吼える! ながたさん!

おもいつくままに、随想随筆。

8/31 いつまでも買えない。
さて、この8月からスタイル変えてみたほえながですが、
いかがでしたか。
慣れてみれば特に困ることなかったので、
しばらくこのまま行ってみようと思います。
やっぱり、改行は電子メールタイプになりましたが。

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今日はノートPCの堂々巡りについて。

個人的な思い入れがあって、ノートPCは常に一台欲しいのです。
「外でテキストを打つ」
ものすごい基本中の基本、んなのできて当たり前だろう、
と思われがちですが、
サッカー選手必ずしも足が速いとは限らないのと同様、
これがやりやすい機種というのは実はひっじょーに少ないのです。
簡単に言うと、
満艦飾デスクトップリプレースタイプになればなるほど、
ウェイトが重く嵩張り電池が持ちません。
VAIO Uのような特殊ミニノートタイプになればなるほど、
「テキストを打つ」のがどんどんストレッシブになっていきます。

前者をクリエーター、後者をビューワーと仮にしましょう。
クリエーターで最軽量なのがパナのT2で、12インチA4タイプにも関わらず
1070g、電池もカタログで5時間、というよくできた機種です。
ところがコイツ、悲しいことにキーボードがダメなんです。
人によってはOKかもしれませんが、上下幅狭くて、
親指がスペースバーにかかりにくいなど、違和感大。
(それより小さいR2よりはかなりマシですが)
で、じゃあ、とキーボード大事にするとやっぱThinkPadだろ、となって
X31。
ところがこれが実に1.64キロ。
例えば535シリーズが1.7キロあった昔に比べれば……とも思いますが、
しかし50%ものウェイト差は、少々の堅牢とかどうとかで納得しにくい。
諸説ありますが、
「ふと持って重く感じないボーダーは1.3キロ」
という話もあり、確かに経験としても、
全備重量で1.2キロばかりのC1XF(Lバッテリ)と、
1.45キロを超えるs30では、たったそれだけの違い、
CDウォークマン一台分の違いなんですが、
ハンドリングが全然違ったように思います。
このマジックナンバー1.3キロを切ってるか切ってないかは、大きい。

SS/S8もいいマシンで、軽く使いやすいのですが、
あれは標準状態ではバッテリがまるで持たず、標準添付の中容量バッテリを
(インターリンクとかもそうなんですが、2個目のバッテリを添付
 せざるを得ない/したくなるような設計は、少しおかしいと思います。
 トランスポータブル時(ACは会社と家二つ)の薄さ軽さ、とか言われても
 うなずきかねます……)
をつけると、
平凡な佇まいとスペックのマシンになってしまいます。
これならT2かX31のどっちかがいい。

「よしわかった。
 もうテキスト打ちは(半分)諦めよう。
 ビューワーだビューワー」
と思うと、Uはさすがに厳しいとしても、MURAMASAがあって、
これなら1キロ。薄いし、キーボードも普通についてて、
クルーソーであること(遅い)さえ我慢すれば……
と、横を見ると、同じ1キロで、充分速いPentium-M搭載、
R2/T2兄弟がいるわけです。
「ビューワーとしてもこっちのがいいじゃん!」
と触ってるうちに、
「やっぱキーボードがなあ……」
で、以下ループ。

持ち歩きたいのはなぜかというとどこでもテキストを打ちたいからで、
でも、どこでもテキストを打つためには、
どこでも持ち歩ける軽さ小ささがいいんです。
デッドロック〜。

1キロのThinkPadか、キーボードのよいT2が出ればそれで万々歳なんですけどね。
たったこれだけのことが上手くかみ合わない。

いつの日にかよいものが……
といっても、ちょうどDothanというPentium-Mの新コアが
延期になって、年明けぐらいまでドカッとステップを上がることは無さそうです。
ちょうどTransmetaにも新型CPU、Efficeon(イフィシオン)があり、
これがかなりよい性能らしくて、年末から来年にかけて出てくるとか……
つまり、あまり待ちすぎてももったいない。
しかししかし、10月からリサイクル法が施行されるので、
9月に各メーカー駆け込み新機種があるだろう、という観測もあり、
事実上記R2/T2などは生産終了なんですね。
たぶんこのタイミングでは、わずかなスピードバンプと
せいぜい標準メモリ量アップ程度でしょうけれども。

もうちょいだけ待つか……

2.1キロある、キーボードへにょんへにょん、トラックボール壊れてマウス必須の
Duoをどこに行くにも、
鞄すら父に貰って運んでいたことを考えると、
なんといい時代なのか、といつも思うのですが、
その時代時代でも常にいい目を見たい、というのが人間の欲深さです。
と、こんなことを考え出すと、
「いや、室内可搬でいいのならVAIOのZという手がある」
と、またワケのわからん方向へ突っ走り始めるのです。

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なぜノートPCが好きかといいますと、
デスクトップは「向かうもの」、
ノートは「ついてきてくれるもの」
という印象があるんですね。
たとえば、疲れて姿勢をちょっと崩す。
ノートならきゅっ、と全体を動かせば作業続けられますが、
デスクトップはそうはいかない。
この、ほんのちょっとした融通が効くか効かないか。
ワガママなもので、そこが必要以上に使い心地の印象を変えるんです。

そうそう、昔から、そう中学生の頃から、私、
机の上で勉強するのが苦手な人だったんです(笑)
台所の机の上だったり、図書館だったり、
とにかくもう「机に向かう」ことそれすなわち心理障害。
そんな時、ノートPCは、文字通り大学ノートと同じ、
どこにいても辛抱強く、私がその気になるのを待っててくれます。
で、そのつもりになった瞬間、道具として働いてくれる。
そこが可愛い。
だもので主戦ノートPCがぼろんぼろんのs30という今の状態は、
クルマ好きが3回目の車検を超えた走行10万キロのクルマに、
「買いたいクルマ無いけどクルマ買いたい〜」
と言いながら乗ってるような感じです。
ほら、こう聞くと「じゃ我慢すれば?」と言いにくくなったでしょ?(笑)

でも、今回の悶えは長いなあ。
SS/S5売ってからずっとですからね。半年。
いや、その前のs30もかなり妥協を重ねて使っていたから、
C1XF以来となると……2年半かー。
寂しいものです。
XFは発売日の朝、買いに行きました。
そういうびびっと来る新型、お待ちもうしております(泣)
いや本当に(大泣)
仕事にさえ差し支える(号泣)
つまりは人生にさえ(倒泣)


8/30 則天去私
漱石先生が龍之介兄さんに宛てた手紙
(例の「二三十並べてご覧なさい」で有名な激賞の手紙)
の全文を読んで、新進への暖かな気配りにちょっぴり心打たれ、
「そうだ、漱石先生はやっぱり全部読んどかなきゃ駄目だろ」
と思い、抜けている「彼岸過迄」を手にして……

めんどくさ……

いや。
僕はマイフェイバリットをオールオールで5つ上げろと言われたら
「こころ」を必ず入れる漱石ファンですよ。
でもね。
薫りが違うのですよ、薫りが。

と、思うに、違った薫りのするものを創り、しかもそれがどれも一級品だ、
というのは空恐ろしいことです。
同じ味でずーっと良、というタイプならかなり普通にいらっしゃると思うのですが、
こういうタイプは稀。
パッと思いつくところでは、他にビートルズとか、ピカソとか。
どちらがいいとか悪いとかではないのですが、
スゴイな、と改めて感心。
しかしまあ、好きな匂いがしないのなら、
とりあえず無理をして読むこともあるまいと、
代わりに田中エキス先生の「幼なママ」を手にしていました。

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漱石先生の素敵なところは、
平易簡明な文章で、それでいて「可笑しみ」があるところ。
これがなかなか、書けたもんじゃござんせんよ。
笑わせるためにギャグを混ぜる、
それはまあ、やろうと思えば誰にでもできることです。
(当たりはずれの水準は別にして!)
しかし、積極的に笑わせるつもりでもないのに、情景や心情を描写すると、
読んでる人間の頬が緩み、あるいは「ブッ」と本当に吹いてしまう、
それには、観察の愛情と、表現の愛情。
優しさを、丁寧な技術で裏打ちして初めて生まれる魅力ではないかと
存じます。

文章でなくても、絵でも音楽でも甘いのが好きなのですが、
それはこうして、作り手の優しさがよりダイレクトに伝わってくるから、
かもしれません。

しかし一面。
可笑しみは悲しみと表裏一体かもしれません。
大いなる所業が無為に終われば、人は泣きます。
しかしそれ自体を鳥の目で見れば、
その惑いや絶望に立ちすくむ姿、あるいはそれを乗り越えて行こうとする
意志と努力――悲しみを背負った――こそ、
可笑しみを生むようにも思います。
巣穴から出る蟻の行く手を塞ぐような。

甘みは確か、濃くしすぎると苦みになったと思います。
銅メダル!すごい!
だからなんやねん。
直結するだけに、すごく難しい。
ケーキ屋さん、でも勝負は美味さです。
見てくれでも、甘さでもない。
そこの匙加減を操れるのは、やはり達人ばかりのような気がします。
基本は控え目なのか、
控え目と意識するうちは駄目なのか、
そこはまだよくわかりません。

宮本武蔵の「五輪書」に、
「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす。
 よくよく吟味あるべきものなり」
とあります。
1000日はともかく、1万日というと27年ですよ。
生きてるかな……という感じですが、
まあ、ただそうやっていくしかありますまい。
則天去私は遙か彼方。

というよりも、まだ「私」にへっぱりついていたい気分がいくらかあります。
「私」無しで何ができようか……
という不安が主なのですが、
しかし鑑みれば、実につまらん私しか持っておらず、
どっこいどっこいな気も、最近はしてきました。
微妙です。
天を受け入れそのままに描くには器があまりにも小さすぎ、
私を前に押して叫び暴れるのはさすがに「あちょっと違う」とは思っています。
ですが作り手ならば、そうした矛盾には常に晒されているのではないかと推察され、
事実漱石先生は胃をぶっ壊しているではないですか。

しかしもうちょい楽に行きたい(笑)
パティシエたるもの笑顔の方が絶対いいではないですか。

それをも、これをも去り果てて、
ただ無心でキーを打つ……
その結果が笑みになる。
それがよかろうと思いますので、それを続けていきたいです。

非常に簡単なことのようで、
これがどんどんどんどん、
日を追うごとに、難しくなっていきます。


8/29 本捨て袋
スーパーウェポン初体験。
世には
「新聞・雑誌リサイクル用ビニール袋」
(正確にはたぶんポリエチレン袋)
というものが売っており、これを初めて使ってみたのです。
いやもう、ヨダレ出るぐらい便利。
発明した人にノーベル賞あげたいぐらい。

ほら、本捨てる時って縛ってたじゃないですか。
ところがタダでさえ非常に面倒かつ力の要る作業、
その上サイズ揃えて、しかもキッチリ縛らないとほどけてバラバラになる。
代案としてガムテープで巻いちゃうというのが知恵袋的にありますが、
あれは「持つところがない」という弱点があって、一般的ではありません。
企業なんかで台車使えて大量に出す場合のみ、ですね。
ところがこの袋なら、
何も考えず上からバサバサバサバサとつっこむだけ。
(量だけは適当に加減しないと重くなりすぎますが、
 でもちゃんと、目一杯入れても成人男性ならなんとか持ち上がる
 サイズになってます)
何のことはない、ちょっと厚手で、
底がA4強ぐらいのサイズに展開する折り方されてて、
上辺が強化されてて持ち手がついてる、
ただそれだけなんですけど、
それだけでもうこんなに便利に。
これは使ってみないとわからない喜びです。

ご家庭の主婦の方ですと、以前から新聞のおまけなんかで、
このタイプの「新聞回収袋」が配られてるので、よくご存じかもしれません。
ですが男性のひとり暮らしなんかですとそういう情報もなくて……

と、ここまで書いて
「あ、こんなものを使えるのはゴミ回収に極めてルーズな
 大阪市だけではなかろうか」
と気づきました。
まあ、他にもルーズな地域はあると思いますし、
あと一時保存や簡易管理などにも工夫次第で使えそうですので、ご参考までに。

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イエロ先生がカタール年金リーグのアル・ライャンというチームへ行くそうです。
ちなみにここ、今季のセンターラインが下から、
イエロ - バスラー - エッフェンベルグ - バティストゥータ
というバブル期のJリーグでもありえないラインナップ。
30%早送りで観ればレアル・マドリードにだって負けません。
ゴルフではシニアツアーが面白いと申しますが、
このチームの試合だけなんとか観れないものでしょうか。

未だ恐るべしオイルマネー。
そりゃ戦争も起きるわ。

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妙なものです。
昨日は風邪をひいてズルズルでした。
できることが少ないからか、一日が非常に長い。
「まだ(朝の)11時か!」と泣きそうになったものです。
今日は普通です。
すると、あっと言う間にこれを書く宵の口になりました。
ちゃんと過ごせているのか、
ただ勢いと熱に任せて蠢いているだけなのか、
少し不安になりました。
子規が病床で最期まで歌論に励んだことを思い返すに、
制限があると、「なにができるか」という根本を考え直して、
「まずは、なにをするか」という優先順位付けがやりやすい。
結果、普通に万全であるよりも上手く事が運ぶことさえある。
よくできているというか、面白いものです。

明日は頑張るぞー。


8/28 雑感
昨日から風邪で。
不順な天候と気合いの足りない自分に勝手に憤ってます。
きー。

永田和久の機嫌が悪い時というのは90%ぐらいは非常に物理的で、
腹が減ってるか喉が渇いているか風邪をひいてるか眠いか、
どれかです。
そういう時にTVなんか観てるとムカつくことがてんこ盛り。
なら観なければいいのですが、
頭痛くて鼻水垂れ流しで眠気もない、そんな時には他にすることがないのです。
そして情報番組で、レポーターの若手木っ端芸人が、
スタジオの著名人におべんちゃら言ってるのを聞いて思わず
使用済みネピアを画面向けて投げつけたくなり。

ミスとかギャグ滑る、それはしょうがないと思うのですが、
見てる者をないがしろにする
というのはプロとしてあまりにも恥ずかしい行為だと思うのですが、どうでしょう。
出演者同士の弄り合いも芸だと思える80年代育ちですが、
それはあくまでも場、つまりは番組が面白くなるであろうという目算の上に
立ってなされていて初めて許される、と思います。
(トーク番組なら相手のせていく手練手管の一つと考えられなくもないですが)

熱っぽい頭で誇大妄想膨らませますと、
単純な質の問題ではなく、また「躾」みたいな問題でもなく、
要するに「そっちの方が利がある」と思うからこそ走る人が多いのかもしれません。
中川家は漫才が面白くて、どうしょうもないバラエティで
全体の数パーセントをひな壇の後ろの方で受け持つより、
5分なら5分、舞台を独り占めさせた方が絶対に人類に貢献してると思うのですが、
そうはさせてはもらえない。
(「して」ないのかもしれませんが)
それは、そっちの方が利……チャンスとかなんとか小綺麗な言い換えをしても
とどのつまりの結局は
カネ
に繋がるからですよね。
前述の例で言うと、視聴者に向けあるいは番組作りに貢献するより、
著名人の覚えよろしくした方が「いい」と判断されてるわけですよね。
それはこの先の無さそうなその芸人さんだけが悪いのではなく、
社会全体がそういう空気の中で動いているからで……

ま、最近はそうでもない人も、多いようなのですが。
逆にこうして、生でそういう人も、多いような気がします。
ギラギラすりゃいいってもんじゃなくて、それは芸に対してやってください。
なんのために芸人やってんのか、
もいっぺん考えなおさはった方がいいように思います。
カネ稼ぐだけなら、一番向いてない職業だと思いますよ。

しかし下手をするとこの世代だと、
「友達笑わせてそれが例えようもなく愉しくて、なれたらいいかな、なんて思った」
経験も無いのかもしれません。
別にそれは、例えばクルマメーカーの社員がクルマ好きと限らないのと同じ、
どこにでも見られる風景といえばそれはそうですし、
そもそもアイドルとかならもう随分前にそうなっちゃってる気もするのですが、
芸人までマスプロダクション化が進まなくても、と悲しくなりました。
それが東京の番組なら何も言わないんですが、
大阪局制作の番組だったもので。

あまりにあまりだったので中身は少々気になってたのですが
チャンネル変えました。
すると、例の大量殺人犯自身が「控訴はもういい」と言ってるのに、
弁護団が説得するとか、まるっきりワケのワカランニュースが飛び込んできて、
本格的に混乱しました。
それは、どゆこと? だれのために、なされることなの?

世の中は、よくわからないことだらけです。
竜之介兄さんの遺言は「ただぼんやりとした不安」でしたが、
あのクラスの天才になると、よいこともたくさん見れる代わりに、
わけのわからないことも、目一杯たくさん見れちゃったんでしょうね。
ほんの少し、そんな気分もわかるようなわからないような。

焼酎呑んで寝ます。


8/27 久米さん降板
久米宏さんがニュースステーションをお辞めになると聞きました。
ここ数年とんと見てなかったんですけど、残念です。

なぜ残念かというとながたには「7つの野望」というのがありまして。
その一つに
「ニュースステーションに出て久米さんの隣に座ってみる」
というのがありました。
何で出るかは問わないんですが、とにかくあの番組が始めた(と思われる)
横の席からゲストにツッコム
というスタイルで、しかも久米さんの、聞いて欲しいような
聞いて欲しくないような微妙な質問に被弾してみたかったんです。
んで、困ってはにかみながら頭なんか掻いてると、ジングルがなってCMへ。

我ながらどうしてそんなことを希望してしまっているのか考えますに。
ある時期、あの久米さん横のゲスト・シートは
「日本一晴れがましい席」だったのではないかと思います。
20%を悠々と超える視聴率、中学生あたりからお年寄りまでまんべんなく、
(視聴者側の)思想信条好み的な偏りもほとんどなく、
ほぼ全国の人が見ている番組。
そしてあの番組の性質、ニュースでありバラエティでもある、というスタイルから、
ゲストに求められる姿がまた、
タテマエとホンネの中間
といったあたりだったのが好ましい。
他の報道番組のように営業の顔をせずともよく、
他のバラエティのように愛嬌を振りまく必要もなく。
誰もが見てるその場で、フツーに過ごす。
それというのは一体どんな気分なんだろう、
という好奇心からのようです。

目立ちたいだけなら、「アカデミー賞授賞式」とか他にいくらでもありますし、
例えば企画物で久米さんとトークする「最後の晩餐」などもありましたが、
そういうのじゃなくて、「あの番組で、あの席で」というところに魅力があったように
思います。
それはやはり、あの番組と久米さんが作り上げた一つのスタイル……
一時代、と言い切ってもいいのかもしれません。
空前の好景気と空前の不景気が一セット回ったところで
久米ステーションの幕が降りる、
というのは、なんだかよくできすぎてるような気もします。

「今起きてる現実は、めちゃめちゃ面白い」
という事実を積極的に気づかせてくれた点で、
実に画期的な番組でしたが、反面、
特にTVという媒体自体を、何といいましょうか
「即興至上主義」みたいなところへ
導いてしまった元凶でもあるように思います。
(Nステ自体はきっちり作り込むコンテンツに非常に力を入れてましたが、
 そういう「地味な努力で美味しくなってる」という事実にはみな目をつぶるものです)
CNNの勃興などとも被りますので別にNステだけの罪でもなく、
むしろ時代がNステを生んだとも言えますが、
とにかく結果として導かれたこの流れの中で、
「ま適当にアドリブで」
みたいな、作りも考え方もいい加減な、
文字通り「見るに堪えない」コンテンツが溢れかえってしまい、
急速にこの媒体の価値が落ちていったように思います。
(95年以降はインターネットがその背中を突き飛ばすのですが)

#ま所詮は媒体ですから、本来フラットなもので、
#「そこから出た情報だから」とプラスポイントを与えるのが
#そもそも間違っているので、今のように
#「TVの言うてることやからな」と眉唾姿勢を持つ方が正しいのかもしれません。

しかし考えてみれば。
久米さんが休みを取った瞬間面白くなくなる、
ニュースステーションという存在自体が、
「見せ方」
に踊らされている自分自身を思い出させてくれる、
いいよすがだったのかもしれません。

政治にしても経済にしても、
あるいは教育にしても環境にしても治安にしても国際交流にしても、
本当は、我々は、
リビングでニュースステーションを観ている立場ではなく、
ニュースステーションで報じられる立場です。
我々は、観客ではなく、主人公。
その行動一つが、小さいけれども、少しずつ社会を動かしている。
ニュースは本来、楽しむものではなく、
それを元にして、知識にして(疑似)体験にして、
いかに行動していくか、アウトプットしていくか、
その素材となるもののはずです。
ステーションを見てグダグダ言ってる暇があったら、
せめて投票には行こう、とか。
牛乳パックを開いて洗って乾かそう、とか。

なんのことはない、久米さんの横に座ってみたい、
という欲求は、若かりし頃ピュアだった頃、
「はやく社会に関わっていきたい」
と願った、その裏返しだっただけかもしれません。
見てるだけじゃなくて、見られる方へ。
やっぱり子供だったなあ、と思うのは、
そんな晴れ晴れとした場にわざわざ座らずとも、
久米さんのツッコミを受けなくとも、
社会の構成員の一人として、なにがしかのよいことができる、
ことにぜーんぜん気づいていなかったことです。
……今は気づいててもなかなか力及ばずなのですが(泣)

いろいろ思いましたが、回数的に(おそらく)
僕が生涯最もたくさん観たTV番組です。
(これ以降はもう出まい)
昭和の終わりもベルリンの壁も自民党下野も湾岸戦争も
大震災も地下鉄サリンもW杯予選突破も911も、
これで観たような気がします。
その番組が終わる(久米さんが降りれば名前が同じでもそれは終わりです)
のは、感慨深いものです。
ごくろうさまでした。


8/26 炭火ぽかぽか
炭火で焼いた物を食べると、身体がぽかぽかしすぎて困ります。

遠赤外線がずーっと残っているのか、
化学的なことは全然わからないんですけど、
とにかく炭火焼きの後は、背中肩こう骨あたりからぼんのくぼまでが
熱くて。
今の季節だと、寝苦しいのです。
たまに行く焼肉「大倉」さんは炭火焼きなので、
ここ行った後、そんな感じになって寝苦しかったりするのですが、
「腹一杯焼肉だから」とか、「にんにく成分が原因か」なんて思っていました。
でもどうも炭火かも……

少し前、ある日母が思い立って、庭に七輪を持ち出し、
炭火で焼き物をしてみました。
サンマ。
美味かったんですよ。
それはもう、スペシャルシチュエーション分のプラスポイントでは
説明がつかないぐらいに。
(モノ自体はスーパーで100円で売られていた変哲のないものです)
落ちた脂が火にかかり昇華して薫りの膜を作る……
とかなんとか、原理はよくわかりませんがとにかく美味い。
炭には不思議な力があるものだ、と家族でうなずきあったものです。

ところが炭焼き、というのは簡単な作業ではなく、
国内人手不足の折から、今は木炭の1/3が中国産だそうです。
「備長炭」と言えば高級炭、というイメージですが、
これも中国産が多いとか。
職人に言わせると
「あんな原木にも温度にもロクに気を遣ってないようなモノは……」
だそうですが、しかし売価で半額近く、
外食産業ではよく使われているそうです。
ところが、森林保護の見地から、その頼みの中国産が
8/1より輸出禁止になったそうです。
中国は日本よりもずっと乾燥した気候なので、
一度木を切るとなかなか生えてこないし、育てるのが難しい。
98年に長江が大洪水を起こして以来、
これはマズイ、ということでそうした規制を強化しているそうです。
そうなると、国産ものを使ってたような高級店はいいでしょうが、
カジュアルなお店で炭を使ってたところ、特に焼肉などの
ミッションクリティカルなお店ではこれから対応が大変そうです。

備長炭では一度大失敗しました。
みんなで七輪で大焼き肉大会をしよう!
ということで、僕がホームセンターで炭を仕入れたんです。
折角だから、とちょっと高い「高級備長炭」というのにしてみました。
これが火がつかなくて。
1時間経っても全然つかなくて、結局別の炭を買いに行ってもらう始末。
後で聞くと、備長炭は着火剤や新聞紙なんかじゃ到底無理で、
火起こし器に入れガスでガンガンに焼いてようやくつくかな、
というほど大変なものだそうです。
(その代わり一度着火すると5-6時間は燃えている)
あるいは安い普通の炭を起こしてから、備長炭を追加する作戦で
いくとよいとか。
「高い炭の方がいいだろう」という生兵法が怪我の元でした。

昔、キャンプよく行ったのですが、
キャンプの定番料理といえば夏は焼き物冬は鍋物、
そんな時、お隣のカッチョイイ大型ガソリンバーナーと比べると
ちょっと見映えはしないかもしれませんが、
七輪+炭は最強コンビ。
イニシャルコスト数分の一で準備と整備が簡単でしかも故障知らず、
おまけに仕上がりにもいくらかのプラスが乗っかります。
ヤングお父さんお母さんはぜひこのコンビを採用して頂いて、
「備長炭は後からだよ」
を生活の知恵を次代に受け継いで行っていただきたく(笑)

昔の人は、常のようにして炭で焼いたものを食していたわけで、
それを一度捨てて置きながら、今は高いエキストラコストを払って
外食でそれを食べる。
人がヒトである以上、自然との関わりながら生きていく上で、
「手の届く範囲」みたいなものがきっとあるはずで、
それはもう、かなりの部分で昔の人が見切っちゃってるような気がして
なりません。
もちろん、その実現にかかるコストを削っていくのが
知恵と技術、科学というものですが、
炭火から電熱ヒーターにしました簡単になりましたマズイですけど、
とそれは知恵とはたぶん言わない。
メリットポイントをズラしただけです。
しかしそのことも無意味ではなくて、別のメリットを開拓したわけですから、
では次は両方のメリットがあるような「なにか」を、
考えていくべきだと思います。
そんな時、「昔やっていたこと」は侮れないことも多く、
振り返ることも、とても大切のようです。

急ぐ時は、数値化できないところを切り捨てがちです。
でも、あまりそれをやりすぎると、いつのまにか、
「美味い」
というめちゃめちゃ根元的に大切な、でも数値化できないものが、
ボロッと落ちちゃう。
そして「炭火で食べると、なんか美味い」
「炭火で食べると、なんだかぽかぽかする」
と言えるセンサーを、失わないように。
肝に銘じていなければ。


8/25 花のことは花に問へ
一遍上人といえば自らを「捨聖」と称し、ただ念仏を広めることを本義とし
全国を遊行して回った時宗の祖。
ある地へ乞われて「念仏祭り」的イベントを執り行いにゆく。
田舎町にイチローが試合に来るようなもので、皆で大騒ぎである。
するとまるで天がそのイベントを見計らったかのように、
やおら奇瑞であるところの紫の雲が立ちこめ、
あろうことか花までが降ってきた。
むろん、衆さらに大興奮である。
「仏のご加護だ!」
「一遍アニキ最高!!」
「オー! ジーザズ!」
しかし、そのようなものに一片の価値をも認めず、
ただ念仏それ一つをよすがとして信仰を深めてゆくことこそ、
彼の教えたいところである。
昂じる民に言い放つ。
「花のことは花に問え、紫雲のことは紫雲に問え、一遍は知らず」

カッコイイ。

天の贈り物であれば素直に受け取って利用してしまえばよいと思うのですが、
その甘い誘惑に打ち勝ち、己の信念に沿う。
それは簡単にできることではありません。
で、あるからこそ長らくこうして伝えられる言葉であり、
何百年後の、そしてその信仰とは何の関わりもない人にでも、
「カッコイイ」と思わせる言葉です。

悪魔の誘いを断る勇気ももちろん非常に尊く得難いのですが、
場合によっては、
そう己の信念貫くためには、
時に天使の誘いすら断らなければなりません。
それは、非常に、難しい。

自分と、自分のやっていることをいつもよく見て考えて、
襲うつまずきにめげず、望外の幸運にも
「あ、それはたまたまです」
と、何気なく言える人でありたいものです。

……と、考えて、しかし一遍上人クラスの聖者なら
花でもゾウでも降らせることができるかもしれず、
降らせ、たなびかせてなお
「『知らず!』とか言いきったらカッコイイかな?カナカナ?」
なんて宿の布団の上で作戦を練り、
その通り実行しちゃったのかもしれません。
時宗といえば踊り念仏、つまりDance & Rock'n'rollそれが生き様、
という上人ですから、ファンキースピリッツ発揮して
そんなお茶目をやってみちゃったのかも。

どっちにしろそのハートはガッチリ受け取りましたぜ、
アニキ。


8/24 メモリー
久しぶりに御大のお宅にお邪魔した。
ぴろさん(中学生)が言う。
「最近ハマっているものがありまして」
そっと出してきたるはマジキューの
『グリーングリーン』公式ビジュアルファンブック。
アニメ化の威力恐るべし……とかそれはよいのだが、
問題は入手経路である。
「『とらのあな』に買いに行ったんスよ、友達と一緒に。
 いや、3階から上は行ってませんゼ、さすがに」

……。
おっちゃんが若い頃は。

天王寺のユーゴー書店の入り口入ってすぐがアニメ雑誌コーナーで、
そこでアニメディアからOUTに至るまでありとあらゆるアニメ雑誌が覇を競っていた。
そんな中ある日突然神々しく現れた大判本その名も
「くりぃむレモン メモリー」
歴史に名を残す名作Part1&2の今で言うところのビジュアルファンブックである。
表紙にもちゃんと「記録写真集」と書いてある。その横に
「美・少・女・ア・ニ・メ」
などと書いてあるあたり、なんと可憐な時代だろうか。
価格3500円。(現在の貨幣価値で言うと35000円ぐらい)
まだ消費税はこの世のものではない。

欲しい。

若き日のながた少年は強く思った。
世にそういうアニメがあり、それが一大ムーブメンツを引き起こしていること
ぐらいは、知識としては知っていた。
というかその頃は「レモンピープル」毎月買ってたと思う。
「ハーフリータ」は創刊前かな。
そんなことはどうでもよろしい。
本物を観たことが無いが故に、せめて、せめてスチル写真であろうとも、
噂のそのアートその時代の最先端の薫りを嗅いでみたいと思うのが、
アヴァンギャルデを良しとするディレッタントの宿命というものではないか。
しかしなんぼなんでも恥ずかしい。
当時中学生、相手は18禁アニメの写真集である。
その頃のユーゴーはまだ斜向かいにある旭屋書店、在りし日の駸々堂と
三巨頭並び立つ地域中核書店であり、
現在のようにうらぶれてはおらず客の入りも多かった。
あべのベルタができる以前、アニメイトはここの4F半分を間借りしており、
その集客能力も店の繁盛に寄与していたと思われる。
とどのつまりはひっきりなしに客が通りすがりまくる入り口付近、
そこでこの大判本、
表紙では裸シャツの亜美ちゃんが口元に手を当ててニコリと微笑み、
その下ではリエちゃんがさっそく縛られてナオミお姉様にいいようにされている、
そんな素敵表紙の大判本3500円をレジに突き出す勇気は、
ほんの少ししかない。

一週間、悩んだ。

しかし。
しかしよく見ればその表紙にはまた悩ましい文字が書いてある。
「限定保存版」。

限定!!

そう、この一部、ずっと見つめているこの一部を逃せば
(それが同一の一部であることは背表紙の上の方の痛み方でチェック済みである)
もう、もう手に入らないかも知れない。
躊躇している場合では、ない。
ここで買いのがせば、俺は一生後悔する……

知恵と力、そして勇気。
あらんかぎりの全人格全てを絞り出して、
タイミングを見計らいに見計らい、
ついにレジへと持って行った。
「3500円になります」
レジのお兄さんは実にこともなげに僕の一世一代の買い物を処理してくれた。
きっと心の中では、少年の健気な勇気を褒め称えてくれていたに違いない。
その帰途の晴れがましい気持ちは、
長居公園を自転車で飛ばすそのままエリオット少年のように飛び立たんばかりの
軽やかな気持ちは、
そして、
そして夜半、我慢に我慢を重ねた夜半、
誰もおらぬことを確かめつつ確かめつつ、
一枚一枚ページをめくったあの甘酸っぱい気持ちは……
今もメモリーの一番大切な部分に刻み込まれている。

……つーよーな死ぬほど大変な思いをして
なんとかかんとか手に入れていたものなのに、ああものなのに。
「『とら』で買ったんスよ」
で済まされる時代になってしまったとは。
よい時代なのかダメ時代なのか、サッパリわからない。

ただ、入手難易度は別にして14-5歳の男の子が今も
ちょっとえっちな薫りのするアニメの本
を友達と連れだって買いに行く、という様はなんとも微笑ましく、
また、オタク帝国日本の未来を任せて安心、という朗らかな気分になった。
ゲームもアニメもコミックも、粗製濫造がどうのコピーのコピー世代がどうのと
口やかましく言われるが、どっこい、
人の波さえ続けば、いつかはまた盛り返す。
そんなことを言い出したら、2000年の歴史を誇る小説でも音楽でも演劇でも、
我々の世代はみなコピーのコピーのコピーのコピーの……世代である。
どの世代もみな、過去の巨人達の肩の上から世界を見るのだ。

あまりに懐かしきその本の奥付を見れば
「昭和60年」
の文字があった。
18年前、言うまでもなく、前回の阪神優勝の年である。
時代は変われど、人の営みは、変わらない。


8/23 細いマヨネーズ
メーカーなどに勤めてみると、「味の素伝説」なるものを一度は聞かされる。

「味の素」の売り上げ向上案を皆で必死になってウンウン唸ってみるも
良いアイデア出ず、ならばいっそと全職員対象に募集してみたところ
食堂のおばちゃんかなんかが「中ブタの穴を大きくすればええやん」と
実に単純明快なアイデアを提示、半信半疑やってみればなんと売り上げ倍増。

……というものであるが、
これは実は都市伝説の類であるらしく、実話ではないらしい。
ないらしい、ということ自体も確たる情報ではない。

ともあれこの「味の素伝説」
――容器の穴は大きければ大きいほどみなハッピーである――
に真っ向から立ち向かう勇敢な食品企業が現れた。

味の素である。

マヨネーズ業界は長らくキューピーと味の素の「二強」と言われている。
が、実情はキューピー70%の味の素20%強、
要するに一強に必死に食らいついてるだけであって、このままでは
Appleのように「携帯オーディオが売れたよ!」などと本業とからきし
関係のない事実を喜ぶ事態が今にもやってくるかもしれない。
しかも味の素にとって都合の悪いことに、
花王がエコナを使ったマヨネーズをでっち上げ殴り込みをかけてきた。
ルートによっては10%近いシェアを獲り、しかもコイツは実売価格にして
2.5-3倍(つまり利益もそれだけ大きい)にもなるというタチの悪さ。
ガリバーに対しフォロワーが居る市場にチャレンジャーが現れた場合、
まず喰われるのは活性の高い客がついているフォロワーの位置である。
(その後の動きはチャレンジャーの質によって変化する。
 トップを奪えるような画期的商品であった場合は
 ガリバーが最も被害を受ける。例:スーパードライ)

ケツに火のついた味の素は一計を案じた。
まさに文字通りの逆転の発想、自らの登場する伝説に竿を差す。そう、
マヨネーズの容器の穴を小さくした
のだ。
お好み焼き屋さんなどで職人がぴゅーーーーーーーーーーっと
絞りながら縦横格子に綺麗に振りかけている様が見られるが、
ああいう出し方が可能となる、細い出し口である。
(正確にはキャップごとはずすと星形の口が現れるので、
 両用とも言える)

これが使ってみれば実に便利。
狙ったところに・狙った分量使いやすく、
使いやすい、ということは結果的に使用頻度が上がり、
頻度が上がれば使用量もトータルで増える。
穴を小さくする。
たったこれだけの小さな工夫でマヨネーズそのものの価値を高め
売り上げにも(おそらく)貢献、これぞまさに
新・味の素伝説と言えよう。

そして業界トップ・キューピーの出方が面白い。なんと
「小さな穴のキャップ『も』プレゼント〜〜〜」
という暴挙に出た。
実は彼らはすでにカロリー半分型商品でこの、
「開けると細口、回して外すと星形」のダブルキャップを採用していた。
が、最も売れているスタンダードへの採用を躊躇している間に
してやられた格好である。
味の素のこの攻めに対してもなお、コスト増に繋がる「添付」という
形しか取れないところにガリバー故の悩みが見え隠れするが、
保守本流が「動いた」という事実は大きい。
日本のマヨネーズはいずれ、どれを買っても
細い口からぴゅーっと絞り出されるようになるのだろうか。

こういうアイデアを出せた人は幸せである。
ガリバーを地べたに這いつくばらせた悦楽もさることながら、
死ぬまで一生、
「俺が日本のマヨネーズを細くした」
と威張って暮らせるではないか。
いやそれどころか子々孫々に至るまで、
「あなたのひいお爺ちゃんはマヨネーズを細くした人なのよ」
と伝説になるに違いない。
実に羨ましい限りである。

対するにカロリー半分型でダブルキャップを採用し、事あるごとに
メインへの採用を訴え続けていたキューピーマンの悲哀たるや
同情するにあまりある。
「あの部長の野郎が、あいつが理解を示しさえすりゃあ、俺は、
 いや、俺のことはどうだっていいんだ、日本のマヨネーズは……」
と今頃、行きつけの安焼鳥屋でくだを巻いているに違いない。
そんな時優しいオヤジさんは手羽先の皿の片隅に
星形を用いてたっぷりとマヨネーズを添えて見せ、
「ほら、たっぷり出るのもこんなに便利だよ」
と気遣ってみるが、それはキャップを外しさえすればどれにでもできることだ、
と告げることができずに涙で視界を曇らせながら手羽先にかぶり付く。
しかも追い打ち、彼の鍛えられたプロの舌はそのマヨが
業務用に強いケンコー製であることを見抜いてしまう。
それでも。
それでも彼は涙をこらえ一言呟く。
「……マヨネーズって、美味いよな」

ヴィヴァ・マィヨネーゼ。


8/22 睡眠ストレス
ねむい〜。

盆前から我が家は二部屋まとめて壁紙張り替え&畳替えの大工事。
僕の寝てる部屋もそのターゲットになってて、
ずっと別の部屋で寝ていたのです。
旅や合宿で寝具が変わってもあまり苦にならない方なんですけど、
寝具同じで部屋が違う、というのは逆に違和感バリバリで困りました。
馴染みに触れている身体は勝手に安心しようとするけど、
頭は馴染みのない環境にオタオタしてるような。
しかもコミケ前で生活リズムも割と無茶したもので、
もう散々です。
ようやく今日終わり、元の部屋で眠れます。

毎度吼えてますが睡眠パターンというのはホントに人それぞれで、
朝型がいい、というのは社会的有利性その一点だけです。
それも5時に起きるような真性朝型の方ならご存じのように、
晩ご飯食べた後はフラフラになってますので、
夜のおつきあいも大切な職業や人間関係の方にとっては
有利とも言い切れないぐらい。
せめて学校教育の場でくらいは、コンプレックス植え付けるように
「朝起きて早く起きて早起きして朝起きて夜早く寝て朝起きて」
と唱えないようにしていただけませんか。
夜型のみなはそれでなくても
「無理矢理起きる」というストレッシブ&ハンディキャップドな
日々を送っているわけで、労ってもらっても罰は当たらないぐらいです。
いやむしろ、合宿などの折には、勝ち誇る朝型を午前2時まで起こし、
人類の多様性、困ってる人への思いやりの心を育て育んでいただきたいものです。
ましてやそういうタイプをして
「だらけている」「努力が足りない」
などと決めつけるのは言語道断。

パターン以外でも時間もそうで、
人類史天才十傑を考えれば必ずカウントされるであろう
アルバート・アインシュタイン大博士は10時間寝てたそうですよ?
脳というのは非常に燃費の悪い機関ですから、
使い込んだらチャージのため寝なきゃダメ、という人も居るわけです。
小食の人に無理矢理喰わせる、あるいは大食漢に食事量を我慢させる、
というと誰しもがその非・人道的行為に怒りを覚えると思うのですが、
それがどうして睡眠という人生の1/3を司る大切な大切な行為には
適応されないのか、子供の頃から不思議で不思議でしようがありません。

そしてご存じの通り睡眠欲というものは
下手をすると食欲よりもアンコントローラブルなもので、
腹が減ってても風邪をひいててもコミケで買ったエロ同人誌満載で悶々としてても
クルマの運転はできますが、眠いとできない。
それを我慢しろとか管理しろ、というのは、ハッキリ言って
「無理」
です。

生活習慣病の原因によく「ストレス」という、じゃあその原因は、
と訊ねたくなるものがありますが、
睡眠ストレス――もうちょっと寝てたいのに眠れない、
起きたくないのに起きねばならない――
というのも実は相当効いてるんじゃないでしょうか。
休みの朝、普段よりたった2時間遅く起きただけで
「いやあよく眠ったなあ!」
と爽快な気分になる方は多いかと思います。
それが週一のスペシャルだからこそ得られる快感ならいいと思うのですが、
ひょっとするとそれが本来のペースかも。
そうこうしてるうちに、誰にもわからない、本人すら気づかない
ストレスを溜めてるかもしれませんよ〜?
髪が減ってみたり〜?

……うわーーーーーん……


8/21 海でスケッチ
トップを換えてみました。
夏のような、秋のような。

今年の夏はよく戎橋で待ち合わせしたんですよ。
ボーッと松竹座のポスター観てると、
若い頃のゴッホが主人公の劇があって、
我らが池脇ちづりんが出てるんですが、当時の服、これが可愛い。
シンプルなブラウスに、ウェストが高いロングスカート。

和服(キモノ)を初めて見た西洋の方が、
帯をウェストラインと勘違いして
「あそこから脚か! なんと日本女性はスタイルがいい!」
とひっくり返ったそうですが、
どこの衣装でもスカートのウェスト上げて嘘をつく、
というのは基本のようですね。
チマチョゴリなんかもそうだし。

と、いうことでそんなものを描いてみたはよいものの、
背景に例えば19世紀のオランダ家屋の部屋……
そんなもん描けるか!
という訳でこういうアンマッチな絵になりました。
服の色替えとかもやってみたんですが(白いブラウスとか)
それじゃ最初の目論見と違う絵になってしまうので……

でも、ミスマッチでも、無いよりマシなのが背景。
確かに難しくてめんどくさくて時間がかかって大変です。
でも、ワンオフの楽しさがあります。
ひとつずつ、ユニーク。
「あれ? ここはどうなってんだ? なんだこの色?
 あなるほどエメラルドグリーン入れればいいのか」
などと一回一回頭悩ませるところが、面白い。

ウチの中学に教えに来てくださっていた美術の先生は、
水彩の世界では結構な名士だったらしく、教え方も大胆。
夏は南部学舎(学校持ちの海の家です(笑))で、みんなで
南紀の海をスケッチしました。
ほら、神経質だからこまかーく描き込んで見せに行ったんですよ、
そうすると
「描きすぎやなあ。
 ……ちょっと筆貸し」
とやおら僕の筆を執るや近くの海水にザンブと漬け、
ボタボタボタボタワシャワシャワシャワシャ……
ああ折角緻密に描き込んだのに。
「……よっしゃ。だいぶよーなった!」
若き日の僕は、自分の努力がぐちゃぐちゃになったのが哀しくて
(不思議と怒りとかじゃないです)
呆然としてたのですが、
たぶん、今両方を見比べると、先生が手を入れた方がいいと思います(笑)

それでもまだ僕はマシな方で……いや、マシなのかマシでないのかも
よくわかんないのですが……何人もの級友達がスケッチブック丸ごと、
海で洗濯されてました。
あまりの出来事に今でもみんな覚えています。

かように、若い日に一線級のプロの手業に親しむ、
というのは非常に得難い経験。
今となっては、もっといろいろ教わっときゃよかったー!
と心底思います。

……。

母校関係者の皆様、文章屋は要りませんか(笑)


8/20 特許?
#今日はめちゃめちゃ不正確なこと言ってる可能性大ですので、話半分で。

少し前にドコモの505系の販売台数速報が出て、
5機種で一番売れてるのがNだったんです。
でも、スペック的にはどう考えても505系で一番ダメ吉なのはNなんですよ。
D、SO、SHはメガピクセルですし、Pはツインカメラで薄い。
今回は手抜きと言っても言い過ぎじゃない。
なのに販売トップってことは、(価格上の優位もないし)
とどのつまりは熱心なNユーザーが買い換えて支えてるわけですよね。

で、聞いたところによるとNユーザーのロイヤリティ(忠誠心)って
やたら高く、リピート率が8割から9割にのぼるそうです。
その理由が、スペックでは見えない使い勝手に集約されているらしくて、
例えば二つ折端末を「開いて着信」というのは特許らしいんです。
だからよその端末だと開いてもボタンを押す必要があるけど、
Nは開くだけでいい。
そういうのがぽろぽろあって、で、一度使うと次も、になる。

そういえば、ジョグダイヤルなんかでも、ジョグ自体はいいんですが、
ジョグを「押して決定」というインターフェイスが(たぶんソニーの)
特許になってるらしくて、だからよそのメーカーは、それを使いたいと思えば
ロイヤリティを払わざるを得ない。あるいはバーターか。
払いたくない場合は違うインターフェイスでなんとかするわけですが、
そこで制約が生じるわけですね。

特許というのは微妙なもので、
本当に開発や研究に苦心惨憺したものなら、
どれほど利益を上げてもいいかとも思うのですが、
こういう思いつきレベル……というと言葉が軽いですが……
のをあまり大事にしすぎるのも、どうかと思ってみたりもします。
だってそれのおかげで、世界中で特定の機種以外の人が皆、
押したくもない・押さなくてもいいボタンを一回押してるわけでしょう?
エネルギーに換算すれば、莫大な無駄エネルギーですよね。
なんて環境に優しくない(笑)

その、「二折り開いて着信」の特許を持つのがどこかは知らないですが、
それをオープンにすることで
「全世界でほらこのぐらい炭酸ガス排出量が!!」
みたいな話を新聞一面広告で出せば、
ほんのちょっぴり「せこいな」とは思いますが、
しかし誉められるべきことには違いないような気がします。

お金とは引き替えに、国なり国際機関なりがそういう名誉を発行するのは
どうでしょう?
発明で人類に貢献したで賞、なら世にいろいろあると思うのですが、
もう、えげつなくロイヤリティ換算で額の多寡を競ってみるんです。
その額/売上で、同業他社に対して明かなイメージアップになるじゃないですか。
工業製品だとちょいと厳しいですけど、化粧品とか食品とか、
そういうのが効きそうな業種だと面白いことになるかも。
そうすると、さほどクリティカルじゃないけど額換算大きそうな、
こういう特許がオープンになって、ちょっとだけ暮らしやすくなるかもしれません。

コミケに閣下夫妻がお越しになったおり、
そのあまりにお似合いな素敵ペアルックにソニックを受け、
「嗚呼、何故マイ・ハンディホンはノン・キャメラなのか」
と思い詰め、しかし風の噂で秋にすぐ505is(BMWみたい)
が出るとか出ないとか聞くのでそれを待ちたい気分も……
てなことで、そんなことを思いました。


8/19 まず自分が、にやっ
先輩に聞いた話。
ハリウッドで「ルパン三世」が作られることになり、
彼の地の人々が騒いだそうです。

「『ルパン三世』ってどんなジャパニメーションだいボブ!?」
「ジョン、君はミヤザキの『カリオストロ』を見たことがないのかい!?
 あの名作を!」
「そんな焦らさないで教えてくれよ〜」
「しょうがないなあ……いいかいジョン、
 まず『Aチーム』を思い出すんだ」

……まあ、そうなんですが……

-----

まだもうちょっとだけ。
思い至ったからには、書き留めておきたく。

「おもしろい」というのは説明するのが非常に難しい感情です。

ゲームでも映画でも本でもなんでもいいのですが、
「おもしろかった」と思うモノを友達に教えると、時折
「どこがおもしろかったの?」
と訊ねられたりします。
こういう折に、例えば「泣ける」とか「笑える」とか要素に分解して、
その度合いを説明することはできます。
でもそれは、本当は面白さの一側面にすぎません。
その要素は全体の一部であり、その他に支えられて存在するわけで、
そこだけ切り出しても「なぜ」面白いかを説明しきることはまず不可能です。

しかし、世にあまたさぶろうマーケッター的な還元視点でモノを見ますと、
(というかエセ科学的分析手法を使う場合そういうモノの見方しかない、
 というところにそもそもの糞詰まりがあるのですが)
その要素要素が存在している「から」面白い、
とまるで逆の結論が導き出されます。
(なにか結論導かないとお金、誰からも投げてもらえないですからね)

それは何もマーケ担当やプロデューサーレベルだけではなく、
前線の我々も同じ、いやむしろ不安と困難に常に晒されている我々の方が、
その「これなら大丈夫」という方法論が魅力的に映ります。
溺藁です。

ならば、ということで
その要素をブチ込めば面白くなるだろう、と考えてしまうのは
しょうがないところ。
で、コードブチ込み型やパターン化されたルック&フィールの
作品、というよりも商品、が量産されるわけです。

始末に負えないのが、そういうものでも
ある程度の需要は満たしてしまったりするところで、
高度にシステム化されたシンジケートがミス無く作れば、
また充分以上には「結果的に」面白い、という結論と成果が出るわけです。
しかも便益側から攻めてみると、
類型経験に基づくパブロフ・スイッチもあれば、
世の大勢というバブルに乗っかれる可能性も高い。
言うまでもなくマーケ主導型はソノモノ以外の「仕掛け」も打ちやすいわけで、
オタク化とネット化が進んだ昨今ではその「仕掛け」まで含めて魅力だ、
と開き直られれば返す言葉ゼロ。
つまり、性能以上の結果が出やすいんです。

「MATRIX」の1発目と2作目にはそういうへだたりがあって、
あれは全く別ジャンルのモノです。
作品と商品と言うとちょっと雑ですが、まあだいたいそんなもの。
工業製品なんかと同じで、ストリームとウィッシュはそっくりですが
作られた過程が180度違うわけです。

もちろんどっちがいいとか悪いとか言ってませんよ。
アプローチの方法論をつらつら考えているだけです。
結果的に「おもしろい」のが勝利であって、過程には貴賤無し。

ただ、こないだまで、デフレな時代背景を反映してか、
前者のような「説明できない(しにくい)けど面白い」というモノに対して
社会全体がえらく腰が退けてたように思います。
どうせカネ払うんなら後者、一目見て明らかに鉄板便益のある方ある方へと流れる。
そういう潮流があると、また作る方もそれは敏感ですから、
「パッと見」へとシフトするフィードバックがかかっちゃう。

そしてコードブチ込み型便益主導型が主流を張ると、
「それが入ってないとダメ」という風潮がペストのように蔓延します。
作ってる方にとってはこれが怖い。そして寂しい。

それが、最近はちょっとずつ、
いわゆる「普通におもしろい」という言われ方をする、
説明はしにくいけどおもしろい作品、
にも目が帰ってきた……かなあ? という気がします。
それは、多様性という意味では非常に大切なことなので、
(要素分解便益ばかり言われると、著しくバリエーションが乏しくなります。
 ハリウッド超大作)
歓迎すべき動きではないかと。
それも時代背景っぽくて、
ちょっとずつ元気な人(や組織)が戻ってきた証拠でしょう。
「人がどう思おうが、俺は面白いと思う」
そう言い切れる自信のある人が。
それも、とてもいいことです。

作ってる連中は変わってるのが多いので、
そいつらの「おもしろさ」に全幅の信頼を置くのもアレがアレなのですが、
さりとて要素便益をふりかけのように使うのも、
幕の内弁当にカレーあんかけスパ入れちゃう危険性が常に伴います。

で、ここから個人的趣味趣向なんですけど、
僕は、胸を張って「まず自分が」おもしろいと思うもの、を作っていきたいな、
と思います。
当たり前のことに聞こえますが、
前述のような逆アプローチの誘惑に目が眩むこともしばしばです。
あるいはまた、
経済的な面や評価がどうこうという生臭いところ抜きにしても、
#いやほんとに(笑)
なんでも作れるようになってくると、作りたくもないものや、
作らなくてもいいものまで作ってしまうようにもなります。
宮沢賢治師匠が「デクノボーのように」とおっしゃったように、
賢いからといって、イイコトばかり考えるわけではない。

堂々巡って考えて、くるくる回って鑑みるに、
やっぱり僕にはそっちの方がいいだろう、と。
基本に帰り、
書き始めたあの日のように、
読み直して自分が「にやっ」とするモノでいこう。
それでいろいろ障害が出ても、
そうでない無理を続ける困難に比べれば、遙かに解決しやすいだろう……
そう思う、熱さがぶり返してきた、夏です。


8/18 自分おつかれさまでした(泣)
ほうけてます。
雑感、たらたら。

今年の夏は久しぶりにコミケに出る=自分の本を作る、
ということで、かなり真剣に、さんざんっぱら
いろいろなアイデアややり方をこねくり回してました。
せっかくだからガツーンと一発……
しかし時間ばっかり喰っちゃってなかなか進まず。
概要ばかりがまとまらないパン粉あるいは蕎麦粉のように
ボロボロとメモを汚し続け。

「描きたいものを描く」というのは実はかなり罠で、
明確なできあがりイメージがあればよいのですが、
そうではなく漠然とそう思っていると、一歩も進みません。
「ぴりりとパンチの効いた激辛カレーライスが作りたい!」
ならよいのですが、
「美味いものを作りたい」
だと、何をどうやっていいのかわからないわけです。
この罠に見事に引っかかってました(笑)

結局、困り果てて、手持ちのレパートリーの中から、
しょっちゅう作ってて手慣れてるメニュー(紀行)と
一番好きなメニュー(ラブコメ)を組み合わせてみる、
という、「作りたいものを作る」とは90度ネジクリ曲がった、
「作れるやつ組み合わせて新しく作れるものを探す」
みたいなことになってしまいました。
(それも途中までなのですが(苦笑))

当初目的とはかなりかけ離れたのですが、
得た苦労が何よりも勉強になりました。
上の罠の怖さもわかりましたし、
たとえば、いくら手持ちカードと言っても二種類のカードを
組み合わせる場合、冷静な理性の働きが必要になります。
自分自身を冷静に見つめると言動に余裕ができるのと全く同様、
自分の文章も軽く俯瞰してみれば、余裕ができるものですね。
それが一番の収穫かな。
#だからといってクオリティがすぐパーンと上がるってわけじゃないッスよ。
#年々進化するイチローだって.340なんだから。
##と、予防線を張っておく。

できないことへの挑戦はもちろん尊いですが、
できることの全力を綺麗に丁寧に出してみる、のもまた大切なことです。
フレンチのシェフやってたとして、
「明日天皇陛下がお越しになる」
と聞けば初挑戦料理なんか絶対できないじゃないですか。
#シェフによりますか(笑)
手持ちの中でも鉄板中の鉄板メニューが並ぶはずで。
それはそれで、素晴らしいものになるでしょうし。

とにかく何よりも大切なのは、先日も言いましたが
作る
ことで、考えてたって絶対ラチは開かないです。
ダメならダメで、「これはダメだ」という経験を手にすることができるのだがら、
手を動かさないと。

少し楽になってみたり、
しかし言い訳はできなくなってみたり。
次のこういう機会には、もっといいもの……というより、
手を動かし頭を動かし心を動かした結果を、
ブースに並べたいものです。
やっぱり、締め切りがある方がいいタイプらしいです(笑)
冬コミの申込書書かなきゃ。

あ、そうそ。
細かい点ですが個人的な反省。
シンプル好きなので、今まで本の表紙なんかもそれっぽくやってみてたのですが、
ご存じの通りシンプルというのは最もセンスが必要でして、
それは無い(泣)
ので、もうちょいゴテゴテさせて「あ、楽しそう」というところを目指して行こうかな、と。
例えば挿絵一枚、特に登場人物の絵があったりすると、
読者さんのイメージを果たして膨らませるのか、果たしてダメにしちゃうのか、
それはすごく賭けです。
ライター的には
「俺の文章さえ読んでくれれば素敵なイメージが溢れ出して止まんないぜ!」
と大見得切りたいところですが、
能力はともかくいやそれがそもそも低いんですが、
作者・読者間相性によるイメージ惹起力の相違、というのはどんな上手にも
起こりうることです。
(僕は例えば志賀直哉大先生がまるっきりダメです)
それが絵が一枚あるとどん、と中央値近くに集まってくる。
ハーマイオニーは誰が見ても可愛いわけです。
まあ、表紙ぐらいはそんな感じで行こうかな、と。
ゲームのオープニングムービー同様、
要らんといえばあんな要らんもんないんですけど、
雰囲気盛り上げるにいい手段、というのは事実なので。
つまり表紙については「できんことはやらん(泣)」と。

まとめてみれば
もう少し読者さんとゆっくりしっかりきっちり向き合って描く
というところでしょうか。
その仮想読者は自分でいいんですけど、
ちゃんと正面向いて対峙する感じで、甘やかさず拗ねさせず。

ようやく、眼前にそびえていた巨大なステップを超える道を見つけた感じで、
かなり気分は楽になりました。
モチベーションも急上昇中です。
今回は随分登るのに時間がかかったような気がしますし、
また、次のステップはもっと大変なのかもしれません。
それでも、
長いブランクを経て本格的に「書き手」に復帰して3年半、
コレを書きだしてからでも4年半、
たったその程度の時間で(本人なりに)ここまでこれました。
順調すぎる、と言ってもいいかもしれません。
焦ることはないかな。

また大きな壁が目の前を覆ったのなら、
「成長のチャンス!」と思って頑張ろうと思います。


8/17 コミケおつかれさまでした〜
夏のコミケ無事終了しました。
雨の中暑い中、
お買いあげの皆様、ブース訪ねてくださった皆様、
どうもありがとうございました。

K先輩、雨中強行軍楽しかったです(笑)
J也さんぴろこさんR太くんいつもお邪魔して多謝でございます。
御馳走美味しかったッス。
RS-1大明神とMっちゃん先生にはお手伝い感謝の言葉もありません。
今回のは空気澱んで特に辛かったね。
鯖ちゃんとM澤先輩、M先生もわざわざ東京駅まで引っ張り出してすいません。
そしてペアルック閣下夫妻。
あの狂騒の宴はいかがでしたか。死ぬまでに一度は体験しておくのがいいかと。
一度でいいですが(笑)

とりいそぎ感謝の御礼まで。

---

「街道へゆこう!」買い逃された方、どうもすみませんでした。
あまり持っていかなかったものですから、冊数制限までやっちゃう始末。
決め打ちで買いに来てくださるなんてホントはとてもありがたいことなのに、
まったく面目ないです。
逆にたくさん持って行ったドラちゃんが綺麗に売れ残って重い目をしました(泣)
ま、3年前の作品ですし、中身Webで読めちゃいますしね。
当たり前と言えば当たり前なんですが。

今回は「街道をゆこう!」がギリギリで、間に合うかどうか自信が無く、
告知遅くなりました。
次回はいつどこに出るかわかりませんが、
早めに胸を張って「でます!」と言えるスケジュールで行きたいと(泣)

でも、久しぶりでとても楽しかったです。
なんというか渦巻くエネルギーに身を任せる不安と快楽といいますか。
そのエネルギーに当てつけられて、今朝も意味もなく早起きしてしまいました。
非日常な一日が、日常を揺さぶって新しい気分、気持ちにさせてくれます。
お祭り、はやっぱり、参加することに意義がありますね。

みなさま、おつかれさまでした。
また行きましょう(笑)


8/15 諦めない。
お盆です。
『夏の有明まんが祭り』に行って参りますので、
ちょっとお休みさせていただきます。
復帰予定は19日です。

-----

今年は夏がやたら短かったように思いますね。
長雨がずっと続いて、暑くなったと思ったらもうお盆。
夜の風などだいぶ涼しくなってます。
クーラーの要らない時間、増えてます。

それとも意表をついて9月が猛暑とか。
ありましたよね、10月に入ってもまだうねうねと暑かった年。
あれ、いつでしたっけ。
かと思えばフランスやドイツでは記録的猛暑、
クーラーのない部屋も多いこれら各国では、人死にも出てしまう勢いとか。

大自然には敵わない……なんて言いながら、
都市部は実感できるほどのヒートアイランドであって、
不可能だとは思いつつも全部のクーラーを止めてみれば
どんと気温が下がる可能性もあるかもないかも。

たかだが人間が、自然にどれほどの影響を与えられるものか……
とうそぶいてみたところで、ダム一つで川の流れを変え、
生活排水で琵琶湖を真っ赤に染め上げ、
レンガを焼く鉄を作る贅沢な荼毘に付す、
と木を切り倒しては砂漠を作ってきたわけで、
やっぱり人間というヤツは、インパクトのある生き物のようです。

ただ。
悪いことができる力があれば、良いこともできるはず。
誰しもが望むものは、結局、根本の所では同じもののはずで、
それならば、きっといつかは、なんとかなりそうな気がします。

できそうにないことも、
頑張ってみればなんとかなってしまうことも多い。
諦めるとそこで終わり、とりあえずは諦めない。
そのパスポートを持っている限り、
きっといつかどこかにたどりつく。

たどりついて気に入らなければ、また旅に出ればいいですし。
また同じパスポートを手にしてね。

まだ、やるべきことだらけです。
ぼろぼろのパスポートを胸ポケットに入れて歩き出す、
まだ何も終わっていない、
終戦記念日。


8/14 書くことに、たいせつなこと。
今日はひとつ、「お、これは」と思ったことを。
また、書くことについてのお話です。

僕は今まで、書く時には
「何よりもハートが大切」
だと思っていました。それはもちろん真理なのですが、これは一つ間違えると
「ハートさえあればよい」「ハートが無ければ意味がない」
という思いこみに直結します。

実はそうではなくて、何かしらのものを「書こう」という時には、
そうやって試みること、それ自体に、
すでにハートがあり魂が込められているわけですから、
最低限はクリアしている。
力入れ過ぎなくてもいいし、免罪符にしなくてもいい。
ちょっとメタで騙されてるような気が、言ってる本人もしますが、
でもそうです。

ムチャですがあながち外れてもいないと思う例えをすると、
人に親切にする。
心からの親切心、沸き上がるような慈愛の精神、
そんなものは例えなくても、電車の中で、杖姿のお年寄りを見て
「どぞ」
と反射的に席を立つ。
それでいいんです。
そこに心の動きがないことを反省する必要は(あまり)無いし
(お好きならやってもいいけどかなり反省マニアみたいになります)
ましてそれを偽善的だと自分を責める必要なんかゼロ。
だってそれでお年寄りは幸せで自分も変なひっかかりなくて
自分が立つことで他の人は立たなくてよくて、
全員幸せじゃないですか。
ええ、反射だろうが偽善だろうが立てばいいのです。
立った、というその事実が大切で、
まあ、そのほかのことは、実に小さなどうでもよいことなんです。

書く、ということはそういうことなのだ、と思いました。
つまり、「書けばいい」のです。
随分気が楽になりました。

もひとつ行きましょう。
大好きな人に気持ちを伝える時に、

「愛してる!!愛してる愛してる愛してる!!
 君のことが好きなんだ!!大好きなんだ!!
 君のためなら死ねる!!! うをーーーーーッ!!!」

ま、これも大切です(笑)
ですが、より大切なのは、二人の間に暖かい気持ち優しい気持ちを育むことです。
自分の気持ちを吼えることではありません。
そのためには、相手の言葉をよく聞いて理解し、相手の目をよく見て、
相手の行動を認め、そしてできるだけ相手の気持ちになって考える。
そこから導かれる言葉であったり、行動であったりするべき、ですよね。
どこへ行こう?僕はこう思うけど、君は?……じゃ、そうしよう。楽しそうだね。

もちろん、そのことと上のセリフは相反しません。
むしろそれを含めたさらに大きな構え方であって、
ここぞ、という時にはギアを叩き込んで吼えればいいわけです。

書くことも同じで、
自分はこう感じるこう思うこう考える、を吼えるだけではなくて、
受け手の捉え方感じ方を充分考えた上で、適切な表現なりスタイルなりを
選択していかねばなりません。
……と、こう書くと随分理知的な、脳の作業のように思われますが、
相手のことを考える、というところにたっぷり愛があるから、大丈夫です(笑)

#もちろんそこのところで芸人としては
#「使いたい芸、見せたい芸」と「使うべき芸、見せるべき芸」の齟齬があるわけで、
#そこは常に悩み所なのですが、まあそれはテクニカルな話。
#というか、それもパズリィな楽しみの一つです。

---

こうして文字にしてみると
・書けばいい
・読み手の気持ちを考えて書く
とアホみたいにど基本なことで、正直
「あれ? もうちょっといいこと思いついたように思ったんだけど(苦笑)」
って感じです。
やっぱりこういう、自分の中で手にした実感、っていうのは
非常に表現しにくいですね。
ま、それが簡単にできるようなら誰しもが宮本武蔵になりイチローになるでしょうから、
当然のことなんでしょうけれど、文字屋としてはちょっと悔しい。

「Routes」終わってちょうど6ヶ月半年、
書くことについて、割と悩んでいたんです。
書きたいものはあるし、書くこと自体は相変わらず楽しいんだけれど、
でも、今までのやり方でいいんだろうか?
ちょうど階段の平たいところにいるのが実感できて、
きっとここ上がらなきゃダメなんだろうけど、
どうやって上がったらいいものか……と。

で、今日のポイントとしては、
とにかく力一杯振っていたフルスイングを、
ボールに合わせて振る、というところでしょうか。
もちろん、いい球来たらフルスイングは前提で。
「お客さん見に来てるのにフルスイングじゃなきゃ!」
というのはある面で正しいんですけど、それで結果が.235でチームも連敗続き、
では何の意味もない。
フルスイングは手段であって、目的ではないのです。

やっぱりめっちゃ当たり前のことや〜〜〜(泣)

今までは、その場その場でできるだけ登場人物の心情に
なりきろう、憑依しきろうと悶えていました。
集中力を使い環境を整えこめかみに血管を浮かべながら。
それは、この「ハートこめてなきゃ」という強迫観念から来てる部分が
多かったようです。
そうじゃないですね。
それが必要なところもありますが、そこまで肩に力入れなくていいところ、
いや、逆に、入れない方がいいところはたくさんある。

「緊張と緩和」「80%の力で」「うまい酒は水のように」
言い方はいろいろありますが、
「ゆっくりやる」「力を抜いてやる」「ハーフスロットル」
も、また、フルパワーと同じだけ大切なことです。
そしてこの両輪がないと、物事は「滑らかに」進まない。
フルスロットルフルブレーキ、それだけで何とかしようというのは
かなり無謀な挑戦のようです。
#不可能ではない……天才的な人はそうやって散っていく、のかも。

技術的には……まだやったことないのでこれからですが、
(多分に抽象的ですいません。覚え書きです)
シーン描く時に軸シーン(ゲームで言うとイベントCG)
先にイメージして、そこめがけて心身共に盛り上がる、
というのではなく、(だけではなく)
一枚一枚丁寧に描きながら、その中で自然にまとまってくる
イメージを軸にしていく……パンやそばみたいに……感じでしょうか。

行き当たりバッタリくさいですが、それでいいんです。
いいイメージができりゃそれでいいんですから。
いいイメージいいイメージと悶えて一文字も進まないよりは。
僕らは文字に載せてイメージを伝えることを業にしているわけで、
どんなに素晴らしいイメージでも、言葉に載ってないうちは、
伝わらないうちは価値はないわけです。
より大切なのはイメージを描くことで、いいイメージを思いつくことではないです。
後者に力点を置きすぎるのは、描く、という
自分の行為、手の技、身体全ての動き、をあまりに軽く見過ぎてもいます。
僕らは何百万文字いや何千万文字書いてきたかわからない、
「書く人」なのですから。

---

前述の「親切」の例えのように、「相手の気持ち」と言っても
実はそんなに難しく考える必要はなくて、
まずやってみて、(これが一番大事)
反応をよく見てみて、
それをフィードバックして改良してまたやる。
その繰り返しですね。
やることはわかってるわけです。
必要なのは、丹念に丁寧に、毎回それをやる小さなエネルギーがたくさん、
それと、つまらない恥じらいや余計なことを考えず、
一歩を踏み出す勇気、でしょうか。

少し話はそれますが、
そういう暖かく細やかな心を常に持ち、常にそういう行動ができると、
それはものすごい「いいひと」になれそうです。
そういう、「作った」いいひとに意味があるのか、というご反論ごもっともですが、
悪い人よりゃ何万倍もいいでしょうし、
やってるうちに本物になる可能性もあるし、
なにより周りと本人が、かなりハッピーな気がします。

人格的にもそういうところを目指したいものですが、
果たして根性が無いもので……
できるところから始めてみますか。
電車のイスぐらいは、すぐに立って。

書くことの方もその応用というか、
どっちが応用なんだか個人的には判別がつきかねるのですが、
(別につかなくてもいいのですが)
ひとつひとつ、丁寧に、相手のこと
――そう、これには受け手の方だけではなくて、
登場人物達の心の動きや行動も含まれます――
を、しっかり思いやって、ちゃんと考えて、ゆっくり感じて、
書いていきたい、と思います。

……こうして当たり前のことをようやく実感できるようになるたびに、
「ああ才能ないなあ」
と詠嘆するのですが、
最近はそれも「と、すればそれを上手く利用できないか」などと
リサイクルな考えができるようになりました。
例えば書き方で悩む人にごく基本的なことをお教えしたりするのも、
今ならできそうです。
教えることができる、というのは、何につけかなり理解が進まないと
できないことですから、ちょっと自信が出てきたのかもしれません。
もちろん、これは、もっと上のステップを登ってる人から見れば
微笑まれるようなことを書いているのですが。

今日はM澤先輩・okbちゃんと呑んでいました。
この夏は7月末のS上博士から始まって、もうホントに総当たりという感じで、
いろんな人といろんな濃ゆいお話ができて、(しかもまだまだ続くよ〜)
それが刺激になってこんなことを考えられたようです。
みなさまありがとうございます。

さて、後は実践。
秋風にのってがんばりたいと思います。



8/13 KOボーイ+EJ2000
「慶應ボーイ」という単語がありますが、
あれ、本式には、
「幼稚舎(小学校)から大学まで通った男の子」
を指すそうです。
だもので中学から通っても、いわんや大学からで
そう名乗ったりするのは許されないとか。

天下の慶應ですからね。
幼稚舎から、などというと超一級の人材がそろい踏むわけです。
幼稚舎一年にしてすでに、米○くんという友人に
「テリー」
というあだ名をつけるような人材が。

「慶應ボーイ」というのはそういうサラブレッド達に捧げられる尊称のようです。

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まま上の短大時代の親友が入院された。
まま上は僕と共同使用のCDウォークマンをその友にさしあげるという。
コイツとは3年に及ぶ長い付き合いなので愛着もあり、
「新品を贈った方がよろしいのでは」
と疑問を呈すると、それでは相手が気を遣う、という。
なるほどさすがまいまま上、細やかな心遣い、と感心していると
「代わりに新品を買おう」。
結局それかい。

というわけで自分のカネではないので、
EJ2000という一番上の機種を買いました。
mp3鳴らせる系統もちょっと心惹かれましたが、
どうせmp3いっぱいのCDなんて最初の2-3枚焼いて終わりだろう、と思い。
税込みで20000円弱。
ポイントはガム型電池一本での駆動。
軽い〜。
電池抜きで118gですよ。
随分前に買った再生専用MDプレーヤーがあるのですが、それに負けないぐらい。
クレードル充電とか、充電池だけで25時間もの連続再生とか、
充電池機種でも乾電池ホルダーを使えば緊急時に乾電池で駆動できるとか、
スティックリモコンが使いやすいとか、
マグネシウムボディがやたらカッコイイとか、
成熟製品だと思っていたCDウォークマンがたった2-3年でエライ進歩してて驚きました。

ただ、無音部分は完全に無音なのに(音を全部止めてるからかな?)
音のある部分ではノイズが後ろで走るので、逆にノイジーに感じます。
あと、省電力化のためにかな、断続的に駆動音がするのですが、
これが少しうるさい。
鳴りっぱなしよりも鳴ったり鳴らなかったりする音の方に敏感なものです。
どちらも極静かな環境でないと気づかない程度ですが。

でも満足。さすがフラッグシップマッスィーン。
自分専用にもう一つ欲しい(笑)


8/12 シャンプーの適量
小さな頃から疑問に思ってたことがあるんです。
シャンプーの適量です。

「ティースプーン一杯ぐらいが適当です。
 多すぎても意味はありません」

なんてTVで専門家の人が言ったり、ものの本とかに書いてあるじゃないですか。
あるいはポンプ式だとワンショットがその量ですよね。
でもね、僕そんなんじゃ全然足りなかったんです。
その倍は必要で。
そのぐらいだと明らかに汚れが落ちきらない。
たくさん使うとちゃんと落ちるのに。
「ああ、僕の頭は脂性なのか。
 はたまた掌足の裏から汗を掻くように頭からも大量の汗を掻いているのか」
などと悩み惑いながら30年生きて参りました。
が、先日。
ハタ、といきなり真実に到達しました。

それって毎日洗う人の適量ですね!?

わたくしは4日に1度が基本ペース
(大量に汗をかいた時は適宜対応)だったものですから、
そりゃ4倍汚れてりゃ足らんわ。
事実その真理に気づいてから2日に1度洗髪しているのですが、
なるほどほぼその量で行けます。

長年悩んだのはありゃ一体なんだったんでしょう。
とか思う前に毎日洗え? だから抜ける?

ライオンが開発した、ほんとは(効能を謳っていい)医薬品で出したいけど
一日でも早く皆様のお手元に届けたいために医薬部外品で出すと
噂のすごい育毛剤はまだですか。
できるだけ毎日洗って待ってます(泣)

あいや、風呂は毎日入ってますよ。
だいたい。


8/11 煎餅布団
J也さんHERO人さんに連続して
「痩せた?」
と言われ、己の健康にかなり自信を失ってるながたです。
いや、取り立てて悪いところはどこもないんですけど……

軽い腰痛もお布団を少しせんべいにするとかなり治りました。
床を感じられるぐらい薄くするのがポイントです。
そういう布団に寝ると、それ以外にも悪いところが明らかになります。
例えば僕の場合、仰向けに寝ると右足はつま先がだらんと右へ倒れるんですけど、
左のつま先は天井向いたままなんです。
右の股関節なのか脊髄なのか骨盤なのか、
それは専門家ではないのでわかりませんが、
とにかく足回りが左右対象ではないという事実はわかるわけで、
では重い荷物を片方で持ったりはしないでおこうとか、
伸び(ストレッチ)をなるべくしようとか、
気はつけるようになります。

ふかふかのお布団だとそういうのに気がつかないんですね。
文字通り埋没して。
匠の国日本が明治に至るまでベッド的なものに見向きもせず
せんべい布団一本槍だったのは、
上げ下ろし前提のシステムの中で可搬性を追求したり
綿が高価だったりという側面もあるのでしょうが、
身体によかったんではないか、
とも考えられます。

そもそもからして人間といえども穴居の昔は土の上ダイレクト、
せいぜいが毛皮や干し草の上程度で寝ていたわけですから、
身体の方もある程度はそれでOKのはず。
もちろん甘やかす=大事にするのも意味があると思いますが、
あまりそれをやりすぎるとよくないようです。
調節機構が働かなくなる。
廃用萎縮てやつなのかも。

毎日散歩数十分で身体の調子が全然違ったり、
「ほんの少し負荷かけてやる」
ことで、身体の本来持つホメオスタシスの働きを引き出すのが、
健康の秘訣くさいです。
アルコール入れたりとかカフェイン入れたりとか、
逆の刺激もまた、適量ならば、この働きを高める意味で
身体にとっていいことなんでしょうね。

人間というのは上手くできてるものです。



8/10 ジーンズ履き替え時期
ジーンズの履き替え時期は
「なんとなく履き心地が悪くなるまで」
というのが目安だったのですが、昨日新しい目安を発見しました。
では久しぶりに遼太郎&みどりで。

「おはよー! 遼太郎ー!」
「んー……おあよ」
「……あー、だめだめ、そのジーンズ、ずっと履いてるじゃない。
 お洗濯するから違うの履いて」
「んー、いいよ、まだそんなに履き心地が悪くなってないし」
「またそんなこと言ってる〜! ダメだよ、汗くさいよ〜」
「そうかなあ……」
 くんくん。
 両太股のあたりを近づけ嗅いでみる遼太郎。
「……大丈夫だよ」
「あ、あのね、そんなとこじゃなくて、ここ。腰回り。ベルトの裏あたり。
 夏はね、地肌がここで直接触れるからね、上半身の汗がここに染みこむの。
 ほら」
「ん?」
 くんく……
「……んー……」
「ね? ね? くさいでしょ? すっぱい匂いするでしょ?
 ほら、お洗濯しなきゃ」
「……いや、ちょっと匂うけど今日一日ぐらい大丈夫」
「嘘ばっかり! きっとジョセフィーヌみたいな匂いがするんだ!」
「んなことないって! ほら」
「……くんくん。
 ……ふー……」
 ばたん。
「こっ、こらー! 倒れることないだろ!? そんなすごい匂いじゃないって!」
「うぅう……し、死にそう……」
「ばっ、何言ってんだ、こんなもんで死んでたまるか、ほら、起きれって」
「ぅう……わたし……もうだめ……」
「わかったわかった、違うズボン履くから。新しいの履くから。
 これはちゃんと洗濯してもらうから。
 ね?」
「う〜……それでもだめ……」
「もーーーーいったいどーすりゃいーんだよー」
「……倒れてる人を助ける方法は一つしかないよ」
「ん? それは?」
「人工呼吸」
「は!?」
「人・工・呼・吸!!
 マウス・トゥ・マウス!!」
「朝から勘弁してくれ〜〜〜〜〜!!」

マウストゥマウス式人工呼吸を考案された方が先日亡くなられたそうです。
何人の命を救ったかわからない偉大な人物ですね。

大丈夫です、パンツは毎日替えてます。
だいたい。



8/9 シロノワール
先日名古屋へ行った折、「シロノワール」なるものをいただいた。

パンケーキとデニッシュの合いの子のようなパンの上に、
ソフトクリームが載っており、お好みに応じてメープルシロップを掛けていただく。
聞いただけでおわかりのとおりのまたもやのジャンクである。

しかしこれがなかなか美味い。
ふわふわの生地に、早くも溶け出したソフトクリームがべちょべちょと染み渡る。
そこへさらにメープルシロップを投入してみると、甘みとドロドロ感はさらに向上、
もはや何がなんだかわからないぐちょぐちょの物体になる。
皿の上は実に汚らしい。
が、なんというか子供の日にやりたかったホットケーキの食べ方というか、
デザート版おじやというか、
とにかくガツガツと頬張れる。
ポイントは甘み成分二種の割合を自分で調節できるところで、
パンのみ、+ソフトクリーム、+メープル、+両方、
で4種類の味が楽しめる。
ま、それにしてもちょいとボリュームは多めで、一人でおやつには少し多い。
どんな食品でも量で不満は感じさせないのがまた、
名古屋名物らしいところでもある。

ともあれ、名前が妙だ。
「ノワール」は仏語で「黒」を指す。
では「シロ」とは何か。
「『白』黒でソフトクリームとケーキを現しているのかも」
しかし仏語には「ブラン」という白を現す単語がちゃんと存在する。
(ついでに足りない脳をひけらかすとモンブラン=Mont Blanc、「白い山」)
ブランノワールでよいのではないか。

家に帰って調べてみれば、
「シロ」はシロップのシロ、「ノワール」と合わせて黒いシロップ、つまり
メープルシロップを指すらしい。
しかしこれは非常に釈然としない説明で、そもそもメープルシロップはこの食品に
置いては非常にオプショナルな位置づけであり、事実最初からかけているわけではなく
別ボトルで出てくる。
そもそも仏語にはSirop d'erable(楓のシロップ)というメープルシロップを指す単語が
堂々とある。
真偽のほどは黒い液体の向こうに霞んでいる。

この「シロノワール」を出す「コメダ珈琲店」は東海地方に
200を越す店舗を誇る、巨大喫茶チェーンと聞いた。
なおも飛ぶ鳥落とす勢いで増殖中らしい。
道路沿いに駐車場を用意して出店しているところが、
クルマ文化の発達した東海圏に受けているらしい。
ログハウス風の明るい店内も、「ちょっと一杯」というスタイルにマッチしている。
従来型喫茶店とファミレスとの中間、という感じだろうか。
肝心の珈琲の味は……
ん、まあ、問題なし、というところ(笑)
「美味い珈琲が飲みたい!」と叫びながら行く店ではないが、
珈琲を飲めば満足できる店、といったところか。
それとても、ファミレスで、例えばロイヤルホストで死ぬほどマズイあの泥水
みたいなコーヒーを(あれ変わらないですね)飲まざるを得なかったり、
あるいはデニーズでどこの外食屋も使ってるあのベンダーで
ぎゃーと入れた深煎りカフェを飲まされたりするよりは
百倍いい。

とりあえず美味いケーキにとりあえず美味いコーヒー、
そしてとりあえず明るくて綺麗な店内。
肩肘も張らなければ、ダレ過ぎることもない。
落としどころとしては実に絶妙である。

しかし関西圏に持ってくるとなると、どうだろう。
京都や神戸の人間にとってあんなフェイク感丸出しの内外装は言語道断であり、
これっぽっちもリスペクトしてもらえるとは思えない。
また、大阪人にはそもそも「クルマでコーヒー」という文化がない。
数少ないながらも大阪で老舗と言われる珈琲店がどこもかしこも
ストロングなのは、よく言われるように
「おんなじゼニ出すんやったら濃い方が得ですやん」
という心理そのままであり、こういうカジュアルな喫茶が成り立ちにくい。
(南船場方面などにはおされキャフェがぎょーさんあるが
 ああいう非日常スペシャルとはまたジャンルが違う)

しかし、だ。
余所の国から生で持ってきたものをさも偉いものでも取り扱うかのように
珍重してみたり、
(Mドナルドの昔から1ミリの進歩もない!)
それならまだしも売国奴よろしくそれのパクリをやってみたり、
それならまだ努力も買えるがそのフォロワーみたいなものをこれまた
余所から仕入れてきてみたり、
そんなつまらないことに血眼になるぐらいならまだ、
まだ、
名前からして本当か嘘かわからないようなジャンクケーキをひねりだしてみたり、
精一杯「自分の頭で考えた」おしゃれログハウス的建物を頑張って建ててみたり、
する方が尊い努力だろう。

コメダの隆盛とシロノワールの人気は、
そういう健気な努力を認める人達もたくさんいる証拠、と捉えてみたい。
いや、そこまで積極的でなくても、
「ああいうの」はうんざりな人が多数居る反証ではあるまいか。
僕は新しい物好きでなんでもやってみたくて心は17歳だが、
正直「ああいうの」がもうキツイ。
そう思ってる人はたぶん多い。
想像するよりも、たぶんずっと多い。



8/8 焼肉
一昨日、テレビの上に置いてあったポトフの葉が、
しなびていることに気がつきました。
「暑さにやられたの?」
と見てみると、花瓶の水がありません。
まさかそんなに蒸発するのが早いなんて思ってもいなかったので、
慌ててお水を換えて、お薬を一滴。
「ごめんね、ごめんね」
と謝りながら……

でも、植物の生命力、ってすごいです。
今日はもうつやつやと張り切って、お日様の方を向いていました。
なんだか元気を分けてもらったみたいで、
すごく嬉しくなりました。
ごめんね、そして、ありがとう。

---

かように心優しいながたである。
牛も殺せない。
で、あるからして鶴橋で焼肉を喰おう。

「鶴橋」という地名自体、最近では遠方の方にもよく知られている。
人気店は土日ともなれば行列が出来る。

僕が大学生の頃は小さい店だった「空」さんが
びっくりするぐらい人気店になっている。
閣下、g石、J也さんと4人で行ったその頃の「空」さんは小汚い店で
(いや今でも小汚い)他のお店一杯でどうしようもなく、
「じゃここでもいっかー」という勢いで入った。
ところが、メニューの数字がびっくりするぐらい低額で驚いた。
謎はすぐ解ける。
一人前が少ない。
小さなアルマイトのお皿に、少し。それが次々にやってきた。
たったそれだけのことで、味はもちろん悪くなく、
一切れのサイズもかなり小さめで、
じゃんじゃん焼いてじゃんじゃん飲んだ。
「○○を何人前××を何人前……」と、注文してても景気と気分がいい。
あとホルモンも強い。
大阪人の僕でも聞いたことのないようなメニューが並んでおり、
それが一人前の少なさとあいまって、「じゃ挑戦してみるか」みたいな楽しみもある。
それやこれやで人気が上がっていったのだろう。
特徴がある、というのはとても大切だ、と痛感させられる。

最近、焼肉の食べ方も変えた。
昔は「死ぬまで喰らえ」方式(それは方式ではない)というシンプルな作戦だったが、
「焼肉はスタートがピークである」
という真実にようやく気がついた。
腹が減っているど頭で、塩タンなり上ロースなりカルビのいいのなり、
とにかく食べたいと思うイイモノを一揃え叩き込む。
ライスと共にユッケ生レバーなどを貪り喰らうのもよいだろう。
これで一気に決着を付けてしまう。
食べたいものをセカンダリ以降のオーダーに散らすと、
腹が膨れてきてるからどんどん美味しく感じられなくなっていく。
また、イイモノというのは大抵味が濃いものなので、
その後ホルモン系だとちょっと辛い。
ロース食べた後にツラミだとツラミが可哀想である。
食べたいなら頭から注文して頭から混ぜて食べてしまうとよい。

冷麺もまた考え物で、あれを食べたが故にオーバーフローすることは多い。
オーバーフローすると最終印象そのものが悪くなるので、
一つを二人で、あるいは食べない、という選択肢も考慮に入れるべきだろう。
特にビールと相性が悪い。
当初から冷麺までを視野に入れるのであれば、ビールのペースは
遅め遅めで行くほかはない。
あるいはもう一件が既定路線になっている友達連れなら、
2軒目お酒→3軒目ラーメン
とちょっぴりお腹を残しておく手も有効ではなかろうか。
サムゲタン、チヂミなど腹の膨れそうなサイドオーダーはかなり論外で、
それをやるなら喰い盛り男子4人以上が必須だ。
個人的にはそれらを食べたい時は焼肉は諦め、
「韓国料理を食べる」というスタンスの方がより楽しめるように思う。

野菜で巻いて食べる韓国式も徐々に浸透、葉っぱネギなどを用意する店も
増えてきたが、あまりあれに期待しすぎない方がよい。
日本では肉が美味く野菜がマズイので、逆効果であることがしばしばである。

……等々、いろいろゴチャゴチャ考えたが、
焼肉の醍醐味はやはり大人数でワイワイと火を囲む、
あの原始的な喜びであって、
食べ方や食べ物自体も割とどうでもよいのかも知れぬ。
それは鍋などにも通じるのだが、
ということは火を用いてみなでそれを囲めばいいわけで、
牛肉以外のモノ、例えば魚介類を焼くようなお店を
作ってみれば当たるかも……

「それを炉端焼きといいます」
んー。



8/7 ネコ寝
「日々是不規則」
を座右の銘に今日も迷走するながたであります。

我が家のネコ達には各々お気に入りの睡眠ポイントがあります。
ふかふかしたソファや布団の上が多いのですが、
決してそこばかりで寝るわけではなく、
硬い床で寝てみたりもします。
今の季節は特に冷たい床を求めて、というのもあるのでしょうが、
あまり柔らかい場所ばかりで寝てると、骨や筋肉によくないのかも
しれません。
なんせ15時間は寝るといわれてる彼ら彼女らですから、
その辺のバランス感覚は人間よりも優れてて当然でしょう。

しかし一度一度の睡眠姿勢を見ると、これが結構めちゃくちゃです。
これも面白いもので個性があって、
例えばマイクルは肩関節が前向きの人らしく、結構な割合で両腕を
まっすぐ前に伸ばして寝ています。
と思えばアイ吉は首を曲げてないと落ち着かない人らしく、
誰かによっかかったり(大抵被害者はマイクル)、ソファの肘掛けの部分に
頭を載せたりして首を曲げます。

低発泡系枕や敷き布団で、「理想の睡眠姿勢!」も目指すのもよいのですが、
逆に適当な姿で、しかし場所やパターン、時間や環境を変えて
寝てみるのもまたよいのかもしれません。
まあ、人とネコとを一緒にするのもムチャなのは承知しつつも。

「こうでなければならない」
と、一つのベクトルを一歩一歩極めていく努力も、
「こうかも。あでもこれも捨てがたいかも。あるいはまたこれも」
といろんなベクトルの揺らぎの中でウロウロと、
でも常に歩いている、という努力の仕方も、
どちらも大切かな、などと無理矢理思ってもみたり。

ネコ達を見てると、
「これがいいな」とまでは思えませんが、
「これでいいな」ぐらいには思えます。

リッキーさんは僕の部屋によく遊びに来ます。
柿の種のビニール袋を破ると、跳ね起きて立ち上がって手元を覗きに来ます。
そこで柿の種を差し出すと、つまらなそうな顔をして去りました。
どうやらヤマキカツオパックを破る音と勘違いしたようです。

ま、そのぐらい腰を軽く。



8/6 8/6
毎年この日には、いいことを言おうと思うのですが、いつもうまくいきません。

もちろん僕は原子爆弾を生で経験したわけではないですが、
あれこそが地獄の業火だ、というのは聞いただけでもわかります。
どんなに想像力がなくとも、被爆された方の写真一枚見ればもう充分でしょう。
しかし、その地獄を生み出したのは、神様ではなく人間です。
人間が生み出して、人間が使わせて、人間が使った物です。
人間に対して。

毎年思うのですが、1945.8.6をもって、
人間は「一つ間違えばみんなで滅べる」という力を手にしたのです。
そして、滅ばないようにするには、その力を制御して、
使わないようにしていかねばなりません。
使える力を使わない、それが大人です。
とすれば、あの日、あの瞬間、
自分の力を認識したその瞬間をもってして、
人間はようやく「青年」と呼んでもいいようになったのではないでしょうか。
そして、いつ来るかわからないですが、
具体的なその道具全てを捨て去る日が来たならば、
ようやく「大人」になったと言えるかもしれません。

あの日以来、己のためだけにぶるんぶるんとその「道具」を振りかざす人間を、
我々は大人あるいは青年とすら認められないのです。
子供です。
だからそういう顔を見て、げんなりするのだと思います。
自分達の生活と生命が、年老いた子供達に振り回されている事実に。

こうした意味で1945.8.6は人類史上に残る画期的な日で、
現存するどんな記念日よりも重要な日ではないかと思います。
この日が、せめて日本でだけでも祭日――祀りの日――になってないのは、
歴代為政者の歴史センスと文化的教養の無さを露呈する出来事であり、
この一件思い出すたびに情けなさで涙が出ます。
そしてかつ、疑いたくはないですが一抹の不安を感じざるを得ません。

いきなり全ては無理にせよ、
やっぱりやめる方向でいきましょう。

この日のたびにそう思います。
そして僕が生きてきる間、ブレはあれどもいい方に来ていると思います。
これからも、いい方へ。

人は想像上の天国と地獄のうち、地獄を創り出しました。
それならば、きっと天国も創れるはずです。



8/5 リカヴィネ
「♪ちいさーいこーろーはー つよいーんだけどー」
 ――パッチはいろいろ当たるけど、今日も私はケアルです――

黒魔道士のみんな、どうしてるかな、と久しぶりに掲示板を見てみたら、
「ほうきに乗りたい」
と夢を語り合ってました。
そのままブラウザを閉じました。

ナウシカがDVDになると聞きファーストガンダムはまだかとイライラが最高潮の夏、
皆様いかがお過ごしですか。
僕はもうダメです。

リカヴィネという小さなリカちゃんのフィギュアが
セブンイレブンで買えるとか。
またこんな大きなお友達を狙い撃ちするようなイヤラシイ真似を、
今時こんなあざとい商法に引っかかるお兄ちゃんなんか居ませんよ、
ねえ。

欲しい。

しかし近所にセブンイレブンは無い。
と、友人の極めて優秀なエンジニア(無論同い年)からTELがある。

「リカヴィネが」
「買ったよ」
「いくつぐらい?」
「2セット揃った」
「箱か!」

「もうあのお店にゆけない」と乙女のようなことを言うので叱った。
君は乙女ではない。
漢だ。

しかし圧縮小画像でも判る佇まいの良さ、
優しさ美しさ神々しさ、
それはもはや現代の観音様である。
違う時代に生まれれば、この観音様の造物主達は
「仏師様」とでも呼ばれていただろうか。
そういえば彼らは「原型師」。
なるほど師である。

ちなみに「絵師」「塗り師」とは言われるがもちろんのように
「文師」とは言われない。
言われるならば「文士」である。
我々はサムライなのだ。
たいてい仕事せずプラプラしてるあたりそのままであろう。

もひとつちなみに「音屋」という。
職人気質がよくにじみ出ている気がする。
『サーキットの狼』の太古から
「『走り屋』の『屋』って何?」
というのはクルマ好きを悩ませる無邪気な質問の一つだが、
この「職人気質」、走りの技能をストイックに追い求める姿勢を
そう現しているのだろうか。

最後に幸か不幸か「プログラマ」は「プログラマ」である。
「組み師」あるいは「ソース屋」などと呼ばれることはない。
彼らは南蛮渡来の妖しげな黒魔術を使う連中であり、
理解できないものに、名前は付けられない。



8/4 やっぱ新幹線世界一
「怖い」
「よそよそしい。顔が見えない」
「ラジオ風味がない」
と散々な新ほえながの時間です(泣)

ていうか僕がもうやめたい(泣)

やっぱこう、「俺はこれじゃなきゃダメ」と特注の原稿用紙や万年筆を愛用する
文豪の話じゃないですが、慣れ親しんだ環境って手放しがたいものがありますよね。
ま、もうちょいやてみま。
内容にもよると思いますし。

「今どこ? 名張あたり?」
「だから俺は、自分との約束を守るために、自分に克つために今日は行かない」
「いいから来い。ジンギスカン美味いで」
「……行く」
7時45分。8時43分のひかりすーぱーえきすぷれすばうんどふぉーとおきおに
またがって9時50分頃名古屋の10時30分にはステージ前。
新幹線最高。

いやその、まきをん鉄っちゃんg石アナと僕の4人揃う、
っていうのは初めてだったので。
この機会逃すとまたしばらくなさそうだし。
ジンギスカンはいただけませんでしたが
まきをちゃんの『二人でお茶を』、いただきました。
最高です。
まきをちゃんやっぱり心は乙女です。心は。
そしてパーカッションかな。
コンガ(だよね?)いいなあ。
手で叩くのがまたいい。
心奮わせる何かがあります。
太鼓の達人も売れるというものです。

行きの道すがら、少しでも速くと早足で歩きながら、
自分がFWであることを思い出しました。
点を獲ってなんぼ。
逆に言うと点さえ獲ればあとは別になんでもいいや。

一心不乱に歩いていると、
かようにして何が大事なのかよく思い出したりします。
困ったことになればなるほど、
どこを一番大事にしないといけないか、
思い出したり再発見したりするものです。

たまには汗を掻くのもいいものです。
汗を掻くために汗を掻くのもいいのですが、
特に掻きたくなくても掻かなければいけない汗もまた、
汗自体に酔うことがないのでいいように思えたり。
またも人間万事塞翁が馬です。

あるいはまた晴耕雨読、というのはそういう効用があったのではー。
とか、先人の知恵に改めて感服。

左手にクマが大の字に、右手にアライグマが小の字になって眠る中、
体育座りでそんなことを考える夜3時半。
君らジンギスカン食べ過ぎ。
少し寂しく氷結シャルドネを傾けた。
焼酎職人あるいはフランス人が聞けば卒倒しそうなジャンクアルコールだが、
これがまたベラボウに美味い。

新幹線に乾杯。



8/3 ほぼ日
 最近、「ほぼ日刊イトイ新聞」をよく見ます。
 ここにはいろんなコンテンツがあるのですが、個人的に最も面白いのが、ホスト役Darling糸井と著名人達との会話。藤田元司(元巨人監督)、保坂和志(芥川賞作家)、谷川俊太郎(偉大なる詩人)、吉本隆明(偉大なる思想家)……思わず膝を打つような含蓄溢れる話が一杯。
 普通の対談記事との違いは、テーマと全然違う近況話が多く載るところで、それによってその方の人となりが非常に近しく感じられます。
 真面目で固い話の中にそういう柔らかさを持ってくる、と、それすらも構えて語られることが多いもの。ところがここのは、受け答えが非常にナチュラルで気持ちいい。
 話し手にリラックスして話させる、それは実は非常に難しいことです。話の中身もですが、こうしたいい話を引っ張り出す糸井さんの力にも驚かされます。引き出しの多さとセンスの良さが、あの世代独特の肩の力の抜けっぷりをイイ方へ持って行ってる、非常に希有な例とお見受けします。

 でまあそれはいいとして。
 読者投稿型コンテンツ、も多いのですが、こういうタイプって例え主題がなんであろうといつの間にか興味を失ったりしませんか。
 飽きる、というのとはちょっと違うと思うのですが、醒める、というのかな。
 「VOW」とかでも最初はケタケタ笑って見てたんですが、いつの間にか「もういいや」って気分になりますよね。

 ひょっとするとこういうタイプ、巧まざるタイプの「笑い」とか「興味」っていうのは、長続きしないのかも知れません。
 ちょうど料理で言うといい素材そのままガンガン並べるようなもので、美味いのは美味いけど、続くと飽きる。いかに新鮮でいかに良質で、しかも素材が毎日変わったとしても、毎晩ぶつ切りの刺身が続くと、おそらくは嫌になる。
 昔気質の芸人さんが「笑われるな、笑わせろ」と言っていたのは、実はそういうことなのかも知れません。巧まざる笑い、では、いつか飽きられる。それに頼らず精進せよ、と。

 ラジオの深夜放送とか、それをベースにいじり倒して組み立てて行く場合、あるいは往年の「OUT」のように職人達がネタを競い合うスタイルになると、また話は別なのでしょうけど。

 ここのWebの弱点はもうお分かりの通り、当たりコンテンツと外れコンテンツの振幅がやったら大きいことです。ですがこうした、「振幅の大きさ」を持ちうるのもまたWebならでは。
 例えば藤田監督との対談を本にまとめるなら、「石に凝ってた」なんて部分は削って、もっと戦略論とか人間論とかリーダー像とか、そういう話に焦点を当てるでしょうし、また当てざるを得ないでしょう。その方が売れるから。
 と、考えるとそういう弱点自体が強みも引き出してるわけで、やっぱり長所と短所は紙一重、ですね。

 ということで、こちらのWeb見られる方でお忙しい方は「とにかくDarling糸井がらみ」でウォッチすればおおよそ間違いないと思います。(もちろんそれ以外が駄目、ってわけじゃないですけど)

 あ、あと見習いたいなー、とひっさしぶりに思ったのが、いろんな企画をポンポン打ってくるところ。もちろんそのほとんどは、糸井さんならでは、彼にしかできないことなのですが、レベルやサイズや幅は別にして、Webを媒介に、そこから飛び出して現実に身体を動かす、それはとてもいいことです。
 自分の身体で、見たり聞いたり体験したり。
 昔はそういう企画物ぷろでゅーす大好きだったんですけど、いつの間にかめんどくさくなってひとまかせ(笑)になってしまいました。ここ見てると、「あ、こんなんやってみたい」と思うことしばしばです。実に久しぶりに。
 とりあえず視野が活動範囲が狭くなってたのは思い知ったかな。
 ま、ここも「PowerNetwork!!」っていうぐらいですから、そういう楽しい企画とかちょっとずつやってみたいかな、とか思ったり思わなかったりするナツ本番です。

 このものぐさ男にそんな気持ちを思い出させる、いろいろと元気の出るWebです。
 とりあえずご紹介まで。



8/2 負けても。
 ほらね。横浜だったでしょ?(笑)

 致命的DFミス2つ、あれのどちらかを神戸がいやカズが取ってれば話は全くわかりませんでしたが……岡ちゃんの言うように「棚からぼた餅がボタボタ」でしたね。
 それにしても3点目の奥のFKはパーフェクトでした。
 印象的だったのは勝利インタビューでの彼。ぽやや〜んとしたジュビロ時代に比べ、随分オットコマエになってました。希望しての移籍、ゲームキャプテンなど、環境や自覚が人を育てた好例ですね。

 いやはや、おめでとうございます。

 そして我らが桜はいつの間にか5位。
 得失点差0で5位ですよ。
 勝つ時はしっかり勝つ。負ける時もしっかり負ける(笑)
 これぞセレッソサッカーです。

 ---

 負けからこそ得る物は多いです。
 しかし失う物もこれまた多い。というか失うからこそ「負け」であって。
 それでも。
 いくら負けても明日へは向かわなければならず、いや向かわなくても明日は来てしまう。
 もう一度立ち上がってピッチに出て行かねばなりません。

 ふてくされても、諦めても、ヤケになってもダメです。
 歳を取ってくると、そういう逃げが何の解決にもならない、という実感と経験を積むがゆえになおさら厳しいです。
 時間は強力なお薬なのですが、一日の一年の価値は相対的に年々下がっていきます。同じ痛みを回復するのに、とても長い時間がかかるようになります。
 しょうがないので、ズタズタのまま、ピッチに立つことも多いです。

 でも。
 立とうとしているうちはまだ大丈夫。
 そうしているうちに調子も上がるかもしれないし、チャンスもあるかもしれないし、棚からぼた餅が落ちてくるかもしれない。
 いいプレーができなくても、突っ立ってるだけならできるはず。
 とりあえずは、そこから。

 そしてね。
 立てない立たないという選択肢ももう無いんです。
 だって今そんなこと言っちゃったら、ホントにどうしようもないおっぺけぺーで終わっちゃうじゃないですか。
 変な話ですがそれを言えるそれをやれるのは若者の特権ですよ。
 おっちゃんちょっぴり羨ましい。戻りたくはないけれど。

 表現の仕事を選んで辛いな、と思うことは、仕事の不調が生の不調に直結することで、駄目な物書いてる=俺が駄目、なんです。
 ほんとはそうじゃない、っていうのは理屈ではよくわかってるんですが、頭をハートがねじ伏せるわけです。駄々をこねて。
 そのぐらいのハート持ってないと。他に何も持ってないですしね。

 スポーツ観てると、何度でも立ち上がる人の姿を見て、ほんのちょっぴりですが勇気づけられます。特にサッカーは、試合中物理的にゴロンゴロン転がされますし、1点が重いので、ゴールが1つ決まると天地が終わったかのような衝撃が両チームに走るんですよね。
 でもそこから、立ち上がる。

 タイムアップの笛は、いつ吹かれるかわからない。
 失った物を、負けた数を指折り数える暇なんか無いはず。
 得た物を大切にし、納得という勝利を信じて立ち上がろう。

 では今日も、もう少し書いてみます!



8/1 ちょっと気分転換
スタイルを少し変えてみました。
死蔵していたホームページビルダーver.7を使ってみたり。
しかし考えてみると形を変えるのは「ほえなが」始まって以来で、
当人も当惑中。
やっぱり4年半の慣れというのは恐ろしいものです(笑)

かなり根元的なことですが、横書きにする際にどう文章を区切るのか、
というのは未だ標準スタイルが無いと言ってもよいと思います。
具体的には、
(1)短文(区切りのいいところ)で区切って改行、行頭はインテンドなし
 つまり電子メール風
(2)古来親しまれた連続センテンス、行頭インテンド一つ、
 縦書きをそのまま横倒ししたスタイル
に大分されると思います。例を挙げてみます。同じ文章です。

(1)
最近、駅前の喫茶店に行くことが多いのですが、
そこの「陰干し珈琲」ってのがなかなかのお味。
もちろんちゃんとした喫茶店ですから、オーダー受けてからドリップスタート。
(ひょっとすると挽くのからかも)
これは基本ですねえ。
苦み酸み甘みのバランスもよく、口元にカップを持ってきた瞬間、
思わず笑みがこぼれます。

(2)
 最近、駅前の喫茶店に行くことが多いのですが、そこの「陰干し珈琲」ってのがなかなかのお味。もちろんちゃんとした喫茶店ですから、オーダー受けてからドリップスタート。(ひょっとすると挽くのからかも)これは基本ですねえ。
 苦み酸み甘みのバランスもよく、口元にカップを持ってきた瞬間、思わず笑みがこぼれます。

どちらが読みやすいです?
もちろん「ほえなが」は当初より(1)のスタイルでやってるわけですが、
(2)の方が読みやすい、とおっしゃる方も多いのでは、と思います。
なにせ出版物はほとんどみなそうです。

ところが、出版物では横は25-35文字が読みやすいとされ、
(縦より厳しい・眼球の動かし方疲れ方などに起因するようです)
それ以上になる場合は段組みが基本となります。
しかし、Webで(2)の書き方を選択した場合は、
・横文字数制御は諦めてびよーんと伸ばしっぱなし
・テーブルタグなどで囲って緩く制御する
の2つのやり方が一般的です。

これのどちらもがどうも嫌で、それもあって、(1)の書き方をしていたんです。
(個人的に好き、というのが一番の理由ですが)

ところが最近はWindowsPCでWebを見るならIE決め打ちで間違いなく、
IEは困ったことにというか便利なことにというか、コントロールキーを押しながら
ホイールを回すと文字サイズが簡単に変更できます。
つまり、横文字数にこだわること自体、かなり意味がないことのように思えます。

てなことで今月は試験も兼ねて、(1)(2)を併用して
テキトーに改行してみることにします(笑)

……と、ここまで書いてきてなんだか「ほえなが」を書いてる気分では全然ないです(笑)
案外寿命は短いかも〜。




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