6/30 Slow&Fast |
6/15に「集中」というのを書いたのですが、
ある物事にぎゅーっと集中することと、
ある物事からぽい、と抜け出てしまうことは、
実は表裏一体なのではないかと。
とどのつまりは「色即是空空即是色」です。
またわけわからんこと言い出した(笑)
ガーーーッと対象に食い込んでいくと、
自分が無くなってその対象と同化していくようなことがあります。
また逆に、対象と向き合う自分をもう一つの自分で見つめるようにすると
(もう一つというよりは動いてる自分の影を抜け出た自分が見つめているからたぶん一つ)
確かに自分は居るのですが、
その影を観察するだけの能力しかなく、
それは天使のようにただの傍観者であり、何を見、感じ、考察しようとも影へは影響ありません。
(タイムラグ付きフィードバックはありですが)
この世の中にある以上、身体という物理媒体抜きで
この世界へ影響力を行使するというのは不可能
(じゃないかもしれませんがとりあえず意識的にできないという点でそう断じても可かと)
なので、それもまた「無我」と表現してもいいように思います。
前者と後者は違うもののように見えて、
最終的には自我みたいなものを脱いだ状態にある、という点では同じです。
で、この状態で人間は非常にパワフルになれる。
なにか事をなそうとする時に、
意志とエネルギーを叩き込んで極限まで集中し、
自分という意識を点にしてそれをキリに食い込んでいく、
のと、
できうる限りのリラックスと穏やかさを持つように心を落ち着かせ、
自分という意識を霧のように拡散して内なる力の自由にまかせる、
それはまるで別なようで、
そうではなく同じようで。
「集中」と「緩和」、といえば、
「集中」時に力を出すために「緩和」時に力を溜める、
そんなイメージがありますがさにあらず。
実は「緩和」状態も「集中」時に負けないほど力を出している、
前進している、ようです。
ものごっつい具体的な例に落としてみますと、
135キロのストレートと85キロのカーブがあって、
フィニッシュはストレートにしても、スローカーブの方でカウントちゃんと稼いでるんですよね。
(カウント稼げないカーブは武器にならないからあまり意味がない=対極にある「緩和」とは言い難い)
仕事でも生き方でも、スローの方をうまーく使えるようになると
愕然と幅が拡がる。余裕ができる。
余裕ができると見えてないものが見え、やれてないことがやれるようになり、
なんでも上手く回り出すものです。
ちょい昔、休日ゴロ寝はよくない、身体動かすなどでリフレッシュを……
というような論調がありましたが、もちろんそれはそれでいいと思うのですが、
ファストの後に別のファストを持ってきても、リフレッシュにはならないんです。
ゴロ寝はスローではなくストップにあたりそうなので、こちらもどうかな、なのですが、
目先変えればいいというものではない。
逆に言えば、ファストとスローを自在に切り替える術を持っている人は、
極端な話365日24時間働いても全然大丈夫。
というか私らの仕事は特にそうでないとダメっぽいですな。
で、そこで6/15のように「いっこいっこ大切に」を実践していこうと少しずつやってるわけですが、
その正反対、リラックスする時は極限までリラックスする、も、
やっていこうかと思っています。
おそらくはそれに対する具体的メソッドとして、
瞑想なり禅なりあるいは宗教的手段(祈りなど)というものが人類の手にもたらされてきたものだと思うのですが、
さほど体系的メソッドを厳しい訓練によって手にしなくても
#えと、手にしてないものが言うのも口幅ったいですが、
#確立した手段による反射で手にするリラックスが、本当のリラックスかっていうのもちょっと疑問があるのです。
##まあでもしないよりゃマシというのは間違いないか。
何か良いイメージを持って横になってるだけでも、
いいような気もします。
そしてこの二つは表裏一体で、
集中して凝縮して余りを増やすと、それだけ緩和しやすいですし、
緩和しやすいとまたガツン、と出しやすくなって集中しやすくなる、
とクルクル回るように思います。
また、一方ずつでも、動かしているという実感がさらに動かしやすさを生み、
和らいでいるという実感がさらなる和らぎを生む、
という形の正のフィードバックが起きるような気がします。
だものでできるだけ、その落差は大きい方がいい。
刺激、スパイクになるのはピークの絶対値ではなく、
ピークとピークの落差、それもしかも絶対値ではなく(もちろん大きければ大きい方がいいのでしょうが)
波形というかどれだけ峻烈に切り替わるか、というところに、
より大きなポイントがあるようです。
マハトマ・ガンディーというと棒きれのようなおじいさんが路傍の石のように座っているイメージですが、
彼が歩くと大柄な英国人記者が小走りになったそうです。
それ。
たまらなくカッコイイですよね。
しかしちょっと勘違いして切り替わり方の急激さそのものを追いかける、
それはちょっと違うような気がします。
あくまでも真っ当なファストと真っ当なスローがあって、そこで結果として急峻な変化がある、
という感じが自然で望ましい。
(変化そのものを追いかけるケレンも個人的にはかなり好きですが、
それこそ別の何か、センスとかそんなんが必要になるような気がします)
そして両者を極めていくと、変化の傾き無限大というか
まるでメビウスの輪のように、
極限の集中から極限の緩和へ直結している……
のではないでしょうか。
太極図描いた中国人はエライ。
で、そこまで行くと、当人的にしあわせなのはもとより、無尽蔵なパワーで
周りにもしあわせまき散らしができる。
そうなったらいいなあ……
道は遠い遠いですが。
焚きつけに使う媒体は、
強くそして穏やかに、何かを思う気持ちでしょう。
見つめて聞いて触れて感じて与えて認めて慰めて信じて赦して想う。
全部まとめて一言で言える簡単な言葉がありますが、
それを口に出すのは恥ずかしいので(笑)
ということで、2003年後半は、
両方鍛えていきたいな、と思います。
6/29 にちようび |
でも、こんなもんでもなにか「いいな」をお与えすることができるのなら、
それはとても嬉しいことです。
また、そう言ってもらえると、また頑張ろうという気持ちになります。
それは僕が、「いいな」をもらっているってことです。
「いいな」がくるくる回って、周りもたくさん「いいな」になるといいな。
そんな素敵な、日曜日。
6/28 怪奇祝い |
帰ってきやがった。
ちょっと痩せていたが前よりも元気なほど。
よかった。
まあ、当事者じゃない無責任言いっぱなしをすると、
「間」が取れてよかったと。
ええほうにもってこ。
なんて言わなくてもそうするのがあの人のスゴイところなのだ。
おかえりなさい。
メンツは鉄っちゃんぴよさん西やんぽんださんとお馴染みの面々に
剣道関係の皆さん、それにokbちゃんの同窓会も合流して
いつも通りのちゃらんぽらん。
下痢するほど呑み舌鼓を打ち西田さんの安くて早いギャグに悶えた。
サラミと鰹のタタキをコンビにするマスターのセンスにも脱帽なら、
30過ぎの若者に囲まれながら
「若いエキスをエキスをエキスビール」
「今時気の利いた小学生でもそんな安いギャグ言いませんよ」
「気の利いた小学生に勝とう思てるわけないやろッ!」
と一喝する西田さんにも脱毛である。
その手早さを見習いたいが今でもかなり早すぎる安すぎるとのご批判の声もあり、
よく自らのプレースタイルと合うリーグ、プレミアなのかスペインなのかセリエAなのかJFLなのかを
見極めて使っていきたい。
ギャグを一本一本ではなく塊でぶつけるというプレースタイルは古来洋の東西を問わず
存在しているのだが、即興では溢れるセンスが、コントでは十全な仕込みが必要なので
最近は廃れ気味である。
しかしそんな風潮にギター一本敢然と立ち向かうドン・キホーテそれが男カテキン西田であり、
例え一つ一つは安くてもその塊感が未体験ワンダーフィーリンを惹起、
聴く者を脱力今風に言うとリラックス&ヒーリングに導く。
そうそれはまさにギャグの100円ショップ。
なんだか楽しい気分になって1000円使って満足とガラクタを手に入れる、あれである。
その生き様はまさに瀬戸内に遊ぶシーラカンスであり
あまりの可憐さと物珍しさに笑い涙が止まらない。
そんなハートウォームなギタリストも最近はちょっと身体の調子が悪いとぼやかれる。
笑いは健康の秘訣のはずだがそれは他人向きなのかも知れず、
渥美清や坂本九が平生は難しい顔をして眉をひそめていたという故事を思い起こさせる。
外科医は自らの腫瘍を摘出できず、占い師は自らの運命を占えない。
つくづくと因果なものであるがそれはもうしょうがない。
人には運命と役割があり、それに逆らおうなどと無駄なエネルギーを使うよりも
それに従ってできるだけのことをやったほうがいい。
……ということに気づくのは無駄なエネルギーをカスカスになるまで使い果てて後、なのであるが。
しょうがないので元気づけるため、ぽんださんと共に
もの凄い美人らしい娘さん(小3)を持ち上げてみた。
「「紹介してください」」
「あかーん!」
「そんなこと言っててもそのうちカレシ連れてきますよにへへ」
「そそ、で奪い去っていくんですよあはは」
「そんなこと許さへーん!」
「だって自分だってそうだったんじゃないですか因果応報ですやんあっはっはっは」
「輪廻転生ですやんわっはっは」
「きー!」
娘を持つ父親にとってはレバーをコークスクリューで抉るようなものだと知りつつこの手の話題を
何の遠慮もなくぶちかませるのが31歳独身コンビならではである。
持たざる者には捨て身の強さがある。
話は変わるがぽんださん、僕は誰と勘違いしたか奥様お子様いらっしゃると思っていたら
堂々花の独身華族であった。
おかしい。
明るく物腰柔らかく幹事癖のあるとてもな好男子であり、
なぜ世の女性陣がこーゆーいいタマを放っておくのかがまるで理解できない。
「男にモテる男」と「女にモテる男」が違うという好例だろうか。
それともあまりにもイルカに似てるからであろうか。
イルカといっても歌歌ってる方ではなくティファニーになってる方であり、
つまりはぽんださんも一歩間違えればティファニーである。
「女性は一様にティファニー好きだ」と友人の宇宙エンジニアに教わったような記憶があるがあれは空耳か。
あるいはあれでもまだ輝きが足りないとか贅沢を抜かすつもりなのだろうか。
僕には眩しすぎるほどなのに。
全く、人の欲望には限りがない。
2次会の途中、お二人はチャリに二ケツで去って行かれた。
そのあまりにも濃ゆい絵面を想像して一人で笑っていた。
子供の頃は30過ぎの大人というともっと
「ちゃんと」したものだと思っていたが、まあだいたいこんなものである。
しかし真面目な話、オフタイムはどうあれ仕事の場ではみなスゴイ人々であって、
「ちゃんと」している。
己の間違いを繰り返してもらいたくないために若人達に言いたいのは、
大事なのは「ちゃんとやれる」自分の本分を持ちそれをちゃんとすればいいのであって、
風体や趣味やアホかそうでないかなどはなんの問題にもならない。
ここを問題にするような人間は、その軸になる何かを持たない
あるいはそういうものがあることすら知らないおっぺけぺーであり、
聴くべき言葉を持たない人間なのでオール・ブッスルーでかまわない。
そろそろそうなりつつあるのだが、我々の世代が主軸を張れるようになってきたら、
もう少し生きよい世界を目指していきたい。
大暴投した。
ともあれ2次会の後は朝靄の中何度行ってもシマシマなぴよさん家「ポポ」。
ぴよさんは最近「4コマ漫画雑誌」にハマっているらしく、
さすがは研究者、ハマるとなるとまた一山買ってきて読む。
ステキだ、と教えていただいたのは裏面の女性向け石商売の宣伝である。
岡部典子さんというかなり素敵な女性が
もの凄いエエ笑顔で中途半端にカッコイイ彼氏と腕を組み、
「こんな私にもこんな幸運が!」
と訴えている。
水色の水玉水着、厚めのフレームのメガネがあまりにもチャームポイント。
私の拙い文章力ではなんとも表現しきれないパライソな絵柄である。
どう考えても作り手がめちゃめちゃ楽しそうに作っている広告であり、
こういう広告を作れるあなたがたは幸せである、と朝から随分とガリラヤンな気分に浸った。
昨晩のうちにコンビニで揃えたおにぎりやサラダの朝食を猛者い三人で
取っていると、鉄心さんが言う。
「最近朝ねえ、家で食べないことが多くて。寝てんだよあいつ。わはは」
朝。
清逸な水色の光の中、「くー、くー」と幸せな寝息を立てる眠り姫のごとき美しき新妻、
それに気遣って物音一つ立てずにそっと出て行く外見は熊だが心優しき新夫、
それだけでもう我々にはお腹ぱんぱんの萌えシチュエーションであり、
そんなセリフは味わい深いのろけ話にしか聞こえない。
つまりは大変に幸せであるということだ。
幸せが一様であるなどというのは大嘘で、幸せにこそいろいろな姿がある。
例えば朱い鮭・緑のおひたし・黄のだし巻きと目にも鮮やかな朝食セット一揃えが並んでおり、
(おみおつけのダシをひくかつを節を削る音あたりで目が覚める)
「おはよう」の声と共に湯気薫るお櫃の蓋が開けられるのも幸せならば、
一つのバゲットを二人でちぎり、缶入りクリームチーズを一本のチーズ・ナイフで
そのまま食べつつ、一つの丸く大きなマグカップでキャフェ・エスプレッソを傾けながら
(言うまでもないことだが相方の好きなキャフェ・クレームと日替わりである)
床に広げた新聞(ル・モンド)をもそもそと並んで見ているパジャマはストライプのお揃い、などというのも幸せである。
しかしさすがに、制服の上からエプロンを着けフライパンをお玉で叩く、というパワープレイに出られると、
例え私であっても「朝から飛ばしすぎ」のイエローカードを出すやもしれぬ。
が、すくなくとも退場にはしない。
おにぎりに塩味がした。
朝まで呑んだ翌日は一様にヘロヘロであるが、
最近は「ヘロヘロになるまで呑める何かがある」というのは
なんと幸せなことだろうか、と思うようになった。
一人では、朝までは呑めない。
6/27 それが芸風なんじゃ…… |
アホか。
あんなものは持ち上げ商品であり音楽性うんぬんかんぬんはどうでもいいのであるから、
「呼んでて楽屋まで来てるのに帰る」
などという美味しいアクションを堂々と引き起こしている時点で
”しめた。ネタになる”
と思う物ではないのだろうか。
その事態を美味く料理してこそTVの生番組作りであろう。
しかも今回が初犯でもなんでもなく、世界中を騒がせて回っているお二人であると言う。
ならばその商品力の源泉である行動をしっかり取ってくれたのであるから、
それこそが彼女たちのサービスであり、予定調和であろう。
つまりは芸風である。
なぜ、怒る?
理由がまるでわからない。
#こういうメタ気味の芸風についての良し悪しはひとまず置く。
#そもそも若干メタ気味を認めなければアイドル、いや今日の芸能人などというものは成り立たないし、
#メタ作戦で大成功をおさめつづけてるのが日本中が大好きなモー娘。であることは言わずもがな。
その辺はさすがに阿呆ではないらしく、
「こういうやり方がプロモーションなのかもしれないが遺憾である」
などという訳のわからないコメントが出ていた。
このコメントまでをネタと考えることもできなくはないが、それにしてはキレに欠ける。
もういくばくか洒落たコメントも出せぬものだろうか。
千歩譲ってそれが悪だとするならば、
リスクに対する危機管理がなってない、というより具体的なそしりを受けよう。
ヤブヘビである。
地上波TV放送局の人達はいつまでも勘違いしているようだが、
あらゆるコンテンツ提供側を思いのままにコントロールできたのは過去の話である。
泣きながら頭を地にこすりつけありったけの財布を叩かねば放映権の取れなかったW杯をもうお忘れか。
世界規模でプロモートを展開するアイドルシンジケートにとっては、
日本のマーケットはもちろん大切ではあるがウリを切り捨てて擦り寄るほどでもないと考えられても仕方がない。
まして詳しくはないがどう見ても彼女達はエッジ寄り、
となれば逆にそうした”安い”媒体で簡単に見られないこと自体すら価値向上に一役買う。
要するに主導権は向こうにあって、
向こうのアクションに対するリアクション戦でいかに見るものにインパクト与えるか、
というところに勝負の力点を置くべきであろう。
フセインが何を言っても空爆は始まりトマホークの雨が降るわけであるから、
そこでやることは泣きわめくことではない。
……と、いうようなことはもうちょい前のガツガツしてた頃のTVマンであるならば
なんとか捌いていたような気もしなくはない。
そう考えるとオタオタしていること自体が人材の質の低下と
無意識の焦りおよび苛立ちを表していると考えられる。
”歴史に学べ”
と歴史家のみならず文豪や科学者がもう1000年も前から声高に叫び続けるが、
人間は阿呆であるから未だに上手くやりきれない。
健全な批判勢力と自己を向上・変革する精神の欠如した組織、
それが長続きした例はない。
特に地上波TVというのはファイナルユーザーとコンテンツメーカーが直結し
わかりやすい形態でお金の動いている実業ではない。
視聴率と広告宣伝費という虚構の上に辛うじて立っている砂上の楼閣に過ぎない。
崩れる時は、あっという間に崩れる。
そのこと自体は別にどうという感興も沸かず、
どこにでもある小さな歴史見せ物に立ち会ってる程度の感慨しかない。
が、それよりも小娘二人にこのステキな日本が
「つまんないとこ」
などと思われてしまう方が少し悔しい。
金が絡むと頭に血が昇るのはよくわかるが、
その金の卵を生んでくれてるニワトリに八つ当たりする爺さんが愚かであることは、
世界中どこの子供が見ても明らかである。
6/26 ソフトタッチ |
稀にこういう人がいる。
個人的な整体、カイロ、マッサージ何軒かの経験でいうと、
こうした「やわらかな手技」を持つ人は、少ない。
もう何年も前だがある日、首の筋違いみたいなものを起こし、
あまりに酷いので近所の接骨院らしきものに駆け込んだ。
先生は状況を聞くと、診察台に座らせシャツ一枚にすると、手技を始めた。
軽くどこかを押さえながら、腕を上げさせたり回したりを
ゆっくりゆっくりとする。
こちらはもちろん半信半疑で、頭痛がするほどの筋の痛みが、
こんな軽やかな刺激でなんとかなるなんて思ってもいない。
やはり飛び込みは外れを引くものか、と後悔しながら、
「先生、もっとしっかりお願いします」とでも言いたかったが何といっても相手はプロである。
一通り終わるまでは黙っていた。
先生の手が離れ「どうですか?」とお伺いになる。
肩を回して、あらびっくり。
まだ少し違和感はあるが、先ほどまでの痛みが嘘のように引いている。
「また、痛くなったらお越しください」
何百円かをお支払いして帰る道すがらも半信半疑だった。
まるで魔法で、一体何がどうなってこんなにも症状が改善されるのか。
強烈な一撃でグリッと筋を元に戻すような技があったのならともかく、
あくまでもゆっくり柔らかいあの動きと刺激で……
残念なことにその医院は経営方針が変わったらしく、
名称も変わり接骨マッサージパートもなくなった。
後で聞いた話によると先生もバイトというかパートタイムで、週に何度か何時間か
来ていたらしい。
それ以来である。
我々素人は、ツボ刺激の類というとついついぎゅーっと押してしまいがち。
もちろんそれで心地よいし「効いている」ような感じがするからそうするのだが、
逆に言えばそういう「なにか」のトランザクション・ポイントであるならば、
軽い刺激でも四方八方に刺激が走り伝わって、充分に効果的なのではないだろうか。
痛みを感じるほどの強刺激を走らせると、驚いた身体が関係ないところで
あまり良くない反応を引き起こしてしまう可能性もあるかもしれない。
もちろん、一発強刺激でいかなければならない歪みや滞りも、あるのだろうが。
友人のH医師は中学から柔道の輩であり、授業中よく投げてもらった。
これが上手い。
上手い投げというのは身体の特定の部分に無理な力が加わらず、
タイミングと荷重移動だけで流れるように一本を獲る。
気持ちいい、とさえ言えるジェットコースター体験である。
無論、他の力自慢達にも多数投げられたが、彼の投げは別格にスムーズだった。
まさに柔よく剛を制す。
部活で鍛えた経験値、それもあろう。
が、やはり、どうしようもないことに、そしてまた面白いことに、
天賦の才、というものがある。
手技、身体を用いる技である以上、生まれ持ってそういうセンスを持つ人持たない人がいる。
それは当たり前で、その上で経験を積み練習を重ね愛情を込めて上手くなる。
派手な「急」よりもむしろ、「緩」の方にこそより高度な技が必要なのではないだろうか。
最近緩急についてよく考える。
「緩」、それは「間」であったり、「ボールを持たない時の動き」であったり、「90km/hのスローカーブ」であったり、
「情熱」に対する「優しさ」であったり、「解放」に対する「集中」であったり、「私」に対する「無私」であったり、
とにかくこれがないことには実は「急」ですら成り立たぬ。
表裏一体のもう一つの主役であり、ないがしろにはできない。
同じだけ、いやそれ以上の力をこめる必要が、ある。
まさに「凝り」が溶けていくようなほわやかな心地よさに揺られながら、そんなことを思った。
ということで専属マッサー募集中。
大いに揉み合おうではありませんか。
6/25 苦吟 |
苦吟しております。
こういう経験はほとんど初めてなのでかなり困ってます。
文章そのものがかけなかった時期、は経験ありますが、
それとも違う。
そもそもこれ(ほえなが)は割と楽しく書けてるし……
誰もがぶつかる壁でしょうか。
それともたまたまなのでしょうか。
スパイクになるシーンがまるで思いつかず、
さりとていつものように手数出して無理矢理流すのも流しきれず、
かなり手詰まり。
今もこうして愚痴らせていただきながら、
原因を考えるのですがどうしても思い当たりません。
スランプならスランプでもいいのですが、
上述のように書くこと自体は別に嫌でもなく困ってるわけではないので……
取り上げた題材が辛いか。
でも鮎を食材にフレンチを作れと言われて作るのが売り物だったはずなので
(美味いかマズイかは別!)
それも、例え理由の一つだったにしろ小さなもの、のはず。
ぐー。
まいった。
展開で迷ったり表現で詰まったりってのはいつもあることですが、
書かれへん
というのは辛い。
断片は浮かぶのですが、書いてみるとこれがどれもこれも今ひとつで。
結局、1つでいいのでガン、と「入る」イメージが描ければいいんです。
そこへ収束するという目的が出てくると、他の何でもないシーンにも血潮が通います。
1つ決め場面があると、相当引っ張れますよ。
50KBぐらい全然大丈夫。
2つあってそれに相関関係あったりすると、200や300は大丈夫です。
文庫本1冊ですね。
逆に言うと例え10KBの小品であったとしても、
そういう1イメージ無いとふにゃふにゃです。
そうしたものの中にもなごみ系、なんとなく気持ちいい、というものはありますが、
ご存じのようにそういうガラではないですからねえ。
考えすぎかな、と思ってテキトーにキーボード暴走させてみたりもしたのですが、
ぴた
っと止まってしまう。
おかしいなあ。
まさか自分が原稿用紙丸めて捨てるような羽目になるとは思わなかった。
便秘よりは下痢でいいから出てくれた方がマシですね。
この一週間はそれでのたうち回って……
一週間か。
たいしたことないな(笑)
いろいろと小さな原因が積み重なって閾値を超えない、
のがたぶん正解なんだと思います。
手枷足枷さるぐつわ匍匐前進で近所の裏山登ってるような感じ。
こんなもの普段の俺なら5分で登れるのに、というのがまた、いらだちの一つです。
決着つけるだけならずっこいやり方はいくつかあるんですけど、
そーゆーのはもうやらない、背筋を伸ばして胸を張って生きていこうと(笑)
まあこれも一つ試練だと思って、頑張って乗り越えてみます。
6/24 でる・ぼすけ |
結果出してるコーチの首が飛ぶ。
これは他のスポーツでは珍しいサッカー独特の光景である。
もちろん、結果が出ても金のもつれや痴情のもつれから
契約延長を「諦める」ということはどんなスポーツでもある。サッカーでもある。
だが、結果出てコーチ側は残る気満々で選手達も異議がない、
のに飛んだ。
いや、大矢さんが横浜監督を切られた例もある。
サッカーだけではないか。
多くのこうした場合
「新しいステップ」
などという何の具体性もない理由が示される。
無論、他の具体的理由を覆い隠す化粧に過ぎないのだが、
逆論すれば白粉を振らざるを得ない程度の理由しかそこにはない。
誰もが納得するような理由がないから、おしろいを塗りたくるのだ。
そういう場合、失敗する。
酷い酷い弱い弱いと目を覆わせるオリックスよりもまだ遙かに全然弱い横浜に、
今日時点でまだ20勝できてない勝率.284、「5位と」12ゲーム差の横浜に誰がした、
ああ全ては大矢を切って後、である。
加えて言えば森にちゃんと3年やらせれば少しは立ち直ったかもしれぬ。
かようにフロントが無能だと選手も可哀想だが、
フロントがいい気になり過ぎ選手をコマと見出すとなおさらお終いである。
スポーツはプチ戦争である。
目的も理由もなく指揮官が替わる軍隊で戦いたいとは、
あるいは安心して戦えるとは、誰も思わない。
戦争で整えなければならない要素は
戦力、戦略、戦術、士気であろうか。
Rマドリードは前の3つは見ていたが、最後を見ていなさすぎる。
彼らはプロだが、プロである前に人間だ。
偉大な業を成し遂げるのは人間であって、戦術でもなければ戦略でもない。
スターを掻き集めればなんとかなる、
インテルはここしばらく何事をも為せていない。
失って初めて、大切さを知るものは多い。
しかしこういう失い方をすると、もう二度と手に入らない。
サビオやムニティスを放り出したのとはレベルが違う。
来季のマドリードは苦労するだろう。
願わくは-03シーズンまでが華だった、などということにならないように。
返す返すも、結果を出し取り立てて問題も起こしていないコーチ(選手)が
クビになるのは見るに堪えない。
スポーツは夢でもある。
どうにもならない現実社会から逃れる一夜の夢であるならば、
「信賞必罰」という夢も見せてくれてよかろう、と強く思う。
頑張れ、デル・ボスケ・コーチ。
チャンピオンズリーグ優勝2回の大名将。
6/23 名古屋名物 |
名古屋名物は全てジャンクである。
その特異な発展の様は食文化史の専門家にでも研究して貰いたいほどで、
他地方にちょっと類例を思い出せない。
おしなべて名物という物は美味いマズいは別にして
その土地独特の進化発展を遂げた物、
あるいは製法はオーソドックスであってもその土地の得意な物産を用いて高いクオリティを誇るもの、であろう。
名古屋名物はそうではない。
味噌煮込みうどん、手羽先唐揚げ、ういろう、きしめん、天むす、味噌カツ、
いずれもがただ各々の正統から外れた傍流製品にすぎず、
進化の袋小路にあるが故に発展性も無ければ純粋性も極めて薄い。
著名なきしめん専門店に押しかけてみれば
「いったいどれを頼めばいいのですか」というぐらいメニューがある。
「これぞザ・きしめん」などと理想と真理を追い求めようとする姿はそこにはない。
で、あるからよろしくない、などというつもりは全くなく、
ただ現実としてそうであるなあ、という感想を持つだけで、
私は上記の食品いずれもが好きである。
きしめん店においても「カレーあんかけきしめん」あたりのもはやなにがなんだかさっぱりわからない物を
舌鼓を打ちながら食べた。
この店も同じような店であった。
「パスタ」専門店ではない。「スパゲティ」専門店である。
麺は太めで茹で方もかなりしっかり茹でこんでおり、
子供の頃”ウチのおかん”が作ってくれたそれを彷彿させる。
そう、ナポリタンとミートソースしかなかったあの頃の「スパゲティ」である。
具もイタリア人の彫りの深い顔面を逆撫でするかようにあくまでも邪道を突っ走る。
チョリソではなくウィンナーであり、クリームソースではなくカレーソースである。
カツが載ったカレーソースかけスパゲティなどもはや犯罪の域であり、
多少やんちゃなうどん屋でもこんなミロのヴィーナスに自作の腕をねじりつけるような真似はすまい。
面白いのが変なところだけ妙にイタリアンで、スプーンはつかずフォーク一本で喰えという。
しかし味は悪くない。どころか結構美味い。
故に繁盛していた。
これでいいと思えばこれでいいのだが、
今ひとつ釈然としない気分がぬぐえない。
味噌カツなども何度もいただいており、その度に美味いとは思うのだが、
逆に「普通のソースあるいはせめてドミグラスでもよいのでは」とも思う。
手羽先にしても、美味いのは間違いない。
が、そればかり何十本も食べるよりも、
他の部位もバランスよく楽しんだ方がより一層手羽先の個性が光るように思う。
「オーソドックス」に対し抵抗を試みており、
抵抗としては成功しているのだがただそれだけで、
新しい価値を生み出してはいない。
あくまでもバリエーションどまりであるから、あってもなくても困らない。
これだけ情報の共有化が進んでも、ただ味噌を掛ければいいだけの
味噌カツがまるっきり他地方に派生しないのがよい証拠だろう。
たこ焼きのような製法も食生活上のポジションも極めて特殊な物が、
日本全国津々浦々で食されているのとは対照的である。
くどいようだがだから悪い、と言っているのではなく、
それを許容し、いや見方を変えれば片意地のように守り続けている
名古屋人の性質が面白い。
「ひとひねり」に満足を見いだし、
根元追求も無ければ新しい価値創造へのチャレンジも無い、
それはこの国のどこかで、
いやどこででも四六時中見られる風景であり、
さすがに三大英雄と日本最強のメーカー・トヨタ自動車を生み出した土地である。
東京に出てきた田舎者が名古屋を蔑視するのは、
己が忘れたい「原日本人」とでもいうべき精神性を無邪気にあからさまに見せつけられるからではないだろうか。
単なる近親憎悪である。
ジャンク都市大阪で生まれ育った者がもう一つ余計なことを言えば、
ジャンクはジャンクであることに誇りをもてばいいのであって、
なんとなく恥じらいながら、また心の中とは裏腹に卑下しながら
手の内を出してくることはないだろう、と思う。
ま、その恥じらいがまた、非常に日本的なのだが。
6/22 アーバンライナーnext |
「next」のサブネームがつく新型は、コストダウンのせいかずいぶんと安普請です。
ガッカリしました。
・窓に段差が無いので小物を置くスペースがない。
・椅子にスライド式の枕があって、邪魔で眠りにくい。
・車両端ドアの上に液晶のモニタがあるんですが、
2+1列シートでドア位置が車両の中心からずれてるにも関わらず
そのままドア上に配置してあるので、天井の造形とアンバランス
(こちらはもちろんセンターで左右対称)
で気になってしょうがない。
・荷物棚に席番の大書、考え方はいいとしてフォントや色にあまりにも芸がない。
などなど、細かいところがかなりおかしいです。
旧型は1989年にブルーリボン賞(鉄道のカー・オブ・ザ・イヤーみたいなもの)
を獲った名車で、なるほど14年の時を経た今でも、
幾分の古臭みはあるものの「イイモノ」感がハッキリ出ています。
逆にこのあたりからその「少し古い」というのが「落ち着き」を演出する武器になってきます。
居心地が、良い。
80年代後半、日本経済絶頂期の車と、
デフレ経済真っ盛りの今の車との比較がフェアではないと思いつつも、
「これなら旧型の方がよい」
と思われるものを新造する意味があるのでしょうか。
鉄道については極めて疎いので、特急列車の耐久年数やコスト等々は
まるっきりわからないのですが、旧型の改修や旧型をベースにした改良では
間に合わないのでしょうか。
年々歳々、情報や経験を持つ人は増えていきます。
人の目は舌は肥え続けているわけで、
ある一定以上のクオリティを確保しないと見向きもしてもらえなくなります。
旧型アーバンは今でも大丈夫です。
でも新型アーバンは最初からかなりキツイです。
なによりもこの御時世にこの程度の新型で「いけるだろう」、
と判断する近鉄経営陣が一番キツイ。
「マクド潰してティファニー入れたら客来るやろ」
来ません。
大阪名古屋間は多少時間がかかってもアーバンを薦めていましたが、
それはアーバンの居心地が新幹線普通車両とは比べものにならないからで、
新幹線のB席で1時間耐えるよりはアーバンのデラックスA席で2時間楽しむ方が
よほど心身に心地よい、と自ら実感していたからです。
でも新型はそう言いきる自信がありません。
移動手段としては100%新幹線に負けており、これからも逆転の可能性はゼロなわけですから、
新幹線には無い「なにか」を提供しなくては勝負にもならない。
その基本中の基本を旧型はよくわかっていて、
新型は何もわかっていない。
そんな感じです。
辛いのは誰しも同じ、
それでも、いつも上か前を向かなければならないと思います。
帰り、居心地のいい旧型に乗りながら、
しばらくするとこれに乗れる確率もがっくり下がるのか、と寂しい思いをしました。
鉄道ファンの気持ちが、少しだけわかりました。
6/21 半年後 |
「ククルス・ドアンとあの娘は絶対デキてますよね」
「いや、あれは半年後にデキるんです」
「!!!」
エクスクラメーションマークの数は誤りでもなければ誇張でもない。
真実はある日突然ベールを脱ぐ。
ドアンは士、もののふである。
ザクに乗ってる間はストイックきわまりなく、そういうことに興味もない。
いやたまに魔が差してもイカンイカンと頭の中から振り払うはずである。
あの娘は見るからに計算高く、安売りのようなモーションを掛けるとは考えにくい。
あくまでもドアン側にアプローチさせる戦略を日々練っていたに相違ない。
そんな彼女にアムロの出現はまさに天恵千載一遇、このチャンスを逃すまい
長年温めた計画を寸分違わず実行せん、という決意と緊張が
あのニコリともしない硬い表情に結びついているのだろう。
ザクを失い、普通の島人になって初めて、
ドアンにもそうした小さな幸せに対する欲求も生まれたはずである。
日常へのリハビリが「半年」というのもまた、リアリティのある時間感覚ではなかろうか。
すくなくともその日の夜ではない。
白濁した男子中学生の脳そのままに記憶、固定観念化していた自らの不明を恥じると共に、
やはりこうした「よのなか」については男女で随分と視点が違うものだ、と感心した。
アムロという人は女運が極めて悪く、
フラウ、セイラ、ハモン、マチルダ、ララァ、チェーンと
ちょっとドキッとした人とまるっきり幸せになれない。
そんな彼もこの解釈によれば二人の恋のキューピッドであり、
天翔ける純白の機動戦士がよく似合う。
「あのお兄ちゃんはとてもよいことをしたんだよ」
”フッフ……そのとおりだわ……じゅる”
己も含め顧みるに、男というものはきわめて単純なものである。
6/20 精神年齢 |
僕も6割ぐらい真面目に
「永遠に17歳」
とか言ってみるのだが、大抵は相手にされない。
が、内実はこういうことで、要するに良くも悪くもその辺の精神的な好み、趣向みたいなものを
持ち続けている、というのが訴えたいポイントである。
体力的に当時とは比較にならんことぐらい本人が一番わかっとるわ(泣)
例をあげると次元を問わず可愛い女の子に目が無く、
相変わらずラスカルのストラップが欲しくなりいや買ってしまい、
マクドではどうしてもビッグマックを頼みたい衝動を抑えきれず、
B級が大好きで基本的には勧善懲悪である。
と、いうような「趣向年齢」みたいなものを持ち合わせている人は
実は多いのではないか。
無論実年齢よりも若い人もいれば上の人もいる。
我が友人のH先生などは中1にしてすでにおっさん(35歳〜40歳程度)であり、
近年急速に皆が追い上げたが故に(追い抜いてる者も多々いる)
年々若返ってるような気がしてならない。
「三つ子の魂百まで」
というが、三つ子に与えられたインパクトがその後ずっと続く、ばかりではなく、
ある趣向を生まれ持ってる子供はすでに3つの時からそれが好き、
なのであろう。どちらかというとベクトルは様々あろうが
「栴檀は双葉より芳し」
の方が適切な表現なのかもしれない。
逆の人もいる。加齢とともに出世魚のように趣向が変わっていくタイプ、
安保の闘士で長じて経営側労組担当、というような人である。
同じ変節でもなんらかの衝撃を受けて己の考えを改めるなら納得がいくのだが、
彼らはそうしたターニングポイントもなくただ何となくいつの間にか変わっている。
#多くの場合安田講堂は都合のいい言い訳に過ぎない。
若い頃はこういう人物を「クズ」だと思っていたが、
やはりそれは一面的な見方にすぎず、
こういうタイプはこういうことが平気、どころか
そうなっていかねばならない
と信じているのであるから、堂々とそういうことができる。
それはお互いに公理であり、議論の余地もない。
もう一例昨今の例を挙げれば、金融機関に入り、まだ調子の良かった頃の
会社の金でアメリカのなんとかかんとかへ留学してMBAだのなんだのを得て、
会社を辞め別会社で働いたり自分の社を起こしたりする人がいる。
そういう人がマスコミつまりは多数の面前で己の来歴を、時に得意げに蕩々と述べる。
僕のメンタリティからすれば
「私は自分のことにしか興味のない人間でーす。
義理?人情?なにそれお菓子?」
と宣伝して回ってるのと同じで、真面目な話信じられない。
が、彼のメンタリティからすればそれは誇るべきキャリアアップであり、
何一つやましいところはない。
彼に僕の気持ちはわからないし、僕に彼の気持ちはわからない。
もちろん、言うまでもないことだが、
そしてそこが人間社会のいろんな混乱の種となっているのだが、
わかりたくも、ない。
バベルの塔を壊された後、バラバラにされた「言葉」というのは
根元をたどるとこういう人間的メンタリティではないか。
むろんメンタリティは民族でくくるのが手っ取り早いし大ぐくりできるので
象徴的に「言葉」と言っても大外れはしない。
ただ、基本的なその部分に齟齬があっても各論では議論の余地もあり、
また感性と感性となるともはや宇宙の神秘であるから、
そこが違うからと言って親しくなれないとは限らないのもまた面白いところである。
人間は奥深い。
---
少し話がズレた。
僕が子供の頃よりはかなり緩和されとてもいいことだと思うが、
未だに「このぐらいの年齢だとこうでなければならない」という社会的プレッシャーは大きく、多い。
あるいは歴史的に見ると元服など境目境目で(特に成人時)強制的に
変態を強要する儀礼が多いことを見ると、
そうしたシステムを敷く方が上手く行くことも多いのだろう。
平和的安定状態を手にしているならば、
年齢順に上から区切って役割分担し、
各個人は役割を変えながらその安定を維持する、
のは理にかなってるといえば理にかなっている。
ダイナミズムは無くなるが安定感は抜群で、大崩れの心配がない。
徳川300年が染みつき、その後も2度ばかりの大シェイクを除けば
基本的にそういうシステムへ戻っていきたがる日本人は、
どちらかといえばこちらのシステムが得意なのだろう。
ただ、「ピュア」という形容ができるのがどちらだと問われればそれはもちろん
固定した趣向を持つ方で、最後は一人で官軍に斬り込んでいった土方歳三であろう。
ピュアネスに人は好意を持つ。業績や他の人間性は別にして。
まして日本では珍しい。だから愛されて残る。
ただし多くの場合「見てる分には」という但し書きがつくが。
少々のズレだとアジャストしようという意識的無意識的努力が発動するが、
さすがに15年分ぐらい大きくズレるとそういう気持ちもなくなってくる。
ま、無論そればかりではなく、身体的な変化や経験の蓄積によって変わる部分もある。
相変わらずビッグマックも好きだが白いアスパラガスを食べるようにもなった。
おっさんくさいと言われても人はいつかおっさんになるわけだし、
子供っぽいと言われても人はいつか子供だったわけだし。
あまり無理せず「こんな感じですー」と行こう、と梅雨空に再確認。
6/19 敏いとう |
ゴチソウサマビンイントウ。
新型より遙かに居心地のいいブルーリボンアーバンライナーに乗ってから
フト思いつく。
”ひょっとするとご本名が『伊藤敏』で、
ひっくり返して芸名にするというアヴァンギャルデなことをやっておられるのでは”
帰って調べるとはたしてその通り。
あまつさえデビューのキッカケは
”獣医として作曲家・遠藤実の犬を診察したこと”
とある。
あまりにもおそるべし、敏いとう。
6/18 身近に科学番組 |
3つ年上!?
東大文学部!?!?
ガッテン ガッテンガッテンガッテン
いやまあ、ひと味違うな、とは思ってたのですが。
あれって原因とか対策とか割と科学的に追い込むじゃないですか。
その説明とか「ちゃんとわかった上で」やったはるし、
ゲストの急な質問やツッコミを捌くのも上手い。
むべなるかな。
そして英語がダメっぽい。
それはステキな萌えポイントです。
どうでもいいことですが就職活動でNHK受けました。
最終で落ちました。
「一般向け科学番組(の制作)やりたい」
とまだバブルの余熱がありエコな時代背景からかけ離れた
スットンキョーなことを言ったのが敗因かもしれません。
そういう目で「ガッテン」を見ると、
「ああこういう落とし込み方もあるのか」
と感心しきりなのですが、逆にまた
ここまで地べたに落とさなくても知識そのものを楽しむという姿勢はありやなしや
と思ってみたりも。
それはNスペとか日曜朝にやってるような番組でたっぷりやってるといえば
そうなんでしょうけれども。
僕が子供の頃はもうちょっとこう、科学とかそういうものに対して
世の中全体が興味持ってたような気がします。
いや。
最近の子はケーブルでディスカバリーチャンネルでも見てるのかな。
通販でナショグラ買ったりね。
あ、話変わりますがナショグラってなんであんなに微妙な雑誌か考えるに、
要するに編集視点が無いんですよ。
総花は総花で構わないんですけど、
どういう軸でどう見せようかって意図が無い。
だから「グラフィック」に過ぎなくて、リロードの欲も起きないし、
絵面なら動いてる方が断然情報量多いので、負けるんです、そういうソースに。
使ってるリソース(特に現代では時間)
に対しての満足度が低い。
そのくせモノとしての完成度はかなり高いので、捨てるに捨てれないし
定期購読始めると「止めるほどじゃないし……」ってなっちゃう。
あれは日経に騙されて申し込んじゃったらダメです(笑)
で。
最近、入力欲がかなり旺盛で、
今まで見向きもしなかった新聞TV欄を舐めるようにチェックしたりするのですが、
キチッと見ると見てみたい番組実は山盛り。
しかも地味な番組が多いので、ど深夜とか休日早朝とかそんなんばっかなんだこれが。
あー。
HDD+DVDレコーダー欲しい……
結局それかい。
まあ、「ビデオ録画が面倒と思うような番組は見なくていい番組」というのもまた
かなり真実ではあるので、取捨選択してテキトーに見てます。
「ガッテン」は文恵さんの髪型チェックさえ諦めれば放送後HPへ行くと
エッセンスが3分で理解できるという親切設計。
……科学番組が少ない理由がなんとなくわかってきたような……
もうちょいエンターテイメント志向はどうでしょうかね。
鉄心さんとかぴよさんとか、知ってる研究者は
「見てるだけでオモロイ」
というか
「その絵面は映像向き」
という人がゴロゴロ居るので、永遠の名作
「モーレツ!科学教室」
みたいなものをでっち上げ……られないかなあ。
ポンチ君役引き受けます。
「ハカセーーーーッ!」
「なんだいポンチ君ッ!」
「髪の抜ける因子が発見されたとかされないとか!」
「ライオンの株を買い占めだ!」
ビデオ出てるようですが2話で2800円とちょっとお高め。
全20話11巻だそうです。
とりあえず当面一番の問題は文恵さんが既婚かどうかですが
(関係ないという力強い説もある)
どうもそれらしい記述もないのでファンレターでも送ってみましょうか。
東京ぐらいなら無問題です。
6/17 さて背番号は |
順当に考えるとフィーゴを出すのでしょうが、
ユナイテッド側からすれば多額の現金とセットでも納得いかないでしょう。
さしものフィーゴも寄る年波で運動量が少なく、
ディフェンス面で不安が残るので、とてもプレミア向きとは思えません。
ユナイテッドはマケレレを欲しがってるそうですが、
CL見て世界中が納得の通りRマドリードはマケレレで成り立っており、
これを出すのであれば相応のセンターMF、
つまり世界屈指のセンターMFを連れてこなきゃダメです。
ヴェロンとか(笑)
それもバカバカしい話ですしね。
人の配置は後回し、普通に右オフェンシブをやらせるとして、一つ不安は
ベッカムのスタイルはスペイン風ではない
というところです。
スペイン人があのポジションに求めているのはあくまでも
(ドリブルでの)1on1突破能力
であって、だからこそ「フィーゴ最高!」という評価になるわけです。
ホアキン(この人も右のオフェンシブ・スペイン人・
先のW杯で試合中死ぬほど頑張ったのにPKやらされて失敗して怒られた可哀想な人)が
「ベッカムなんかフィーゴと比べものにならへんわ!」
と吼えたそうですが、そこだけの評価すればそれはそうです。
ベッカムの武器は右脚から繰り出される変幻自在正確無比、世界一のドライブクロスボールであって、
(もちろんのように1mマーカーが離れれば半身ずらして撃てる)
それを100%活かすには空中戦の強力なセンターフォワードが必要です。
正直、ロナウドとラウールではキツイ。
モリエンテスはヘッド得意ですが、出しちゃうらしいし、残留したとしても出番は少なさそう。
となると、得意のそのボールを、例えばロングのサイドチェンジに多用するとか、
低めで奪ってカウンター速攻を多用するとか、
本人もチームも、それを活かすように変貌していく必要があります。
デイヴィッドは確かに世界的選手ですがプレミアしか知らない選手でもあるので、
そこがフィットするかどうか、が一番の問題。
ロナウドやジダンですら馴染むのに結構時間がかかっているので、
その期間、サポーターもベッカムも耐えられるかどうか。
マケレレと組ませてセンターMFやらせるという案も無きにしもあらずですが、
フィットするしないは別にして本人がそれで納得するかどうかかなり疑問。
中田もボランチやれば世界最高だと思うのですが、オフェンシブハーフ特にトップ下をやりたがるじゃないですか。
もう少し両オフェンシブハーフが守備にも献身的ならそれもありかもしれませんが、
ジダンとフィーゴをそう使うのも、それはそれでもったいないし。
奇策としては右サイドバックという手があります。
運動量豊富で世界一のクロスがあるわけですから、
ハマれば素晴らしい武器になると思うのですが、
これも本人の納得と、あと
ただでさえ最終ラインの守備に問題山積のRマドリードにそんな余裕があるかと
言われると首が横カックン。
しかしぐだぐだ言っててもしょーがない。
50億かけて獲ったんだからベンチに座らせるわけにはいかない。
そこでもし私がRマドリードのコーチなら!
3-4-3!
ロナウド
ラウール フィーゴ
ジダン
グティ等 ベッカム
マケレレ
美白でないロベカル サルガド
新CB
イケル
ほら!! ベッカムも使えてCB不安も若干解消、しかも
グティ/F・コンセイソン/ソラーリ/マッカ/カンビアッソ
のどれかも使えちゃうという一石三鳥!
いや、このザルザルのDFラインを見てスペイン人は闘牛のように中央突破を
試みたくなるでしょうから、イケルが苦手のハイボールにさらされる危険も激減!
一石四鳥!!
……ただこれをやるためには3-4-3真ん中に慣れており、
若くスタミナとスピードに溢れもちろん守備力も非常に高いCBが必要です。
ということで上の5人をセットにしてでも(イエロとエルゲラもつけちゃえ)
チヴーを獲りましょう。
せめてスタム。
無理かな(泣)
……ていうかホンマに大丈夫かいな……
来季のキーはコーチでしょうか。
現状でもひっじょーに危ういチームをデル・ボスケコーチの手腕(と人柄)で
片輪走行させているように見えるので、
これを切るとなると
(その可能性が高いらしい。リーガ優勝できなかったら切るんでしょうね)
それ以上のコーチを連れてこないとダメですよね。
スター選手誰もが納得、というような……
ヴェンゲル? ヒディング復帰?
最低でもそのクラス。
大金叩いてそんな賭けに出るよりは、ボスケさんにおまかせしておいた方がいいように思います。
そうなればなったで彼がその薄い頭と二重顎を抱えるんでしょうけれど……
そんなチームバランスも考えずに50億も出して大丈夫かいな、
とお思いの方もおられるかと思いますが、
戦力的な意味合いよりも、獲ったことによる副次的効果、
グッズの売り上げや各種放映権料、
アジア地区(というかズバリ日本)でのRマドリードブランドの価値向上、
(下心なきゃFC東京とはやりゃしませんよフツー。
失礼ながら野球に例えるとヤンキースvs声宝太陽の親善試合)
などなどなどを考えれば、さほど高価な買い物でもないらしいですよ。
よくわかりませんがアディダスからもいくらか流れてるかもしれませんしね。
そうそう。
あと楽しみは背番号。
まさかラウールから7番を召し上げるのは不可能、
しかしもはやベッカム様に7以外はありえないので、
・スパイシーに「77」
・我慢して「17」
・一時期のインテルのように「1+6」
・実はよく見ると「.7」
・思い切って「777」
・日本への売り込みのために「七」
・実は水島ファンで「07」
・それならば引退後の映画出演を睨んで「007」
まあ、現実的にはモリエンテス出すそうですから、
・ロナウドを9、空いた11
で落ち着くんでしょうけど。
(フィーゴが出るなら10をジダンに回して5かも。
ジダンが10にこだわりがなければそのまま10とか。
マッカから8を召し上げる手も)
若い頃24をつけていたそうですから、そういう手もありますね。
まあどちらにしろ、見てるだけでヨダレの出るスーパーチームであることは確かで、
まるでサッカーゲームのオールスターを組んでる気分。
(だからこそCBとGKにもタレントを揃えてさらにヨダレを垂れ流させて欲しいのですが)
まだ今季も終わらないうちから来季が楽しみです。
---
【補足】
最終節を前に勝ち点ではRマドリード2点リードですが、直接対戦成績で分が悪いので、
Rソシエダードが勝利した場合、Rマドリードは引き分けも許されず勝たなければなりません。
しかも悪いことに、最終節対戦相手、Rマドリードはアスレチック・ビルバオ、Rソシエダードが……Aマドリード。
サッカー好きでないと「ダービー気分」がわかりにくいと思いますが、
例えば僕(セレッソ好き)の場合、同じ条件でガンバとジュビロが優勝を争っているとして、
最終節ジュビロの対戦相手がセレッソだったら、
文句なく声をからして「負けろ」コールです。
もし勝ってガンバが優勝しようものなら火炎瓶モノ。
そういうもんなんです。
野球ですとある程度「関西の球団」とか一抹のシンパシーがありますが、
サッカーは逆。
これ、面白いもので、何も通を気取ってるわけでも、向こうでそういうものだからそうしなきゃ、というわけでもなく、
ごく自然な感情でこうなるんです。
てことでRソシエダードの勝利は揺るがないので、
Rマドリードはなにがなんでもビルバオに勝たなければなりません。
ビルバオ現在6位、ここを守るとUEFAカップ出場権。(直下7位にバルサが2点差で迫っている)
充分に難敵です。
最後の最後でもう一度本気のRマドリードが観れますので、要チェックです。
6/16 再生医療 |
日本はこの分野ではトップランナーの一国らしいのですが、
どうもお役人等々のバックアップがよろしくないらしく、
それで研究が壁に当たったりもするそうです。
アメリカのように、金になるとなると有象無象から無尽蔵に資金が流れ込むシステムも、
反面「金取ってくる」ということに研究者が汲々とする様は日本の比ではないらしく、
けしてベストではありません。
ですが、一点突破には非常に向いています。
学術研究・高等教育というのはその国の行く末を決めるとても大切なことなので、
洋行の学者をテープと小旗で送り出す、
というのはやりすぎにしても、
もう少しなんとかならないものでしょうか。
研究者の友人の話を聞いたりこういう本を読んだりするたびに思います。
実践の場にいる戦士達はみな優秀なんですけど、
国のバックアップが薄い。
国として勝つとか負けるとか、そんなんは別にかまわないんですけど、
例えば難病の子がいて、
アメリカなら完全に治るけど、日本なら死ぬ。
それは単純に悔しいでしょう。
移植医療とかなら、まだ社会的コンセンサスがどうとか理由もつきますが、
厚生労働省の認可がどうのとかそんな問題だと、
それは国の怠慢以外の何物でもない。
人間も金も技術もあるんだから。
それでも医療に限らず若者達は
己の信じる道に向かって各国に飛び出していくわけですが、
この、「飛び出さざるを得ない」という状況自体に悔しさを感じて、
そうはさせじ!
といろいろな手立てを尽くして貰いたいものです。
「あかんかったら出て行ったらええやん」
というのは、出て行く方はそれでいいのですが、
そうやって行っちゃった人は何割か、いやかなり帰ってこない。
あるいは帰ってくるのは一線を退いた後。
有為かつ能力のある人から抜けていく、という深刻な事態が起きるのです。
メーカーであるならば投資→開発→大当たりのサイクルは
勝手に回るのですが、
教育や研究はそうはいかない。
サイクルを回してやる血液は、国以外からはほとんど供給されないのです。
日本は地理的・歴史的ポジションでも、
術者・被術者双方の心情的にも、
東西混ぜたような医療がやりやすいと思います。
さまざまな矛盾はあるとはいえ皆保険制は
高度な(高コストな)医療を行い易い環境でもあることだし、
国あげて「世界一の医療国家」とか目指してみるのも良いかも知れませぬ。
日本人は一つ目標があると、頑張りやすいし。
あもちろん、結果としての「健康」が一番大事なので、
医療最高、だけど出番無し
がベストですね。
警察と同じ。
---
それにしても再生医療というのはかなり進んでるようで、
歯も、ベース作ればそれを元に自分の歯が再生したりするかも、ですよ。
乳房なども(乳腺はまだダメだそうですが)できるそうで、
何組か作って一番好みのを選ぶ
などという離れワザが、もうすぐ。
いろんな意味で福音ですなあ。
そうそう、福音といえば髪。
自毛が毛根ごと復活するらしいですよ。
あれですよ、「ハゲはファッション」が言い訳ではなくマジな時代が。
すばらしい。
それでも寿命ばかりは今のところどうしようもないらしく、
たとえ皮膚から内臓からパーツ全取っ替えで
つるつるぴかぴかの90歳を作ってみても、
老衰には勝てないようです。
テロメアの長さがどうのこうの、と言われるように、遺伝子レベルから
耐久寿命が設計されているんでしょうね。
でも、寿命が設定されているなら設定されてるで、
なぜ設定されているのか
という疑問は残りますね。
個体としては長生きして損は無いはずで……
となると、やはり種としてあまり爆発的に人口が増えてしまうと、
その土地が養える人口を超えて全滅の危機に瀕するから、
なのでしょうか。
---
立花さんもお書きになってて、膝を打ったのですが、
僕はあの火葬場での一連の流れ作業が
反吐が出るほど嫌いです。
あの黒めがねのおじさんに付け届けを渡し
(禁止されてたそうですが、
親父の時、僕は葬儀社さんの指導の元お渡しいたしました。
喜連瓜破斎場です。
相場も決まってたようです)
おじさんが観光地のガイドさんのように一連の流れを紹介し、
親しい人の骨を直箸で拾い上げるという
考えてみればスプラッタきわまりない残酷絵図に
ウムを言わさず参加させられるあの儀式。
あれ、おかしいでしょう!?
キリスト教の方はどうやって乗り切ってるんです、あの危機を?
イスラムの方は? 神道の方も同じ?
喉仏の骨を組み合わせて
「小さな仏様ができあがります」
って縁日で飴細工売ってんじゃないだから。
で、おじさん
「拾え拾え」ってうるさいの。
骨壺パンパンになるまでスプラッタショー。
でそんな大切なもんかいなと思えば余った骨はそのままゴミ収集車が集めるとか。
なんんんんじゃそりゃ。
まだね。
まだお葬式はまだしょうがないの。
僕も(自分の時は)ヤだけど、
残されたみんなで集まってしのぶ、ってことを第一義に考えると、
ある程度「イベントの流れ」ってあるじゃないですか。
結婚式でも同窓会でも。
まあそれの一つだと思えば我慢のしようもあるし、
ある程度形式に自由があるからまだ選択の余地もあるんですけど、
一体あれはなんなんですか。
で、僕の時にはなんとかせねば、と思っていたら、
どうもアメリカなどでは死体利用システムが確立しているらしく、
死後献体を希望しておくともう完膚無きまでに切り刻まれて
再利用に回されるそうです。
それだとお葬式に主がいないことになりますが、
まあ、それでも、少なくともおじさんに骨遊びされ、
近しい人に気持ち悪い思いさせるよりはマシかな。
「あれ? で本人はどこよ」
「献体だって。今頃バラバラになってあっちこっちへ行ってる」
「らしくねー!」
まあ、最後ぐらいは人の役に立ちたいじゃないですか。
6/15 集中 |
「見識の代わりに知識を持ち出す人々がいる」
……いてててててててて……
---
と、いうわけでもないのですが、
ちょっとずつ己自ら実践していこう、と思い立ち。
キーワードは
・集中
日々の生活に汲々としてますと、
知らないうちに血管壁に驚くほど何かが付着しています。
もう血も通いにくければいつ破裂するかもわからない。
それらを落とし、
いろんなものが軽やかに流れるにはどうしたらいいものか。
当たり前ですけど、
「ひとつひとつきっちり行ってから、次へ進む」
他ないようです。
「コーヒーを飲む時はコーヒーを飲むんだ!」
確かに、本当にコーヒーを味わいたい時はそれに限ります。
本を読みながら飲むのなら究極水でもなんでもいいわけで、
美味しいコーヒーを飲みたいなら、
そういう心構えそしてそういう姿勢で対峙するのが本道です。
#日本の喫茶店でケーキセットを頼むと、
#当たり前のように同時に出てきますが、
#フランスではデザートを食べた後にエスプレッソです。
#確かにそういうスタイルだとコーヒーカップ丸々一杯より、
#デミタスカップぐらいの方が適切ですね。
と、いうのは日常いろんなところで応用効きます。
まま上の近所のおばはん話も、聴く時は聴く。
おばあちゃんのナンクロのつまってるところも、一緒に考える時は考える。
リッキーさんがゴロリと腹を見せれば、撫でる時は撫でる。
そうすると見えなかったものが見えたり、
聞こえなかったものが聞こえたり……
する、かもしれない。
昨日は遅くまで
ル・マン→F1とハシゴしたんですが、
ル・マンつまんなくて、Web見たり他のこといろいろしてました。
ところがF1はかなり熱戦で、眠かったのですが最後まで見てました。
じゃル・マン見なけりゃいいだけの話。
リモコンのボタン一つ押すだけで、2時間からの時間がきっちり使えたはずです。
#確かにスポーツは一瞬で大逆転があるからなるたけ全部見たい、と思うものですが、
#本当の名勝負ってたとえ膠着状態でも波乱が起きなくても、
#最初から最後まで面白いものですもんね。
ひとつずつの事柄をちゃんと切り替えて行えば、
緊張と緩和にもなるし、効率も上がるし、
集中力も持続できます。
そうなると結果的にいろいろとしあわせが、きっと。
……なんかめっちゃくっちゃ当たり前のことですが、
当たり前であるが故に忘れやすく、
現にすっかり忘れていたことなので(笑)
刻みつけておこうかな、と。
また、言うは易しですが
簡単なことほど実行が難しい、その端例です。
ひとつずつ、やっていこうと、おもいます。
6/15 雑感 |
あるいはホントにこの値段でギリギリなんでしょうか。
だとするとPC小売りってかなり厳しい商売ですね。
ちょっとビックリしました。
で。
やっぱり現物を目の前にすると
「ああ、これは使いこなしそうにない……」
と思ってしまい、トボトボと家路につきました。
1.4キロのs30でもファミレスへ持ってって広げるには少し抵抗があります。
てことはやっぱりタテマサか、と思っていつも行く度に触るんですけど、
もっさり……
これにお金を使うぐらいならs30で我慢すべきか、
と思ってまたドードー絶滅巡りをしてみるわけです。
ドードー狩りしてるうちは買うな、ということだと思うので、
本日もぐっと我慢。
・そんな雨の日はお家でWeb
PC周りを見ていると、
なんだか奇怪なほど生産台数の少なかったSS/S7が、
実はこーゆーオチでしたとか、
かと思えばVAIOのU101が生産中止らしく、
そーいえばどこへ行っても置いてない。
(どこかさんの液晶の歩留まりが悪い、という噂もあるが真偽定かで無し)
ネット社会の怖いのは不具合からなにから
全部が全部の情報を共有されちゃうことですね。
(いい、ってのはあんまり広まらないんだけど(笑))
このもの凄い速さで技術が進む中、
小さなデジタルガジェットを開発するのは大変だと思いますが、
エンジニアの皆様、頑張ってくだされ。
・iPod。
いろいろ見ておりますと
かなり薄くなりそれに反比例するように物欲をそそられております
iPodもファームにバグがあるらしく、
ある日突然音の左右が反転することがあるそうです。
最近、外歩く時は以前購入しました
FieldPies(mp3プレーヤー/128MB)を使っているのですが、
一度mp3プレーヤーに馴染んでしまうともうCDプレーヤーには戻れませぬ。
軽いし気を遣わなくていいし単4一本でドライブできるし
音楽の入れ替えも(今は)さほど大変じゃないし……
んで。
僕内部ではiPodという存在はmp3も聴けるCDプレーヤーと、シリコンmp3プレーヤーの中間あたりに
位置してまして、
シリコン型ほど取り扱いは簡単じゃないけど、
CDプレーヤーみたいに新しいCDをその場で聴くことはできないけど、
とにかく自分の手持ち曲全部持って行ける。
以前、C1を持ち歩いてました頃はC1を音楽ソースとして使ってて、
ノートになにか書いてる時でもmp3は流しっぱなし、とかやってました。
PC持ち歩かないならiPodという手もありかなあ、と……
ええ、mp3聴けるCDプレーヤーでも2-3枚ベスト盤みたいなのを持ち歩けば無問題なのですが、
そんなしちめんどくさーーーいことをこの私がするはずがなく。
ただ、あれって微妙なサイズで、ポケットには入らない。
あのキャリングケースに入れて腰に付けるのも、
これからの季節目だってヤですよねえ。
PC持ち歩けば出番は無さそうなiPodですが、
最近、本を読むのが楽しくて、PCを持ち出さないもしくは
取り出さないことが多く。
イヤホンと違って「やってみるか」って額じゃないので(約5万円)
悩んでます(笑)
・ということで今日も耳の痛いヴォルフガングの一言で。
ていうかその親友の一言。
エライヤツにはエライ友が居る。ちょい短縮。
「現実のものに詩的な形を与えることだ。
詩的なものを現実化しようと試みても、
それによってできるものは愚劣なものに過ぎない」
これねえ、みんなそういうんですけどねえ、
それが難しい。
結局我が身は現実なので、現実がひねり出す詩をさらに現実にするよりも、
現実そのものに詩を見いだす方がシンプルですね。
「近頃の詩人達はインキに水をたくさんまぜる」
……はい(泣)
6/14 る・まん雑感 |
今ね、
「ピエヒ総統万歳ショー」。
勝てる可能性あるのはベントレーとアウディだけで、
ベースは同じクルマ。
もちろんご存じのように両方ともVWグループです。
アウディで勝ちまくった後、今年は宣伝のためベントレー勝たせとこか、みたいな。
来年あたり満を持してVWで出てくるんじゃないですか(笑)
あ、ランボルギーニって手もあるな。
GTカーがどうのこうの言い出したあたりから変になったような……
いや、その後ですね。
マクラーレンワンメイクの頃はまだよかった?
高橋国光・土屋圭一・飯田章でNSXが戦ったのは95年でしたっけ。
まだなんかわくわくしたような記憶が。
プロトタイプカーのレースが各国で行われてた頃、
ル・マンというとああいう箱形レースの最高峰で、
F1と比べてもエアロダイナミクスが効いてるからトップスピードは出るんだよ、とか
「最高峰!」という感じがしたものです。
それがいつの間にか各国のそういうレースが廃れて、
年に一回スペシャルマシンで殴り合うレースになっちゃったものだから、
なんとなくその「頂上決戦」のイメージが薄れ、お祭りイメージが。
サッカーでいうとチャンピオンズリーグが、
今みたいな重みではなくて、4チームぐらいのトーナメント戦になっちゃったような感じ。
メーカーも費用対効果が薄くなったからか、
毎年しのぎを削る、っていうんじゃなくって、
持ち回りで勝てそうな時に集中して出てくる、という感じ。
それでもまだ出てればよかったのですが、
メルセデスがまた無茶な設計してクルクル「縦に」回って撤退、
トヨタがF1に、PSAがWRCに忙しく、
ジャガー(フォード)もF1、ポルシェもGTカー以外やる気なし、
マツダも日産もそれどころじゃない。
それに乗じてピエヒ総統がやりたい放題です。
キツイ言い方ですが、
こんなんでとりたててライバルもなしに何連勝しようがなんの意味もない。
もちろん、
「他が出てないのに出てるのはエライ」
という考え方もあるとは思いますが、これが50年後
「アウディ黄金時代」
とか間違って呼ばれるのかと思うと寒気がします。
もちろんピエヒ総統が悪いのではなくて、
出てこない他メーカーにもちょっぴりだけ責任があって、
コロコロコロコロ変わり続けるレギュレーション決めてる運営側に
何よりの責任が。
メルセデスが居てジャガーが居てマツダが居てプライベートポルシェも
もしかしたらもしかした頃、ってパッケージも各社バラバラで、
V8ターボvsV12大排気量vsロータリーvs枯れた962
とか、技術的にも興味をそそられたもの。
耐久レースってやっぱりそういうのがいいんじゃないでしょうか。
極端なことを言えば燃料総量(タンクでもいいですが)だけ規制すれば済む話では?
そうすると車重500kgぐらいとか、めちゃめちゃライトウェイトで
エンジンは1500の4気筒ターボとか出てきて
#ターボF1末期のBMWはこれで1000馬力超
すっごい面白いと思うのですが……
今は中途半端ですよね。
イコールコンディションをやりたいなら、アメリカのレースぐらい厳しくレギュレーション決めないと。
GTカー的要素をやりたいなら、プロトタイプ廃止、ベース車両は年間生産台数2000台以上とか。
あとショー要素でいうなら。
ル・マン楽しいのは往年の(というと失礼ながら)名ドライバー達に再会できるところで、
今回も右京先生がお乗りになられてるのですが、
「1リッター以下クラス」
を設けて名選手達に戦わせてみるのはどうでしょう。
昨今ならデイモンとかマンセルとかあのあたりに声を掛け。
このぐらいの速度域なら、カンクネンとかあの辺を呼んでみても面白いかも知れませんよ。
このクラスならどこのメーカーでも出れるじゃないですか。
カンクネンヴィッツvs国光フィットvs星野マーチvs寺田デミオ
とか。
そして優勝は田嶋スイフトなどという信じられない結果に。
ダメ?
真面目な話、今ピエヒ総統が
「飽きた」
とか言って放り出せば、ル・マンそのものが滅びるという危機的状況ではないかと
思うのですがいかがですか。
オールプライベーターオールGTクラスの24耐、ってそれはかなり地味なイベントに……
ていうかそんなんやったら富士ぐらいでできるやん(泣)
ていうかそんなんやったら国内で知った顔が走る顔見世興行みたいな方がオモロイやん(泣)
まあ、なんとなく。
戦ってる皆さんは一生懸命に戦ってるのに、
迷走する運営のおかげでつまんないと思われるのは残念、
と戯言妄言。
6/13 MDR-EX51LP |
「形作れ! 芸術家よ! 語るな!」
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
耳痛ぇ……
---
ということでイヤホンを換えてみました。
SONY MDR-EX51LP
です。シリコンのイヤーピースを耳栓のように突っ込むタイプ。
3200円ぐらい@ソフマップ。
結論。
微妙。
えと、音質はとてもクリアで問題はありません。
期待してた(不安でもあった)遮音性ですが、
思ったより聞こえます。
イヤーウィスパーのちょっと程度の軽いヤツを想像いただけるとよいかも。
ただ、より奥の方へ音を届けてくれるので、
同じ音量だと普通のタイプよりもよく聞こえるように思います。
そのイヤーピースも、とても柔らかい素材で、
さほど圧迫感はありません。(サイズも3種類付属)
耳栓の類が苦手な方でもおそらくは大丈夫だと思います。
ただ、9mmというドライバの直径から容易にご想像つくとおり、
低音がからっきし出てません。
普通のイヤホンも低音は弱いものですが、
(それを補おうと無茶をしてバランス崩してる安物は多いです)
弱いとか強いとかではなく
下の方がまるっきり無いような印象。
解像感けっこう高くて、特に周囲が静かだと「クリアだな」と思うだけに、
耳(身体)を震わせる波動が無い、というのが実にへんてこりんな感じがします。
逆に言うとたった9mmで低音以外ここまで表現してるのは
すごいとしか言いようがないのですが。
普段使ってるのが価格的には同クラスと言っていいMDR-E868LPですが、
正直素直さではこういう標準タイプには勝てません。
夜寝る時に枕元でお気に入りのCDを聴く、となると僕は間違いなく868を選びます。
ではなく、
通勤通学の電車の中で聴く、それも音源はmp3など、となると、
小音量で聞こえやすいEX51の方がいいと思います。
遮音性もその外見から想像されるほどではないとはいえ、
一般的なタイプよりもずっと高いので、
軽い耳栓代わりにもいいかもしれません。
サラリーマンの方で、朝、出張の新幹線でこれを使ってCDを掛けて、寝る、とか。
こんな感じです。
見た目ほどキワモノではなく、ごく普通に使えます。
ポータブル音源にとってイヤホンは最終アウトプットを一手に受け持つクリティカルなパーツですので、
ちょっといいのを奢るだけで劇的な効果があります。
合う合わないは貴方次第、CD一枚分の出費ですのでチャレンジの価値はあると思います。
……と、今日も語ってしまいましたとさ(泣)
6/12 新型レガシィ |
「ノーデザイン」と評されたいや評すらされてもらってなかった先代の反省を生かし、
撫で回すように丁寧に丁寧に作った今作。
アイキャッチも提案もゼロですが
故に記憶には一ミリも残りませんが
随分目に馴染みやすくなってます。
今すぐにでもマイナー後を予想させるような破綻もゼロ。
スバル車では実に久しぶりでは。
いや、スバル車ならずとも奇抜なデザインか眠いデザインの横行する昨今では
珍しい綺麗な仕上がりです。
扱き下ろしてるように聞こえますが実はかなり誉めてて。
ジャパニーズ・グッドデザインというのは伝統的にこういうもんです。
書院造りをご覧なさい。
クルマでもU12ブルーバードとか、
カッコイイとも美しいとも言い難いけど、
(無理に言うなら「端正」?)
どこかしらその「キチッとしたたたずまい」に心惹かれるデザインがあるものです。
ディテールではどこにもインパクトポイントもなければ、
記号で引っ張った関連性もないのに、
一目で「新型の」「レガシィ」だとわかる、というのは立派な物です。
あのホンダの記号になりつつある下エグリ目玉を見ても、
ようやくにしてどうにも処理しきれない台形グリルが無くなっても、
「レガシィっぽさ」がちゃんと出てるところに、作り手の愛を感じます。
ただ惜しいな、と思うのはリアで、
特にB4のコンビランプはあまりにもあまりにも。
こんなところで先代からのノーデザインの伝統を引っ張ってこなくても。
とにかくどこかで見たようないろんな要素の混じった変なグラフィックで、
A4のようでもあり先々代アコードのようでもありでもあの凹面のエグリ方は先代のようでもあり……
僕はガーニッシュの類が極めて嫌いな人間ですが、
初代からずっとやってるレガシィに限っては、やっても良かったのではないかと。
それをやると一気に先代イメージが出ちゃって新しさを感じにくくなるでしょうけれども、
まだその方がマシかもしれません。
ワゴンの方はランプのデザインは悪くないと思いますし、
逆三角型というと現行セリカか往年のコロナSFぐらいしか思いつかないので、
没個性でもないと思うのですが、
バックランプとリアフォグを間の鉄板にポンポンと置いたのはちょっと疑問。
カルディナのバンと同じ配置でゲンナリ、というのはクルマ好きだけの感想としても、
ハッチでバックランプ切っちゃう(真ん中の鉄板をたっぷり見せる)のは非常にバンっぽい。
テールゲートの存在感がどーんと沸いて来ちゃうんですよね。
「ここが出入り口〜!」っていう。
先代まではずっとガーニッシュでそのイメージを払拭してきたのですから、
こちらも貼っちゃった方が良かったような気がします。
#世界中のワゴンがこのイメージから逃れようとあの手この手を繰り出してるのですが、
#結局今のところ
#・Dピラーをターンレンズ化する(ただしレガシィはDピラーブラックアウトの伝統があるので不可能)
#・センターガーニッシュを貼ってお茶を濁す
#の二手しか無いようです。
##もう少し小さなクルマではセダンと同じグラフィックを使う手がありますが。
もう一点難癖つけますと、色。
7色あってコレと惹かれる色が1色も無いのは問題かも。
トレンドからは外れてるかもしれませんが、
いやしかしトレンドから外れることこそがレガシィの存在意義なのだから、
レガシィといえば!な
ワインレッド、濃紺、濃緑、ガンメタといったあたりが欲しかったです。
白も新色のサテンホワイトはまったくダメ。
黙ってピュアホワイトに戻すこと。
ピュアホワイトはすごくいい白で、この濃色車ばかり乗り継ぐ僕でも
「レガシィ買うなら白しかないな」
と思ったものです。
#事実今のエグっぺと最後まで争ったのは先々代レガシィRS、もちろん白。
「すべて本」読むとその辺は営業とも喧嘩したそうですが、
それは営業さん正しいです。
カラーデザイナーさん抜本的勘違い。
白が欲しい客、というのは多くは「白が欲しい」のであって、
似合う色とかより形が映える色とかそんなこと一ミリも考えてません。
(白に限らず日本人のクルマカラー選択にそんな高度なことを求めてはいけない)
そういうお客さんには
「目が潰れるほど眩しい白」
を塗ってあげるべきです。
あ、もちろん特色3万円高で流行りのパールホワイトあるんですけど、これは逆に
「お前らこれがええんやろうりゃあ!」
ってヤケクソ気味の愛情の籠もってない色で、
こんな色無理に設定するぐらいならピュアホワイト一本で、
あと売れないの覚悟でアホカラー用意した方がいいように思いました。
シャンパンゴールドとか真っ黄とか。
そうそう富士重お得意のソニックブルーがあるではないですか。
ただでさえソリッドの白をワゴンに塗るのはバンイメージが漂ってくるので、
素直に、できるだけ華やかな白の方がいいと思います。
細かい点ですが、ターンシグナルがフロント・リア共に
故意にオレンジ色を隠す方向なので、
特に濃色車でちょっとのぺっとした印象があります。
昔、黒のインテグラに乗ってた時に、フロントのターンシグナルを社外品で
オレンジ→クリアにしたことがあったのですが(中の電球はもちろんオレンジですよ)
これがなんだか、すっきりはしたんですがピンとこなくて、
結局戻しました。
ちょっと前のメルセデスやBMWでも同様にクリアターンレンズにしてる方は多いですが、
僕はアンバーのままの方がいいように思います。
初代プリメーラも1回目のマイチェンでクリアからアンバーに換え、
僕はそちらの方が好きでした。
結局の所ターンシグナルも機能部品なので、
「ここがオレンジに光りますよ」
ということが良くわかる方が、「機能美」に繋がりやすいのではないでしょうか。
これは最近の流行りで、こういうクルマ多いのですが、
濃色車、例えば濃紺にオレンジや黒にオレンジ、は補色やそれに近い色合いなので、
上手くするとボタンホールのピンバッチみたいなワンポイントになると思います。
淡色車、特に白とシルバーでは、クリアにしてシンプルに行きたい、
という気持ちはよくわかるのですが……
#そして昨今はそういう色ばかりが売れますしね。
車体色ごとに換える、てのはちょっと厳しい?
見た感じこんなところです。
30mmの拡幅とか、
「あの」レガシィ、日本の全てのステーションワゴンのベンチマークが
ついに後席のダブルフォールディングを止めた、
これも時代の流れ、もはやワゴンなどに積載能力は求められてないのか、とか、
さすがにここまで長くなると胴長感は否めないホイールベースとか、
6MTの設定の無いのはSTIレディ?とか、
気になるところはいくつかありますが、
総じて非常に上手くまとめてきたと思います。
正直、「3ナンバーになる」と聞いた時点で
「あ、終わりだ」
#もちろん「レガシィが」ではなく「富士重工が」
と思ったのですが、
これぐらい理詰めでまとめられると
「まあいいか30mmだし」
と折伏されてしまいました。
アテンザやアコードのような不純な動機(どうせ売れない日本市場はどうでもいいや〜)
での拡幅ではない、というのが説得されうる余地です。
それでもなんとかして欲しいと思うのも思うのですが、
「最小回転半径は小さくなってます!」
「幅を広くし(て形を工夫する余裕ができ)たから軽量化できたんですよ!」
と泣きながら何度も何度も訴える姿見てると、
このメーカーにはこれ一本で上はボルボから下はウイングロードまで対応しなきゃならないのだから、
多少は我慢してあげちゃう気にもなっちゃいます。
前述のようにデザインも内外ともにちっともキャッチないんですけど、
それこそ静はクラウンエステートやステージアから、動はカルディナやプリメーラワゴンまで無茶苦茶なゾーンを
一台で守りきらなければならないわけで、
そんな状況を考えると「非常によくやっている」という声しか出ません。
多分に判官贔屓入ってますが、
レガシィも日本が世界に誇るブランドではあると思いますし、
それをゼロからここまで一生懸命に育ててきた富士重工の努力は敬服に値すると思いますので、
それも込みで。
アウディでいえばS4アバントとか、BMWで言えば330のツーリングとか、
そのクラスのモンスターワゴンがたった290万、というのは、
日本人がまるで意識していない恐ろしい事実です。
焼きそばのCMでボケ役を担当したベルマーレ平塚の選手が、欧州へ行けば
イタリア代表の10番をベンチに追いやってスクデットをもぎ取る選手だったりするのと、同じ。
かな?
あ、そうそう、ようやくフロントにプレアデスが戻ってきました。
スバル車はこれに限ります。
暇を見つけて乗りに行ってきます。
6/12 歯 |
今回の症状は
悪い血が溜まって腫れ上がった歯茎が、下から歯と歯を繋いでいた詰め物を圧迫してズキズキ
というものでした。
患部をつつきまくり悪い血をドバドバ出し、
抗生物質と痛み止めとうがい薬をいただいて了。
それが一週間前。
で、今回チェックしていただくと
「と、いうことでこの隙間を歯茎がきっちり埋めるようになるまで2ヶ月ばかりかかります。
その間歯間ブラシ等でこの部分を清潔に」
あうー。
歯間ブラシ苦手ー。
一番細いヤツでも太すぎると思うのですがどうでしょう。
日本の加工技術を持ってすればもっと細いものや
もっと柔軟なものが容易に作れそうな気がするのですがどうでしょう!?
そんな私を見てまま上が
「私はまち針を使ってる。使ってみよ」
と貸してくれたのですが、
これは隙間に容易に入りまくるのはいいとして、
清掃能力には甚だ疑問が残り……
というか歯茎がこの隙間を埋めるとまた同じズキズキに見舞われる可能性が
増大するということでは、
などという不安もあったりなかったりするのですが、
まあ天が落ちてくるとばかり思っててもしょうがないので頑張ってみましょう。
やはり結局は血行の滞りは、肩に依らず歯茎に依らず
モニタ見過ぎキーボード打ちすぎだと思うので、
上手くその辺ごまかしながら生活していくほか無いかな、と。
6/11 パラガイ戦 |
パラガイがJFAからお金貰ってんのかと思うぐらい(いやギャラは出てるんですが)
引きっぱだったもんで、攻撃も守備もなんとも言いようが……
でも各選手気合いは入ってましたね。
やっぱり俊輔が一枚はいるとヒデの動きが全然変わるし。
大久保はもちろんのこと遠藤や山田、ジーコジャパンでは初の宮本先生なども
とても頑張っていたと思います。
右SB山田が左端まで走ってってカヴァーしたシーンとか、かなり印象的でした。
「なんとかする」という気迫は、なによりも大切。
パラガイは伝統的に守備がガッチンガッチンのチームなので、
点が獲れなかったからと落ち込むことはないのですが、
シュート直前まで持って行けた回数が少なかったのは残念。
1on1で止めるべきところはちゃんと止められてた、
という証左ですが、そこを組織でフォローでなんとかするのが日本のサッカーのはず。
遠く遠くW杯アジア予選とか考えますと、
中東の中堅国とかこんな感じで守ってドロー狙い、
というのは充分考えられます。
それが続いて「勝ち点3」が得られずズルズルと苦境に立たされる……
ことがありませんように(祈)
最後10分ぐらいは選手交代も……といっても、これといった適切なカードがないんですよね。
鈴木にボール追わせるフェーズじゃないし、奥や石川といったMF陣も、
じゃ誰を落とすんだ、と言われると言葉に詰まる。
システム変更はリスク大きすぎるし。
これは「黄金の中盤」が揃ってる時にも同じことが起きうることなので、
こうした非常用に本山とか山瀬とか、あるいはそれこそ森島とか、
一発のある前目の選手(流れを変えるゲームメイクのできる=純FWではない)
をもう一枚用意した方がいいかも。
4バックはこれがあるんですよね。
守ると決めると守りやすいけど、
そのままでは攻め手が足りない。
では、と攻めに転ずる時に全員の意思統一が取れてないと、
上がったSBのスペース突かれたり、
オフサイドトラップ取ろうとしたCBの真ん中ぶち抜かれたり。
この辺のペース配分とか潮の流れの感覚をチームとして手に入れるには、
まだまだ時間がかかりそうです。
マン・オブ・ザ・マッチはもちろん我らが大久保ちゃん。
FWのあるべき姿です。
高原より頼もしく感じた人も少なくないのでは。
18日からコンフェデ杯です。
相手はNZ、コロンビア、そしてフランス。
ちょい下、ちょい上(互角かな)、ずっと上、
といい感じの3国と戦えます。
ここ3戦の経験を生かして、
「おや!?」
と思うような日本代表を見たいものですね。
6/10 リローデッド |
三連作の真ん中はどうにも話しようがないですね。
「帝国の逆襲」も「バック・トゥ・ザ・フューチャー2」も、単体では
「はてな?」って思うじゃないですか。
「レボリューション」含めて面白い面白くないという話になるだろうから……
いや。
ぶっちゃけていうと、
僕はあんまりこういうやり方は好きくなくて、正直、
最初のだけで終わっておけばなんぼほど綺麗かな、と。
3作目もおおよそがわかっちゃってるじゃないですか。
絵面の方向とか。
ライター的ヤラシイ視点で言えば、
「さて、オチはどのパターンかな〜」
ってぐらいで、それが富野大監督風だったりすると
手は叩きますがそれは拍手ではない。
でも、それですらも多分、ハリウッドである以上ありえない。
カルロス・カスタネダ以来の、ニューエイジ系、「かもめのジョナサン」系、
「おかん、俺目覚めてもた」系、
言い方はなんでもいいのですがアレ系は、
目覚めて「後」は全部一緒なので、そこはまあもうどうでもよろしい。
目覚めるまでがポイントで、
どうやって目覚めたか、目覚めるのか、が見てる目覚めてない我々にとっては
興味そそられるところのはず。
で、前作はそこまで。
アクション的にも、不安定だったネオが最後の最後に愛の力かっこわらいで
スーパーマンになって強敵を叩き潰す、すっごいカタルシスがありましたよね。
あれはやっぱりあれで終わり。
それ以上を書かざるを得なくなって、一生懸命
人間とは、生きることとは、という形而上的なところや、
トリニティとネオの愛を描いてはいるのですが、
うーん、という感じです。
前作でもトリニティとネオの件は要らん、と思いましたし……
難しいなあ。
一番辛いのは絵面で、
前作以降世界中でパクられにパクられ倒したあの雰囲気は、
正直もうお腹一杯めいっぱいです。
こちらでも別軸としてカンフー風味とかよりキツイアニメ風味とかにチャレンジしてるのですが、
そしてもちろん破綻はないのですが、
やればやるほど現実味=緊迫感がどんどん無くなってしまう。
もちろん最後はヒーローがなんとかしてくれるのがヒーローものなわけですが、
こんなに「どうせ大丈夫だろ」感があるのも珍しい。
ネオが超人だから?
でも超人と超人の戦いだって「拮抗」はしてるわけで、
充分ドキドキするはずです。
純技術的にタイミングと見せ方が悪いだけかな……
それともあの絵面でドキドキできないのは、
我々が子供の頃から北斗神拳とかめはめ波とマッスルドッキングを食べて育ってきたからでしょうか。
といって商業的には大成功だし、
実際観ても払った時間とお金に十二分に見合う物ではあるのです。
ええ、充分。
もっかい観てもいいかな、と思うぐらいだし、
3作目もちゃんと観に行きますよ。
んー。
でもなあ。
一本目だけで伝説になっちゃう方が美しい、
と思うのは僕がおかしいですか?
ま、あんまり肩肘と期待を膨らませすぎずに観に行くと
充分楽しめます〜。
6/9 PB? |
・和服に半指グローブ
これね、ちゃんとした人がちゃんとやるとめっちゃカッコイイのよ!?
僕も見習ってオリジナリティたっぷりに
バンダナでも巻いてみましょうか。
え? みんなやってる?
じゃミサンガ……
あ、逆はどうかな。
フルレザーファッションで巾着袋・扇子そして素足でゲタ。
いやまあ、冗談抜き和服にPCはステキ。
---
みすゞ姉さんの本読んで洗われた心なんて1日でドロドロ。
「またつまらぬことで悩んでしまった……」
とひとりごつのが何より好き、
というヤな人生送ってるながたですが、
また悩み一つ。
ええ、新しいリュックも買って(またJackWolfskin、その名もXFAIL(笑))
準備万端で新PCで悩んでるのですが。
PowerBookとかどうかな?(笑)
いや、14日にZ1Rがデビューなので、現在X31と一騎打ち。
ピンと来るのが無い以上、無理に小型軽量モバイルにこだわらず、
「欲しいマシン」優先で行こう、と……
となるとやはりZがカッコイイ。
だってさ、あの図体あの液晶で2.1キロですよ?
僕が初めて買ったノートPC、当時36万のPowerBookDUO280cも同じ2.1キロで……
……
PowerBook?
ということで見に行ってみると
15インチのがこう、なんともいい感じに魅力的で。
ちょっと重いし高いんですが、
カッコイイのはこれまたZよりもさらにカッコイイ。
私がシンプルなのに弱いの知ってるでしょ!?
所詮テキスト打ってWeb見てmp3聴くぐらいだから、別にMacでもいいんですよね。
ATOKも15まであるし。
(辞書の移行までできればひっじょーにありがたいのですが……それはさすがに無理かな)
Webで注文すると英語キーボードすぐ選べるし……
(Zもソニスタのサービスありますけが、2万円))
あ。
12インチの方でもいいかも……
ん〜。
んんん〜。
いや、確実に後悔するんですけど、
ネタとしてはかなり面白いような気がしてきました。
前述のDUO280c、購入は94年の6月かな。9年前ですね。
36万円で、33MHzのCPU、12MBのメモリ、320MBのHDD、640*480の8.4インチカラーTFT(この解像度だと256色)でした。
AppleTalk以外の外部デバイスは全て特殊バスで、Dock(ポートリプリケータ)が必要でしたとも。
同じ2.1キロでZ1Rは
26万円で、1500MHzのCPU、512MBのメモリ、60,000MBのHDD、1440*1050の14.1インチ(もちろんフルカラー)に、
DVD/CD-RWを載せ、無線LANを載せ、USB2.0を載せ、100BASE-Tを載せてます。
ああ十年一昔。
あ、全然話変わりますけど、
小柄な女の子に大きなパーツ
というのは非常に萌えポイントの高い組み合わせで、
もう10年近く前、スニーカーがやたら流行った頃、
150なさそうな細身の女の子がバカでっかいハイカットのバスケットシューズ履いてるのを見て、
かなりグッときた記憶があります。
17インチのPowerBookって店頭で御覧になったことあります?
かなりゲラゲラ笑えるほどでかいのですが
(記憶の彼方にあるPortableよりもインパクト大きいのは、
きっと画面がでかいからでしょうね)
Mac donaldなどで小柄な女の子が
てりやきバーガーなぞ頬張りながら
こいつでWeb巡回などしてたらかなりこうグッとくるのではないかと……
いやまあ、あたしはおっさんだけど!
乗り越えなければならない大きな山(OSの違い)があると、
細々とした差異(キーボードのタッチとか)はさほど問題ではない、という例でした。
逆に言うとそういう大山があれば気にならなくなるような
違いに汲々とするよりも、
「ほしいもの買おう」
というあったりまえの結論で。
Webとかぐるぐる回ってると、
どうも15インチは新型レディらしいので、しばらくウェイトっぽいです。
どれだけ待てばいいのですかああ届かぬ愛を(泣)
6/8 あるぜんちんせん |
ディフェンスが特に良くないのですが、
今回は誰がどこで獲って、獲った後どう展開するのかの
意図が全くといっていいほど見えませんでした。
レアル・マドリードかと思いましたよ。
秋田さん奈良橋さんごめんなさい。
人材がどうこうではなく、たぶん誰が出ても一緒。
(それでも4点目はちょーっといただけないのですが……
4バックダブルボランチであそこどフリーってそれは一体)
特に山本さんが五輪専任になってからこんな無秩序な感じがするのですが
いかがでしょう?
でも五輪も将来のこと考えるとものすごく大切ですから、
山本さん戻す、って訳にも……
あわかった。
山本さん戻して、とりあえず五輪に強い西野さんをバイトで雇う(笑)
あるいは暇そうなフィ……いやいや。
おこがましい話かもしれませんが、
ジーコさんを「世界の代表監督として育てていく」のもJFAと日本のサッカー好きに
課せられた使命ですので(好むと好まざるとに関わらず)
ここは全力でバックアップするしかない。
誰か稀代の戦術家(しかも裏方が好き)を横に付けるべきではないでしょうか。
監督、というのは映画製作ならそのまま監督、
船で言えば船長、
会社でいうなら社長、
国で言うなら内閣総理大臣であって、
チーム唯一の「責任を負う」ことを仕事にするポジションです。
その重さと大変さは、
総監督とかテクニカルディレクターとかそんなもんとは比較にならない。
「責任」という一点で見れば、そんな役職は用具係もしくはゴールの白線引いてるバイトの子と同じで、
そんなん何万年やってても監督として、つまり
「責任を負う立場」
として適格かどうかなんかわかりゃしないのです。
もちろん、だからってダメ、って言ってるわけではなく、
どんな名監督も最初は新人監督なわけだから、
育っていけばいい。
ただそれには、運も努力も必要ですが、周囲のサポートが必要です。
てことで、みんなでジーコジャパンを応援しよう(泣)
神様を男にしよう(泣)
ていうか各選手も折角チャンスもらってんだから
せめて大久保ぐらいの元気良さでプレーしてちょんまげ(泣)
クレスポ・ピオホ・ヴェロン・キリ・オルテガ・ソリン・アジャラ……が居なくても
アルゼンチンはやっぱり強く、
アイマールもサヴィオラもやっぱり上手い。
あとCB真ん中のコロッチーニが目を惹きました。
それでも、ウィングを置く3トップ系は当たればとことん強いですが、
安定感はあまりないように思います。
日本ぐらいをこてんぱんに叩くには向いてるでしょうが、
果たして好調時のブラジルあたりとガチンコで通用するフォーメーションとは思えないのですが……
と、W杯の時も思ったんですけどね。
ビエルサさん、理想主義者ですなあ。
攻撃的理想主義者は判で押したようにウィンガーを置きたがるのですが
(4-4-2系でもオフェンシブハーフに司令塔型ではなくウィング型を置きたがる)
あれは一種の浪漫なんでしょうね。
選手達もその浪漫によく応えてると思いました。
トップスピードでいつもどおりの正確なプレーができる。
そしてそれができる選手はまだ日本には少ない。
去年の試合の方がよかったよう(泣)
とりあえずがんばれ〜(泣)
6/7 金子みすゞ姉さん |
いいですよ〜。
常日頃訴えておりますように、
例え書き言葉でもリズムあるとないとで全然違うと思います。
童謡ですので、声に出されて読まれると情景ひとしお。
詩人は不遇に限る、と言うとかなり乱暴ですが、
追い詰められて持たざるを得ない透き通った眼にしか見えないもの、
はあります。
なにもないからこそ持てる空の時間と空の心、
だからこそ感じることのできる小さな小さな波。
着眼点とか観察力とか言われるんですけど、
どっちかというとノイズに埋もれたシグナルを読み取る
センサーの感受性、と言った方がいいような気がします。
何かを見つけようとして見ているわけではなくて、
彼女の眼には飛び込んでくる、のでしょうから。
#アイデアなんかでもそうで、見つけると言うより
#突然沸いてきますよね。
そしてそれをアンプして、幅広い時間と状態で聞かせてくれるのが
詩のような気がします。
よい詩よい詩人とは、もちろんイメージの豊かさ、
小さなシグナルを見逃さないセンサーの感受性も必要ですが、
それ以上に「S/N比をあげる能力」というのが大切で、
みすゞちんはここの点かなり強力だと思いました。
極端にシンプルな表現で、
でもシグナルがガツンとくる。
ダラダラ書く(のが好きな)僕にもガツンとくる(泣)
ただ、いつもどおり余計な一言を吐きますと、
大人向け。
子供の頃には、
いや子供の時ぐらいは!
もう少しパッパラパーなものを読ませてあげたいような気がします。
切なさも哀しさも後からいくらでも学べる物ですので。
いや……なんてこと考えずに最初っから玉石清濁混交で行った方がいいのかな。
どれがその子にマッチするかなんて親にもわかりませんものね。
それにしてもアコースティックなものはよい。
なんでもそうですが、シンプルな物ってゴマカシが効かないので、
より難しいんです。
中華料理屋のチャーハン洋食屋のプレーンオムレツ。
これだけでこれほどのことを言えるのなら、
普段自分のやってるのはなんやねん、とか軽く首を捻ったりもしてみたり。
白い紙束だけ持って田舎を歩いてみるか……
とりあえず人にそんないろんな気持ちを想起させる、
よい詩集でした。
他のも読もっと。
6/7 VAIO TR |
んーとね。
僕の主目的には合わなそうなのでパス……かな?
まだちょっと悩んでいます。
PCWatchに開発者インタビューありましたが、
24時間使うPC
というコンセプトはなくはないと思います。
ただ、それがこのサイズかというと少々疑問。
僕も長年モバイラーやってて小さなPCに愛着がありますが、
でもやっぱりデスクトップの方が明らかに効率のいい作業というのは
いくらでもあって、近年それは増えこそすれ減ってはいないと思います。
CD-R焼きもそうだし、
いくらいい液晶だからって絶対サイズ考えればDVD見るのもそうだし、
CGなんか描かなくてもデジカメの整理となれば大画面の方がいいわけで……
と、普通に考えるとデスクトップ+1スピンドルモバイル機の方が使いよいはず。
それを打破し「24時間PC」と銘打つにはフルスペックに近いパワーが居るのでは?
てな諸々の妥協点を探ると、
A4クラスちょい上ではないかなあ、と。
SONYのラインナップで言うとV505ではちょっと辛くて、できればZ。
ZだったかV505だったかが出た時に
「ノートに光学ドライブは要らんが、
フルスペックを持ち歩くと考えると話は別だ」
みたいなことを書いたと思うのですが、
に、しても下の限界もあるわけで、
コンパクトカー下限というと旧型マーチ、
やっぱり日本式軽サイズではどこかにしわ寄せが来てるわけです。
現在の技術と、使い勝手要求とをなんとか満たせるのは
どうしても12インチ以上の液晶(できれば高精細)、フルサイズキーボードが
必要になると思います。
いいチャレンジだと思いますし、
現にそう使おうと思えばなんとかなるような気もします。
ただ、DVDのために採用されたツルツル液晶は、やはり反射が気になり、
「『オンザウェイで作業』にはさほどの力点は置かれてないな」
と寂しく思ってしまうのも事実。
いかにも汚れてドロドロになってしまいそうな瀟洒なボディカラーといい、
「そこら中に引っ張り出して扱き使う」
気になれそうにもありません。
と、いうことでパス気味。
あと細かい点では
・お馴染み鈍足1.8インチHDDは今回も全ての脚を引っ張っています。
「これホンマにPentium-Mか!?」
採用メーカー総出で東芝のケツを叩こう。
・キーボードは言われるほど酷くはないです。
タッチ柔らかいですが、ベースの剛性はまあそこそこだし、
奇抜なデザインもタッチタイプしてればなんの気にもなりません。
中心線がセンターからズレてるのも、
もともと横長の液晶ですから文字入力時には左側に視点が動いてることが多く、
さほど問題とも思えません。
・薄さについてはうるさくない僕ですが、
それでもちょっと厚いかも。
さすがにここまで厚いと打鍵時に指が疲れるだろうな、と思いました。
チルト用文庫本必須。
・ちょっと高い?
23万円弱。メモリが256なので、増設するともう少しかかります。
内容考えると適切な気もしなくはないですが、
なんとなく「高いな」と思いました。
15万も出せば(出先子機としてさらに適する)MURAMASAが買え、
26万出せば(デスクトップリプレースとして遙かにパワフルな)Z1Rが買えます。
ご自分のPCライフとよくよくご相談の上。
美点としては
・純白のボディは美しい。
・つるつる液晶はDVD鑑賞に限ればかなり綺麗。
少なくとも従来型液晶で観るのとは比較にならない。
たくさんDVDを御覧になる方はポータブルDVD代わりに購入してもよろしいかも(笑)
・軽い。
展示機はバッテリ抜いてあったのですが、
それを考慮しても「え?」って思うぐらい軽かったです。
技術は進歩しますねえ。
こんなところでしょうか。
「惚れた!」とは言えなかったので帰ってきましたが、
「悪くはないな」とも思っています。
そうそう、10.4XGAは平気なながたですが、この1280*768はちょっと厳しいと感じました。
ツルツルと相まって、テキスト作業長時間、というのには向かないかも。
(それでも横に並んでるLOOXと比べるとかなりマシ、
アレと比べると何もかもが「並べて置いてやるなよ」)
うーん。
微妙やなあ。
これが初めて買うノートPCだったら文句なく買い、なんですけど、
スレてるもので……
ちょっと前に今のセリカに乗った時みたいな気分です。
「10年若かったら買ってるんだけど」
さて、割と買う気満々だったので、どこへこの灼けた鉄槌を下ろしていいのか
困っています。
MURAMASAは遅いし、Zはでかいし、X31は「道具!」だし……
もっかいUってのもアレだし、もっかいS7ってのもアレだし……
やっぱりs30でしばらく行くしかにゃいにょにゃにゃ〜……
30万ぐらいしてもいいから1スピンドルB5の
静電容量スイッチのキーボード載せたりした
「ライティングモンスター」プリーズ。
90年代中盤にCanonF1orNikonF3持ってるような、
「おっ!?プロですね!?」みたいな機種。
「出先でなにか書くなら、それ一択」
他の持ってると鼻先で笑われる、みたいな機種……
は、無理ですか、無理ですね。
なんかこう、ステキクッションをバネで保持していた頃の
メルセデスを懐かしむ老人になってきました。
「TP600のキーボードはのぅ、それはもう……」
---
よく「DTで書けばいいじゃん」と至極真っ当なご意見をいただくのですが、
オンザウェイで書く書かないに関わらず、
エエカッコして言えば「物書き専用機」が欲しいのです。
えと、僕の中では、デスクトップ機は普段メモや住所録や落書きや仕事の書類に埋もれ、
ポストイットが貼られ旅行の写真が挟まっててプリクラなんかも貼られちゃったりする、
システム手帳みたいなもんなんです。
それと別に、真っ白のノートが欲しい。
というと気分おわかりいただけますでしょうか。
逆にほえながはずーっとデスクトップで書いてます。
雑多な物に埋もれた中から種とネタを見つけ、
雑多なノイズとシグナルに埋もれながら書くのがほえながなので、
面白いことにノートPCでは書きにくかったりします。
いくらデジタル化が進もうとも、
紙が無くならず本も無くならないだろう、というのは、
この「気分」みたいなものはどうしようもないからで、
FAXもありゃメールもあるのに未だに電報というメディアが生き残ってるのと同じです。
上でライティングモンスターの話をしましたが、
大切なのはそういう「気分」にさせてくれる、っていうところで、
誰しもF1握りしめれば気合い入れて写真撮るってもんです。
お金になりやすいからか、
映像方面にチューニングしたマシンはいくらでも思いつくのに、
文章を打つ方にチューニングした、となると首傾げざるを得ません。
一時期のモバギとか、古の隠れた傑作A5書院とか、
時折ポツポツ出ることは出るのですが。
1000%売れないのを承知で言ってみますと、
本体を厚くしてキーボードのストロークを3.8mm近くに取ってみたマシンとか
どうでしょう。
ピッチはまあもう問題ないと思うので、あとストロークさえ確保できると
かなり違うと思います。
欲と好みを言えば静電容量スイッチで。
分厚い本体にたっぷりの電池を載せ、10時間はフルパワーで走り、
容積で熱を拡散してファンレス・HDDもほとんど音を鳴らさない……
ポインティングデバイスはそれで宗教論争が起きないように3種類セレクタブル。
もちろんキーボードユニットはユーザーにも簡単に取り替え可能、
バッテリのように大型量販店で在庫されており、その日の気分で
英語と取り替えて使うのも簡単……とか。
あ、もうCPUとかHDDとかグラフィックチップとか液晶とかはテキトーでいいですよ。
今、ナウならP-Mの1.3、40GBの2.5インチぐらいで。
45mm厚で1.7キロぐらいあればできますよね?
生産1万台完全売り切りで売価35万だと赤にはなりません?
無理?
1万台は無理かな……TPのアニバーサリーも2000台でたっぷり売れ残ったんですよね。
ん〜。
でもそれを欲しがるプロは相当数居るような……
気がするだけかな、さすがに。
もちろんそれ単独では商売にはなりませんが、
看板というかパンダというか技術誇示というか、
マツダにRX-7ホンダにNSX日産にGT-Rってなもんです。
何も持ってないトヨタが何を吼えようが、
オベ=インチキ=アンダーソン使ってF1に乗り込もうが
スポーツイメージなんてカケラも沸いてこない。
スペックと価格の叩き合いではもう金は動きにくいのは明確なので、
そろそろその辺から攻めていくといいと思うのですが。
まだ早い?
でもそんなこと言ってるうちに
「一番売れてる大型車はハーレー」
みたいな心底情けない日本のバイク業界みたいになっちゃいますよ?
などなど、ちょっと妄想してみました。
1.4キロでロード・オブ・ザ・リングが出先で観れる、
#こう書くと欲しくなってきたな。
それがものすごいことなのは重々承知の上、無粋失礼。
---
【6/9補足】
キーボードレイアウトの左偏りですが、問題は
「パッドの中心は中央なのに、キーボード中心は左寄り」
というところなんですね。
左指届かず右指折れて、パッドが使いにくい。
これは明らかにデザイン上の収まり「だけ」を考慮しての配置で、
言い訳なしの弱点です。
(PCWatchの記事でも認めてましたが)
同メーカーながら、C1XFのポインティングデバイスはなんの躊躇いもなく左寄りについてます。
新作でもZは左寄りです。
実は左右ボタンも違和感があって、
ボタンの下にくぼみがあるのですが、
普通に親指を開くとこちらを触ってしまいがち。
SONYってデザインにお金とエネルギーかけるんですけど、
あくまでインダストリアル・デザインとして最低限守らなきゃならないところは
守ってる信頼感があったのですが……
残念。
マンマシンインターフェイスが割とお気楽にないがしろにされてる機種のようです。
いたく趣味に合わないので、これは買いません。
6/6 魔法櫃 |
「ねーねーりょーたろ、買ってきたよ!」
「何を」
「ふっふっふっふ、これでもう家事オンチとは言わせないよ!」
「だから何を」
「じゃん! 魔法櫃ー!」
「おー。電気釜ってヤツか。
鍋も火も使わずに米が炊けるなんて、科学は進歩するもんだなあ」
「そうだね!
今日はこれで美味しいご飯が食べられるよ!」
「はは、期待してるよ」
夕刻。
「……りょ〜たろ〜……」
「なんだよその鉄人28号のリモコンを盗られた正太郎少年のような
情けない声は。
どうした、またジミーが交通事故でも起こしたか」
「ちがうよー……
お米が炊けないんだよー」
「は? なんだいきなり故障か?
それとも不良品かな?
まだまだ日本の工業製品は……」
「ほらー」
「ああ、確かに……
ってこれ生米じゃないか」
「ほえ?」
「水は?
……っていうかスイッチも入ってないだけど……
あー、やっぱりコンセント抜けてる」
「お水? コンセント?」
「いくらなんでも生米放り込んで蓋閉めればそれがごはんになるなんて
んなことあるわきゃないだろお!?
これは鍋と火の代わりだけをしてくれるもの!」
「うそつきー!」
「何が!」
「そんなの『魔法』じゃないよーーーーっ!」
こんな感じ。
で、遼太郎が源氏鶏太夫人に鼻の下を伸ばしながらこの話をしたところ、
「いくらなんでもそんなバカな人が居ますか」
と一刀のもと一笑に付され、そこまでを誌上に
「だってここに居るんだからしょーがないじゃないすか、ねえ?」
と照れながらライティング、読者に己の幸せを開陳羞恥プレイしてました。
あまつさえ締めは
「こんな嫁ですがたったひとつ取り柄があって、料理。
見てくれはダメだけど美味いんだ、これがまた」
などとおぬかしになる始末。
ご本人はエッセイ苦手と曰い、
事実得意分野以外の書き物は結構窮屈で、
あの内に秘めたる燃える爆炎を感じられないものが多いのですが、
これは面白かった。
やっぱ上手い人は何を書いても上手い。
芸幅の広さに改めて尊敬の念を深くすると共に、
萌え嫁ペルファヴォーレ。
6/5 青い総統 |
「思い立てないけど、吉日」
モチベーションはゼロだけど、
それでも吉日にしていくぞ、
いやなってほしい、
だといいなあ、
というアグレッシブなサラリーマンの姿勢が大変よく出ています。
そんなアグレッシビリティをさらに引き上げ、
いっそヤケクソ気味にしてみてはいかがでしょう。
「思い立てないけど、吉日ッ!」
こう叫んで寮のベッドの上でハイジャンプ決行、
天井に脳天をしたたかに打ちつけ気絶そして遅刻、
ドア開けるなり「すいませんッ!」と頭を下げてみると
「あなたが噂の熱血君ね?」
と新任の美人上司(銀フレームキツネメガネつき)
に鼻先で挑戦的に微笑まれるところから始まるストーリー。
熱血君て。
---
もう一本。
名古屋市にお住まいのポメラニアンの喧嘩相手さん。
「会いたかったよ」に続く下の句。
「ヤマトな諸君」
伊武雅刀さんを思い出すたびに顔が青いのは
我々の世代の良くない癖だと思うのですがいかがでしょう。
青年漫画好きなら目元の涼しい金太郎(CV:高橋克典)が
思い浮かぶやもしれませんね。
子供の順応力というのは素晴らしいと申しますか、
いや、いかに己が長年生きてきて要らないものを
泥水に浸したスポンジのようにたくさん吸収してしまっているかを表す端例こそ、
ヤマト乗組員のあの、矢印が胸に描かれたステキ制服。
あれを子供の頃には
カッコイイ、とまでは思わずとも何の違和感もなく見ていたわけで、
あれを見て恥ずかしく感じてしまうのは
なにか大切なものを喪ってるような気がしてなりません。
味覚の変化はあるとは思うのですが、
毎日食べたいとは思わなくなっても、
やっぱり美味しいハンバーグは美味しくて
美味しいカレーは美味しい。
宇宙船の艦橋というのは形を変えたホームドラマであり、
「スタートレック」は言うに及ばず「バイファム」でも「クラッシャージョウ」でも
もちろん「ガンダム」でも、
外と中との使い分けが物語の緩急になってるような気がします。
「あ〜る」で言えば部室とか。
緩緩だけでも急急だけでものぺーっとしちゃうんですよね、どうしても。
だもので、沖田艦長がお父さん役真田さんがお兄さん役徳川機関長がおじさん役あたりに
類していくと、アナライザーはさしずめタマでしょうか。
あ、別にちゃんとした猫がいたっけ。
それはハーロック?
その伝で行くと総統は一家にいろいろと騒動を持ってくる
隣町の切れ者弁護士あたりでしょうか。
寅さんシリーズだとヒロインと昔なにかあって、最後は仲直りして
寅さん以外みんなハッピーエンド、っていう……
敵役が憎めない、というのは物語に厚みを持たせるのですが、
#その代わりシンプルネスを失うので、
#下手を打つと盛り上がりの力点が揺らぎます。
#終局の達成感が失われて無常観が支配するからですが、
#その無常観自体を作品テーマに直結させると、というより直結することができると、
#非常によい作品になるように思います。
#ヤマトしかり、初代ガンダムしかり。
それにしても青い総統があんなにみんなから愛されるのは、
彼が非常にストイックな人だからではないでしょうか。
側女はべらせてるところもないですし、
趣味といえばどうやらワインみたいなお酒とヤマトの追っかけ。
厳格ですがズォーダーのように傲慢ではなく、
敗れたりとなるや自ら宇宙の大海原に身を投げる潔さ。
ヤマトとの一戦のためだけにプライドを捨て
ズォーダーの軍門に身を寄せるあたり、漢。
(どうもこの辺細かい設定があるらしいのですが不勉強で存じません)
その魅力をさらに引き上げてるのが
伊武雅刀大先生のソウルフルヴォイス。
総統といえば雅刀さん雅刀さんといえば総統、
二人は一つ二人で一つ、
お互いがお互いの魅力を高めていると思えば、
多少思い起こされる時に顔が青い確率など無問題。
役者に当たり役は、例え一生それに縛られる羽目になろうとも、
路上でマークと呼ばれずルークと呼ばれようとも、
死んだ時に「いい役者さんだったけど、なにやった人だっけ?」と言われるよりは
百倍いい。
「んっふっふっふ……
会いたかったよヤマトな諸君」
「お前は間違っている!」
久しぶりに聞きたいなあ。
ボックス32800円か……
6/4 ベタ足騒動 |
もともと手のひら足の裏から大量の汗を掻く人で、
いわゆるベタ手ベタ足です。
これは手掌多汗症というれっきとした病名があるらしく、
重症の方になるとほおっておいても水になってしたたり落ちるほどの汗を掻かれるそうです。
それほど劇症の方にはETS(胸腔鏡下胸部交感神経切除術)などがあるそうですが、
僕はそこまで大変ではないので、子供の頃からこのベタ手ベタ足とつき合っています。
割と不便は不便で、いつもPCのパームレストは
変な色の汗がついてます。
キーボード打ちはまだいいのですが、
「紙になにか書く」
のはもっと大変で、紙自体が汗を吸って歪みますし、
鉛筆などですと擦れて真っ黒になります。
さらには油っ気と水っ気が紙に付着するので、
消しゴムを掛けた時に例の「ずりっ」っと取れない真っ黒になる可能性が高くて。
しょうがないので試行錯誤のあげく、
「磁気カードをトレカ用スレーブに入れた物」
を手置きとして使っています。
ティッシュでは1時間も、厚紙では1日も持ちません(笑)
磁気カードそのままでもいいのですが、
表面は印刷の関係か滑りが悪く、裏面はその銀色や黒の磁気部分、
あるいはそこに印刷されている文字などが落ちやすく、
紙の方にゴミとして写ってしまうことがしばしばあります。
磁気カードはなんでもいいと思いますが、
厚みやしなりで微妙に好き嫌いがあると思います。
薄すぎると頼りなく、折れ・曲がりが起きやすいですし、
厚すぎると微妙に手先と紙との距離に違和感を感じます。
(こんなコンマ何ミリかが気になるんだから、人間の感覚というのは恐ろしい)
僕の常用は大阪市営地下鉄のレインボーカード。
もちろん使用済みです。
トレカ用スレーブはカード専門店で50枚200円とかそんな値段で売られてますので、
汚くなったら使い捨て。
ベタ手の方は各々いろんな工夫をされてると思いますが、ご参考までに。
で。
ここんとこなんだか特に酷くて、
何気なくフツーに生活してるだけで時折気持ち悪くて我慢できなくなり、
タオルを絞って拭き取るほど。
そしてこれがまた茶色になるぐらいドロドロが取れてしまう。
「ああもう俺も終わりか」
死因が多汗症というのも極めて派手な死に方だなあ、
などと鬱々していたのですが。
昨日ハタと原因判明。
最近、ウチのごく近くで病院をおっ建てるという大工事やってるんです。
僕はおばあちゃん譲りの換気マニアで、暇があれば窓を開けています。
真冬でも2-3時間に一度は開けずにおられず、
真夏でも朝方には開けずにおれません。
要するに粉塵が飛んで家中にまき散らされ、
それをベタ足で歩くモノだから全部拾ってドロドロになってたんですね。
解決は簡単、
部屋の換気を朝か夜の工事してない時間帯だけにすればいい。
判ってしまえば何事も実に簡単なことですが、
判らなければ軽く悩んだあげく
「病院へ行った方がいいんだろうか」
と思ってしまったのも事実です。
健康関連のみならず、身の回りには
「判ってしまえば簡単なこと」
がゴロゴロしてるはずで、
原因がわからない細かいことにクヨクヨしててはいかんなあ、と反省しました。
と同時に、
短絡的に力尽くの外科的処置に走るのではなく、
できれば原因を突き止めて、
それに応じたスマートな解決法を取る努力も怠ってはいけない、とも。
真実は大抵、びっくりするほどシンプルです。
6/3 「Maxtor」のHDDでございます 2 |
いや正確には壊れかけと申しますか、
不良セクタが山のように出て当然のようにそこのファイルが粉砕されており
もう二度とああ永久にデータ戻ってきません。
テネのファンブックをめくりながらRoutesのサントラでもmp3にしようか(宣伝)
どれどれ、保存はこのドライブのこの辺に……
……
……あれ? アクセス妙に遅いな?
あれ?
あれあれあれ?
なんで返ってこないの応答が。
……あれ?
「I/Oエラー」
ライター冥利幸せ気分から一転の地獄落ち(泣)
ノートン大先生に見ていただいたところ、
ともかくズタズタになってるらしく8時間ぐらいかけて断片をサルベージしてくれました。
また絵に描いたようなマーフィで、
一番残ってて欲しいところがなにも残らず、
一番どうでもいいところが完全に無事でした。
購入は今年1月@梅ップ、
モノはMaxtorの6Y120L0 (120GB・2MBキャッシュ)。
そう。
家庭用PCのスレーブHDDという恵まれた環境にありながら
駆動わずか5ヶ月で引退を直訴する根性無しHDDは、
「Maxtor」のHDDでございます。
もう一度言います。
「Maxtor」のHDDでございます。
ちなみに「Maxtor」のHDDと申しますと、
僕の知ってるライターさんが使ってたHDDも
「たった5週間でこんなに綺麗に」
ぶっ壊れており、
明日は我が身桑原桑原和男和男とは思っていたのはいたのですが、
さりとてたくさんのデータを全部コピーするのも、DVD系の円盤ドライブを持たない私には
なかなかの難事でございまして、
「まあ爆弾の落ちた跡には爆弾は落ちないだろ」
などと長征中完全にハイになりきった沢東さんが空襲中に陣地から飛び出して側近が大慌てで止めても「俺のいるところには爆弾は落ちへんねやあ!」と絶叫したらしくこれが後世の無茶をして「ここで死んだら俺はここまでの男だったってことよ!」な話の頂点みたいな話なのですがもちろんそのカッコイイセリフを吐きながら死んでいった「これまでの男」達もたくさんいたはずであり人間ヤッパリ無茶はいかんと思うのですがどうでしょう?
すいません混乱してます。
慌ててノートン先生に応急処置を委託したままHDDを買いに行ったのですが、
パーツ見てるとあまりに情けなくて新型VAIOWかなんか買って帰りそうになりました。
メーカーPCだと壊れてメーカーに文句を言うのもOKだと思うのですが、
パーツだとそのパーツを選んだ自分が馬鹿っぽい感じがしませんですか。
事実数ある(つっても3つか)HDDメーカーの中から「Maxtor」の
もう一度言います。
比較的恵まれた環境にありながら5ヶ月で壊れたHDDは
「Maxtor」のHDDでございます。
HDDを選んだのは僕自身なのですから。
多分にオカルトですが
個々人々と特定メーカーとの相性というのは絶対にあって、
アルファロメオでも相性のいい人のはまるで壊れず、
メルツェデスでも相性悪い人のはもう二度と買うかと誓うほど壊れる。
しかし僕もいろんなメーカーのいろんなジャンルの工業製品を買ってきてますが、
ここまでミッションクリティカルブロークンを短期間で・しかも連発されたのは初めてです。
ご存じの通り故障というのは初期不良の山を乗り越えれば後は
想定寿命まで低率のまま微増、しかる後に徐々に増大……
という曲線を描く「はず」なのですが。
HDDの製造工程についてはぜんっぜん無知なんですが、
エージングとかもしやってるとするなら、そこがスッポリ抜けてるロットがあったりするのかも。
あるいは検査過程にどこか致命的欠陥があるとか。
まあなにをどう呻いてもなにも戻ってはこないのですがー(泣)
P0が壊れた時点で慌てて何らかの策を講じるべきでしたー(泣)
やっぱりDVD-R系を一台買うかー(泣)
ドロナワにも程がある……というより、もう消えちゃったから要らないのかー(泣)
全部忘れて前へ歩け、という神様の教えかなー(大ちゃん涙振り子状態カーンカーンカーン)
もう一度言いましょう。
比較的恵まれた環境にありながら5ヶ月で壊れた根性なしHDDは
2MBキャッシュ・120GBの容量、コストパフォーマンスの高さで今も店頭の人気商品
6Y120L0、そう、
「Maxtor」のHDDでございます。
6/2 おめでとう |
椅子の上で腰が抜けそうに驚いて、
いろんな想いと感情が泡のように湧いては消え沸いては消え、
どうにも落ち着いていられなくなって夕暮れの公園を歩きました。
すると、ふと、
この言葉が浮かんで、
輝いて、
他の全部が消えて無くなって、
これひとつ。
「言葉」のもつ力に今さらながらに驚きながら、
こんな普通な言葉しか思いつかない、
しかもこんな普通な言葉思いつくのにこんなにも時間のかかる自分をちょっとだけ嘲笑いながら、
でも、その普通の言葉をちゃんと思いついた、
そしてその言葉が充分な力をもっていた自分にちょっぴり微笑いながら、
歩いて街へ出ました。
いつもより、とりわけ人々の顔が、輝いて見えました。
なんだかヤケに嬉しくて、お酒が飲みたくなって、
でもお店だとうずうずしそうで、
ビール買って帰って一人で祝杯をあげました。
あの頃よく飲んでた、スーパードライ。
あの頃と同じようにいくら飲んでも飲み足りなくて、
あの頃と同じように、ちょっぴり苦くて。
想い出になった想いがおつまみで、
こいつもまたちょっぴり苦くて。
でも、笑っていました。
時は、なんでもかんでも宝物にしてしまいます。
あなたと、あなたの小さな娘さんに、
幸せがたくさんたくさん降り注ぎますように。
おめでとう。
6/1 草鍋 |
ものは至ってシンプル。
シロ菜(大阪菜)・ニラ・もやし・春雨・豚肉・豆腐を
水、いやさすがに水てこたないか、ごくごく薄味ダシで炊いたお鍋です。
付け汁もお醤油を茹で汁で割ったものに、好みで辛子を混ぜるというシンプル度合い。
あのねえ。
美味しいのは確かにかなり美味しかったんですけどねえ。
「家でもできるのでは」という疑問が……
例えばお醤油でも陶の醤油差しに入った濃厚なもので
「む?これは湯浅?それとも大野?」
などという小洒落たものではなく、誰がどう見てもキッコーマン。
(いやキッコーマンが悪いゆうてませんよ)
家でやらないのはただ単にこんな野菜ばっかの鍋を出しても不人気だからでは……
一度まま上に訴えてみて同種のものを作ってもらいます。
はてさて、同じぐらい美味くならなければ何かの秘密があるってことで。
うーん。
無論横にいたのはウチ(といえばミラクルズ)のありすのような
きゅ〜とな女子高校生などなどではなく、燃える札束火の車炎の銀行男okbちゃん。
二人でただ黙々と鍋をつつき、
店の大将&おかみさんと
「大阪懐かしばなし」
で盛り上がるというなんともはやな展開。
飛田新地は昔は高いコンクリの塀で囲まれていた、とかなんとか。
「そら昔は華やかでしたで!」
「ほ〜〜〜〜〜」
お兄さんアムステルダム飾り窓は行ったことあるけど飛田新地は未経験。
ちなみにエッフェル塔は登ったことあるけど東京タワーはありません。
スノッビー?
そんなことはどうでもええねん。
でもとてもアットホームなお店で楽しかったです。
お値段も雑炊込みビール2本+してわずか5100円。
場所が九条とちょっと行きにくいのが玉に瑕。
「冬の方が美味いんですけどな!」
と正直に吼える大将と、
純和風店内に輝く茶髪を
「フランス生まれですか」
などと余計な誘い水を垂れ流してみたら
「コロンビア大学出やねん」
などと微妙にナウいボケで返してくれるおかみさんに会いたい方はぜひどうぞ。
地下鉄九条徒歩3分、店の名前は
「小川下」(こかげ)です。
6/1 日韓戦 |
守備が安定してきた!?
どこをどう見てそんな評価がくだるんですか!?
前の2-3試合との相対評価なんかなんの意味もありませんよ。
我々はサッカー先進国ではない。
W杯予選リーグの守備と比較すべきであって。
・秋田は(とりあえず・少なくとも・「今は」)ダメだ。
・両サイドバック(服部と奈良橋)も(とりあえず今のところ)ダメだ。
秋田はまあしょうがないとして、
両サイドバックには負担をかけすぎだと思います。
古き良き時代のサイドバック、積極的攻撃参加が許される4バックなんてのは
今や世界中探したってレアル・マドリードぐらいのもの。
本家本元ブラジル代表だってW杯では守備専任3人の3バック、
こないだのチャンピオンズリーグ決勝では天下のユヴェントスが
左サイドバックにCBのモンテーロを起用する始末。
サイドアタック全盛とそれに合った良質のウィンガーの大量出現で、
現在は4バック4枚とも守備専任でも守り過ぎとは言われない御時世です。
攻撃的と言われるリーガでも、サイドバック攻撃参加、というと
ホントに一発スペースを突く必殺の形か、
もしくは真上の攻撃的MFがしっかりサポートして万全の形で駆け上がるか、
じゃないですか。
失点シーンの奈良橋のポジションが象徴的なんですけど、
「いや、意図はよくわかるけどじゃカヴァーは?」
って小笠原も遠藤も秋田も誰もそこへ行ってない。
その博打を打つ奈良橋を責めるべきなのか、
博打を打てと命ずる監督を責めるべきなのか、
保険を掛けないその他の選手を責めるべきなのか、
それはよくわかりませんけれども。
後半の韓国が中央と両サイドにうまく散らして攻撃を組み立ててるのに
対して、何もあんなに性急にサイドバックを上げる必要があるのかというとかなり疑問。
もっとぺっちゃり引かせていいんじゃないかなあ。
4バックの利点はWBとトップ下に負担の集中する3バック系と違って
個々人々の役割がはっきりしてるところにあると思うので、
・あの二人で行きたいならもう原則上がらない
・古き良きオフェンシブ4バックで行きたいなら
三都主を左サイドバックとか、松田を右サイドバックとか、
そのぐらい無茶苦茶な選手起用をして、殴られたら殴り返す
のどちらかだと思いましたよ。
考えてみれば小野の左WBとか浩二の左DFとか、
頭沸いてんちゃうかと思うほどむちゃくちゃですからねえ。
結果さえ出れば手段は正当化されるものです。
中田・小野・俊輔・高原と落ちてるカードは確かに巨大ですが、
残ってる面々だって非常に優秀なメンツ、
ヒディングのいない韓国ごときにあそこまでええようにされるのは
ちょっとどうでしょう。
と、いうか、
あそこまで対戦相手に意図を押しつけられて右往左往する
日本代表を久しぶりに見ました。
5点獲られたフランス代表戦以来かな?
結果よりもなによりもそれがかなり悲しかったです。
なんかここ何年かで積み上げてきたものがガラガラと崩れたみたいで……
キリンカップでは、結果はともかくとして
意図押しつける日本代表
が観たいものです。
あ、あと潤一や。
帰っておいで。
おかあさん待ってるから。
できれば能活も連れて帰ってきて。
やっぱりたとえ低いレベルでも生活とプライドのかかった真剣勝負の方が、
どんなに高いレベルでも練習とベンチ生活よりも得るものが大きいような気がします。
これも結果論かもしれませんが……