吼える! ながたさん!

おもいつくままに、随想随筆。

11/30 g石アナ・おぐりえさん結婚式

g石アナが結婚した。
お相手は、岐阜のプリティタイフーン、おぐりえさんである。


……という書き出しで苦吟すること丸一週間、
描くべきことが多すぎて手に負えないので諦めました(笑)

(私が勝手に読み取った)コンセプトは
「身も心もおなかいっぱい」。
12時に式開始の披露宴終了5時30分。
田舎かここは。
東海圏あまりにもおそるべし。
それも、ただダラけてるだけの宴ならこちらも「タルイな〜」とか
思いながら足の裏掻いてふっふってしてればいいのですが、
出し物がプロ・半プロばかりだからオモシロイ。
だからヘロヘロになりながらみんなでゲラゲラ笑ってるんです。

ひとつひとつが凝りに凝り倒してて、
ウェディング羊羹で吹奏楽団でおでんが囲炉裏で煮込まれて
本職製ビデオクリップが乱舞して100人おぐりえがあって
こともあろうに名古屋の有名人吉川社長までが70億のダイヤをひっさげて御見参。
こいつはなんとマジで仕込み無し。
そして公私混同甚だしいいやそれこそが人生ネタのg石節、
レギュラー番組に生出演。
昔アメリカで生放送本番中に相方キャスターにプロポーズしたヤカラが
おりましたが、結婚中に生出演するアホウもそうそうはおらんでしょう。
ナンテヤツダ。

とにかく、何度思い返してもどういう時系列で何がどう並んでいたのかすら
忘れつつあるのは、最近ヤヴァイ僕の記憶力だけではなくて、
どのイベントにも迫力があったからではないでしょうか。
どのネタも、余所の結婚式なら大ネタ。
それがてんこ盛り。
刺身でいうと大トロ!うに!鯛!縁側!鮑!フォアグラ!キャビア!あれ?
て感じ。

もちろん、普通の結婚式要素も当たり前のようにあって、
新婦からご両親への手紙とか、やっぱり泣けるわけです。
アメリカからここに出るために飛んで帰ってきた友人とか!
女同士でなかなかないよそれは?
そして寅男さん。
オモシロ結納で噛み倒してた様子はどこへやら、
ここ一番キメル時にはキメルのです。
カッコイイ。
和輝もああいうお父さんにならなあかんで。

とにかくかつてないほどに熱気が渦を巻く、
ホットな結婚式でした。
いろんな意味でホットなお二人に、ぴったりだったと思います。
というよりもやっぱりいつもどおり、
披露宴にはそのお二人の人柄が出るものですね。
会場珍しくお座敷だったのも、みんなの気持ちをリラックスさせたのかも。
やはり我々は日本人。

二次会の会場に皆でたどり着いた頃には、
みんなもう三次会ぐらい消化した後みたいな呆け顔。
二次会終了でまだ9時台だというのに解散となりました(笑)
二次会会場のフレンチもめっさ美味くて、ワインもシャンパンも
ちょっぴりいただいたのですがすごい美味しくて、
あれだけ披露宴でお腹一杯食べたはずなのに、
もしょもしょ食べてしまいました。
会費、ちょいお高かったのですが、お腹一杯食べれないよりも
美味いと思いながら少しでも食べる方が良いのは事実、
なるほどこういう手もあるのか、と両手を叩きました。
……応用する予定は完全に真っちろですが……

S上さんとこ、O24さんとこ、J也さんとこ、閣下ご夫妻、鉄心ご夫妻……
そしてHERO人さんにも新築新居で新妻が待っている。
どうするよM澤先輩。
ということで二人で腕と肩を組みクロス杯で「都の西北」を歌ってました。
私も彼も早稲田では無いのですが。

家に帰って引き出物を見て最後に驚き。
メインでいただいたのは焼き物のお皿。
これが実は二人の手作り。
しかもそれは、陶器屋のパックになってるような、
例えば模様だけ入れるとか釉薬だけ掛けるとかそんなお気楽ものではなくて、
5ヶ月間二人が毎週毎週窯に通って土捏ねて形作って焼いて作り上げた
(なんせ100枚!)
本当に心のこもった逸品だったのです。
新婚旅行に旅立つ前、関空のホテルからもらった電話で確認した時は
ひっくり返りそうになりましたよ。

ネタ魂も、ここまで来ると輝いて見える。
というか、ここまでやらなあかん(笑)
この一枚は、この一連のお腹一杯イベンツをピシリと締め……
てはいけないんでしたっけ、えーと、
とにかくピシッと、させておりました。

いや、本当に、良い想い出そして良いモノをいただきました。
このサービス精神さえあれば、幸せは向こうから飛んでくると思います。
末永くお幸せに。

……なんて言わなくても思いっきり幸せそうなんだよなチクショウ(笑)

---

蛇足1。

今回も挨拶、やりました。
プロ勢揃いの挨拶の中へ割り込むのは、ネバーエンディングやりにくかったです(笑)
いやもう、今までで一番やりにくかった(笑)
「幼なじみ木訥系」の席も小学校からのご友人で埋まってて……
泣きながら叫ぶようにスピーチしたのですが、
時間押せ押せだったので、それが逆に助かりました。
スピーチは、やるのも聞くのも、短くするに限りますね。

蛇足2。

ウェルカムボード作成のため二人の写真が欲しいと申しましたところ、
新居中・外・花火大会浴衣姿などで
ぴっちゃ〜〜〜〜〜〜ぁ
とへっぱりついてるものばかり4枚ばかり送られてまいりまして、
モニタの前で独り
「キェエエエエエエエ!!!」
と奇声を挙げておりました。
同じ思いを誰かにさせる・もう一度させられるチャンスはもうほとんどないので、
良い経験ができたとこれもまたお二人に感謝の気持

キェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!


11/29 すみません

少しほったらかして、すいません。
30日も友人の結婚式出てきますので、お休みすると思います。

ウェルカムボード……ようやくできたよ……


11/28 思い切って・丁寧に

ウェルカムボードを作りながら思っていたのですが、
手を動かすモノ、というのはすべからく
「基本に忠実に・丁寧に」
がコツのようです。

福野礼ちゃんがちょっと前に「くるまにあ」かなんかで工作の仕方を
写真入りで懇切丁寧に解説してたのですが、
その時もそんなことを言ってました。
「一に丁寧二に丁寧、三四が無くて五になんとか」
(なんとかのとこ忘れたんですけど(笑))
まあとにかく、
職人さんでも、凄い人の動きというのは、
実に無駄が無くスムーズで、しかも取り立てて目に見えないほど早くも無ければ、
奇抜な動きをするわけでもないんですね。
でもその指先から、素晴らしい工芸品が生まれいずるわけです。

「丁寧」って実は簡単なことのように思えます。
今のこの、センス万歳新しいモノ奇抜なモノ礼賛な世の中では、
地味で目立たないことで、ないがしろにされがちかもしれませんが……
本当はそうではなくて、慌てず騒がずじっくりと何かに取り組む、
それはすごく贅沢で得難いことです。
「時間」というものがものすごく貴重な現代に置いては、特に。

でかいサイズで印刷する時には、CGは線修正やゴミとりを
しっかりやらなきゃならないです。
これが実にメンドクサイ。
割と単調な作業ですしね。
でも、これをやってるとやらないとで刷り上がりでぜーんぜん違うんですよ。
センスや腕の無い分は、せめてこれぐらいは。

また「丁寧」は、「大胆」とか「個性」といったものと、
必ずしもぶつかるものではなく、
むしろそれを後押しするものです。
上澄みを綺麗にすくったり、あるいは夾雑物を取り除く作業ですから、
考えてみれば当たり前なんですね。
大枠を思うようにキメたら、あとの詳細は丁寧に丁寧に。
鍋でいえば、具は豪快にぶつ切りを放り込んで、
あく取りは丁寧に。ポン酢の仕込みも丁寧に。薬味の用意も丁寧に。
そんな感じでしょうか。

大枠が決まってこそ、除くべき何かがハッキリしてきます。
逆に丁寧になぞっていく作業は、それそのものがセンサーにもなっており、
あまりにもゴミの多い線画とかにぶち当たれば、
それは取り込み方が悪かったり、どこかに問題があるわけです。
とすると、向かうべき大枠も読めてくる。

どっちにしろ、
「ぶち当たらないとわからない」
「手を動かさないとわからない」
ことは世の中多くて、
引いて俯瞰で大枠を「えい!」とやることも大事、
虫眼鏡持ってミクロミクロでピンセット作業も大事、
てところです。
「大胆に・繊細に」とはよく言いますが、
今回の教訓は
「思い切って・丁寧に」
てなところでしょうか。

できんことはできん。
でも、できることはできるだけ目一杯やる。

そんな感じで。

てなことを感じられる機会をくれた
g石さんご夫妻(になる直前)には感謝しております。
ので、ウェルカムボードは恥ずかしいから新居には飾らないように(笑)


11/27 右直事故

……ということで、信じられない気持ちでボーッとしてたのですが、
事故は典型的なバイク・クルマの右直事故だそうです。
直進するバイクに、右折のクルマ(今回はトラック)が突っ込むもので、
免許を取りに行くと、特に中免(今の普通二輪車運転免許)を取りに行くと、
口やかましくこの怖さを言われます。

実際に二輪に乗ってみるとわかりますが、
二輪車というのは実に「止まれない・曲がれない」もので、
ABSとブレーキアシストでどんな初心者でも我が身を危険にさらさず
最大効率でのブレーキングができるクルマとは、まるで違います。
フロントがロックすれば放り出されますし、
リアがロックすればズルズルになって転けます。
そしてそれを怖れると満足なブレーキングができません。
つまりバイクのそれはそもそもがもうすでに危険極まる非常手段であり、
クルマは避けれたけど自分は宙に舞った、などということが起こりえます。
ですから、直進するバイクを見たら、
まず「止まる」という選択肢は入ってないと考えていただいてもいいぐらいです。
ちょっとでも不安を感じれば相手(バイク側)の行動を期待せず、
クルマ側で次の行動を選択するぐらいの気持ちを持つ必要があります。

逆にクルマ側からすれば、バイクというのは本当に見難いものです。
バイク乗る方はいずれクルマにもお乗りになると思うので、
乗られるとおわかりになると思いますが、
「見ちゃいない」。
ライトオン程度で何がどうなるなどと思ってはいけません。
特にバイク乗ろう、と思われる方は運動能力自慢の活動的な方が多いと思いますが、
クルマはもう、実にありとあらゆる人が乗っています。
ヨレヨレのおじいさんも、歩行中でも何一つ見てやしないおばはんも、
あるいはかなり酔っぱらっててもかなり徹夜明けでも、
クルマの運転はできてしまうものです。
16-18の間の「バイク乗りクルマ乗り前」の若者達は、
「クルマは『本当に』何をしでかすかわからない」
ことをとことん肝に銘じてください。

右折時は、この「見えにくい」ことと「大丈夫だろ」に加えて、
クルマ側に「早く右折しなきゃ」という心理的圧迫があるので、
ますます危なくなります。
心理的に圧迫が加わると、人間のセンサーは情報に優先順位をつけるらしく、
我が身に危険が生じる対向車はしっかり見えても、
我が身にはあまり危険ではない対向バイクがすっぽり抜け落ちることも
あるようです。

前方の見難い交差点などでも、後ろからトラック等に
(運転席が高いので、状況がわかりやすいので)
ホーン鳴らされた嫌な経験は皆さんおありだと思います。
あれ、罰金取ってもいいと思うのですが、
信号での発進遅れと違って右折待ちの場合、
「ボーッとしてる」はずはなくてその人の判断で待ってるわけですから、
尊重してほしいものです。

常々この、若年層でのバイクの事故のかなりの割合が、
バイクの意識とクルマの意識のズレで起こるのではないかと思っています。
(暴走は目立ちますが、割合的には小さいのでは……)
ちょっと地方へ行くと、高校生の交通手段として原付が必需品に
近い事情もあって、免許の年齢制限を引き上げるのは難しいと思います。
が、せめて普通二輪の免許では、教習所内だけでもクルマを動かさせて、
「いかにこれが危ないものか」
思い知ってもらうとか、なにか手は無いものでしょうか。
クルマの方も、バイクというものがどれほどアンコントローラブルなものか、
今は動かすだけなら誰でもできる400や600の大型スクーターありますから、
あれで走ってもらって
「止まらない曲がらない」
を経験してもらうのがよいかと思います。

こんなことを偉そうに言ってても、
自分もバイクも乗ってたくせに、
クルマで走ってると、バイクを見落とす寸前まで行くこともあります。
ライトオンが普及してきたこともあって、
昼間の無灯火の中型車以上が特に。
(原付はスピードが遅いので「異質なもの」として逆に目立つ)
本当に気をつけようと思います。

事故は、誰が悪くなくても起きてしまうものです。
ですから、少なくとも悪くないように、しっかり走りたいと思います。
皆様もお気をつけて。


11/26 訃報

以前、同じ会社で机を並べて働いていた方が亡くなられました。
交通事故だそうです。
同い年、二人ともクルマ好きバイク好きのホンダ党で、エアガンなんかも好き、
よくそんな話をしました。

とても残念です。
これからも、いろんなモノを創り上げていかれたであろう方だけに……
楽しみにしていたのに。

ご冥福をお祈りする……というよりも、
どうぞ向こうの国でもいろいろを創り続けてください、という気持ちです。
そして誰かに、そんな気持ちを持たせてしまうというのは、
「作り手」としてかなり幸せな生き方だと思います。
たとえ短くとも。
不謹慎な言葉かも知れませんが、羨ましいです。

残された時間は、ゼロかもしれません。
やれることを、やれるだけめいいっぱい、がんばらなければ。
また、そんなことを誰かに思わせる人、というのは、
そんな風に、目一杯頑張ってた人だと思います。

その方の古くからのご友人である方が、こんな言葉を書かれており、
それを読んでまさにそのとおりだと思ったので、私も、その言葉を。
とりあえずは、
おつかれさまでした。


11/25 匠の技とか、ノープレッシャークッションとか

「暗黒魔法スキルw」
「ドレインというのは吸収量とダメージ量が別々なんですー。ログには吸収量しか出ないんですけど、こちらのHPがMAXでも時には200以上のダメージを叩き出すこともあるんですよー。威力的に有効なのはもちろんですけど、MP効率的に言うと最高クラスの黒魔法なんですー。でもリキャスト1分なので、一戦闘中に2発目撃つには序盤で撃たないとダメなんですけどもー。試しに一度弱い敵相手にHP満タンでドレイン撃ってみていただけると、どのぐらい有効な魔法かおわかりいただけますよ〜〜〜」(挨拶)

どんな仕事にも、他の仕事している人にはわからないセオリーがあるものです。

今日はokbちゃんに借りた「匠の技」DVDを見て、大感動しきり。
「スゲー! これってこんなにサイエンティフィックだったの!?」
そしていかに知識・理論があろうとも、
経験を積まなければ匠の技には到達できないのです。
素人がどうやってもできないことを、匠はいとも簡単に、
それこそ魔法のように軽やかにやってしまう。

我らがシンジがいつの試合だったかで、
なんでもないプレーなんですけど、左サイドタッチ際でボール持って、
前をDFに切られて、そのDFにボール当ててタッチに出したんです。
これ、実は、
「わざわざ左足アウトサイドでスライス掛けて相手の右脚に当てて
 確実にタッチへ出るように蹴った」
ものだそうで。
むろん試合を決めるようなスペシャルプレーではなくて、
日常のようななんでもない一コマなんですけど、
達人はそこまでやっちゃう。
それも、取り立てて肩に力を入れずとも。

バラの花を絵に描いてみたこと、ってありますか?
あれ、花弁の重なり具合が立体的なので、ヒジョーに難しいんですよね。
でも昔、PPVかBSなんかでやってた外国の絵画教室の番組で、
担当の画家先生がぴょぴょぴょぴょぴょぴょぴょーって描いちゃうと、
もうバラ。
オートマティズムともまた違う、でも、当たり前になってる、
そんな回路ができあがってこその匠、ですなあ。

ぴょぴょぴょっと描くとオモロイものが描けてる……
のは、結果だけでなくて、
ぴょぴょぴょっと描いてみる
のも重要なのかも。
雀鬼桜井章一さんも、「3秒以内でツモから捨てるまでを行う」のを
弟子にも徹底させていて、
その緊張感が逆に鋭い思考と感覚の冴えを生むようです。

うーむ。
ぴょぴょぴょっと描いてみるか。

---

ではぴょぴょぴょで、なんの脈略もなく違う話題。

妙齢の女の子が、外側から回した両手を太腿の下おしりのあたりに敷いて座って、
下唇なんかちょっと噛みながら上目遣い(それ好きやなアンタ)
などというのは実に萌えるポーズなのですが、
あれってやってみると結構気持ちいいですよね。
座った時に太腿裏って圧迫されてストレスになりますから、
テニスボールを二つ、足の付け根のあたりに置いて座ると、
ストレッチにもツボ刺激にもなって気持ちいいです。
原理は同じじゃないかと。

「肩凝ってるねえ」
「座りっぱなしの仕事やからなあ。椅子とかも換えようかと思うてんねんけど」
「いいクッションがあるらしいで。
 首から下が病気で動かなくなった人が開発したクッションで、
 なんでもお尻の骨を動かないようにして姿勢が保てるとか」
「ほ〜」

てなまきをちゃんとの会話の後、帰って調べてみましたとも。
その名も「ノープレッシャークッション」。
なるほど、理屈はよくわかった。
しかし2万円は高い。
要するにこの形状が勝負なわけだから、じゃこれっぽいものを……
と、いうわけでパチモノ低反発クッション+バスタオルで、
似たような形のモノをでっち上げ、
座面が完全にへたってしまったマイ・椅子にのっけてみました。
もちろん超偽物であるのでなんの参考にもなりませんが使ってみての感想は!

……おてぃんてぃんいたい……

角のところでめっちゃ圧迫されるんですけど。
しかも両太腿も、普通のクッションよりもさらに体重を受けるので、
さらにつぶれて、両側からおてぃんてぃんに迫り来るわけです。
それを避けるためには膝を開き気味に座ればいいんでしょうけれども、
あいにく僕は割と膝締め気味に座る人なので違和感が……
これはやはり、本物を試してみるほか無いか。
いや、テキトーな低反発ウレタンクッションを2枚張り重ねて
切った張ったで適当に形を作ってみる手もある。

てなことを考えてて、女の子のそんなポーズを思い出したのです。
あれ、別に手が冷たいからとかそんなだけではなくて、
そこで支えると座骨が楽になるから、
全体として楽になるんですね。

てことはポイントは、クッション全体の形ではなくて、
そのあたり、おしりと足との中間地点を支えて、座骨と太腿を浮かせることかな?
しかしあまり一点に荷重が集中しすぎるのも良くなさそうだし……

あと、個人的には、このアイデア自体は非常に優れていると思うのですが、
いかにこの部分がきっちり固定され体圧が適切に散らされようとも、
その上に乗っかるお腹から上、が、まっすぐ立って素直に荷重を真下に
下ろしてる必要があると思います。
で、姿勢悪い人、って僕もそうですけど、
それこそがツライんですよね。
だから少し座っていると、背筋丸めて前屈みになっちゃう。
これでは、どんなにお尻のところの負担軽くなってても効果半減です。
で、それを防ぐには、やっぱりランバーサポート入ってる椅子の背もたれに
きっちり身体を押しつけるぐらいしかないかも……とか。
まあ、ランバーサポート自体も単品でいっぱい売ってますけどね。

しかし、新しい視点でした。
僕、固い椅子割と平気なんですけど、それこそミスドの木の椅子でも
平気で3時間とか座っちゃうんですけど、
それは姿勢が悪いことの証だったんですね。
座面の柔らかさにこだわる人は、やっぱり、ちゃんと座ってるから
負担が座骨のところに集中して、固い椅子は痛いようです。

でも逆に、浅座り、っていうか椅子前端にちょん、と腰掛ける座り方も、
太腿やまあいえばおてぃんてぃんに負担かからなくて、
短時間なら楽ですよね。
これは逆に座骨に全てがかかってしまう座り方ですが……

要するにいろんな座り方をして、一つの部分に負担が集中しないように
するのが吉なのかもしれません。
か、そんな長い時間座らないか。

椅子一つ、まだまだ人類は極めておりませんッ!


11/24 携帯電話に間違い電話

ごく素朴な質問で恐縮なんですけど、
携帯電話の電話番号って、誰かが使わなくなったものも使い回してます?

ちょっと友人知人と連絡しなきゃならない用事があって、
電話かけまくったのですが、
登録されている番号で4件も間違い電話をかけてしまいました。

すみません、大恐縮です。

クルマのナンバープレートは一度使うと二度と使いません。
プレートを破損したりだれかさんのように高速道路を爆走中紛失したりした場合、
新しいプレートをもらいますが、前の番号とは変わってしまいます。
一つの番号が複数のクルマに使われることは無いんですね。

もしそうだとするなら、そんなに逼迫してるのかな。
8桁もあるのに……
ま、504シリーズだけで1500万台とか言ってますから、
ひょっとすると本気で困ってるのかも知れません。
それこそ一人一台で1億2000万(9桁)、それに多数を抱える法人を考えると……
うーん、やっぱり使わないともったいないのかも。

まるっきり技術的なことわかんないんですけど、
091- とか、そんなんはダメなの?

夜分に間違い電話しかも携帯、ごめんなさいでした。

---

どうでもいいですが携帯電話ってホント苦手なんです(泣)
そもそもあんまり携帯しないので、おかんという強力な呼び出し装置のついてる
家の電話の方が連絡がつきやすかったり。
親しい人ばかりだといいのですが、
さすがにワン切りはほとんど無くなりましたが、
上述のようにありえないはずの間違い電話もかかってくるし、
そもそも古い人間なので、夜遊びしてる時に家の者から電話かかると、
「なにか家で悪いことが」
と心臓がひっくり返ります。
ボヤの連絡とかそれで受けたし……そして内容は
「おばあちゃんのナンクロ買うてきて。1月号」。

僕らの父母の世代がTVに対するように、
僕は携帯に対して構えてしまいます。
5つ下の、大学生という子供と社会とのクッション期間に使いだした世代は、
かなりこなれた使い方ができるみたいです。
僕らはどうしても「もしもし」言っちゃいますからねえ……

でもさ、ほら、
「気になるあの子の家に電話する時のドキドキ」
とか、今の子わかんないわけじゃん!?
「待ち合わせで「まだかな、なにかあったのかな」とか不安で胸一杯」
とか!

……すいませんノスタルジィで。
まあ、でも、ホントに負け惜しみじゃないですが、
今にして思えばあれはあれでいい想い出です。

もちろん手放せないのですが、
無かった頃も、それはそれで、不便を楽しんでたな、と思い出しました。
前近代的な紙の電話帳を駆逐したはずの携帯電話で、
間違い電話という前近代的な行為をさんざんっぱらしでかしたのが、
自分ながらおかしかったです。

誰も悪くないのに、みんなで困る。
便利な世の中には、そんな不便が潜んでるような気もしました。

---

【追記】
090-○○○x-xxxxの、○○○の部分がキャリア識別番号らしいです。
キャリア別にいくつそれが割り当てられてるかわかりませんが、
となると実質使える量は10万*割り当てられ分になるので、
困るほどではないにせよ無駄使いはできない数かも……

問題は使い回すこと自体ではなくて、それをあまり「言ってない」ことではないでしょうか。
たぶんそれをしだすと、まっさらの番号と使い古し番号とで差がついてしまうので、
(というか実際ついてるし)
キャリア的にはイヤなんでしょうけれども、
それは、例えば新規番号はエキストラコスト取るとかなんとかで、
やりくりしてもらいたいものです。
もうその、「黙ってる」というのが通用する世の中ではないように思うのですが。

ウチのまま上が昔、ツーカーの携帯を持ったのですが、
前の所有者が若い女性だったらしく、若い男性からしつこく電話がかかってきました。
業を煮やしたまま上が出て「違う」と言い放ったのですが、
恋は盲目、嘘だと思われたらしく引き続き電話かかってきて。
結局キャリアごと番号換えました。
てなこと考えると、「新番号ですよー」というのは何千円かなら取れる商売だと
思うのですが、いかが?


11/23 お披露目会

アンコウ椿は!(挨拶・はるみ風・モハヤナニガナンダカ)

鉄心さんご夫妻のお披露目会in関西が「蔵童子」で開かれたので、参加。

いつ見てもこのご夫婦はいい。
そして仲間達も気のいい連中ばかりで、
先生方もほとんどの方が二次会まで残られる気さくな方々ばかり。
揃ってアンコウ鍋を作る姿に
「なんて人件費の高い鍋だろう」
と別テーボーからまきをちゃん、西やん、okbちゃんとケラケラ笑っておりました。
そして余興にてポンちゃんお手製のケーキ、一つだけ一味たっぷりタバスコ入り、
ってな定番ゲームをやってみると、当たりは見事S上博士の師匠にあたるO先生。
先生のリアクションもお見事で、ま、なんともはや、
引きのいい人、っていうのはどこでも引きがいいものです。

アンコウ鍋はアンコウが抜群に美味く、生臭みゼロ。
ゼラチン質をズルズル食べておりました。
ポンダシェフのキュウリとキクラゲの和え物もたいへんにグー。
薄味の肉じゃがも薄切り肉が美味しくて、
ひとしきり騒いだラストの締めにはカレーうどん。
9時間近くに及ぶ宴は笑顔のうちに終わりました。

まきをんがほぼ必殺の「翼をください」大合唱という手を打ったのですが、
「先生方のテーブルの方が声大きかったよ」
とか。
負けてられませんな。

なにかこう、ネタ仕立てにするのが困るぐらいいい宴会で、
でもってこんな風に、事実列挙しかできずらかったり。
しかしそれは、いいことなのではないかな、とか思います。
「よい」ということは、どれも似ている。
とよく言われますけれども、その通り。

最近こういう機会が多くて、そしてこれからもまだ続くのですが、
羨ましいというよりも、「いいなあ」というほわほわした気分になって、
ぽけーっとしてしまいます。
そんな時には、
「あ、やっぱり南の島では文明は起こらん」
とかしょーもないことを考えてしまうのですが、
まあ、ハレの日というのは、そういう方が、いいですね。

こんな私でも、ケな日にはつまらない種々がコロコロと足元を転がっていき、
それはそれで、結構――なんてんでしょう、じゃまくさい?
というか、うーん……視界が狭くなる?
とにかくつまずきそうになりますが、
こんな日は、それがパーッと無くなって、いろいろを
「ま、いいか」
と思えるようになります。
お酒と料理の力もありますが、基本は、笑顔ですね。
それもたくさんの。

これほど多くの笑顔を創り出せるお二人に、幸多かれ……
とか言うまでもなく、鉄板でこの二人は幸せであり続けるのでしょう(笑)
だってそれ以外の姿なんて想像できないもの。
そこは、正直、羨ましいです(笑)


11/22 自分である

爆発は、芸術ぢゃあ!(挨拶)

……ま、自分のやしいいでしょう(笑)

TARO岡本の本を少し、読んでます。
太郎、めっさカッコイイですよ。
すっげーインテリなんです。
若い頃はあれですよ、欧州民族学の父とさえ呼ばれた大学者の愛弟子として、
めちゃめちゃ可愛がられたんですって。
もちろんソルボンヌでちゃんと勉強してるんですよ。
フランス語なんか母国語同然。

僕らぐらいの歳の人間には、
「TVCMと太陽の塔の人」
というイメージしかなかったので、すごくビックリです。
如何に何も知らないかいつものように思い知ると共に、
いかに普段植え付けられてるイメージが嘘――とは言わなくても、
歪んでたり間違ってたり一部分だったりするか、
いつものように痛感しました。
コワイコワイ。

確かに華やかさはありませんしサーヴィス精神には乏しいのですが、
逆にその簡明さと、それでもさすが天才芸術家、
時折繰り出されるハッとする表現に唸ります。
ホントにただのエッセイで、「やっぱパリがいいよ〜」みたいなことが
書いてあるだけなのですが、説得力がある。
表現力があるから説得力があるのか、
説得力のある人だからそれが表現力になっているのか、
ニワトリタマゴですけれども、
個人的に「イテテ」と思いました。
年齢業績関係なく、がちんと殴れる言葉を書きたいものです。

---

僕は芸術家ではないのですが、
いちおー表現のことをやってるものとして非常に感銘を受けたのは、
彼は自ら、強い意志を持って
「『岡本太郎』である」
ことをやっていた、ことです。

「自分らしく」などというのは実に舌触りのいい言葉で、
現に僕も多用するのですが、
それよりもなお激烈に、
「自分である」
ことの意志。
何があろうと、何といわれようとも、何をされようとも。
それは、なかなかできることではありません。
ワガママとかコダワリとかそんなんじゃなくて、
自分の内面と向き合い、そこから引き出されるものに、
たとえそれが少々しょぼくてもいつも同じものでも、
慌てず焦らず卑下せず、それを高めていく強い心。
簡単なようで、実に難しく、無限ループっぽいですが、
強い心を持つには、強い心が必要です。

見習いたい。

まず自分でなければ、新しいことも変わったことも吸収できず、
逆に取り込まれてしまうばかりです。
二十歳前ならそれも良いと思うのですが、もうそろそろ、ね。

しかし、TAROほどの大人物が堂々たる自分であって、
それで、我々はそういう誤解をしてたわけで、
世というものは、実にそういうことに厳しい。
それは当たり前で、そういうトゲや針をしまって、身体を寄せ合うのが
世の中というものですからね。

しかし。
それでも、キーボードや白い紙に向かう瞬間は、
そういうものから羽ばたかなければなりません。
むしろ「ながっちゃん羽ばたきすぎ!」とみんなに止めてもらうぐらいでなくては。

ながたかずひさであろう。

そう思いました。


11/21 井桁崩し

井桁崩し!!(挨拶)

■甦る古伝武術の術理 甲野善紀

okbちゃんに借りた御本を読みました。
途中から具体的な身体の動かし方に終始するので、
読み物としては養老先生と対談してるヤツの方が面白いのですが、
身体動かすことをやっておられる方には
何かヒントになることがあるかもしれません。

甲野先生の「井桁崩し」は、
運動神経のシナプス間隙が1cmぐらいある僕の理解で言うと、要するに
「身体の各所を違う方向に動かすことで、
 ベクトルの合力が相手に伝わるようにし、
 触れている点の力の量と向きとは違う力を加えることで、
 相手を崩す」
ものですよね?

ごくごく単純化するなら、相手の肩を正面から手で押す。
その際、手で押す力だけで向こうに倒そうとすると、
相手も抵抗しやすいのですが、
例えば自分の身体を沈み込ませ(ながら正面向きの力も加え)ることで、
正面+下で斜め下方向への力が生まれ、
予測しないその力の量・方向に対して、相手は非常に抵抗しずらい、と。

しかしどんな動きでもそうですが、
「なにかしながら別の方向へのなにかをする」
というのは非常に困難で、この書で例示されているのですが、
手刀を作って、腕を机の端から端まですーっと動かしながら、
その手刀で机を叩いていく。
我々では「一旦腕の動きを止めないと」100%できません。
でも昔の達人(といっても明治期ぐらいの、ちゃんと証人の存在するレベル)は
腕を全く止めないままトン・トン・トン・トンと切って行けたそうです。

このような動きを実現させるため、
「身体の中を割る」、つまり二方向(あるいはそれ以上)へ力を
出せるような身体を訓練して作り上げていく。
回さない・ひねらない・ねじらない、というのも、
その動きはもちろん非常に効果的なものでもあるのですが、
身体の全てをその動きのみに吸収してしまう。
二方向以上に力を出す、ことがより困難になるから、のようです。

これも例示ですが、江戸期の脚自慢の中には、
仙台−江戸600キロを3日で走った人がいるそうです。
「んな無茶な」
と思いがちですが、そこで甲野先生おっしゃった例が自転車で、
あのぐらいのエネルギー効率で走れたのではないかと。
なるほど、現代の自転車プロは、練習で1日200キロぐらい走ります。
もちろん自転車は人間の力以外何も利用してないわけで、
ひょっとするとできる/できたことなのかもしれない。
東京・両国の「江戸東京博物館」に行かれるとよくわかると思いますが、
近世の日本人って(今もそうですが)猛烈に記録好きなので、
多少誇張はあっても嘘神話の類ではないように思われます。

しかし理屈的には非常に明快でわかりやすいのですが、
さてではどうすればその、非常に効率の良さそうな身体を作っていけるのか。
どんな訓練をどうすればいいのか。
「井桁版ラジオ体操」
みたいな、誰でもできる基礎訓練が欲しいところですね。
(もうあるのかも……)

---

朝起きたての腹筋は頑張ってやってますが、
同じ腹筋でも楽なのとツライのがあるのは、皆様ご承知の通り。
で、スポーツものの本などでは懇切丁寧に
「正しい腹筋」を教えてくれるわけですが、
(反動利用を別にすれば)結局身体を動かしている量、
すなわち使用エネルギーは同じなわけですから、
筋肉に意識を集めて鍛えるのはプロにおまかせ、
逆に、「より楽な腹筋」を追い求めていくと、
効率的な身体の動かし方
が身に付くのかも知れない……
なんて妄想しています。

たとえば、伸ばし側、って、軽く上体を後ろに傾けて、
あとは重力にまかせて「ぱたっ」と倒れるのがおそらく最小エネルギーなんですが、
もちろん「筋肉を鍛える」ことにはちーっともなりませんが、
「そういう動きをする時には、これが一番効率がいい」
と身体が覚えていくことは、特に悪いことではないように思います。
もちろんそのまま倒れると後頭部打って気絶しますから、
寸前でどうしてもショックアブソーブするわけですよね。
ひょっとするとそこのセンサーやダンパーの精度が、上がるかもしれない。

まあ、都合のいい勝手な解釈だとは重々承知、
しかしなんだか、
還元的に「筋肉」という要素に分解してそれを突き詰めていけば全てがなんとかなる、
と思ったりするよりも、ずっと複雑でオモシロイ。
こういう研究が進むと、いろんなタイプのスポーツ選手が出てきそうではないですか。
時代が違う、と言えばそれまでですが、
ヨハン・クライフ現役時代は「すらあっ」としてますよね。
ではクライフは筋力量以外の何でどうしたのか。
彼は常日頃から「テクニックだ」と吼えまくってますが、
その言葉の中にあるのは、ボール扱いの技ばかりではなく、
身体の動かし方の根幹に関わるようなことのようにも思えたりします。

---

なんにせよ、この御時世に甲野先生のような方が徒手空拳、
ドン=キホーテよろしく風車に立ち向かい続けそして今も立ち向かって行ってる、
それは素敵な事実です。
甲野先生からなにより学ぶべきところは、
その姿勢ではないでしょうか。


11/20 黄色いミニバラ

あ、言うまでもないことですがクシャナ殿下もおkです(挨拶)

名作というモノはどうして時を超えるんでしょうね。

ある閾値を超えると、ロックインが起きて、現物以上の価値が生まれる。
それはなんでもそうなんですが、でも、
その瞬間風速で社会現象になるものと、
その後も輝き続けるモノがある。

「よいよい」と言われ続けて蓄積されていくと、
それが社会システムの一部として組み込まれてしまうのかもしれません。
評価とは揮発性のもので、時間と共に希薄になりついには消えるのですが、
いくらかの時間を乗り越える耐久力があると、
次の世代や新しい層が、また(それも揮発のものにせよ)
評価を塗り込めてくれる。
そしてまた、十二分に塗り固められると、
その芳香はぬぐい去れなくなる……というところでしょうか。

ならば重要なのは、揮発性のそれを、
一時に平面的に爆発的に得るのではなく、
できるだけ時間軸について長く得る、こと。
いや、むしろ、揮発するものであるならば、
あまり拡がりすぎない方がよいとすら言える。
表面積広い方が早く飛んじゃいますもんね。
「じんわりとした味わい深さ」
に重きを置く、というのは、結果論や精神論だけではなくって、
ひょっとすると技術論としてもそうなのかもしれない、
とか思う昨今です。

世阿弥師匠の「風姿花伝」は、読んでみると随分テクニカルな話が多くて、
「修業するなら早いうちから始めなあかんで」
みたいなことも書いてあるのですが、
そんな書物の大コンセプトとして
「秘すれば花」
というのであれば、これはもうエエカッコどうこうではなくて、
一つ技・方向性としての基本を述べてるのかもしれません。

……と、いうこと自体を師匠は秘してて、
その辺に妙な茶目っ気を感じるのですが、
本人に会ったこと無いからマジなのかちょっぴり舌出して言ってるのか、
それはわかんないですけれども。

---

花。
ということでガラにもなく、黄色いミニバラなど買ってきてみました。
渋い木の三つ足で焦げ茶の陶器を支えた鉢も一緒に。

もちろんちゃんとした世話などできっこナイスなので、
まま上に植え替え等々やってもらったのですが、
部屋に花があるのは、いいものです。

花屋さんや、ホームセンターの園芸コーナーをブラブラしてますと、
「僕はこの花一つ表現できやしない」
と暗澹たる憂鬱に包まれ、
ずーん
となってしまうのですが、
それすらもしばらくすると、
ま、いっか、と思う間すらなく消えて無くなってしまいます。

そんな気分をふとした時に味わいたくなり、
一鉢所望してみました。
自信はちっともありませんが、
花のある部屋、しばらく行ってみようと思います。

黄色に意味はありません。
ただ、「ふと」目に止まったのが赤でもピンクでも白でもなく黄色でした。
そういう「ふと」を大事にしたいと思って、
そのまま手にしました。
そういう、
「ふと」とか、
「ガーーーっと!」とか、
「ま、やてみよ」とか、
そういうのを、思い出していきたいです。


11/19 風の谷

シリウスに向かって飛べ!!(挨拶)

「ナウシカ」ですとも。
劇場へ観に行ったのは確か小学校6年生。
安田成美先生の主題歌シングルレコードも買いましたとも。
今ドトールになってる針中野のレコード屋さんで。

なにもかもがみな懐かしい。
しかしいつ観ても古くない。

もはやあの名作について何か語ること自体がバカバカしくて、
ここまで書いて全てに詰まってしまいましたが、
あれはいいものです。

「マトリックス」の続きみたいになっちゃいますが、
原作ではもちろん、あの映画の後いろいろ続きます。
コアなファンの方には原作を大事にされる方も多く、
映画の切り方に不満を持たれることも多いようですが、
僕は、あれは、切り離して考えるべきで、
そして映画は、あれでいいと思います。
何か足したり引いたり、まして続編なんか1200%必要なし。
僕は映画観てから原作読んだ方なので、
(というか古参アニメファン以外はほとんどの人がそうではないでしょうか)
大変おかしな感情だというのは重々承知しつつも、
(だって同じ人が作ってるんですからねえ)
話が進むにつれ
「こんなのナウシカじゃない!」
とか思ってました(笑)
中学生当時から、そういうのにうるさかったようです。

幸か不幸か、映画である以上尺が決まっており、
そこでどう勝負するか、その制限が上手く働いた好例だと今でも思っています。
イイタイコト、というのは、別に最優先事項でもなんでもなく、
いろいろある要素の、一つの要素ではないでしょうか。
尺もある、予算や倫理面での表現の限界もある、客受けも考える、
キャストだって自分の理想100%なんて、それこそ100%ありえない。
それが奇跡的に揃ったとして、じゃあスタッフは?
極端言うとお弁当業者一つから、全部が全部思い通りじゃなきゃダメ、
というわけにはいかないですよね。
いろいろ、いろいろのうちの、ひとつ。
で、そんないろいろをどう折り合い付けていくのか、
も、我々の仕事……というか、「ヤリタイコト」でございます。

誰にでもなく自分に言ってるんですが。

「自由であらねばならない」
という教条からこそ、自由であらねばならず、
この言葉はあまりにも矛盾です。
我々は神様じゃない、人間である以上、完全に自由ではありません。
で、あるからこそ神様みたいなことをやりたいのだろうと思います。
でも、神様では、ない。

そしてそこをよくわかった上で、謙虚によいものを作ろうとする姿勢にこそ、
神様は手助けをしてくれるような気がします。
「ナウシカ」を見るたびに、そう思います。
だから、イイタイコトがどうだとか、そんなこた、どーでもいいことなのです。
大事なのは、真摯な姿勢。

……とまあ、いつも思うことを思いながら、
綺麗な「ナウシカ」を思い切り楽しみました。
で、やっぱりいつも思うのですが、島本須美先生最高。

「発砲と同時にエンジン全開! てーッ!」

長靴いっぱい食べたいよ。


11/18 Wireless IntelliMouse Explorer 2.0

噂の人参汁!!(挨拶)

愛用のIntelliMouse Opticalのホイールの回りが渋くなり。
ちょうどいいや、ということでMicrosoft新製品の
Wireless IntelliMouse Explorer 2.0を。
噂の横に傾くチルトホイールつきです。

結論から申しますと、

・段つきのないスムーズスクロールは抜群に気持ちいい。
 最初は「クリック感の無いのはどうかな……」と思ったのですが、
 いやいや、数分でやみつきに。
 特に加速つきで大距離スクロールが高速の行えるのは非常に便利です。
 「ほえなが」1月分とか、頭から終わりまで普通スクロールバー握ったまま
 スクロールさせますが、これならホイールだけでも、と思ってしまうぐらい。

・ワイヤレス感度は文句なし。
 なんの違和感もありません。
 2年前に買った前モデルはやっぱりちょっとどこかひっかかりがちだったのですが、
 技術は進歩しますねえ。

・気になるウェイトは単三電池1本ドライブでかなりマシ。
 前回のワイヤレスは何がダメって重さが一番ダメで使用を中止したのですが、
 今回は1本ならかなり大丈夫。(2本でも使えます)
 ちょっと重いですが、モバイル用小マウス使ってる人でもない限り、
 すぐ馴染むのでは。

・横スクロールは微妙。
 スピードがデフォルトで一番遅いので、調節するのですが、
 そもそも「横スクロールを前提にしているWebデザイン」というのがあまり無く
 (TVガイド系ぐらい……)
 Webデザイナーだってアホじゃないですから、
 それが使いにくいというのは重々承知、なるべく避けてくれてるわけです。
 だもので、どっちゃでもいーかなー、という感じ。
 Excelとかならいいのかもしれませんが、試してません。

・あと、光学センサー自体も進化してるかも。
 今までのopteicalも6000カウントの後期型だったのですが、
 それと比べてもポインタの動きがスムーズに感じます。
 (接続はPS/2)
 なめらか、なめらか。

こんな感じで、「けっこーいーじゃん」。

クリックボタンのスイッチがMicrosoft伝統の高級品からそこらで使われている
タイプに変更になったのを嘆くマウス・バカの皆様もおられるかと思いますが、
やはりマッシーンはフォーマットではなく作り込み、なんの問題もありません。
(音はさすがに「カチカチ」という小気味いい音から、
 「コチコチ」というフツーの音になっちゃってますけど、
 そこまでこだわりなさんな(笑))
今、ナウ使ってますが、取り立てて「頑張って使っている」という意識はなく、
ごく普通にリプレースしています。
僕は日本人成年男性としても手が小さい方なので、
若干大きめで、両クリックボタンが遠目ですが、まあ許容範囲。
でもできれば、小さめのモデルも欲しいな。

チルトホイールに目が奪われますが、というより
普通の5ボタンワイヤレスマウスとしてよくできてると思います。
マウス・リプレースをお考えの人には、おすすめできるような気がします。
特価品500円ぐらいで買えるマウスに6800円というのはなんだかアレですが、
ま、イイモノは、そこそこするものです。

いい買い物でした。


11/17 FFメモ・アイススパイク

アイススパイク!!(挨拶)

アイススパイクが出た程度のことで缶チューハイを開けてしまう
私はなんて安上がりメン。
「氷結」の「初摘みアップル」ですよ〜。

「アップル」って常に微妙なフレーバーで、
いつもレギュラーにはしてもらえませんよね。
遠くはファンタレモンの登場で自販機から追われたファンタアップル……
古すぎ?
リンゴ、ってそう言えばほのかな香りと甘みと味で、
食感を主に楽しみますもんね。
レモン、ライム、グレープ、オレンジ、ピーチ、メロン、
どれももっと強い何かがありますね。
最近ではライチあたりにも追いまくられる始末……

と、そういえば昔「ナイトスクープ」でやってたんですけど、
食べると口の中で溶けるように身の柔らかいリンゴの品種があるそうです。
もの凄く痛みやすいので市場に回らず、ということはお金にならないので
樹もほとんど残ってないとか。
でも、そんなの聞くと食べてみたいですよね。
この現代社会でも、現地行かないと食べられないもの、ってまだまだあるものです。
死ぬまでに一体どれほどそういうモノがいただけますことやら……

と、ちょいハイですが、
だってだって、苦労したんだもの(泣)
あの獲って即使用即詠唱、
キララキラキラ〜〜〜ン
と涸れ谷のゴブから悩まされてきたアレに
自分の身が包まれた瞬間の感激と言ったら!

今まで狙って獲った物の中では一番苦労しました。
自分メモのつもりで今まで獲った物を……

ミストシルクケープ
ファンガスハット
ビースティンガー
ランタンシールド
ストライクバグナウ
オベリスク
プレートベルト
ハーミットワンド
柔術用下ばき
リザードピアッサー
ロングブーメラン
コアスガントレット
クルエルスピア

皇帝羽虫ロット負け

ストライクとランタン以外は安いなあ……
でも、自分で獲ると嬉しいものです。
ミストシルクなんかボロボロになるまで使ってますよ(笑)
黒でも白でも。
もちろん、アイスパ獲りに使った時間を考えれば、
鉱山労働して買った方が10倍ぐらい効率いいんですけど
10匹目を超えたあたりから引っ込みがつかなくなって、意地で獲りました。
ふぅ。

しばらく枕を高くして眠れます。
おやすみなさい。



11/16 「マトリックス・レボリューション」

1作目で終わっておけば(泣)

---

以下大ネタバレ。

まあそれはもういいとして、なぜそう思うんでしょう?
絵の作りはよくできてるんですけどね。
スジも何も、あんなもんだと思うし。

ただ、ちょっとずつある「ズレ」が、蓄積してるような気はします。
実にしょうもない作り手視点で見て実にくだらない詳細を突いてみますと、
「男的に強い女性」というのは、殺してもそれ自体にはインパクト無いので
(そこによって主人公orストーリーにどういう影響が出るかだけが問題)
別に殺さんでも、とか、
アダム&イブをやりたいなら、同時に殺さねばならない、とか、
それが無理でも最後は寄り添わせるのがベターでは、とか、
キリスト教のモチーフちりばめてますが、なら、当然の然ですが、
「復活」という要素はどこへ?
とか。
ほんのちっちゃなズレでも、気にしだすと気になるんです。
なぜ救世主ネオが最後の最後で「数が多すぎる」なんてつまんないセリフ吐きます?
雲上見せたい、ならそこはそんな理由なんか要らない、ただ
「上へ!」
って叫ばせればOK。
そしてエンターテイメントであるからには、
途中はいいとして、ラストバトルは自分で勝たなきゃ。
あるいは、負けさせて「でもみんなで勝つ」とかね。

最後弄るだけでカタルシスのある一級の娯楽映画になったと思うのですが。
ていうかそんなことはハリウッドなれば重々承知の上のはず、
なぜこうしたのか、の方が疑問です。

……ただ、僕らぐらいの日本の男の子は、
これに類する最後中途半端な長編をイヤというほど食べて育ってきており、
それが
「もういいから。ちゃんとトンカツ定食にしようよ。変なソースとかもういいから」
という気分になるのかもしれません。アメリカの人ならそここそが
「coooool」
なのかも。
寿司とも思えぬsushiでも、スシはスシ。
いや、アメリカの人じゃないからわかんないんですけどね。

「リローデッド」の時も思ったんですけど、
これってやっぱり「少林サッカー」だったわけで、
全編それで押すべきだったように思います。
たぶん、別にイイタイコトとか無い(笑)
それは決して悪いことでも何でもなくて、そういうもの、っていうだけのことですから、
胸張ってかめはめ波と元気玉撃つべきだと思いました。
そして兄弟は、1作目観れば皆さんお思いのとおり、そういうのが向いてると思います。
もったいない。

次はぜひそういう方向で。

---

こういう感想を持った時にどう書けばいいのかよくわからなくて、
時間かかりました。
あまり気乗りしないことなら書かなければいいんでしょうけれども、
それももったいない気がして。

こういう風になる怖さは、誰にでもあることだと思います。
だから自戒を込めて、拙いまま書き残そうと思いました。


11/15 「素敵」

FF11はものすごいタイトなゲームですので、
お金稼ぎでよく言われることに「時給換算」というのがあります。
1時間でいくらのお金になるか、それによってウマい稼ぎマズい稼ぎを
判断するわけです。

一見合理的です。

例えば、「蜂蜜」というものを1ダース手に入れたい。
敵がドロップするので、1時間野を駆けめぐればまあ集まる。
ついでに他のドロップ品を売りさばけば、
「お金を使わずモノが手に入ってしかもプラスになる」わけです。
「素」材を「敵」から手に入れる、という意味で、「素敵」と言われます。
しかし。
1ダース1200Gで、競売でも売ってます。
1時間他のことをしてお金をどっさり稼いで、そのお金で蜂蜜を買った方が、
時間当たりのお金の効率としては、いいではないか。

蜂蜜1200+その他ドロップ2500 = 蜂蜜+2500
時給10000の鉱山労働-蜂蜜1200 = 蜂蜜+8800

まあ、小学生でもわかる計算ですよね。

一時それで掲示板のスレッドが荒れたことがあって、
「素敵」を主張する人は「他で稼げ」と言われてることがわからない。
まして「損をしている」とまで言われると、なにがなんやら理解できない。
お金一銭も使って無い・モノは手に入った・それどころかオマケまで手に入れた、
何が悪い。
とこうなる。
それに対して一生懸命説明する人がいたり、アホ扱いする人がいたり、
いろいろだったのですが……

でも。
もちろん合理的に計算すればそうなんですけど、
これ、この「素敵」をやる気持ちは、誰でもわからなくはないですよね。
いやむしろ、なんでもかんでも時給換算、つまり「ゼニ」に直してから
損得考える方が、ハッキリ言って、ちょっと言葉キツイですけど、
おかしい。
もちろん程度の問題はありますよ。
時給で1万だ2万だの話してるときに、1時間かけて10ギルのものを1ダース
集める、それはさすがにおかしいです。
でも、気持ちとしては、
「ああ、これが必要なんだ、ああ、じゃあ、採りに行こう!」
っていうのが一番最初に起きる気持ちのはず。次に
「ああ、お金で買おうと思ったら1200もするよ……
 よし、ここは一丁節約のために自力で採りに行くぞ!」
ではないでしょうか。

もちろんFFはゲームですから、「最高効率をタイトに求める」ということ自体を
ゲーム性と考える人も多いわけです。ハイスコアアタック、ノーミスアタック。
でも、「素敵」を一瞬にして叩っ切るような考え方、
これが脊髄反射のように「あ、それ損」って出てくる脳の構造、っていうのは、
どうなんでしょう?
それも
「ああ、そういうやり方もあるよね、それも楽しいよね、僕は面倒だから
 お金稼いでそれで買うけど」
ならともかくも、蔑むように語るのは……
(「非「素敵」の計算がいくら説明されてもできない」というのは別の要素……
 実例では、多くの人はそこに呆れてたわけですけど)

日常生活には、普段の社会には、これに類する話がいくらでもあります。
バブルの時は酷かった。
小商いで時間喰われるぐらいなら、それは全部金でアウトソーシングして、
大商いに時間を使え。
ゴミは捨てろ、リサイクルなんて時間の無駄、稼いだ金でまた買えばいい。
金が、そしてそれを生み出す時間がなにより貴重。
それはそうです。
そうですが、「なぜ、貴重なのか」といえば、それは、
「自分のやりたいことに使えるから」
貴重なんです。
やりたいこと、蜂蜜集めに行きたいのを我慢して、
鉱山で労働して、時間と金節約して蜂蜜を手に入れて、

だから、どう?

で、TVでダッシュ村見ていいな、って思う。

もう我々は、蜂蜜を集めに行く人を、少なくとも笑ってはいけません。
そもそもその人は、蜂蜜の集め方だけじゃなくって、
どこが危ないとか、なにを倒すとついでに何が取れるとか、
宝箱の位置とか、何曜日には何が出やすいとか、
集めない人よりもいろいろなものを、持っています。
貴方が岩に向かって働く時間、野を駆けめぐっているわけですから。

むろん鉱山労働を、あるいは効率よく金を稼ぐ方法を貶めているわけではありません。
それも良し、また、それ自身の追求もすごく面白い、それはもう、
みんなわかってることです。
ただ、金も、時間も、大事ですが、なぜ大事かと問われたときに、
「〜だから」
と応えられる何かをもっていなければ、それは、寂しい。

お金は単なる媒介物、時間は基本的にはやりたいことをやるためのもの。
やっぱりそれが、基本ではないでしょうか。
社会ではほおっておいてもその基本に厳しい制限がつきます。
だから、自らそれを狭めてしまうことまでは、しなくていいように思います。


11/14 美味いパン

パンは嫌いではありません。
特に調理パンというか、中にウィンナーだのハンバーグだのピザの具だのが入った、
パン好きからすれば邪道なもの、あれは大好きです。
サンドイッチやハンバーガーももちろんOK。

で、最近の疑問。
家の近くにも2軒ばかりそこそこいけるベーカリーがあるのですが、
そこのパンはしかし、時が経つにつれすごい勢いで美味しくなくなるのです。
もう翌日でダメ。
コンビニで買った袋入りのパンとかはそんなことないですよね。
賞味期限過ぎても割といける。

で、本来パンというものはそういうもので、
味が落ちないパンの方がおかしいのか、
それとも頑張ればなんとかなるものなのか。
なんとかする方法はやっぱり、保存剤みたいなものしかないのか。
我々素人にはわからないところです。

でも作り方、発酵させた小麦を焼いてる、というナマモノ度を考えれば、
やっぱり時間は置かない方がいいんでしょうねえ。

ミスタードーナツのドーナツなんかも次の日になると
びっくりするぐらい不味くなってますよね。
店で食べてるアレは何かと。
ちなみに店でもやっぱりできたてが美味しいので、
朝一や、人気品で回転早いのは(オールドファッションやフレンチクルーラー、
最近ではポン・デ・リング)美味いです。

ご飯もそうですね。
炊きあがって次の日、となると夏ならダメになってるものです。
してみると、主食としてああいう形で、消化よく味よく食べやすく加工してあるものは、
その加工直後に食べるのを前提として発達してきたのかもしれませんね。

もちろんすぐ食べるのが一番と思いつつも、
ついパン屋さんで調理パンを選ぶと、
目移りして多種選んでしまいがちです。
2個ぐらいしか食べられないのに。
食パンならすぐ冷凍すれば、焼き戻せばまあ悪くないのですが、
何か載ってたり挟んでたりする調理パンはそうもいきませんし。

てなことで4つ買って全部はんぶんこしてくれる相……

いや。
もう妄想はやめよう。

俺はヴァナに生きる!

妄想から逃れるには妄想が一番ですね★
いやだから調理スキルあがんなくてさー。
70超えたら地獄ですわ、地獄。

妄想から逃れる妄想から逃れて現実に立ち戻ってみました。
ものすごい悲しくなてきたよ?

でもあれもおかしなもので、甘いの得意な店は調理系がさほどでもなく、
調理系得意な店の甘いのはなんというか乱暴な甘さが多いです。
サンドイッチとか、それを作ってる人がサンドイッチ好きかどうか、
趣向がよくわかります。
サンドイッチってやっぱり主役は具なんですけど、
パン屋さんのはそうじゃなくてパンがうるさいサンドイッチが多い。
パンうるさいと、中挟んでるものが美味しくても、喧嘩になって
トータルでは今ひとつになるんです。
モノのわかったパン屋さん……というと語弊がありそうなので、
サンドイッチの好きなパン屋さん、は、サンド用のパンは控え目に押さえるんですよね。
もちろんマズイパンではそもそも成り立たないわけで、
控え目ながら美味いパンを用意する、のは並大抵のことではありません。

そこそこ大きな店なら職人さんは複数おいでだと思うのですが、
カラーって出てくるものですね。

まあ、美味いパンは美味い、ってことで(笑)


11/13 PCG-X505

エクストリーム!(挨拶)

もちろん今日はこれでしょう。

昔から吼えまくっておりました、
「高付加価値で高価格にすればB5ノートでも商売成り立つんじゃないの?」
というのをやっていただけただけで、たとえそれが自分の望む方向とは違っていても、
実に感無量です。
「さすがソニー」
の6文字を大声で叫んでしまいました。

伏木悦郎さんという自動車評論家がいます。
彼はFR信者で、ことあるごとにFRの運転の楽しさを説いて回り、
国産のコンパクトFRセダンの登場を、
10数年も古い190Eに乗りながら待ち続けて、
デビューと同時にアルテッツァを買いました。
有言実行、当たり前のようでいてなかなかできるこっちゃないです。
自動車評論家であればBMWの318のマニュアルとか、
言い訳の立つ手は他にいろいろあるわけです。
それでも言ったことを、大げさに言えば人生を賭けて守ったわけです。
エライ。
だからこそ読者に「アニキ」と呼ばれて慕われるわけです。
方向性はどうあれ、この人は本当に感じたことを言っている、と。

てなわけで、少々望む方向とはずれてますし、
あのキーボードは見ただけでちょいキツそうなんですが、
買います。
ええもう、泣き笑いながら通帳の残高チェックです。
カーボン使ってるソニスタモデルへ行きたいところですが、
光沢の筐体はs30で散々な目にあったのでたぶん店頭モデル。
もしお考えの方がおられるならご忠告、
指脂つくと実に見苦しいですよ、グロスの黒は。

いやもう、細かいこと言い出せばいかに薄さ軽さのためとはいえ
この御時世にEtherと無線LANを外に出してるのは禁じ手だろ、とか、
しょーがないとは思いつつもまた1.8インチかよゲンナリ、とか、
せっかくだったら旧505系のバッテリが使えれば資産が活かせたのに〜、とか、
(後のC1系第二世代以降もこのバッテリを使ってた)
いろいろありますわ、いろいろ。
でもね、そんな問題やないんです。
こういうモデルそのものと、そのビジネスモデルを支えないと、
日本からいや世界からサブノートという我々が愛し続けたあのジャンルの
ノートPCが無くなってしまう。

60年代の花形だった欧風オープン2シータースポーツが、
石油ショックで息の根を止められてから、
89年ユーノス・ロードスターで復活するまでどれほどの歳月を必要としたか。
人生は短い。
我々は、ここで火を消すわけにはいかないのです。
できればここでそれが成り立つことを、ユーザーの力で証明して、
「金にはならないかもしれないけど持ってないと話にならない」
という位置ぐらいには持ち込まなければならないんです。
いつも言う話で恐縮ですが、トヨタがなんぼF1を一生懸命やっても、
スポーツイメージなんてつかないんですよ。
NSXもZもRX-8もランエボもSTiも持ってないもの。
やってもないメーカーが
「いやあ、やっても金にならないから」
なんてぬかすのが実にカッコワルイ、そういう状況に持ち込みましょうよ、ええ。
そしてそれで発奮したT*やD*を作ってるところから、
とんでもないヤツがデビューしてくるのを、首を長くして待とうではありませんか。

いや、こんなもの買うぐらいだったらLet'sのR2の方がいいですよ。
コストパフォーマンスも使い勝手も絶対いい。
人に薦める時は100%あっち薦めます。

でも、そういう問題じゃ、無いんです。

ボールはこっちへ投げられました。
こんどはこちらがそれを打ち返す番です。
札束でね。
試されてます。
HiNote Ultraを買ったあの日を思い出せば安い物ではないですか。
僕最初のDUO買うのに36万出しましたよ?
ここで応えずになんのモノ好きか。

薄さとか軽さとかにお金を払うんじゃないんです。
こういうモデルは、商売のやり方まで含めて「チャレンジ」しているモデルは、
その魂を買うんです。
機能もスペックも古くなります。
でも魂は、古くはなりません。

ああ、待ち遠しい。

と、いうことで12/6までに対抗(になりうる)機種の発表が無い場合、
たぶんちゃんと買ってると思……

通帳残高が(泣)
いやだからそれを振り切るために自分でテンションを上げててですね(号泣)


11/12 ながれ・つづき

昨日は今ひとつまとまらないまま「ながれ」について書いてしまいました。
今日もまとまらないまま、つらつらと(笑)

一時期、すごくその「流れ」を意識して、
その意に沿うようなことを徹底して伸ばし、
その意に沿わないようなことをすぱっとやらない、
という生活の仕方をしてみたことがあります。

めちゃめちゃ楽で、めちゃめちゃ何もかもが上手く行く。

では、それをずっと続ければいいじゃん、と思われがちですが、
そこに落とし穴がある。
それは、「自分の望むもの」とは、必ずしも一致しないのです。
自分のやりたいこと、
自分の欲しいモノ、
自分がこうありたい姿とは。

自分の思う方向へ、たとえ上手く行かなくてもツッパリ続けるか、
自分が思っていない方向へでも、流れに乗って突き進んでいくか。
それは、本人でさえもわからない究極の選択です。

僕はどちらかというとずっと前者で生きてきたものですから、
後者のやり方で「自分の識らない流れ」にがーっと乗せられるのが、
すごく怖いんです。
澱んでるよりゃいいだろ、と言われても、
進めばいいってもんでもないだろ、と答えてみたり。

そうした我欲一切を捨て、天命命ずるままに一丁乗ってみる。
度胸と覚悟もないのですが、
その流れ、自体を信じ切れないところがあるのです。
(それも言ってみれば、大きな海という「いいところへ行きたい」という
 我欲なのですが)

あと、やっぱり欲でも意志でも情熱でもなんでもいいのですが、
軸が無いと人は生きていけないのではないか、とも思います。
流れに乗る、ということはすなわち、そうした軸すらも、
捨てるべき時には捨てねばなりません。
それは……簡単では、無いですね。

一生を賭けられると信じた仕事なら?
命投げ出しても構わないと思った愛する人なら?
自分をここまで育ててくれた暖かい家族なら?

怖いとかビビる前に、それはやっちゃいかんことではないのか、と思いますよね。
もしそれが、自分の信ずる軸との対立にあるものなら、
捨てるのもしょうがないと思いこむこともできますが、
そうではなく、ただ茫漠たる「流れ」のため、というのは……

しかし、魅力的ではあります。
それは決して消極的でも、受け身の姿勢でもない。
僕も意識してやってた時思いましたが、
生活の各所各部でものすごいエネルギーが要るのです。
常に「流れ」の方向を見極めていないといけないので。

ごく地べたーい話に落としこんでみますと、
例えばネコを可愛がる。
ヤツらにも気分も機嫌も調子も都合もあるわけです。
自らの「弄り回したい」という気持ちをぐっと堪えて、
「流れ」がくるのを待つ、つまり彼が甘えたい時に徹底的に相手する。
それを繰り返すと、ビックリするほど対応が変わってきますよ。
甘えたくなると部屋にまでやってくるようになる。
それは、とてもいい変化です。
でも、おかげで、それを維持するには、結構コストがかかる。
何気なくスタスタ歩いてるところを抱き留めて弄くりたい時も、あるわけです。
それを「我慢」しなきゃならない。
また、こっちが忙しくても相手をしろと言ってくる。
甘やかせることはないですが、あまり邪険にするわけにもいかない。

それって、流れを無視して行き当たりバッタリ、
でも一人と一匹の呼吸が偶然合った時に一緒になってゴロゴロと転がるのと、
どっちが大変なのか、よくわからないわけです。
確かに意志や意図が、行動結果に反映していると言えばそれはそうですが、
そんなことを日常全部でコスト掛けていく、
なんて、それはあまりにもあまりにも。
人間には、辛い日もしんどい日も風邪の日も二日酔いの日もあるわけです。

逆流の時のあしらい方、も非常に難しくて、
「まけるかー」
って踏ん張れば、大変かもしれないしジリジリ後退するかもしれないけど、
それで済みますよね。
でも、ぐっと身をかがめて思い切って流されてみると、
さあ、どこへ連れて行かれるかはわからない。
もしかするとガンダーラかもしれないけれど、柴島浄水場かもしれない。

それってどっちがいいの?

……と、「いいの?」とか言ってる時点で間違いなのだろう、とは思うのですが……

---

後は硬質の対応と軟質の対応、というか、
10のことをやる時に、
100の力で0.1秒でやるのと、
10の力で1秒でやるのと、
1の力で10秒かけてやるのと、
全部違うんですよね。
そしてよく言ってますが、身体性というのはバカにできず、
きっとどこかに「最適」に近い感覚を与えてくれるパワーの掛け方がある、はず。
マグカップに一杯、水道の蛇口から水を入れる。
全開にして入れる人いませんし、水道凍結を防ぐような細流にする人もいません。
でも、せっかちにドバッとこぼれんばかりのいきおいで入れる人もいれば、
狙ったとおりの分量を一発で入れんがごとく丁寧に入れる人もいる。
それは、性質もあると思うのですが、
よく見てみると、自分の性質とも合ってないことを、ただ習慣にのっとって、
あるいは蛇口の構造という外的要因によって、行っている可能性もある。
それを正す、というかより自然な姿にするだけでも、
結構いろんな効果があるような気がします。
歩き方ひとつ、椅子への腰掛け方ひとつ。
それは、何も何かの本を読んで知ることではなくて、
自分の身体に訊いてみれば、わかることなのでしょうけれども、
我々は、その訊くという能力をそもそも、失いつつある。
そのことには、随分問題があるような気がします。

こうなった時はこう反応してこう対応して、
というのを細分化特化していって完璧なマニュアルを作るのも
一つのハードなやり方で、これはもちろん効果的なんですけれども、
根元的な部分を押さえた上で、あとはテキトーに(適当に)
その場合わせで作っていく、ソフトなやり方、
これももう少し取り入れられていってもいいように思います。
知識と知恵、技術と工夫、両方必要ですから。

流れに歯向かうことにエネルギーをロスするよりも、
その流れの中でいかに上手く泳ぐかにエネルギーを使う。
繰り返しになりますが、
未来図が描けないことを除けば、悪いことではない気もします。
未来図描けても実現できなければ一緒、いやそれ以下ですしね。

乗る・乗らないは別にして、
流れを把握・認識する能力は、持ちたいものです。
なるべくそういうところの勘を磨こうとしてはいるのですが……
全然です。
これにも、ある日「あ、そうか」とわかる日が来るのでしょうか。
やはり積み重ねが、答えを引き出してくれるのでしょうか。

奥が深いものです。
だからこそ飽きずに生きていけるのでしょうけれども。

「それを得て何になる?」
「得ることが楽しいんだよ」
「辛い」
「それは得ようとするものか、得方が少しズレてるんじゃないかな」
「でも僕はこれを得たい」
「やる気あんじゃん。その調子で頑張ろ」

いくぶんごまかされてるような気もしますが。


11/11 ながれ

okbさんにいろいろ本を借りて読ませてもらいました。
20年間無敗の雀鬼・桜井章一さんのおっしゃってる事が実に含蓄深く、
勝負には「流れ」があって、
その流れを見極めて、いい時は良さを失わないように打ち、
駄目な時は耐えながらその流れを良い流れに変えていくように打つ。
途中の点のやりとりは経過であり結構どうでもいいことで、
良い流れを引きつけるために、あるいは悪い流れを断ち切るためには
振り込みすらOKである、とか。

前の政権時にユヴェントス・リッピ監督がスクデットを確信した瞬間というのが
インテルに0-1で負けた試合
だったそうで、その試合でのチームの戦い方の手応えこそが、
自信になったと。結果ではなく。

そしてその流れの存在を超えるような技術はありえなく、
雀鬼自らが「それは無い」と言い切るのもまた印象的でした。

運命論のようでありながら、しかしその運命をどう活かすか殺すかは、
自分自身に掛かっている。
運の要素が結構強くて、しかも1on1ではなく4人がフラットに戦うという特異点が
ある麻雀であるが故に、そういう本質がよく見えたのかも知れません。

結局、最終的に目指す場所を高く置いておかないと、
謙虚な気持ちで「流れ」を読み「流れ」に乗る、
そして手にしている小さな技術以上の何かをやり遂げる、
そんなことはできないように思います。
手だけでなんとかするのをいつまでもやっててはイケナイ……
ああ耳が痛い。

強さと上手さは別、だとかもそう、
自分に置き換えるなら「楽しい」のが一番であって、「上手い」のは三の次四の次
なんですけれど……
でも、そこを鍛えるのは結果も出るしわかりやすいし鍛えやすいので、
どうしてもそんなところに時間・エネルギーを割いてしまうんですよね。
そんな戒めに、雀鬼は
「土に還れ」
と言います。
ホントおっしゃるとおりで、初心忘るるべからず、
本当に大切なことは、最初にシャーペンを取ってルーズリーフに向かった
あの日と同じところにある。

……最近そこからちょっと遠ざかってるような気がしてならないのですが(泣)

その本にはすでに(95年3月初版)今をときめく古武術の甲野先生がご登場、
雀鬼のツモの動きを見て「ガーン」と衝撃を受け
「もう一度やってください!」
と頼み込むシーンが。
「『正中面』が立っている」という、実に美しく強い姿だったのだとか。

どの世界でも、極めれば見えてくる真理、
それはほとんどのところで共通しているのかもしれません。
しかしそういうものは、こうして書物言葉で語られても、
ただわかった気になるだけ。
我が身の物として使いこなすには、やはり、我が身で得るしかないのです。

そういうところを覗いてみたい、と思いました。

……あとは自分に克つ心ですなあ(泣)


11/10 おめでとう

とてもおめでたい報告を聞きました。
実にめでたい。
僕も土下座したいぐらいです(笑)

いやあ、周りが幸せになっていくのは、
こちらも幸せになります。
いいことだねえ。

これから、どんどん大変なことが巻き起こると思いますが、
二人で力を合わせて頑張ってください。
グチなら聞きますので、遠慮無く言ってください(笑)

それをわざわざ伝えに来てくれたのも嬉しかったですよ。
ありがとうございます。

---

最近こうして、人の幸せを素直に喜べるようになりました(笑)
いや、今までもヤな気分は持たなかったですが、
どこかに「ま、俺のことではないし」という醒めた気分があったのも確かです。
それが何の心境の変化か、
年を取って共感能力がヤケに高くなったからか、
ヒネてたのがもひとつヒネて真っ直ぐに見えるだけなのか、
あるいは友のことは結局自分にもある程度関係するということが
身に染みてわかってきたからか、
その全部か、
それはわからないのですが、
幸せを聞くと「ああ、そりゃよかった」とホントに思えるようになってきました。

ま、悪いことではないと思っているのですが、
難点としては悲しいことにも悲しみを必要以上に感じてしまうことで、
ダイエーが小久保を無償で出す、とかそんな話にも、
ファンでもなんでもないのに小久保選手の胸のうちや
ダイエーファンの気持ちを考えると随分悲しくなりました。
説明すればするほど感情的水掛け論になりがちな話だとは思うのですが、
でもやっぱり、ああいうのはできるだけ「本当の」言葉で説明した方が
いいように思います。

もう、そんな時代でも、無いように思うんですね。
イタリアとかスペインとか、その昔世界中を暴れ回った国ですが、
そこのサッカーチームの会長なんて結構ムチャクチャな人が多くて、
でもみんなそのムチャクチャをも楽しんでたりする。
そんなノリでもいいのではないかなあ、と思います。
レアル・マドリードをご覧なさい。
あの功労者マケレレを切り捨てる時に
「3m以上のパスを出せないあんなのを出してどうして大騒ぎされるのか
 わからない」
と言い放ったんですよ?
おかげで今季そろそろボロが出つつあるようですが。

プロ・スポーツですしね。
「共感」を売ってナンボではないでしょうか。

---

それはともかく、彼にはウチの「乱れ部屋」に来て貰ったのですが、
いやほんとすいません乱れてて。
あれでも今年の春ぐらいに比べると猛然と片づいた方なんです(泣)
こういう時には広い部屋欲しいなあ、と思いますね。
というか家……
そしていい本とか貸そうにも、ボキャが貧相で恥ずかしい思いを……
すいませんERO本棚で……
ああ(泣)
すみません、もうちょっと幅を拡げます、幅を。
あ、深度も……
いや、ハコより先に臓物ですな。
狙いとしては、小さな小さな部屋に、驚くような書物が宝石のように……
いや。
それもハコかもしれません。
そうじゃなくて、何もない部屋で本人が宝石……

あ〜。

ま、まあ、頑張ろうと思いましたよ。僕も。
そちらも、頑張ってください。


11/9 選挙

行きましたよ、ちゃんと。

小選挙区制ってでもやっぱり、「二大政党制」にはいいのかもしれないけど、
それ以外全部ぶっ潰しちゃうような気がしますね。
それを比例代表でフォローしてる、っていうんですけど、
選挙民の心持ちとしてはフツー、
比例代表はオーソドックス、個人でアタック
って感じなんじゃないでしょうか。
逆ですよね。
選挙区で死票なんて絶対イヤだから、
中選挙区ならありえた共産党候補への投票なんてする気にもなんない。
この気分で二大党の候補(特に民主の候補)は随分得をしてると思います。

だから共産党とか、まああそこはスペシャルだからまだしも、
社民党始め二大党以外のところが(あと宗教政党一つを除いて)
ぜーんぶブッ潰れちゃいますよね。

それっていいのかな。
多様性が失われませんか。
微妙な差のある二党でクルクル回すメリットデメリットと勘案して……
って、それでも、多少の枝葉には目をつぶっても、
やっぱり政権政党が変わる、というところに大きな意義があるんでしょうなあ。
政・官の間に妙な関係が生まれにくい、という一点で。

小泉政権の改革の方向はさほど悪くないとは思うけど、
歩みがあまりにも遅いと感じています。
今回の結果、政権党が維持して第二党がぐっと伸ばした、
というのもそんなようなみなさんの気分の現れではないでしょうか。
勝ちだと思わず、しかし強い気持ちでどんどん進めて貰いたいものです。
あと、何はよくなかったのか、も反省していただきながら。

とはいえ、今回はちょっと面白かったです。
気分的に、「この投票行動で政権が動くかも」と
ちょっぴりでも思えたのは初めてかもしれません。
自民が野に下った時の選挙ももちろん行ってますが、
あの時は「違う政権を選ぶ」というよりも、
「自民はダメ」という意味合いが強かったですから。
同じようで、全然違う。

あと、小選挙区は「禊ぎ」の気分が強くなるのも、小さくはない副産物かもしれません。
「ウチの区からアレを出すわけにはいかん!」
逆に、
「他から何を言われようとも、我らが先生はあの人しか居ない!」
どちらの意も、かなり反映されやすい。

そういう意味では、選挙制度による投票気分の変化には成功してると思うのですが、
それが何をもたらすか、はまだ全然わかりません。
普通システムというものは、人心を汲み上げるために構築されるものだと
思いがちですが、
システムによって変わっていく人心もあるものです。

どちらにせよ、少しでも世の中が住みやすくなってもらいたいものです。

余談。
裁判官の投票(国民審査)はいつも「しまった、もうちょい勉強しときゃよかった」とか
思うのですが、あれこそ最高裁のWebかなんかで
「この人は今期これとあれとそれを担当してこんな判決であんな判決で」
とか載せて貰えませんか……
というのは甘えすぎ?

……と思って見に行ったらあったー!
うーん。すみません、勉強不足でした。
調べてみるとそゆのをまとめたWebとかもありました。(たとえばこんな
いやあ、生活に関わることなんだから、意識高く持たなきゃダメですね。


11/8 限定酒場

「サイボーグにならんか」(挨拶)

電撃隊隊員の何がエライって、そこでイヤだと言わなかったところです。

土曜日は朝まで、珍しい、そして懐かしい面子で呑みに行きました。
いや、楽しかった。
いろんなことが聞けて、いろんなことを話して。
そして朝までカラオケ。
期せずしてというかやはりアニソン特ソンシバリ。
「いつか花は咲くだろう」
は反則ですよ(笑)
あと阿久悠先生、仕事しすぎです。

ここのところ、いろんな人といろんな形で呑みに行っているので、
とても楽しいです。
昔に比べるとお酒もとんと弱くなり、途中で朦朧としてくるのですが、
それもまた楽しからずや、ってところで。

やっぱり、似たような年齢の相手が多いのですが、
さすがにLv32近辺にもなると(笑)
そのジョブによって話題がまるで違うものです(笑)
僕は割とジョブチェンジを繰り返しているので(笑)
「おお、そのジョブはいまそうなってますか」
みたいな話を聞くのは、すごく楽しいのです。
あるいはまたパーティの話とか合成の話とかモグハウスの話とか(笑)
それもジョブによって全然違うわけですね。
金持ちもいれば、そうでないのもいる。
大きな仕事してるのもいれば、相変わらず小さな仕事を懸命にこなすのもいる。
でも、
バザーでミミズから拾った亜鉛鉱が250ギルで売れた話も、
バーミリオクロークを250万ギルで買った話も、
どちらも面白い。
そこにある喜びも悲しみも、また、苦労も楽しさも、
まあ、似たようなものですから。
大切なのは、どんなことも真摯にやることですよね。

なんか若干やせ我慢くさく聞こえるかも知れませんが、
バーミリオクロークが買えなくても、
一個250ギルのアップルパイを焼いて、それを食べて頂ける。
そして喜んで頂ける。
それは、とてもいいことです。
あるいはまたお金もなくて合成もできなくても、
NMハンターとしてみんなから
「あのモンスターはどこへ行けば倒せるの? いつ沸くの?」
と頼りにされる、それもまた実に素敵なことです。
それから先はちょいと宗教臭が漂いますが、
どれでもない人さえ、
「じゃああの人の手伝いをしよう!」
というイベント触媒ぐらいにはなるわけです。
意味のないことなんか、ない。

共通してるのはみんな楽しそうではあることで、
このあたりから50前半ぐらいまで25年ぐらいが、
一番脂の乗ってる時期なのかもしれません。
青春に対して朱夏ってところでしょうか。
……なんてことをいうと青春真っ盛り気分の方からツッコミがいろいろ入りそうですが。

てなことでどのジョブのどのクラスの呑み会も楽しく、
できるだけ呑みに行こうとは思っておりますので、
遠慮無くお誘いくだされ(笑)>ALL


11/7 ヒマツブシ

Littlestone!(挨拶)

ひまつぶし、って難しいですよね。
短い人生、「暇」なんてホントはあるはずないんですけど、
でも「暇」らしき時間は必ずできちゃって、
それで四苦八苦する。
何かを待っている時、誰かを待っている時、
何かがあるんだけど、それまで30分は動けない時。

本なども、そういう時にぴゃっと読めるものなんてそうそうあるわけではなくて、
楽しい・面白いものほどガツガツ読みたいし、
そういう風に読みたくないものなんて、どうでもいいものですし。
iアプリ等携帯のゲームとかもあるのですが、
今ここで何がかなしゅーてテトリスやらなあかんねんとか……

「もっと真面目に戦ってよ!
 遊びでやってんじゃないんだから!」
というのはFF名セリフの一つですが、FFやってても飛空艇時間待ちなどで
ヒマができます。
「あー……ヒマ」
とかみんな言ってる。
ヒマだからゲームやってるはずなのに。
で、ヒマつぶしのヒマつぶしに
「合成でもすっか」
とキノコ狩りに出かけて、キノコの沸き待ちで
「あー……ヒマ」

閑中閑有り。
そしてみなさんよくご存じの通り、忙しい時に限って次々に用事が舞い込んでくる。
忙中忙有り。
流れというのは入れ子構造になっていて、考えれば考えるほどよくわかりません。

ひょっとすると時間の流れという物は、非常に主観的な物に過ぎず、
ヒマだと思えばヒマであり、忙しいと思えば忙しい、
それだけのものかもしれません。
先ほどの例で言うなら、
パーティ待ちのヒマを潰す合成の素材狩りのヒマを潰そうとしているのですが、
視点を変えれば、
パーティを待ちながら素材を狩るという二つの物事を同時に処理してる。
ハイパースレッディング。

詭弁に過ぎない気ももりもりしますが、
極めていけばひょっとすると時間を自由に使えるようになる?
とか、甘いことを考えてしまいがちになります。
「時間を上手く使っていると思いこむ」
のではなくて、
「時間の流れの中でいい立ち位置を見つける」
という感じ。
結局、人がヒマを怖がり多種多様な暇潰し方法を考えては、
それにもの凄いコストを平気でザバザバかけ続けてきた、のは、
「自分が時間の主人でありたい」
と希うからかもしれません。

そしてそれはたぶん不可能なんですけれども。

ただ、有限の資源としての時を、
銀行口座の残高のように、数直線を切り売りするように弄くり回す、
ようなイメージでは、なんとも寂しい気もします。
たとえ「時」そのものは物理的には等質であっても、
そこに意味を持たせていくのはその人でしかなく、
結局は、「時」というものはそれでもってしか計れません。
ある一瞬のために存在する10年、というのもあるでしょうし、
その10年は、例え空白に見えてもまるでそうではない。

主人は無理でも、意志を持って流れに対することは可能で、
常には無理でも、できるだけそうありたい。

と、最近はそんなことを思っています。


11/6 つけものはバラバラ

「今問題にしているのは目の前にあるジャンボで当たった2億円を
 どう使うかであって、
 そのジャンボをどこで買ったとか番号は何番だとか、
 引き替えに行った時のみずほ銀行の対応はどうだったとか、
 そんなことは実にどうでもいいことだ」(挨拶)

我が家は女手が二枚あるという贅沢な環境であり、
母はまあ私に似て追い詰められないとやらないタイプですが、
祖母は大正娘の働き者、生活環境はとても良好です。

ひとつ、例を挙げるとするなら家庭生産保存食でしょうか。
毎日のようにぬか漬けが出てまいります。
らっきょと梅干しとショウガと千枚漬けと梅酒も自家製。
ここで
「うちの漬け物は最高や!」
なんて叫びが入ればただのちょっといい話になるのですが、
ウチのまま上はいつものごとく味のキツイものがお好みなので、
実はどれもこれもしょっからい(笑)
長じて余所でご飯いただく経験をし、店売りのお漬け物なども
よく頂くようになって初めて、
「あ、漬け物ってそんなにからくない」
とか思ってしまったほどです。
梅干しなんかも酸っぱい前に塩辛い、と思うぐらい。
でも、少々クセがあったとしても「家庭の味」というのがあるのはいいことで、
いやむしろそのクセこそが家庭の味であって、
季節や素材や当人の気分等々によってコロコロ変わる味、
しかしバックボーンにはその母上のコンセプトが
――我が家の場合は「めんどくさい」――
通っている、それがまた想い出になるのではないでしょうか。

余所で作っておられるお漬け物は、
当然のことながら非常に上手くできていて、
特に最近は化学調味料味をみんなが見破ってるという事情もあって、
美味いものが多いです。
でも、どんなに美味くても、同じ味だと飽きます。
毎日食べてると、イヤになってくる。
それは、品目を変えたところで同じです。
たいてい、同じ店(メーカー)のお漬け物は、
キュウリも菜っ葉も大根も白菜も、同じ味がするものです。

家で漬けた時に出るバラツキ……
本当は、出しちゃいけないと思われているものですけれども、
実はそれが、うまく作用している。
「今年は大根あかんねえ」
「買った時から今ひとつやったからなあ」
やっぱりよくできてるもので、当たりの年は売れ行きがめちゃめちゃいいので、
「あんなに漬けたのにもうない!」
という事態も起きたりもします。
3年ぐらい前にやたら大根が美味しい時があって、
思わず知人に持って行ったものでした。
マイまま上は自分に傲慢で他人には謙虚な人なので
そういうのを凄く嫌がるのですが、
この年ばかりは「まあそれもよかろう」と持たせてくれました。
そんな自信も持てるぐらい、美味しかった。

らっきょうなども、年によってチューニングが違うそうです。
甘さとか。
また、年を経るに従ってひねてくるわけですが、
人によっては少しひねてじゅくじゅくっぽいのを好む人もいたり、
「ちょっとまだ浅いのでは?」と思う生っぽいボリボリっとしたのを好む人が
いたり、様々だそうです。
現在3年物2年物当年物があり、
2年物をベースにしてブレンドしてるそうです(笑)

……と、いうようなエー加減なことは、
なかなか大量生産マスプロダクションモデルではやりにくい。
いや、やってはいけないことです。
でも、家族ならば、やってもいいこと、
というかそこにこそ価値がある。

こうした、「整わなさ」「生っぽさ」が持つ魅力、
大げさに言えば「生命感」とか「躍動感」とか、
あるいは「偶然」がそれそのものとして持つ魅力。
若い頃は、「ぴしっと整った」物の方が素晴らしいとシンプルに思うわけで、
それはまた真理なのですが、
逆の方にも、それはそれの魅力がある。
そういったものにも、できるだけ目を向け、気持ちを向けていくと、
より楽しくなるだろうなあ、と思う今日この頃です。

なんだかウチ自慢みたいになっちゃって恐縮ですが、
言いたいのは、そういうことです。
でも、
「君とこのおふくろの味は?」
と訊かれれば、ちょっと天井を向いて考えてから
「しょっぱい漬け物」
と答えるかも知れません。
どんな形容詞がつこうが、それは、幸せでかつ贅沢なことです。


11/5 ワイド&ズーム

ムニエル!(挨拶)

昔遠鉄にこのような名前の外人がおり、
ダイアポロンみたいなヘルメット被って打席に立ってました。
あれはヤクルト時代?
いや、ダイアポロンがアメフトをモチーフにしたのであって……

主人公はアポロン星の王子様でしたっけ?
ガッシィイイイイイイイイン!!
ゆぅふぉぅおせんし どぅわ〜いぅわっぽっろ〜〜〜〜ん!
ちょいとぐぐれば歌・子門真人、作詞作曲・山本正之。
あまりにも無敵。

ヤマトバイファムモモと名作独り占めの芦田豊雄大先生がお関わりになってて、
モモ映画版とかの折に(マミ映画版と同時上映だこれがまた)
「OUT」でそのネタでちゃかしまくってたとか
そんな甘酸っぱい青春の一頁はどうでもよろしい。

最近サボリがちですいません。
実はまた、クスリに溺れているのです。

……といってもイボのクスリ、というのがカッチョ悪いのですが。

ずーっと以前にここにも書きましたイボとの戦いはまだ続いています。
戦況は我が方に優勢で、敵軍をあと一つの砦を守るのみ、まで
追い詰めておるのですが、
この一つがセバストーボリあるいは小田原城のように難攻不落、
もうこの状態で膠着して半年以上が過ぎようとしております。

ともかく、このままではラチがあかない、いい加減に完治したい、
ということで、
今までは「ヨクイニン」内服による内部崩壊作戦をとっておりましたが、
以前使っておりました「サリチル酸」含有薬品による空爆を開始しました。
モノはニチバンの「スピール液」です。
15%含有は同種薬品の中で最も強力で、
一度蓋を開けるとその強烈な刺激臭が部屋中を染め上げるほどです。

しかし僕の特異な体質なのか、サリチル酸の薬品を使うと、
外用塗布にもかかわらず、なぜか猛烈な眠気に襲われるのです。
晩ご飯を食べた後などフッと気を抜くと寝ている、なんてことが。
それで生活のリズムぶっ壊れちゃって……
って、それはいつもか。

「イボひとつ、そんなムキにならんでも」
と思われる方も多かろうと思いますが、左手人差し指第一関節ど真ん中
(爪側ではなくてのひら側)という場所にあって、
たとえばペットボトルのフタを開けるのに、
僕はフタ側を左手でひねるクセがあって、
そのたびごとに非常に違和感があるんです。
あと、プレステパッドのL1ボタン(笑)
これが爪側(こっちを裏側っていうのかな?)だったらそんなに気にならず
のんびり構えていられたと思うのですが……
整形外科医さんなどでレーザーで焼き切るのが手っ取り早いらしいですが、
これだと芯が残ってまた再発する恐れもあるらしく、
それはヤなので、大自然のめぐみハトムギの力ヨクイニンの内服と
外側からの角質溶解のコンボで頑張っております。

こういう、「のどに刺さった小骨」みたいなものは、
身体的にもそうですし、あるいはやらなきゃならない仕事で先延ばしにしてるものなど、
精神的なものでも、結構イヤなものです。
取り除けるものは「えい!」と気合い一発取りかかればいいのですが、
こうしてどうしようもないものは、本当にどうしようもない。
例えば人工透析とか受けておられる方に比べれば、
なんぼほどしょーもないことか、と自分でも情けなくなるのですが、
でも、気になるものは気になるんだものしょうがない。

---

なべてこの世はズレというか差というか、
そういうところが気になるところであって、
絶対レベルとかそういうのはあまり問題ではないような気がします。
金持ち貧乏とかごちゃごちゃ言うんですけど、
むかーしの人に比べればどれほど恵まれた生活をしていることやら。

その差、小さな差を思いっきり針小棒大に、
人生の大問題であるかのごとくぎゃーぎゃー喚きまくるのが、
まあ言えば僕らのやっていることなのですが、
だから、こういう性質であることに情けなさやちょっとしたおかしみは感じこそすれ、
罪悪感はないのですが、
(いや、いつもどおり、こういう性質だからこそこういうことをやっているのかも、
 しれないのですが)
それでもたまに、えらーい人々の話を見たり聞いたり読んだりして、
イボ撲滅作戦に血道をあげ、ポイズン2のMP効率に頭を悩ませる自分自身と
比べては、ちょっぴり凹みます。

先日ご紹介しました宮本常一先生の御本にも、
昔の日本人が許された「藍と白」のコンビネーションの中でどれほど
知恵を絞りまくったか、というのが紹介されており、
(昔は赤とかが「禁色」として日常使うことを許されてなかったんですって)
「ああ、こういう民族なんだなあ」
と感心もするのですが、
と同時に、
「赤使えばええやん」
とも思います。
でも、そうなるとてきめん弱い。

いや、本当は弱くはなくて、例えば中村史郎率いる日産デザインチームは
今世界のトップにあると僕は確信してますし、
そういう人はいるんですけれども、
この、日本というフィールドでは、力を発揮しにくいのかも知れません。
それはよく、日本の社会の均一性が、阻害要因になっていると言われるのですが、
いや待てよ、ひょっとすると、純粋に
「好まれていないだけ」
なのかも知れない、と思う今日この頃です。
キャラフルな色彩の世界よりも、藍と白に何かを感じる感受性。

ひょっとすると、あまりに自然に色彩が豊かにある土地柄だからかもしれません。
ほおっておいても緑が繁茂しまくり、四季折々で彩りを変えていく山河……
ならば人は、浅知恵と手すさびで色形をこね回すよりも、
むしろモノトーンであったり直線に切りそろえた住宅であったり、
豊かな山河の中にこそなにもない空間である茶室を設けたり、
そういう手に出たのかもしれません。

ただの妄想ですけれども。

ズームレンズは倍率が高くなればなるほど、
明るさを失ったり歪み等々のレンズそのものの性能も
上げるのが難しくなっていきます。
単焦点の方がよりいいレンズが簡単に安く手に入る。
まして広角側はより大変で、多くのデジカメが(35mm判換算)
ワイド側35mm前後で止まっているのは、
コンパクトカメラ等々で馴染んでる画角だ、というのもあるのでしょうが、
まず造るのが難しいんですね。

でも、いくら精度が高かろうと、単焦点であるよりは、ズームが好き。
ほんの微妙な差異を感じる目や耳や手を持ちながらも、
いつも引いた広角でも見たり聞いたり感じたりもできたらいいな、
とそう思います。


11/4 盲滅法

11/2分で「盲滅法」という表現を使いました。
「めくら」という言葉は、ATOK16では変換してくれません。

ちょっとやりすぎではないでしょうか。

その選択は、書き手話し手の範疇に属することで、
当人が「ちょっと」と思う表現なら止めればいいし、
そうでないなら使うのはその人の責任のもとです。
僕はそういう障碍を持って生まれた、あるいは後に取得した経験がないので、
そういう単語を聞いただけでどう感じるのか、まるっきりわかりません。
わからないならディフェンシブにやればいいのですが、
しかしこの単語とその熟語には、リプレースが効かない言葉があります。
(広辞苑(第5版)では18の熟語と2つのことわざが載ってます)
特に「盲滅法」「盲撃ち」「盲判」の3つは、
他にキレのいい・その条件をよく現す表現が、ちょっと見あたりません。

ATOKが、ジャストシステムがどうこう、というのではなくて、
そういう風潮というか、関係も何もない人が
「え〜」
というようなあの冷笑気分、みたいなのはちょっと良くないと思うのです。
「片手落ち」なんか最も象徴的で、
そんな人のことを思い浮かべながらこの言葉使う人はいないと思うのですが、
どうでしょう。

「ではなくて、それは受け手の気分の問題だから」
というのは真理なのですが、他の当人にはどうしようもない身体特徴を現す単語、
たとえばデブ、ハゲ、チビ等々はOKなわけですよね。
そこで線引きする、っていうことは、
線を認めるってことなんじゃないですか?

言葉は生き物、時代と共に死んでしまう言葉もありますし、
無制限に表現の自由を認めろとか、
そういう主張がしたいわけではありません。
現に僕もそういう人を目の前にすれば使わないと思います。
でも、たかだか言葉一つにお互いがお互いにビクビクしあって、
自分のことでもないのに眉しかめながら指摘しあう、
それってかなり不健全な気がするんです。
そんなことばっかりやってると、
マンホールがパーソンホールになっちゃう。
看護婦さんが居なくなった日本では、まるっきり笑い事ではありません。

そこにある文脈とか気持ちとかを考えず、
字面・音面だけを取り出して良し悪しを論ずる、
そんなマニュアル志向は、結局大切な何かに対して、
盲目になっていく道だと思います。
また、その良し悪しの模範解答すら、
どこからコピペで引っ張ってきたもので、
自分で深く考えた結論でもなんでもない。

さんざんいろんなところで議論されていることだと思いますが、
「使えない」とATOKにまで言われてちょっとムッとしたので、
書いてみました。
いいか悪いかは、送り手と受け手が感じて決めることで、
あなた方小姑は関係がない。

頭というのは、使わないと悪くなるものですし、
心というものも、感じないと磨かれないと思います。


11/3 FF日誌

ストーンV!(挨拶)

実に半年ぶりの黒本格PT、51に昇格してぶっぱなせ初めてのちゅ〜V系。
MP余裕あるし敵は戦士アリだしここは一発……
でやーっ!

13ダメージ!

ヨダレだー。

……そういえば戦士を続けていく勇気を無くしたのはアースに修正が入って
核熱3連を13ダメージで締めくくった縄張りのあの日だったか……

つかレジがあるならクリティカルを寄こせ、というのは
ごくごく当たり前の要求のような気がするんですが、いかが?
最悪でも「弱点でMB」もしくは「印」ならば100%ノーレジストというのは
「おかしな現状を正常に戻せ」
という要求であって、クレクレでは無いと思いますよ。
「黒(というか精霊)をあまり強くしすぎると黒4や黒5PTが……」
っていうのは100%嘘で、
だって砂丘(コロロカ)でもクフィムでも成り立ってるじゃんあのバランスで。

クリアマインドが強化されたのはいいのですが、
おかげで以前のように大事に大事に撃ってると(戦闘時間が延びると)、
白もしくは赤(主回復手)のMPだけへっこんで、
ウチら山のようにMP残しちゃう。
だからって早めからずっぱんずっぱん撃ってるとすぐタゲ飛んでくるし……
そんな時に限って敵WSが飛んでくるわけですな。
即死。
ブリンク張っとけ?
このチェーン全盛の御時世にいつどんなタイミングでそれをやれるか
真面目に教えて貰いたいものです。
で、前半回復手伝ってるとそれのヘイトがそもそもあるから、
後半MB一本で飛んでくる。
お侍さんと相性がいいとかいうのもどうか、ってところで、
いくらMBチャンス増えるっても敵弱点属性でないと
平気でレジられて36ダメージとかわけわからん数字。
だからアリは湾曲じゃダメなんですってばー。

しかしへこんだMP待って貰うのがだいぶ緩和されただけでもまあ一歩前進。
次は燃費。
上位に行けば行くほど威力/MPを最低でも比例の関係、
できれば軽くインフレ。
前衛のWSは上位に行けば行くほどどんどんインフレなのに……
(除・お侍さん)
いつも言ってますように現状では
燃費・レジスト・ヘイトと3種類もシバリがあって、
「スマッシュの禁止されてる卓球」
ぐらいストレッシブです。
シバリは一つで充分です。(好みで言うとヘイト)
だって戦闘中の前衛のシバリはTPただ一つだもの。
タゲだって取ってホントに困るのは狩人さんぐらいだし。

あ、そうそう、リフレ赤とちゃんと組んだの初めてなのですが、
(侍獣シ詩赤黒)
かわいそうです。
リフレリフレケアルケアルリフレリフレケアルケアルプロプロプロプロプロプロコンバートー。
赤やりたい人ってあんな女王アリみたいな作業したい人じゃないと思うのですが。
あれがズーッと続くんですよね。
上述通り精霊はストレスな仕事ですが、でも、
リフレ赤さんよりはマシだと気の毒になりました。
と同時に、白の人がどうしてあんなに落ち込んでたかよくわかりました。
白の人が、本当はあれをやりたいんですよ。
PTのみんなの心と体を癒す役。
それを鎧着て長剣持って精霊ぶっ放す赤に取られては、
「私達一体何?」
と思うものです。
彼ら彼女らに欲しいものはヘキサやホーリーブレストではなくて
リフレじゃないでしょうか。
召し上げろとは言いませんがリジェネのように上位リフレを白しか使えなくするとか、
精霊弱体6種+暗黒弱体6種をより強化して赤専用にするか、
もう一度組み立て直さないとダメだと思います。

今、その「イメージ」と「現実」の乖離がどのぐらい無茶苦茶かというと、
初めての人に説明するなら

「僕、ヒーラーやりたいんだけど、白だよね?」
「赤だね」
「僕は物理アタッカーが。暗黒騎士とか?」
「シーフかな」
「盾になってみんなを守りたいね。ナイトでしょ」
「忍者って手もある」
「攻撃魔法のスペシャ」
「別のゲームをおやり」

こんな感じですからね。
まあ、最初からそう思ってする新規の方はいいのかもしれませぬが……
あとは、取得難易度から侍・忍者・竜騎士・召喚士のジラートジョブが
50や60のジョブ持ってる人間の趣味ジョブになっちゃってるのも
実にもったいない。
特に召喚獣戦が60PTでないと厳しい
(しかもまずクエスト発生条件が厳しい)
というのはあまりにもおかしい。
もういい加減レベル30制限のBC戦にしちゃってもいいと思うのですが。
やっぱり、30になったらすぐ変われるぐらいでちょうどいいと思います。
60ないとダメにするなら、明かな上位ジョブにするべきだったと思いますよ。
我々は完全に麻痺しちゃってますが、
サポ取ってジュノ行ってチョコボ乗ってレベル30に達する、
それだけでフツーのゲーム5本分ぐらい遊ばないと駄目なゲームなので、
(事実最初ナイトやりたかったのですが戦士を30まで上げた苦労を
 もっかいやるのかと思うとゲンナリして諦めました)
もうそろそろ甘くしてもいいと思います。

調理もHQに修正が入って、スキルを上げてHQ率を高めれば
(ちょっとだけ)儲かったり嬉しかったりするようになったり、
新しい装備品が個性的だったり、
サチコメの色分けは便利だったり、
全般的に良パッチだったとは思うのですが、
だからこそもっともっと大胆に行って欲しいなあ、と思う今日この頃です。

ごちゃごちゃ言いながらも黒が好きです。
では本日は次のレベルで覚える古代魔法を先取りしてお別れをば。

トルネドーーーーーーー!


11/2 高速回転

FFやってて人生の時間を捨てまくってるのですが、
ためになることもほんのちょっぴりあります。
というよりも、やっぱり楽しいところがあるから、
64日もあのどう考えてもクソゲーをやってられるわけで……

今日はお金儲けについて。

お金儲けは嗅覚ですわ。
センスあるやつはある、ないやつはない。
これはもう、しょうがない(笑)

今週、北米のサービスインで外人さんが溢れ、
アグレッシブ極まるプレイ・スタイルで三国周辺が獣人支配、
そうなると「手に入らない商品」というのが出てくるんです。
(大抵栽培とかできるのですが、中にはまるっきり存在しなくなるものも)
具体的にはウィンダス茶葉。
1個20G前後、ダースで250Gの商品です。
これを、平時は競売で(他国で買える手間賃も含め)
おおよそ500Gで売られてるわけですが……
今3000G。
買い占めておけばボロ儲けですわ。
(もちろん高レベルの人には他にもっと割のいい金儲けがありますが、
 どんなレベルからでもできる、ってことで)

しかもこれ、PC版発売の時も三国周辺が追い詰められたことがあって、
誰にでも充分予期できたことなんですよね。
しかもその時にも「茶葉は無くなるよね」という情報の蓄積もある。
でも、その情報がパッと頭に思い浮かぶかどうかは、
その人の電気回路なんですねえ。

じゃあ、こういう電気回路が無い人間はどうすればいいのか。
力尽くの労働で稼ぐわけです。
私は鉱山に籠もってます。
つるはし2D(4320G)消費が1時間強かな。
メインは鉄鉱(600G)、亜鉛鉱(400G)。
このあたりが金額にして10000G程度手に入ります。
当たりは金(11000G)や黒鉄鉱(8500G)が複数出る場合で、
そうなると1回の鉱山労働(移動・採掘・倉庫弄りで1時間半ぐらい)
で20000とか25000とか儲かります。
日に1度でも一週間続ければ10万ぐらいは簡単に貯まる。

ただし。
ここで問題は、鉱石は競売スロット(1人7つしか持てない)を占有し、
捌くのに時間がかかる点です。
在庫抱えすぎると、物理的に空きスロット足りなくなって
鉱山に行けなくなっちゃう。

となると、ポイントは、
「どれだけ早く商品を回すか」
「在庫を持たないか」
になるわけです。
競売に出す時は履歴最低価格のさらに下を行く「いきおいで」値段をつける。
とにかく数十G数百Gの損得を考える前に、
「スロットを空けて次の商品を用意する」
という作戦で行くわけですね。

バザーでも、例えば鉄鉱を20G安い580Gにしておきますと、
びっくりするぐらい売れます。
職人さん、お金儲けのできる人、っていうのは
実に目ざといんですよそういうところ。

しかしまた、「ためにする」価格破壊は意味がありません。
鉄鉱は600G安定なのですが、
これはそれを使う職人さんが「鉄600なら買おう」と思ってくれてて、
堀る方も「鉄600なら満足だ」と思ってるから成り立つ、
市場の需給の利益が一致した安定価格なんです。
これだと回転も早い。
供給側に「あの商品は金になる」という意識があるし、
需要側も「あの商品は安定して供給される」という意識が生まれる。

たまにこの市場と関係無い人や新規参入者が
少しでも早く売りたいがために価格破壊を試みます。
使う方も黙って600で買えばいいものを
(むしろ600以外の数字は高くも低くも入れなければいいのですが)
こちらも新規の方や一つだけ欲しい人が少しでも安く、
と500とかで落としちゃう。
すると、価格が荒れるんです。
供給側弱含みになって、500みたいな数字にすべきか
在庫して価格回復待った方がいいか迷うし、
需要側も500を狙うようになって買いが鈍る。
市場の動きが鈍ると、需給ともに困る。

「経済はなにより回転だ」
というのは実に古臭い理論ですが、
古臭いだけにド基本でもあります。
「稼ぐに追いつく貧乏無し」
という格言がありますが、
これは「黙って働け」という農本的思想というよりはむしろ、
こうした「とにかくみんなで回そう」という、
商品経済・貨幣経済勃興期に人々が肌で感じた実感なのではないでしょうか。

と、同時にデフレスパイラルの怖さを、
日常生活よりも実感できるわけです(笑)
たしかに実態の無さすぎるバブルは非常に不健全ですが、
みんなでしみったれて1G10Gをすするように拾い集めるのも、
「金への執着」
という意味ではまるっきり同じで、実に不健康です。
やっぱり、お金は血液。
ある程度回らないとダメ。

その回し方に、バブルの時は、
土地を無制限に担保化して行ったりとか、
株主や社員に嘘をついたりとか、
金が金を生むという実に愚かしい所業に必要以上にのめりこんだりとか、
あるいは環境や健康や倫理など、
後で払うとものすごく高くつくものをタダだと思いこんで
めちゃめちゃに使いこんだりとか、
あまりにも無茶をしたのでその後遺症で悩んでるわけですが、
でも、一度学んだのですから、
やっていいこととやっちゃいけないことのボーダーはある程度
はっきりしてるのではないでしょうか。
その上で、やれることはガンガンやっていった方がいいと思います。
ただそれは、高速道路造ることではない。
そこはもう「昔と違って」「回らない市場」なんです。
一方通行の。使い捨ての。
それでは意味がないわけですね。

---

そして一つ、「高速回転」を軸に置くと、それに応じて最適化が始まるわけです。
売れ行きのいい鉱物は何か。
競売で出品数を見ての値付けのコツ。
バザーは違うもの置くのは我慢して鉱物だけ、いつも同じ場所で……
と、進めると、よりくるくる回りだします。
「このくらいの期間あればこのぐらいの資金は手に入る」
という実感は非常に安心感あるもので(笑)
これを「軌道に乗る」というのでしょうね。

キッカケさえポイと掴めてしまえば、
後はなんとかなるのは、なんでもそうですねえ。
商売も、フツーにやるなら、こういう感じのようです。
盲滅法博打とか一発とか狙わず、
まず地歩固めて、着々と貯まる資金を稼ぐ。
(これが一番大変)
その視点から見てみると、
また違ったものが見えてくるものです。

いや、勉強になります。

え? 私?
現実と同じように小銭貯まったらすぐ使っちゃうので、
大儲けはできない体質です(泣)
家なんかどうやって建てるんだ(泣)

しかし、それではいけないと、
一度100万ぐらい貯めてみようかと思う次第です。

いやもちろん、円ではなくギルですが。


11/1 HERO人&きっしー結婚式

「きちゃないアンビシャスやなあ!」(挨拶)

てなわけでHERO人さんの結婚式行ってきました。
最高でした。
もちろん主役のお二人のカッチョヨサウツクシサは言うに及ばずですが、
(ここはお世辞抜きで)
いつも思うのですが結婚式というのは新郎新婦の人となりが出ます。
S上博士のほんわり式もよかったし、
鉄っちゃんのみんなゲラゲラ笑ってる宴会もよかった。
でも、今回のいつもの出来のいい悪友達に囲まれた宴も、
めちゃめちゃ楽しかったです。

ていうか皆さん芸達者過ぎ。
M澤先輩曰く「類友やなあ」。
新郎新婦高校大学職場、どの連中の「芸」も個性的で面白い。
そもそも新郎新婦からして自分達のプロフィールや今までの写真や出会いや
仕事や新居やの情報を小冊子にして大発行。
これは実に良い試みでした。また良くできてたし。
そして出し物では新郎出演のビデオ。
映像音楽センスディレクションそして新郎の芝居、どれも最高。
いや、余興いろいろ見てきましたが、出色の出来でした。
その後をハンドベルで締める構成も非常に良。
また演奏も良。
友人らしき司会の人もとてもとても良かった(笑)
宴そのものが、エンターテイメントとして成り立ってました。
3時間式って普通長くて疲れるものですが、
息つく暇無かったもの。

あたくし?
トップバッタースピーチいつもどおり拙くこなし、満場の生笑いを取って参りました。
すみません(泣)

男前はスピーチ難しいのよ。
かといってシデカシメンだとそれはそれで言っていいことと悪いことの
ボーダーが難しいし……
ま、こーゆーの頼まれるの友人ではあと4件ぐらい……
いや、6、7件はあるか……
がんばろ(泣)

あたしのことはともかく、楽しませて頂きました。
皆様そして新郎新婦、どうもありがとうございました。

あ、冒頭の挨拶はいつものアホ連で着替え室占領して、
黒い礼服のまま集合写真を撮っての一言です。
JRの新幹線のCM「び〜やんびしゃ〜す」。
……いつまでもTOKIO気分、というのが実にやるせないですな。
つーかワシらの世代はTOKIOゆーたらジュリーや。

すいません空飛んできます。

---

2次会で呑んで3次会はお茶で、
4次会はマイ家にてO24っちゃんと氷結呑んだり。

家か……
そんなのリカちゃんのでも買えない。

大黒柱とゆっくり呑んだのは久しぶりだったので面白かったです。
日本の宇宙開発の現在とか。
それと嬉しかったのは
「ながっちゃんのはティーンエイジ向けやろ。
 だって俺ティーンエイジの頃読んで面白かったもん」
というお言葉かな(笑)

その頃の方が面白いという噂もある(泣)

技術や知識は蓄積されていきますが、
ハートは磨かなければ曇っていきます。
我々のやってることで一番の敵は、ここではないでしょうか。
プロスポーツ選手の体力の限界のように、
何かに感動するこころや何かを喜ぶこころ、
その逆、何かに対する怒りや悲しみや苦しみ……
を、忘れてゆきすぎるのが、問題です。

久しぶりに同級生勢揃いして、そんな若き日の気持ちを
ほんのちょっぴり思い出しました。
友というのは、ありがたいものです。

---

この週は、いろんなことがいろいろと起きて、
実にめまぐるしかったです。
身体はへとんへとんになりましたが、
なんだか一枚、切り替わったような気分です。

素晴らしき新郎新婦に負けないように、
僕もがんばるぞ〜。

……と、言う気持ちにさせる素敵な二人でした。
さち・おお・かれ。




以前のほえなが
03年 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
02年 12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
01年 12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
00年 12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月後 6月前 5月後 5月前 4月後 4月前 3月後 3月前 2月後 2月前 1月後 1月前
99年 12月後 12月前 11月後 11月前 10月後 10月前 9月後 9月前 8月後 8月前 7月後 7月前 6月後 6月前 5月後 5月前 4月後 4月前 3月後 3月前 2月後 2月前 1月

「吼える!ながたさん」インデックス
2003年 2002年 2001年 2000年 1999年

<-Index