吼える! ながたさん!

おもいつくままに、随想随筆。

12/31 今年一年

毎年、大晦日には一年振り返って5点満点で評価してみるのを
習慣にしています。

今年は、酷い年でした。

初めて1点あたりをつけようかと思い詰めておりました。
12月の頭まではね。

しかし……なんといいましょうか、
嵐というのは突然過ぎ去るもので、
過ぎ去ってしまえば「なんだったんだろう」と思うものだったりもして、
12月10日前後に突如元気を取り戻し、現在に至ります。
そういう目で見直せば、今年は何といっても
「テネレッツァ」と「Routes」が出た年でありまして(まだ今年だ!(笑))
悪い年であるはずがない。
あーたアレですよ、(移植抜きにして)コンシュマーとエロゲーと
両方やれてる幸せなライターなんて、そうは居ないわよ?
えっへん。

また家族の者、近しい友人、また本人にも大病大怪我不幸等々取り立てて無く、
どころか結婚・婚約ラッシュで祝儀貧乏に追い込まれる嬉しい悲鳴。
FFでさえ、「そんなのあり得ない」と思っていた60を達成しフルAFです(笑)
「4点ぐらいやってもいい、いい年だったんじゃ?」
なんて思ってみたりもします。

実に「気は持ちよう」そのものです。
起きた事実は何一つ変わらないのに、
全てをマイナスに考えれば人生で屈指の駄目年になり、
全てをプラスに考えればまあまあ悪くない、いやむしろいい方の年になる。

年の最後に、それを痛感しました。

仏教は。
なんだか「諦める」ことが全てのベースにあるような気がして、
あまり好きではなかったのです。
最右翼は親鸞大先生の「諦められないことも諦めるんや!」でしょうか。
そりゃまあ、そんな生き方ができれば、いつでもどこでも幸せです。

でも、人にはそれはできない。

少なくとも僕には(笑)
しかし、年末に「空海の風景」などを読んで見直してみるに、
自分の仏様に対する認識の浅薄さと一面性にほとほと恥ずかしくなりました。
問題は、「それはそれとして、ではどうするか」というところでして、
だからこそ各師匠達は人生を賭してその、
「どうするか」を考え悩み閃き、そして実践してきたのです。

それはおそらく、世界中の信仰全てが、そんな気がします。
ベースになる世界の捉え方には差があるにしろ、
生きていく以上は、いや、生きていくということは、
「じゃ、どうしようか」というところを考え続けることだ、
と教えているように思います。

そしてそこを考えていれば、生きることは面白くもなるし、楽しくもなるし、
そしてそうなれば、自分ではないものにも、優しくも暖かくもなれると思います。

12月一杯、「伝えられないもどかしい」と嘆いてましたが、
それももう、そのこと自体を伝えるよりも、
得た気持ちで何かを書いていくのが自分のやることだろう、
と思っています。
ガンバラネバ。

そんなぷち悟りを開いたということもあって、今年は、
4点。

来年はフルマーク目指して、がんばります。
みなさまにも、よいお年が訪れますことを。

12/30 コミックマーケット65

コミックマーケット65終了。
訪れてくださった皆様、お買いあげくださった皆様、
本当にありがとうございました。
今回は割とフラフラしていたので、せっかく来てくださったのに
お会いできなかった方もいたりして、申し訳ありませんでした。

有料販売部数 50。
可憐34 街道8 ドラちゃん8です。

少し、熱気が戻ってるような気がしましたが、
参加された方いかがでした?
東3でしたが、人波多く、企業ブース見に行こうとしたら2時半でも結構大変でした。
下げ止まった感じなのかな?
本はお店で買えるようになっても、お祭りってのはそーゆーもんじゃないですからね。
むしろ本を買うのはおまけになっていくのかな。
に、するには脇固めるイベントが少ない気もしますが、
そこは企業ブースやコスプレ広場がある程度カヴァーするのかな。

とりあえず、今回も楽しめました。
次回も受かれば、出ます。

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その他、旅の雑感。

今回は気楽に行こう、ということで、行き帰りのぞみのホテル住まい。
宿は#時代によく使った「三井ガーデンホテル蒲田」です。
部屋が綺麗で少し広め、値段も6800円と安い。
ただ、蒲田のややこしいところのど真ん中に建ってますので、
駅からホテルに行くまでのわずか何百メートルかで袖を何度も引かれます。
あと壁が薄いのかサッシが今ひとつなのか、
朝っぱらから下界の騒ぎが聞こえてきちゃうのもマイナス点かな。
昔は東京駅から遠い、というのも弱点だったのですが、
品川駅ができて、そこから3駅というのは逆にメリットになることも多いかも。
大崎もしくは大井町で乗り換えれば臨海線で国際展示場(ビッグサイト)まですぐ、
とコミケの便もいいです。

品川開業は「ふーん」って感じで聞いてましたが、
使ってみると便利になる部分も多そうです。
実際、今回は一度も東京駅に寄らずに過ごしました。
東京に行って東京駅に寄らなかったのは初めてじゃないかな?
帰りの打ち上げは臨海線そのまま埼京線で渋谷まで。
渋谷から品川まで引き返して、そこからのぞみで帰りました。

多くの便が「のぞみ」になって、有無を言わさず指定を取らされるのは
実質値上げみたいなもの。
僕は「うるさい子供」にすごく弱いので、自由席が好きだったのもあって、
(行楽家族は指定の割合が多い)
ちょっと残念に思っていたのですが、
使ってみるとやっぱり、3時間と2時間半の差は大きい。
慌てて変な「ひだま」みたいなのに乗って岐阜羽島とかああいう
岐阜の人間も名古屋の人間も使わない駅に止まったりしない分、
いいかもしれません。
行きで言うと名古屋ついた時に
「あーまだ3分の1かー!?」と思うのと、
「あ、もうちょっとで折り返しか」と思うのではまるっきり気分が違います。
待ち時間とか考えるとアーバン使って名古屋行くぐらいのノリで、
瞬く間に東京に着いてしまいました。

うーん。
世の中、便利になっていきますねえ。

行き、僕ももう、相当回数新幹線乗ってますが、
初めて、というぐらい、
富士山がくっきりはっきり、巨大に見えました。
うろ覚えですがあの山は、単独で隆起している火山としては
世界一高いらしいですね。
確かにあの山のカッコヨサの一因は、
「周りに比類無し」
というところにもあると思います。
突然現れる巨大な存在。
孤高と言うには大胆すぎる存在感で、
見る者にいやがおうにも、自然における自分のサイズを意識させます。
その意識が謙虚な気持ちに結びついて、
あの山に畏敬や尊敬の念を抱かせるのかも知れません。
あんな土の塊みたところでどーってことないのに、
富士山を見ると老若男女誰もが嬉しそうなのは、
そんな子供みたいな素直な気持ちに戻れるから、なのかも。

昨日分にも書きましたがまた友人にぐるぐる東京中をドライブしてもらい、
かるーくアンミラでお茶したあと吉祥寺のお店で晩ご飯。
翌日終了後の晩ご飯もいい店連れて行ってもらって、
おもろい人々と馬鹿話を大声で笑いあって、
ほんと楽しい旅でした。

若い頃の旅は、「無理をする」こと自体が目的化してる
「旅のための旅」という面もあるものです。
またそれが修業でもあり、少しマゾ的な喜びでもあるのですが、
今回はちょっと意識してサボれるところはサボる方向で行きました。
移動はさっさと。メシはいいとこいいもの。ホテルではだらけっぱ。
だからちょっと効率は悪いしお金もきっちりかかってますけど、
美味しいところどりで楽しかったです。
もう歳も歳だし(笑)こんな感じでわはは〜と行く旅もいいですね。
「も」というか「が」かな(笑)
2月の北海道もこのノリで行こう。

なんでもそうですが、
「楽しみ方」も自分で見つけていかないと駄目ですね。
僕にはこういう、「いーかげん」旅がとても向いてるようです。
ストイックなヤツも駄目だし、恥は掻き捨て式も馴染めないし。
あの、「ゆかたを着る」という行為ができないんです。
だってどう考えたって普段と同じTシャツトランクスが、
一番リラックスできるじゃないですか。
旅館の場合はそのカッコで座敷でご飯をいただいたりするので
実用性もわからなくはないですが、
なんでホテルにあれがあるんでしょう……
バスローブの直訳だとするなら、バスローブ着る習慣ある日本人なんて
ほとんど居ませんって。
よっぽどユニクロのスエットとか置いた方がいいんじゃないかな。

それはともあれ、
「せっかくだから楽しみ尽くさないと!」
というのは、それが強迫観念になって視野狭めたり疲れたりもします。
旅の持つ「非日常性」を好まれる方も多いですが、
僕はどちらかというと、日常の素の目のまま、
日常にはあり得ない風景や人々を見るのが好きなようです。
鞄もいつもの、服もいつもの、寝るのもいつもどおり、
ロクにカメラも持たずメモも取らずガイドも読まず、
ただブラブラしてるだけ。
そういう楽しみ方が、一番あっているようでした。

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集中し緊張して初めて見れる微細なものもあれば、
リラックスし背伸びをしてみて初めて目に入る空気みたいなものもある。
アクセルは踏みやすいものなのでいいとして、
スロースピードの方を上手く使えるようになると、
愕然と幅が拡がるような、そんな気がしました。
結局「緩急」なんですけど、
「急」がスペシャルで「緩」は標準状態もしくはノーメンテナンス、
では実はなくて、
電動お年寄りカーのスロットルのようにアクセルブレーキ一体型、
スロットルを緩める=ブレーキ、
みたいな意識をもって、
注意深く慎重にアクセルを戻していって、
スピードコントロールを自分の手で行う……
のが、より望ましいですね、と。
アクセルだけだと、いつ吹かしていいのやら、
吹かしたのはいいけど戻して忘れてるからスピード落ちてるのに吹かしてる
つもりになってる、とか、
いろいろ足りないようです。
ブレーキ、というとイメージ悪いのですが、
皇帝ミハエル・シューマッハーは次のアクセルを早く開けるために、
というよりもアクセルをある程度開けたままで、
ブレーキを踏む、というテクニックを多用するそうです。
(テレメタリーの記録が載ってました)
このようにアクセルのためのブレーキ、もあるわけで、
ひとつだけ上の視点から見れば、
「スピードコントロール装置」としては同列。
上手く使いこなしたいものです。

「ここは手抜いて楽しとこ」というのは実に高度な判断で、
それができること自体が好調の証だ、と言えなくもないですが。

呑みすぎで逆に4時に目が覚めてしまったので、
シャネルの5番に着替えてそんな変なことを考えていました。
生まれてこの方ほとんど実家住まいの人間なもので、
「ほんとうにひとり」
という環境はこんな時ぐらいなものです。
「冷暖房完備の草庵みたいなのを山奥に一つ欲しい」
と罰当たりなことも、思ってみたりしました。
そこでなぜ「ひとり暮らし」という選択肢が出てこないのかというところに、
楽できるところは楽したいというスケベ心が見え隠れしてヤラシイですな。
年の瀬なのに(笑)
まあでも、「それもまたいいじゃん」と思います。
素直な気持ちでまいりましょう。

12/29 東京

宿を蒲田に取ったので、新幹線を品川で降りてみることにした。
降りてエスカレーターを上がると、壁面一杯の巨大な字で
「東京行き」
と描かれてあり、その左横にやや小さく
「ホームに売店はありません」
そしてその右横には「売店はこちら」と描かれてある。

それを見た瞬間、「これはヤバイ」とアラームが鳴った。

めちゃめちゃわかりやすい。

上がってまっすぐ、改札を出て突き当たりを右折すると、
旧来の在来線JR品川駅。
そのままホームに降りられる設計。
新幹線駅によくある、
「どっちがJR接続改札でどっちが外へ出る改札かよくわからない」
という事態が避けられている。
突き当たりには券売機が並ぶのだが、その上の壁にも
これでもかというほど巨大に
「きっぷうりば!」(感嘆符は筆者)
と描かれており、ここで切符を買わなければ末代まで祟られそうな勢いである。
その上には駅構外にカフェがあるらしく、中二階的な位置から
いくらかの旅客が出立までの時間を潰していた。

使いやすい。

私は東京……といっても小平という外れになるが……に
半年ばかり暮らしたことがある。
時小学6年生、今から20年も前になるが、
その頃の東京のイメージというと(幼心にて粗雑であるのはご勘弁いただくとして)
「圧倒的な物量で押している」
というものであった。
確かに規模サイズは別格であったが、取り立てて騒ぐほどのものは何もなく、
要するに人手を集めればそれはこうなるだろう
という想像通りの世界がそこに拡がっており、特別な感興は覚えなかった。
と、いう現実を(少なくとも自分なりには)感じていたがために、
6年後大学受験の折り、平生はまるで世に対する斜構えをスタイルとして
見せてた連中が、
「東京」
という単語を聞いた途端頬を赤く染め夢見がちな瞳になるのには実に閉口した。

ワカモノなどというのは本当にバカモノで、中身など何もない。
無論気骨あるものも一物持つものも居るが、彼らとて同じこと、
そのなにがしかを何とかするための「手」を未だ何も持ってはいない。
つまるところ空っぽの器みたいなもので、
その空っぽの器がどう行動するか、
それは社会いや大人の鏡写しにすぎないのである。
若者が電車の中で携帯を使うマナーを問う前に、
オッサンが喫茶店でデカイ声を張り上げて携帯を使ってる事実を
なんとかするべきであろう。

それは余談。
しかし、さらに4年が経ち就職してみて仕事の都合上毎月のように
東京に出張すると、幾分風景に変化が見られた。
子供心に醤油色の駅うどんを食べて
「ああやっぱり東国は駄目だ、こんなもの上方では牛も喰わない」
と嘆いたあの日はどこへやら、
昼食を取っても仕事の疲れを呑みで晴らしても、
もうまったく大丈夫なお店ばかりになっていた。

バブルは深刻な痕を今も残しているが、
深刻な事態であったが故にインパクト自体も大きく、
良なるなにがしかが残っていないわけでもない。
その一つが
「私達は一度世界一金持ちになった」
という自信と余裕で、この感覚を味わえている国民は実に少ない。
しかもイタリアや中国と違ってリアルタイムで経験できたのは
我々と、あとはアメリカだけであろう。

余裕は文化に最も大切な一要素である。
当たり前で、逆から余裕そのものが文化といってもよい。
世界一金の唸っていた東京にはありとあらゆる
世界一の文物情報サーヴィスが集結し、
結果として全体のレヴェルを猛烈に引き上げた。

あれからさらに10年近くの時が経つ。
今や、バブル期に見られた
「カッコイイけどカッコイイだけ」
という軽薄なものまでもが時代の彼方に去ろうとしており、
堂々たる楷書体で
「ホームに売店はありません」
と大書するユーザーインターフェイス・センスの持ち主が、
こう言っては失礼ながらJRのような泥臭い職場に居るのである。
(設計実作はJRでないにしても、GOを出す/要求を出すのはJR)
しかもセンスよくバランスよく小綺麗にまとめてあり、
実用一点張りの芋っぽさはそこにはない。
むしろ漢字の心地よさと「サーブされてる」という気持ちよささえ覚えさせる……
というとさすがに言い過ぎだろうか。

装飾性と実用性を高いレベルで両立するには非常な努力とセンスが
必要であり、もうその域に達している人々が、
この都市にはゴロゴロいるのだ。

はっきり言うが、大阪で同じこと、例えば新・新大阪駅を作るとして、
同じことはまずできない。
ホームに降りて売店が無いことに気づいた客からのクレームが殺到して
駅員が手書きのA4コピー用紙を目につく柱にでも
セロテープで巻き付けるのが関の山である。
品川駅のインフォメーションと同じことをできる、
人材もネットワークもアイデアもセンスも、そして何より、金もない。
もう言うまでもないことだが名古屋でも福岡でも仙台でも札幌でも不可能である。

品川駅開業前の凄まじいまでのビル建築ラッシュは記憶に新しい。
あの中のわずか2本ばかりが建つという程度のことで、
名古屋中が七日七晩しゃちほこ祭りを開催する大騒ぎになったのだ。
そしてできあがったその足元の百貨店の「ワールド」リカーコーナーには、
久保田が千寿までしか置いてない。

物量だけの違いだったはずなのに、
時間と社会情勢の移り変わりは、質的変容をもたらしていた。
しかし考えてみれば量質転換が物理法則として当然であると同時に、
人材が上から順に東京に集まり、
あるいは外へ行ったのも帰ってくれば東京に留まり、
また数多くの外国人が東京に入ってくるのであるから、
あったりまえといえばこれ以上あたりまえのことはない。
むしろ他都市との差はまだ小さいと言えなくもなく、
そう考えると大阪を含めた上述地方都市達の涙ぐましい努力が痛感せしめられ、
ああ日本人はまだまだ勤勉だ、と泣きたくなるような気分になる。

その努力があまりに虚しいものであればあるほど、
努力というのは人の涙を誘うものである。

職業がカイワレ農家であれば、別段ショックは受けなかったと思う。
だがこういう仕事をしている以上、事は割合に深刻である。

街から受けるインスパイア、というのは甚だ大きい。
その街のレベルが高ければ、入力される情報の質と量が違うのだ。
それが軽薄にどこかからコピペで引っ張ってきたものなら
唾棄してればすむのだが、
そしてほんの少し前まではそういうものがほとんどであったはずなのに、
充分に人の手とエネルギーがかかっている「作品」であるならば話は別である。
そういう機会は、多いに越したことはない。

臆病者とそしられることを承知で言うに、
おそれとしてはなにより、
一生懸命考えて神様まで降りてきてもらって作り上げたなにがしかが、
「あ、それはもうあるよ」
なものであったりする危険性である。
学会に所属しない研究者の気分にも近しいであろうか。
「あ、それは○○の××先生がよく知ってらっしゃるよ」。
そこに膨大なエネルギーを費やさなくとも、
たった街の風景一つで「あ」と思えるかもしれない。
その時間を他に振り当てれば、もっといいものにできるかもしれない。

この傲岸不遜な私に、そんな焦りに似た感情さえチラリと沸いた。

大唐帝国の長安といえば当時世界一の国際都市大都会であり、
文人達はみな長安の美しさを詠み、
地方へ派遣となるや別れをまるで肉親のように嘆き、
赴任しては長安が恋しいと謳い続けた。
きらびやかな生活だけではなく、
そこで手に入る人々との交流や以上のような多種多彩な情報、
言い換えれば刺激、
これを失うのが悲しい、いや、芸術家芸人先端技術者科学者としてはむしろ、
怖い、のである。

人間生活には人間が人間である以上変わらない、普遍的な部分がある。
とともに、その時代その場所でしか味わえない、装飾的部分がある。
どちらに優劣をつけ軸足を片方にしすぎるのも過ちではないだろうか。
アコースティックといっても結局はどこかまでタイムマシンを巻き戻してるにすぎず、
じゃあそんなに普遍がよいというのならルソー説くがごとく
竪穴住居で鹿を追う他はない。
理想としては竪穴住居で鹿も追い、
また東京で流行りの料理店で創作料理に舌鼓を打ちつつ
スペインのお酒をいただくことであろう。
双方ともに最北を常に意識できる生活……たとえば一月のうち
一週間東京でホテル暮らし、
一週間どこか田舎で原始生活、
一週間日本中をふらついて、
一週間実家で母と祖母とネコの相手……
などとまるで子供のように妄想してみたりした。

それは極端に理想的にすぎるとしても、
ひとつ、肝に銘じておかなければならない点は、
大阪に居る以上、「中途半端な都会生活を営んでいる」という事実である。
新しいと思ったことが東京ではすでに手垢にまみれてる可能性がものすごくあり、
また逆に東京の方で道の識者が「これは!」と思っている
ムーブメントの萌芽みたいなものに、
まるっきり気づかないまま事が大きくなって対応しきれない可能性もすごくある。

#もちろん、先端であるが故に糞どうでもよい些末事が
#肥大化しやすいという弱点もある。
#古今東西の巨大都市に共通することとはいえ、
#昨今のヒステリーマニアックスな風潮と、日本人の極端さもあわせて、
#東京に居ることの最大のリスクは、これ。

ネットのおかげで単純な情報の量と質の差は、
日本にいる限りほとんどない。
しかし、そうなってしまったが故に、ネットではわからない情報、
肌で知る空気で感じる情報というかインプット、
それがますます大切になってきている。
東京寄り、先端寄りはもちろんだが、
田舎寄り、普遍寄りも、忘れるわけにはいかない。
来年は、できるだけそういうものを手にするべく、
出不精な身体に鞭打って歩かなければならない、
と、こころを無理矢理奮い立たせていた。

二回の夕食で、吉祥寺のイタリア料理と、渋谷の創作居酒屋に
連れて行ってもらった。
もはや何のエクスキューズも必要なく、美味くて、リーズナブルだった。
いや、京橋や八尾の駅前に同クラスを探せと言われれば
諸手を挙げて「できません」と答えるしかないいい店であった。

奮い立たねばならないのは、僕だけではあるまい。
大きなハンディキャップがある。
それを逆手に取って個性にするぐらいのあつかましさがなければ、
田舎ではやっていけない。

12/28 日記

明日明後日は東京へ。
コミックマーケット(ビッグサイト)です。
サークル参加は30日(火)、東・コ-03a。
出品はいさぎよく「Miracles! #9」(可憐)だけです。
お暇がありましたら、どうぞ遊びに来てください。

(追記)
ごめん嘘、「街道」とドラちゃんもほんのちょっとずつですが持って行きます。

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FF。
ようやく。
年の暮れ押し迫った今ナウこの時期ようやくにして、
60の大台に乗りました(泣)
前日にLSで黒AF3もやっていただき、AFもフルセット揃いました。
やっぱりあの帽子があるのとないのとで黒魔らしさが全然違います。

_▲_ ←こんな帽子。

カンムリョー。

フルセットでたたずんでみて泣けてきたのは秘密です。
連邦コート(50)の時ほど「嬉しい」という感じではなくて、
「ああ、ついにここまで」という妙な感傷でした。

年内に達成できてよかった。
あとは闇王ぐらいかな。
闇王は、お正月のおたのしみにでもとっておきます。

来年はもう少しのんびり行きたいと思います(泣)
あのゲーム長時間同じ姿勢で光り輝く画面を見つめ続けるので、
身体に悪いんです(泣)

そうですね、来年中に
・調理師範
・釣り名取
・白38基本+ヨトルテテレポ
・赤32ディスペラー
えとそれから……

というより、来年は違うゲームも遊びたいです(泣)
2002/2003はたぶん今までの人生で
一番ゲームした時間の長い年なんですけど、
一番タイトル数の少ない年だろうと思います。
これではいかん。

とりあえず、胸のつかえはすっきり大掃除。
これも、今年中に決着がついてよかったよかった。

---

今回のお掃除では、模様替えもしなければ、
春にやった時のように大量に捨てたりもしませんでした。
代わり映えのしない部屋が、いつものようにあるだけです。
でも、磨いてみると、やっぱり、どこかスッキリしています。

昔っからお世話になってる近所の写真屋さんがあります。
証明写真は小さな頃からずっとそこで撮ってて、
思えば中学の学生証の写真から、大学の学生証の写真から、
最初の免許を取りに行った時の写真から、
最初の会社の書類用の写真から……
ある時、撮ってくれた後でオヤジさん曰く、
「昨日、頭洗った?」
唐突な質問に面食らいながらもそうです、と応えると、
「頭を洗ってると、髪の毛が1本1本綺麗に写るのよ」
とか。
その辺のこまかーい機微は、長年大量に写真を撮ってこなければ
わからないのかもしれませんが、
それにしても、人間にはそんな微細なものを捉えるセンサーが、
備わっているようです。

丁寧に(大胆に、とは必ずしも相反しない)
物事に対応すれば、通じる部分はちゃんと通じる。
とりたてて説明しなくても訴えなくても。
(もちろんしてもいいんですが)
そして、丁寧にしっかりやろうとすると、
やり方が基本に忠実に、そしてシンプルになって、
より結果がよくなるようにも思います。

変哲もないけど、目心地がいい。
そんなものを描いてみたり、そんな人になってみたり、
したいなあ、と、
なんとなーくすっきりした部屋で思いました。

また来年の今頃は、たくさん得たものを、
あるべきところにあるように整頓して、
「やっとすっきりしましたよ」
なんて言いたいものです。
来年も来てないのにその暮れを思ったりするのも、
鬼に笑われそうですが。

---

さて。
宿の予約もしたし、
(「旅の窓口」って便利ですねえ。Amazon、Mapionと並んで3大便利サイト)
明日は秋葉原の空気を吸って酔っぱらって明後日に備えます。

では!

12/27 メラミンフォーーーーム(CV:玄田哲章)

大掃除で大活躍するのは釘抜きだけではありませぬ。
例の洗剤の要らない白いスポンジ……メラミンフォームというらしいのですが、
ヤツが大活躍です。
水だけでありとあらゆる類の汚れがゴリゴリ落ちていく様には、
もう感動。
なんというか、水滴が垂れるのさえ気をつければ、
OAクリーナーとか使うのバカバカしくなるような圧倒的な性能。
固めに絞って、手垢で汚れたリモコンなんかを軽くこすってみてください。
びっくりするぐらいに簡単に綺麗に。

「人類はなんて素晴らしい武器を手にしたんだ!」
と快哉を叫びたくなるほどです。
ていうかノーベル賞が人類の文化発展に貢献した人にあげる賞ならば、
コレを開発した人にあげるべきでは!?

と、思ったのでちょっとぐぐって調べてみました。

給食の食器にも使われるあの固ーい樹脂、
あれがメラミンらしいのですが、それを発泡させて極細繊維状にしたものだそうです。
だもので、原理はどちらかというとヤスリ、耐水ペーパーに近くって、
汚れを取り込むというよりも削り取ってるんですね。
故に、ひどい油汚れとか、あるいは光沢の必要な金属物とかには
向かないようです。

原料メーカー(というか、そのもの)はドイツの化学メーカー一つしかなくって、
そこが世界中に供給してるらしく、(もちろん特許)
要するに100円ショップで買ってもTVショッピングで買っても、
モノはまるっきりおんなじだそうです。
もともとは断熱材や吸音材に使うために開発されたそうなんですけど、
それを使おうと思った日本の会社の社長さんが偶然、
机を拭いてその汚れ落とし能力を発見。
それを売りに掃除用品として売り出して大ヒット……
というストーリーだとか。

ポストイットの接着剤も、3Mのエンジニアが
「最強の接着剤」を作ろうとしたら、
「最弱の接着剤」ができちゃったんですよね。
問題はそこからで、特徴的なヤツが生まれた時に
「む。これはなにかに」
と想像の翼拡げていろんな発展を考えられる柔軟性、
これが欲しいもの。
また、特徴さえあればどんな特徴でも、なにかしらの使い所があるという
見本のようなお話でした。

とりあえずもすもす拭いて驚いてるうちに拭き掃除終わりました。
人の心もこれぐらいサッパリと拭いて綺麗になるものだといいのになあ(泣)
使い方誤ると相手を削ってしまうあたり、それっぽいかも。

ああ、誰か僕のメラミンフォームになってくれませんか(泣)
いやむしろ自ら率先してメラミンフォームになるべきですな。

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少し遅めのクリスマスプレゼント(もちろん自分向けだ文句あるか)
&少し早めのお年玉(も(r
ということで掃除終わった後、約2万アマゾン。
ダメだ、便利すぎる。
Dellが周辺機器はおろか自社ブランドのPDAまで売り始めましたが、
アマゾンでそれに類するモノというと文房具ではないかと思うのですが、
まだそういう部門は無いですよね?
こまいのがたくさんになって、発送・在庫管理のコントロールしにくいのかな?
本買うついでにコピー用紙……とかそういう需要はありそうな予感が。

ともあれ、買わねば、と思っていた本やCDをまとめて発注。
今年の物欲今年のうちに。
さあ明日はThinkPadX40でも見に行くかね(泣)

12/26 くぎぬき

釘を抜きました。
釘抜きの使い方を初めて理解しました。

あれというのは、テコの原理だけではなくて、
短辺の角を打ちつける衝撃によって抜くものなんですね。

|__
↑この角。

はさみこんでぐねぐねやって、木材と釘との固着を剥がしてから、
一気に角部分を叩きつける。
引き抜き方向へ引き上げるように力を入れるのではなく、
叩きつける方向へ力を入れる。
腕相撲で組み伏せるような動きで、引き上げの動きよりもずっと力が入ります。
なるほど、良くできてる。
むかーしからあるものは、やっぱりもうどうしようもなく完成されているんですねえ。
コツを覚えたのが嬉しくて、家中の釘を抜かんばかりの勢いでした。

あとは掃除機を掃除したり、ケーブルの引き回しを整えたり、
ガラスを新聞紙で拭いたり、墓参りに行ったり、
机を綺麗にしてみたり、カーテンを取り付けてみたり。
気持ちだけ大掃除。
部屋の半分を綺麗綺麗しました。
後は明日です。

一通り終わって、
「今日は疲れたしちょっとログインだけするかー」
と思ってFF始めたらいつのまにか2時半でした。
AF3を3つハシゴ、最後のAFタケノコ帽子を手に入れて60まで@8500。
大掃除といえば、これも年内に一区切りつけてしまう方がいいかもしれません。

今日ものんびりとかついろんなことができた、
いい一日でした。

12/25 鴨と地鶏卵でクリスマス

なんとか一段落。

今回の反省点としては、締め切りにすごく余裕があったのに、
結局ギリギリだったところ。
サボってるわけではホントになくって、
アイデア段階での「もっといいのはないものか」を問い出すと、
いつまで経っても実作に入れなかったりするんですよね。

「ピカ」ってアイデアはそりゃもう落ちてくるのはごく稀ですから、
ダメなのを切って、フツーなのを丹念に仕上げる、というのが
普段のパターンなのですが、
余裕があればあるほど、欲が出る。
というか、
欲が半分、脅えが半分。
後で自分に「めいっぱいやったから」という言い訳を用意したいくさい気分も
ちょっとある。
それは少し自分で自分がイヤなので、
来年はもう少し「えい!」と書き始めたいと思ってます。

でも中身は(本人は)楽しくできました。

面白いもので、その時々の精神状態と作品クオリティは
比例するタイプと関係ないタイプが居るらしいですね。
反比例するタイプも居るのかな。
僕は……どうだろ(笑)
あまり関連性がない方かもしれません。
落ち込んでる時に、救いを求めるようにして書いた物は、
ちょっと息苦しいですが迫力がありますし、
調子に乗ってる時に、うわすべって書いた物は、
傲慢な心根が見え隠れして自分でも鼻についたりします。
そしてまた、自分で自分のものを見る時の評価と、
他人様に見ていただくときの評価はまるで関係がなく……

ただ、しんどいとは思ってもほぼ楽しんでるのは事実で、
そういう意味では幸せ者だ、と思うクリスマス。

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母が耳の遠い祖母用に、TU-KAから出た(メーカーは三洋)
骨伝導携帯電話
を導入しました。
試用してみると、確かに音が出てなくても聞こえてくるのですが、
骨伝導ユニットの当て方・当てる位置によって、
聞き取りやすさがかなり違います。
こちらの声もそのユニットが拾って届けるようなのですが、
マイク位置のように「こうすれば大きく伝わる」という法則がないので、
ちゃんとした音量で届いてるかどうか、それが少し不安になります。

でも、こういうデバイスが出てくることは間違いなく素晴らしいことですし、
恩恵を受ける人も多そうな技術です。
小型化されたら、普通の携帯の受話部分にも仕込んであると、
雑踏の中でも聞こえやすくていいかも。
TU-KAは押されっぱなしで辛いと思いますが、
こういうところを丁寧に拾っていけば、まだまだ活路はあるようにも思います。
ウチも、この携帯を「とにかく近くで言い値で」買いましたから。
字が大きいとか、ボタンが大きいとか
(Docomoのらくらくホンとかそうですけど、あれではまだ甘い!(笑)
 「こういう用途であるならば」筆箱ぐらいある携帯とか、
 全然ありだと思うんですけど)

ウチのおばあちゃんは、日常生活でも、ちょっとノイジーな場所ですと、
普通に話しかけると振り向いてもくれません(笑)
特に声質でも通る通らないあるらしく、僕のは割と通るんですけど、
母のが全然通らないんですね。
横で聞いてて「うるさいなー」と思うほどの大声出しても、通じない時がある。
両者ともに不便といえば不便ですが、
でも逆に、ゆっくり大きく、伝えたいことを伝える、
そういう声の出し方を意識してする、
そのチャンスをもらってると思えば、苦にもなりません。
日本人女性は世界一長命らしいですが、
それはやっぱり、めでたいことでもあり誇りに思うべきことでもある、と思います。
それを喜べない楽しめない社会は、絶対おかしい。

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そして母の古くからの友人が遊びに来るというので、
張り込んで「八起庵」から「鴨なんば」のセットを取り寄せました。
麺は少し関西麺で歯ごたえが無いのですが、鴨は美味い。
そして地鶏の有精卵も32個(笑)
これがまた卵独特の生臭さゼロ、アクのアの字もない
まるで水のような味と喉越しで、
ご飯にかけるのは元より生で溶いてごくごく飲めちゃうというシロモノでした。
そりゃヘビも丸飲みするわ、こりゃ。
で、
「これがタマゴだとすると、普段食べてるアレは一体なんだ?」
とかまたそんなこと思っちゃうとどんよりしてしまうので、
あまり考えずに黄金色のタマゴかけご飯をガツガツいただいておりました。
かなりオススメ。

まあ、なんとなく幸せなクリスマスでした。
「なんとなく幸せ」
なんて微妙な気持ちになれる、というのはやっぱり、
なんとなく幸せなんですね、きっと(笑)


12/24 コミット

「……そんなん、ぴゃっと電話掛けて本人に訊いたらええやん」
「いや、クリスマスイヴに携帯掛けるのも失礼やろ?」
「いや、アイツならきっと大丈夫やで」
「いやせやから、大丈夫やろと思うのも、失礼やろ?」
「せやなあ、あっはっは」
「わっはっは」

……という携帯電話をJ也さんにいただきました(泣)

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上の小咄と
「ア・ハッピー・ニュー・イヤ〜ン爆発娘達よ!」
という村上ボケとで挨拶悩んだんですけどどっちがよかったですかね?

「『面白くない』ということもまた、面白い」
という一次元ハイ・レヴェルな笑いを関西以外の土地に根付かせるのは
無理なんでしょうか。
やはりオペラを楽しむには欧州に生まれ育たなければならないのでしょうか。

いやそんなことはないはずだ。
中田英寿はあんなに頑張ってるではないか。

えーっと、デニーが炎上する様って楽しめますよね?
あれと同じ原理なんですけど。

またエラそうな口をききますと、なべて娯楽という物は
「積極的に楽しむ」
ことができるようになって初めて真の味がわかるように思えます。
例えば小説でも、まあ、そんな最初の1pからフィットして、
「めっさおもろいー!」
なんてことはほとんど無くて、
特に初見の作家さんだと、手の内の探り合いと言いますか、
相手の出方を見ながら読み進めていくわけですよね。
で、引き込まれる魅力を知らず知らず見つけ、
だからこそ読み進めることができて、
最後には「面白かった」となる。

要素面白いけど総体としてつまらなかった、とか、
総合するとまあまあだけど要素は特にいいものないよ、とかいうのは、
だから少し、物の見方として、距離が遠すぎるような気がします。
特に娯楽の場合、「楽しんだもの勝ち」という側面もありますから、
そんな見方をしていては損をするだけ。
我々は評論家ではありません。
もちろん友人の評価というのは、その友人をよく知っていればいるほど、
頼りになる情報なのですが、
それもあくまで「生声が聞けた場合」に限るように思います。
素人考えでぐちゃぐちゃ後付けされた情報なんて、
まあ役に立たないノイズであることが多い。
(クルマとかサッカーとか、趣味によってはそのノイズ……ごたく……
 を楽しむ趣味もありますが)

関西人は、お笑いという娯楽に対してのコミットがとても深く、
若手芸人を近所の悪ガキのように、
米朝師匠を横丁のご隠居のように感じています。
ですから、ショージさんのどうしようもないギャグを聞いて、
「なんてどうしようもないんだろう!!」
という新鮮な驚きを得て、その驚きを与えてくれたことについて
「しょ〜〜〜もな〜〜〜〜!!!」
という最大の賛辞を送るわけですな。

たかだかサッカーチームが降格しただけでこの世の終わりのように
頭を抱えるサポーターの姿が毎年見られるわけですが、
あれあのように、娯楽はコミットしたもん勝ち、です。
そうさせる魅力がないものであれば捨てればいい話で、
コミットできない娯楽に斜に構えて距離を置いても、
それは単に時間の無駄ではないでしょうか。
(掛けるコストという意味ではなくて、対する姿勢の面で)

TVのお笑い、という一種垂れ流し娯楽(言葉悪いですが)に対して
醒めた姿勢を持つ、のはある程度しょうがないとも思うのですが、
小説とか、映画とか、ゲームもそうかな、
積極的に選択して手に取る娯楽の場合、
手に取るからには「よ〜し、楽しんでやるぜ〜」みたいな気分で
立ち向かった方がよいと思うのです。
そこまでのモチベーションがあがらないなら、取らない方がいい。

こないだ「ほぼ日」で糸井ダーリンが最近の世相を
「小姑文化」
と呼んでました。
全国の小姑さんには失礼ながら言い得て妙だと思います。
ネタにもできないぐらいつまらないもの、
ツッコム気力も起きないぐらいくだらないもの、
それは確かにあるとおもうのですが、
ならばくちゃくちゃ言ってないで次のを手に取ればいいだけの話ではないですか。

ものすごく自己矛盾であることは覚悟の上で言いますと、
「Web(掲示板含む)に何か書く」
という行為はすごく
「なんかやった」
気分の大きな行為で、ま実際に時間と労力で結構なコストは掛けてるんですけど、
実はリターンの面で言うと非常に個人的なものでしかありません。
(1日何万ヒットの大手サイトを除く)

コミットもできないつまるものでもつまらないものでもないモノに対して、
Webに何かを書き連ねて時間を使う。

贅沢といえばこれ以上の贅沢はなく、
実際私も相当やってるのですが(笑)
まあ、「なんにもならない」ことであるのは確かです。
それだけは避けようと、できるだけ自分の頭を回して考えたことを書こうと努力したり、
何かを紹介する時は読んだ方の参考になるように、
と肝に銘じてみてはいるのですが、
それでもフト気がつくと、
羊の脳の乾燥粉末以下のものを、WWWの海に放り投げているようなこともあります。
「それもWebじゃん」
というのも真実ですが、それを言い訳にしてはならない。
(とは、個人的に戒めてるだけです)

と、考えてみれば、
「あれは笑えないのを笑うものだよ! わかってないなあ!」
という自分が、逆の立場に立って
「こんなん全然おもんないわぐじゃぐじゃぐじゃぐじゃ……」
と言ってしまってるケースは、おそらく相当たくさんある。
Webに載せる載せないは別にしても。

そういう、中途半端な立ち位置・視点は、もうやめていこうと思います。
「これオモロイ! 絶対オススメ!」か、
「それについてはよく知らないので、教えてくださいますか?」か。

そうすると、毎日が、もっと楽しく……というのは望みすぎにしても、
スッキリするように思うのです。
そしてスッキリは、とても大切な心地よさ。

丸5年になろうとする「ほえなが」を書いてきて、
最近よく思うことです。
で、キーが止まることも多いのです。
(最近のは風邪と仕事ですけど(笑))

伝えたい何か、言いたい何か、書きたい何か、
それは皆様と、自分宛てでもあるのですが、
気持ちの動いた「何か」を、書いていきたい、と、
こころざしもあらたにしています。

ええまあ、そのぐらい暇なんスよ!!(泣)
あ、暇じゃねえ、まだ仕事残ってた!!(号泣)

12/23 のどあめ

「いやあ、すんません夜分遅くにウチの『愚妻』が」
「それはノロケにしか聞こえんッ!」(挨拶)

今日のお題は「人間変われば変わるもの」……
ではなくて、風邪話の続き。

鼻風邪:喉風邪=7:1ぐらいのながたですよってん、
喉風邪は慣れてない分辛いのです。
過去には「のど塗〜るスプレー」とかも試したのですが、
あれって使用後5分ぐらいはすごい楽になるんですけど、
瞬く間に効力切れるんですよね。
イソジン等々うがい薬の類は、なってしまうと全く効果無いし……
(ひょっとすると症状を早く抑える効果はあるのかもしれないですが、
 即効性はない)

そこでいつものごとく、のど飴、買ってきました。
でも、体内甘いもの許容量がさほど大きくない私は、
連続で2粒も食べれば「もういらない」と手が伸びなくなります。

飴と言うからには甘いものになってしまわざるを得ないのでしょうか。
甘くない(砂糖等々が入ってない)のど飴というのは不可能なんでしょうか。
お医者さんで貰うトローチとかって、どうでしたっけ?

そもそものど飴って「む。喉の調子が」と思うから舐める物ですよね?
基本的には。
そんな時にフレーバーが何かとかビタミンCがどうだとか、
そんなこた誰も気にしてないと思うんですがどうでしょう?

あまり溶けずに長時間持って、
長時間口内にあっても歯や歯茎を痛めないよう甘み成分抑えめで、
飽きのこないほのかなフレーバーで……
そんな水のようなのど飴はないものでしょうか。

なんか富山の秘伝とかでありそうな気もするのですが、
しかしあれだけガムに種類がありながら、ガム好きが熱望する
(少なくともここに一人……)
「ただ噛むだけガム」
という基本性能に特化したガムが一向に現れないことを考えると、
やっぱりそういうのは無理なんでしょうか。

商売になりにくいというのなら、厚生労働省あたりが作って
(もちろん開発製造はメーカー委託で充分)
売ってみるのはどうでしょう。
国民の健康を守るのがかのお役所の役目であるならば、
そんくらいのことはやってもらいたいものです。
あと上述の「歯が丈夫になるガム」とか……

NHKではありませんが、「金の心配をしなくていい」からこそできる製品、
というのは絶対にあって、
特に健康関連は逆にお金になりやすいが故に、
そういう枝葉末節ばかりがクローズアップされてるもののように思います。
良くも悪くも純NaCl塩を旧専売公社が一手に引き受けてくれるからこそ、
消費者も安心して他の付加価値塩を手に取れるように、
「ザ・のどあめ」
みたいなのを国(に近い信頼のある組織)が作ってくれてもいいような気も。

まあ、それは半分冗談にしても。
もうね、ホントに困ってる時って人間の本性が出るもので。
コンビニで百花繚乱のパッケージ見てるとムカついてくるんですよ(笑)
「で!?
 とにかく一番効いて楽になれるのど飴はどれよ!?!?!?」
みたいな。
そんなものをコンビニで探すな、という抜本的なツッコミはさておき、
「ここに頼れるスタンダードは無いなあ」
という印象でした。

逆に言うとチャンスかも〜。

---

そうそう、かなり関係ないのですが、思い出したので。
アクエリアスが甘みを砂糖系に戻したんですよ。
味が随分マシになってました。
風邪ひくとポカリを飲むという習慣があるのですが、
夜中、近くのスーパーが閉まってて、
しょうがないので自販機でアクエリアス買ってみれば、そうなってました。
結局ヤッパリなんのかんの言っても食品は味、
コスト下げて売れなくなるのは角を矯めて牛を殺すことだと思います。
何度も、同じ間違いが繰り返されるんですけども。

12/22 時間換算

大風邪をひきました。

先日、いきなりどーんと温度が下がった日から、
どうも体温コントロールができてなくて、
ちょっと寒いところへ行くとブルブル震えたりして、
「いかんなー」と思ってたら、案の定。

寒いな、と思ったのでエアコンかけっぱで寝たのが最後のトリガーになったようです。
朝起きると喉がやられてました。

以前読んだ整体の本に、
「風邪はその季節に対応した身体に作り替える作業」
と載ってました。
一理あると思います。
そこで体質が微調整されて、たぶんベースの体温が上がったり下がったり、
血流量や流し方が変えられたりして、
寒さに強い身体、暑さに耐える身体、になっていくのかもしれません。

こういう作業をしてくれる風邪を無理矢理治すのは、本当はよくないのですが、
締め切りがあるもので(泣)
鼻炎カプセル飲んで鼻水止めてキー叩いてました。
だもので、ちょっと尾を引いて治りません。
最近は、おおよそひいた風邪は一日で治すのが密かな自慢だったのに……

社会生活を営む以上、それはしょうがないのですが、
例えば、健康に気を配り高いお金払ってジムへ通ったりする人も、
風邪ひいて仕事休んだり、とか、なかなかできないんですよね。
よく考えればおかしな話で、
予防とかより元気にとか、そんなことにジャバジャバお金とか時間とか使える人が、
ホントに「イザ」ってなって、
治さなきゃ本当にしんどい、って時に、横たわることもできない。

困ってない時に一生懸命やって、
困ってる時に何もできない。

それだったら逆に、普段ぽけーと生きて、困った時にコスト払う方が
いいような気もします。
「そんなカメハメハ大王みたいな生活、できっこないじゃん」
と、常識では思うのですが、
なんだか、すごーく大事なポイントをポロッと見過ごしてる
もしくは見逃しているような気がするんです。

例え話になりますが、
今回の僕の場合なら、先に仕事を余裕持って片づけておけば、
「♪風邪をひいたからお休みで」
が可能だったわけですよね。当たり前ですけど。

でも、仕事と体調って本来全然関係のないもので、
「冬は風邪をひきやすいから仕事を前倒し気味で進めよう」
なんて人は、まああんまりいないわけです。

でもそうしていれば、楽をできた。

ということは、経済活動全てをお金に換算するとわかりやすくなるように、
生活活動(生きる活動が生活か(笑))全てを時間に換算すると
わかりやすいのでしょうか。
1風邪=1日半・利用率95%
とか、
1レギュラー仕事=8時間・利用率80%
とか。
で、これで24時間365日のタイムテーブルを、ざざっと切ってしまう。
少々の突発アクシデントでも、「時間読めない」というものはまあありませんから、
(通り魔にでも襲われない限りは……
 そしてそうなった場合、日常用タイムテーブルを使うことは無意味になる)
おおよその発生確率や発生予想から、マージンを見ておく。
季節の変わり目には1風邪分余裕を持っておく、とか。

……でもこれだと、普通に手帳にスケジューリングする時に、
ある程度マージン見ておくのとあまり変わらないかな。
上手く説明できないのですが、

「時間」換算すると、質が量に転換されて、
(「仕事」も「体調」も同じ扱いができる)
見通しが立ちやすくなった、これを上手く利用できないか。

というところで頭ひねっている、とお考えください。
先日、FFの「素敵合成」のお話をしました折りに、
「時間が大事だって言うけど、その時間を使って何をするかがもっと大事」
とかなんとか言ったと思うのですが、
逆に言えば(いや同じことなんですけど)

AとBが同じ時間掛かることなら、
AとBを置き換えることができる(ことも多々あるかも知れない)

ということですよね。
(不可逆性とか一方向性とかの制限があるのはもちろんですが)

これってうまーく使うと、すごーく人生の時間を上手く使えるような気がします(笑)
もちろん、時間は伸び縮みもするし、価値も違ってきます。
青春の一年は熟年の五年に相当するとか、
一筋縄ではいかないのはそうなんですけど、
そんなこと言ったらお金だってそうですもんね。

同じ時間を掛けても、得られる便益(や失われる便益)は様々である。
できれば、自分が一番楽しい時間の掛け方をしたいが、
それをするには、今、どう使えばいいかだけではなくて、
もうちょっと広い視野から、ひとつには
「もっと後でもできるけど先にやった方がずっと早く済む」
といった時間軸の前後、
もうひとつには、
「ここでクスリを飲むと後で3日使うことになるけど、
 仕事に使うこの半日は何にも代えられない」
といった使用目的の変換・置換、
といったことも見ながら踏まえながら、考えていくのがいいんでしょうねえ……
というような話でした。

要するに、時間を大切に、ってことです(泣)

12/21 岐阜へ

日本の中心、岐阜へ行って参りました。
鉄心ゼミ忘年鍋会におよばれです。

アーバン乗って鈴鹿山脈超えるとそこは雪。
名古屋から東海道線に乗り換えて岐阜へ向かえばさらに雪。
北陸行きの列車にでも乗っちゃったのかと思いましたよ。
岐阜駅からはタクシー。
運転手さんも「いや酷い目に……」と笑ってました。

新雪踏みしめてなんとか辿り着き、お鍋をよばれました。
宴の最中でなんと素敵なプレゼントまでいただいて。
いやあ、ほんと、気を遣わないでください。
遊びに行ってるだけですので〜。

にんにくパンチの効いた鍋をつつきながらのちゃんぽんがぶ呑みで、
久しぶりにケロケロ吐いてしまいました。
でも吐いたもので翌日二日酔い無し。
若い日々を思い出しましたとも(笑)

---

ホテルを「旅の窓口」Webで予約したんですが、
そこに気になる表記が。
「シングル(窓あり)」
ホテルの客室で窓無しがあるの!?
カプセルやあるまいし……
見れば窓無しは4000円。たしかにカプセル級のお値段。

で、遅遅にチェックインしてみれば
「1ランク高いお部屋をご用意させていただきましたので!」
と恩着せがましく曰われ、
「ん? どんな部屋だろう? バスルームが8畳ぐらいあるのかな?
 キングサイズベッドなのかな? 寝室が二つあるのかな?」
とワクワクしてみればなんの変哲もない部屋。
それでこの部屋だと本来泊まるはずの部屋は……
5000円で一瞬でもそんな夢を見た私が愚かでした。

岐阜の人は物持ちがいいのか、このホテルは全体の佇まいが懐かしく、
客室も、たとえば電気のスイッチひとつとっても割と懐かしめ。
「ぶ〜」って音の鳴る、作りつけの目覚まし時計とかね。
でもどれもピシッと動いてくれますし、掃除も行き届いてる。
「これでいいやん」と好印象。
ホテルにとってどっちの方が大切なのか、よくわかってる。
こういうところは、「また使ってもいいかな」と思います。

---

4連休になってる人も多いのか、帰りのアーバンは一杯でした。
「雪化粧」という言葉がありますが、
雪が屋根を覆うと、街がモノトーンに近くなって、統一感が出ます。
壁の色は言ってもあまり変わりませんからね。
ヨーロッパの街並み……というと言い過ぎですが、
同じ材料で同じような家を建てていた頃は、
今よりずっと美しい街並みであり美しい田園風景だったはずで、
我々はやっぱり、なにか大事なことをごっそり忘れてるような気がします。
クルマやスーツは、人と同じ色を好むのに。
あれはなんなんでしょうね。

ただ、ずっとこんな風景でも退屈かもしれない、とも思いました。
雪国の人は、それだけでも粘り強いと。

そんな小旅行でした。

12/20 雑感

マホガニーポールプラスワンッ!(挨拶)

「+1両手棍が2万円」という事実についつい衝動買い。
まだ装備もできません。
どゆことかというと、
免許も持ってないのに
「250万!? 安い安い! 今ナウ買わなきゃ!」
とエルグランドの新古車を買ってしまったようなものです。
しかも独身。

治らないわ、一生……

---

メールでのコミュニケーションは、やっぱり穴がありますね。
ちょっとバタバタ行き違いがあって、オタオタしてました。
特に仕事関係などだと、
・くどいぐらいにひとつひとつ確認して、
・「迷惑になるだろうか」と気を回さず何本でも確認できるまで送る、
のが大切ですね。
どうも、特に仕事だと、電話に慣れてるというか、
「相手の邪魔をする」というイメージがあるのですが、
ではなくてお互い読みやすい時に読んでるのだから、
ポンポン飛ばせばいいのかも。
Webメッセンジャーの類もいいのでしょうが、
あれはホントに閉じたLANが多いからまだ一般的でなく……

反省反省。
と同時に、やっぱり顔合わせて相手の雰囲気感じ取りながら
打ち合わせする、というのは大切ですねえ。

……って、何当たり前のこと言ってるんだか。

歳喰ってくると、当たり前のことを省略しがちになり、
そのたびに当たり前の大切さを思い知ってみたりします。
いかんいかん、こんなことでは。

---

大阪は、19日は夕刻陽が落ちてから恐ろしい勢いで気温が低下、
ぴりぴりするほど寒くなりました。

そんな日でも、つい先日お伝えした
断熱カーテン+オイルヒーター(ハーフパワー)+
足元小カーペット(弱)+膝掛け毛布
作戦は非常に機能しております。

特に昨日からは、オイルヒーターの側面に濡れタオルをひっかけ、
これで加湿もしてしまおうという目論見に。
凄いですよ、ものの小一時間でカラカラに乾きます。
最初上に置いていたのですが、それだと対流がうまく働かなくなって、
部屋の温度が上がらないことが判明。
自分に面しているのと逆側側面に釣るようにしました。
完璧です。
この冬はコレだ感満載です。

電気代とかどんなもんなんでしょ?
エアコンよりは安くついてるような気がするけど……
でも最近のエアコンは省エネ凄いからなあ。
ホットカーペットの類って思ったより安くて、
50*90サイズだと1円/hとか。
ということでほぼオイルヒーター代が電気代なのですが、
やっぱり、
「空気が暖かい」
というのが暖房の根幹で、それには輻射熱や身体に直接伝わる熱だけでは、
間に合わないんですね。

黒潮の恩恵を受ける南国、
宮崎、土佐、和歌山、房総……といったあたりの、
「ほわわわ」
という感じは、「空気あったかい」という事実からきてるように思います。
太陽の日射しのせいではなく。
それは、贅沢なあたたかさ。

しかし暖めすぎると春の日和になりすぎて、
全てを忘れてヨダレを垂らしてしまい、
ストイックに頭寒足熱に過ぎると、
今度はそこから逃げ出しておこたに潜り込みたくなる。
もちろん形ばかりはノートPCを持ち歩くのですが、
無線LANでWeb見てる間に寝落ちするわけですな(泣)

それもまあ、その瞬間極めて幸せなので、
「これぞ冬の醍醐味!」
とか思うアホウな冬師走もう20日です。

---

風向きが変わる時と言うのは、面白いことに
ガラッと180度
のようです。
いや、だからこそ人はそれを、「風」に例えるのでしょうけれども(笑)
耐え難いほどの逆風が、徐々に弱まって、止まって、
違う方角から吹いて、徐々に追い風になって……
なんてことはあまりない。
今までタッキングもできず帆を下ろすしかない悪風だったのが突然、
ちぎれるような順風になって、滑るように突き進む。
いや進まざるを得なくなる。

いや、そうではなくて、
タックできる技術を手にすると、悪風を順風に変えることができるように
なるのかもしれません。

か、その両方か。

とりあえず最近は、びゅーんと吹いてます。
忘れていたものを思い出したり、
ほんのささいなことだけど新しいものを見つけたり。
楽しい。
上手く乗っていきたいものです。


とりあえず明日はちょいと日本の中心まで行ってきます。

12/19 QRIO走る

QRIOが走ってますよ。

すごいなあ。
もう、あっと言う間に人間みたいなスムーズな動きができるようになるんでしょうね。
アナライザーでさえ二脚歩行は諦めてキャタピラで移動しているというのに。
あれはまだ日本の技術の粋を尽くしたから補助的に脚も使いますが、
メリケン生まれのR2-D2なぞ転んだら起きあがれないんですよ?
……でしたよね?
となりのゴールデンボーイが起こしてましたよね?

次は腕部分に脚の応用した制御を入れて、
懐かしのブレイクダンスのように転げ回る踊りでしょうか。
あるいは入力された幅のある情報から出力を決定する、
バク転とかああいう方向でしょうか。
ついこないだ言葉通りの「バッティングマシーン」が発表されてましたが、
ああいう技術と組み合わされると、
QRIOが投げてQRIOが打つ、とかそういう図が見れるのでしょうか。

なんかこう、無意味に楽しくなってきますね。
そういうのでワクワクするのは僕らぐらいの世代までなのかな?
そんなことないですよね。

SONYってすごいなあ、と思うのは、ダンスさせてるじゃないですか。
あの振り付けとか音楽とかのトータルディレクション、
あれどういう部門の誰に担当させて、それがどういうルートを使って
誰に頼んだのかわかりませんが、
ちゃんとプロがやってますよね。
あれねえ、「家電メーカー」ではなかなかできないですよ。
良くて丸投げ、頭固いところだと、そもそもそこに予算(それも高額だ)
つけることの重要性を理解してもらえないんですよね。
さすがに家電業界は「世界に冠たる」という自負があるので、
有名人呼んでくればプロモーションになる
という古くっさいことは考えなくなってますが、
(IT系とか、時代の先端進んでそうなところでも、こういうところのセンスというのは
 一朝一夕にはつかないので、すぐアイドルとか時の人使っちゃう。
 あれって金ばっかり投げ捨てて経年耐久力無いしイメージの定着も悪いし、
 毎年新商品が出て一発狙う食品とか化粧品とか、消耗品系でないと
 割に合わない作戦だと思うのですが……)
じゃこういう、ヤラしいほどの
「どお!?」
っていうのができるか、っていうと、そこはやっぱり、(恥ずかしくもあったりして)
なかなかやれないんですよね。
ダンス自体よりも、これをやらせてること自体が、あのメーカーのスゴイところです。

ロボット見て微笑ましくなるのは、
ちょっとした造物主気分になれるからかもしれません。
神は自らに似せて人間をお作りになられた、
などと昔からいいますが、それはこういう気分をよく理解していた、
あるいは想像できた凄い感受性が言わしめた言葉だったのかも知れません。
人間こそ造物主の似姿だ、なんていう思い上がりではなくて。

芸術作品を生み出すモチベーションには多々あると思いますが、
その一つ、
「自然」を自分なりに観察して分解して再構築したいという欲求、
これはどうも、誰にでも深いところで備わっているようです。
冬の公園並木の美しさに、
「ちくしょう、これを描いてみたい!」
と思う気持ち……
どうせ本物にはまるっきり及ばないにしろ、
人はそれを行い、そして、いくらかの満足を得ます。
その中毒性にハマってしまって抜けれないのが芸術家だと思ったりもするのですが、
ともあれ、それが本能的な行動であるならば、
人間が一番興味を持つところの「自然」、
そうすなわち「人間」を再構築したい、
という欲求が大きくまた強いことは自明の理、なのかも。

「あんなもんなにになんねん」
というのは、芸術によく投げつけられる言葉です(笑)


12/18 なんとなく、「おわり」

「おわり」っていう感じは、自然と来るものです。

無理矢理諦めようとしても未練が残るものですし、
別の感情に変えようとすると、歪みがどっかに出ます。

がんばってがんばってよくやってよくやって、
ると、
「ああ」
という瞬間が訪れます。
結果は、ともかく。

すると、晴れ晴れと、その物事に対して、
引いた目、というよりも「普通の目」で見れるようになります。
適当な、適切な距離を置いて、対応できるようになる。
最近、ようやくそんな感じになったものが。

FFです(笑)

サービス開始後から、50キャップの時から、
「闇の王」というのがラスボスでいるらしい、
と聞いていたので、これを倒したいなー、とは思ってました。
(ホントはご想像どおり、ラスボスでもなんでもないんですけど)

なんとかもうすぐ倒せそうです。
いや、お手伝い頼めば今でも充分いけるそうなんですけど、
なんとなくフルAF姿で行きたいような気もして、
60目指してゆるゆる上げています。

もちろん引退する気などこれっぽっちもありませんが、
今までみたいに毎日〜ではなく、
気が向いた時に〜になれるような気がします。
いや今度はホントに。

やっぱオンラインゲームは怖いですねえ。
終わりがないから。
どちらかというと、ある程度の終わりは
もう少し早めに訪れるようにしてもらいたいです(泣)
50で闇王倒せて、というのが落としどころだったような気がしますが……
(それでもかなりタイトよ?)

なんか最近はそんな気がするので、
PTで少々稼げなくてもイライラもしないし、
釣りして魚釣れなくてもイライラしないし、
のんびりやってます。
最初からこんな気分でできるゲームだったら、
今の10倍売れたかも(笑)
当初求められた環境が厳しいですが、
そんなものは月単位で安価になっていくものですからね。

調整の仕方とか見てますと、勝手な想像ですが、
「手が足りてない」
という印象です。
多くの人が指摘する、誰にでもわかる問題点は山のようにあるんですけど、
いつまで経っても直らない。
直せないんではなくて、優先順位つけていくと上のいくつかで
手が足りなくなってるようです。
実装等々は簡単でも、検証を念入りにやらないと、
オンラインゲーはバグ技ひとつですぐ崩壊してしまいますからね。

競売所のカテゴリー分けのややこしさなんて競売所動き出した時から
言われてることで、「なぜ今になって」という感じです。
てっきり何かコンセプトあるもんだと思ってた。
「ディレクトリは掘れば掘るほど一覧性を失うから、
 ジャンル分けを細かくするのが良いとは限らない」
とかなんとか。
なんだ、できなかっただけか。

で、手が足りない、というのはすなわちコスト掛けてない、ということで、
現状の有効会員数と、月間のソフト含めた売り上げ、
サーバ等々の維持管理費、
そういうのを計算していくとあと何ヶ月でこれだけつっこめる、
という人間の数と質がおおよそ予測できますよね。
その辺で、これが精一杯なんでしょうね。

だからこそ、繰り言になりますが、
最初からもうちょい、甘めにしておくべきだったのではないかと思います。
何人も、囓っては離れた「ゲーム好き」を知ってます。
そこを離していたから、ここまでなんだろうな、とか。

しかしそうは言っても、
日本における本格MMORPGのパイオニアとして
いろんな意味画期的なゲームであったことには変わりなく、
特に個人的には一生想い出に残るゲームです(笑)
もう少し粘ってもらいたいものですが……
なんたってまだ1年半ですからね。
勝負はまだ決まってない。
ジラートから入ってきた人だってたくさんいるんだから。
あのグラフィックならPS2の寿命までは持つ。

フツーのゲーム好きな若者に、
「ああ、FF? 60のランク6だよ。一応AF揃えた〜」
なんて自慢がしたいじゃないですか(笑)

頑張って欲しいな、と思います。
ホントに、ホントに。


---

【以下いつもの繰り言なので読まなくていいです。メモ。】


辛かったのは戦士を挫折したあたりかな。
誘われないのもそうなんですけど、
両手斧かついだりとか、変態仮面被ったりとか、
見てくれ的にどんどんイヤーな方向へ向かったので。
(戦士の皆さん失礼をば)
ジョブ変えるにしたって、どこへ行けばいいのだろう、という感じでした。
とりあえず物理アタッカーはもういい。
でもシーフ/詩人/赤魔道士といったサポート役は
個人的に手応えがないし……

ということで、「デジョンが欲しい」という理由で始めた黒、
これが10代後半とかほんとスーパーヒロインでして。
「私のブリザドをおくらい!」
てな感じ。
「これだ!」と思ってぐんぐん進め……

……騙された_| ̄|○

ほんとこないだのパッチからですよ、まともにPTで働けるようになったのは。
それも相変わらずレジも酷いし威力も低いし燃費も悪い。
一戦あたり撃てる本数増えたから全部ごまかせてるだけで、
ジョブ単体性能としては相変わらず
「おすすめできない」
というレベルです。
45の赤が悠々勝てる働き芋に、58黒、事故死の可能性無いとは言えないもの。
いやまあ、開幕でフリーズ→スリプル2でヒーリングとかなら
勝つっちゅやー勝てますけどね。

ただ、立ち回りに柔軟性があり、
行動に選択肢があるのが、面白いといえば面白いです。
前衛の火力やバックスの中の人の性質を見抜いて、
ディフェンシブにいったりガ系を撃ちまくったり、
その日によってそのPTによって戦い方変わる、
いや変えなきゃいけない。
それがまあ、飽きない要因になってます。

相変わらずいいたいことは(黒以外にも)いろいろあって、
ケアルヘイトのキツさももういい加減にした方がいいと思います。
5の無い今の時期非常に白さんキツイ。
ウチらもできるだけバックアップしますけど、
3までしか無いのと、黒はMBでたっぷりヘイト稼いでるので、ケアル3を
一本でも入れると全然タゲの食いつきが違うんです。
で、このレベルですと黒が一旦タゲ取っちゃうと、
それを剥がすのや紙装甲の黒の回復で猛烈にMPやアビを消費するので、
そういう安全・効率面から、なるべくならやりたくないんです。
決して「攻撃だけさせろ」と言うわけではなく、
ウチらにケアルさせる状況それ自体が非常にマズイ、
というところです。

ブリンク? ストンスキン?
消費MPはいいとして詠唱時間もっと短くなりませんか。
あれの詠唱が長いことにどんな意味があるんだろう?
赤はともかくただでさえソロで動きにくい白や黒や召喚の補助をしようとは
思ってくださりませんか。
あとリレイズ系ね。
白さんは他者をレイズ2で生き返らせて、自分は黒や赤のレイズで
生き返らなきゃならない……というのはあまりに理不尽です。
あとイレースの入手難易度とか……

後衛がいなくて困ってるなら解決法は簡単で、
魅力的なジョブにすればいいだけの話じゃないですか。
バラバラ全盛で詩人がどかんと増えたり、
リフレで赤がすごい増えたんだから、
白や黒や召喚にも「ああ、あのジョブやりて〜」と思わせる
何かを持たせてあげればいいだけで。

めておー。
めーてーおー。

確かに、ジョブバランス調整って微妙なのよくわかります。
例えば現状でも、「条件さえ揃えば」黒はかなり優秀なヌーカーで、
58で「ブリザガ2をMBでぶっ放せる状況」さえあれば
前衛スカスカの相手に670ぐらいのダメージを一人で叩き出せるわけです。
(やっと不意だまバイパーを上回ったよ……
 60でまた不意だまダイスに抜かれるのですが(泣))
でもねえ、ボヤじゃガは無理だしねえ。
それ入れちゃうと前述通り、ケアル3一本にもビクビク脅えながらだしねえ。

でもまだまだ、やりようはあると思うんです。
上述通り、たぶん検証の手が回らないんだと思いますけれど、
思い切って1から組み直すぐらいの勢いで、
ガラッとやってもらえませんでしょうか。
戦闘部分変わるだけでも、随分とゲーム全体への印象が変わると思います。

ということで。
とりあえず60そしてタケノコ帽子だ!

12/17 Young Kuukai

■「空海の風景」 司馬遼太郎

叔父貴の腕の一番のポイントは、
「主人公が魅力的」。
だからどんな結末のものでも、歴史物で結末わかっていても、
面白い。
これで読むと、空海、やたらカッコイイんですよね。

ちょうど空海の前任の遣唐使留学生だった僧が、
帰朝後、朝廷から割と俗職につけられようとするんです。
で、この人真面目ーな学者肌らしくて、そゆのがイヤだと。
で、「空ちゃん、ちょっと頼むわ」と、断り文の起草を頼むんですね。
当時超一流の知識と能力を持つ僧が、ずっと若い空海に文章を頼む。
それだけでもカッコイイんですけど、
朝廷も朝廷で、「しょうがない、了解した」という返事の文章を
空海に頼むんです。

カッコイイでしょう?
自分の陳情文に自分で応えるんですよ。
最高の僧侶と国家の代わりに。

わかってなかったのかもしれませんし、
お互い読めばその時代の人なら
「これが書けるのはアイツだけだな」
なんてバレバレだったのかもしれません。
でも、事実はともかくとして、こうした公式には表に出てきそうにないことが、
どうして後年明らかになってるかというと、
空海自身が草稿とかを残しておくタイプの人だったらしくて、
そういうのがぜーんぶ残ってるんですって。

それ自体も性格を示すエピソードになってて、
そういうものを残す人残さない人、ありますよね。
現代でも同じ。
すると、「うんうん、よくできてんじゃん」なんて言いながら
いそいそと下書きを大事に保管する弘法大師の姿が想像できるわけです。

僕は落書きでも残してしまうタイプなのですが、
「なぜそう」なのかはよくわかりません。
商品の箱とかなかなか捨てられない人ですから、
単に捨てられないのかも知れないし、
また取っておけばいずれの日にかタネとして引っ張り出すこともあるだろう、
という貧乏根性なのか、それはわかりませんけれども。
逆に完成品以外は破り捨てる人も多いです。
完成品でも、古いのは目を背けて「もういやー」って人。
そこには何があるんでしょう?

それはとまれ。
他にも、思わぬ場所に漂着し、窮地に陥った遣唐使一行を
空海が筆一本で救う場面とか、
すんごいカッコイイ。
小説……というかデフォルメして映画にすれば、
前半最高のクライマックスって感じですよ。
波打ち際、砂浜の上でカッと目を見開いて一気呵成に筆を走らせる
若き空海。
(ちょうど今の私と同じぐらい(笑))

彼のことをもっとよく知りたくなったわ。

明るく自信に溢れ行動力があり、
宗教家とは思えぬ生臭さ、言い換えれば生命力に満ち溢れる空海は、
むちゃなうがち方をすると
自分のこれだ、と思う「なにか」を実現・表現するために、
僧というシステムを使っただけなのかもしれません。
それを邪道ということもできますが、本人が聞けば
「だからなに?」
とシレッと返されそうです。
広い分野で大きなインパクトを、1000年のちまで与え続ける、
それはやっぱり、カッコイイ。
生き方がロックですよ。ロケンロー。

ほんのいくらかでも、同じことができたらいいなあ。

……と同時に、意味は同じなんですけど、
そんな気持ちを起こさせる人になりたいものです。


12/16 !



本人も、まだよくわかっていないことを。

MENちゃんと会った帰り、(11日ですね)
長居公園の夜道だったか、あるいは酔っぱらって寝るその寝床だったかは
忘れましたが、
ひとつ、ひらめきました。

今それを上手く説明することはできないのですが、
書くことにおける総合的なものの見方のひとつというか。
甲野先生の「井桁崩し」と同じで、全ての技に応用が効く基本原理、
みたいな感じなのですが……
「井桁」のような、なんとなくでもイメージできる言葉が見つからないので、
書いてませんでした。
でも後で「ああ、あの日か」と思い出したくもあるので、メモります。

「文工」?
なんてどうかな、と考えてるのですが、
説明しづらい……

えと、工芸職人さん別にホトトギス彫りたいと思って彫ってるわけじゃないですよね。
いや、思ってるんですけど。
そして過去ありとあらゆるホトトギスが彫られてきて、
でも、今日も彫るわけです。
そしてそのホトトギスの彫られた硯箱を、今日も求める人がいる。

という感じ。
これ、あくまで「感じ」なので、これを言葉にして
「新しいものでないと価値がないと考えるのは誤りである」
なんて書くと、全然イメージと違うんです。
そんなことじゃない。
というか、そんなことはどうでもいいことなんです。

思うにやはりそれが原点で、
(だからMENちゃんと呑んだのがトリガーになってるのかもしれません)
最初の劇の脚本は、別に書きたいと思って書いたものではありません。
テーマも無いし、人を喜ばせることがどういうことかもわかってなかったし、
表現の喜びにも目覚めてもいない。
でも、書きました。
で、今にいたるのです。

そういうことです(笑)

三つ子の魂というか、私は、そういう書き手のようです。
眼前にある何かを表現していく他ないタイプというか、
遠くの見れない、いや興味のないタイプというか。
とりあえず、今まで「それはピュアではないから」とか、
「それはやっちゃいけない」と否定していたことがあって、
でも、そういう気持ちにてらしてみれば、
それは、頭が考えるほど自分自身は否定してるものではなくて、
いやむしろ自分も書いてたかもしれないものだったり。

プロっぽくないと言えばそう、
それがプロだと言えばそう、
てかね、そんなこたどうでもいい(笑)

やっぱり、カッコつけたかったのかなあ。
気負いもあったのかもしれません。

「職人」という言葉とはどう違うんだ、と思われそうですが、
職人さんというのは凄くピュアなものなので、おそれおおい。
もっとチャランポランなんです。
「ええもうなんでも〜」
って感じで、料理人で言えば無国籍料理というよりも
どこの国の料理でも出すというか。それを無国籍というのかな。
「美味い」という軸で切れれば、どこのなんだっていいんです。
素材も問わないし、料理法も問わないし、値段も問わないし。
美味いと思えばサッポロ一番塩ラーメンに溶き卵入れただけのも出すし、
5万掛けて松阪牛のブロックを買ってくるかもしれません。
それってやっぱり「職人」じゃないでしょ?

BかAかって話になると、見てくれは明らかにBなんですけど、
気持ちは思いっきりAですよ。
「Aとは言ってもらえないよな」
とわかってても、その瞬間では世界一美味いものを出してるつもり。

具体的に表に出るところとしては、そんな感じです。
でも、それだけじゃないんです、ってば。

アコースティックなものへの憧れ、身体性へのこだわり、
80年代のテイスト、量と質の転換、
だって僕はこうやもん、
とかとか、バラバラと考えていたものが、その大風呂敷で、
ざばーっとひとからげにできた(ような気がした)ので、
「これだ!」
と思ったのです。

大事なのはここで、ここ以外の大事さはずっと低いと。

たとえば。
「PowerNetwork!!」というサイト名にしても、
さすがに少し古い香りがしすぎると思った時期もあって、
(もちろん最初からそういうテイストであることは覚悟の上なんですけど)
換えようかとかチラッと思ったりもしたのですが、
そう考えるとこれ以外にはない、
とか麻薬でも出てんじゃないかと思うほど前向きに考えられるようになりました(笑)
いや、今明け方なので実際ちょっぴり出てると思うんですけど。

それ以外にも、日常生活にも及ぶほど、
「ああ、それはそうか」「あ、これはこうですね」
みたいな視点の切り替えができることがよくあり、
それがうれしく、また楽しいです。
で、今、非常に元気。

そのぐらい本人的には画期的だったんですが……
「文工」では何も伝わらないですね。
……と、あんまり書きすぎるとそれが定着していくんですよね。
言葉というのは恐ろしいモノで、
「ひとまかせ」という劇団名も知らない間にまるでアイロンプリントのように
べっちゃりと定着してしまいました。
もっとマシな名前もいっぱいあったろうに……
思うに名のないモノは、どんなものでもいいから
とにかく名を欲するのかも知れません。
そうそう、「ほえなが」もそうです。
もっとちゃんと考えて名前つければよかった(泣)
今はもう愛着ありますけどね。

もどかしいですね(笑)
補助輪無しの自転車に突然乗れるようになった瞬間というか。
「ああ、こういうことですか!」
みたいな。
でもそれ、どこがどうとか説明できないですよね。
スピードを上げるとか倒れそうな方向へ舵を切ると起きあがるとか、
要素に分解していてもしょうがなくて、
全部の要素がバッとひとつのネットワークになった瞬間と言いますか。

大げさな言葉で言うと「悟り」なんですけど、
気分的にそんなたいそうなものでもなくて、
特殊なものでも特別なものでも、
新しい発見ですらなくて、
つい、いつも、そこにあったものなんです。
時に意識的に、時に無意識に、
いつもやってたことなんですけれど、
それをはっきりとは身体と頭と心で理解していなかった。
あるいは、かたくなに、否定はしないまでも
目を背けて、それを見ないようにしてやってきた。

(でもそれも大事な時間で、ダメであることを潰した時間です。
 よく思いますが、この、「ダメであることを潰す」作業とコストに、
 人と社会はあまりにも鈍感すぎます。
 そして最後の一本のパスを見て、「あれをいつも出せ」と言う。
 誰が出せるパスを出しませんか。
 「ここしかない」という情報は、プラスばかりではなくマイナスからも
 判断されることです。)

なんだか随分と気が楽になって、
ここ数日ずいぶん「はっぴー」なんて脳天気な単語を使ってしまいたくなります。

と、しばらく考えても上手い言葉は見つかりませんでした。
言葉遣いとして結構悔しいのですが、
言葉にならないからこそ大切なもののような気もして、
それもいいか、とも思います。
言葉という枠にハメると、持てたはずのひろがりが持てなくなるような気もするし。
造語オーライはもちろんですが、
伝わりにくくもなりそうですしね。

しかし、誰にでもわかるうまーい表現ができればとても嬉しいので、
来年はそれでいくぞ!
って感じで、どどーんと新年年頭にでも飾りたく、
変わらず無い知恵絞ってます。

えうれーか!

12/15 岡田さん

師走ももう半分が過ぎようとしているのに、師走らしいことを何もしてませぬ(泣)
クリスマスの飾り付け、年賀状、大掃除……
年々歳々そういう風になっていくなあ。
きっと子供が居ればリセットがかかるんでしょうね。
そう考えると、こまめにいろんなイベンツをやってくれていた家族には
感謝の気持ちです。

スペインリーグが観れなくなってからすっかり
サッカーの話題から遠ざかってますが(そうか?)
チェックは一応してます。
なんだかどう考えても穴があるはずのレアル・マドリードが勝ってることとか、
金満チェルシーが相変わらず暴れ回ってることとか、
あるいは横浜が絵に描いたような大逆転で完全優勝したこととか。

岡田さん、リアルタイムでは僕もいろいろ思ったもので、一番はやはり
「せっかくのW杯なんだから、使い慣れた4-4-2で
 どこまで通用するかガツンと行ってみようよ!」
でした。
ディフェンシブに守って守ってアトランタみたいな『何か』を期待するのではなくて、
ボール追ってプレス掛けて、殴り合ってみる。例え前半だけでも。

無謀でしたな(笑)

逆に言えばあの、98年当時でも古臭い、マンマーカー張り付きの3-5-2で
やったからこそアルゼンチンと3位取った強力なクロアチアに
1点差で負けられた
わけで、そっちの方が次(02年)に繋がるわけですよね。
「まあ、抑えるのはその気になればなんとかなりそうだ」
ってところで、一つ自信を得る。
(強豪国のコンディションは決勝トーナメントに合わせてある、
 とかそんな要素はひとまず置いておき)

でも当時はボロカス言われたものですよ。
僕も、頑張ったとは思ったけど、すごく残念で。
同じように「勝つ」戦いにこだわったアトランタの西野さんも、
協会にクビ切られたんですよね、確か。

でも、その後、あれだけ煌めく才能がワラワラ居てるシドニー世代が
ユース戦って、スペインの前に何一つできなかったり、
シドニーで目標は達成したけど目標しか達成できなかったりするの見て、
「あ、あの時点ではあれが考え得る目一杯の結果だったわ」
と、徐々に思えてきました。
もちろん、まだ攻撃オプションのあった4-4-2系で前の2戦捨て、
ジャマイカ戦に一か八かで勝利を求める、
そういう選択肢は無くはなかったでしょうけれど、
そしてやればあるいは勝てたかもしれませんけど、
それは、得てもしょうがない勝利というか、
長期的にはあまり意味がないんですね。
メキシコオリンピックで3位になった国は、その後長らく低迷に苦しんだわけです。

おそらくそれを誰よりもよくわかっていたのは岡田さん本人で、
「これ以上をやれるっちゅーねんやったらお前やってみろや!」(天王寺高校出身)
というのがホンネではないでしょうか。
もちろんあの人は非常にクレバーな人なので(天王寺高校出身)
そんなことは絶対に言いませんけどね。
そしてそれは、おそらく、事実として正しい。
3連敗で霞みましたが、彼は日本を史上初めてW杯に導いた人です。
しかも徳俵での途中交替という困難な状況で。

で大切なのはその後で、
J2札幌を率い見事昇格。
もちろん札幌というチームの総合力なのですが、
監督の力も非常に大きかったであろうことは、
辞任後の札幌の目を覆わんばかりの凋落ぶりでますます印象的です。
追い討つように「強豪だけど二強の下」横浜を率いて一年で結果を出してしまう。
もちろんゴーンさんの肝いりでチーム全体のモチベーションも違えば
補強に対する姿勢も違うんでしょうけど、強運も指揮官の条件です。
先のJリーグアウォーズでは川淵キャプテンが
「いつ代表監督に復帰しても誰も何も言わない」。
もちろん同感です。
少なくとも日本人では現在最高の人材ですよね。経験・実績とも。

そこまで、周囲の目すら挽回してみせた。
モノ識りが「いや、あの時の岡田さんは頑張ってたよ」なんて弁護する必要もなく、
ひょっとするとこれからサッカーファンになっていく若い人達の間では、
「あの岡田さんが率いても3連敗だったのか……
 日本は弱かったんだなあ」
なんて逆の感想を、抱くようになるかもしれない。

立派です。
特に、僕が勝手に見受けるところ、
岡田さんが「考える軸」みたいなもの、
「コンセプト」というとちょっと軽い&具体的に過ぎるのですが、
考え方、みたいなところは、たぶんずっと変わってないんです。
小さなところでマイナーチェンジとか、経験を積んで修正とか、
そういうのはもちろんたくさん入ってると思うのですが。
そこが一番、エライなあ、と。

人は誰しも、ボロカス言われればこたえます。
インテルでは今、ビエリとサポーターの間が、
バルセロナではクライファートとサポーターの間が、
ギクシャクしてるらしいですが、
誰もが認めるイタリアのエース、オランダのエースでさえ、
ブーイングひとつでガックリ来るものです。
でも。
どんな目に遭っても、
監督なら勝利を、ストライカーならゴールを、
挙げる他はなくって、
そのために積み上げてきたものを信じる他は、無いんですね。
それのおかげで、ブーイングを浴びる場所に居るのだもの。

自分を信じることを自信と言いますが、
罵声浴びてなお、それができる、
あるいは罵声を浴びたからこそ、それができるようになる。
追い込まれてそうなることも、ある。
あそこで間違って1勝していたら、
そしてそれで周囲が賞賛しか与えないようになっていたら、
そこに本人もすがりつけてしまえたら、
これほどの監督になれたかどうかはわかりません。

立ち上がるチャンスは、成長するチャンスは、どこにでもある。

岡田さんの大活躍には、ずいぶんと勇気づけられます。
彼は巨大な成功例ですが、(まだ成功の途中かもしれません)
例え道半ばであろうとも、あるいはさらに結果の出ぬ日々を暮らしても、
そういう気持ちと姿勢で居ることの大切さは、
誰しも同じはず。
がんばろう、と、素直に思える男の子一人、でした。

がんばろう。

12/14 よくわからない

ジュストコール!(挨拶)

所用で北海道へ行かねばならぬ用事ができ、
安く行きたいので北海道行きの旅行がたくさん載ってる旅行雑誌
「じゃらん」を買いに行った。

……寝起きに何か書くとものすごい悪文ですな。

てことで初めて「じゃらん」なるものを買ってみたのですが、
情報が多すぎてよくわかんない(泣)
「関西一週間」とかもそうなんですけど、
「にゃ〜、とにかくどこを見ればいいの〜」
という感じで……
まあ、「カーセンサー」とかあんなんも慣れるまで大変ですし、
生の情報蓄積誌、みたいなのはしょがないですね。
だからってWebにも限界はあって、紙の閲覧性は捨てがたいのです。

ま、それはいいのですが。
旅慣れた方なら皆様ご存じの通り、
今の旅行ってなんだかオカシクなってて、
航空券買ってホテル取るより、
こうした旅行社主催のパック旅行の方が断然お安いんですよね。
海外旅行でもそうなんですけど、割合的には国内旅行の方がひどい。
札幌-伊丹(関空)って片道35000円なんですけど、
往復してホテル1泊付きで28800円のパックとかあるわけです。

どゆこと?

もちろん飛行機というのはいつでも飛ばなければならないものですから、
空気乗せるぐらいなら例え1000円でも誰か乗せた方がいいわけですし、
ホテルだって常に突っ立ってるものですから、
空気泊めるぐらいなら例え1000円でも(メンテ考えるともうちょっと高いですか)
泊めた方がいいのでしょう、理屈はわかります理屈は。
あとどちらもガバッとまとめて押さえてもらった方がありがたいから、
そういう大口顧客にぐっとお安い値段で卸す、理屈はわかります理屈は。

でもねえ。

なんといいましょうか、
世の中ややこしくなりすぎるのはいけないと思うんです(笑)
カウンター行ってキップ買ってポイと乗って、
ホテルに電話して予約して泊まって、
フツーの手順をフツーにやったら一番バカを見る、
それはやっぱり変じゃないかと。
知恵と手間の限りを尽くしてお安くなる、そのこと自体は構わないと思うのですが、
(昔のJRの周遊券みたいな)
それにしたって半額とか1/3とか、
じゃ定価はなんやねん、という気になりませんか。
家電商品だって最近はオープン価格になってるわけで。

飛行機ってマイルシステムとか含めそういう、
スッチャデスさんの笑顔の裏にある
「なんか騙されてんじゃないか?」
気分が、どうもいけないと思います。
だからって格安低サービスは日本では苦しいという状況もあるのでしょうが、
安くしろ、って言ってんるんじゃなくて、
もうちょっとわかりやすくしてほしいな、と。
札幌まで3万5千円、東京までの新幹線とか考えればそんなものかとも思います。
ただ、横の人は1万円に満たない値段で乗ってるかもしれないな、
というのが悔しい、というか、切ない。

……なんていろいろ眺めて結論は
「もう少し先でいいや〜」
折角行くなら流氷と戯れてみたいとか妙なことを考えつつあります。


12/13 セルフ・ガススタンド

実はセルフ・ガススタンド初体験。

家の近所に随分前にできたのだが、
方向が逆向き、どこかへ行った帰りでないと入れにくい場所にあったので。
ブランドはゼネラル。

「アメリカではどうの」とか、事前の知識はまるで役立たず、
なんたってここは完全無人。
降りて機械を見ると、
「まずプリペイドカードを買え」。
まあ、持ち逃げ防ぐには前払いしかなく、
お釣りコントロール等々を考えればその方式もやむを得まい。
しかしカードはゼネラル全店共通とかそういうものではなく、
ここ湯里SSでしか通用しない。
そんなものの高額なのを買って不良債権化するのはよろしくないので、
今回は「モノは試し」と割り切って1000円カード。
もちろん1万円のカードだとさらに1円/L割引、2万円カードだと2円/L割引。
しかしたくさん走る人ほどいろんなスタンドで入れる気がするし、
法人用途だと売り掛け口座持つような気もするし……

ともあれそのカードを機械に差し込む。
そしてノズルを上げる。給油口に差し込む。トリガーを引く。
みょぃい〜〜〜〜ん……
思ったよりすごい勢いでカードの残高が減っていく。
瞬く間にゼロになると、有無を言わさずガソリンの供給は絶たれた。
当たり前だけど。
ハイオク99円、10L弱。
もちろんセルフでない店よりは安い。

やっぱりあまり乗らない人には微妙かな。
この季節外寒いし、こんなしち面倒なこと店員さんが全部やってくれて
窓拭いてくれてゴミ捨ててくれて空気圧見てくれて、
で1給油で500円とかそこらしか変わらないのなら……

でも逆にそこが、クルマをコキ使ってる人には、煩わしく無くていいのかも。
最近ではマシになりましたけど、昔はやれ水抜き剤だやれ洗車どうですかだ、
うるさかったですもんね。

でも、僕も小さい頃からクルマ好きだったからかもしれませんが、
親父と一緒にガススタンドへ行った時の、
待合所なんかで親父が余裕かます姿、というのはちょっとカッコよかったです。
大げさに言えば船長さんなんですよね、クルマのドライヴァーは。
もちろんそういう「頼むよ」みたいなのも
子供に取っては「おおー」なんですけど、
自らノズルを取って給油する姿もまた、
「おとうちゃんカッコイイ」
とか思われちゃうんじゃないでしょうか。

……ていうか大抵、クルマ好きの親父はクルマ好きなんですけどね(笑)

ただ、もうちょい、たとえばクレジットカードでも通るとか、
前払いはさせるけど満タンで終わったらお釣り帰ってくるとか、
利便性をも少しアップ願いたく。
細切れ入れだとトリップメーターが意味を失うので。

めんどくさかったけど、ちょっと楽しかったです。


12/12 欧州行くなら冬ですよ冬

そしてg石アナがオモシロ新婚旅行から帰ってきたというので
夜の西名阪を飛ばして名張邸に顔を出した。

パリから日帰りでベルギーの古き街ブルージュに電車の旅。
ご存じ欧州の鉄道など1h2hの遅れは当たり前、
行きのタリスがそもそも遅れて出発。
仕返しとばかりに帰りは
常にギリギリで行動するのを身上とするg石アナ+
買い物になると集中力が増して他のこと一切を忘れるリエさんカポーは
残り10分で市街地から駅へ行かねばならない事態に。
徒歩では20分。クルマでは5分。
しかしタクシーは出払ってて見つからない。

で、こんなピンチにこそ持って生まれた「ヒキ」が出るというもので、
街行くクルマの窓を叩いて「駅まで乗せてくれ」と迫ってみるg石さん。
やっとのことで1台の黄色い大型ヴァンが止まってくれた。
「急いでたんです、助かりました〜」
キアヌばりの美男子ドライバー応えて曰く
「救急車だからね」

小咄か。

あるいはウィーンでミニ三脚が倒れて愛用のIXYが壊れてみたり。
街の写真屋に駆け込んで新しいIXYを買ってみれば、
画素が2倍になってそれ以降の写真が目に見えて綺麗になってみたり。

どうでもいいですが記念に撮ったその写真屋のオヤジさんは、
日本の写真屋のオヤジさんの醸し出すイメージを濃厚に持ってました。
世界中どこでも「カメラ小僧のなれの果て」というのは、似ているようです。

帰国後実家にたどり着いて画像をTVに映そうと接続してみるも
おかしな映像、そこにたまたま居合わせたのが元電気屋しかもTV担当、
出力初期設定がPALになっているのを見抜いてNTSCにすると映ってみたり。

そんな小さな手柄をわざわざ誇るな。

そしてパリの2つ星レストラン(@25000)でワインに飽いて水が欲しい、
そんな二人はガイドブックを取り出して
「タダの水をください」
の項を指さしてシルブプレ。
日本で言えば「吉兆」で「水道水ください」。
しかも堂々のおかわり要求、ドゥ・キャラフェ飲み干して、
最後のエスプレッソ菓子を紙に包んで持って帰る。

いや、やっぱり、料理人的にはその方が嬉しいと思いますよ(笑)

まあ、なんというか、
これからもヒキにヒいてください。

ウィーン、パリ、ブルージュ、
ザッハトルテの甘そうで美味そうなこと、
そして僕は諦めたモン・サン・ミッシェルのなんとも言えない荘厳さ、孤高さ、
人の叡智と努力の結晶が青空をバックに輝いておりました。
世界遺産の本のちいちゃい写真見てる場合じゃない!

欧州いきたい。
いやごめん。
……ハネムーンいぎだい……


12/11 ゆず?

ひっさびさにMENつぁんと呑んだ。
現在仙台で整形外科医かつ研究者の道を歩んでいる。
「神戸の学会へ出席するから一緒に呑もうよ!」
というメールが仲間内MLに流れたのだが、
実のところ関西に居るのは僕一人である(寂)

しかし実際に顔を合わせるのは3年ぶりぐらいになるのだが、
MLでメールが飛んでるからかちっともそんな気がしない。
しかしすっかり東北人になっており、

「ビッグマン待ち合わせ〜」
「どこやったっけそれ」

とはいうものの会って話せば

「いや、久々にネイティブでしゃべれるわ!」
「仙台弁って何か特徴的な言葉ある?」
「『だっちゃ』かな」
「おお。ラムちゃんは仙台の人か」
「まあそんなところ」

彼も堂々の元アニオタ、医局説明会ポスター作成を命ぜられたところ
ギレン兄貴の「立てよ国民!」をパロって
「否! 始まりなのだ!」
などと描いてみたところ、若い学生さんに
「ところで先生、あれは鳥肌実ですか」
と尋ねられジェネレーションギャップに落胆、
翌年のポスター作成を断った過去を持つ。

「柔道部で4年ばかりポスターを担当したのだけど」
「うむ」
「ウケはいいが一人も後輩が入らなかった……」
「……」
「引退するとワラワラと」
「……ポスターって、ムズカシイよな」

ちなみに文芸部で似たようなことをやらかしたのはあたし。
なにもポスターだけのせいではないと信じるのだが、
35期が抜けた途端後輩が……

彼とは共に4年間劇をやっており、
脚本や演出の面では対というかお互い様というか、
「下ネタはMEN、くどいのはながっちゃん」
と呼ばれた黄金コンビであった。
すでに将来医者になるのと文筆業やるのと傾向が出ている。
趣味趣向も似てれば、古き時代には受験勉強への取り組み方とか成績とかも似てた。

ふと思った。
この、連中と話をしている時には、
僕はヤッパリ、高校生の頃の僕になる。
なにも作ってるわけでもなくって、もちろん普段が作ってるわけでもなくって、
彼らと過ごした長い時間があって、
その時の自分に戻った方が、話やすいし、楽しいのであろう。
そしてそういうプチ・タイムトラベルが、古くからの友人と宴を持つ
楽しみの大きな部分を占めているような気がする。

話は全く尽きなかったが翌日も学会があるとのことで終電お開きである。
残念。

ゆず茶を指して
「……こりゃなんだ?」
と問う。
「韓国ではゆずの蜂蜜漬けみたいなのが定番としてあって、
 それを湯で溶いて飲むものだよ。美味しい」
「では……
 ……
 ……それ以上でもそれ以下でもないな」
「まあ、ねえ」
「仙台ではゆずってものを見ないよ」
「へえ、じゃ焼き魚に絞ったりするのどうするの」
「かぼす? とかあんなの」
「へぇ〜」
「実家からゆずが送られてきてさ、
 ウチの嫁さん(秋田美人)、皮剥いて囓ってたもの」
「あはは」
「違うと言いながらフト横を見ると、娘もガジガジ囓ってた」
「あはははは」

MENちゃんは、この時期人々の手と顔が黄色くなる蜜柑帝国・和歌山出身。
柑橘汁がリンパを流れるDNAは、ちゃんと受け継がれているようである。


12/10 実機見聞 SS/SX・X505

えと、SS/SXとX505、見ました。

やっぱり実機見ないとなにもかもわかりませんね。
それはPCでもクルマでもそうで、
じゃあなぜ、Webや雑誌の発表だけ見た印象とかをツラツラ述べるのかと言いますと、
・プロモーションも商品のうち
・目で見て手で触ると、どうしても自分の視点でしか見れなくなる
というところがあるから、
先行して一般論(に近いもの)を述べてみようと試みております。

SS/SXは、思ったよりずっと「道具感」が強くて、
個人的にはすごく好もしく映りました。
ボンゴ・フレンディがデビューした時みたいな、
「ぶっさいく……だけど好ましい」
という感じ。剥き出しのD-sub15ピンとか実に今風じゃないんですけど、
必要なモノは全部ついてるし、
スペック等々考えると非常に使いやすそうではあります。
あの、縦ピッチの短い、指の攣りそうなキーボードが許せる方には、
非常によい機種ではないでしょうか。
20万を切る価格も、SS/S系よりずっとC/Pに優れています。
というか今、SS/S系とSS/SX系、自分で買うならSX系かも……

古くからのノートPCファンなら、COMPAQに「CONTURA AERO」という
傑作があったのを覚えておいででしょう。
あれと雰囲気が似てました。
飾らない仕事の道具〜って感じが。

X505。
薄さよりもなによりも驚きは軽さ。
展示機はバッテリが空のヤツだったので、もう少し重いと思うのですが、
(あれ止めて欲しいですよね。盗難とか消耗を考えてモックバッテリなのは
 いいと思いますけど、すくなくとも重さあわせて欲しい……)
「うわ」と思うぐらい軽かったです。
似たようなウェイトのVAIO Uも持ってましたが、
やっぱり小さな塊よりも平たい板の方が、
軽く感じるようです。

キータッチも許容範囲。
さすがにストロークがあまりにも足りなすぎる気もしましたが、しょうがないかな。
(僕はストロークは甘い方なんですが)
それよりもスティック式のポインティングデバイスが、
ちょっと古い薫りがしました。
今、ThinkPadの標準キャップって「ソフト・ドーム」という先端の平たいタイプになってて、
これにするだけで随分操作感変わったのですが、(いい方に)
X505は昔ながらのタイプ(IBMでいうとクラシック・ドーム)で、
それで損してるように思います。
で、たぶんIBMのキャップはつかない。
(昔、C1XFの時試してみましたが、軸径も高さも合いませんでした)
せっかくスティック式なのに〜……

モノ的インパクトは結構あって、実際売り場でも異彩放ってたのですが、
逆に売り場ではSS/SX見た後に
「ほぼ同じことできるアレの10万高か!!」
と思うと正直、かなり萎えます。
25万などという予想価格はどこへやら、おおよそどこでも30弱。
ネット通販でも28万をようやく切る程度。
以前のほえながで「ここを客も頑張らないと」と吼えてはみたものの、
やっぱり10というのは大きいです(泣)
5なら目も無理につむれるけど・・・・
だって、かなりいい液晶モニタ買えちゃうもんね。
あーた、DELLが20インチ1600*1200を11万円台で出してくる御時世ですわよ?

「すみません支えられません」という感じです(泣)

SONY的には、たとえば「薄い」とか「軽い」だけの付加価値で、
2万のポータブルオーディオと3万のそれとが併売できてたわけですよね。
でもそれは、絶対金額として1万の差だからで……
パーセンテージじゃないんですね。

しかし、これ見た後、SS/SXとか見ると、
「ゴツ!」
と思うのは果てしない事実で、
どうして似たようなことしかできないのにあんなにゴツイんだ、
とも思ってしまいます。
お金どこに使うか使わないかだけの問題で、当たり前なんですけど、
でもX505の方が、有無を言わさず
「最新鋭!!」
です。

あと二機種、また見て悩もう。


12/9 iTunesレイディオ

軽くご紹介で。
AppleのiTunesのWindows版がリリースされたのはお伝えしたと思います。
iPodとの親和性は製品についてきたMusicMatchの比ではなく、
また大ぶりでシンプルなユーザーインターフェイスは操作性良好、
主戦mp3プレーヤの座をWinAMPから奪う勢いです。

で最近、「ラジオ」(Webラジオ)の項があるので
(気の利いた/売り物のmp3ソフトには今はほとんどこうした機能ついてるようです)
試しに使ってみると、結構いいチャンネルが揃ってる。

もちろん、Windows標準のMedia Playerでも今は同じことができるんですが、
プリセットされてるところの選び方が上手いというか、なんというか。
この辺がApple、センスあるところ。
Media Playerだとトップに日本のFM局(の、Webラジオ)がずらりと並びます。
それはもちろん悪いことじゃなくて考え方なんですが、
それは、PCでWebラジオ聴こう、と思い立った時にファーストチョイスじゃないような
気がします。
ラジオ聴きません?そういう人は。
一時BBCに凝ってたこともあったのですが、
あれもやっぱりあくまでも「ラジオ局」なので、
そういう作りの番組が多いんですね。トーク入ったり。
で、人の声が苦手な僕はその度にチャンネル変えたりしてたのですが、
iTunesはもう完全にBGM狙い(音楽のチャンネルは)の局を選んであります。

しかも厳選、ちょっとずつ。
この、「ちょっとずつ」っていうのも非常に大切で、
むかーしPalmの開発者が
「詰め込むのは誰にでもできる、これだけに削ってるのがウチのノウハウ」
みたいなことを胸を張って言ってたのですが、
その通りです。
ネットにはWebラジオがこれでもかというぐらいある、
そんなことはもうわかっているわけです。
そんな中で良質あるいは定番を教えて欲しい。
Webは、特にそういう文化です。
一つ二つのド定番と、有象無象。
その辺のキモがさすがよくわかってるなあ、と。
「あれもこれも〜」ってやっちゃった方が楽なんですよね。
でも、それはユーザー見てない。

てなことでiTunes単独でも愛用してます。
念のため、ダウンロードはこちらから。


12/8 ノン・エアコン・システム

今年の冬は、なるべくエアコンを使わないようにしようかな、と。

風邪の大敵は乾燥、しかしご存じの通りエアコンを使うと
バカに乾燥してしまいます。

加湿器は、一時試してみたのですが、
加熱型はうるさいし電気喰うし、
蒸発型は気が遠くなるほどメンテナンスが面倒なんです。
そもそもが水は毎日どころか数時間に一度補給ですしね。
それ以前になんだか、ドーピングして中和剤飲んでるような気もしなくもなく。

で、足元に小型電気カーペット、膝元に毛布を掛けて、
カーテンを遮熱型(ステンレス織り込みとか)と遮光型の2枚重ね、
エアコンは無しで……という頭寒足熱作戦やってみました。
そこそこ快適なのですが、欠点が一つ。
手がかじかむ。
キーボードも扱いづらくなるし……

やっぱり部屋暖房必要だ、ということでオイルヒーター。
しかし、暖まり方は大好きなのですが、
肝心の部屋(のゾーン)は電源容量が足りず、
頻繁にブレーカが落ちるんです(泣)
PCあるので、怖くて使えません。

オイルヒーター・(寝室に)電気毛布と1スロット分バカ食いする機材が2つ、
そこで最後の一押しをするのがたいてい、ウォシュレット。
あれも暖房便座結構電気喰ってそうですし、そこにあの
水圧ドライブが入ると支えきれなくなるようで。

これ、他人に落とされるならともかく、
夜中に自分がトイレに立ってさあウォシュレット、
という段で落としちゃうと実に悲惨でねえ(泣)
突然の暗闇の中、半身裸身のまま悲嘆にくれるわけです。
しかもよくできたことに落ちるゾーンは私の生活ゾーンだけなので、
台所からは楽しそうな談笑の声が聞こえてくるわけですな。

お馴染みのネタで、
ロダンの「考える人」は便座に座って紙が無くて困ってる姿だ、
というのがありますが、まさにそんな感じ。
一瞬前までは排泄の快感という生命の煌めきに酔いしれていたのに、
おお今は暗闇の中汚れにまみれて立ち往生。

セ・ラ・ヴィ。

電気毛布を使わなければたぶんいけそうなんですけど、
夜のある時間になるとおばあちゃんが勝手にスイッチを入れてくれるのです(泣)
やっぱり三文安いのですが、
そんな善意を怖い顔して止めてくれ、と言えないまま大きくなってしまいました。
容量増強工事も結構なお値段しますしね。

オイルヒーター出力半分、電気毛布パワーミニマム、
それでなんとかなるのかな……
と、ビクつきながら試しているところです。

全館床暖、入ればそこは別世界、みたいな家はちょっと憧れですが、
ま、そんな家に住むとますます精神がたるみそうでよろしくないかも、
とか負け惜しみを言ってみることにします。


12/7 トラブルメーカー

ウチのまま上は、ギャルゲーのヒロインかと思うぐらいネコキチガイである。

「和久、和久ぁああああ!!!」
天地が裂け雷鳴が轟くような絶叫で日曜の朝叩き起こされる。
「リッキーが、リッキーが! ビニールで!! すごい勢いで!!」
この人は日常会話から説明文が苦手で
常になにがどうなってるのかさっぱりわからないのだが、
興奮すると逆に不要な情報がすっぽり落ちてわかりやすくなる。
どうやら我が家のネコ電撃隊(4匹であるが故に)一のトラブルメーカー、
リッキーさん(白黒・3歳)
がホームセンターのビニール袋を被ったまま床下へ潜り込んだらしい。

連れ出さねば窒息する、と己が窒息しそうな紫色の顔色で訴える。

んなわけはない。
人間と違ってもう充分な青年ネコでもありキャッツらには
シャープな牙も爪もあるのだ。
と、丑年の祖母、亥年の私が説きほぐそうとするのだが、
子年の母はガンとして聞かない。

きっと前世で何かあったのだろう。

半狂乱になった彼女は始皇帝よりも権力があるので、
私は潜り込んだ現場付近に這いつくばってその辺りを見てみた。
どうやらそこからさらに居間の床下に繋がっているようで、
いるとすればその方面か。

西太后は居間のベッドを上げ畳を上げ床を剥がすという。
「三国志」や「項羽と劉邦」を読んでると英雄達の活躍よりも虐げられる農民達の
あまりのあまりな悲惨さに心奪われ、
ちっとも英雄達が英雄達に見えてこない極めてアジアモンスーンな心の持ち主である
私は、素直に従うことにした。
ベッドを立て、敷物を剥がし、スタイロ畳を上げ、床下板を剥がして、
20cm程度の床下空間に這いつくばり懐中電灯を振り回した。

居ない。

かわりに、破れた新しめのビニール袋が現れた。
幾分ホッとした。
母の言う窒息の事態はおおよそ避けられた証左であろう。
しかし人間の心理とは面白いもので、
そこでホッとすればいいものを母はなお、いや母だけがなお
(私はこの時点でもう9割方安心している)
「いや! これかホンマに!? もっと大きい袋やったんちゃうか!!」
と絶叫している。
悪い方に考えてもしょうがないのに、
まあ良い方に考えてもしょうがないのであるが、
最悪のパターンを考え続けるのはいかがなものであろう。
それが吉と出る時もあるだろうが、
このようにだからといって何もできない場合は明らかに凶であろう。

FFの電源を入れた。
待ち合わせているS上さんに
「ごめん遅れるいつになるかわからん」と電話を入れた。

小一時間。

「見つかった見つかった!」
見つかったも何も洗濯機の上の屋根の桟に
歌舞伎役者のような見得を切ってのご登場である。
コイツのヤラシイところは自分が原因でエライ騒ぎになった、
という自覚だけは多少あるらしく、
降りてこずに桟の上で縮こまっているフリをしている。

アホにはいろんな種類があるが、
電撃隊の三男坊(ダイヤジャック)にあたるであろうアイ吉は、
「わかってないアホ」
であり、空気読めない上に自分の行動の顛末も読めてない。
しかしこの長男(スペードエース)リッキーさんは
「アホしてしまうアホ」
であり、「おおよそこの行動はよろしくない行動ではあるまいか」などと
ある程度思いつつしかし不可抗力のようにその行動に吸い込まれてしまう。

その結果として私に床板のめくり方とスタイロ畳が妙に軽い、
という二つのTipsをもたらした。

慌てて着替えて飛び出して、梅田の街で
S上さんと鉄心さんと、ビールを浴びた。
オモロイおっさんが「ネイチャー」の表紙を飾ったにもかかわらず
虐げられている話を聞いてゲラゲラ笑いながら憤ってみたりした。

したたか酔っぱらって帰宅すると、
リッキーさんは末っ子にあたるマイクルにのしかかるようにして
隈取りのような白黒の顔をシンプルな寝顔にしていた。
なんて幸せなアホだろう。
マイクルは優しいのか弱いのか、いつもみんなの枕になっている。
僕が来たのを見て、少し離れたミル吉(次男)が
「なー」
と声を上げた。
三匹を同じぐらいずつ撫でて部屋に戻った。

トラブルは、解決してしまえば面白い。
トラブルの無い日々よりも、
トラブルが解決されていく日々の方が面白い気がするが、
贅沢かもしれない。
酔いか興奮か、醒めやらぬ熱さのまま、布団に潜り込んだ。

翌日。
風邪だった。


12/6 take the offensive

大慌てで追いつこうかと連日ちゃらんぽらんに書いている「ほえなが」です。

なんかもー、最近ね。
いい意味でも悪い意味でも、
「もーなんでもいーやー」
みたいな気持ちになりつつあります。

コレも、「ほぼ毎日」を頑張ろうと思ってきたのですが、
先日いろいろ大きな出来事起きて、それを前にして
「う〜ん」とか唸ってるうちに日が過ぎて、
ますます「う〜ん」ってなって……
と、なにか表現系のことされたご経験あるならおわかりになると思う
スパイラルに落ち込んでみたりして、
で、このテイタラク。

もちろんその日飛ばして当たりさわり無い話題から進めてってもいいのですが、
というか昔はそうしたのですが、
「それもなんかウソ」
だとも思います。
で、少し前までですと、
その嘘をつくことも技術(や根性(や思い上がりかも知れませんがサービス精神))
とか思っていたのですが、
「いや、もう、そんなんはどうでもいいことじゃないですか」
とも思うようになってきたのです。

で、そのこと自体は悪いことではなくて、
視界ちょっと広めに観れてることなので、むしろイイコトだと思うんです。
ただ、毎日できてたものをできなくなる、あるいはできにくくなる、
というのは、単純にヨクナイコトなので、
差し引き、ゼロなのか、
いややっぱり、ちょっとは進歩なのか。

そんなこともまで含めて考えて
いるフリをしてボヤーダ樹で戦/赤盾の柔らかさに鼻水が出てたわけです。
54の時、忍シ狩赤黒詩 というヨダレ構成で240乱発してた同じ敵に、
57、戦暗シ赤黒詩、赤さんと私のMP一戦でスッカラカン。で経験値156とか。
どういうことですか。
いや、時給自体はかなり良かったんですけど毎戦ヒヤヒヤ……
いやそんなことはどうでもよろしい。

ちょっと振り返ってみますと、やっぱり昔は、
書いてるだけで満足
という、大基本かつ最も大切なことですが、
一番低レベルでもある部分で良しとしていたんですね。
ご飯で言うと、「食べてるだけで満足!」です。

次に来るのは当然
「おなか一杯食べたい!」
で、実際一時狂ったように指がヘトヘトになるまで書いてたものですが、
その段階もちょっと終わりつつあるかも。

ならば次は、おそらく、
「とにもかくにも、良いモノを」
なのですが、これを突き詰める段階では、どうしても量的な面とか、
サーヴィスの面とか、おろそかになってしまいます。
もうお気づきの通り、量と質とを両立できるのは次の段階で、
私のような凡夫には、まだまだ手が届きません。

ですから逆に量で押すならいつでも繰り出せるスキルで、
(自分基準における)「ある程度」でいいのなら、
そりゃ時間と空間の許す限りいくらでも書けます。
でも、そんなの、しょうがないですしね。
その「ある程度」というのが、
『なんらかの事情により(笑)』
商業的に認められるゾーンにあって、
それでがっぽがっぽお金でも稼げるというのなら魂も売るかもしれませんが。

てことで自分の思う基準での
「イイモノ」
方向で行きたいと思ってる2003だったのですが、
これがまた。
あまりうまく行かなかったのも事実なんです。

舌根不乾ですが量と質とは不可分かつ表裏であって、
ごり押ししているうちに入る点もある。
とにかく運動量で圧倒すると結構勝てちゃう。
動かずに一発のパスばかり狙うと、押せば勝てる勝負も負けることがあるんですね。
勝てばいいというものでもありませんが、
負けるよりはいい。
負けにもいい負け、がありますが、
勝ちは大抵、それだけで文字通りカチがあるものです。

なんでもいーからもうちょい、動かなきゃ。

と、思った2003最後の月に入るか入らぬか、でした。

しかしたっぷり時間掛けて悩んだだけのことはあって、
要らない要素と要る要素とがおぼろげながら見えてきたような気もします。
それが、
「これとこれはもーいーやー」
ということです。

実のところウェディングボード作りながらとかも、ずいぶんそんなことを意識しました。
その時のほえながではカッコよく書いてますが、
「ここはこれでもーえーわー」
というのが多々あって、
それはホントに言い訳ではなくて、
テキトーっていう意味の「適当」ではなくて、
適切だと思う、という意味の「適当」。
結局、できんことはできん、ので、
自分の持ちネタと、その瞬間瞬間で生まれては消えるアイデアと、
それらを混ぜ合わせるのと、それでやるしかない。
それは、当たってみないとわからない、ということでもありますし、
「アレはカッコイイからあんな感じで」というのでは無い、ということでもあります。

「あんな感じで」をやっていては、
いつまで経っても「あんな感じ」のものしかできないです。
できあがりがどうであれ、
「自分にしかできないもの」……というとちょっと不遜、
それならば言葉を換えて
「世界にたったひとつ」
……不必要にメルヒェンですな。
まあ、そんな感じのものの方が、価値……というか、それも生臭い言葉なので、
とにかく、「ここちよい」ような気が、します。

ボードも最初、カリグラフィーとかでオサレに決めようとかしょーもないこと思って、
実際ハンズへ買いに行ったのですが、
ペンを見ながら悩んで、止めました。
そんなんやるんやったらその道のプロにやってもらった方がええやん、と。

簡単に言うと
「ひらきなおり」
なのですが、このぐらいで開き直っていいものか、
あるいは今ぐらいで開き直っておかないとマズイのか、
そんなこともよくわかりません。
しかし、そんなことも
「もーえーやん。考えてもどうなるもんでもなし」
とかも思えたりして、
とりあえずかなり全面的にひらきなおっております。

英語調べますと
take the offensive
とか
turn[come] to bay
とか。
日本語のニュアンスにある「諦観」があんまり入っておらず、
牙を剥きだして歯向かうイメージなのが、文化の違いですね。

後はそれをどう現実に落とし込んで行くかですが……
こればっかりはやってみないとわかんないですしね。
どうなってしまうのかは天が決めることで、
わたしゃ人事を尽くすのみです。

しかしとにかく尽くさなきゃ(笑)

M澤先輩、心配してくれてありがとう。
全然元気です(笑)


12/5 FF日記・大皆伝魔球

皆伝!(挨拶)

……なんとか調理皆伝です。
70代キツかった〜。
他の合成と比べれば屁みたいなものでしょうけど、
とにかく「サーモンのムニエル」と「チョコドリンク」ぐらいしかまともなレシピがなくて、
ムニエルは地獄のようにスキル上がらないし、
クリアマインド強化(と、ヒーリングMPアップを持つパイHQ品追加)で
チョコドリンクは今や立派な死に筋商品、真っ赤っかもいいところ。
無理矢理上級サポートつけて割れ割れで焼いたパンプキンパイが
競売で一瞬で売れた、そのあまりに久しぶりの感触に大感激してました。
この後は73まで「カモミールティー」
(現在詩人用の最高食事なので利益1個100G程度だが回転率高し)
75まで「パンプキンパイ」
(この上のロランパイがスタックできないので現状では後衛用最高MP上昇食)
併用で上げていけるので、
ちょっぴり黒も出てとっても楽。
スキルの上がりも結構いいです。
やっぱりサモ・ムニは罠レシピだ……
ボスディン菜ソテーの時もそう思いました。どうも炒め物はスキル上がらないようです。

ただし80代後半はほぼロランパイ一択で、
これはパンプキンパイほど回転は良くないので今からちょっと不安かも。
というより、16日のパッチで100まで解放されると、
そのゾーンにさらに強力な食品があった場合、
お客さんがそっちへ流れる危険があるんですね。
チョコドリもクリアマインド強化パッチ前なら割と人気商品だったらしいですが、
今は見るも無惨です。
たぶんウチのサーバで今あれを三国で供給してるのは僕だけじゃないかな(笑)

一般前衛用が山串で止まってるのもアレで、
確かにあれ以上高性能な食事は取らせたくない気持ちもわからなくはないですが、
攻撃力35%アップぐらいの優秀な食品を90以上のゾーンに是非。

調理はほんと、儲からない合成です。
街の食べ物屋さんだって、600円ぐらいのラーメン一杯で何百円かの
利益があると思うのですが、
我々は原価600円のモノを600円で売れて
「おお。トントンで回るやん。らっき」
などと訳のわからない喜びに浸ります。
それは、スキルが上がるからなんですね。
もう、調理の能力を上げること自体が目的化しており、
その結果何ができるとか儲かるとか儲からないとか、そんなこたどーでもいいのです。

行ですな。
あるいは道。

アントニオ猪木先生からイメージする単語というと我々の世代は
「闘魂」
一択なのですが、ちょっと下の世代になると例の「迷わず行けよ」のアレから
「道」
とか言い出す輩も居て、時代の移り変わりを感じます。
何度か出した話題で恐縮ですが、どこかの雑誌で読んだ話、
星野一義選手の現役時代の枕詞は
「日本一速い男」
で、それはもちろん中嶋悟が居ても鈴木亜久里が片山右京が本山哲がいても
そうだったのですが、晩年それを揶揄する若いぺらぺらな
もーたーすぽーつ・ファンに対し、
スカイラインの前回の連勝を知ってるような古参ファンは
「バカモノ、あれはニックネーム、あだ名であって、
 そうである以上一生変わらないのだ」
と教え諭しておりました。

なるほど、と膝を叩いて頭の上にソウルボイスのミラーボールが輝いたのですが、
とすればあだ名は、できるだけ大きなあだ名を付けてもらった方が得だなあ、
なんて思いました。

しかし考えてみれば嘘くさいほどにデカイあだ名つけてもらえる人、
というのはやーっぱりビッグな人に限られており、
つけられる時点で勝利してるのかもしれませんな。

なんの話してましたっけ?
最近、物忘れが酷くて……

そうそう、行でしたね。
お稽古ごとと同じで、それでメシを喰うとかそんなこと考えなくても、
自らの中にそういう技能が蓄積されていく、
それは例えヴァーチャルな体験であっても楽しいものです。
書をやってもせいぜい活躍するのは結婚式の受付ぐらいなんですけど、
そしてごく稀に何かを書いてくれと頼まれるぐらいなんですけど、
それでも、嬉しい。

「何になる」とかもっと端的には「金になる」よりも、
「だって楽しいやん」
をもうちょっと大事にしよう。
そんなことをカモミールティーを淹れながら思いましたとさ。

え?
大事にしすぎている?

うん、そうかも〜(泣)


12/4 バラは枯れて生きる

そしてミニバラは見事枯らしてしまいました……

2日ばかり目を離したら、もうカサカサになっており。
日照不足・乾燥する部屋・植え替え時の水不足。
理由は色々考えられるのですが、
要するに僕には荷が重かった(泣)
観葉植物から始めます(泣)

それでも生き物というのはしぶといモノで、
枯れるのは花とそれを支える一番先の茎から、なんですね。
エネルギー使いそうな部分を切って、
本体は生き残り捲土重来を期す。
ものの見事に全ての花の先が(つぼみも含め)
枯れたので驚きました。
よくできています。
あたりまえですけど。

経営者の皆様にはご参考になるのではないでしょうか(笑)
爺さんが盆栽を好きなのはここか!?

欲がなければ的確な判断が下せる、
しかし判断を下そうというのは欲のなせるワザ……
一次元高度な欲を持てばいいということでしょうか?
少なくとも、時間軸込みで物事を観れる
(それを一次元高いとも言える)
のは、随分と視界が拡がるような気がします。

葉っぱ部分は青々としており、元気です。
花を摘むと、ますます。
「これってしばらくしたらまた花が咲くのかな」
「そうとうしばらくしたらな」
とはまさに土いじりするために生まれてきたようなその名も茂実師匠のお言葉。
いや、母ですけど。

何も知らないなあ。

なごむ前にハラハラしては本末転倒だとも思うのですが、
それでもやっぱり、部屋に緑があるのは良いことです。


12/3 えっふぃー見参

……なんて書いた舌の根も乾かぬうちに
MURAMASA PC-MM2
ですよ……どうしよう。
えっふぃーが発表になった時に、搭載を検討しているメーカーの少なさに
小型機好きの多くが呆然としたものですが
(主要メーカーではHPとSHARPだけだったんじゃないかな)
#さんはきっちり出してきてくれてよかった。
#得意の「世界初」Efficeon搭載機です。

ベンチ出ないと、いや実際に使ってみないとわからないですが、
Crusoe機と比べてだいぶマシになってるのでしょうか。
もう、それ次第としか言いようがないですね。
今はライバルとしてLet'sのRだけでなくX505もあるので……
値段で何万円か勝てる、のはそうですが、
この特殊ジャンルであまりコスト要件が決め手になるとは考えにくいかな。
いや、サブ機だからこそ安く上げたい人も多いか。
うーん。

このシリーズ、実は各所にクセがない設計で、
「ものすご遅いのさえ我慢すれば」
結構使いやすそうな機種だったんです。
あと、価格の安いのも売りで、H3とか安売り通販で12万切るぐらいで
売ってたころもあって、もしえっふぃーが安いのなら、
15万とか切れる実売を実現できるかもしれない。
それで、我慢できる程度のスピードで動いてくれるなら……
理念がどうのコンセプトがどうの言う前に、
主婦感覚で手が出る機種になりそうですね。
現実のモノの売れ行きって結局そこが大事ですから、
話題にはちっともならないけど、X505なんかよりずっと数が出たりして。
でもないかな、やっぱりブランドは強いか。

クレードル云々を別にしても、ケレンミ無く作られたいい筐体です。
X505みたいな禁じ手抜きで、ちゃんとEtherも内蔵ですし大容量バッテリも
2種類、底面型で綺麗にご用意。
欠点を強いて上げれば256固定のメモリかな。
あと輝度の低い液晶。
残念なことにそれは受け継いじゃってるみたいですが。
新しさゼロの代わりに、不安はありません。

発売は……年明けですか。
やっぱりこれも見ようかな(泣)
◎X40 ○X505 ×MM2
という本誌予想。
ごちゃごちゃ言っても結局はキーボード、というのが私の判断基準な気がします。

微妙にシャープっぽくてちょっと微笑ましいのは、
前機種MM1シリーズからレイアウトとか全体的な設計はそのままで、
冒険してないところ。
いや、Efficeon搭載機出す自体が大冒険です(笑)
この辺のすっとぼけ加減が、あのメーカの素敵なところですとも。

あと、中村眞さんがパソコン・モバイル事業部の事業部長になっておられて
驚きました。
在籍中何度かお仕事ご一緒しました。
優しそうな顔に似合わずシャープの誇るすごい俊英でいらっしゃいます。
順調に出世されてるなあ。

ああ、時は経つものですね。


12/2 X40

フォーティ!!(挨拶)

ウルトラマン80(今考えるとすごいネーミングですな)
に変身するのはヤマトタケル(今考えるとすごいネーミングですな)
ですが、彼は普段は学校の教師でした。
ちきゅーぼーえーぐんみたなのと掛け持ちですよ。
まさにウルトラマン。
あまつさえ初回のサブタイトルは
「ウルトラマン先生」。

今考えるとすごいネーミングですな。

そんなことはどうでもよろしい。

「12/6までに対抗機種が発表にならなければ……」
とエクストリームたんとの御対面を期待しておった次第ですが、
やはり大御所2社が黙ってはいなかった。
dnyabook SS SX
と、
ThinkPad X40
でございますですよ旦那。

SS/SXの方は、恥も外聞も捨ててLet's noteが成功した手法、
「薄さにこだわらず軽さにこだわる」
という方向性でSS/S系、A4Thin/Lightのアナザーチョイスとして出してきた機種ですが、
これもう諸刃の剣で、こっちウケるとSS/S系は死ぬ。
しつこくてごめんなさい、なのですが、A4T/Lを買う層、っていうのは
実にほんの少しの
・ホントはB5系が欲しいけどロクなの無いから
と、割と大量の
・A4の「ポータビリティの高いのが欲しい」
という二系統あると思います。
で、どちらにとっても「薄さ」というのはあまり訴求点にならないんですよね。
「軽さ」と違って。
薄いと実にスタイリッシュになるのですが、「それだから」と言って買ってくれる層、
なんてんでしょ、PCにそういう余計な要素を認めてくれる層は、
このゾーンのモノは買わないような気がするんです。
光学ドライブついてないと不便だし、もちろんVAIOUとかInterLinkみたいに
特殊用途でもないし、値段も高いから(モバイルの)セカンドチョイスにはもったいないし。

やっぱり、このジャンルは結局のところ
「主戦ノートで・できるだけ小型軽量」
というジャンルで、で、主戦というからには12インチXGAとフルキーボードが譲れない、
そんな層のようです。

で、いきなりぶっちゃけた話、主戦で使うからには実は光学ドライブは
あればあったにこしたことがなく、
そこで既に存在するのがパナ嫌いの私ですら名機と言わざるを得ない
Let'sのWと、ベクトルは違いますが同様に軽量でドライブのあるVAIO TR。
で、もっとコアな1スピンドルユーザ、私のように小うるさい元・B5ユーザからすれば、
やっぱりもっとフットプリントの小さいマシンの方が魅力的に映る……
(X505が魅力的なのは、軽さよりもそこです)
とどのつまりは「ここってもう人居ないんじゃ?」と不安になるところなんです。
しかもLet'sのTが出て随分になるこの時期に、
しかもWやTRがそこそこはけてるこの御時世に、
旧大御所2社が似たようなモノを出してきたあたり、
流れの良し悪しを感じます。
キツイ言い方すれば、「遅い」。

ただ、でも、落としどころとしては今・ナウ・1スピンドルモデルを用意するなら、
(そして超小型機を除けば)
ここへハメ込むしかビジネスとしては成り立ちようが無いような気もします。
やっぱり「光学ドライブは要らない」というユーザはまだ一定程度居ると思いますし、
(その昔アメリカでセクレタリーカーとして2ドア車を欲しがったような(笑))
また、両者共にもっと尖ったSS/S系やX31系と比べて実は結構な割合で
価格が安くなっており、
「実用品」としての価値は上がっています。
で、無理にいいように言えば、IBMや東芝が市場の流れを見て、
まだ1スピンドル機をやってくれるという意思表示でもある。
それは、ちょっぴり切ないけれど喜ばなくてはならないところなのかも。

歯切れ悪いですな。

ま、ごちゃごちゃ言う前にLet'sのTが
(T単独と言うよりRとW込みで目を惹いてる、あれは上手いですよね)
割と健闘しちゃってるわけですから、
片意地張らずに似たものを突っ込む、というのは日本のメーカの
得意とするところです。
だから別にそのこと自体はいいと思うのですが……
キーボードが。

そろそろ「これはやっちゃだめだよね」ということで半死語を用いればFA出てる
「縦ピッチ切りつめキーボード」。
これってVAIOのSRX系とLet'sのR系がほぼ同時に採用したと思うんですが、
その当時から「これはどうよ?」と言われてて、
でもその二機種はまだB5系だったから許してもらえた側面があって。
LaVieJも先代で同じことやって筐体ごとモデルチェンジを強いられ、
Let'sのT(とW)も、
「欠点といえばそこはかとないダサさとキーボードだけ」
と言われるぐらい。
なぜ今さら……感が結構あります。
Dynabook(先頭は大文字だ!くそ!)といえば、キーボードは「最高」とは言えずとも
「ちゃんとしてる」のが伝統だったのに……
レイアウト上でしょうがなく、だというのは言い訳で、
それは譲るべきポイントではないのでは。
こういう時に兄弟機種があるのは痛し痒しで、
「そういう人はSS/S系で」
という話になるのかもしれません。
でもそれは売り手の考え方で、買い手の視点ではないですよね。
「これが欲しい、これが合うか合わないか」
が勝負ですから。

東芝的なセールスからいえば主に法人用途から、
ある程度満足できる結果が生まれるかも知れませんが、
そして、A4T/Lという我々トゥルーモバイラーかっこわらいからすれば
唾棄すべき商品ジャンルが幾分なりともまともな方向へ向かう
キッカケになる気がしなくもないような気も若干

微妙(笑)

SS/S系は、好き嫌いはあれ輝いてると思うのですが、
SXは随分鈍い光。でもその分、頼りになる相棒っぽくもあり。
私はあの縦縮めキーボード大嫌いなので買いません。

---

さーもーちょっと頑張ってX40いこー。

これ、もう9月末あたりですでにネットに噂が流出してたモデルで
(Dothanのキャンセル前)
その時からケンケンガクガク、
「TPともあろうものが(交換のほぼ不可能な)1.8インチHDDとは何事ぞ」
とか、X系がパワフルな時代から使ってるユーザの
「CPUパワーダウン!?統合チップセットビデオ!?勘弁して〜〜〜」
とか、あるいはある程度諦観入った皆さんの
「そんだけ犠牲払ってもLet'sのTみたいに1キロちょいにはならんのか、
 良くも悪くもさすがTP」
とか、いろいろ言われてました。
私もそれらモロモロ、全部思います(笑)

VAIOのV505系の「パワーコンパクト」みたいなコンセプトに惹かれる層の
気持ちはわからなくもなく、(あちらは光学ドライブ載ってますが)
そしてX系は24あたりは実際にそうだったので、
思い切りパワフルなX系、というのもそれはそれで魅力です。
ただ、TPは昔からスペックよりも質実剛健、
道具としての信頼性で売ってきた「ブランド」ですから、
どっちかというとこっち向きの方がTPらしいような気もします。

ただやっぱり、X31比でCPUはガタ落ちビデオも内蔵
HDD容量も減った上に交換不能でオンボードRAMも今さら256、
得意のバッテリ持続時間さえ削られ、
で、得たものといえばわずか400gの軽量化……
果たして進化とか後継とか呼べるのか、というと小首は勝手に傾きます。
IBM自身もX31を併売する、という苦しい身の振り方。
シリーズ分けして、X系をもっとパワフルに、例えばS系という名前を復活させて……
というのが本筋なんでしょうが、S系がビジネス的には今ひとつだった
トラウマを誰よりもIBMが感じてるらしくて、こんな顛末に。
SONYならなんの躊躇もなくシリーズ分けするところでしょうが、
「いや、Sってほどでもないし」とか変に真面目なところが出ちゃったのでしょうか。
あと、X31は「Dothan載せてX32」という目論見かも知れません。
それも見てみたいような気もしますが、それを言ってるといつまでも……

え?
TPの新型だってのに随分冷静だな、って?
ん〜、これだったらX31のがいいかな、とか思ったりも……
SS/SX同様、あっちの方が個性あるような気がするんですね。
間違いは無いんだけどドキドキしないというか。
「ああ、そういうTPですね」みたいな。
しかし、TPっていうのはそういうもののような気もするし。
思えば535だって、積極的に買ったのではなくて、
「まあ、やっぱり、これかなあ」
みたいな買い方でした。
気持ち分析的には随分微妙で、それを落ち着きというのか、
諦めというのか、それは結果論に過ぎないような気もします。
SS/SXほどヤンピ、とは思いませんが、
これがあるが故に逆にX31と迷いそうな、そんな変な機種です。

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とどのつまりは繰り返しになりますが両者揃って
「今ナウLet'sのTかよ!」という製品であり、
悪くはないと思うのですが、「わ!」という驚きと喜びがヒトカケラも湧いてこないのは、
事実です。
そしてX40のデビューは悪い冗談のようにクリスマスイブ。
そこまではペンディングにしておきまする。
エクストリームを前にして気を失うのが正しいながた像のような気もしますが、
「もうあまり無理はすまい」
とか最近よく思っていたりもして……

でもいろいろ選択肢があること自体はトテモイイコトです。
クリスマスが楽しみだ〜(号泣)


12/1 乞食

12月に入っても、やらなきゃならないことを全て忘れてFF。
いいのか!?

北米でのサービスイン、そして外人さんが大量に流入してきたわけですが、
やはりメンタリティの相違というのはかなりあります。
ゲームだからこそ、そういうのが生で出やすいのかもしれませんが。

一例を挙げると、向こうのプレーヤーには日本人ではほぼありえない
「乞食」
がいるんです。
端的なのは「金をくれ!!」とエリア全部に絶叫する輩とか。
私も会いましたよ、通りすがりのなんの面識もない人間に
「僕は物乞いじゃないんだけど、どうしても剣を買うために500ギル必要なんだ。
 よかったらお金ください」

それを物乞いといいます。

で、ネトゲ用英会話とか扱ってるHPさんとかあって、
そこではそういう連中への対処法がまとめられている。
つまりそういうのは当たり前に行われる行為なわけですね。
切り返し方も厳しいですよ。
「お前の母親はこんな姿を見たら泣くだろうな」
とか。
で、『向こうの人はお母さん大事なので、そう言われると大抵ひっこむ』とか。

ていうか引っ込むぐらいなら最初からするな。

結局、日本人は「それを言うこと自体が猛烈な恥」なので「やる」という選択肢自体を
選ばないのですが、表現しにくいのですが彼らには
「言って通ればそれは恥ではない」
という考え方感じ方があるらしく、行為そのものへのハードルは
我々にくらべかなり低いようです。

ヘビィなゲーマーの中には、
日本人はMMO(多人数同時プレイのオンラインゲーム)の楽しみ方がヘタクソだ、
という方もおられて、確かにやっていると、
関わり合いとしてはもうちょっとフランクでもいいと思うのですが、
(FF11自体がタイトすぎるのでみなの心に余裕がない面はさておき……)
でも、いかにロールプレイあるいはヴァーチャルワールドといっても、
「金をくれ」
の一言は、我々にはなかなか出ません。

外交問題等々でも、
もちろん本職and/or最前線の方々はそんなことは百も承知でしょうが、
彼らは
「言うて通ればめっけもの」どころか
「言うて通れば、通ったんだからそれは真っ当な要求だった」
みたいなノリがあるらしい。
で、もちろんですがそんな要求は向こうも「言ってみる」だけであって、
通らなかったからどう、とかいうわけではないんですね。
「あっそ」みたいな程度で。
それを、目くじら立てて
「なんて無茶な要求を!!」
なんてそのこと自体に憤る必要もありませんし、
「ああ、この要求呑まなきゃあとでどんなヒドイ目に……」
と深刻に思い悩む必要もありません。
「そりゃちょっと厳しい」
と正直なところを伝えればいいはずです。

もちろん権謀術数駆け引きの類はあるにせよ、
大本で何かを言ってくる時の相手の気持ち・考え方・感じ方自体から、
もうすでに違っている、という点はよく肝に銘じておかねばならないようです。
ここをすれ違うと、感情的なすれ違いにまでなっちゃうような気がします。
「仲間なんだからんなこと言うはずないだろ」とか、
「あんなに身なりいい人がそんな乞食みたいな真似を」とか、
考えること自体が、そもそも間違ってる。
というか、間違ってるのは相手でも自分でもなく、
お互いのズレにすぎず。

海外生活経験のある方や、もちろん海外からこられた人も増えて、
そういう変な溝、自分達で作ってしまった溝は少しずつ埋まっているような気もしますが、
正直、先進諸国でないこれからの国の人々は、
昭和50年代の我々ぐらい、そういう
よその国の人々と自分達とは「違う」
という意識も知識も体験も何もない、ということも、
よく覚えておかなければなりませんね。

外交官お二人のご冥福お祈りいたします。
私達はあなた方のような人々のおかげで、幸せに暮らせております。




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