吼える! ながたさん!

おもいつくままに、随想随筆。

9/30 「高い」だとう!?

「スシ食いねェ!」ってレコ大獲ってますよね?(挨拶)

つーかもー、わけわからんくなてきたぞ(泣)

最近遊びの時間をあんた人生そのものが遊びじゃん遊び以外の時間なんてあるの?いや無いごめんなさい、
ぜーんぶ原稿に捧げているのですが、
なんかさー、ページ設定とかさー、印刷設定とかさー、裁ち切りが何ミリとかさー、
今回は表紙データで入れてやろうとか企んでてさー、
印刷会社さんによってフォーマット違ったりさー、
こんなことならコピーにすりゃよかったとかさー、
もうさー、あのさー、
(泣)。

3年前はもっと手軽にぴょーってやってたはずなのにどしてなんだろ?
おっちゃん脳がプリンになりつつあるのかしらん。
だれかこーゆーの一発でぴしゃーってなるソフト作って(泣)
あ、文章本用希望(泣)

---

ソースネクストが1980円でソフト売りまくるぞと怪気炎を上げるのに対し、
「そんな(価格体系)じゃ国内でソフト作れない」
と泣き言が漏れてるそうですが、
そうかもしれません。
マクダゥエルが59円をやった時に知った風な顔をした責任もなーんもない
経済系の書き散らかし屋が「えらいよくやったすばらしい」と褒めちぎった
もしくは好意的に解釈していた記憶があるのですが、
結局アレって混乱以外には誰にもただ一つもこれっぽっちも幸せは残しておらず、
マツダの5チャンネルクロノス8兄弟同様歴史に永遠に
「大失敗」
として名を残すと思っちゃったりするのですが、
そんな匂いがプンプンします。

円盤パッケージメディアを例えコンビニ等々まで販路を拡げるにしても
2000円というのは限界値目一杯で、
それは宇多田ヒカルだMISIAだモー娘。だ、っていうデカイタイトルだから
なんとかなってて、よくリリースできて年1本のアンチウィルスや
年賀状系のソフトでは……

安くなるのはもちろん大歓迎なのですが、
PCソフトってこれだけ世の中に氾濫していても
「使い物になる」
というと実に少ないのが現実、
というかパッケージメディアのPCソフトを(エロゲー以外で)
買ったというと……(遠い目中)
ATOK16が最後かな? ビルダー7かな。
で、これ両者満足してお金払ってて、
僕は仕事柄もありますがATOKに「2000円にしろ」なんて口が裂けても言えません。
むしろ2万でも我慢しなくもない。

ソースネクストさんの企業努力にケチをつけるわけではないのですが、
その世界その時点での適正価格、っていうのはどうしても存在して、
そこであるならば誰も文句は言わないと思うんです。
無理に値段下げたからって売れるものでも無し。
特にPCソフトは明らかに目的指向の物品ですので、
要らない人にはたとえタダでも要らないものです。
本やCDのように「500円なら試しに一枚」なんてものではない。

何が怖いかと言ってマクダゥエルの例のように、
市場に混乱を招き消費者に妙なイメージを植え付けてしまう恐れがあって、
例えばATOKなんかでも、関係ない人にとっては
「タダでIMEがついてくるのにどうしてお金使うの?」
というモノになっちゃってますよね。
ATOKは歴史も長いし良さを知ってる人も沢山居るからまだなんとか
なってますけれど、これがもうちょっと「知る人ぞ知る」みたいなソフトだったら
どうなるか。
どんどんお金落ちなくなって、開発できなくなって、遂に消える。
IMEなんか使わされてご覧なさい、
日本中で文字書いて暮らしてる人間が数多く発狂して死にますよ。
いやもう、これは冗談抜きでマジでマジで。
アメリカだったらそれで6兆ぐらいMSからかっぱげるぐらい深刻な事態です。

PCソフトはちょっと微妙な位置づけですが、
「良いモノにはちゃんとお金を出そう」
という意識は持った方がいいと思います。
先日もどこかの掲示板でRealforceの話題を見ていたら、
「高い」っていう話になって、
血の気が引いて気が遠くなりました。

いや、980円で全く同じ機能を提供するキーボードが手に入る時代に、
16800円する、というのは確かに局地的相対的には高い。
でも、それはPC一式20万円とか、
同じ入出力装置であるところのディスプレイがちょっといいのだと
7万円ぐらいするとか、
いやそもそもMSの純正マウスでもちょいいいの買うと6800円するとか、
あるいはエロゲー2本分だとか、
そもそも昔パーツで取り寄せたら3万とか平気でしたぜ、とか、
そんなことこんなこと考え合わせれば、
広めに見ればそんなに高いものじゃない。
ましてRealforceは静電容量スイッチという「これしかない」という武器を積んでいて、
これが気に入ったら価格がいくらであろうとも(払える払えないは別として)
高いとか安いとか言ってる場合ではない。

「『僕にとって』16800円の価値はなかった/なさそうだ」
というのが本来の表現であって、
物理的に新規金型起こして大量出荷も見込めないPCパーツを
何百本とかそんな小さい単位で細々と作るなんて事自体、
この糞効率効率と効率気ピーな世の中では、
両手合わせて拝みたくなる職人魂いやボランティア精神すら
にじみ出てくる立派な所業です。
それを、「高い」だなんて。

ちょっと誉めすぎですが、
人は、なした努力に対して、
「方向が間違っている」という指摘ならば議論もできますが、
「努力してない」と言われると死にたくなります。
そしてそういう誤解は、人と人との間で始終起こっています。
ですから、ちょっと周りを見渡せば物理的に数字が出てきて判断のつく、
こういう工業製品周りで、そういう「間違った」判断は、
できるだけしてあげないように、
お客も努力すべきです。

往々にして、ちゃんとやってるところほど、
それがどうしてその値段になるのか、説明しないものです。
なぜかといえば使えばわかるし、
使って判らない人に説明しても無駄だから。

元メーカーの人間だからバイアスたっぷりで言わせてもらいますけど、
日本という国はモノヅクリで喰ってる国です。
食べ物の6割を、もの作りで稼いだお金で外国から買って食べてます。
サービスの連中はどいつもこいつもだらしなくて、
ほとんどが出超ではないですか。
で、あるならば、
どんなところでどんな努力をした結果、こんな風なお金がかかって、
それをこんな風に値付けして売ってるんだよ、
みたいな勘所を、
もっと国民的な意識として高く持つべきではありませんでしょうか。
ちょっといいフレンチや懐石だと15000円ぐらいザラではないですか。
いい温泉宿泊まれば2万円では効かないではないですか。
それを「そういうものだ」と理解できるクセに、
なぜRealforce16800円の価値が理解できないんですか。
毎日何時間一年で何百時間も触れるものなのに。

お父さんお母さんもそれこそが教育ですよ。
「価値を教える」ってことがー。

くりかえしになりますが、
理解して評価しない
のは構わないんです。でも、
理解しない
のはよくない。もちろん、知識経験は人それぞれ、
誰だって知らないゾーンはいくらでもあるわけですが、それならば
知らない
というスタンスを取って、詳しい人に訊けばいいわけで、
それもしたくないなら黙ってるべきです。

Realforceだけではなくて、世には、
「これは絶対金額は少々張るかもしれないけれど、
 作り考えればしょうがない金額だし、
 使ってみればそれだけの価値はある」
というヨイモノがいくらかですがあります。
悲しいかな、しかしそういうものは本当にいつも風前の灯火で、
頑張って応援しないと消えていきそうなものがほとんどです。
いつまでもあるヨイモノなんかどこにもありませんよ。
あのメルセデスだって190と今のCでは月と満月ポンです。
いや、満月ポンは美味いので好きですが。

ま、そんなこんなで、
価格勝負!
みたいな話を聞くと、ビクビクしてしまうのです。
日本人は極端すぎます。
ついこないだまで千葉の山奥に2億も3億もするような豪邸を並べてたのに。

---

と、イライラを愚痴にしてぶつけてみました。
最近吼え的だなあ(泣)

良いモノ作ってる自信のある皆様、私は応援しておりまする。
できれば買いたいのですけれども(泣)


9/29 夢路いとし師匠

いとし師匠が、いとし師匠が〜〜〜〜(号泣)

子供の頃から慣れ親しんだいとこいの漫才がもう聞けないかと思うと、
もっと一生懸命「生活笑百科」を見ておけばよかったと
涙が止まりません。
ついこないだまでお元気に舞台に立たれていたのに……

昔は知らないのですが、僕が物心ついた頃には
ネタはいつも、日常の実に平凡な話、スキヤキ食べたとかそんな話を、
いとし師匠がボケ倒してこいし師匠がキレ気味にツッコミ倒して、
という王道中の王道。
でも同じネタでも何回聞いても面白い。
フツーだからこそ、アブラっ気が抜けているからこそ、
古くならないしいつ食べても美味い。
一番のベテランなのに一番安心感がありました。
聞き心地がいい。

当たり前が当たり前でなくなる、これは辛いですね。
やっさんの時は、もうやす・きよが聞けない状態が長かったので、
「残念」という気にはあまりならなかったです。
枝雀さんの時はまず驚きが来て、それが「残念」を覆い隠したものです。

しかし、予期できることながらそれから目を逸らしていた事態が起きると、
実に寂しい。
これから先も、四天王の落語が一人一人聞けなくなったり、
阪神巨人やカウスボタンの漫才が聞けなくなったり、
していくんでしょうねえ。
歳を取るのは、イヤなものです。

ご冥福をおいのりします。
最後まで、お世辞なんか抜きで本当に面白かったです。

芸人は、こうありたい。


9/28 スタンダード

夢遊ライティング(半分眠りながらただキーを叩く)
にチャレンジ。
もしあらば失言暴言お許しくだされ。

---

学生時代に恩師と友人とが論争してたのです。お題は、
美味いものの食べ方。
「若いうちから、できるなら美味いものから食べたらエエねや!
 それを基準にすればエエねや!」
と吼える恩師、それに対し
「マズイものを知らなければ美味いものはわからないじゃないですか!」
と牙を剥く友人。

ともに一理あると。

ただ、ま、どちらかというと恩師よりの考えになるのですが、
マズイものは身体が知ってるんですけど、
美味いものがどれぐらい美味いか、っていうのは、実は鍛えないとわからない。
「本当に美味いものはいつでも誰にでもわかるものだ」
というのも実は凄く微妙で、
本当に美味くても、それ以外のファクターで目が濁ることはよくあります。
有名ではない。標準ではない。価格が高い安い。
自信を持って、どんな状況でも条件でも
「コイツは美味い」と言えるようになるには、
結構な経験(失敗を含め)が必要になると思います。

と、考えてて思ったのですが、
日本という国には「スタンダード」っていう考え方が無いんじゃないかと。
もう、常に二極分化。
ガラクタor高級品。
長田区のケミカルシューズかWestonを輸入。
紙と木でできた、地震で倒れること前提、火事で燃えること前提、
日本最高の神社でさえ20年に1度建て替え、
という価値観と、
法隆寺、1300年どんとこい。
この木材は400年ぐらい経ったあたりからしっくり来る、
とかなんとかの価値観。
「ちょうどいい時間きっちり持つ」というど真ん中の考え方が極めて薄い。
この辺、ヨーロッパとはまるで違うように思います。

それは昔あって失われたものなのか、
いや、やはり最初から無いものなのか、
そこはよくわからないんですけど、
とりあえず無い。

スタンダード、「これはど真ん中」が無い社会に置いては、
通常手にするものがガラクタなわけです。
マズイモノ。
で、そうなると必然的にマズイモノ=スタンダードになっちゃうわけですよね。
マズイモノって舌を痛めますから、
ウマイモノを食べた時に、まず違和感が来るんです。
本能を直撃するような圧倒的差異があれば別ですが、
人間って敏感なようで実に愚鈍で、
しっかりした意識持たないゾーンの出来事など、
もの凄く差があっても気がつかなかったりする。
すると、ウマイモノがわからない。
となると、エキストラコストを投下してもらえる機会が減り、
都会の片隅で「え?こんなところで?」という知る人ぞ知る店になるか、
ブチ切れて猛烈なコストを掛けさせて高級品として無理矢理認めさせるか、
のどちらかになって、
ますます「スタンダード」が存在しない。
ますますマズイモノばっか食べて、舌が痛む。
もちろん、ウマイモノ喰ってる連中も、
「スタンダード」で普段を生きる、っていう手段が取れないので、
年がら年中ウマイモノ。
すると刺激が薄れるので、もっとウマイモノ、もっとウマイモノ……
富める者ますます富み、貧しき者ますます貧しく。

「富の再配分」という言葉が経済学にありますが、そのノリで、
「価値の再配分」とでもいうべきなんらかの施策を施さないと、
エライことになるんじゃないか、と不安になります。

「啓蒙」という活動があり、もっとくだけて「布教」なんて言ったりもしますが、
そういう役目を負うのが、今は個人でしかありません。
学校は知識以外でそういうものを極端に排しており、
マスメディアは……なにか期待する方が間違ってます。
(これはどうもシステム的特性なので、それを悪いとか言ってても
 一歩も進まないので、諦めて捨てるのが早いかな、と思います。
 ただ、捨ててる、という認識を広める必要はあります。
 たぶんこの系統の人々もそう思ってもらった方が楽なんじゃないかな)

価値のセンターが定まらない、
というのはモノの話してる分には極端に言えばどうでもいいことなのですが、
お察しの通り、善悪とか生き方に及んでくると、
ただ事ではなくなってくるわけです。
「これはいいこと」「これは、駄目なこと」
生活のほとんどは「どっちでもいいこと」ですが、
たまにぴん、と針がはねた時に、それというのはなんなのか、
それを判断するには、やっぱり確固たるスタンダード、
価値のセンターがあった方がスムーズだと思います。

押しつけるわけではなく、
「世間一般的に昔から『これがいい』ということになっている」
という例示は、常になされている必要がある、のかもしれません。
戦前教育の無茶、というか似たようなことは今も世界中のどこでも
行われているのですが、
ああいう事態があるので、その例示自体にビビっている、
のが現状のような気がします。
問題はそこじゃなくて、例示する内容、それそのものなんですけどね。
それも基本に帰れば帰るほど普遍性にあふれ、
例えば「殺すな」とか「嘘をつくな」とか、そういう当たり前になるはずです。
そこから個々事例に当てはめていけば、
どこを守ってどこは我慢するべきか、それはわかってくる、はず。
だからそういう当たり前を、いつでも目にできるような
社会が良いのではないかなあ、と思います。

個人的には、「これがいい!」と思ったら臆することなく
ぺらぺらここでしゃべるようにしています。
その筋の方からすればごくつまらない「当たり前」かもしれませんが、
それ以外の人にはそうではないかもしれない。
現代社会は複雑にすぎます。

そして、なるべくならウマイモノ、を食べていこう、と思います。
(念のためですがご飯のことだけじゃないですよ)
上述どおり、この国では気を抜くとすぐマズイモノ、に呑み込まれているので、
意識してしすぎることはないように思います。
いやほんとに、気がつけばマズイモノ慣れしてて、
何が美味いのか忘れてる。
そのくせ、なんか食べた気になってる。
これが一番タチが悪い。
栄養になってないどころか、体調崩してるだけなのに。
もちろんウマイモノはコスト高いので、
できるだけ数少ないスタンダードを探して、それでなんとかするように……

---

に、してもどうして、ここまで無いんでしょうね。
スタンダード。
インナーケース無しでリュックにつっこめるノートPCといえば
ほぼThinkPadだけ、ってそりゃおかしいでしょ。
なにがモバイルや、っていう感じですよね。

ひょっとして嫌いなのか? ここの人々は。

だとすると前途に希望がないので暗澹たる気持ちになるんですが、
さすがにそれはなさそうに思えるのもまた事実。
なら、なにが一体邪魔をしてるんでしょう。
どこをどうすれば、「ここちよいフツー」に囲まれることができるのでしょう。

それが最大の贅沢だ、って?
それは実に歪んだ社会だと思いませんか。
ならなおのこと、なんとかしないと。

さしあたり私としましては
フツーに面白い
ものを作っていきたいのですが、

これが難しい(笑)


9/28 ポイント

マッハ!(挨拶・まさる風)

今日は楽しいF1デーなのですが、
やっぱり今季からの「2位8ポイント」って失敗ですよね。
(優勝は10ポイントです)
いや、結果としてギリギリまでもつれてるので興行的に面白い、
それはそうなんですけど、
ミハエルね、もう5勝もしてるんですよ。
ミハエル5勝(82p)
モントーヤ2勝(79p)
ライコネン1勝(75p)
おかしいでしょう?
なんで5勝もして、で、同じぐらい勝ってるライバルと一騎打ちならともかく、
2勝や1勝のドライバーに追い立てまくられやなあかんねん、と。

モータースポーツは、特に
優勝とそれ以外
と言っていいスポーツだと思います。
2位に意味がないからこそ、追い上げる方は
リタイアを怖れないアグレッシブな走りをするわけだし。
実際、今季は、レース2/3ぐらいで無理と判るや
(例えば2回目のピットストップでも逆転できなかったり)
もう2位狙い気味のドライブ。
そんなレースこれっぽっちも面白くない。
結果としての拮抗はあれ、その過程が面白くなくなってる気がします。
僕も全戦齧り付いて観てるわけではないので偉そうなこと言えませんが、
ライコネンなんて頭の方しか印象無くて、
ルノー勢とかの方がよっぽど「いつも頑張ってるなあ」って感じで、
で、3位て。
これで例えば(今日はノーカウントとして)
最終戦でアロンソあたりが優勝して、
ライコネンが2位で、
ミハエルとモントーヤがリタイアすると、
それでワールドチャンピオンですよ。
1勝のドライバーが5勝のドライバーを押さえて。
んなバカな話ありますか。
ドライバーにとっても実に不名誉な話で、
こんなんで決まろうものなら
日本人が子々孫々の代までカピロッシを呪うのと同様、ずーっと
「ああ、1勝でチャンピオン獲った人ね」
って言われるじゃないですか。

ということでこういう小手先の小技で辻褄を合わせようとするのは良くないです。
マクラーレン・ホンダ王国だって、ウィリアムズ・ルノー王国だって、
いつかは崩れ去ったわけで、
ミハエルだってもう34だし、
適切なレギュレーションでやってれば、
それに見合った結果がいずれ出てくるものです。

どうもこの、FIFAとかFIAとか、
欧州のスポーツ総元締めみたいな連中は信じ切れない……


9/27 雑感・雑感・雑感

「ミラクルズ!」には2p3pにメンバーのイラストと簡単な紹介があって、
これがさすがに古いので描き直そうと思い四苦八苦。
誰ですか18人もメンバー考えたバカは。

最初はフツーにバストアップ描いてたのですが、
実につまんない。
もうね、この連中のバストアップなんか各人何個描いたかわからんくて、
今さらどこをどう描け、っていう感じです。

書道なんかでもあることだと聞いたのですが、
同じ字を何十枚も書いて、いいのは中間あたり、
全体を把握して、ノってきて、勢いとチャレンジが上手く混ざってるところ、とか。
最初はおどおどしてますし、後になってくると飽きが来たり
あまりにアグレッシブに行ったりして、
「完成度」という点では下がっていく。
とか。

okb師匠の「ネタ話3回目最高説」というのもあって、
1回目2回目で練習かつ客の反応見て改良点出し尽くして、
3回目で完成度バッチリの話をして、
でも4回目以降は飽きるしパターンに甘えるし緊張感無くなるし、
崩したくなる欲も出るし。
そう考えると「こち亀」とか心底エライと超人を見る眼差しでしかありません。

中国語版「スーパーマン」はやっぱりタイトルは「超人」ですか?

あと、大ヒットの少ない歌手の方とか、
ライブ・コンサート等々でそのヒットを必ず歌うと思うのですが、
歌手にとっては何千回目、でもお客さんにとってはそれが初めて(が多い)。
難しいでしょうねえ。
それとももう、ラジオ体操みたいになってるのかな?

---

てな具合で辛かったので、全然要らないんですけど、
手慰みに身体まで描いてみる。
すると、楽しい。
ので、表情もよく見える。

やっぱり絵もストーリーというか、バックボーンというか、
「それはなにか」
というものがある方が、説得力があるようです。
身体描くと、そのカッコから、
「今何してるのか・しようとしてるのか」
が容易に想像できるので、描いてる本人も微調整しやすかったり。
ですので、身体といっても直立不動ではなく、
できるだけ動きがあったり、小物持ってたり、
個性的なポーズの方が描きやすく思います。

そう言われれば、
僕も何か文章をやっつける時には、
キャラや背景を割としっかり作らないと描きにくいものです。
例えそれが10KB(20枚)ぐらいの小品であっても、
キャラベース抜き世界観抜きバックボーンストーリー抜きでは、辛い。
(二次創作だと全部揃ってるので、このぐらいの量でも問題無しです)
たとえ本文中に描かなくても、頭の中ではある程度持っておきます。
#あまりキッチリ持ちすぎると、書いてもいないことを前提に
#話を進めてしまって、読み手に伝わらない表現をしてしまう恐れがありますが……

基本的にキャラ描きのながたは、だもので
ショートショートの類(ストーリー一本勝負)は非常に苦手です。
コントにしかならない。
逆に、確固たる世界観を構築しないとどんどん辛くなる大河長編も苦手。
すぐメシ喰いながらダベってしまいます。
世界を救う勇者なのに。

で、ちょっと話ズレます。
こういうのって結構ゼロサムで、
どこかを練り込めばどこかが落ちる。
(お前のキャパが少ない、っていうのははいわかってますすいません)
落ちる、というのは努力が足りないとかセンスが足りないとかじゃなくて、
出っ張ってるところが目立っちゃうので、
凝っても意味がない、というか
凝ることが逆効果になることがしばしば、ある。

大河原邦男、という名前は我々の世代の男の子にとっては
大日如来よりも有難い御名なのですが、
大河原メカは動いてなんぼ、RX-78も今見れば
まっちろで脛が細い、という妙ちきりんなデザインですが
(確かメカものであの前に「白」の主役はそう多くないはず)
あれがあーた、宇宙空間で緑色単眼、脚のごついザクを相手に戦うともう、
どヒーロー
なんですよ。
アニメにすることが前提のメカデザインですから、
「極力少ない線で、動かしやすく」
という点も考慮した上で、デザインされている。
だから動くとカッコイイ。

これも、「凝れるものを凝らない」という一例じゃないかなー、と。

ええもちろん「凝れない」と「凝らない」には大きな違いがあるのは
わかってますはいすいませんすいませんごめんなさいって言ってるじゃないですか。

省略もデフォルメも技術であって、
面白いマンガは往々にして白い。
「あずまんが」も「あ〜る」も。
描き込むこと自体はもちろん、悪いことではありませんが、
描き込めば描き込むほどベストに近づくか、というとそんな簡単なものじゃない。
大事なのは「良くなる」ことで、描き込むことではない。
描き込んでると安心するので、どうしてもそっち行きたくなるんですけど。
それは文章もですよ。

大切にしなければならないところをうんと大切にして、
埋めなきゃならない、なんてところは極力もう、白で。

まわり白にするからこそ、中心はしっかりしてないとカッコつかない、
そんな感じで。

……という具合に、他のこといろいろやってみると勉強になること多いです。
と、陶芸でもやってみようかしら……

---

アニメーターにも動かすのが得意な人と一枚絵の綺麗さが得意な人が
おられるそうです。
もちろん両立してる方もおられるでしょうが、
(めっちゃ門外漢言葉なのでテキトーに聞いてください)
動きをよく見せるためのテクニック、
パース強めに取るとかあり得ないようなポーズ取るとか、
それは割と一枚絵の良さとはある程度トレードオフな関係にあるのでは
ないでしょうか。
線もシンプルな方が見やすい=動きを把握しやすいでしょうしね。

この、複雑化への圧力というのは
エントロピー増大の法則なのか、とにかく生物の進化の過程など見ても
必ずのようにして起きる出来事で、
そしてあまりに複雑化したものは己自身に耐えきれずに滅びる。
そのくせ、ミドリムシみたいなヤツがずーっと残ってるんですよね。
いや、複雑化というか特化、なのかな?
ここんところは今ひとつすっきりしません。

PDAで、Palmが初期の成功を収めたのは
あのシンプルネスだと思いますし、
現にその頃の開発者達は、雨後の竹の子のようにあらわれるライバルに対して
「いや、『○○しかない』と捨ててあることこそPalmの良さだ」
と吼えてたのですが、
今やCLIE筆頭に恐竜ばかりです(笑)
そりゃ、同条件でやれりゃやれること多い方がいいのは決まってるんですが、
人間甘いもので、必ずどこか切っていく。
重量、バッテリ、価格。
見てお分かりの通り、これらは特殊フォーマット動画再生したりするのより
100倍大切なポイントばかりです。
でも、やっちゃう。

変えられるものを変えない。
加えられる手を、加えない。
バランスを考えて、ぐっと我慢する。
とても難しいことですが、大事だと思います。
どこにその基準を置くかと言えば、
やっぱり、最初の「自分の」コンセプトを貫くことなのかな。
そのこと自体、とても難しいのですけれども。

---

僕個人のセンターコンセプトは……うーん、
「楽しんでいただく」
かな?
シンプルでいいでしょ?(笑)

浅利慶太先生がマブダチの里見惇先生に
「浅利は『楽しませ手』だーらなあ。
 演劇を極めようってタイプじゃねーし」
と言われてブチブチブチブチブチッと来てそれからめっちゃ頑張った、
とどこかで聞いたのですが、
あたしゃそんなこと言ってもらったら嬉しいですけどね。

密かに嬉しく思ってたことに、学生の頃は
(今はもう全然崩れちゃいましたが)
「ながたの書く文字は読みやすい」
と言ってもらったりしました。
文字、というのは伝えるものですから、
何はさておきの便益として「伝わる」ことが大切で、
ならば「読みやすさ」というのはトップに近いプライオリティがあるはずで、
そういう意味で
「よい字を書いてる」
と脳内で変換していゃっほぅだったわけです。
特に自分の中で
「実用品としては」文字の優劣はそこで決まる、と思ってましたし。

これもどうも内なるRootsは同じで、
こんな仕事をしてても
「美醜はええねん美醜は」
という、こんな職の人間にはあるまじき
インダストリアルな感覚に常に襲われてます。
#時代に叩き込まれたか、というとどうもそうではないらしく、
そういう資質があるから例え3年といえどもあそこに居た、という気がします。

#念のため、ですがよけりゃいいに決まってますよ。
#無価値だというつもりはまるでなし。
#優先順位の問題です。
##……そもそも優先順位つけてる時点で駄目か。

もちろん、楽しんでいただく、といっても、
それは媚びへつらうことではなくって、
自分の技能と努力のだいたい全部を尽くして
「これが楽しいと思うのですがいかがでしょう」
という姿勢でいる、ということなのですが、
そもそもその姿勢自体がヘンテコな気もします。

ただ、いつもみたいに飲食店の比喩出してそれ自体胡散臭くて
申し訳ないんですけど、
食べ物屋さんでも、味は普通でも、姿勢としてそういう店の方が
居心地が良くて、好きで、
味が少々良くても、偉そうな店は嫌いです。
そば屋とかであるじゃないですか。こう喰えああ喰え小学生以下お断り。
あれが、駄目なんです。
#ファーストフードやファミレスでも、もちろん同じ系列でも、
#その眼で見ればいい店悪い店ありますよ(笑)

ということで、自分はそうなので、それで行こう、と。
また、意識しないと、そこから派生してる「手段」なのに、
いつの間にかその「手段」自体が「目的」化してしまいます。
日本人ですからねえ。
……いうようなことは、自戒を込めて、
よくここに出てくる話題ですけども。
すぐ、忘れるんです。
今はディスプレイにポストイットで貼ってます。

だから僕はたぶん、謙遜でもエエカッコでもなく、
クリエイターでもアーティストでもないんです。
作家、という響きにすら抵抗があって、
「ライター(書き手)」という日本ではフラットな語感の言葉を
よく使います。
芸人、というのがイメージ近いと思うのですが、現在ではこの言い方は
演芸系特にお笑いのイメージが強いので……

「Pleaser」って造語はどうでしょう。
プリーザー。楽しませる人。
え? 名詞はPleasure? いーじゃないですかんなこた。

だからといって卑屈になってるつもりもなく、
街の定食屋さんかもしれませんが、
食べてみれば美味い、
と思ってもらえるお店をめざしたい。
つまるところ、そこです。

がんばらう(泣)

それはさておき、描いても描いても終わりません(泣)
誰ですかサッカーを11人でやろうと言い出した御仁はー(泣)
楽しいからいーかもしれないんですけどー(泣)
あんま寝てませぬー(泣)

絵、描いてると楽しくて、文字通り寝食を忘れます。
文章の時はそうなんないのに……
え? なれ?
冗談ですよ、ある程度なりますよ。
ある程度。

生まれ変わったら絵描きさんになりたいと割と本気で思っているのですが、
たぶん生まれ変わったら絵を描きながらライターになりたいと言ってると思います。


9/26 体験版

あ〜(挨拶)

ここんとこ数年来、
「寝起きが一番調子が悪い」
んですけどどうしたらいいのでしょう。

はっ!
まさか更年期障害先取り!?

しばらく動いていると元気も出てくるんですけどね。
よく、そういう時には
「起きてすぐラジオ体操(散歩など)だ!」
と聞くのですが、
僕それをやっても、休憩地のミスド等々で
「あ〜」
とボーッとしてしまうタチで……

あ、ちなみに血圧はフツーです。上124の下72とか、そんなん。
まま上高血圧で、オムロン謹製の電子血圧計でいつでも計れます。
ちょっとだけオススメです。
安心できます。

ウチは亡き父が朝から元気な人でした。
母の手拍子に合わせて朝から踊る人だったので、
どうも遺伝ではない。

そういえば中学高校の頃も朝は苦手だったなあ。
あれは、「朝が苦手」じゃなくて、「起き抜けが苦手」だったようです。

ということは更年期障害ではないのか。
リルー安心。

---

なんだかそんなモヤモヤ気分だったので、
とあるゲームの体験版などやってみました。
結構評判のいいゲームだったので、どんなもんかいな、と思いつつ。
すると、うん、これがなかなか面白くて。
しかも体験版だから、実にいいところで切れてて、
「うをー。買いにいきてー。しかしそれは当月予算外ー」
と、見事に販売戦略に引っかかっております。

ゲームって、楽しいなあ(笑)

FF11を離れてこの方、しばらく「うえっぷ」ってなってたのですが、
またちょっとやりたくなってきました。
そんな時目がいくのは(コンシュマーでは)
ゲームキューブのタイトルだったりして、
具体的にどれがやりたい、とかじゃなくって、
カービィとかマリオとかが跳ね回ってるのがやりたいなあ、
って思ったりします。

いろんなタイプのゲームが世にはあって、
今ちょっと全体的に縮小傾向ですが、
やっぱり根元的な面白さ、
主人公でありながら観客であるところ、
自らの意志で物語が切り開かれていくところ、
とかとかは、普遍的に認められ続けるだろうと思います。
よそのメディアでリプレース効かないですからね。

そこの良さを最大限引っ張り出すように作るのは、
とても大変……というかセンス要ることなんですけれども。

でも、任天堂の皆さん始め、作ってる方は割とそれを
良く判ってる人が多いように思います。
そのうちまた回復基調になるんじゃないかな。
邦画とかも、一時期のメタメタさ加減から回復したじゃないですか。
問題はメディア/フォーマットではない。

ということで、欲しいタイトルもなくGCを買いたくなった夜でした。


9/25 トイレ書物

今J2で激しく昇格争いをしているサンフレッチェ広島を
その昔ステージ優勝に導いたバクスター先生、
今はイングランドU-19のコーチやってるそうです。
懐かしい名前を見ると和みますね。
サンフレッチェvsアルビレックスのJ2首位決戦、
中盤底ではサンパイオ対山口素弘のザ・フリューゲルスガチンコ勝負ですよ。
W杯3得点・セレソンの大ボランチvs日韓戦のループシュートを僕達は忘れない。
ホロリとします。

J2ってこんな感じで、売り出し中の若者と全盛期は過ぎたけど
まだまだイイモノ出せる(出したい)名選手を集めるような方向は
どうでしょう。
そりゃ上の4チームぐらいはすぐJ1でも戦える真剣戦力でもいいと思うのですが、
「弱いJ1」では魅力が薄いようにも思います。
ゴルフのシニアツアーみたいな感じ。

残り9試合で1位新潟(2位広島)3位川崎の勝ち点差は7。
まだまだ全然わかりません。

広島で思い出しましたがセレッソが勝てないのは
真中をレンタルで貸してるからではないかと。
なんつーかいっつも思うんですけどセレッソのチーム編成ってよくわかんなくて、
「確かにそこそこいい選手なんだけど今欲しいのはそこか!?」とか、
「えっ!? どうしてその選手出すの!?」とか、
「いや、出すことには反対しないけど、代わりは?」
てなことがよくあります。
鹿島戦の真中は光り輝いてたと思うのですが……

確かに、世界中が「ありゃ駄目だろ」と思った
ボランチ・ベッカムが(今のところ)見事に成り立っており、
フロントの選手獲得って現場に負けず劣らず難しいだろうな、
っていうのはよくわかるんですけど、それにしても。

降格もさすがに29も持ってりゃ大丈夫だと思うのですが、
早く楽になりたい。

---

「アンティチョーク」なるものを意識して初めて口にしました。
(ひょっとするとどこかでサラダかなんかに紛れてたかもしれないので)
なんつーか、調理法知らないと美味いともマズイとも言い難いものですね。
「オリーブオイルでタマゴと一緒に炒めると美味い」
らしいのですが、一瓶1800円の高級食材をそんな安直な調理でいいものだろうか、
とまま上と首を傾げました。
傾げるぐらいならあんたも買ーてきな。

ちょいと調べるとスペインなんかじゃ当たり前のように食べられてる食材
らしくて、日本で言うとタラの芽とかあのあたりでしょうか。
ふきのとうとか。
……ごく正直な感想として無理して食べるほどのものでもないような……

---

最近、「やっぱガッツ出していかなあかん」と思い、
トイレの書物を換えました(笑)

おおよそ3年ばかり「菜根譚」だったのですが、これには
よく言えば心安らかに生きる術、
悪く言えば儒教的「停滞」(司馬叔父の使う言い方)に身を置く生き方、
が書いてあります。
で、場所が場所ですし、
たくさん落ち着きをもたらして貰ったとも思うんですけど、
最近、ちょいと気づいたんです。

これは、確かにお薬になるんですけど、
痛みが和らぐだけで、根治しないんです。
病巣はそのまま。

「痛いのが当たり前だと思えば痛くないよ」
「痛いと思う心が痛みを生んでるんだよ」
「元気な人もね、いつ病気になるかわかんないよ?
 病気であることは悲しいことじゃないんだ」
「ほら、くよくよしてたって人生なんてあっと言う間さ」

わかっとるっちゅーねん。

どっちにしろ、それを超えていかないと、
いつまでも、そう死ぬまで、このお薬を飲み続ける必要があります。
それは、ヤだ。

「自然体で」「がんばる」というのは両立します。
同じように、
「無理をして」「あきらめる」というのも、両立しちゃうんです。
怖いことにね。

栄養剤・痛み止めに頼らず、
身体の地力をつけることで病気に打ち克ち元気に生きる。
やっぱりそっちの方がいいなあ、
と思って、気分の問題だけですけど、本棚に戻ってもらいました。

……で。
代わりをいくつか試してみたんですけど、
どれもしっくりこない。
「菜根譚」は何年もの間、ぱらりとめくったその辺りをぺろぺろと
読むだけでも(もちろん何度も同じ場所を読んでも)
飽きなかったものですが、
つまらん本は開ける気もしない。

ああ、やっぱり、好みやベクトルはともかくとして、
偉大な書物だ、と改めて感心しました。

新約聖書でも置こうかしら(笑)


9/24 どんなことでも一歩一歩

あー疲れた(泣)

23日は一日、同人誌の表紙であーでもないこーでもないと悩みました。
苦手。
大の苦手。
デザインセンス?
なにそれ、マリー=アントワネットの好きなお菓子?

……できない原因をいろいろ考えてたのですが、
要するにこういうものも「練習」や「場数」が非常に大切で、
日常的にやってるわけでもないのに上手い方がおかしい、
と結論づけて納得しました(笑)

文章もそうで、絵もそうで音楽もそうで、
センス云々かんぬんの前に、
「90分走りきる体力」「5mのパスがちゃんと出せる能力」
というのを手に入れるのがもの凄い大変で、
その基本できてれば充分中級以上です。
いや、たぶん、ご飯食べるだけならなんとかなるんじゃないかな、それで。
そのぐらい大変でございます。

……と、「文章が上手くなりたいんですけど」と訊かれたら
「まず訊く相手が間違ってる」と前置きして以上のように答えるでしょうから、
レイアウトとかデザインとかも、結局そういうところが大なんでしょうね。
何事も修練、鍛錬。

---

そこを手っ取り早くクリアする方法として、
「パクってくる」
というのがあるのですが、これは身に付きません。
次々に新しいのパクってくれば誤魔化しは効くんですが、
それで楽しいか、という疑問がモキモキ湧いてきます。
いいものを真似してなぞってみる、というのは非常に勉強になるので、
そのこと自体はいいのですが、それを自らのモノ、と勘違いすると、
後でしんどい。
ゼロから、そういった栄養を摂取しつつも、トライ&エラーを繰り返し、
悶えたり、痛い目に遭ったり、ほんの少し、幸せな目にもあったりして、
積み上げていくと、自分の力になります。
土壇場で頼りになるのは結局それ。

また、そうやってゼロから一からやってると、
教科書に書いてあるようなことがよく理解できる日が来ます。
「ああ、こういうことを言ってたのね」
シナプスの回路が組み上がった瞬間、
新しい回路をさーっと電気が流れて、
「あれ? どうしてついさっきまではこんなことに気づかなかったんだろう」
という瞬間です。
なんでもそうですが、この瞬間は楽しいですよね。
その直前は非常に辛くて、
トライを名目に逃げ回ったり、思い切りや一発勝負を名目に手を抜いたり、
ウロウロオロオロするのですが、結局回り道。
結局は、どオーソドックス真っ直ぐ一本を地道に丁寧にやることが、
一番早く回路ができあがる。
#ただし、回り道自体は無駄ではなくて、迷わなくなる、というメリットもあります。

焦らず、時間を掛けて、丁寧に、納得いくまでやり直して。

言葉にすると簡単なんですけど、
簡単だから、よく忘れますね。
自戒を込めて、書き留めます。

---

と、心構えは心構えとして、
やっぱり個人的に、性質として
「多種多様なモノを上手くバランスド・ミックスドさせる」
というのがどうも苦手なタイプであるのは確かです。
苦手も何も、好みじゃないし。

好きこそモノの上手なれ、好みでないゾーンのモノは、
上手くなりにくいですよね。

これを見つけるのは凄い大切なことで、
自分の思ってる「好き」というのは、自分へのゴマカシが入ってることも多い。
「好き」と「憧れ」は違うんです。

なんか学園ラブコメみたいになってきましたが(笑)
でも、異性との恋愛ともちょっと似てるかもしれなくて、
ぽ〜っとなりっぱなしではちょと厳しくて、
それよりも一緒にいて気楽〜な方が、
よりうまく行く可能性が高い。
「これは素晴らしい! 畜生、俺もこういうのやりたいんだよ兄貴ッ!」
というより、
「みんなはどう思うかわかんないけど、俺はこれ、好きだなあ」
ぐらいの方がいいのかも。
そういうのって、距離が近いが故に、気づきにくいんです。
他人に指摘されて初めて気づくこともある。
自分の気持ちにね(笑)
あるいはまた、いろんなところを巡り巡った末に、
帰ってくるところかもしれない。
幼なじみ属性ですな。

そしてまた、見つけたと思っても、人は変化し続ける。
本当に難しいものです。

ルノワール大師匠でさえ、功成り名を遂げて大人気画家、
もう押しも押されもせぬ大おじいちゃんになってからハタ、と
「ワシ、形取られへん」
と誰もが
「それはわかっててやってたんじゃないの〜ッ!?」
とツッコミを入れたくなる悩みを持ったりしはったそうですからな。

#そう考えると教育者ってホント大変ですね。
#人の良さ・適性を見抜く、なんてのは。
#まあ、真面目にやればどんな職業も大変なのですが。

+++

憧れ、といえば、デザインではApple社。
徹底的にシンプルなクセに、誰も真似できない。
そう、世界中どこにも真似ができないんですよ。
昔、Macの外箱が段ボール地色そのままに黒一色印刷だったんですけど、
それ「が」カッコイイ。
よその、派手な色使って贅沢な紙使ってコートしてある外箱なんかより、
じぇんじぇん遙かにカッコイイ。
Paformaとかで色箱使い出した時には心底ガッカリしたものです。
でも最近また戻ってきてて、iPodの箱とかカッコイイんですよ、これが。
「なんで立方体やねん」
とツッコミを入れながら、顔は笑ってる。
聞いた話なんですが、ロゴやOS Xの"AQUA"で使われてる透明感溢れる
パーツですが、あれって凄く凝った3Dレンダリング手法で作られてるらしくて、
素人ではなかなか同じようなモノをでっち上げるのが難しいんですって。

なにもやってないように見えて、実はメチャメチャやってる。
これが、カッコイイですね。

個人的には、
Natural/Pop/Simple
といったあたりが「『いいなあ』って感じで好き」なので、
この辺を磨きたい。
あ、あと80's(笑)

そんなこんなで悶えてると、表紙の設定でいくつかTipsを得ました。
トンボの打ち方とか(笑) Photoshopのガイドの使い方とか。
肌色って、印刷の時はM(マゼンタ)とY(イエロー)だけで作っておくと
綺麗に出るそうです。
カラーマッチって未だ魑魅魍魎が跋扈する密林で、わけがわかんないです。
そもそもディスプレイがちゃんと出てるかどうか妖しいし、
プリンタがちゃんと出してくれてるか妖しいし、
そうそう、紙によって全然違うんですよ。
メーカー純正品と、サードパーティでは違う印刷結果になります。
プロはこれを思った通り合わせてくるんだから、エライですね。
でも、面白いです。
時間が経つの忘れちゃって、フラフラになって、寝ました。


9/23 お久しぶりのキーボー道

リアルフォース!(挨拶)

Realforce106+テンピュールパームレスト作戦ですが、
今のところそこそこ快調です。
しばらく打ってると、Realforceの打ち方を思い出しました。
「打つ」のではなく、指先を撫でるように滑らせると、
コイツの良さがわかります。
理想は底付きしないようにピアノのように「弾く」のが一番なのですが、
ピアノと違って文章打ちは
考える時間=パームレストに手首が乗ってる時間
が長く不定期に来るので、
指先曲げ伸ばし打ちと併用してます。

ここでもよく宗教論争みたいなのが起きるのですが、
手首浮かしてる方が低負荷で速い、それは誰でも知ってるんです。
でも、浮かせっぱなしで、空中に肘や腕のホームポジションみたいなのを
持てればいいのですが、
上述のように不定期かつ頻繁に「休み時間」が出現すると、
その度ごとに肘・腕を空中ホームポジションに持って行く必要があって、
これは結構なストレスのように感じます。
しかも、打たずに浮かせている時間はまさに腕版の空気椅子。
ピアニストだって弾かない時は膝に手を置くではないですか。
結局、どこかに手首を置く必要はあるわけです。

なので、タイピングソフトで目指せ分速600文字、とか、
打ち込み専門職でキーに向かう時は叩いている時、という人と、
普通にメール中心ビジネス文書中心の人とでは、
おのずからこの
「手首を空中に浮かせるために払えるコスト」
に違いが生じるわけです。
で、得られるメリットと勘案して、特に時間的な面から言えば
パームレストに置いてる時間の方が圧倒的に長いわけで、
なら、そのまま打った方がいいじゃん、という考え方になっちゃうわけですね。

ということで、多分に実験的なんですけど、
両者の良いところを混ぜれないものか、と、
「左パームレスト置いたまま、右浮かせて」
というのをやってます。
それっていいとこ取りか?という疑問はさておき、
割といい感じかもしれません。
なぜこうするかと言いますと、
右手の方がホームポジションから離れる作業が多いんです。
主にEnterとBackSpaceと矢印キーなんですけど。
(この話になるとエディタでキーバインディングして
 「Ctrl+何か体系にすればいいですよ!」
 とアドバイス頂くんですが、
 もうね、環境変わるごとにそれの設定せなあかんのが
 めんどくさくてしょうがないんです。
 CtrlとCapsLockの入れ替えだけでも萎えました)
あと、そうそう、なによりマウスですね。
コツとしては、(これはNatural使いにしか必要ないかもしれませんが)
ちょいとだけキーボードを傾けて、(ヨーです。notピッチnotロール)
右肩上がりにするんです。
右手首をストレートにするんですね。
で、ホームポジション中心点(「G」と「H」の位置)を、
身体の中心からいくらか左にずらすと、左手首もストレートに近くなる。
で、左手は置いたまま打鍵、右手は浮かせて打鍵です。
シンメトリカルな人間の構造上、こんなんは邪道だろう、
と思っていたのですが、やってみると案外いい。
思わぬ副産物として、キーボード中心が左にずれることで、
右下にスペースができて、マウスがちょっぴり近くなりました。
ストレート型キーボードで、デスク面に余裕のある方は
お試しになっても面白いかと思います。
あ、角度やズレはちょっとずつ、ですよ。

---

こないだK先輩といろいろ話してて。
僕も一時すっごいキーボードに凝ってて、
(今は上記Realforceとテンピュールレストで小康状態)
ついには富士通から親指キーボードを取り寄せるに至りました。
配列も、一応、考えながらなら見なくても打てる、ところまでは。
それでも、ほんの少しですが、
親指ファン達が涙流しながら口々に訴える、
「指が覚えるんだよ!」
いというのを体験しました。
「〜と思います」
というような頻用フレーズですと、指が覚えてて、
しかも親指シフトは運指が(少なくともASCII配列よりは)考えられているので、
「たららららららっ」
と一動作で入るんですね。
これがかなりの快感なんです。

もちろん僕もローマ字でそんなもの腐るほど打ってますから、
無意識で出るんですけど、なにかが違う。
運指の楽さもそうだと思うのですが、あと、
たぶんですけど、音節とキータッチ数が一致する(近い)のが
その要因ではないかと思います。
「キーを叩く」という身体性と、頭の中の文字という抽象概念とが
ぴたっと一致しながら文字が出力される、
脳裏に字が浮かんだ瞬間、その字がディスプレイに表示される。
それが快感を引き出してるのかな、と。
もっと簡単に言うと、紙に文字を書く、という作業により近いから、
ではないでしょうか。

これは体験しないとわかんないんです。
でも体験すると、親指の人達が、憐憫の情を感じずにはいられないほど
親指にしがみつきにしがみつき倒してるのがよくわかります。
少し前まで富士通は申し訳程度に親指配列のノートPCを頑張ってたんですが、
それがもう今や三戦級もいいところのスペックでも、
オークションで15万とかで飛ぶように売れるんです。
そもそも出物がないから。

僕は結局、それがヤで、親指シフトは諦めました。
キーボード買って、到着して、打ってみると、
やーっぱり専用キーボードの方が遙かに効率いいんですよ。
一度体験すると、もうJIS配列を無理矢理親指化したものになんか戻れない。
と、いうことは、
これから一生富士通からキーボード取り寄せて、
ノートPC使う時は我慢に我慢を重ねる、
っていうことになります。
それはちょっとなあ、と。
専用キーボードを買ったからこそ、醒めてしまいました。

何度も言ってますが、
日本人に取っては靴なんかより遙かに触ってる時間の長い
このキーボードという物体が、
ちょっとイイモノ探そうとするだけで死ぬほど苦労する。
東プレだ古IBMだミネベアだCherryだ、
デッドストックを争奪しオークションで転売屋が暗躍し、
英語日本語テンキーの有無Winキーの有無で血で血を洗う論争が繰り広げられ、
やっと巡り会えた理想に近い一枚は入手困難、
使用劣化経年劣化に脅えながら、
予備機を手に入れるが早いか
それよりもさらに理想に近い一枚が出るが早いか、
ロシアンルーレットをクルクル回す毎日です。
Microsoftなら大丈夫かと思えば頻繁なモデルチェンジ、
せんでもええのにアグレッシブにキータッチを変えてくれ、
結局旧機種探して右往左往。
(現行型MultiMediaKeyboardのタッチが気に入らなくて
 結局使わないようになったのですが、あれはワザとやってたそうです。
 聞きかじりですけど、なんでもバネ強めにして打鍵にリズム出す設定だとか。
 バックスプリング・メカニカルみたい感触を狙ったんでしょうか)

なんでこんな苦労せなあかんねや、と。

東プレさん、事業としてやりませんかカスタムキーボードショップ(泣)
いや、事業規模は実に小さく儲かりませんが、
いろんな情報のフィードバックと、広報展開になりますよ。
Natural型のRealforceが出たら、49800でも買うもの〜〜〜。

無理やな(泣)

……やっぱり東プレさんのやる気を刺激するためにも、
Realforce101(英語版)買おうかしら。
それとも全域30g荷重のRealforce106"S"
(ツボを突いたネーミングですが、途中からこういう名称になりました。
 誰か入れ知恵したヤツが居るのでは(笑))
テンキーレスを出す、と言って、試作品たんまり作って見本市で
アンケート取った後、さっぱり音沙汰が無いのですが、
あれはどうなったんでしょうか……
できれば……カラーも……黒とかあるとありがたいのですが……

しかし、こんなチンケなことで悩んでいては、
データハンドを使いこなすぴよさんに勝てない。
やはり最終的には
これ
しかないかとも思い詰めております。

---

……と、22日の夜に書いてましたら、鯖王さんに
テンキーレス出るで」と教えて貰いました。
ユングもびっくりです。
モノはRealforce106からテンキーをぶった切った、一番無難なタイプ。
試作品は109(Winキーなどがあるタイプ)だったので、
よほど「Winキー要らんわボケカスアホ」とでも苦情が殺到したのでしょうか。

Microsoftのキーボードのように、上面にズラズラと特殊キーが並ぶのは
ともかく、空間・隙間というのも非常に大事なファクターで、
Winキー派が「要らん言う人は使わへんかったらエエやん!」
と泣きながら訴えても、
「アホかボケここには『隙間』というキーがあるんじゃ」
みたいな勢いで否定されます。
実際、左Winキーはともかく右にはアプリキーまであって、
これが特に右Altを圧迫するので、
Altをよく使う人には致命的に辛いそうです。
あと、誤打の可能性。
Winキーって誤打するとマウスに手を伸ばす必要があるので
これで気が狂いそうになる気持ちはわかります。
(スタートメニュー自体はもう一度押すと消えますが、フォーカスがさっきまでの
 アプリから外れている。そこからAlt+TABで戻せなくもないですが……)
あと、フルスクリーン前提のゲームでは、Winキー一発で
落ちちゃうものも結構あって(FF11とか!)
これも辛い。
僕は日本語キーボードの「変換」キーや「無変換」キーでも時々誤打して
入力モードを見失うことがあるので、
あまり使わないなら無い方がいいと思います。

ご存じの通りスタートメニューはCtrl+Escで出ます。
エクスプローラを立ち上げる(Win+E)、という作業は、どうせその後の作業は
マウスでやった方がいい作業が多かろうと思いますので、
タスクバーのクイック起動にでもショートカット放り込んで置いた方が早い……
と思います。
実体験で言うと、
SS/S5を使ってた時に、Winキー使ってエクスプローラとか出して、
「おおこりゃ便利」とか思ったのですが、
要するにそれはあのタッチパッドというガラクタが搭載されてて
「ポインティングデバイスが使い物にならない」
という悲劇の元の体験で、ThinkPads30に戻って作業してると、
Winキーの存在などこれっぽっちも思い出しませんでした。
(ThinkPadはずっとWinキーを載せてないモデルが多い……全部でしたっけ?)
マウス使いましょう。
光学式になってから、ちっちゃいマウスは使いやすいですよ〜。

話をテンキーレスRealforceに戻しますと、
1.5mmながら低くなった筐体、
(パームレスト無しでも打ちやすそう!)
追加予定のUSBモデル、
(ノートPCにも繋げられる!)
USBモデルはディップスイッチでハードウェア的キーアサイン変更、
(Ctrlの位置で悶える必要なし!)
相変わらずダサいロゴ!
(たまりませんな!)
NumLockステータスLEDはテンキーレスモデルにこそ必要なんじゃないの?
なんて重箱ツッコミはさておき、
(LEDを捨ててまで矢印キーとDelete/Page Downの位置関係を守ったのは
 こだわりですね。この両者、JISキーボードで育ったプログラマの方なんかは
 よく使う人が居るんです)
期待のルーキーであることには変わりなし。
僕の場合テンキー部の邪魔さ加減が、
上述の斜め打ちにてだいぶ解消されたので飛びつきはしませんが、
これもまた1年ぐらいは品薄が続くのかな。
101のこれ、は比較的簡単に作れそうなので、
それを待ってます〜。

ああ……でもテンキーレスと言えば
IBMのSpaceSaver(元祖の方。スタパの兄貴が使ってる方。ちなみに2は持ってます)
も一枚は持っておくべきか……

誰か止めてください。


9/22 I was born to LOVE YOU.

最近、「ほえなが」は読み物的な日が減って、
いかにも日記な日が多いと思います。
すみません。
読み物な方がお楽しみいただけるだろうとは思うのですが、
人間の活動ってオートバランサーが装備されてて、
別のところで読み物書いてる時は、
ここで読み物書きたくならないんです(笑)

てことで、読み物減ってる時は、他で頑張ってる時だと思って、
生暖かく見守ってやってください。
あと4500で10万ヒット、多分年内に達成、
これもひとえに皆様のおかげです。
そのお気持ちには、どこかで応えようといつも思っております。

今日も、つらつらと思ったことを書き留めていきます。

---

サッカーの何に一番魅かれるかといって、
「攻守の切り替えが一瞬である」。
これです。
今、ピンチだったのが、1プレーでチャンスになる。

人生と同じです(ためいき)

「人間万事塞翁が馬」と言いますが、
チャンスはピンチでピンチはチャンスです。
と、同時に、最近思ったんですけど、
オフェンスはディフェンスでディフェンスはオフェンスなんですよね。
「攻撃は最大の防御なり」はよく言われ実感しやすいところですが、
逆側、強いディフェンスはオフェンシブ、というのもまた真理。

前にも書いたと思いますが、V9時代の巨人は守備もすごくて、
ある選手がフツーの送りバントをコロコロ転がしたら、
王・長嶋・堀内・森が鬼の形相でそのボールに殺到して、
恐怖を感じたそうです。

いずれにしても攻めか守りかの「状況」というのは、
ただ周りの条件に左右されて変化するものであって、
守らななあかん状況だからと言って、
弱気になるものでもないし、諦観にたゆたっていいものでもない。
むしろサッカーのように、
攻撃に移るポイントを掴まえるためには、
攻撃時よりもさらにアグレッシブにボールを獲りにいかなければ、
いつまで経ってもズルズルズルズル攻められてしまう。
ボール獲らないと、何も始まらない。

どうしてそんなことを感じたかと言いますと、
しばらくディフェンシブにやってきて、
「どーも上手くいかないなー」
と思ってきたのを、ちょっと攻め気持ち持つだけで、
随分変わったものですから。

諦めて諦めて、諦めきれないことも諦める。
それは、見事な生き方ですが、
僕にはまだ早すぎるようです(笑)

いやつーかね、それやるとね、
「生きてることもどうでもいいやん」
ってなりませんか?
これって、まず喰うに困らない現代社会では
逆に極めて危険な誘惑のように思えるんです。
昔は、それでもお腹減ったわけだから、
自分で耕したり、あるいは乞食となってでも何か口に入れないと駄目ですよね。
それって見方によってはもの凄くエネルギッシュな生き方で、
ダッシュ村見てみんな「えーなー」と思うわけで、
充分、「生きてる」んです。

でも今は、それも要らない(人が多い)。
そうなると、生きなくてもいーよーな気になってくる。
これが怖い。
「何で生きんねん」
という質問に対して一番効果的な答え方は、
「んなこと言う前に生きなあかんやろッ!?」
で、昔はそれが実感として誰にでもあったわけです。
お腹減る。
それは耐え難い苦痛で、「なんとかせにゃ!」と生物として思ってしまう。
これが一番手っ取り早い解決だったんですけど、
くりかえしになりますが今は、その苦痛から離れることができる。
だからその解答が、効果を激減させているんですね。

孔子大先生もこの技は使っておいでで、
「死んだらどうなるんですか」
と弟子に聞かれて、
「生き方もよーわからんのにそんなこと考えてられるか、だぁほ」
と一刀両断。
質問には1ミリも答えてませんが、しかし、真実です。

数日前の「身体性」の話にもなりますが、
今はそこを喪い過ぎている、ので、注意せねばなりません。
一番は、頼りになる身体のシグナルをもう一度感じることができるように、
いろんな工夫をすることのように思います。
散歩一つでも、随分違うものです。

そんなことをちょとずつ重ねて、
「流されながらしかし意志を持つ」とか、
「アグレッシブ」と「ゆっくり着実に」を両立する、とか、
「気楽に活動的」なんてのも全然矛盾してないな、とか、
「軽く・思い切り」というのもまたアリだな、とか、
いろいろ思い至りました。
状況はともあれ、気持ちの持ち方は、自分次第。
そして持ち方は、「性質」「好き嫌い」「自分内伝統」等々あるので、
そうそう簡単には変更効かないんですよね。実は。
だから、
「負け気味だからディフェンシブに行こう」
って攻撃的な人が思っても無理だし、逆に、
「ここは勝負だから攻め込んでみるか!」
とじっくり構えて守り勝つタイプが思うのも火傷の元、です。

負けてる勝ってる、それはそれ。
自分は、自分なりのやり方で進むのが一番。
「勝つために変える」のはたぶん駄目で、
「より良くなるために変える」ならOKなのかな。
それでさえも、築いてきた物全て打ち捨てるのではなく、
振り返って「やっぱりよい」と認め直せばもう一度手にする。
ブレてみたり戻したり、その繰り返しはずっと続く。
でも、何のためにユラユラしてるのか忘れなければ、たぶん大丈夫。

「自信」、とかそんなんじゃなくて、
そうでしかありえない
という、まあ無理に言葉を当てはめれば「個性」。
それを、自分で大切にしてやる他、ないように思いました。
それを、「自信」というのかもしれませんけど、
どうもそんな感じはしなくて、
「だってこうなんやもんしゃーないやん」
というのが近いです。
「開き直り」、かな。

---

あと、個人的には、仕事柄、
春の日和のようなフラットよりは、
大波小波で木の葉のように踊らされる小舟の方が、良いようです。
フラットは怖い。
全然書けない。
悲しみの無い世界には、喜びは無いんです。
それは喜びばかりの世界、とも言い換えられるのですが、
実際、至高体験というのはそういうものではないかと思うのですが、
喜んでいるなら、何も書くことなんか、無いんです。

……上手く言えないなあ(泣)

「今日こんな面白いことがあって!」
「いや、これには感動しましたよ!」
その心の動きは、やっぱり、「ギャップ」なんですよね。
悪いこと、よろしくないこと、腹立たしいこと、悔しいこと、
負の感情があるから、正の感情もポン、と跳ね上がる。
同じ100のステキな出来事も、50から見るのと-100から見るのでは、
実に4倍の刺激の差があるわけです。
その感動が、筆に乗る。

個人としてはほんわかと生きていきたいとはもちろん思うのですが、
ながたは書き手です。
それは、諦めなければならないようです。
(歳を重ねればもっとアウフヘーベンな境地を知るのかもしれませんが、
 今は無理です)
しょうがない。
男の子ですしね。

生きるために、
しんどく生きねばならない、
というのは何と因果な仕事でしょうか。
まあ、そりゃみんな、ボロボロになりますわ。
しんどい時には、どこまでが自分で、どこまでが環境なのか、
それがわからなくなるから、理不尽に思えるし、
無意味感に浸食されてしまう。
でも、その、しんどいの選んできたのは自分なんです。
「その方がいいから。
 どんなに辛くても、その方がいいから」
って、誰もが止めるのに聞かずに選んできたのは、自分なんですよね。

自分が自分であるために、自分で無くならないとやってられない。

やっぱ矛盾だらけの仕事です。
でも、だからこそ「ん?」と聞く耳が立つ言葉も紡げるのかもしれません。
当たり前のこと当たり前に言ってても、当たり前ですからね。

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お彼岸。
秋の訪れとともに、振れてた針をちょっと戻しました。
でも、振れてたことはもちろん無駄ではなくて、
随分勉強になったような気がします。
あまり行ったことのない方向だったので、
行ってみて、いいことも、良くないことも、いろいろ経験しました。

確かにありだ、いや、これは素晴らしいかもしれない。
だけど……
好きじゃない。

そう、好きじゃなかったんです。
それは。
でも、ちょっとだけ憧れもあって、
そっちが幸せへの「近道」かも、といういつもの甘えもだいぶあって、
それから、変わることで何かが変わる、という期待もあって、
そっちへ行ってみたのです。

でもやっぱり無理だった〜(笑)

カテナチオの人ではなく、
パッシングサッカーの人なのです。
結果は……
まあ、いいじゃないですか。
W杯にユーロ、いつも楽しみなのは途中で負けて去るオランダ代表。
優勝を争うイタリア代表は「ああ選手はカッコエエなあ」なわけで。

勝つためにサッカーやってんじゃない、
サッカーやりたいからやってんだ。

腕の悪さは気合いでカヴァー、
センスの悪さは気持ちでカヴァー。

I was born to love you ですよ。


9/21 実況

88.10.19、あと一歩で近鉄がロッテに優勝を阻まれた、
あのドラマを覚えておられますか。
9回表2死二塁、同点、近鉄打者・新井の痛烈なグラウンダー、
ロッテ三塁手水上が横っ飛びダイビングキャッチ、
一ミリの無駄もない一動作で跳び起きるや一塁へ矢のような送球、
判定は、アウト。
実況、安部憲幸アナウンサーが叫びます。
今も試合と共に語り継がれる名文句、

「ジス・イズ・プロ野球〜〜〜〜〜〜ッ!!」

安部さんはメロメロに弱かった頃からずーっと近鉄ファンだそうで、
もちろん7年ぶりの優勝を誰よりも心待ちにしながら実況していたわけですが、
それでなお、敵軍選手の美技に「これぞプロ野球」と最大級の賛辞を送ったんです。

実況、というのはこうでないといけないと思うのですが、いかがでしょう。

最近、「感動共有型」とでも言えばいい感じかもしれませんが、
「俺は今猛烈に感動してるから君らも感動せい」
みたいな実況が多くて、少々ゲンナリです。
こないだの阪神がM1にしたデーゲーム、
非常にひき締まったいいゲームだと思いながら観てたのですが、
実況の人が感極まっている(orフリをしている)のが、
辛くて。

本来感動すべきは見てる我々ではないですか。
実況はそれを与える方、あるいは与える選手達をサポートする方。
料理で言えばウェイターとかそういう立場。
レストランで、ウェイターが料理持ってきて
「美味しいでしょ!? 美味しいでしょ!?
 僕も今裏で同じの食べてるんですけど、美味しいんですよ〜〜〜!」
とか吼えまくったらうるさくてしょうがないですよね。

それはまあ、百歩譲って感情むき出し、
泣きながらでも叫びながらでもやっていただいていいとして、
情報は落とさないで欲しいもの。
「あー! あー! あー!」
だから誰がどこへ何を打ったんや、と。

TV中継って、情報があるようでないんです。
画面狭いから、打った瞬間にライトかレフトかわからないし、
打球の勢いとかもわかりにくい。
僕も30年以上生きてきて相当数野球中継見てますけど、
未だに大きめの外野フライとホームランの区別つきませんよ。
一枚目のセンターから投手を撮ってる絵では。
そういう諸々をカヴァーしてくれるのが実況アナウンサーで、
インパクトの瞬間
「行ったーーーーー!」
と声が入れば「ああ、たぶんホームランになるデカイ当たりなんだ」、
と心の準備ができて、二枚目のホームベース側からの映像を見ることができる。
「あー!」
では何もわからん。

と、せっかくのナイス・ゲームを眉間にしわ寄せながら観てたのですが、
しかし、その後でU-22の中継など観ながら、
「今はひょっとするとこういうの『でないとだめ』なのか」
と不安に思いました。
良い素材その味を活かして料理して、「美味い」と思ってもらうんじゃなくて、
良い素材かどうかはさておいて「これは美味いものですよ!」と訴えて
無理矢理にでも美味いと思ってもらう。

最近のバラエティ番組で下にテロップ出るじゃないですか。
酷いのになると言ってること一言一言全部出ますよね。
あれもこういう流れの一つだと思うのですが、
あれって逆効果じゃないですか?
最初、ポイントの単語だけどん、と出た時には
「あ、これはいいアイデアだ」と思いましたが、
いつの間にか無制限に使われてて、簡単にインフレ起こして、
色替えフォント替えはもちろん、揺らしたり変形させたり
出現位置を弄りたくったり。
文字って絵と違って見てから判断までのタイムラグがどうしてもあるので、
グラフィカルな雑誌や広告でもある程度セオリーがあるんですよね。
1ブロックで使うフォントは2種類ぐらいにした方がいい、とか。
そんなん全部無視。
おかげで注意点が散漫になって、どこへ意識フォーカスしていいのかわからない。

実況もそうで、我々は画面を見たい。
躍動する選手達の企まざるドラマが見たい。
なのに横から、
「これはいい!これは凄い!感動だ!うぇーぼぇーほげー」
言われたら、見るものも見れないではないですか。
いや、それでもいいんです。
いいんですけど、それを、プロフェッショナルな技術と知識とセンスで、
「ジス・イズ・プロ野球」
に変換して、我々に届けるのが、あなた方の仕事では?
「あー!」
やったら僕でも言える。

それは普遍的な価値はなくて、単なる流行り・廃りであって、
「今こっち流行ってるからこうしてるの!」
と言われれば二の句が継げません。
20年に1度の大祭り、ここ一番でそういう起用をしたんだから、
そうなんでしょう。
でも、それだとしたら、正直なところ、嫌だなあ。

スポーツぐらい、フツーに見せてよ。
それが、面白い、んだからさ。



9/20 本は、高い。

表題のようなことを、少し。

「ミラクルズ!#9」、後は微調整を残すのみ。
ぱわねお馴染みのA5二段組で表紙込み80Pコースです。

このA5二段組というフォーマットは初めて「ミラクルズ!#12」を作った時に
3日ぐらい悩みに悩んでテストプリントまみれになって作りました。
フォームファクタとしては小さい方が好きな人間ですので、
できれば文庫本までいきたいわけです。
ところが、小さくすればするほどページ数が増え、
同人誌はページ数が増えれば増えるほど単純にコスト上がっていくんです。
この辺を睨みながら、
・文庫 ・新書 ・A5 ・A5二段組 ・A5三段組
・B5二段組 ・B5三段組
などなど、様々なパターンを実際に刷ってみて検討しました。

条件はいろいろあるんです。

(1)文字サイズ。
8ポイントを切るとかなり厳しい。
実は今のA5二段組は計算上7.35ポイントぐらいしかなくって、
ちょっとキツイんです。
ま、お読みになる方に老眼の方があまりおられないでしょうからやってますが、
本来はもう少しあった方がいい。
できれば9ポイント以上。

(2)縦文字数
縦に並べる場合、横と違って条件はある程度緩いです。
(横は25-35と言われ、実際40を超えると結構しんどい)
ただ、たいていの書物が50文字前後までそれに馴染んでいますし、
それ以上あっても余白が増える一方で、詰め込み率的には損をする。
40前後目安に適当に。

(3)行間
これは微妙で、かなり好き嫌いが出ます。
お手元の文庫本開けていただくとおわかりになりますが、
バラバラなんですね。
一応、行と行をくっつけたのを100%とするなら、
130%以上がよかろう、と言われますが、
あんまり離れすぎててもまた間延びして見えます。
僕はWordに任せています(笑)

で、結局、手でもって開けて読む、ということを考えると、
マンガと違って長時間になりますから、B5って結構キツイんです。
雑誌がB5やA4で成り立ってるのは写真や図版がたっぷり入っているからで、
(だから逆にサイズを大きくする必要も)
現に(伝統もあると思うのですが)文藝春秋等々読ませるのがメインの
雑誌では判型が小さいです。

となるとA5以下で……で、できるだけ効率よく詰め込めてページ数少ないの、
となってA5二段組に落ち着きました。
縦20文字にして三段組む方が圧縮率は高いんですけど、
雰囲気が今ひとつなんです。
新聞記事読んでるみたいな感じ。
余白にも、意味があるんですね。

これでも、80Pもあると、100部刷ると35000円ぐらいかかります。
で、表紙フルカラーにしたりすると、
レーザーカラープリンタの親玉みたいなヤツで刷る安めのでも、
+15000円ぐらい。
1冊500円。

高……

でも、たぶんこれが一番安く上がって、
同じ条件で文庫にしますと、堂々の245Pものになって。
(わっはっは、今読んでる「街道をゆく」より長ぇや)
フルカラーカバー込み11万円とかひっくり返るお値段になります。
一冊1100円。

……。

一番安く上げるには、コピー……というかレーザープリンタでばりばり印刷で、
これだと一枚3.6円ぐらいしかコストかからないので、
40*3.6=144、表紙がスーパーファイン専用紙で10円のインクが同じぐらい、
でまあ、200円前後でなんとかできるわけです。
それでも物理原価だけでそれだけかかってて、
もちろんですが16万したLBP-880の減価償却とか、そんなものは抜きです。
しかし40枚の紙を100部分折る、つまり4000枚を折りまくるというのは
これがまた大労働。
レーザーのオゾン臭と、狂ったような唸りを上げるインクジェットのベルト軋み音に
まみれながら指紋を無くしていく様は、
内職気分満開で実に物寂しい。
たいてい深夜なのでNHKが美しい風景を流麗な音楽に乗せて映してますしね。
だからといって手伝って貰うのも大変に恐縮で、
以前、g石アナのお宅に即売会前日にお邪魔した時など、
本人はおろかお母様妹君のお手を煩わせてしまいました。
あの時はホントありがとうございました。

#Tipsですが、最近のページプリンタですと
#「部数毎に印刷」みたいな項目があるので、
#これを使いますと、机の上をクルクル回ってページを並べていく、
#あの地獄作業が要りません。
#あれ無いだけでも相当違います。

カラー表紙諦めるとだいぶ安くなるのですが、
コピーの時にカラーだった表紙がいきなりモノクロになるのも
可憐に可哀想だし。

とか、考えると、お値段200円とか300円アップでぐっと綺麗になるなら、
お客様にもオフセットの方がいいかな、と思い、
もそもそと準備しております。
(僕も楽だし〜)
フルカラー印刷表紙は初めてなので、
色とかちゃんと塗らないとボロが出るなあ、とそれがちょいと鬱。

少ない方は、文字を大きくしたり行間を空けてみたり
改ページをポツポツ入れてみたりすればある程度伸ばせますが、
多い方はどうしようもないです。
二分冊にする手もなくはないですが、
一つの話として繋がってる場合、上下巻に分かれてるのは煩雑に思えて、
できれば避けたい。
ウチのサークルから昔、二分巻出したことあるんですが、
(これは主役キャラが上下で一応分かれてたので、
 そういう意味で分巻にした、そうです)
ほとんどのお客さんがセットで買っていかれました。
これやったら一冊にしておいた方がよかったなあ、と。
でも不思議なもので、
「400円2冊で800円」と「1冊800円」
では前者の方がお買い得に思えますね。
錯覚ですけど……
いや、物理的に「2つのモノを手に入れる」っていうのが効いてるのかな?

原価回収を考えない、というボランティブな生き方もありますが、
まあ、モチ出してばかりだとモチベーションが下がるじゃないですか。
できれば場所代と交通費とお昼ご飯出したいなあ(泣)

まま、こうやっていろいろ考えるのも同人誌作りの楽しみの一つです。

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そんなこんなで、街では先人達の魂の結晶である
文庫本が500円程度で山積みになってますが、
あの500円という価格を実現するには、
裏で社会全体を覆うような巨大なシステム、
物流から出版から編集から広告から小売りから何から何まで、
が、ぐぅおんぐぅおんと音を立てて動いているからこそであり、
生で作ると「本」という物体は割と高くつくものだ、
とおわかりいただけましたでしょうか。
(これでもオフセット印刷とか凄いカラーコピー機みたいなのとか、
 技術の粋を集めに集めて随分安くなってるわけです)

データにすればWebならタダ、CD-Rにパッケージしても100円行かないこの御時世、
あの「本」というスタイルを取ること自体が贅沢で、
「本」が贅沢品に戻りつつある感じがします。

その方が、誰にとっても幸せかもしれません。


9/19 伝教大師

伝教大師最澄というと万能の天才・空海と比較して
生真面目な大秀才、というイメージがありますが、
19歳か20歳の時に早くも南都六宗に見切りをつけ、
自ら行動あるのみと思い立ち、山に籠もって1年、「願文」てのを書くわけです。
「愚が中の極愚、狂が中の極狂、どうしようもないクズ野郎最澄」
と自らを底の底まで貶めて後、
「でもみんなと一緒に幸せになりたい」
と涙落とさぬばかりの心底を吐露する。

いや、その歳でこれができるのは充分な天才です(笑)

僕が20歳の頃なんてあーた、
布団敷いて寝ることに人生のほとんど全てを賭けており、
ズダラクな服装でコーヒー屋さんへ行って
「ウチのコーヒーをそんなだらしない格好で飲んで欲しくないなあ」
と言われてました。
つまりはどうしようもないクズ野郎だったのですが、
大師との違いは「高邁な目標」がさっぱり無かったことで、
やはり、これ一つで人間というのはまるっきり違うものです。

大師の目標はあまりにも壮大で、
おそらく人類は、これからもしばらくは為し得そうにもない事柄ですが、
その高く純粋な目標を掲げたからこそ
叡山が興隆し、鎌倉新仏教の連中も多くがそこから出たのだと思います。

一番下から、一番高いところを見る。
そして見えたら、歩き出す。
凡人は、
「一番下」もなかなかそうは思い切れず、
「一番高いところ」もつまらない言い訳をぺちゃぺちゃして見ようとせず、
「歩き出す」のをズルズルズルズル引き延ばしてしまう。

でも気持ちだけでも、そういう気持ちになって、
自分のできるだけで高いところを見て歩いていく、他はない。
なにせ一番長い距離、遠いところが見えているわけですから、
登り切ろう、と思うと焦ったりもしますが、
諸々は忘れて、ただ登る。
そこで山登り同様、「登ること」それそのものを楽しめれば、
高い山であればあるほどたくさん登れるわけで、
より楽しくなる……
というのは、ちょいと理想論に過ぎますが。

話ずれますが、やっぱり教育の現場では、例えば高校なんかでは、
「何年入唐」とか「弟子に円仁」とか「日本初の大師号」とか
そんなどーでもえーことはほっといて、「願文」読ませて
「お前らにこの覚悟があんのか」
とでも問う方がよほど効果的だと思うのですがどうでしょう。
きっとその方が大師も喜ぶように思います。

空海に縁切られたり、弟子泰範に逃げられたり、
まあそれもこういう性格ならやむを得まい、と思います。
こういうバックボーン知らずにそういう話聞いてると、
「ただ能力不足」みたいな情けなーいイメージになるじゃないですか。
そうじゃない。逆。
周りは息苦しかったんでしょうね。

でも、僕は、こういう人も大好きです。


9/19 VAIO V

今気になってるのが「VAIO V」です。
輝度抜群のクリアブラック液晶TVに、
HDD-DVD録画システムが載ってると考えれば16万は妥当。
しかもおまけでPCまでついてくる!
なにより、それらがポン、と置くだけで実現されてるのが素晴らしい。
これで自室の29インチテレビとビデオデッキをリプレースできると思うと、
思わず触手も伸びようかというもの。うねうね。

ただ、Etherの口が横から出てるとか、DVD-Rが等倍とか、
黒にOffice抜きモデルがないとか、
微妙に惜しいところあります。
あと、触ってないのでわかりにくいんですが、これってアンテナ線は
PCのボードの方へ入って、そこから表示させるんですよね?
ということはTVだけ観る時でもPC部分も電源入りっぱなし?
だと、ちょっと煩雑かなあ……

でも、「Wの安物やん」というご意見ごもっともですが、
Wの変にスカしたところが気にくわない方も安心できる泥臭さ。
売れるんじゃないかな。

自作機で似たような「機能」のものは作れますが
たぶんかなり高くつくし、リモコンでオールコントロール、なんてできっこないし。
もちろん、いくらキューブ型使っても、一体型の軽やかさはない。
これはDELLにはできない。(やらない)
こーゆーのをやってる限り、PCは充分ビジネスになると思うんですけどね。
(もうAVの領域かもしれませんが)

いや、専用機作らなくても、今でもMTVでTV観れるんですけど、
一度でもPC画面にPnPでTV映されるとおわかりになると思いますが、
PCとしての使用可能領域ガックリ減っちゃうんですよね。
常時前面表示で上に被せる?
それも鬱陶しいしなあ。
じゃ、ということでぴよさんみたいに6枚ばかりディスプレイ並べるか、
という話になるんですけど、
どうせデュアルにするんならこういうのもいいかな……
と、思うわけです。
ま、逆に、自作でパーツ集めてこれっぽいもの作る、っていうのは、
それはそれでプラモデル/日曜大工な楽しみもあって、
愛着も沸くとは思うんですけどね。
16万出せばメインに20インチの液晶が買えるから、
今の16インチをサブに回して……いやいや。

さすがに、海外サッカーがヒトカケラも入ってこない環境には耐えきれず、
スカイパーフェクTVのチャンピオンズ・リーグセット(月1800円)
だけでも申し込もうかと思い詰めております。
それ考え出すと、TVも、デッキも……と物欲が、ああ物欲が。
ほら、「物欲の秋」って言うじゃないですか。

Wの時も思いましたが、どこぞのXなんとか、という「テレビパソコン」以来
苦節20年、ようやくTVとPCが一緒になりそうですねえ。
#これもいつも言ってるような気もしますが(笑)
あそこはいつも先へ進みすぎます。

インターネットTVとかー(号泣)


9/18 ヤーレンソーラン

三橋美智也先生が民謡名曲20を唄いつくす、
というCDをまま上が大購入、拝聴。

いいねえ(笑)

まい・まま上はビートルズを中心に洋楽好きで、
カラオケでもジャズ・ポップス問わずスタンダード・ナンバーを
原語で歌うという変にハイカラなおばはんなのですが、僕の
「好きと向きが別」
という血はどうもこちらから来てるようで、
好きな洋楽よりも、仲間内でウケのいいのは民謡や美空ひばり。
要は低めの声でこぶし回し気味が合ってるわけですな。
実際、ボックスに引きずられて行き
「これも親孝行」と思いながら聞いていると、そんな風に思います。
ひばりなど、もちろん本物より百二十五段ぐらい下手ですが、「それっぽい」。
しかしかたくなにABBA「Dancing Queen」なぞ歌っていた彼女も、
「よい」と言われればその気になるのは人情というもので、
通販でそんなCDを買っちゃったわけですな。

「黒田節」筆頭に「ソーラン節」に「炭坑節」、お馴染みの唄ばかりですが、
いざ聞いてみると二番とか知らない歌詞で、楽しいです。
ドリフで死ぬほど聞いてた
「♪えんや〜こらやったらどっこいしゃんしゃんこ〜らや」
というのは「北海盆唄」という唄の合いの手だったとは、
この歳になるまで知りませんでした。

「日本人リズム感悪い」
とはよく言われるところで、黒人引っ張り出すまでもなく、
韓国へ遊びに行った時にあちらの歌番組見てると、
全然身体のキレが良いんですよね。
言葉と曲も非常にダンサブル(笑)で、感心しました。
だから、黄色人種やからどう、というわけではない。
つまりは悪い、のではなくて、
「はぁ〜それからどした」
というのが日本のリズムであって、
それ以外に合わせろ、という方が辛いわけです。
それが特殊か、というとそうでもなくって、
マレーシアでしたっけどこでしたっけで、今
「BON-ODORI」
が大ブレークしてるらしく、
本国日本(心地よいなあ、この響き(笑))からゲストを招いて
何万人という規模でやる大フェスティバルがあるそうです。
普遍性もちゃんとある。
(ま、「BON-ODORI」に関しては楽曲の性能性質だけではなく、
 システムとして、特にモンスーン農耕地帯の生活にとって
 非常にマッチしている、というところが大きいと思いますが)

ソーラン節、
「ヤーレン ソーラン ソーラン ソーラン ソーラン」
という意味不明の言葉は、ニシン漁で網を引く時の掛け声だそうです。
ああいうリズムで身体を動かす人々なんですね、我々は。
変な倨傲も変な卑下も、ともに何の意味もないので
気をつけたいところです。

余談ですが、
「ニシン漁で大儲け」とか「ニシン御殿」とかよく聞くのですが、
マグロなど高級魚ならともかく、
ニシンと言えばニシンソバぐらいしか思いつかない魚、
数の子も珍重されるようになったのはここ数十年と聞くし、
なんでそう儲かったのかというと、
あれ、肥料にしたそうです。
その昔、戦国末期から木綿栽培が始まって、
木綿というのは非常に使いやすい素材ですから、
瞬く間に生活にとけ込んで、もの凄い需要圧力があって、
(つまり金になって)
日本中で綿花栽培が広まったそうなんですけど、
あの作物ってものすごい肥料食いらしくて、
稲みたいに地味に頼っててはどうしようもなく、
さりとてまだ化学肥料はなく、
それで目をつけられたのがニシン(を煮て絞ったカス)
を鋤込んで肥料にする作戦で、
そのためにこれもまた大量に需要があって、
で、当たれば、大儲けできたそうです。

江戸期・明治期はそれで大盛り上がりだったそうで、
その頃に生み出された民謡には、
そういう景気と元気の良さ、明るさがあって、
残ってるんでしょうね。

漁獲量グラフなど眺めていますと、
誰がどう見ても獲りすぎが原因で、
(明治30年に97万5千トン、
 ちょっと古いですが1996年の日本の漁獲高はオールで742万トン。
 今はもっと少ないようです)
今では北海道でニシンが獲れることはないそうです。
モーリシャスのドードーを滅ぼしたオランダ人を笑うのは簡単ですが、
同じことはまあ、どこの誰でもやってますな。

---

とか、BGMにしながら、いろいろWeb見てました。
もし、外人に外国で
「日本の唄を唄ってくれ」
と言われて歌い出すのが
ジャンルイジ・ブッフォンも手を叩いて喜ぶ「燃えてヒーロー」
だけでは心許ないので、
一つ二つ唄えるようになっておきたいです。



9/17 さあ今日もU-22を応援しよう(泣)

【今日の表現】

「森崎ツインズの一人、森崎です!」 (by船越アナ)

そりゃそうだろ。

あとね、「フリースロー」とかね。
2点貰えるのかと。
天下の大日本テレビがあれしかいませんか。
彼自体ももんのすごい損してると思いますよ。
他のことさせたら一流かもしれないのに。
いや、知りませんけど。
TBSのヘンテコなペットネーム付けにも閉口しましたが、
あそこは大ちゃんとか居るしまだなんとか。
「ありゃワザとだよ。ナベツネの意向でサッカー人気を落とすように」
という冗談が冗談に聞こえません。
それこそフリーアナ雇ってでもなんとかしていただきたいものです。

---

大久保ちゃんは……1トップではちょっと……

今日は松井・山瀬のダブル司令塔を試してみたかった山本監督の
ミスかな(笑)
あーた、ブラジル代表じゃないんだから攻撃はトライアングルにおまかせで、
ってそりゃ無茶だす。
俊輔も同じですが今の日本が指向するサッカーの方向性で、
#パス回して隙を見つけて・高い位置でボール獲って・少ないタッチ数で・速攻
ボールこね回す権利は誰にも与えられない(不可能、という意味で)
と思います。
ということで松井は要らん、と思うのですがどうでしょう。
山瀬も居るし、大久保も3-5-2トップ下なら全然やれると思うので。

阿部ちゃんのコンディションがズタズタで、ボランチのところで収まりが
つかなかったのも敗因ですなあ。
2失点とも阿部ちゃんがマーカーですしね。
CK、頭で完全に負けたのならともかく、足元拾われて蹴りこまれるなんてのは……
1stステージで体力売り切れちゃったのかな。
とにかく中盤のプレスで韓国に圧敗、あれでは(日本の)試合になりませんわ。

アタックでもディフェンスでも、とにかく誰かのフォローに入るのが遅くて、
というか意識が低くて、1v1で耐えきれずに簡単にボール失う。
それを泣きながら主に韓国のミスで回収して、
DFから繋いで丁寧にやればいいものを、選手間距離が長いから
耐えきれずに長いの蹴って(ポストプレーヤーも居ないのに!)
また失う。
それの繰り返し。
こんなんで点取れとか言う方が無理です。

韓国は非常にいいチームでした。
フィジカルもスピードも。
ただ、攻撃のパターンが、最後は個人技持ってる選手でねじ込め、
っていう伝統的なもので、
かつ8年ぐらい前の日本代表を見るようなプレス至上主義、
やはり後半後半でガス欠したあたりはなんというか、相変わらず
「古くさ」
と呟いてしまうところで、
手も足も出ない、というほどではなかったと思います。
(貶めてるわけではなくて、あれだけの選手揃えているのだから、
 もうちょっとシステマティックにやれば恐ろしく強いと思うんですけどね。
 というかそれをやってのけたのがヒディングですが)

で、やっぱりこう、中継見てた日本中が切歯扼腕したのは、
なんつーかこー、この精神論嫌いのあたくしでさえ
覇気がない
と言いたくなる、プレス甘かったり球際粘りがなかったりパスに魂こもってなかったり、
ってところなんじゃないでしょうか。
一時だいぶ頼もしくなったような気がしたのですが、
今日はかなり悪い方へ戻っていました。
新着選手のフィットとか、システムの変更とか、いろいろあるとは思うのですが、
どんな環境にもめげずに自信持って戦って頂きたい、です。

フル代表も心配だけどこちらもまだまだ、心配です。
みんな才能あるんだから。上手いんだから。Jじゃレギュラーなんだから。
協力し合ってがんばろうよ(泣)

今日はもう寝ます……(泣)


9/17 習慣は、そう簡単には
こちらは、自分への覚え書き。

ちょっと長年やってた習慣の一つを、
ここんところ止めてみたんです。
深い理由はありません。
止めてみたらどうなることやら、と思っただけです。

で、昨日「やっぱやろ」と思ってやってみましたら、
実に気分爽快で。
いや、そのこと自体よりも、身体の方が、
「そうそう、これでなくっちゃ!」
と元気を取り戻したような感じです。
止めてる時はさほど辛いともなんとも思わなかったのですが、
再開して、ああ、やはりこれだ、と。

一週間西洋料理ばかり食べてきた帰りの飛行機で、
ごはんを目にした時の反応に似てました。

え?
その習慣は何かって?
それは乙女のひ・み・ちゅ。

禁煙されてる方の辛さが、少しわかりました。
ニコチンがどうとかこうとかよりも、
身に染みついた習慣がある種のリズムを身体に刻んでて、
その軸を失うことが、辛いんですね。
だから例えば、朝必ずコーヒー2杯飲む、とか、
歯磨きは夜、とか、
そんなんは全部そうで、それを失うとどこかのスイッチが入らないんでしょうね。
特にタバコはポイントポイントで活用されてるもので、
日常のあらゆる場面で小刻みに絡んでくるものですから、
その一々を失えばリズムガタガタになるのは、わかります。

で、歳を取れば取るほど、新リズムへのアジャストの能力が低くなるので、
ますます辛くなるんですなあ。

しかし、じゃ疑似そういうのにすればリズム失わないかというと
そんなことはなくって、逆に本物を必要以上に意識させて、
余計に辛いかもしれません。
水腹。
同じタイミングで別種なら効くのかも。
上書き。
そんな簡単じゃないかな。
ウーロン茶の葉っぱかなんかを上手いこと加工して、
身体に優しく人に迷惑を掛けにくいタバコとかができるといいですね。

ま、そんなこんなで、習慣というのは恐ろしい、と。
「無駄な抵抗」という言葉には、
抵抗しても無駄、という意味の他に、
しても意味のない抵抗、という語義もあるようです。

しても意味無いなにか、を知らずにやってるおそれは、
もう、それこそそこら中にございます。
そればかり気にすることこそ、一番しても意味無いことである、
という罠を含めて。

あんまり細かいこと気にせず、
たる〜んと過ごしたいものです。


9/16 椅子・オン・畳
あの、一つみなさんにお知恵を拝借したいことが。

僕は#時代に
「自部屋をこたつにする(オプション:座椅子)」
という今にして思えばヘロインなどよりも遙かに人生をズタズタにする
ヤクに手を出してしまいました。
これはもう、悪魔に教えてあげたいぐらい人を堕落させるのに
最適なフォーメーションでありまして、
家に帰ったらご飯食べてこたつ入ってよだれ垂らして寝る、
まるで春爛漫のお年寄りのような極楽の毎日が続きました。

この、耳から脳汁が垂れ流され続ける生活を
「これではイカン!」
と思って会社を辞めてみたのですが、
辞めたからと言ってとりたてて状況は改善されず、
むしろ悪化の一途を辿ります。

「イカンかったのはサラリーマン生活ではない。コタツだ」
という真実に気がついて完全テーブルシステムに戻したのは
随分後になってから、確か27とかそんなあたりで、
全くコタツ一つのためにえらい目に遭ったものです。

ということでもう二度と自分の部屋をコタツにしようとは思わず、
(居間キッチン等々はもちろんOKです。
 念のため言っておきますがコタツ大好き)
また、テーブル+椅子も嫌いではなくて馴染んでるのですが、
ここで一つ問題が。

マイ・ルームは5畳の畳敷きなんですが、
ここでキャスターつきの椅子を使うと、
畳表が「すぐに」ズタズタになって、細かいクズが出てお馴染みのベタ足に
ついて、実に気持ち悪い。

当初、2畳敷きの安物のカーペットを買って、椅子の可動範囲だけに
敷いてみたのですが、これはダメ。
安物のカーペットほどどうしようもないものはなく、
薄いためにびろーんと伸び、足の汚れで非常に汚らしく、
おまけにキャスター攻撃にまるで耐えきれずすぐに剥げてくる始末。

これでは、と思い次の挑戦はラグ的な頑丈そうな1畳敷き。
さすがに安物カーペットの不快感はなく、
現に2年近く頑張ってはくれたのですが、
しかしそれでも例のベタ足のおかげで徐々に気持ち悪くなってきて、
洗濯機で洗ってみるもなんかイマイチ。

で、足裏が快適なら快適なのか、と、思い切って
畳表だけの敷物
が家の模様替えで余ったので、使ってみました。
頭の回転の速い方ならもうお分かりの通り、
畳表ですから、畳同様、すぐぐずぐずになって小クズが、ゴミが。

で。現在はこれも昔、木張りの床に敷いていたタイルカーペット(40cm四方)
を採用、汚れたらそこだけ取り出して洗濯or交換……
を目論んでるのですが、早くも足裏クンが
「これってさあ、あの1畳敷きと同じ感覚じゃん?」
とタメ口をきいてきます。

どうしたらいいのでしょう?

アーロン・チェアのオプション品に、フローリング床などで
椅子の下に敷く樹脂マット売ってるのですが、
高価なのには目をつぶるとしても、
あんなもんに足載せて生活するなんて気持ち悪いこた
考えただけでもノン・メルシィでございます。
QOLが、QOLが。

え?
素足で生活するのがよくない?
なにをゆうとるんですか、日本人は家では素足、
これ!

てなことで
・素足でベタベタせず
・ゴミが出ず
・手入れが簡単で
・キャスター移動しやすく
・安価で設置が簡単な
敷物は無いものでしょうか。

最終手段としてはフローリングカーペットがあるのですが、
柔らかい畳の上にあんなものを載せて成り立つのかどうか、
逆にガタガタしちまわないか、と非常に疑問符なので、
踏ん切りがつかないのです。

キャスターにかます小さいかんじきみたいなので、
非・キャスター椅子にしてしまうしかないのでしょうか……
でもそれじゃせっかくのキャスターの便利さが。

我が部屋だけでなく、
キャスター椅子・オン・畳
という風景は日本のどこでも見られる風景だと思うのですが、
1200万ぐらいのこれにお悩みの皆様のためにも、
目を見張るような画期的技術orグッズ、
思わず伊東家に横流し投稿したくなるナイス・アイディア、
お待ちしておりまする。


9/15 雑感
古本屋さんで『ピーナッツ』のダイジェストみたいなのを買うなり。
(訳は谷川俊太郎師匠)
アメリカのマンガ見てると、食べ物が美味しそうですよね。
直接の描写がなくっても、スヌーピーにとってのドーナッツの位置づけが
凄く大きくて、食べたくなってくる。
ガーフィールドのラザニアもそう、
トム&ジェリーに出てくる穴の開いたチーズもそう。

やはり、ベクトルはともあれ「食い気」への執念は強い国ですよね。
香港もそう、昔のジャッキーのカンフー映画見てて、
長いお箸で食べる山盛りのご飯が美味しそう、とか、
国民性というかお国柄というか、あるように思います。

ということで、レーズンマーガリンを塗ったトーストを焼いて食べてしまった午後です。
久しぶりだと、ああいうの美味いんですよねえ。
ピーナッツバターとか。

---

本日のちょっぴり嬉しかったこと。

随分前に買った、「1インチウェストの小さいジーンズ」。
ぴったりすぎて日常履きにくいとお蔵入りになってたのが、今日出してみると
すぽ
と入ったんです。
いやまあ、それでも32インチあるんですけど。

で、嬉しさのあまり、鏡の前で「黄桜の舞い」を踊ろうとして、
すっかり歌詞を忘れてる自分に気づきました。
「♪のーめるのーめるのーめるのーめるいーけるけるけるけーる」
のとこしか覚えてない。
もしや、と思いWebへ行くとトップページにその歌が。
そうそうこれこれ。
そうか、あれは「ウィック ハック ヒック」だったのか。

Web見ながらそんなこと考えてると、
そういえば「呑」でもサブちゃんに
「♪きぃ〜〜〜ざくら〜〜〜っ (ドンッ!)」
と唄わせており、とても音楽性を大事にするメーカーのようですね、
黄桜酒造さん。
やっぱり酒造りって他の食料品よりも一層の、芸術性というか創造性というか、
そういうものが求められるようで、
多ジャンルのそういうものへの理解やセンスも深まるのでしょう。
サントリーの活発な活動とかもそうですし。
焼酎など、中身だけではなく瓶デザインやネーミングも凝り倒したものが多いです。

好ましいのは「がんばって凝ってみました」感があるところで、
この辺がちょっと金になり出すと、高名なグラフィックデザイナーなり
なんかそーゆー食ビジネスのプロモーション専門にやるところが
引き受けだしたりして、
新築民芸風ラーメン屋
みたいになっちゃう。
あれが悪いとは言いませんが、食傷気味なのは確かです。
で、では他のパターンがあるのかといわれれば無いので、
えらそうな口はききにくいのですが、ま、お客としてはそう思ってます、と。

そうそう、それで。
F1イタリア観て、ミハエル先生が久しぶりに完勝したんですけど、
(ちなみに残り2戦、ドライバーズもコンストラクターズも全くわかりません。
 今年の鈴鹿は燃えそうです)
「あのボーダフォンのロゴってなーんか見たことあるんだよなー」
と思ってたら、
白鶴「まる」
でした。(天地逆ですが)
フェラーリの車体やマンチェスター・ユナイテッドのユニフォームを見るたびに、
矢崎滋博士と漁師町のおばちゃん達の笑顔が目に浮かびます。
おかあさんに挟み焼き。

ボーダフォンといえばベッカム主将ですが、
(レアルの胸スポンサーがシーメンス・モバイルだから、
 もう広告で使わないとか風の噂が……もったいない)
世界中の予想に反してなんかなんとなく上手いこと行ってるらしくて、
こないだはセンターで起用されたらしくて、
そのうちグティ&ベッカム、という
金髪美形ダブルピボーテが見られるかもしれません。
いや、日本では月3000円払わないと見れないんですけど(泣)

おすぎさんがTV番組でレアルな話ベッカムな話をしてる最中に
グティを見て
「この子だれ!? なんて言うの!?」
と奇声をあげたらしいですが、
「それっぽい」というのは万国共通のものなんでしょうか。
デニウソンってスペインではめっちゃモテるらしいんですが……
まあ、野性味溢れる、というと確かにそう見えなくはないか。
それよりも誰かロナウジーニョに髪を切るように説教してくれませんか。

---

阪神が優勝したのですが、前回は中学2年生でした。
この18年、とてもいろんなことがあったようにも思うのですが、
では自分の中身、これが進化しているかというと
これがこれっぽっちもしてないような気がします。

時折、ぽん、と違った自分になるような気もしますが、
いつの間にか、中2のあの頃とさほど変わらない自分に戻っていたりもします。

ま、それをいいとか悪いとか考える前に、
つまりは「自分が何か」を考える前に、
いまの自分でできることを考え、
それを一生懸命するほかないなあ、と、思います。

18年ぶり18年ぶりと言われると、
そんな感じで、ちょっぴり寂しかったり、ちょっぴり意を新たにしたり。

でも、あんなへちょんへちょんの戦力で
よくもまああそこまで勝ちまくったもので、
世の中なんでも起こりうるものだなあ、
と、勇気は与えていると思います。今年の、あのチームは。

今年は、久しぶりに日本シリーズが楽しみです。
おおよそ福岡を除く日本中が「阪神に勝たしたれよ」と思う中、
そう2年前のダイヤモンドバックスばりに
「いや、これはこれやから」
と空気を読まずにダイエーが勝っちゃうのか。
それともやはりセ高パ低の流れが確実にあって、
思うより簡単に阪神がポンポンと勝っちゃうのか。

「誰がMVPだと思う?」
という問いに
「山下大輔」
と答えてる人が居ました。
22勝6敗の大黒柱ですから、その通りだとも思ったんですけど、
逆に言うと、チームから一人挙げるのが難しい、というのは、
とてもよいチームの証だと思います。

なにわともあれ、おめでとうございます。


9/14 身体性(2)
忘れないうちに、続きをもう少し。

そうした身体性が大切だとするなら、
身体の動きが精神に多大な影響を与えるとするのなら、
文章を書く、
という行為も少し考えなければなりません。
なぜならこの行為は、諸表現手段に比して、おそらく
「最も身体性からかけ離れている」行為、
だからです。

特に万年筆と原稿用紙を捨て、PCとキーボードとATOKを得てしまった現在、
文章を書く際に使用される「身体」は
ほぼゼロ、
と言い切っても過言ではありません。
指先はタッチタイプでほぼ完全にオート化されます。
文章表現でコツコツとハードルになり、身体を使わされていた
漢字の書き方、これもATOK(IME)が親切にも候補列をズラズラと並べてくれます。
おおよそ直感で選べます。
原稿用紙上では苦労した、誤字脱字関連の修正も実に手軽。
跡形もなく修正してくれます。
つまり、「身体が苦労する」ことが、これっぽっちも無いんです。

歌を歌う楽器を奏する、あるいは絵を描く彫刻を彫る、
そこには、頭にあるイメージと、
自分の身体、声帯であったり指先であったり腕であったり、
とを結びつけるための不断の努力が必要になります。
もちろん長ずればオートマ化される部分も大きいのですが、
例えば何の苦労もなく定規もかくや、の真っ直ぐな線が引けるようになったとしても、
その使い方のバリエーションは無限にあり、
使い方選択の場面では必ず身体性を要求されます。
この、身体性が、「ああ今日は寒いから声が出ない」とか、
「ああ今日は暑くて紙がふやけて色が塗りにくい」とか、
これが微妙に大切なのではないでしょうか。

ところが文章書きにはそれはまるでない。
何を書くか、さえ決まれば、
それを表現するのに身体は要らないわけです。
それが、危険かもしれない。

数年前に、この御時世になってなお「ワープロ不要論」みたいなものをブチ上げた
俳人の方だったかがおられて、ちょっぴりだけ話題になったのですが、
(どちらかというと「この時代に!」みたいな話題性で)
そういう意見が出てくる、というのは、
ひょっとするとこういう「身体性の無さ」を直感的に感じ、
それに対して本能的忌避が働くから、ではないでしょうか。

「イメージ」と「アウトプット」間の身体性の欠如、
これは文章書きにおおよそ固有の問題で、

#近いのはプログラマとかそうかもしれませんが、
#でも彼らには確固とした「動くプログラム」という結果が残るが故に、
#バグ取り作業など、アウトプット側からのフィードバックとして、
#使ってなかった頭を使わされる
#という要素はあって、それがある程度までは代わりになってるように思います。

もしこれが問題視すべき、回避すべき方向の一つであるならば、
最終的にはPCを捨てることまで含めて、方策を考えねばなりません。

で。
ここからすごく地べたな個人的な話になって恐縮なんですが、
僕は自分の部屋でものを書く、というのがえらい苦手でして、
振り返れば、中学生の頃から、部屋で勉強するのがすごく苦手。
(勉強、特に受験勉強試験勉強という行為もこれまた身体性の著しく低い行為です)
キッチンでやったり、学校で残ってやってみたり、図書館へ行ってみたり、
とにかくウロウロしたものです。
ずーっと、「部屋の居心地が悪いからだ」と思っていました。
実際、我が家の中でおそらく一番居心地の悪い部屋なんですけど、
(故にそれを原因だとずっと思いこめたのですが)
でも、キッチンの固い椅子で無理な姿勢で勉強するよりはマシなことは
間違いない。
そういえば逆に、落書きをしてそれをPCで色つける、となると
一日こもりっきりになるのですが、割とそれは平気だったんです。

ということはどうも、ウロウロしていたのは、
新しい環境にコロコロ変えて、少しでも身体の方に刺激を与えようとした
本能的行動だったのかも……
ノートPCが好きで、現に今までのほとんど全ての書き物は
ノートPCで書いているのですが、(除くほえなが)
なぜ、どう考えても効率の悪いノート上での作業にそこまでこだわるか、
と言われると、うまい説明ができませんでした。
どこでもできるから。
じゃどうしてどこでもする必要があるのか。
うーん。いや、気分が変わって……うーん。

そうじゃない、
気分を変えるために場所を変えているのではなく、
場所を変えること、それ自体が目的だったのです。
(/かもしれません)
そのための道具として、ノートじゃなきゃダメだった、というだけの話です。
#もちろんメカ好きですから、小型高密度時代最先端がモノ的に大好き、
#という側面はありますが。

サブノート好きも、結局、理想を言えば、
僕が動き回るどこにでもついてきてもらいたい
からこそ必然的にそうなるのであって、
くどいようですがA4は新幹線のテーブルでは開かないんです。
ドトールの丸いテーブルに載せると、他にはメモも乗らないんです。
それじゃ、困るんです。
それは、僕にとっては「モバイル」とは言わないんです。
どっかからどっかへ運んでOK、ってのなら、3kgあるフルサイズでいいです。
違うんです、逆なんです、
どっかへ行った時に、どこでも、そこで使いたいんです。
というか、使えないと困るんです。
で、かつ、やることがテキスト打ちですから、
キーボードちゃんとしたのが無いと困るので、
サブノートクラスが落としどころなんです。

ちょっと話がズレましたが、
かようなことで、フル回転する精神と、何もせずボーッとしている身体、
このギャップが、「文章書き」には存在し、
そいつは、うまくコントロールしてやらないとマズイことを起こしそうな予感が
ドキドキする。
だもので、身体の方もある程度刺激を与えてやる、
その方法を、いくつか探らなければならない。

その一つが、知らず実践していたノートPC持ってウロウロ、なんですが、
他にもあるかもしれません。
BGMなんかも、書き物に合わせて選択するところまで含め、
またその刺激で気分を変えていく変わっていくところは、
手段の一つに数えていいかもしれません。
あるいは、これはやってる人多いと思いますが、
紙に打ち出してそれに赤を入れてみたり。
プロットも、アウトラインプロセッサ使うんじゃなくて、
コピー用紙にゴチャゴチャと書いてみる。

そのごちゃごちゃ、ぐちゃぐちゃが、切り落とされない何か、
を生むかもしれませんし、その元となるかもしれません。

ただでさえ言葉、ってヤツは、
曖昧模糊としたイメージを、パンパンパンッと切り捌いてしまうものです。
もちろん、そうであるからこそ、他のものとくっつけることができたり、
誰しもが同じイメージを持ったりできるわけですが、
そこで切り落とされたはしっこ、びよびよとした余分の部分、
ここにも、栄養があるはずです。
ぬかのように。
それを、文章化にいたる時点でも、さらにポンポン落としていっていいものか。

これも個人的な事柄ですが、
僕は一旦書き上がると、毎日新ファイル名をつけて推敲していきます。
古いファイルを残します。
切り落とした部分とか、アイデアはあったけど組み入れなかった部分とかも、
最後の最後までファイルのおしりにくっつけておきます。
で、それを再利用することはほとんどないんです。
でも、それも、無駄であって無駄でない部分、というか、
これが無ければ全体が無い部分、であって、
ぬかなんです。捨てるけど、大事な部分。

文章を書く、という行為は、極めて抽象度の高い行為です。
誰もが使う文字と単語、文法を使って、書く。
今は、字の美醜も問われない。
で、あるが故に普遍性と、氾時空性とでもいいましょうか、
とにかく時代と空間を超えることが実に容易なわけです。
カエサルの言葉も読めれば、光源氏の活躍も読める。
しかし、それだけの力、ポテンシャルを持っているということは逆に、
どこにもなければいつの時代にもありえない、つまり、
なんでもないもの
(無意味なもの、ではない)
を生み出してしまうおそれが、多大にあるんです。
しかもこの罠は、腕があがればあがるほど、
文章を扱えるようになればなるほど、大きく口を開けて待っている。
これは、怖い。

#えと、それも一つジャンルとしてはありだ、という考え方はあって、
#それは否定しないんですけど、それ系で楽しめた経験がほとんどないので、
#個人的には、そっちは指向しません。

それを避ける一つの試験紙は何か、
というとやはり、身体性、肌触り手触り、香り立つような匂い立つような、
目に見えるような音が聞こえるような、
それがあるかないか、でしょう。
そしてそれを生み出すには、やはり、
その「身体性」を、常に意識している必要は、ありそうです。

なんだか小難しいことを言ってるようで実はめっちゃシンプルなことで、
「たこ焼きを口に放り込んだら熱かった」
の表現をするときに、
「あち、あち、あち」
では、ダメだとは言いませんが身体性低くて抽象度高いわけです。
その状況で「ち」の発音はできっこないですから、
「あふぃ、あふぃ、あふぃ」
とかなんとか、工夫する必要がありますねえ、
と、僕は思いますよん、
てなことを言ってるだけです。

……これは余談ですが、
といっても、読み手の方の抽象度欲求、ってのが最近けっこう凄くて、
そこで、「あちあち」でないとダメ、っていわれることがあります。
それが、「あふぃあふぃ」が理解不可能/しにくい、ならまだ百歩譲れる余地も
あるのですが、
「あふぃあふぃ」にチャレンジすること自体を否定されることもあります。

少しだけ想像力を発揮すれば得られる現実味を含んだ言葉よりも、
ノーウェイトで脊髄反射できる記号(だから、多少のブレは問題視しない)
としての言葉が求められる。

コミュニケーションに対する神経症(通じなければ死んじゃう)
みたいなものが時代としてあって、それがここにも症状として顕れてるのか、
あるいはまとまった文章を読むこと自体がすごくエッジなことになってしまってて、
せっかく読むからには泥臭い身体性などできるだけ無しの、
抽象度が高い蒸留酒の方がいいではないか、みたいな雰囲気があるのか、
原因はよくわからないのですが、
まあ、なんといいますか、虫食い痕は無農薬の印、みたいな気分で
読んで頂けると、物書き的にはありがたいかな、と。
たぶん、そこで高い抽象度ばかりを求められて我慢できる書き手は
そうは多くはないと思うので。
(……だと思うんですが……これは自信なし)

自分内目安として、
たこ焼き描けばたこ焼きが食べたくなり、
ビールを描けばビールが呑みたくなる。
てのが一番だと思ってます。
それは、物体だけではなく、感情でも、風景でも、そうです。
そこを忘れないような刺激を身体に与えながら、
読み手さんの身体にも同じ刺激が飛んでいくような、
そんなものを描いていきたいものです。

で肝心の今日のお題、その刺激を与えるにはどうすればいいのか、
ってことですが、これはもう描きながら探すしか。
とりあえずいつもの作戦、ファミレス持ち込み作戦かな。

---

しかしこの身体性の問題は、物書きばかりでなく
現代社会であるならばどんな仕事、いや、
生活の至る所に転がっているようにも感じます。
身体感覚から離れたものが、あまりにも周囲に遍在しすぎていて、
それが問題であるのかどうかすら忘れられようとしている。
よく言ってます、CG映画なんかもそう。
CGだからよくない、ってことじゃなくて、その技術は、
身体感覚抜きで凄くリアル「っぽいもの」を作れてしまう技術だから、
怖いんです。
100万ドルとか1000万ドルとかジャバジャバお金掛けて、
日当100ドルのエキストラが道で転ける程度のインパクトも与えられない。
医療とか、教育とかもそうです。
経済は、バブルがとてもいい反面教師になって、
ちょっとしみったれ過ぎてる気もしなくはないですが、
「リニアは要らんよな」とか言えるだけまだマシかも。
それでも、一国の外相まで務めた人が、平気でカビ臭のする
公共投資論を大衆の面前で吼えまくれる程度には、
まだソレな要素が残ってる。人とかモノとか組織とかシステムとか。
かなりたっぷり。
政治も。
北朝鮮の建国記念式典みて我々は大笑いしてますが、
あれをつい60年前にやってましたからね。

「理屈ちゃうねん、それはおかしいやろ」
と、パッとわかってパッと言える、
誰かのそれを聞いたらまわりも、
「あ、そうかも」
ともう一度考える。
そのためには、なにも特別な知識や経験が必要なのではなく、
空気吸ってご飯食べてお布団で寝る、
その当たり前がいかに大切かよくよく識っていること、
ではないでしょうか。
その軸から、いかほどの距離にあることなのか。
すごく遠い場合、それは、たぶん、
あまり大げさに考える必要のない、直感でモノを言ってもたぶん当たってる、
ことのように思います。
軸を大事にしないと、考えがブレる。
それが、よくない結果を呼び込んでしまう原因になることが、
多いように思います。

時代は変われど、人のやることはおおよそ同じです。
とすれば、そこを大切にすることが、
人と、それから自分を大切にすることにつながる、そう思います。
だから、そこから離れるわけにはいかないのです。


9/13 身体性
欲望には、正側のフィードバックが必ずあって、
欲望が欲望を呼ぶ。

サッカーのサイト見てると、リーガが観たくて観たくてしょうがないのですが、
それだけのためにWOWOW代月3000円はキツイので、我慢してます。
というよりも、「観なあかん」と思って観るのは楽しくないだろう、と思うので。

攻撃的なところもですが、アカヌケきらないところもリーガ・エスパニョーラの魅力で、
どなたかがどこかで書いてたのですが、
「どうしてアッズーリ(イタリア代表)のヌード・カレンダーはカッコイイのに、
 スペインのそれは親父の宴会芸にしか見えないんだろう」
ってそのままです。

ローマ時代はイタリアが世界の中心、スペインなぞ辺境もいいところで、
むしろカルタゴがあったチュニジアとかエジプトとかの方がよっぽど都。
ずーっと下って大航海時代に世界を席巻したわけですが、
それでも、なんていうんでしょう、マドリードが「世界の中心」になったことはなく、
その辺がローマや北京やニューヨークやパリやイスタンブールが持ち得た何か、
を結局今に至るも持ってない、
偉大なる田舎
くささに通じるのではないでしょうか。
行ったことないんですけどモスクワとかも同じ匂いがするのかもしれません。

とまれ、そういう欲望フィードバックを避けるためには
種になる小さな情報を遮断すればいいのですが、
それじゃ世の中楽しくないですしねえ。

「独占放送権」ってニュース映像も流せなくなるらしくて、
事実どこからもどんな映像も流れなくなったので、
Webサイトとサッカー雑誌に頼るしかない。
こういう契約のやり方を考えたヤツは阿呆ですかと。
いっぺん、「知って貰う」ことがショービズにとってどれほど大切なことか、
真夜中に心斎橋に座って自作の習字でも売ってこい。

---

「ほぼ日」で「300歳で300分」という、80歳手前の名爺さん5人に話をさせる
イベントをストリーミングしてたので、藤田監督のところから観ました。
(寝てたんです)
面白かったんですけど、やっぱああいうのは現場でないとね。

中でも、僕も何度も考えてて相変わらず巧くまとまらない、
「身体性」についてのお話が何度も出たので、
長老達も同じことを考えている、と少し嬉しくなりました。
これは、ここしばらく、大切なキーワードになると思います。

我々はなによりもまず生物としてこの地球上で、
物理法則に従って生きているわけですから、
そこからど外れたなにかである、ということはできません。
ということは、マクロ側でもミクロ側でも、タッチ&フィールには
閾値があって限界があって、それ以上、になると、
針を振り切ってるか針が微動だにしないか、どちらかのように思うんです。

ところが今の我々にはありとあらゆる道具と手段が用意されているので、
その領域やその領域に近いところを、ゴリゴリといじれるように
なっちゃってるんですよね。
で、そのこと自体は別に悪いことじゃない、と思うんですけど、
カネや手間はいいとしても、
時間、という要素で切れば、やっぱりこれも有限なわけです。
それが有限である以上は、「賭けられるパワー」ってのも結局は有限であって、
そうである以上は、賭け方に優先順位を持たせる、という行為は
結構重要な意味を持つのではないか、と。

そんなとき、「身体の訴え」というのはものさしとして非常に使いやすく、
「なんか気持ちいい」「なんとなく気持ち悪い」
という感覚は、おおよそ当たっている。
そこを磨いていきたいとも思えば、
そこからあまり外れないようにしたい、とも思う。

ま、自分のやってることに落とし込めば、
どんなに精密な情景描写も、どんなに複雑で激しい展開のストーリーも、
目新しく人目も惹くような舞台設定であっても、
はらり、と涙を落とす一シーン、には100%敵わないわけです。
やるべきはその、はらり、であったり、あはは、であったりを
生み出すことで、そのために各種道具を使っていることを、忘れてはいけない。

生活でもそうで、世にはいくらでも、
なんだか凄そうなもの、なんだか便利そうなもの、なんだか楽しそうなもの、
なんだかかっこよさそうなもの……
があります。
でも、それを手に入れて、あるいはそれに臨んで、
本当に身体のどこかが勝手に反応を起こすようななにかが得られるのか。
(なんかこう書くとやらしいですが(笑))

逆にまた、世でそうだ、と言われてるモノに対して反応ができない場合、
それは、自分のどこかが麻痺してる、故障してるおそれもあるわけです。
整体でも鍼灸でも、「反応しない」というのが一番マズイ状態で、
負の反応、たとえば痛みなり風邪なりが出てるうちはまだ、
身体に抵抗しようというパワーが残ってるわけですから。

上で「欲望は自らのポジティブ・フィードバックで肥大化していく」と言いましたが、
頭の中だけで考えれば考えるほど、
抽象化してそのイメージだけをいじればいじるほど、
それは「身体性」を離れ予期せぬ方向へ膨らんでしまいます。
これがよくない。
負へ走れば「僕はなにもできないんだ」になりますし、
正へ走りすぎれば「俺にはなんでもできる」になりすぎます。
どちらも真実ではなく、
できることはできますが、できないことはできません。
そして、
できないことも多いのですが、身体が勝手にやっちゃってくれることも多いのです。

中学ぐらいまでは、
体育ほか音楽に美術に図工に、今は生活科でしたっけ、
とにかく身体動かす何か、を無理矢理にでもやらされることが多いですが、
それ以降、避けようと思えばどんどん避けられるようになり、
いつしか、身体の言うことを聞くのは飲み過ぎの翌日か腰痛のときだけ、
という情けない事態に陥りがちです。
悠々自適の生活を現すに
「晴耕雨読」
という言葉がありますが、この「晴耕」が「雨読」の方に、
きっといい影響を与えるのだと思います。

しかし困ったことに、いや、本来はありがたいことなんですが、
身体、というのは非常にオートマチック化能力に優れており、
同じ刺激にはすぐ慣れてしまいます。
散歩一つにしても、習慣になるとその効用は薄れていく。
できれば、四季折々の移り変わりなど味わいながら歩く、
と、飽きもこず、すごい刺激にもなります。
結局、意識を高く、しかし平らに持つ、という意志、あるいは体質が必要で、
それが大変なことなんですが……
そこはオートマ化することはできず、できても意味をなさないですしね。
あがったりさがったりしながら、
上を忘れず下を忘れず、奢らず諦めず、というのをやるしかないようです。

藤田監督が、ノーコンを克服しようと現役時代、
キャンプで何百球も投げていると、ある時突然、糸を引くように、
狙ったところへ何球でも投げられるようになったそうです。
「これは!」
と思う。
身体が、なにかを掴んだんでしょうね。
でも、次の日には元に戻っちゃってる。
それでも、その感覚を忘れないように思い出すように、
毎日投げ続けるしかない、とおっしゃってました。
世界の王貞治でも、「良い結果を出した翌年は怖い」そうです。
だから、たとえ良い結果が出ても、
「試合が終わった瞬間から来年のことを」
というのにはそういう意味もあって、
決していい子ぶってるわけでも、求道それ自体を求めているわけでもなく、
怖いから、この「何か」を失いたくないから、
という、言えば「弱さ」に突き動かされている部分もある、らしいです。

少しホッとしました。
誰しも同じです。
少し、やってますと、「あたり」のイメージが蓄積されて、
「いつでもあの「あたり」を!」
と追い詰められがちなのですが、
そんなことできりゃ打率は10割防御率は0.00ですもんね。
なにか見つけても、結果を出せても、
また次の日は、新しく頑張る他はない、ようです。
感覚を書き物として残しておくことはできますが、
(僕もよくやってますが)
それを後から見ても、その感覚はそこからは戻ってこない。
「秘すれば、花」
そんなこたわかっとる、っちゅーねん。

さて、そういう「身体」をよりよいものにしていく、には何が必要か、って、
やっぱりいろんな自然に触れあい、いろんな人物に出逢い、
いろんな事物を手に取り眺め聞き嗅ぎ味わい感じる、しかないんですよね。
いつもやる散歩や家族との会話が水なら、
スペシャルな何かは食物。
両方、与えていかないとしおれてしまいます。

そこは、なんとかしていきたいです。

---

と、ストリーミング見てたんですけど、
やっぱり、見せられると現場行きたくなるわけです。
DVDも欲しくなる。WOWOWに爪垢です。

内容とは別に、イベントとしてとても楽しそうで、
「いやあ、ああいうのやりたいなあ」
と高校の文化祭が懐かしく思い出され。
「GoAhead over 30」とでも題し、
5人ばかり集めて若者相手に嘘八百ぶちかますとかどうです?
>岐阜の先生@NY


9/12 雑感
昨日今日、すこしダメ吉。

理由ははっきりしていて、
正直に白状しますと、コツコツと書いてた「ミラクルズ!」#9が
ちょっと納得いかないんです。

うまく言えないんですけど、「書きすぎ」かな。
量が多い、とかじゃなくて、書かなくていいことを書いてる感じ。
その割にはもうちょっと書いた方がいいこと、はポロポロとあって、
なんとも。

直せばいい、って、直し出すと血なまぐさいほど直さねばならない雰囲気。
萎えてるわけです。
特に久しぶりに書き始めた前半部分が酷い。
まるごと書き直そうかって勢いなんですが、
それやりだすとご想像の通り、後半との整合性が取れなくなって
結局後半もまるごと……ってくるくる回っちゃう。

ヤラシイ話は承知の上で白状しますと、
その辺、ある程度75点ぐらいで切り上げて次へ向かう、のも
腕の見せ所の一つです。
不誠実に聞こえるかもしれませんが、
マキシマム頑張っても80ぐらいしか持ってないポテンシャルの何かを、
死にものぐるいで80に持って行く努力をするぐらいなら、
及第点、「良」貰える70ぐらいで落とし込んでおいて、
次。
次に早めに取りかかって、それで100が出ればいいではないですか。
チャンスを増やす方が。

表現系のことを趣味プロ問わずよくされている方ならお馴染みの通り、
あたり
というのは最初から当たってることが多く、
どうかな?と思ったのが見事なモノに仕上がる可能性はかなり低い。
俗に「降ってくる」ってヤツですが、
そんなこたね、なかなか起きないんです。
で、起きてこない時に起きるまで待つタイプと、
起きてこない時はどーにかしてごまかしながら、次のチャンスに掛けるタイプがいて、
僕は後者です。
根がサボリ症のもので、待ってるといつまでもそれを理由にサボっちゃう。
それが怖いので。

無論、納得度合いがあまりに低くてはお話になりませんので、
自分なりの基準設けて、ここまでは……と完成度高めていくわけですが、
ポテンシャル低いものはその作業もこれがまた意地悪に困難で。

また一つ前、「街道へゆこう!」が、完成度は低いですが
本人的には楽しく書けたのに、ってなことがあって、
じゃ「飽き」か、っていうとそんなことは全然なくて、
まだまだあの連中を描きたい欲はちゃんとあって。

特に今回は、書いてない2年半の間、おおよそ
「次描くなら可憐だな〜」
と妄想を膨らませていた、自分なりに思い入れのある一品だったのもあって、
ワクワクと書いてみたら……う〜ん。
みたいなところもあります。

僕は、どちらかというとそういう「構想何年」というのが苦手な方らしく、
イメージが膨らみすぎて、手がついていかない。
で、そのイメージを丁寧になぞると、今度は売り物と個性であるところのリズムが崩れる。
そのズレに非常に苦しむようです。
ではなく、「これとこれでいっちょ書いてみっか」みたいな方が、
ポロッといいのが書けたりする。
テクニカルには、考えてみれば三人称自体が実に2年半ぶりで、
それも理由の一つかな。

う〜〜〜ん。

しかし、どちらにしろ、ねちねちとがんばるだけがんばって、
人様に御覧いただけるものにはしたいです。
やっぱコピーかな。

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こんな時、歳取って嫌だな、と思うのが、
おおよそ全ての逃げ方をやりつくしており(笑)
鬱に浸りきって虚ろな涙を流すことまでをも含めて、

「んなことやってもなんにもなんない、
 文章の借りは文章で返すしかない」

という真理を知っちゃてることです。

こればっかりはどうしようもなく、
穴だらけの可憐に手を入れるのも僕なら、
新しい何かの案を練るのも僕です。
そしてそこにしか、やすらぎはない。

仇を取るまで、またタラタラした日々が続くと思いますが、
「あんたアホか」と思われそうなハッピー満開の言葉を、
ここでみなさんに見て貰えるようになるまで、
負けずに頑張ろうと思います。

以上、愚痴でした!

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鬱陶しいついでに吐き言ドバッと。
代表戦、もう少し。

「だいぶ良くなってるように感じるんだけど、なにが物足りないんだろう」
と考え直してみました。おそらく、

(1)攻撃ではチームとしてどう点を取りに行くかのビジョンが見えない。
(2)守備も、今結局宮本先生だのみであって、
 もし宮本先生が使えないシチュエーションではどうするのか。
(3)チーム構築には相変わらず不安満載。

こんなところでしょうか。

まず(1)。
黄金の中盤が暴れ回る、そこはいいんです。
でもそこから先、フィニッシュ前およびフィニッシュが、
あまりにも個人の閃きだけに頼りすぎているように思いませんか。
あるいは、約束事があるのかもしれませんが機能しているようにみえない。
シンジ入れてからポロポロッとチャンスできたじゃないですか。
あれだって獲って縦一本ですよね。
それはもう、ワールドユースから一緒にやってる
シンジ-本山やシンジ-稲本、っていう単独ホットラインが機能してるだけで、
チームとしての機能性が変更になったわけではない。

大久保とへなぎんという裏へ速いFWを2枚も揃えてなおかつ
その特性を活かすようなプレーがあまり見られませんでした。
(むろんセネガルのラインコントロールも素晴らしかったのですが)
では、と黒部を突っ込んで、じゃあアーリークロスとかガンガン放り込むのか、
そういう戦術に切り替えるのか、ってそれもない。
唯一、ベンチ指示によって変化見られたのは三都主の位置で、
後半あげっぱにして勝負させてたんですが、
おかげで俊輔が行き場を失って消える一因にも。
ああなった場合は俊輔真ん中に寄せて3-2-3-2みたいにするとか、
いややはり三都主と俊輔がコンビを組んで左サイドをとにかく破り倒して
DF引き寄せて、開いた右から中田が勝負だ、
とかそんな図柄が全然見えてこない。

選手交代やフォーメーション変更というのは意図があってやるわけで、
トルシエは成否は別にして意図はわかりやすいものが多かったです。
(特に後半は)

結局、フレッシュな選手、違う個性の選手をブチ込めば状況が変わるやろ、
程度の曖昧模糊とした意図で交替やシステム変更をやってるように
見えてしまってます。

もう一例。
中盤ボックスの4-4-2の大きな攻撃パターンが、
サイドバックとサイドハーフが連携してサイドを大きく切り崩し、
そこから高低のクロスを入れて中央を伺う、というものだと思いますが、
このチームそれがあまり出ない。
こういう「2人が組んでなにかをする」攻撃でも、ボール回収でも、
それが見えにくいチームなんです。
そこが不安を煽る。
これはジーコジャパン出発以来ずーっと同じ状況なので、
これからも変化見られないように思います。
で、これでホントに大丈夫?と。

(2)、パラグアイ戦でしたっけ、前任の奈良橋-森岡-秋田-服部から、
山田-坪井-宮本-三都主にまるっきり切り替えましたよね。
で、確かにだいぶ良くなったんですけど、
これって選手が替わって良くなったんじゃなくって、
守備方式をガラッと変えているんですよね。
たぶん以前のDFリーダーは秋田だと思うのですが、
低め構え取りに行くのゆっくり目で、
だから自軍ペナルティエリア外側で奈良橋や服部が1v1でぶち抜かれて
好き勝手やられてたんです。
で、宮本先生はトルシエ時代かのようにぎょいーんとラインを上げて、
できるだけ高い位置で勝負する。守備的MF2人に手伝って貰って。
だから、このラインがやられる時、ってのは
(この試合でも右サイド(日本の左サイド)でよく見られましたが)
アウトサイドのスペースをぴゅーんってランナーに走られ、
そこへサイドチェンジ気味の大パスが出る、って瞬間で、
それを見てディフェンスラインがぎゃーって戻る、という、
こないだまでよく見た懐かしい光景が繰り広げられた時です。

これって、人の性能と言うよりは考え方の違いというか
守備方法論がまるで違うわけで、ここで、
やっぱりフラット気味のラインを高め高めに敷いていこう→
そのために宮本が適任だ。
ならばいいのですが、
宮本と坪井をCBにしてみた→
宮本のラインコントロールと坪井のスピードで、高いラインが敷けた!
では、
そんな場当たりでは困る、と。
特に守備は。

で、こんなことでは、例えば宮本が怪我して出れない、
じゃあ森岡が代わりやって坪井と組む、と、また
森岡式に変わっちゃうおそれがあるわけです。
それは大変ではなかろうかと。
攻撃はともかく、守備の方はあらゆる状況に鑑み
誰が出ても同じ守り方ができる
というシステムを確立する必要があります。
そういう指向が見えにくいなー……と。

それにも絡んで(3)ですが、
結局今回も、左SBのバックアップ誰も呼んでないんです。
そもそもが専門職でない三都主を無理矢理使っているにもかかわらず、ですよ。
(右は市川がいました)
4-4-2系の、チーム編成上の大きな弱点が
「左右サイドバックに良質の選手が、しかも最低2人ずつ必要」
という一点。
ドーハの都並を持ち出すまでもなく、
ブラジル代表だってそれはなかなか成立しないんです。
98フランスでカフーの代わりにこないだまでスイカ売りしてたお兄さんを使って、
オランダのゼンデンにズタズタにされたじゃないですか。
質的なものは置いておくとしても、用意するのはせねばならず、
あれで試合前の練習で三都主が怪我でもしたら、
誰が左SBをやる予定だったのでしょう。
本山にでもやらせるつもりだったんでしょうか。
もしそんなことになってそこ狙い打ちされて負けたりしたら、
この試合の意義そのものが薄れてしまうではないですか。
よくそんなバクチが打てるなあ、と。
無難に服部、あるいは平山でもそれこそ根本でもいいので、呼ばなきゃダメです。
だって本番は、誰がどう言ったってバックアップ
用意しないわけにはいかないんですから。

ていうか、スタッフだってわかってないわけないんだから、
例え相手が神様でも「左SBの控えは?」と訊きなはれ。
訊いても「ええんや」と答えたのかもしれないけど……

---

ということで。
擁護派の中には、トルシエ就任後の勝敗ペースと対戦国のレベルを
引き合いに出して、「まあまあ」という方もおられるようですが、
そういう表層ではない、もっと根元的なところに問題が
横たわってる気がしてなりません。

1年、経ちましたよね。
あと予選まで150日ぐらいしかないんですよね。
アジア予選といっても侮れませんよ〜。
なんたって前回の予選は、プレーオフ泣きながらようやく突破したんですから。
一番ありそうな絵面が、
アジア予選は力尽くでなんとか勝ち抜いて、
そのままヨレヨレと強くなるんだかなんだかわからない日々を過ごしてるうちに
本戦、ドイツでポロポロポロッと負けて帰って来ちゃう。
そんなん。

だから代えろ、と言ってるのではなく、
こうした不安に対して
「いや、だいじょうぶ、こういう方針だから」
と、言葉でも結果でもいいので安心させて欲しいだけです。
とにかく、「代表」というのはその国に一個しかなく、
泣いても笑ってもその一つを応援せざるを得ないので、
みんなで大切に育てていきましょう(泣)

神様〜。


9/11 光いろいろ
仲秋の名月、ということで、外へ出て眺めせしまに。
紅い火星も居たりして、傘つきもまた趣があるように思いました。

星や雲を見るたびに、
「いつもこれを見上げるような豊かな心持ちでいよう」
と思うのですが、視線を水平に戻して5秒後には忘れています。
星を雲を、飽きるまで眺める時間、
ぜいたくなのはわかってはいるのですが、
まだ、生臭さが抜けないのか、他のことをやろうとして焦ってしまいますね。
やろうとする他のことなんて、たいしたこと無いくせに……

ここ、切り替え、カチカチとできるようになればいいのですが。

---

相変わらず何ということもないことをやりつつ、
何ということもない日々を送っております。

今日のエポックと言えばロッテ・キシリトールガムを
めんどくさくなってついにボトルで買ってしまった、という事実と、
32Wの方が切れていた30&32W蛍光灯をついでに両球換えてみたら、
天照大神がお出ましになったのかと思うほど部屋が明るくなった、
ことぐらいです。

ボトルは、振ってみるといかにも剥き出しのまま当たってるような音がして、
「これじゃ捨てる時の銀紙が無いからちょっと不便かも」
と思ってよく見ると、赤字で
「ボトルの中に捨て紙が入っています。」
とありました。開けると、3cm×4cmのポストイットみたいなのが入ってて。
「なるほどねえ」
と思いながらカラカラ振ってますと、ミル吉が飛んできました。
どうやら、カリカリ(ネコフード)の新品が開いたものと勘違いしたようです。

夜に、明るい、というのが、あまり好きではありません。
夜は暗いものです。
明るくすればするほど、明・暗のコントラストが拡がって、
余計に寂しくなります。
闇が闇になります。

うちの母などはとにかく明るいもの、特に蛍光灯を狂おしいまでに好んでおり、
隙あらばあの、オフィス以外ではどう考えても用途のなさそうな
「クール色」を買ってこようとするので、
ウォームは使いにくいにせよせめてナチュラルにしろ、
と吼える僕と喧嘩になります。
こないだも、トイレの手前の電球を赤いのから白いのに換えました。

そんなところを委細漏らさず照らし出してどうするというのですか(泣)

太陽神信仰の名残があるのか、それとも農耕民族で日射しがなければ
みなが飢える、というDNAが泣き叫ぶのか、
とにかくこの国ではあの白い光が幅を効かせすぎです。
太古の昔、夜の灯火といえばおそらくは生のファイヤーであったはずで、
色温度はぐっと低い、赤い光のはずです。
それ(今なら白熱電球や蛍光灯でもウォーム色)よりも、
あの白い光を好みに好み倒す、
これはもはやどこかに刷り込まれたなにかだ、と思わざるを得ません。
欧州では灯が赤いですが、あれは狩猟民族が夜に生火を囲み、
今日の狩猟の成果を喜びあう、あの名残でしょうか。
「アメリカで白熱球使うのは電気代安いからだ」
とどこかで聞きましたが、欧州はそれは成り立たないと思うので……

あるいは。
なにか作業をするなら赤い光より白い光が有利であることは自明の理で、
ごちゃごちゃ言いながら僕も、夜は蛍光灯ガンガン点けて光るディスプレイに
向かいます。
その、「作業性」への欲求というか焦りというか、
とにかく環境だけでも「いつでもOK」にしとかなきゃダメだろ感といいますか、
そんなものがあるのかもしれません。
それを「勤勉」と呼ぶか他の言葉で呼ぶかは別の問題として。

もひとつ。
いうても日本という国は科学万歳感では人類のトップを未だに走り続けており、
「夜を昼にする」
という科学的使命感に裏打ちされた執念みたいなものが、
列島を覆っているのでしょうか。

それとも。
僕が薄暗いのを好みすぎるのかもしれません(笑)
妄想で遊ぶ、その際には周囲の光はやはり、
ほの明るいぐらいがよく、明るすぎても、真っ暗でもやりにくいと思います。
禅等々では半眼にて自らその状態を作り出しますが、
光環境もそれにこしたことはないですしね。

と、ここまで考えて、
ホテルにあるような、手元のスイッチで
煌々たる蛍光灯全開の昼間のような明るさから、
行灯的ぼんやり間接照明ほんの少し、まで
いろんな光環境が簡単に切り替えられたら嬉しいなあ、と思いました。
……まあ、クリップライトとかPC用品でよくある集中スイッチつきテーブルタップとか
使って頑張れば、自分で構築できなくもなさそうではありますが。

ま、そんな小ネタをこちょこちょとさかしらに弄り倒すのもありですが、
日の出と共に朝の光昼の光夕陽の光夜は月明かり、
光の変化を楽しみながら、「なり」に楽しむ、
そんな心の余裕があればなお良し、とも。

「……今日は明るいな……そうか、仲秋か」
なんてね。

ちょっとそこまでいくと、やりすぎ、というか無理しすぎですが。


9/10 テンピュールパームレスト
昨日はなんだか鬱っぽいものを書いてしまいましたので、
お詫びに今日は2本目。

こないだテンピュールの枕を買おうと、東急ハンズへ行ったのです。
するってえといつのまにやら3階の約半分が寝具コーナーになっており、
テンピュールは大コーナーが設けられ各種商品てんこ盛り。
おまけに小さな隔離部屋まであって、13分間の安眠体験ができる、とか。
テンピュールから派遣されたらしい専門のお姉さんもおいでで、お客を
近くのテンピュールマットレス採用のベッドに寝転がらせては、
枕を丁寧に丁寧にフィッティングしてました。

力入れすぎ。

で、僕もどうせなら、と思って待ってたのですが、
前のお姉さんが信じがたいほど迷っており、いつまで立っても
ベッドサイドであれがいいこれがいいと論議が尽きないので、
諦めました。
こういう時って購買欲そのものもなくなってしまうもので、
そのまま帰ろうかとも思ったのですが、それも悔しい。

と、見ればPCキーボード用のパームレストが置いてある。
外は合皮、中はテンピュール。
Natural使いの僕には本来必要ないものですが、
ついフラフラと買ってしまいました。
5000円なり。

で、今使ってます。キーボードはとりあえずRealforce106。
まずまず。
Natural型のいいところは、両脇の楽な姿勢ともう一つ、
パームレスト置いたまま打鍵のしやすさ、
が挙げられると思うのですが、
この手触りの優れたパームレストがあると、
手首をここへつけたまま打鍵してもかなり快適です。
僕は掌多汗症ですので、表地が布系のパームレスト・アームレストの類が
使えないかわいそうなゾウです。でもこれならだいじょうぶ。
その昔、3Mの商品で、これまた同じぐらい、4800円ぐらいした商品で、
合皮で、中がジェルのがありました。
それもかなーり悩んだんですけど、
その頃はNatural万歳な時代、Realforceもなかったものですから……

しばらくこれで、気に入ればRealforceの方を101買っちゃう勢いで。
てまた散財かい。

マウス用の小サイズもありました。3500円。
これも気持ち良さそうでしたよ〜。

肝心の枕は……ん〜……
低反発ではもひとつ気になってるメーカーがあって、
そっちのを試してみようかとも思ってみたり。
いやしかし結構なお値段のものだから、
やっぱり鉄板のテンピュールにしておこうかと思ったり。

実は、いろんなお宅でテンピュールを何個か実地に眠らせて頂いてるのですが、
その度に思うのが、あれって後頭部から首周りぜーんぶ
「びちゃ」
って「接触感」みたいなのがあるじゃないですか。
起きると、どうやら圧迫されてた血管に一気に血が流れて、
「じ〜ん」ってするんです。
あれが、どーも慣れるものなのかそうでないものなのか。
あるいはそれは、実は合ってる証拠なのか。
よくわかんないもので……

「蒸れる」と言う人も居ますが、僕はあまりそうは感じません。
あと、最近はスーパー等々で2000円ぐらいのパチモン売ってますが、
いや、おかんが一個買ってみたのですが、
パチモンはやっぱ「まるっきり」違います。
あんなものを持ってして「なんだ低反発は」などとはおっしゃらないように。

そして家具コーナーでまたもアーロンに座って
「あ〜え〜な〜」
とくるくる回ってみました。
座るたびに買おうと思うのですが、思い続けてはや幾星霜……

機材でカヴァーできるところは機材でカヴァーするの!!
サイエンス万歳っ!!


9/10 セネガル戦
黒部は駄目(挨拶)

ま、次の招集は海外移籍でもしてからでいいのではないですか。
久保もそうですが、ああいうガツン、っていう主砲タイプって
誰だってセンター・フォワードとして「欲しい」と思うんです。
でもね、セネガル相手だと全然通用しない。
久保は、良くも悪くもいくらかアレなので、
使ってるうちに事故が起きる可能性もあるのですが、
黒部は考えすぎですねえ。

メラーが、ドイツ国内だとファンタジスタだけど
W杯で仕事できなかったじゃないですか。
あんな感じ。
代表、というのは難しいもので、
国内の最強メンバーを揃えればいいというものではなく、
よその国々(しかもこれがいろんな特性がある)
に対して、どんな武器を持ってどんな戦い方をするのか、
それに応じた選手を選んで戦わねばなりません。
日本の場合、体格や強さで互角に戦おうとするよりも、
大小とりまぜたパスワークやコンビネーションで崩していくのがよろしく、
そういう意味では「強いタイプ」というのは、
じゃ本当にテュラムやリオと1v1でなんとかしてくれるのか、とか、
極端言うとそこまで考えて選ばんと駄目なんでしょうね。

でも、だからといってそれは不可能なことではないので、
是非がんばってください。

あと、その伝で行けば、
「時間がかかる選手」
っていうのは日本代表には、少なくともスターターでは必要ないような気がします。
具体的にはアレックスと俊ちゃんなんですけど。
二人とも、万全でボールもらえばもらうほど、
己のリズム
に入るでしょう。あれが良くない。
特にアレックスは持ったまま駆け上がって勝負、
というのではなくて、常に高め構えで高い位置でボール貰って
勝負に出るじゃないですか。
それはウィンガーにやらせる仕事で、サイドバックのやる仕事じゃない。
格下相手、あるいは膠着打破の最終手段としてそこの選手と変える、
という手はありかもしれませんが、常用で、
しかも強敵相手に使う手段ではないように思えてきました。

俊輔は、前から思ってるんですけど、
あの人消え出すととことん消えるでしょう。
MFで(代表には)そういうのは要らんように思うんです。
要らんというより、そんな余裕無い。
ファンタジスタはそういうものだ、というのは認めますが、
それをやるならば、その事態をみんなで支える必要があって、
そこのコンセンサスを日本代表で取りきれるかなあ、というのが不安です。
日本はまだまだ弱くて、彼を支えるだけの余力無いですし、
彼の方にも、支えて貰いさえすれば1試合に3点取れるような破壊力もありません。
これは別に俊輔だけじゃなくって、
以前の、代表での名波や澤登にも思いました。
周りに負担掛ける選手は、その選手の性能が少々良くても、
代表では非常に使いにくい。
対戦相手にあきらかな格上が多くて、個々人々にそんな余裕がないんですよね。
そうなると消える。
消えると、そこが機能不全起こして、チームもスムーズに動かない。
イタリア行ってちょっと変わったかなー、と思いきや、
(今日の試合では)あんまり変わってなかったので、
もしあの人を使うのであれば、そういう覚悟はせねばなりません。

しかしそーんなことはぜーんぶさておき、
小野−本山のホットラインが久しぶりに観れて嬉しかったです。
遠藤が小野と変わる時に笑顔を見せたのも印象的。
同じ釜(ワールドユース)の飯を喰った仲間ですからね。
本山は純FWよりも、左サイドに固定してドリブリング・サイドアタッカーに使うのが
より効果的なので、そのテストも見てみたいものです……

とか言ってて、ホントに予選大丈夫でっしゃろか。
以前より、特に守備は安定してるように思いますが、
得点の予感は相変わらずしないままです。


9/9 雑感
昨日見たのは「ヒーリーズ」というモノらしく、
昨日今日の商品ではなく、もはやナウなヤングボーイエンガーの定番グッズのようです。
いやはや、すっかりおっちゃんでお恥ずかしい。
thx情報提供の皆様。

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また風邪ひいて、治しました。
駄目だ、虚弱です。
あきらめました。
ずっと元気でいることとか、風邪一つひかない身体とか、そんなん全部。

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「よつばと。」を読んでなごんでいたら、
まま上のCD-Rドライブが壊れました。
ドライブって日々進化するので、壊れた時とても悩ましいですね。
そろそろDVD系記録型も欲しいのですが、最新のってやっぱり3万円ぐらいするし……
あの、「4.7GB」って容量がなんかどーもちゅーとはんぱで、
「うははははー今までのデータ全部入りだぜサイコー」
ってなことには全然なりません。これが悩ましい。
ブルーレイを待ちゃいいのか、っていうとあれも27GBとか微妙な数字で、
う〜ん、です。
結局、同じようなCD-R/DVD-ROMコンボを買いました。

一時バックアップだけならセカンダリHDDを使うのが一番速くて便利なので、
最近はそれでお茶を濁しています。
手動一部ミラーとでも申しますか。
永久バックアップはCD-Rで思い立った時に。
もうメールとかブックマークとかアプリ設定とかは諦めました。
ましてクラッシュ前の環境にまるっきり復帰とか、そんな夢は見ない。
「やれない完璧よりもやれる最低限」、
パーフェクトなダイエット計画を立て3日で挫折するならまず毎日駅まで歩こう、
という諦観でございます。

ま、仕事テキスト系なので、環境がさほどクリティカルでない、という面で
ずいぶん楽なのですが。
ほぼ同環境のノートPCもあるので、一応フォールトトレラントです。
それでも、昨日までちゃんと動いてたのに今日朝つかない、
という事態には対応しきれないので、
非常に重要なデータはその場でUSBメモリにバックアップしたりします。

SONYグループがCellコンピューティングに夢中のようですが、
データストレージも多重化して欲しいです。
いや、普遍化、とでも言うのかな。
それがWebやんと言えばそれはそうで、
事実僕が「ミラクルズ!」の設定を確認する時は、
ローカルではなくWebを見ます(笑)
……しかしそんなストレージサービスが、例えばプロバイダの
差別化要素として当たり前に提供されるようになっても、
「あっ間違えて上書き〜」みたいなミスは避けきれず、
それを避けても家のブレーカは簡単に落ちますしね。
面倒なものです。
いつの日か、こんなことを笑える日が来るのでしょうか。

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書いてて思ったのですが。

どこまでデフォルメするのか、というのは難しい問題で、
たぶん正解もないし、その人によってもその時々その作品作品で
変えていく変わっていくものだと思います。
基本は、「こう描こう」ではなくて、「こうだろう」だと思うんですが、
しかし「こう描こう」が駄目かというとそんなことはなく、
そこはなんといいますか、調味料というか味付けというか、
それが無かったら我々は要らんやんか、みたいなところでもあります。
今は特に、余所様の人生がいとも簡単に観れたり聴けたりする環境ですので。

自然を自分なりに抽象化し再構築しもう一度具体的なものに定着させるのが、
我々のやってることだとするのならば、
・材料選び
・設計図描き
・建築
と三つの要素が各々絡み合っています。
どこが得意かはその人によりけりで、
木の選び方に抜群のセンス見せる人もいれば、
どんな木でも見事に使いこなす人もいる。

建築の比喩に乗っ取って言えば、
ながたは、どうも真ん中の設計図についてあまり興味を持てない体質らしく、
「いい木使ってるなあ」「いいコンクリ打ってる」
あるいは、
「この扉立てつけ最高!」「一歩踏み込んだだけでわかるこの重厚感!」
というのには多くの関心を払うのですが、
今流行りのデザイナーズマンションみたいなものには
一ミリもハートが動きません。
関心順で言うと
建築>材料>>>設計図
というところでしょうか。
もちろんそれを否定しているわけではなくて、無用だというつもりもなくて、
関心があまり無いだけなんです。
だから、そういう美麗な設計図描けるようになりたい、ともあまり思いません。
まそりゃ、描けりゃそのほうがいいですが。

ということで、設計図が平凡であることを罵られても泣いて逃げ出すしか他無く、
そういう時は死んでしまいたくなります。
ですが世には、僕の建てた家でも喜んでくださる方もおられて、
それは、すごくありがたいです。
救われます。

それしかやることがない、とわかってはいても、
人間ですから、社会性を全て捨て去ることはできないものです。
また、それをやりすぎるのも、意味がないように思いますし。

普通の家を普通に建てる、それでも、
昔使ってた木が、加工はしやすいけど耐久性が低そうだ、
とわかってくれば使わなくなったり、
風邪ひいてて鉋の削りが甘くなってたのをあとから削り直したり、
いろいろあって、大変なのです、これが。

でも家を建てるのが好きなので、これからも建てようと思います。
願わくは、住んだ方が、「住みやすい!」と思えますことを。


9/8 街のレッドショルダー
先日、スーパーの一角で軽快な音を立てたまま
足を肩幅に拡げて滑ってくる女の子を見かけました。
インラインスケートでも履いて店内を暴れているのか、
と思いきや、足元普通のスニーカー。
でも見てると、足の動きはスケートのそれで、確かに滑走してるんですね。
どうもかかとに小さなローラーがついてるらしい。
(足裏にも埋め込まれているのかも)
「スコープドッグかよ!」
と世代感たっぷりのツッコミを入れたのは言うまでもないことですが、
いろんな遊び道具があるものですねえ。

その昔ボンボンがタイアップでやってたボトムズのマンガがあって、
これに出てくるフィアナは原作より著しく可愛らしく、
あのなんかコールドスリープ装置というか、SFでお馴染みの
裸になって寝っ転がる日焼け機みたいなヤツに横たわっているコマなど、
当時すでにそういう素養のあったらしいかずひさ少年は
一人悶々としておったものです。

たぶんそういうコマがあったように記憶するのですが、
もしかすると捏造記憶かもしれません。

ともあれ倫理感の強いかずひさ少年は
「いやいや、ボトムズというシリアスなドラマは、
 戦争の血なまぐささ、傭兵の虚しさを感じながら
 謎で溢れる世界イメージを楽しむものだ。
 そんな軟派な見方はしてはならない」
と思い詰めていましたが、
ある日軽く意を決し、同じアニメ好きマンガ好きのY君という友人に
「ボンボンのボトムズのフィアナはかわいいよな」
と少し恥ずかしげに持ちかけてみたところ、
社会の時間に必ず「デンマークの首都を答えなさい」と指名される
丸刈りの彼はその輝く頭をさらに輝かせ、ついでに目も軽く輝かせて
「そうやんな!! あれはかわいいよな!!」
と大声で叫んでくれました。

その瞬間です。
「『美味いもんは美味い』」
と、釣瓶さんのお姉さんに似た天使が
(釣瓶さんのお姉さんは釣瓶さんのおばちゃんスタイルの時それそのままだそうです)
ラッパ吹きながら降りてきたのは。
何をためらうことがあろうか、美は美、勇は勇、智は智。
それはそれ、これはこれ。
優れた何かを認める時に、余計なことを考えず、心の動きを素直に信じる。
簡単なようで、これがなかなか難しい。
逆もしかり、駄目なものは駄目、理屈をいくらつけても、
その事実は変わらないのです。

そんなことを考えながら少女を見送って
いや待てよと。
あの商品企画したヤツは、ひょっとすると同世代ではないか。
幼き日に滑る床で「ローラーダッシュごっこ」をやった一人ではないのか。
「好きなATは」と訊かれて「ベルゼルガ」と答える、
ル・シャッコ似のパイルバンカーな御仁であったのではなかろうか。
もちろん高橋監督オタクであり、
「レイ、V-MAX、発動!」と叫ばれると反射的に
「レディ」と冷たい女性声で返してしまうに違いない。

自分の中にいる「こども」を満足させる。
それは、とても楽しそうなことだと思いました。
いやその人がそうである確証はどこにもないのですが。

しかしあの「ローラーダッシュ」というアイデア、
移動に二足歩行ではなく足元の車輪を使う、
つまり「ロボットならではの移動」は極めて合理的に感じられ、
見ている子供達の科学心を痛くくすぐりました。
「なんて論理的なのだろう。
 人型兵器が本当に実用になれば、きっとどれもローラーダッシュを
 やるに違いない」
そこで人型兵器そのものの論理性にまでは思い至らないところが子供ですが。

作品全体の色調も後押ししてますが、
このローラーダッシュや火薬の力で腕の伸びるアームパンチ(薬莢排出絵つき)、
あるいはキリコがハッチ開けてでかい銃で敵ATの目を狙う、など
ボトムズの戦闘シーンは実に迫力があります。
人型の魅力の最大のポイントは、
「人のメタファーである」
ところで、現実の戦争・ゲリラ戦で人間同士が戦っているかのように見えます。
それが迫力に直結する。
また、ATほど使い捨てられるロボットも珍しく、まさに軍用品、
ジープや銃と同じ扱い。これがまた渋い。
(中盤以降さすがにベルゼルガとか、ストライクドッグやラビドリードッグが出て
「キャラ専用機」くさい取り扱いになるのですが)

もちろん全部嘘なんですけれども、
嘘をつくには正直者以上の理性と自制心が必要だ
というところでしょうか。

ああ、ボトムズが見たくなりました。


9/7 モニタ雑感
僕は両目0.1切ってるど近眼なんですけど、
精細度高い方はかなり大丈夫です。
10.4XGAは全然平気で、VAIO TRの10.6で1280*768でも、
まあ行けと言われれば行けんこたないな、と思います。
家で使ってるメインモニタは16インチの1280*1024。
その前は21インチ1600*1200。

世にはこれがものすごいセンシティブな人が居て、
解像度同じXGAでも少しでも広いものを、10.4なんてとんでもない、
最悪でも12.1、できれば14でも15でも、という人が居ます。
老眼気味の40代後半以降の方がおっしゃるならとても理解できるのですが、
30代20代でも吼える人がいらっしゃる。

何度か考えてますが、日本人特に若い世代の近眼化傾向というのは
病気、バランスが崩れた状態ではなくて、
適応、バランスを変えた状態、ではないかと思います。
現に僕など起きている時間の大半をモニタの前で過ごしており、
一日下手すると12時間とか、70センチぐらい先のモノしか見てないわけです。
(ノートだともうちょい手前)
とすれば自然、
「ここでフォーカス合わせて一番楽な眼」
にアジャストされていく、のは当然であって、
使われる筋肉が強化されていくのと同じです。

視力自慢の方は、結構な割合でモニタの連続使用が苦手です。
15分ぐらいで音を上げる方もいます。
もちろん、「慣れ」も大きいのでしょうが、
(おおきく言えば「適応」も「慣れ」です)
それ以上に、遠方視力を捨てて近方連続視力を得てるのではないかなあ、
とか思うわけです。

具体的にどう見えてるかというと、
たぶん、眼のいいひとは、文字一つ一つにキッチリとピント合わせる能力が
高いのではないでしょうか。
小さな文字を大量に、丁寧にピント合わせていれば疲れるのは当然で、
だから「文字を大きくしろ!」という欲求に繋がるように思います。

で、ここからは「だからどうすればいい」というのが言えないので恐縮ですが、
たぶん我々、モニタに強い人間は、特に文字を
ぼや〜ん
と見てるんだと思います。
速読術を学ばされる時には、文字一つずつではなく、
ブロックでイメージとして「パッと捉える」みたいな言い方がされますが、
極端に言えばあんな感じ。
あまり肩に力を入れず、ジッと見つめるのではなく、
なめるように見るといいのかもしれません。

そういう見方ですと今度は、あんまり文字サイズが大きいと、
逆に疲れるんです。
視線・視点移動が激しくなるから。
弟がA4ノートを持っており、こいつが14.1サイズでXGAなんですが、
デスクトップモニタと違ってノートはモニタとの距離を、
変えやすいようで変えれないので、
(「キーボードを打ちやすい距離」から外れられない)
実に使いにくい。
眼前に壁が立ちふさがってて、端から端のWebなんて読もうものなら
首まで動かす必要があって、
我々にしてみればこっちの方が「疲れるモニタ」なんです。
これはつまり
「同じ情報を手にするのに余計なコストを払わされる駄目モニタ」
と言い換えも効き、
そこで低解像度大画面を求める人々と宗教論争が起きるわけです。

結局、解像度を求める人々と、一画素の大きさを求める人々には、
かような、たぶん両立は絶対にありえない理由が粛々と
横たわっている気がします。

「見づらい」と思った時に、自分が何を不満に思っているかよくよく把握しないと、
「狭い」というのではどちらを指すかわからない。
では表示量が多くなって全体の見通しが立つようになればいいのか、
それとも字が小さくて読みづらいだけなのか。
同じコストかけるのでも、例えば
前者なら投げ売りの16インチの1280*1024を2枚、
後者なら張り込んで19インチの1280*1024を1枚どーんと、
と方向性が全く逆です。
液晶がCRTに劣る少ない点の一つに、この解像度が変えられない点があります。
(カタログ上はできますがボケ倒しで実用になりません。
 というか液晶繋ぐならDVIです)

揚げ足取るみたいでアレなんですが、一例として、
VAIO Z(14.1インチ、1440*1050)の開発の人が、
「10.4XGAじゃ見難い。でもこれなら大丈夫」
とか抜かしており、すかさずインタビュアーが
「でも解像度的に言えばあんま変わんないんじゃ」
とツッコムと、
「いや、領域広くなったら見やすくなりました」
と。
それは、彼にとっての一画面情報量がXGAでは少なすぎただけで、
解像度とは関係がない(薄い)話です。
だから彼は、下手をすれば10.4で1440出していれば満足できたかもしれない。

かようにこの問題の切り分けは、ベテランや開発者でも曖昧なままです。
もちろん両者は密接に絡んでいるのでスパッと割り切れるものでもないのですが。
店頭で見るとどうしてもデカイモニタに心惹かれますが
(特に液晶になってからはスペース問題が劇的に緩和されたので)
こじんまりモニタにも、それはそれでメリットがある、ということで。
特に店頭では、とりわけノートPCで顕著ですが、実使用時よりも目との距離が
離れがちなので、実際以上に小さく見えます。
(小さいと思って買った機器も大きく感じます)

---

あと、モニタ作業「つらい」と思った時に疑うべきは、
(1)輝度/コントラストが過剰ではないか
(2)室内環境光が邪魔してないか
(3)ドライアイではないか
という点もあります。
これら全てを解像度のせいにしている方も多いですが、
こういう場合、どんなに巨大モニタを導入しても、
一旦は楽になった気がするかもしれませんが、すぐ元の黙阿弥です。

(1)ですが、工場出荷状態はたいてい目が潰れんばかりの明るさで
コントラスト100%、だと思います。
液晶はコントラストがまだまだ弱いのでこっちはいじりにくいと思いますが、
明るさはもう、最近の機種なら半分以下でも大丈夫です。

(2)環境光は悩ましいところで、明るすぎても駄目、暗すぎても駄目。
僕は割とこれがセンシティブで、目の中にモニタ以外の直接光が
入ってくると気が狂いそうになります。
着座姿勢を高めにして、最近の液晶モニタは下の方にベタッと
下げれるタイプ多いですから、そうして若干下向き姿勢取ると楽です。
あまり下過ぎると今度は首が疲れますが。

(3)とかなんとか言ってても、結局あまりに長時間やってると
目も乾きます。
こればっかはどうしようもなくて、
何も入ってないただの塩水である人工涙滴型目薬で持たせるか、
熱いぐらいのタオルで目元を覆って血行をよくするか。
アイボンなど洗うタイプや、各種刺激系目薬も試してみたのですが、
(僕の場合)刺激があると、逆に身体がそこに意識集中するみたいで、
すぐ辛くなります。
どの道一日の作業後半だと思われますから、
別の作業に切り替えるか休んで次の日早く始めるか、
というのが一番の解決法のようにも思います。
適切な休み入りで、まだお昼にもならないのに乾いてくるようですと
ちょっと使いすぎもしくは本気で病気の疑いあるので、
お医者さん行きましょう。

……最近、起きても目に違和感があるんですが……(泣)

という日曜日、モニタ環境について考えてみました。
とどのつまりは、またモニタが欲しくなってきてる、ってことです(泣)


9/6 駒川商店街
地元・駒川商店街が「日本一早い優勝セール」と題し、
マジックが一桁になるともう優勝セール始めました。
権利関係からか仙一先生の帽子は「T」と「K」が合わさったものになっており、
「駒川タイガース」だそうです。

駒川は千林・空堀と並んで大阪三大商店街と呼ばれ栄華を誇ったものですが、

(追記訂正)
どうも三大の一つは千林ではなく天六(天神橋筋六丁目)商店街のようです。
千林も大きい商店街です。

最近は大型店への人の流れを止めることができず、
どんどん寂しくなっていってました。
特に中核店であったサティ(ニチイ)駒川店が潰れた前後は
街並みまさにゴーストタウン、
「ああ、駒川ももうお終いか」
と思ったものです。

ところが最近、ちょっとずつ流れが変わってきたように感じます。
客足が戻りつつあるように思うんです。
(もちろん今はそういうセールのせいですが)
理由は、ごくごく当たり前のことなんですけど、
特色ある店舗。
ウチの母も商店街の中にいい魚屋さんを見つけました。
ちょっと高いんですけど、美味い。
鮮度なのか産地なのか目利きなのか、それはわかりませんけれども、
とりあえずなんでも美味いんです。
サンマ塩で焼いても美味いし、当たり前の刺身盛り買ってきても、
「あ、いつものスーパーのと違う」
と思います。
家族が喜んで食べると、やっぱり主婦たるもの、
それほど贅沢でなければそこへ行こうとするものです。
いくら高いったって、肉よりは安いわけですから。

客足が戻ればビジネスチャンスが戻ってくるもので、
子供の頃には無かったお店が結構入ってます。
空いたところにはサービス店舗とでもいいましょうか、
宝くじのお店が入ったり、なんと八百屋の隣にお洒落なサンマルク・カフェが
チョコクロを売っている。
店内でブラック飲んでると
「キャベツ安いで安いで安いで〜〜〜〜」と声が聞こえる。
サンマルク一泥臭い店舗かもしれません(笑)

もちろん、最盛期から見ればまだまだ全然なんですけど、
底は打ったんじゃないかな、と感じます。
ここでは、魚屋さんの例のように、
小規模店舗ならではの、そして経営者が最前線に立つ自営業ならではの、
お客さんに対して絶対の自信を持ってよいものを適切に薦める商法、
これが復権してきてるのかもしれません。
#「駄目」スーパーやコンビニや雑誌書店の、
#POS頼りの貧相な品揃えにはもう辟易です。

また、特に高齢化がまだまだ進んでるわけですから、
食品だけでなく電器系など大型店の方が強そうな商品でも、
コンサルティング込み、の要求が増えてくるでしょうし、
サービス系、例えば美容室や喫茶店、本屋ビデオ屋の類でも、
複数存在すると、競合するだけじゃなくて、
「ま、あそこ行ってからどこ行くか決めるか」
的な行動を見込める気がします。
(これを一店舗でやっちゃってるのがヨドバシ梅田のように思うのですが)

特に駒川の場合、ベースになる周辺住民が多く、
下町でクルマ移動が果てしなく面倒で、
かつ周辺にクルマでの買い物に適切な大型店舗がほとんど無い、
と商店街としてはかなり恵まれている環境なのですから、
ちゃんとやればちゃんと人が戻ってくると思います。
最近では、定休日の店舗のシャッター前で、店を拡げる
行商人も増えてきました。
それで儲かってるわけで、それだけの購買力があるわけですね。
駅前ドトールなど、パチンコ屋開店直後の10時前後、
昼食直後の1時前後を除けば常に人がうじゃうじゃ居ます。

大阪の人間だからかもしれませんが、
やっぱり、地元に活気があるとなんとなく心弾みます。
そしてその足取りが、奇抜なアイデアでもなければ、
全てを更地にして超大型店が来る、という類のものではなく、
いいお店が増えてきた
という商店街本来の姿、当たり前の姿であるのが、
なんだか嬉しくて、最近よく歩いています。


9/5 靴がああ靴が
イタリアでは「靴」というものが非常に大切にされており、
靴フィッターみたいな専門職が国家資格としてあって、
しかも大変な難関だとか。
医師同様、骨格とか神経とか筋肉とか、そこまでキッチリ学ぶそうです。
子供の頃から合う靴を、もちろんオーダーメイドで履かせるわけですが、
足に合わせながら、しかも足をいい形に育てるような靴を作っていく、
らしいです。

非常に気に入って数年ずーっとそれしか履いてこなかった、
Clarks(本社はイギリス・メイドは知りません)の靴があります。
革靴はちゃんと手入れして、できれば1日置き、もちろん雨の日には履かず、
履く時は靴べらを……
なんてことをすればいいのでしょうが、
生来めんどくさがりの僕は学校の上履きのようにエー加減な履き方をしており、
おかげさまでかかとの当て布はすり切れ、革自体も往年の艶はなくかぴかぴ。
それでも靴としての機能はさほど衰えていなかったので
(へたり感がわずかしかない)
履いていたのですが、こないだついにソールの摩耗が限界を超え、
雨に降られるとじゃぶじゃぶと水が入るようになってきました。

こないだのコミケの時、足元ずーっとべちょんべちょんだったんです(泣)

さすがに、と思って買いに行くと、僕のモデルはどうも廃番になってるくさい。
エー。
BREE(ドイツ)のバッグでも財布でも同じ目に合ったことがあってて、
両方とも廃番になってやがんの。
常に「シンプル」を良しとしたごくフツーのモデルを選んでるつもりなのに……
もちろん売れないから廃番になるわけで、
逆に言うと結構高価な鞄なり靴なりを買うにあたって、
シンプルなものを選ぶ、という選択をする人はあまり居ないということでしょうか。
高価っつっても2万3万のレベルなんですが……

クルマでも、例えば「かっちりと高品質に作られた小型車」というのは
好事家の夢のまた夢で、史上おそらく、バンデンプラ・プリンセスと
メルセデス・ベンツ190Eの2車種しかそれを実現したクルマはありません。
(と、言い切ろう。プログレぐらいで良しとするならば他にもボロボロ出てくる
 でしょうけれども)

ちゃうねん、贅沢言うてんのとちゃうねん、
しっかりしてて、長く使えそうで、飽きが来なくて、
もちろんお金はたくさんは出せないけど、
ちょっとプラスぐらいやったら出しまっさかいに。

みたいな希望が、叶えられることはとても少ないのです。
エキストラコストを払わせるには、なにかしらの
「目に見える」メリットが要る。
きらびやかなデザインであったり、突出したスペックであったり。
そう、作り手も買い手も思いこんでいる。

でも、本当にそうでしょうか。
疑問形なのは、「違うッ! 断じて違うッ!」と古代式に言い切れないのは、
廃番になるからです(笑)

---

PCではThinkPadがそれっぽいところを頑張っています。
TPのいいところはスペックには現れないところ、
よく言われるキーボードはもちろんですが、
たとえばカバーなしで鞄に放り込んでも全然気にしなくていい、とか。
余所のノートPCをインナー無しで鞄に入れようなんて思いもしない。
塗装が剥げる。どこかが欠ける。衝撃が怖い。
取り出して開けて液晶割れてたらどーするの。
TPの可哀想なところは、PCはスペックの進化が速いので、
そこのところを守っていると、
最近、ちょっとキャッチアップしきれなくなりつつあるところです。
B5(sシリーズ)をやる能力は完全に失われ、
A4-1スピンドル機(Xシリーズ)もかなりキツそう。
#メーカーにおいては、やらない、というのはやれない、のと同義です。
このままでは地上からThinkPadという物体が無くなりそうで非常に怖いです。
一番怖いのは開発側から危機感がこれっぽっちも感じ取れないことで、
長年見てますが状況も製品も悪化の一途を辿っており、
それをどうも、気づいてないか見て見ないフリをしている。
かなりヤバイ状況です。
サービスがどうのソリューションがどうの、横文字はもういいんです。
お客さんが「1スピンドル機でいいよ、出先で使うから軽い方が」
と欲しがった時にどうするんですか。
DELLから買うんですか? Webでお客さんと額寄せ合ってクリックして。
まさにe関係ですな。

無駄話でした。
それはもうIBMに頑張ってもらうしか無いのですが、
靴とか鞄とか、素材を除けばそうそう進歩のない製品では、
こうしたキッチリ、そして息長く使える、ものが、
もう少しあってもいいような気がします。
いや、あるところにはあるのでしょうが、目につきにくい……
僕のアンテナの感度が低いのもあるでしょうけれども。

---

てなことで大昔買ったスニーカーに履き替えてしばらく過ごしていました。
最初履いて、違和感あったのですが、3-4日履くと慣れて、
でも昨日。右足に痛みが(笑)
合ってない。
怖いですねえ。
慣れたんじゃなくて身体がセンサーを切っただけ、っていう最悪のパターン。

ということで慌てて、捨てるに捨てきれなかったClarksを履くと、
ヨレヨレでボロボロであるにも関わらず履き心地最高。
やっぱこれやー。
どこかに売ってへんのか僕のモデルわー。
……あそうだ、Web。

アホでした。
Web見るとどうもPetersfieldというのが近いので、それを梅田のお店まで
暇を見つけて買いに行ってみます(泣)

でも、まだ、(僕にとっての)ClarksやThinkPad、
つまりある程度のベンチマークがあるというのは幸せなことで、
例えば鞄、リュックなんですが、これはまだ見つけていません。
あとコレさえ手に入れば、随分心安らかに生きていけるのですが……
「ピンと来たら惜しむな、ピンと来なければ無理をするな」
というのが、こうしたモノを買う時に自分に言い聞かせる言葉です。
それでも失敗は多いのですが(笑)

靴というのは、「次もここのを」と思いやすいモノですから、
一つとして気合い抜けないですね。
その、足が痛くなったスニーカーというのがナイキなんですが、
一個前で成功したから買ったのに……
日本人はすぐ靴を脱ぐので、
僕などは靴下まですぐ脱いじゃうので、
いつまでも靴フィッターな人々の活躍するフィールドが狭いのかもしれません。
ですが良くない靴を履いていると、頭まで痛くなってきます。
やっぱり早く買いに行こう(泣)
ちゃんと選んで貰って、ちゃんと履こう(泣)

J.M.Weston(フランス)というメーカーがありまして、
もちろん高級品なんですけど、あちらはやはり靴文化、歴史が違う。
ちょいと気品ある顔立ちの、僕ぐらいのお兄さんがカタログで語るわけです。

「どこがいいかなんてわからないよ。
 ウェストンしか履いたことないからね」

カッコエエ……
例えおべんちゃらにしても、「そう言われても受け止めきる器」がなければ
ただのお笑い草になります。
これっぽい言葉、言われてみたいものですね。


9/4 マンギョンボンゴフレンディ
マンーギョンボンゴーーー。

アナウンサー諸氏も楽しそうに発音してるように聞こえるのは僕だけですか。
ここが腕の見せ所、てな感じで。
マンボンギョンゴウ マンギョンボンゴウ マンゴンボンギョウ。

あの船見る度に上屋が変に大きな船だなあ、と思うのですが、
あれぐらいは全然平気なの?
その昔高雄型という重巡洋艦がありまして、これはベースになった妙高型から
艦隊指揮・旗艦能力を高めるために艦橋を大型化したタイプです。
トップヘビーな弊害も随分出たと聞くのですが、
子供心に「へえ、これぐらいでバランスが崩れるんだ。船って案外難しいんだな」
と思った記憶があります。
装甲板張り巡らせる戦闘艦の艦橋とでは比較にならないのでしょうけれども、
マンギョンの方がずっとごつく感じます。
まあ、自動車運搬船とかもっとスゴイですから、大丈夫なんでしょうね。
今日のタイトルは四角いものつながりで。

まるっきりどうでもいいですが実にバランスのいい「妙高」の佇まいは
マイフェイバリットWW2戦闘艦です。
「ウェルバランスド」というのはそれだけで素晴らしい性能で、
航空母艦では「翔鶴」
(兄弟艦「瑞鶴」の方が「幸運の空母」と呼ばれ人気があるのですが、
 「結局沈んだやん」と思うのですがいかがでしょう。)
戦艦では「長門」。
(皆様よくご存じの通りビキニで原爆実験後、
 5日浮いて深夜誰に看取られることもなく沈んだ、
 帝国海軍いや日本造船界の意地を見せつけた名鑑です)
「大和」ももちろん果てしなく美しいのですが、too delux。
文字通りの満艦飾。
戦闘艦はやはり、いくらか無骨なところがある方がカッコイイように思います。

---

こないだ読んだ本に、「隼」の達人みたいな人の短い戦記があって、
P-51マスタングと初めて遭遇した時の話。
見た部下が口々に大興奮するわけです。
「カツオブシみたいな、おそろしくスマートで速いヤツでした!!」
で、当然新鋭機ですから日本側はデータのデの字の上の点々も持ってない。
知らない、というのは恐怖心を煽るものです。
答える達人、カッコイイ。
「おいおいまあ落ち着けよ。
 いくら最新鋭機だからって、我らが『隼』が旋回を綺麗に決めて優位を取れば、
 そうそう簡単には後れはとるまい」
今で言うとスカイラインGT-Rにロードスターで立ち向かうようなものです。
いやまあ、藤原拓海ならなんとかするかもしれませんが。
しかし知らぬが仏、とも言います。
「隊長の言うとおりだ! よおし、やるぞ!」

実際、スペック的に見るとまるっきり歯が立たなそうなんですが、
空戦というのは峠走るぐらい技術の塊、
上手の駆る隼ならば下手のマスタングを簡単に叩き落とせるそうです。
しかしそれというのはつまり、上手同士がやりあえば
まるっきりどうしようもないってことで。

件の隊長、後に捕獲したマスタングを整備して、
それを駆り日本中を対マスタング戦の教官として行脚したそうです。
旧日本軍にもそんなシステムがあったんですね。
大空を駆け巡りながら呟く。
「……完調のコイツ1機があれば、
 隼が、いやどんな日本軍機がどれだけやってこようとも、
 勝ってみせる(きらーん)」

いやあんたさっき……

しかしそういう「健全な現場感覚」というは当たり前ですが非常に大切で、
「いや、隼、100パー負けます」
とわかっていればこそ、どこをどう改良するかとか、じゃ戦術でなんとかしようとか、
それができないならやっぱ白旗だろうか、とか、
明確な目標とそれに必要な努力量と、実現可能性の多寡が計算できます。
戦争に限らず商売でも政治でも、
そういうことが必要な場所では、現場と頭脳の距離が離れすぎてはいけません。
頭も手足を動かさなくてはなりませんし、
手足にもなにがやりたいのかが浸透している方が上手く行く。

日常でも個人でも、今の私達は、生、直接の五感で感じた身体的情報ではなく、
どこかで綺麗に加工された、スーパーの切り身のような情報に晒され続けています。
それで、脳だけが不自然に栄養を摂る。
これはあまりよくないことだな、と思います。

手が、目が耳が鼻が舌が感じた
「こんな感じ」
というのと、頭で考えた
「こうじゃないのかな」
を、両方の言うことをよく聞いて、
本質、根っこ、の方に近づいていきたいもの、です。

ニュースを見ながら、そんなことを思いました。
我々はどっちにしろ、せまーい窓からしか、あの頭でっかちな船を見てません。
もちろん、マンギョンボンゴーに限りませんが。


9/3 噂一つで
そわそわ。
ThinkPadX40の噂。
X3x系とは別系統のブランニューで、低電圧CPUと1.8インチHDDを使うとか。
どうもSS/S8やT2のような、薄型and/or軽量機のようです。(液晶は12インチ)

実に微妙。

モバイラー達が待ち望んでいた
「キーボードのいいT2だ!」「頑丈なSS/S8だ!」
と言えばものすごく期待が持てるのですが、
「わずか何百グラムかのためにスペック落とし倒したX31だ」
と考えると萎え萎えです。
実にモノは考えよう。

でもこれって、僕みたいなB5難民には難しい機種ですし、
X2x系のような「Xは地上最強の1スピンドルでなくてはならんッ!」という人にも
まるで触手動かないし、どこ狙ってるのか今ひとつハッキリしない機種ですね。
いや、狙いは明確にSS/S8やT2のゾーンなんでしょうけど、
そんなちっちゃいところをそれらと分け合うぐらいなら、
真面目にB5作ってよ、というのが正直な感想です。
何度も繰り返しますが日本では底面積こそがクリティカルファクターであって……
(以下35行略)

とりあえず見てみるまでは。
見たい。
10月11月だそうですが、首を長くして待ってます。

「噂一つで楽しめる、なんて安上がりな体質だろう」
「買わなければね」


9/2 Circle info.
なるものを設置してみました。こちら。
トップからいけます。

こんな感じで、頑張っていきたいな、と思っています。

10/26に合わせて2本(たぶん「ミラクルズ!」と「街道」)行きたい……ところですが、
仕事と混ぜこぜでかなり混乱してます。
やっぱ一個一個タイプなのかなあ……

久しぶりにミラクルズの面々描いてますと、どうやって描いたか忘れてて(笑)
明日葉が明日葉らしく、可憐が可憐らしくなるのに時間がかかります。
と、いうよりも以前よりも多少は腕があがっているので、
本能にまかせてマッチしたパターンを貼り付けるより、
「あ、ここはこいつならこう考えるのでは」
と考えられるようになった気がする……のですが、しかしこれも良し悪しで、
「ミラクルズ!」ぐらいコミックだとワザと色分けのハッキリした描き方の方が、
向いてるかもしれません。
アニメにはアニメ塗り、と言いましょうか。
そこんとこ自由に出し入れできるようになると強いのでしょうが、
まだその領域には至っておらず……
そんなこんなで、多少違和感出ちゃうかもしれませんがそこは
暖かく見守ってやってください。
おねがいじまず(泣)

毎日、脳の動かしすぎで割とへとへとになってます。
だものでしばらくこんな感じで、ほえながは軽いものが続くと思いますが、
それもご勘弁ください。

なんだか謝ってばかり、すいません。
とにかく、いちおー、がんばてます。


9/2 えっ、観れないの!?
今年一番の暑さなのに、心に秋風が。

知らない間にWOWOWとかいう未知の生命体がリーガ・エスパニョーラの
「独占」放映権を握りしめたらしく、今年はどうもNHK-BSで観れそうにありません。

_| ̄|○

もうスペインリーグ、日本ではお終いですな。
折角ベッカム様の人気が沸騰してるというのに、なんともったいないことでしょう。

どんなジャンルでもそうですけど人気商売というのは
「まず知ってもらう」
ということが死ぬほど大切で、というかそれが生命線であって、
フジテレビが(日本における)F1を育てたように、(最近ではK-1ですか)
メディアとの連携はとても大切です。
リーガはもちろん世界的人気リーグですが、国内での知名度はまだ今ひとつ。
NHK-BSとWOWOWの視聴可能者数を比べてみれば、
どういう経緯で放映権が渡ったのかわかりませんが、
多少の金額の多寡に目が眩み、あるいはNHK(とJスカイスポーツ)が
呆れて手を引くようなふっかけ方をしたというのなら、
愚の骨頂
と言わざるを得ません。
誰でも観れる、だから話題にもなる、ビジネスにもなる、お金にもなる。
鼻水出るぐらいあったりまえのことじゃないですか。
はっきり言わせてもらえばリーガはまだ日本では、
「NHKにお金払ってBSでゴールデンにやってくれと土下座する立場」
ですよ。

アホかーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。

もちろん、プレミアシップもセリエAもNHKでは観れないのですが、
リーガはそれとは違ってもっとアグレッシブに、
サッカーマニアではなく一般的な層を攻めるのかとばかり……
レアルだって日本にわざわざ営業旅行に来たんだもん。
あとね、サッカーって割とずーっと画面に貼りつかないといけない
スポーツなので、野球なんかと違って
「一週間に観れる総量」っていうのが結構決まってるんです。
ペイTVにする、っていうことは、「積極的に観る」という行動を取らせる、
ってことで、その座をプレミアやセリエAや、チャンピオンズ・リーグと
争うって言うすごく狭いゾーンに自ら飛び込むことに……

今年はあまりにも調子に乗りすぎたレアル・マドリードが
ズタズタに崩壊する様をブランデーでも舐めながら眺め、
諸行無常もののあはれに浸ろうとほくそ笑んでいたのに……
ではもう一度。

_| ̄|○

---

レアル・マドリードですが、ついにというかやっぱりというかマケレレを出しました。
去年頑張り倒した彼が(間違いなくMVPです)、
「もっと給料くれー」
と駄々をこねてみたところ、切れて放出のようです。
今年に限っては、カネで片が付くのならドン、と給与体系関係無しの
特別ボーナス出してなだめるのが吉、だったように思いますね。
マケレレに限っては特別扱いしても他の選手も怒らないと思いますよ。
極端な話、ラウルにも代わりはいますが、マケレレの代わりは
(あのチームには)いなかったんですもの。

でF・コンセイソンも出し、マクマナマンを出してるので、
今季まともなディフェンシブハーフというとカンビアッソ一人。
(グティやソラーリはどう考えても本職ではない)
ただでさえ4人のMFのうちフィーゴ、ジダン、ベッカムとオフェンシブな3人を
併用する必要に駆られているのに、
それを支えるDHがカンビアッソではムリです。
(この人もどちらかというと潰し役より展開や攻撃の得意なタイプ)
しかもその後ろのCBがこれまたご存じの通りイエロ切ったまではよかったものの
補強ゼロ、パヴォンとエルゲラという、
「セレッソか」
言うぐらい貧弱なコンビ。
ついにこないだの試合ではラウール・ブラヴォをCBで起用して、
世界中がひっくり返りました。
まあ、小ロベカルみたいなのをセンターで使ったとお考えください。
いや、本職SBのプジョル(バルサ)はDF芸があるからセンター「でも使える」
のであって、ウチのにも同じことやらせてみるか、
というのはあまりにもあまりにも……

DHとCBが安定しないチームに繁栄などありえません。
たぶん中盤底をやらされる羽目になったベッカムが
何一つ自分の思うとおりプレーできずブチ切れ、
来季はお金の唸ってるチェルシーに移籍すると見た。

いや真面目な話、降格だってあり得ます。
白い巨人がオロオロと狼狽える姿、これを観たかった……
(あるいは逆境からどんな奇手魔術を使って復活するか、とか)

中南米を見つけたあたりから思ってましたが、
スペイン人、ムチャクチャです。


9/1 ミュシャ缶コーヒー
秋風プリーズ。

コーヒー党はみなそうだと思うのですが、缶コーヒーはあまり飲みません。

トラウマがあって、昔バイトしてた時に、缶コーヒーばかり一日に3-4本
飲んでました。
JTの自販機だったので、コーヒー以外壊滅的なラインナップだったんです。
いやコーヒーもあまり美味いものではなかったんですけど。
で、ある日それで気持ち悪くなっちゃって。
家でのたうち回って苦しみました。
それ以来、魔が差さない限り飲まないようにしています。

缶でもペットボトルでも、お茶は結構いいとこまでいってると思います。
もちろん高級なものとは比べられませんが、
フツーに家で飲むお茶や、例えば食堂でおばちゃんがヤカンに入れてくれるアレ、
よりは下手をすると美味しかったりしますよね。
でもコーヒーはダメです。
ネスカフェだとね、ゴールドにも及ばない。
エクセラはそもそもがマズ過ぎるという話があって、
どう頑張っても美味しく作れないのですが、
(これはたぶん「味変えられない」とかそういうシバリじゃないかと……)
それでも変な後味引いたりしない分マシじゃないか、とさえ思ってしまう。

まるでチェスなら名人を負かせるけど、
将棋はまるで人間にかなわない、って感じですね。
そうかな?

ネスレの缶がそもそも、そう大したことのない味。
ここは一つ意地を見せて、MKタクシーを選ぶように
ネスレの自販機を探したくなるようなコーヒーが欲しいものです。

どしてそんなこと思ったかというと、
お茶屋伊藤園が、「真正面から勝負してもムリだ」と考えたのか、
コーヒーの缶デザインをミュシャに変えたんです。
これがね、結構お洒落でね。色合いとかもいいんです。
で、「お」と思って買って飲んでみる。
と、やっぱマズイ(泣)
でも捨てるのは意地ともったいないオバケが許さないので、
「マズイあーマズイあーマズイあーマズイあー」
と言いながら飲んでいるのです今ナウ現在。
それも罪なことにブレンド、デミタス、カフェオレと3種類あるんだこれが。

コーヒーって置いておくと、酸化が進んですぐマズくなります。
面白いことに、特に安い豆にその傾向が強いんです。
高い豆は、ベースの能力が高いから落ちても我慢できるのか、
飲めなくもない。
(個人的にそのボーダーは
 「水の代わりができるか」というサバイバリィなものです)
家で飲む時、コーヒーメーカー使ってたんですが、
2杯目3杯目がマズイので、最近は1杯ドリップもしくは
高級フリーズドライです。
ホントに美味いのが飲みたくなったら、専門店へ行く方針で……

もちろんプロが日夜懸命の努力をされておられるのは重々承知、
何も知らない素人が妄言を吐きますと、
コーヒーは、豆がどうとか挽きがどうとか淹れ方がどうとかじゃなくて、
この酸化がポイントなんじゃないでしょうか。
もしそうなら、例えば工場直送2日でお届け、とかそういうコーヒーなら、
だいぶマシかもしれない。
スーパードライとかでそれっぽいシステム持ってるアサヒあたりなら、
そういうコーヒーをでっちあげることもできるかも……
「新鮮 生コーヒー」。
なにが生かわかりませぬが。

と、そう考えると、あのコーヒーとは思えないコーヒー、
現に分類は「乳飲料」、モンドセレクション金賞常連、
UCCオリジナルを考えたUCCは偉いなあ、と思うんです。
カップヌードルもどん兵衛もそうですが、
なにかのフェイク、ではなく、それそのものとして美味い、
というところを狙わないと、結局は本物に勝ち目がないような気がします。
特にコーヒーは、比較的簡単に本物が手に入りますしね。

本来、好き者は多少レベルが下がっていてもそれを好むものです。
ウチのまま上なんかスーパー寿司をさも美味そうにカッ喰らいますよ。
せめてコーヒー好きが嬉々として飲むぐらいには、
頑張って開発お願いいたしたい所存。

と言いつつジャケ買いして伊藤園の策略に
まんまとハマってるのですが、120円で得られる楽しみとしては
充分納得の行くものです。
デザインの力を思いしった一本でした。




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