する
という知恵が身に染みついているから、かもしれない。
まもちろん、意識低い人は日本人だろうとアメリカ人だろうと
どんな通勤形態だろうと、ぽけーとしてるだけなんだろうけど。
ぽけー道というのは奥が深くて、
あくまでも「ぽけーとする」という意識の元にぽけーとしなければ効果は低いが、
だからとてあまりに「ぽけーとしよう」という意識が勝ちすぎるとそれはぽけーではなく
「休息」になってしまう。
まさに「空」の精神である。
なんのこっちゃ。
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不規則生活術五段、小学生からこの道一筋、
「不規則界のプリンス」と謳われたながたさんでも
ちょっと規則正しい生活を一週間もやればちゃんと土曜の朝でも8時に起きてしまうから、
人間の身体っていうのは偉大なものである。
移動がないと、のーんびり朝食べてのーんびりコーヒー沸かして飲んで、
のーんびりプロジェクトXのビデオ見て、ようやく10時だ。
自宅が職場の場合、またいろんな誘惑がありすぎてよろしくないと言うのは事実なのだが、
なるべくなら職住接近の方がイイ。
昔から人々はそうやって生きてきた、ですから。
ま、通勤も仕事のうち、という考え方も無くはないが、そー考え出すと
給料の割に拘束時間が長すぎやしませんか、なんて文句の一つもでてくるから、
あんま考えない方がいいですね。
12/14 貧乏 |
アホ城がリーガエスパニョーラでハングリー精神のどったらこったらという
まあ外国へ行ったアホ系のスポーツ選手が間違いなく吐くセリフを吐いてて、
「『日本は苦しい苦しいと言うけれども、裸足で歩いてる子供はいないじゃないか』
と言われてそれもそうだと思った」
そりゃそうである。
だが、裸足でも裸足の友と駆け回る子供より、ウェストンの革靴履いててもエアマックス欲しがる子供の方が、
貧乏
なのである。
ここを間違えてはいけない。
#ちょっと脱線すると
#スペイン人ぐらいがそういうのを言うのはものすごいイヤラシイと思うんですけど。
#ただのヒガミと自分の無努力の棚上げやないですか。
#ソマリア人に言われるならともかく。
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ダウンタウンの松っちゃんが自書で
「ウチは貧乏だったよ。歯磨きのチューブのお尻切って歯ブラシ差し込んで使ったり、
ウチのおかんなんか永谷園のお茶漬け海苔は分けて使うし」
だが歯磨きなどという贅沢すぎる習慣がある。
永谷園のが1.5回分だというのは国民的コンセンサスが取れてると思うのだが。
つまりは貧乏だと思えば貧乏だし、それが当然だと思えば当然、だ。
ではこの「貧乏人根性」はどこから生まれるのか。
やはり相対評価対象が国内外に溢れてると生まれるのだろう。
当年29歳、1971年生まれのながたさんであるが、
僕らが子供の頃、やっぱり日本は、世界的に見て、まだ少し貧乏だったのだ。
だってすき焼きはご馳走だったもの。
今でこそワンオブゼムメニューだけど、当時はやっぱりスペシャルだったもの。
僕ら子供の時、すぱげてーってミートソースとナポリタンしかなかったもの。
でも今は違う。
世界中見渡したってこの国より物理的に豊かな国なんてアメリカだけだ。
いや場面によってはアメリカより豊かだ。
コンビニとファミレスと自販機が溢れかえり、
新型PS2の発売日に行列ができ、
インターネット直結の携帯電話を高校生が持ち歩きまくる日本万歳。
15年前の「うる星やつら」のあたるの部屋と、去年の「To Heart」のあかりの部屋を
見比べると、隔世の感である。
てなことで、「ウチより金持ち」っていうのが内向きにしか居なくなってしまった。
そして我々は、バブルを経験済みなのである。
金なんかあったって、そりゃあるに越したことないけど、
何一つ問題は解決しない。
金なんかあったって、そりゃあるに越したことないけど、
誰も幸せになれない。
だからお金、そりゃあるに越したことないけど、そんなに目尻つり上げては、要らない。
「貧乏人根性」からの脱却である。
これこそが、「貧乏」からの脱却だ。
政府の無為無策、いや悪政の限りは後世200年ぐらいしたら
「どうしてコイツらこんなことやってたんだろう、このアホどもが」
と、綱吉の生類憐れみの令ライクに大笑いされるのは間違いないが、
この腐れど外道なチンカス途中放り出し敗走男堺屋の
すいません言葉汚いですね、直します。
このお発酵ど外道様なお男性自身老廃物御途中放出申し上げ御敗走殿方堺屋閣下の
経済無策でなんとかなってるのは、
日本人が精神的に(お金の面では)豊かになっちゃったからかもしれん。
イタリアもギリシャもモンゴル人もそれこそえすぱにょ〜るもエゲレスも、
一回勝っちゃった国のモチベーションが上がらないのがな〜んとなくわかってきた今日このごろ。
で、思うんだけど
あれだけモノと金がうなりまくっててまだモチベーションが下がらないどころか
ヒートアップする一方のアメリカってのは、偉大ですなあ。
貧乏人は、強い。
あ、もちろん、心も衣も錦、がベストはベストですけどね(笑)
12/13 思い出しながら |
ながたさんのやってることは頭脳労働なので、睡眠時間を減らしても
なんの効果もない。
これが痛い。
漫画家と作家の違いはたぶん一にかかってここにあって、
マンガ作業って実は頭脳のあんま要らん職人手作業の面がかなりあり、
というか下書きが終われば後は根性勝負時間手間暇かけたもん勝ち、
なので、睡眠時間削ればクオリティもクオンティティも上がる。
ということで身体壊す漫画家はいても身体壊す作家はいない。
精神まで壊れちゃう漫画家はいても作家はたいてい最初から壊れてる。
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あと思いだしたことと言えば
「通勤電車の中でリュックは使いにくい」
まさか背に担いだままなどという迷惑なことはできず、さりとて大抵のリュックは
高級品でも、いや高級な専門品になればなるほど、持ち手はただのナイロンの幅広の
布に過ぎない。
リュック持つヤツって荷物一杯のヤツなので、それでは指が痛いのだ。
まうんてんすみすぐれごりーじゃっくうるふすきんもんべるしえらでざいんずには改善を要望したい。
さりとて駅までの道のりを考えるとショルダーはともかく
ブリーフケースなんて絶対持ちたくない。
中年サラリーマンの運動不足解消に
「一駅歩きましょう」
などと無責任なことを言い放つアホ健康番組があるが、
これらはいつまで経っても日本の通勤電車で通勤するときに、ノートPCの200gがどれほど重要で、
B5サイズであることがどれほど重要かカケラほども理解しない理解できない
アメリカPCメーカーのアホウどもに匹敵する。
スーツのような運動性能の低い超低機能服装で
これまた走破性と運動性の低い尖った革靴を履き、
ネクタイなどと言う寒いとき寒く暑いとき暑いだけの何の意味もない布きれを首にくくりつけて
手にブリーフケースを持つ、などと言うスタイルで一駅間、2キロ3キロを歩くというのは拷問である。
身体壊す。
ホンママジで。
けっしてドン=ファンの教えを守ってる「だけ」じゃないよ(笑)
しょーがないので今日もリュックを大事そうに抱えるながたさんの姿が見られるのだ。
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地下鉄の回数カードってなんですかありゃ、やる気ないんでしょうか。
回数カードも何も、レインボーカードの3300円分が3000円で買えるというだけのものである。
どこそこ区間*11
というものではなくなっている。
しかもクソ面倒なことに残額が最低運賃の200円を切った時点で自動改札機を通れなくなる。
(追加金を払ってキップなどを買うカードとして使う)
レインボーカードなら残高10円でも入場はできる。
電車というものは入るときには一刻を争っていることが多いが、出るときは比較的のんびりしてるものだ。
てことは、とりあえず入れるレインボーの方が偉い。
さしてプログラム的には変わりがないように思えるのだけれど、どうしてダメなんだろ。
やっぱプレミアムをつけなくていいレインボーカードを買わせたいからかな。
回数券をわざと使いにくくしてたりして。
大阪市営地下鉄って高くってさ。
初乗り運賃もそうなんだけど、定期がバカ高なんですよ。
一ヶ月通勤定期なんてあれよ、20往復(40回)乗らないと元取れないの。
おかしいでしょう!? この週休二日のご時世に!
12月だってあれだよ、フツーの会社なら出勤日19日しかないよ!?
御堂筋沿線の人間は、
「こんな高い金払ってこんな混んだなかなか来ない電車に乗せられて、それで「赤字です」言われても」
という感じを生まれたときから持ってます。
なんとかして下さい。
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水気星人ながたさん、8時間の平均消費水量は2000ccです。
デイリーヤマザキで水気ばーっかり買ってます。
思ったより早起きは辛くなく、どーっちかというと夜眠いほうが辛い、かな?
12/12 動く。 |
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今日はなんとokbちゃんが誘ってくれたのでイソイソと梅田で寿司だ。
割と美味かった。コストパフォーマンス相当という感じかな?
ごちそうさまでした。
みなさま、ホンマ奢らせてばかりですみません。
出世払いと言うことで。
死ぬまで出世しないかも知れませんがそこはそれ、投資というものは返ってこないことも多々。
ゴッホだと思って許して下さい。
思えるか。
おやっさんとおふくろさんが二人三脚、というかおやっさんが重いおかみさんを背負って
走り回ってる、超小型寿司屋。
10人入れば満席。
いっしーさんと「ラーメン&コーヒー」の店を出すときの参考になった。
そうして二人でバクバク喰ってるとどーーーーーー見ても見覚えがある女性がやってきた。
特徴的な顔立ちなのでどーーーーーーー見てもこの人は彼女ではなかろうか。
と、思ったので立ち去り際に後ろからドアを開けて訊いてみる。
「あの……M田さんではないですか?」
「そうです」
「下の名前はK子」
「そうです」
「ああ、大学で一緒だったながたですー」
「ああ! こんなところで! どしてるの今!」
こんなところでも何も大阪在住である。どしてるのも何も
「ライター志望でフラフラしてるわ」
「じゃあ名刺とかないの? メールアドレスがあったらあれやってるよ、5組で」
「メーリングリスト?」
「うん」
知らんかった。ゆーてくれよ。
名刺持ってないのでノートにアドレスサクサク書いていると
「でもよくわかったね」
「あんまり変わってないんじゃないですか」
横の男性がチェック入れるとご機嫌斜めである。ながたさんファッ休ばりの頓知フル回転で
「18から変わってない、ってことはいいことじゃないですかあ」
とおべんちゃら言ってみる。が、
「キレイになったとか言わなきゃ」
と返される。
女の人は恐ろしい。
「あれだよ、年末にはまた忘年会が」
「へえ! 出るよ出る、連絡頂戴」
「うん」
知らんかったってば。ゆーてくれってば。
やれやれ、時の経つのは早い。今日は
「『18から変わってない』というのは誉め言葉にならない」
というスキルを身につけた。
あとやっぱり、90年入学経済5組は仲がいい。
大学のクラスとは思えない。
……仲間はずれ?(泣)
-----
年末には高校の同窓会も着々と話が停滞している。
まあ大丈夫だろう。なんとかなるわ。
S上さんも帰ってくるし。
そうそう、こないだ久々にシャープ同期一の切れ者からメールもらった。
たいへんいいお誘いをいただいたのだが、ちょっと状況がグチョグチョで即応できないのが腹立たしい。
のは自分に。
肝心のokbちゃんからもいろんな楽しい話が聞けた。
ふふふ、カリメロか。
いろいろなことがグジョングジョン動いている。
この年末年始、新世紀に向けて楽しくなりそうだ。
ただし、物理的には毎朝決まった時間に起きるという作業を5年ぶりにやってるので
かなり辛い(泣)
土日が待ち遠しい、なんてほんと5年ぶりだ。
カモン土日。
12/11 屋久島 |
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屋久島行ってみたいですね。
縄文杉。
そらあんなとこ行けば妖精もおるわ。
ただ、「縄文杉を見に行く」と言いだすと途端にミーハー気分満載になっちゃうのが
ストッパーかな。
「あらゆる宗教は宗教的精神を阻害する」
という皮肉がありますが、それっぽい感じで、
「エコだエコだと言いだすとエコでない」
かな。
あ、逆にもう観光客丸出しで見に行けばいいのかも知れない。
でも山道を5時間歩くらしいですからちょっと気合い入れないとダメらしいし。
-----
我々は植物を見ると「動けなくて不便だろう」とか思うのですが、
それは鳥が我々を見て「飛べなくて不便だろう」と思うのと同じかも知れず、
案外動けない方は「こんなもんかな」と思ってるのかもしれませんね。
7000年もの間一つの生命システムが稼働し続けるということは、
ネズミの時間ゾウの時間で、ひょっとすると100倍のんびりした時間を生きているのかも知れません。
「おなかへった」
が、
「おーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
なーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
かーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
……」
おなかへるわ。
む?
でもこの伝なら10倍のんびりした時間を生きれば700年ぐらいは生きれるという計算になるな。
2倍で140年か。
……なんとなく長寿の秘訣が見えてきたような気もしますが、僕には無理だろうというのも見えてきました。
やっぱり赤いちゃんちゃんこは無理だな。
縄文杉みたいな化け物は別にしても、
ちょっと森に分け入ればそこに居たはる木々はほとんどが生命の先輩。
もう少し敬意を持って接すると、いろいろ言ってくれることもあるかも知れない。
人間の時間は早く進みすぎるので、なかなか耳を傾ける余裕がないんですけど、ね。
-----
ああいうのは年とってから見に行くというのもいいでしょうが
若いうちにガツンと見に行くというのも捨て難く。
行けないならともかく今はやろうと思えばなんだってできるところが、悩ましいところですね。
12/10 がんばろう |
この人は僕が知る限りの同世代で最も、
「どうして関係業界の連中はこの人物を放っておくのだ、
こんな有能で有用な人材を」
という人であり、ようやくにしてその力に見合ったポジションに至る。
嬉しい限りである。
なんでそんなに嬉しいかというと、それはやっぱり
「なんだ、やっぱり世の中捨てたもんじゃないじゃん」
っていう確認ができるからであり、それはいろんな意味での安心感につながる。
ぶっちゃけて言えば「なら俺も大丈夫」だし、
もっと大げさに言えば「まだ日本は大丈夫」なのだ。
その、証である。
-----
日本の社会というのは、とおおぐくりにしちゃうけどね。
やっぱり未だに
「出る杭打たれる」
社会だ。
それはねたみそねみだけでない。
改良改善や何%アップには異常な能力を発揮するこの国の人々は、
それと引き替えのように初っぱなの立ち上げ能力が恐ろしく低い。
攻撃的提案や挑戦的行動、突出した行動は、そもそも絶対数が少ない。
だからみんなしてそこに飛びつくしかない。そして文字通りの叩き台として、叩いてしまう。
引きずり落としてやろう、という意図がなくても。
結果、いつも火だるまになる人は、突出している人。
だが大丈夫、見る人は見てるのである。
多くの人は、大仰な場では静観を決め込んでいても、
心情的には、やっぱりそういう傑物の味方、なことが多い。
だから困った時には救いの蜘蛛の糸もひっそり降りてきたりするものである。
記憶に、残っているから。
アグレッシブなタイプばかりがいいとは言わないが、
「どこをどう見たってこの人をほったらかしにするというのはおかしいじゃないか!」
という人すらほったらかしにするのはあまりにいただけない。
そんなことをやってる余裕が、この国に、この社会にあるのか。
熊谷組27円間組41円佐藤工業44円に。
だが大丈夫、そんな時に限って、
「ああ、そのポジションその役割は、本当に貴方にぴったりです」
という「使命」が降ってくるものである。
やっぱり、見てる人は見てるのだ。
神様なんかこれっぽっちも見ててくれなくても、
人が、見てるのだ。
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運命ってなあるのかもしれない、と思う瞬間が、マレにある。
火曜日締め切りの提出書類の話と、
3ヶ月前に出した書類の話が、
同じ水曜日に降ってくると、そんなことも思ってしまう。
桃園の誓いではないが、これはもうお互い叱咤激励しつつ
頑張るしかないではないか。
まだスタートラインに立っていいよ、と言われただけで、
走ってもいなければ号砲すら鳴ってない。
これからです。
これから。
んなことで二人でべろんべろんになるまで酔っぱらいました。
ずいぶん美味しいお酒でした。
また春には、もっと美味い酒を桜の下で飲みましょう。
いや、2月頃一通り落ち着いたら、みんなで温泉かな(笑)
12/9 チャンピオンシップ |
合コン?
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チャンピオンシップ。
試合を決めた3点目は川口のミスですが、いかにも川口らしいチャレンジングなミス。
弾けばいいのに取ろうとするから。
あの辺が川口に対する評価が分かれるところですね。
あれがあるからアジアカップ決勝やオレンジボウルみたいなことが起きるわけで、
あれがなくなると川口ではありませんから。
それより基本的にマリノスみたいな、タレントに依存して一人一人がばらんばらんに戦うような
チームが勝っちゃいけないんですわ。
サッカーですもん。
松田も川口もファイティングスピリッツを前面に押し出した
プレースタイルを続けたいなら、マリノスは出た方がいいですよ。
年間王者決定戦に負けた直後、しかも自分も出場しておいて
ヘラヘラ笑ってられるFWと右WBの居るようなチームに、
明日なんかない。
何が変わったんでしょうね。前期と後期で。
エジミウソンかわいそ。
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アントラーズはお手本通りに強いと言いますか。
基本に忠実で。
経験豊富すぎる4バックをベースにまずキッチリ守備。
中田ビスマルク中心にバランスよくボールを散らして勝負のサイドには
サイドバックがオーバーラップ。
オフェンシブハーフ(ビスマルク・小笠原)が二枚とも強力で、
FWも柳沢を軸に平瀬・鈴木・本山の気心の知れた生え抜き同年代が
コンビネーションプレーで攪乱。
しかもベンチには本田・長谷川といったベテランが控える。
なにより全員心一つにボールを追いかけ回す姿勢が素晴らしい。
相馬・奈良橋・秋田といったところも偉いなあ、と思うのはちゃんと進歩してるんですよね。
2点目の秋田→奈良橋なんか「へぇーっ」って感じでした。
スカウティング・チームの功績も大きい、まさにチーム全体で取った点。
お見事。
例えば1シーズン制なんかにすると、もっと手堅く優勝してしまうような気がします。
天皇杯楽しみですね。
3冠いけるかもしれない。
鹿島軸に、やっぱり柏、それから終盤名波を得て急速にコンディションをあげた磐田。
清水なんかも不気味な存在。
去年はグラパンの優勝を当ててしまったのですが(途中で(笑))
今年の予想は。
んー。
鹿島。
「先に1点取った方が有利ですねえ」。
わかっとるっちゅーねん。
12/8 びーる |
「スーパードライ」が大好きである。
今でこそシェアNo.1、声を大にして言えるが、大学生の頃はまだ迫害を受けていた。
友達と呑み会の買い出しに行って「スーパードライ」を手にすると
「モノがわかってないヤツ」扱いされたものだ。
たった10年前のことである。
当時は「あんなものビールじゃない」呼ばわりされ、特にグルメな方面から
おしかりを浴びまくり、山岡士郎が叩っ切ってたものだが、
副原料を入れるものがビールでないというのなら、
世界中の多くのビールがビールではない。
世界最強の(最高とは言うてない)「バドワイザー」など、
麦芽比率は60%を切っている、というのがもっぱらの噂である。
(吟醸かどうかと同じで、そんなもん後から検証しようがないし)
バドはともかく、本場と言われ現実に評価も高い、ベルギーやオランダの
ビールにも、麦芽100でないのはなんぼでもある。
要するに美味いかマズイかだけが酒のような趣向品の生命線であって、
マズければいかに無農薬麦芽100%、マイスター天然水吟醸仕込みでも意味がない。
そんなもんは要らんのだ。
-----
だがなんぼそうは言っても、
「麦100%、だからモルツは美味い」
という舌の根も乾かないウチから発泡酒の元祖「ホップス」を売りまくって、
果たして消費者の信頼は得られるのか。
発泡酒が悪いとは思わないし、例え少々不味くても水っぽくても安ければいい、
という選択はある。それは人々の好き勝手である。
ただ、「ビールメーカー」だと言うのなら(サントリーはそうじゃないか(笑))
「ビール」で勝負するべきではないか。
発泡酒は傘下のビバレッジ会社にやらせるなり、別に新しい会社作るなりしてやればいいわけで、
実質的に製造してようといまいと、それを「キリンビール」「サッポロビール」として
売りまくってアンタたちゃプライドがないのか、と思う。
それは面倒かも知れないし効率も悪いかも知れない、辛い道である。
だがプライドというものは辛い道を歩いてこそ輝くものだろう。
でなければタダの思い上がりだ。
上述のように確かに、税制がおかしい、美味ければなんでもいいじゃないか、
消費者ニーズがちゃんとある、
それは認める。
だがそれが「ビール」に用意されてる土俵である。ルールである。
別土俵に勝手に上がって別ルールで勝手に戦って、それで勝って、
それはそんなに嬉しいことなのか。
メーカーもメーカーなら客も客だ。
その姿勢をおかしいとは思わないのだろうか。
平然とビールですらない泡水を売っているメーカー、そんなメーカーに
「ちゃんとしたビール」など、本当に作れるのか。
「スーパードライ」を腐していたあの日の皆様に、お伺いしたいものである。
アサヒビールは、発泡酒をやってない。
12/7 マグネトロンコーヒー事情 |
来週の月曜11日からマグロ漁船に乗ることに
丁稚奉公に出ることに
ちょっとやらなあかんことができまして、かなり忙しくなりそうです。
ほえながも追われ気味になると思いますがご勘弁下され。
ちゃんと土日は休みがあ……るのかな……
-----
地下鉄長居駅前といえば天下の必要悪安田病院がランドマークだったのだが、
いいんだかわるいんだかわからないガサ入れの結果そのビルは売り払われ改装されて、
一階はサンクスとドコモショップ、二階には
「豪華版マンガ喫茶
インターネット接続PCありDVD試聴スペースありPS2&DCありカップルシートあり
もちろんコミックあり、ソフトドリンク飲み放題」
というワケのワカラン、都会のオアシススペースができた。
500円/時間。
半個室みたいなスペースが都会のど真ん中で借りれると考えれば安いか。
だがデニーズならコーヒーおかわり自由お冷やおかわり自由、おしぼりがついて
深夜ならなかむらさんのダンサブルなサーブが受けれてなんと
280円/∞だ。
迷惑な客である。
「300万の機械で淹れるコーヒーや、言うて自慢してたわ。
豆からガー挽くねんて」
曰うのは早速挑戦済みのマイ・まま上である。
「あ、それあれやな、あそこのメーカーのや。うん、あそこのは美味いな。
ウチにも入れたんや思い切り全部金かけて一杯金かけて」
相変わらずジャッジこうへいの言葉には代名詞ばかりが耳に付く。
手は四角いでかい箱をイメージさせるジェスチャアである。
「それってあれか、ガストに置いてるヤツか?」
「そーそーそーそー!」
「ああ、あれは美味いな。豆からガー挽いてるもんな」
「せや、そやからあれやで、今まではウッシッシーとかのしょーもない機械やったのやめて、
あれにしたから『エスプレッソ』も『カフェオレ』もあんねんで!
かなり美味なってるねんで! 豆からガー挽いてるから!」
「ほー。それあれか、スターバッキスとかに対抗するためか」
「まあせやな。あれやで、紅茶も機械替えたし、アイスコーヒーもちゃんと作ってるから……」
「お、遂にガムシロの強制投入は廃止されましたか」
「うん」
「ええ、そやけど長居のマグネ紅茶マズイで」
「あー、その機械まだ全部の店には入ってないねん。
サテライト店なんかには入ってないねん。あんな店に300万もする機械入れれるか」
マグネトロンバーガーは全国一律サービスだという幻想が今ここに崩壊。
マグネもコーヒーの美味い店とマズイ店があるようです。
「サテライトなんかあれやで、一日売り上げ15万とかそんなんやからな」
「15万!?」
「雨なんか降ろうもんなら8万とかな」
売り上げ8万てことは、あの低利益率商売では純益はもういかほどか。
「それじゃやってけないでしょう!」
「うん、そやから畳んでるよ。あるいは社員はタダやから社員が働くとか、
あるいはあそこの店は公園通りの店のサテライトかな。フランチャイズのサテライトやったら
オーナーの裁量に任されてるからなあ」
「ええんかそれ」
「いやホンマは絶対アカンで。アカンけど酷い店になるとあれやで、
ナゲットとか時間超過しても捨てへん店あるからな」
マグネトロンバーガーは全国一律サービスだという幻想が今ここに崩壊。
マグネも美味い店とマズイ店があるようです。
マグネも大変や。
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ていうかあのマシーンって多分ジョリーパスタも同じマシーンで(豆はちょっと違うと思うけど)
最後に小さな粉が残るヤツですよね。
たぶん原理的にはエスプレッソマシンみたいな感じで、
ばーっと挽いたところへ蒸気みたいにしてくぐらせて抽出してるんじゃないかな。
濃いくせに深み(マイナス面としては雑味・嫌味)があまりないあの味は、そんな感じがしますが。
でもはっきり言ってどんなファミレスのペーパードリップよりも美味いですよね。
自宅に一台欲しいなあ、とか思ってたんですが、そーですか、300万しますか。
今日は散髪のついでに年末ジャンボを買いました。
2億(バラです)当たったら買うことにします。
逆に言うと「コーヒーメーカー買いました」という回が載ったら「こいつ2億当てやがった」と
思って下さい。
冬コミと引き替えに当ててしまう予定です。
ふふふふのふ。
12/6 顔の見えるお金 |
しかし喜びは長く続かず、名前住所をしたためて判を押して郵便局に持っていくと、
「ながたさ〜ん、はいどうぞ、2800円です」
という局員さんの声とともに、
見慣れきった千円札2枚とまだ見慣れてない五百円玉1枚と見慣れ果てた百円玉3枚が
出てくる。
その瞬間、ちょっと寂しい。
なんで寂しいのかというと、
「あの」郵便小為替二枚は、僕(と美鷹)の本を「欲しい!」と思って下さったお客様が、
わざわざ郵便局まで出向いて小為替を買って下さり、封筒に詰め詰めして送ってくれた、
そういう歴史と経緯と思いの詰まった小為替なのだ。
どっこいこの、いつも見慣れた2800円には、そんな歴史はない。
できることなら小為替をそのまま取っておきたいくらいだが、それでは有効期限が切れてしまうので
仕方なく換金する。
おそらくはそれは現金でも同じことで、なんとなく使いにくいお金というのはあるものだ。
お祝いで貰ったお金とか、あるいは親しい友達から会心の賭けで巻き上げた金なんてのも
ちょっと取っておきたいだろう。
だがそれらも、一旦郵便局なり銀行なりに入れてしまって数字の羅列になってしまえば、
そんな気持ちもあっと言う間に霧散して、他のお金と変わらぬように使ってしまう。
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現金の札束はまだ、「実感」があるからいいのだが、これがカードなんてなっちまうと
もうお終いである。
通帳やカード会社の明細の、ちいちゃな文字の羅列では、実感も何もあったもんではない。
カード屋や銀行にしてみればそういう実感を持たせてお金が動かない、という事態を避けるために
あの小さい字を採用してるに違いない。ああ違いない。
アメリケンな人々はもっと進んでて、銀行残高がヒットポイントみたいなもので、
給料などでそれがチャージされ、それを数字としてカードなどで使いこなしながら
「物欲」という魔物と戦うという。
お金に対して、なんでもいいのだが「実感」の軸が無いというのは、実はもの凄く危険なのではないか。
銀行残高だけにらめっこして、定収入があるというのなら、そりゃ100万持ってれば100万使いたくなるというものだ。
ゼロになったって月末の給料日には入ってくるのである。ちゃんと。
それは定収入あれば現金でもそうじゃん、というのは実はちょっと違う。
いかに100万持ってようとも、1枚2枚ずつ諭吉さんが居なくなるのはやはり寂しいものである。
なるべくなら使わないでおこう、なんて気も、現実に減っていく諭吉さん達を見てると起きる。
僕の場合現時点では収入手段は同人誌しかないので(泣)
1同人誌(=100円前後)というのが実感の基本である。
15000円のバッテリチャージャーは150冊もの同人誌を売らなければ(本来は)買えず、
車検で15万もかかろうものなら1500冊もの同人誌を売らんといかん。
そして即売会で一人寂しく佇むあの時間の長さを考えると、
「お金もちゃんと使わなきゃ」
と痛感する。
何の変哲もない家で育った何の変哲もないサラリーマンにも関わらず700万ばかりクルマにぶち込んでしまった
僕が言うのもアレだがいやだからこそ言うのだが、
お金は大切である(笑)
「100同人誌でもイイや、ここのご飯は美味しいから」
「え? アイツが結婚する? うわあ、ご祝儀どうしよう……まあいいか、500同人誌ぐらい奮発しよう」
と、使うのはいいとして「納得して」使いたい。
それにはやはり、たまに「顔の見えるお金」を取り扱う経験が、必要だと思う。
別に同人誌を売れとは言わないが、ストリートライブに立ってみたり(笑)
それこそフリマでガラクタを売ってみてもいいかも。
普段月末にちゃんちゃんと入ってくるあの数字が、いかに得難いものであるか痛感するから。
デニーズで深夜に入ってコーヒーを頼んで、6時回ってモーニングが始まった時点で
モーニングを注文。するとコーヒーのカウントを、モーニング付属のコーヒーに変更してくれるので、
「6時過ぎに入店してモーニングを頼んだ客」
に早変わりして、コーヒーの深夜税28円が消える。
ああケチとでもなんとでもゆうてくれ(泣)
12/5 図書館 |
それは区民ホールみたいな小さなビルの3階にあり、
はっきり言って蔵書は少ない。
小学6年生の頃、Uという読書狂の友達がいて、彼曰く
「もうすぐ全部読める」
その程度の蔵書数である。
大阪梅田・旭屋の一階分程度か。もっと少ないかも。
まして天王寺旭屋や紀伊国屋の方が何倍もでかい。
人口14万人を誇る東住吉区をもってしてこの有様だ。
これでオリンピックがどうたら言うのだから、
「恥を知る」ということがいかに大切なことか、痛感する。
蔵書はいいとしてスペースが無いことを理由に、
館内のテーブル(それだって何の芸もない丸テーブルが4つばかり並んでるだけ)
での自習は禁止されている。
それも小さな張り紙が壁にしてあって、黙認状態とかそういう甘いものではなく、
テーブルにでっかい紙で「自習禁止」と貼り付けてある。
実に格好悪い。
そもそも図書館というものは。
物理的な本を借りるだけではない。
人類の英知・知識の大いなる集積所として、そのお知恵を拝借に行くところではなかろうか。
だから、お知恵だけ借りれれば本は要らない。
ならばテーブルとイスはちゃんとしたものを用意して、調べもの・そして調べた結果を
紙やPCにしたためるスペースを確保して欲しいものだ。
そこで話がついてしまえば本は借りなくて済む。
なら、貸し出し中の危険を少しでも減らせるだろう。
もちろん、物理的にスペースがない、それはよくわかる。
ならば問題は、どうして物理的にスペースがないか、だろう。
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こないだも出身小学校の鷹合小学校の、僕が好きだった古い方の校舎が取り壊され
建て替えられた。
ガラクタである。
古い校舎は確かに古かったが、古い鉄筋コンクリート建物独特の頑健さ、
存在感があって、(当時の)新校舎なんかより、何倍も好きだった。
廊下も壁も柱も、大理石(みたいなの)と密度の高そうなコンクリートで、
冷たさはあったがなんとなく安心感があった。
新校舎の方は高度成長期にでっち上げられた標準構造品である。
知恵もなければエネルギーもかかってない。
採光面積の大きい設計で明るいのは確かだったが、各部はチャチで
柱はすぐボロボロと何かが落ちてきて、なによりも気にくわなかったのが天井の低さである。
息苦しかった。
同じく鷹合小学校OBのまま上も「旧校舎の方がよかった」と曰う。
鉄筋コンクリ建造物は、終戦直後くらいをピークにして後は粗製乱造悪化の一途だ。
これでダメだから助けて下さいなどと熊谷や間が泣きつこうと民衆の支持は得られない。
自分が、悪い。
中には入ってないが、中身ショボイヤツは見てくれを見ればわかる。
新校舎型の、どうでもいい特記事項のない校舎だ。
こんなガラクタを意味も理由もなく建て替える金があるのに、
区民のための図書館には金がかけれないのである。
なぜかはわからないが。
しょうもない区民ホールみたいなもの要らないから、3階全部図書館にしても罰は当たらない、
どころかまだ足りないと思うのだが、その気配はない。
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公園や図書館といった公共サービス空間というのは、いうなれば
都市の「余裕」
であって、そこは本来、(人に迷惑をかけなければ)
「なにをしてもいい」
空間であるべきだ。
大学の図書館では寝てるヤツもいれば家から持ってきたマンガ読んでるヤツもいれば
ソファスペースで小声で友人とバカ話してるヤツもいる。
この余裕、これこそが本来の図書館のあるべき姿ではないか。
民間・企業では金の取れない、こうした
タダの余裕空間
はどうやったって作れっこない、だから公共機関・自治体が税金を使って建設・維持管理すべき、
なのである。
件の東住吉図書館では、絨毯引きの幼児用スペースがある。
自習も調べものもできないような図書館が、偉そうにそんなスペースを儲けること自体
おこがましい。というか託児スペースなら金を出せばどこにでもある。ここにある意味はない。
ご多分に漏れず幼児達は絶叫を繰り返しながら地響きを上げて
回転運動・跳躍運動を繰り返している。
転んでは泣き叫ぶ。
図書館で、である。
いや、図書館だけに
「本待つ転倒」
かな。
12/4 吼える!ながたさんすーぱー(仮称)について |
僕の友人には後者が多くというか後者ばっかで、
たまには手作りのお粥でホッと一息つきたいものだがそれは許されない。
しかしそれはたまたまそうなのではなく、
薬くれるタイプが好きだから友達になるのかもしれない。
「粥なんか作ったってどうせ『根本解決になってない』
とかなんとか不服そうな顔をするだろ」
と、見透かされているような気もしないではないし。
まあそれでも割合はともあれ、ニガ薬くれるタイプが居ない、というのは
問題である。と、思う。
客観的に見て、いろーんな意味でまるでたいしたことないのに、
鼻高々で人生を謳歌している人が居る。
そういうタイプにはきっとお薬くれる友人がいないのだろう。
そういう人を指して「いずれ頭を打つから」と言ったりするが、
そういう人に限って頭打たずにそのままはばかってしまうものだから
世の中というのはタチが悪い。
読売新聞取っててナベツネ批判はできんだろう。
まあ人はともかく僕は幸せ。
ただ、まだ見ぬ嫁さんぐらいは粥作りタイプがいいな、とか思うのだが
どーせ来るヤツはまた激烈に苦い薬をねじり込んでくれるタイプに決まってるので、
もう神様に無理なお願いをするのはヤメにしよう(泣)
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「天才だけど酔っぱらい」いっしーさんと酔っぱらって話してると
「近頃のほえながは不完全燃焼だねえ」
「マンネリだからね」
などと人が一番気にしてることを鋭く抉られる。
だが抉るだけでなくちゃんとアイデアをプレゼンしてくれるのが何よりもありがたいところで、
「週一のほえながが読みたいなあ」。
そう、吼える!ながたさんのイイ面でもあり悪い面でもあるのだが、
完全にフローな話題とリ・リーダビリティ(流行りの単語)のあるストックな話題が
あんまりにもゴッチャになりすぎている。
以前はそれも個性、と思っていたのだが、
実はリ・リーダビリティのある話題ってそーポンポンあるわけではなく、
そこへ引っかけていくとどうしてもいつも同じ結論になる。
「モノづくりには魂が必要だ」とか「やる気ないねんやったらやんな」とか
「日本人(含む若者)は捨てたものではない」というような話題。
パターン化はパターン化でいいとして、
それならば気合い入れていつでも読めるものにまとめてしまうのは有意義だ。
現実問題として気合いの入る得意の話題ほど、一日で書くのは困難になるし。
というようなことでそれをノーマルほえながと別に書く、ことにする。
本人的には「それならまとめて本にしやすい」というスケベ心もある。
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そんなことを考慮しながら叩き台を捻ってると案外、甘っちょろい書き方を
してきた自分に愕然とする。小説よりエッセイの方が難しい。
今頃気づくか。
だって小説だと描写とかギャグでテクニカルにごまかして読ませる部分って
いくらでもあるけど、エッセイはもう内容だけですから。
まあ内容は頑張りますけど名前はどうしよう。
「吼える!ながたさん すーぱー」
「吼える!ながたさんZ」
「吼える!ながたさん タイプR」
「めっちゃ吼える!ながたさん」
「Power吼える!ながたさんG4」
「吼える!ながたさん 初回限定版」
「吼える!ながたさん21」
考えていて己の無能に熱が出てきた。
よー考えたら開店休業の「ThinkHeart」って最初そーゆー目論見だったよーな。
才能が枯渇するのが早いか、痴呆症の進行が早いか、競争だ。
どっちもダメ〜(泣)
12/3 勧善懲悪 |
「解散の理由は?」
「これ以上輝けないから」
……こう、表現で負けると悔しいですよね。
天然には勝てませんが、そこは技術でなんとかします拳グッ!
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今日の傲慢な一言
「もし○○ができたのなら、年末ジャンボに当たらなくてもいい!」
なんの交換条件にもなってない(泣)
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ダウンタウン・松っちゃんの本をちょっと読みました。
さすが天才・松っちゃんだな、と思うところが多々あるのですが、
一つ、意外だったのが
「子供の頃から一人で遊ぶのが好きで、仮面ライダーと怪人の人形で
延々遊んだ。その時の設定はもうとことんまでライダーが痛めつけられて、
最後の最後で一気に大逆転するというもので」
へえ。
松っちゃん割と勧善懲悪やん。
そう言われてみれば「ごっつ」で「おバケのキョーちゃん」(で字あってたっけ?)
っていうショートアニメも、(シナリオは松本)そんなノリの話ばっかりでしたよね。
「そこまでせんでも」っていうぐらい徹底的に復讐戦をするんです。キョーちゃんが。
あの人は二十代前半で受けた芸人としての社会的虐待……というか無理解が
恨み辛みとして徹底的に根付いていて、たまにああいう「うわ」っていう
残虐性を見せることがあるのですが
#最近はなくなりましたがちょっと前までのたけしさんもそうですよね。
#軍団員に対しての滅茶苦茶とか。
それというのは実は正義感の裏返しかも。
正義感、というと変かな、
「ちゃうやろそれ!」っていう叫びっていうか。
自分の中にベースとなる価値観があるから、
「ちゃうやろそれ!」っていうことを徹底して揶揄できるんだと思います。
俺が正義や、と思うからこそ殴る拳に力がこもる。
それは、いいことだと思います。
冷戦終結からこっち、そうやって「俺はこう思う」と拳振り上げることに関して、
弊害ばかりがクローズアップされてきましたが、
「誰がどう考えたってこっちが正しい」
っていうことも世の中にはあるわけで、その時にはやっぱり、正面から
「ちゃうやろそれ!」
って言わないといけない。
価値観が違うとかなんとかの前に、やっぱり人殺しちゃいけないじゃないですか。
なのに訳知り顔理解がある顔をして、わけのわからん空疎な言葉を吐く大人が多すぎる。
そりゃ子供達もどうしていいかわからなくなりますよ。
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ただ、ごく最近では社会的に
「ちゃうやん」って言ってくれそうな人
に期待が集まってるのは事実で、だから田中康夫はファシズム同然に好き放題言えて、
加藤紘一はその期待を裏切ったという意味でボロカス言われるのですが
#僕はあれは「愚かしい失敗だ」とは思いますが別に怒ろうとも呆れようとも思いません
それも松っちゃんにしてみれば
「ちゃうやん、そんなんちゃうやんってゆうてることちゃうやん!」
かもしれません。
負けて失うもののないマウントポジションからのたこ殴りでは……
それでも、それでもまだ殴らないよりはマシ、という判断がいろんなところで
下っている、というのがちょっと、いやかなり切ない。
だから、子供達にはやっぱり銭形平次みたいな勧善懲悪ものや、
往年のジャンプ全盛期の「友情・努力・勝利」を、もうちょっと見せてあげないと
いけないと思います。
信じて立ち上がって頑張れば、きっとなんとかなる。
それは嘘ですが、信じる価値のある嘘です。
信じられない現実なんかより、何百倍も価値がある。
だからつくんです。
嘘かホントか、そんなことはどうでもいい。
……と、いうことで今日もミラクルズは逆転勝ちするんですけどね(笑)
12/2 韓国家庭料理「釜山家」再戦 |
今回のメインディッシュはチゲ。韓国鍋。
店員さんと相談しながら決めたのは鮟鱇のチゲ。
それにキムチ、イカフェ、ユッケ、チヂミ、そしてサムゲタンまで。
どれも美味い。
鮟鱇チゲはもちろんのこと期待にそぐわぬ出来映えで、辛すぎず
だがしっかり辛く、ダシがすっかり出てて野菜もろともとても美味い。
でも一番はチヂミ。
小麦粉成分が、辺縁部はカリカリっと揚げたかのように、
中はほわっと柔らかく焼き上げられていて、その食感がすごい美味い。
本場でもペチャッ・モチモチッとしたものしか食べてなかったので、
(むろんあのモチモチはモチモチでいいのだが)
結構衝撃的。
これだけを二人前ばかりつまみにして、ビールを浴びていたい。
あるいはお持ち帰りとか。
そしてイカフェの軽やかでまろやかな甘辛さが印象的。
サムゲタンは
#鳥一羽の中をくりぬいてもち米・高麗人参・栗・棗……を詰めてスープで煮込んだモノ。
「初めての人が食べたらきっと美味しいと驚くだろう」
という出来映え。
初めて食べたのが「ソウル一」と地元民に紹介されたお店の死ぬほど美味いモノ、
という不幸者には「まずまずリーズナブルですな」て感じ。
ただ、全体のバランスやスープの得体の知れない味の深みは別として、
鳥自体はソウル「土俗村」よりも美味しかった。
追加で青菜漬、ムー、冷麺。
青菜漬はやっぱ美味いわ。こんなしょうもない(失礼)料理までもがちゃんと美味い、
これこそ美味い店の証。
ムーという食品はそば粉を固めた寒天のようなもので、
こんにゃくと豆腐の中間的存在。
味はないので、タレや野菜と一緒に味わう。
個人的に食感が気に入ったのでむしゃむしゃ食べてしまう。
まあでも基本的にたいして美味いものではない(笑)
冷麺はまあ、「こんなもんですな」っていうところかな。
例えて言えば日本料理の店でうどん食べるようなもので、
「そりゃ出しますけど専門店ほどやないですよ」
って感じ。もちろん、不味くはないですよ。
韓国料理はとにかく野菜ばっか喰わされるので、唐辛子のいい面と相まって
やたらヘルシーである。
「辛い・焼肉・冷麺・まぜまぜ文化」
というのばかりを前面に押し出してる今の売り方は、
つかみとしては悪くないと思うが本質ではない。
いやむしろ焼肉はあの食文化の中ではかなり特殊・孤立したものであって、
例えは乱暴だが日本食文化の中のラーメンというか。
ここでお薦めはチヂミ・キムチ・ナムルなどを五月雨式に注文しながら
真露を浴び続ける、店に迷惑な酔っぱらいモードだと思われる。
こんな感じで鬼のように食い倒して4人で17500円かなんか。
5000円行かないというのはなんぼなんでも安すぎる(笑)
これでサムゲタン落としてりゃ3000円台コースかと思うと気が遠くなる。
コスト・パフォーマンスも韓国料理の売り物の一つ。
店構えは暗くしょぼくさく、おばちゃんの一人は日本語わからないが、
まあ日本人でも日本語のわからんヤツも多いことだし、気にするな。
美味いんだから(笑)
次回は焼き物。
野菜たくさん載っけて食べる焼肉。カルビ。
あ、ビビンバクッパの類も食べてない。キムチポッカとか。
……でも次もチヂミは食べたいしなあ……
「いつも食べてるあれが食べたい、でも他のメニューも食べてみたい」
ってのが美味しいお店の特徴ですよね。
12/1 ながたかずひさの週刊日本語入道 |
創業者を愛人宅で失って以来ちょいとだけ迷走気味のモスですが、
グリーンサラダの和風ドレッシングはタマネギ風味になってて美味しくなってました。
「高級ジャンク」
という食品ジャンルは大好きなので、がむばつてもらいたいです。
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IBMがCrusoe機をキャンセルしたのはIntelが低消費電力版Pentium3-500を
でっち上げて投入してきたので、これで行けると踏んだ……ようです。
年明けにはこれを積んだ240Z、もしくはX21(?)が投入されるでしょうから、
楽しみです。
240系の好きでないのはあの大容量バッテリのブサイクさ。
あれならまだ後に飛び出してくれた方がマシだと思うのですが。
であの頃設計のノートPCはおしなべて大バッテリつけてないとお話にならないですし。
スマートなまま3時間もてば、そりゃあいい。
X20系ならもっといいですよ。
今でもほとんど形変わらずに大バッテリがつきますし、
ノーマルでも2時間ちょいいけるそうですから、倍で4時間。大なら6時間。
それは素晴らしい。
と、最近相変わらずC1を持ち歩いてはすぐ切れるバッテリに
すぐ切れながら思う。
こうして偏執狂Intelに
「高い電圧をかければ850MHzとか高速で動く当たり品をバーゲン価格で投げ売らざるを得ない」
なんてことをさせたのはやっぱりCrusoeの存在があるからで、
独占禁止法って必要ですよね。
一番の試合巧者は自分とこの工場でCrusoe造っておきながら
Intelからこういうタマ引きだしてきて、新プロセッサ載せる苦しみ味わわずに
「低消費電力CPU」っていう果実だけをちゃっかりもぎ取ったIBMでしょうか。
SONY、日立、富士通、NECのCrusoe陣営にはこんなアドホックに負けないで
より過激な製品の投入を望みたい。
現に今回もVJ、LOOX、そして11時間駆動のLavieと、かなり個性豊富でよかったので、
頑張って練り込んでいって欲しいです。
IntelのCPU使うってことは設計は楽でしょうけど、
どうしたって「クロック数」というわかりやすいもので見れば
明らかに小さい数字なわけですから、当然高価格設定はできない。
#Crusoeなら「別物」だからクロック数なんか見ないけど
好事魔多し、今すでに上位機種にはP3-600を載せてしまってる240ZやX20に、
どんなイイワケを用意して低消費電力P3-500を載せてくるのか、見物です。
価格設定もね。
楽しては儲かりませんわ。
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親指途中経過。ちゃんとやってますよお。
現在、定型フレーズ「〜ました。」とか「〜です。」なら指が勝手に打ってくれる、
それ以外はまだ脳内変換テーブルで確定後打鍵、という感じです。
「LessonQ」における最高速は165ひらがな/min。大体どんな文章でも110ひらがな/min出ます。
ちなみにローマ字で同じ文章をもうちょっと何度も打ってみると、
「急がない一番速い」でだいたい180ひらがな/min、かな漢変換して150文字/min。
速度的にはもうちょっとです。
速度はいいとして、脳内変換テーブルなしで打てるようになりたいのですが、
こればっかりは場数ですから。
今世紀中に実践投入といきたい
……とか、思ってたんですけどね。
さあ来たぞ弱気モードや(笑)
いやあのね、どうも人間には
「快適打鍵速」
っちゅーのがあってですね、それは入力方法とかかな漢変換うんぬんより、
「ハードウェア的なキーボードの資質に依存する」
らしいんですよ。
例えばNaturalで手首固定打鍵なら300打鍵/minぐらい。
C1XFのキーボードなら150打鍵/minぐらい。
これ以上は瞬間最高は出せますが、巡航できないんです。
やるとめっちゃ疲れる。まさにアフターバーナー。
#そしてもちろん、こういうモードの時は脳の原稿を作るエンジンの方もフル回転してますから、
#めちゃんくちゃんに体中酷使してる、というのもあるんですけど。
て、いうことはですね、
C1のキーボードで打つ限り、150ひらがな/min、百歩譲って
150文字/minが巡航速度限界なんです。
ローマ字でオーバーしとる(泣)
つまりはノートPCでの巡航速度限界を上げたければ、もうちょっと
キーボードのいいノートPCにする以外にないっちゅーこってすわ。
ほら、キーボードにこだわってて正解だったでしょ?
なんだか新しいPCが欲しいイイワケをしているようですがそんなことはにゃーれすよ。
ただし、DTの方はまだまだ余力があるわけだから、
親指極めれば「ほえなが」だけでも楽になる……
というのも怪しい(泣)
何故というならやっぱり、NaturalKeyboardのあの「物理形状」が最高で、
あれ以外の平たいキーボードはどれもこれも辛いんですッ!(八方破れギレ)
ていうか皆様は手首浮かせたまま打鍵して、肩とか肘とか凝りませんかッ!?
僕手首固定でどっちかの肘をイスのアームレストにつけたまま、っていう
自堕落打鍵
する限り何時間でも打ってられますけど!?
でももちろん、親指シフトキーボードにNatural型はないわけです。
-----
で、ここで
「ちゃんとした姿勢でPCに向かえ」
という突っ込みは入るでしょうが、なんぼちゃんとした姿勢でもやっぱり何時間も連続して
打つ、ってなことできませんよね。
やっぱ1時間に5分とか休憩が居る。
1時間に5分ずつの休憩取りながら、計画立てて仕事できるよーな
ご立派な人間なら、今頃こんなとこでこんなことしとらんわ!
LAで客員研究員しとる。
横ギレ。
何より、主目的だった
「ノートPC使用時に妄想速度に追いつく」
というのがほぼ不可能っぽいのでかなり萎え度上がってます。
ただ、僕の場合のったりのったりと黙読するとおおよそ
360ひらがな/min
ぐらい。ローマ字の速度が180ひらがな/minですから、
同じ文章なら50-60%のキーストロークで済むDT機につないだ親指シフトキーボードなら
達成出来そうな数字。ひょっとするとこの領域、
妄想=文字
領域では、飛躍的に気持ちよくなるのかも。
それを信じてもうちょっと逝きましょう。
ほとんど修行の世界ですよ。毎朝素振り100回って感じ(笑)