吼える! ながたさん!

おもいつくままに、随想随筆。

1/31 40BC雑感

昨日↓のようなことを書いたら、ご親切な読者の方から
「シャフトの潤滑切れでは」とご指摘いただき、
オイル塗ってみるとばっちり、不思議ミュージックを奏でなくなりました。
この場を借りて厚く御礼。

……でもあたらちいのほちい……

あそうそう、書き忘れましたが、あと一つ。
うちは5年ぐらい前から年賀状の管理は「筆まめver.9」でやってて、
今年もインストールして使いました。
(マシン組み替えた時に忘れてた……一年一度のご登場。
 ちなみに今年のはver.14)

これも寄る年波でねえ(笑)

なにって、みんなからもらった年賀状の表書きの方が、綺麗なんです。
レイアウトのバランスが。
「筆まめver.9」は住所・氏名の部分をオートバランスというか、
文字数に応じて勝手に大きくしたり小さくしたりしてくれるんですけど、
その性能が今改めて見ると悪い(笑)
そもそもが郵便番号位置もずれてるんですよ。
(プリンタ側の能力ではないことは裏書きで証明済み)
もちろん微調整機能あるんですけど、あまりにめんどいのでそのまま刷りました。
今年の年末には最新のを買おうと思います(泣)

表書きは自筆にこだわってた時もあったのですが、
裏書きで一応本人的には凝ってるつもりなので、
まあいいかなとか思いはじめ。
代わりにいつも一言入れてます。
最近はみんな、そのパターンが多いですね。

あと、最新鋭の写真画質縁無し印刷年賀状ももちろんいいんですけど、
今ナウプリントゴッコというのもなかなかにオツです。
いやほんとにほんとに。イヤミじゃなくて。
やっぱりこういうのって、「お?」と思うか思わないかが一番のポイントですから、
もう年賀状ソフトのプリインストールイラストなんて、
目にも入らないんですよね。地紋と同じ扱い。
読んでるのは自筆の一言のところだけ。

そういう意味では、サイバー黒魔術師ぴよさんの年賀状が、
かすれかすれの古いインクジェットプリンタで印刷されており、
なかなか趣深かったです(笑)
もちろん本人は液晶モニタを6面使ってるデジタルガジェット王なので、
いいプリンタでもなんでも使えるし買えるのですが、
それをあえて古いプリンタで出してるところにもののあはれがある。

今年のトレンドはイモ判ではないでしょうか。

---

マンドラ40BC行ってきました。
あれ、詩人ゲーです。

60BCの時にも思いましたが、要するに手慣れた詩人がいれば特段の問題はなく、
逆に言えば詩人がいなければ箸にも棒にもかからない。
てことでドロップアイテムは、主催者優先1はいいとして、
2つめは詩人さん優先でいいんじゃないでしょうか。
そのぐらい全体に占める割合が大きい。

黒として寝かせサポートやってますと、
起きたマンドラにボカスカ殴られてHPまっきっきになりながら達ララを歌う
詩人さんの姿には涙が出てきます。
黒のスリプガ(60ではスリプガ2)の方がレジは低いっぽいのですが、
黒には「殴られ詠唱中断」があり、かつ起きてから詠唱しないと
効果なし→リチャージ待ちでとんでもないことになりますから、
主寝かせ役にはなり得ないです。
というか絶対イヤ。
黒にはMP面での問題もあって、ケアルサポートをほとんどしなくても、
ヤグドリ4本(4000G)を切れ間なしに飲んでようやく最後まで持つ程度です。
回避策としては黒2枚というやり方はなくはないですが、
亀60BCならともかくとにかく手数の多いマンドラが7体もいる40BCでは
「そこまで無理してやらんでも」
という感じです。リフレシュが5000Gの時代ですし。

タテマエとしては「みんなの力で」ですし、
事実誰が一人欠けても結構苦しくなるのですが、
主役が詩人であることは動かしがたい事実です。
野球で言うと先発投手。
早々崩れるともうそこで終わり、プレッシャーも半端じゃないです。
さすがにこればっかりではマズイ、てことで
後に追加された50BCや神BCでは寝かせられない敵や
とにかく攻撃を叩き込む敵など、いろいろ工夫こらされてるようですけど、
そうなると今度は「詩人は要らん」になるという……
なんともはや。

とりあえず、詩人さん最高。

――未経験黒の方に2勝1敗の体験お話しますと、

・達ララを待ってからスリプガを被せる感じ。
 (これで漏れはほとんどない)
・スリプルで各個睡眠やってると起きる時間どんどんズレて
 ぐちゃぐちゃになるので、基本的にスリプガを使う。
 1、2体なら雑魚の攻撃はさほどではないので、焦らずに次の達ララを待つ。
・立ち位置は詩人さんからあまり離れないように。
 離れるとヘイト残ってるヤツが来た時に達ララの範囲から外れてしまう。
・黒はMP足りなくなるのでヤグドリは切れ目無く飲みまくれ。
 4本は持て/持たせてもらえ。
・ボスがパライガ使ってくるので、パラナマクロ必須。
 (ブライナもあれば)
 被ってもいいから詩人>自分>(主回復)>盾の順で打ちまくる。
・古代はHPが満タン近くあれば直撃喰らっても死にはしないと思うので、
 サイレス・バッシュ・スタン等々やれる手段をやったらケアルの構え。
 (1本目を印サイレスで止めたのに、2本目が来たこともあり)
・私の場合専用マクロで
(左)
スリプル・スリプガ・(空き)・毒薬・(空き)・泉・(空き)・精霊印・女神印・(空き)
(右)
ファイア2・パラナ・ブライナ・ブリンク・(空き)・(空き)・ケアルガ・ケアル2・ケアル1・リジェネ
 で挑んでみました。
 改良するなら、ファイア2を外して「自分ポイゾナ」と「ヤグドリ使用」を入れるかな。

・手慣れた詩人がいて(これが最難関)
・2Hアビ前提で
・薬品をしっかり持って行けば
まあ勝てます。
40ならば行ける方も多いかと思われますので、頑張ってください。
黒ポジションは詩人さんほどクリティカルではないですが
緊張感があって、楽しいですよ。


1/30 年賀状

年賀状を出してみました_| ̄|○

堂々の一ヶ月遅れですわっはっは。
……すみません、プロ野球だとでも思ってください(泣)

昨日「西遊記」がうんぬん言ってたのはそういう訳でした。
どちらも資料少なくて苦労しました。
こういう著作権がらみになると、突然この広いWebの海にも
まるっきり無くなっちゃうんですよねえ。
歌詞とかでもうろ覚えのを思い出そうと思って探してもまあ見つからない。
「ちょっとぐらいいいじゃん」とか思いつつ、まあ適当にごまかしながら。

たまたま弟君がプリンタを会社から持って帰ってきていたので、
借りてみました。
PM-950Cですから、確かエプソンの2世代前のフラッグシップ?
これがねえ、よくできてるんだ(笑)
PM-3000Cにも全然不満はなかったのですが、
いざ新機種使うと、何年か分の進化がちゃんとなされていて、
普通紙に印刷してもまるで粒状感のない仕上がりとか、
印刷速度とか、駆動音の静かさとか、
やっぱ別物なんです。
慌ててカタログを電気屋さんに取りに行っちゃった(笑)
エプソンはインクを顔料系にスイッチしてる最中だから、
もう1世代待った方がいいかな?

実はPM-3000C、またヘッドを駆動させるベルトの調子が悪くなってて、
ガタガタ音が鳴りだしてるんです。
以前にも同じ症状出して、その時には修理してもらったんですけど……
さすがに寄る年波かな、とか思ってた矢先。

950Cは7色インクの機種で、インクがセット売り6000円、
単品でも960円とひっくり返るような高額で、
事実ひっくり返ったのでユーティリティで見て残り少ない
ダークイエローとイエローだけ買って帰ったのですが、
30枚刷った後でもほとんど減ったようには見えませんでした。
分離タイプと一体型タイプと、どっちがいいか悪いかは微妙ですねえ。
現行機種では光沢コントロールのためだけのタンクがあるらしくて、
これからどんどんそんな風に分化していくのかしらん。
それともまた何かブレークスルーがあって、
1タンクでどんな色でも出せたりするのかな?
どちらにせよ93年ごろ初めて買った「カラープリンタ」である
HPのDeskWriter310
(いい機種でしたよ。抜群にコンパクトでトランスポータブルで実売3万円、
 カラープリンタ界のQV-10)
からは隔世の感があるような、
しかしやってることは10年間まるで変わってないような。

街の電気屋さんが馴染み客に新しいテレビを売りつけるテクニックとして、
修理の時に引き取って、最新鋭の代替機を置いておく、というのがあります(笑)
おおよそ「それ買うから持って行かないでくれ」となるらしいです。
「テレビなんか映りゃ同じ」、ところがやっぱり、新型の方がいいわけで。
そんな感じでした。
今でもセレロン400あたりでWindows98SEを動かしてるPCって
たくさんあると思いますけど、2GオーバーのP4でXP動かした経験がなければ、
それでほっとんど事足りるんですよね。
でもやっぱり、新しいの触ると古いのに戻る気持ちにはなれない。
僕はモバイル機にうるさいですけど、
モバギとかCE機に行かなかったのはそういう面もあって、
「今さら白黒ってなんだよ!」とか。
もちろんそこを削って何かを得てるんですけど、
何かを削れば何か手にはいるのは当たり前で、進化じゃないじゃん、ってね。

こないだ久しぶりにビデオデッキ動かして、予約の面倒さとか巻き戻しとか
CMとか、ちょっとイライラっとしました。
これも弟君がHDDレコーダを買ってくるまでは、「あたりまえ」のことだったのに……

人間は業深いですなあ。
え? お前が?
ん〜。

あと、A4の原画をハガキサイズに縮小すると、
精細度上がりすぎてちんまりまとまりすぎます。
これ、毎年できあがってから「しまった」と思うですけど(泣)

来年は三が日には投函するよう努力いたします……
え? それは努力とは言わない?


1/29 西遊記各種

「西遊記」といえば我々にとっては、
ジャン=クーゴが活躍する「スタージンガー」……
といつもの調子で始めてしまうとまた「古い」と文句をいわれそうなのでならば
美男子ばかりが出てくるお姉様御用達の「最遊……と言い出すと
「おっちゃん無理しーなや」と肩をぽぽんと叩かれそうでどうすりゃいいんだ。

夏目雅子主演の「西遊記」と、
ドリフターズが人形劇でやった「飛べ!孫悟空」ではないでしょうか。

特に前者は暴れん坊の悟空にマチャアキ、
女好きのトボケた大食漢である八戒に西田敏行、
クールでシニカルな現実派の沙悟浄に岸部シロー、
というこれ以上考えられないベスト配役。
画期的アイデアだったのは三蔵法師役に夏目さんを使ったことで、
これ一点で画面の華やぎがまるで違う。
融通が利かないぐらい高潔かつ使命感に溢れる僧で、
いつもやんちゃな悟空や八戒を独特の低い声で厳しくたしなめる。
これが単なる美男子だとどうということはないのですが、
男装の美女がやってると画面のこちらのみんなは知ってるわけですから、
その優等生的頑固者っぷりが、イヤミではなくむしろ魅力。
しかも「西遊記」というのは基本的に
三蔵と悟空が喧嘩して→三蔵が妖怪に捕まって→改心した悟空が駆けつけて→
万事丸くおさまる
というのがパターン。この悟空が改心するくだり、ここに
「そりゃあのお師匠様なら助けに行きたくなるわ」
とすごく説得力が出るんですよね。
普通に男同士でやろうとすると、ボーイズ……ではなく「師弟愛」という
微妙にわかりにくいものになってしまう。あるいは緊箍呪による物理強制か。
これを世間知らずで真面目一本なプリンセスと、
ちょっとワルだけど結局姫君に惚れてるナイト、
という実にわかりやすく、また色気ある姿に置き換えた点、
ここがこの配役いやこの番組最大の勝利です。

今もし「西遊記モノ」を作るとするなら、やれCGだやれワイヤーアクションだ、
という枝葉末節ばかりが注目されるかも知れませんが、
配役はディオニュソス劇場から変わらぬ演劇の肝。
これをおろそかにしては、面白いものなどできようもありません。
ちょっとWeb覗いてますと僕よりもう少し上の方が
(リアルタイムで)「配役聞いた時に『これは絶対面白い!』と思った」
と書いておられ、いやはや、良配役は名作への第一歩です。

またこの手法はむさい男物に華を添える際に実に使い勝手がよく、
沖田総司、源義経、森蘭丸、北畠顕家……と言った美男子で使われてますが、
夏目三蔵ほど印象に残ったものはありません。
この4人組が日本人の、「あの一行」に対するイメージを決定づけたと言っても
過言ではなく、これはもう逆らわない方がいいのですが、
さりとて後に作られた宮沢りえ+本木雅弘版、牧瀬里穂+唐沢寿明版が
さほど印象に残ってないのは、二番煎じである、という以上に
夏目雅子+堺正章組にインパクトがあったということでしょう。
本放送78年、我々の世代には逆に、
夏目雅子=三蔵法師
であり、骨髄バンクのCMで彼女の姿を見るたびに「西遊記」を思い出します。

ちょっと調べてみたところ未だDVDボックスとか出てないんですね。
日本テレビ開局25周年記念番組だったらしくて、
(あと日中国交回復直後)
中国からチベットにいたるまでの大ロケを敢行したとか。
制作費は当時のお金で10億円、なんとイギリスBBCで同時放送。
当時7歳、そんな知識はカケラもありませんが、齧り付いて観ていた記憶があります。
そりゃそれだけお金掛けた画面なら、迫力もあるわ。
最近、エンターテイメント系ではそういうスケールの大きな番組は
絶えて久しいような気がします。
かたや「飛べ!孫悟空」の方も、今に直して言えば
TOKIOを配役した人形劇(もちろん声は本人)に、
モー娘。が歌とナレーションでインターミッションをつとめ、
毎回豪華ゲストがやってくる、といったノリ。
まあそりゃ、数字も取れりゃ印象にも残りますわな。
ドラマにしても人形劇にしても、本来、
「バラエティ」ってのはこういうモノを指すのではないだろうか、
と考えさせられました。

そうそう、音楽忘れてました。
オープニング「Monkey Magic」、エンディング「ガンダーラ」ともに
ゴダイゴ。
ゴダイゴというのは空前絶後の個性を持ったグループで、
彼らの西洋なんだか東洋なんだかインドなんだかさっぱりわからない
ユニークな音と歌が、絶妙にマッチしてました。
中国の題材を日本人が演じるのに、主題歌全英語詞ですよ。
栄光の80年代の手前にしてこの攻撃的姿勢。
そのままミッキー師匠が番組の音楽を担当。
「アチャーーーーー!」
という雄叫びと共に暗い画面に雷鳴と電光が走りイントロが流れ出すオープニングは、
いいツカミでしたねえ。

また別のところでは「今やるなら!」なんてアンケートもあって、そこで
仲間由紀恵/岡村隆史/ホンジャマカ石塚/ココリコ田中
なんて配役をみました。
なるほど確かに面白そうだけど、中国ロケにはちょとスケール不足かな(笑)
「新春スターかくし芸大会」向けかなあ。

なにはともあれ、日本人の「西遊記」観を決定づけたこの作品、
もう一度観たいものです。


1/28 求道者と自然体

昨日やってたイチローとマトゥイの対談番組見ました。
変な司会とか入れず二人だけで話させる、という企画がかなり成功してて、
もっと固い番組では見れないような二人の表情が見れ、面白かったです。
ただ、もうちょっと技術的なところとか流して欲しかったかも。
イチローも松井も、話が野球に至るとより一層イキイキするんです。
中身わからなくても、そういう「素」に近い表情の方が、
見心地がいいものではないでしょうか。

イチローの春先の不調の原因が、
「今までなら打てない(打ってもヒットになりにくい)難しいボールが、
 『打てる』と身体がサインを送ってくるようになった」
というのが凄い。
で、それにバットが出ちゃう、と。
それを打てるようになるのが次の段階なんでしょうけれど、
やっぱり一つの階段の手前には、壁があるわけですね。

対する松井は「僕は待ってしまう方ですね」と。
そういえば、凡打でバット叩きつけて悔しがる松井は見ないですが、
見逃して天を仰ぐ姿は割と見ますね。

性格的なものもあるでしょうし、アベレージヒッターとホームランヒッターの差も
あるようなないような。ニワトリタマゴですけど。

あと、イチローがスランプ脱出のキッカケになったのが、
ファウルフライだというのも面白い。
日本に居た頃も西崎投手からのセカンドゴロで一つコツを掴んだと言ってましたし、
松井も「失敗からキッカケを手にする、というのがイチローさんならではですね」
と感心してました。

比較恥ずかしながら僕も、失敗から成功へのコツを学ぶことはほとんどないです。
ただ、多数ある選択肢が、一つの失敗でガバッと消える、という感覚はあります。
やり始める前は、どこ向いて走っていいのか360度わからないわけですが、
一つ失敗するごとに、90度ずつぐらい「駄目方向」が消える。
3回も失敗がいるのかよ!>拙者
こんな例え話精密にしてもあんま意味無いんですけど(笑)
正確に言うと180度ぐらい潰れるんですけど、次のチャレンジが前のチャレンジと
ちょうど180度反対ってことはないじゃないですか。
やっぱり90度ぐらいしかズレれない。
じゃ270度かというと、古い方の逆側の90度にはまだ可能性が残ってるかもしれない。
どう考えても駄目なのは折り重なった90度を中心とする地域で……

まそれはいいんですけど、
マイナスから「ああこれはマイナスだ」どころか「これがプラスだ」を手にする、
それはやっぱり天才の所業、
「駄目なところがわかれば、直せば直るじゃん」
とは彼の弁ですが、それは圧倒的な自信(と実績)に裏付けられた
「理想型」を持つ人にしか言えない台詞です。

「さすがイチローやなー」
と感心しながら見てたのですが、ハタ、と。
前述通りこんなペラペラといろんなことをフランクに語りまくるイチローは
僕にはほとんど初見で、それはやっぱり相手が松井秀喜だからでしょう。
完璧主義者かつ求道者かつ天才のイチローの前にずいぶん大人しいのですが、
しかし彼こそ、世界最強チームの4番をワールドシリーズ天王山で任された男。
バケモノ度では全くひけを取りません。

彼の強さはあの、理想を追い続けるイチローとは逆に
「どこでも自然体」
なところなんでしょうね。
「美味しいもの食べてぐっすり寝れば、ストレスは溜まらないですよ」
ってのは、実に当たり前のこと言ってるようですが、
野球界で一番重い打席に、一番クタクタの状態で
立たねばならなかった男のセリフだと考えると、
鳥肌が立ちます。
僕なら遺書の一つも書く(笑)
「ぐちゃぐちゃ考えてたってしょうがないじゃん、やることやるだけなんだから」
というのは真実ですが、でもそれをやれる、のはスゴイことです。

しかし、
理想を追い求めることがイチローの自然体でもあれば、
常に自然体であることが松井の理想型なのかもしれません。
根はやはり同じく、
「〜でなくてはならない」ではなく、
「〜でいく」という意志とエネルギー、
ではないでしょうか。

あまりに面白くて1時間があっと言う間。2時間でもよかったような気もします。
R・バッジョもサッカー選手である意義を問われ、
「僕が頑張る姿が、若者に勇気を与えるといいね」
などと言ってたように記憶します。
スポーツ選手は、人工的であるが故に下手をすると本当の極限よりも
さらに極限条件に置かれる仕事。
そこで発揮される人間の力、知恵、技、エネルギー、可能性、そして勇気、
そういうものを見たくて、我々はスポーツを見ているように思います。

久しぶりにビデオ動かして、HDDレコーダが欲しくなりましたとさ。


1/27 トヨタ・プリウス

新型プリウスに乗りました。
お恥ずかしながらハイブリッド初体験。
サンシャイン帰りはアムラックス、の、1時間レンタルです。

キーは差し込むだけで、回すのではなく隣の「Power」ボタンを押して
エンジンスタートです。
普通に回した方が手の動き少なくて合理的な気がもりもりするのですが、
まあ、「スイッチを押す」という行為が「電気モノ」っぽくて、
このクルマに関してはOKかも……

なんて細かいことは、走り出すとすっかり忘れました。

ご存じの通りモーターはトルク(力強さ)の特性がエンジンとは違い、
起動時に最大の力が出ます。
(最高回転の時にゼロになる=回転するためだけにエネルギーを使い切る)
だもので、アクセルを噴かした瞬間=モーターのアシストが入った瞬間、
大げさに言えば「異次元の」加速を始めるんです。
我々がエンジンで慣れ親しんだ、
アクセルを噴かすと→たくさん燃料が噴かれて→エンジンの回転が上がって→
トルクが出て→加速が始まる、
という行程は、どんな大排気量どんなスポーツエンジンでも同じで、
「パワフルなエンジン」とはこの流れにかかる時間が短いものを指すのですが、
プリウスは違う。
アクセルを噴かすと→突然大量のトルクがアシストに入って→加速が始まる
て感じ。
スイッチというか、デジタルというか、家電製品というか。
コンマ何秒のこの前倒しが、「なんだこりゃ!?」というタキオン感覚を生むんです。
もちろん、数秒後には、つまり普通のエンジンと同じ土俵に立ってしまえば、
1500cc+モーターの実力額面通りの加速しかしてないことに気づくのですが、
街乗りではそれに気づいた頃には欲しい速度に達しており、
結果として「加速に関しては」もの凄くシャープな動きをしてくれます。

この感覚が呼び起こすもの。
乗って初めて知ったのですが、それこそがプリウスの魅力の本質です。
それは、「次元が違うよ」という、優越感(笑)

街でどんな大きなクルマを見ても、高価なクルマを見ても、
スポーティなクルマを見ても、デザインに凝ったクルマを見ても、
所詮そいつらはガソリン「だけ」で動いてる旧世代の遺物にすぎないのです(笑)
えーと、もちろんそんな経験はないのですが、
端境期の電気機関車に乗って蒸気機関車を見るような感じ。
あるいは、初期のジェット戦闘機例えばメッサーシュミットMe262乗りが
レシプロ戦であるところのマスタングやサンダーボルトを見るような感じ。
「現時点での性能は変わらないかもしれないけど、これからはこれだよ」。

僕もいろんなクルマに乗ってきましたが、
プリウスに乗ってる時のこの優越感は、今までで最も強烈なものでした。
「速い」とか「強い」とか「大きい」とか「豪華」とか、
そういう競争には必ず「より」という勝者が存在します。
マクラーレンF1の前ではマラネロだろうがSLだろうがターボRS2だろうが
(その伝でいけば)ガラクタに過ぎません。
セルシオ乗ってエバったって、20年モノのシルバースピリッツが
前にしずしずやってくれば、裸足で逃げ出す他ないわけです。
実にバカバカしい。
でも、プリウスは違う。
完全に既存の価値観の埒外にある存在で、
無理に言えば「より未来にある」という、他のどんなクルマも持ってない「意味」を
持っている、希有なクルマです。
しかもその未来を、普通の人に充分手の届く範囲の価格と使い勝手で、
無理なく実現しているところが、より、凄い。

ホンダがインサイトというハイブリッド車を作った時、
「なぜこんなまとめ方を」
と思いました。完全2座コンパクトクーペ、北米ならともかく日本では
(というか北米以外の全ての地域で)
「そもそもあり得ない」クルマの姿です。
ハイブリッド=省燃費という凝り固まった目で見れば、
ボリュームが出ない=意味がない、という図式が成り立ちます。
ために「燃費世界最高の称号を得るためだけの技術屋のオナニー」などと
陰口を叩かれましたが、
いや、一度ハイブリッド車に乗ればああいうまとめ方はわからなくもない。
ハイブリッドの利点はまとめてみれば
・未来感覚
・異次元の出足
・燃費
デメリットは
・コスト
・保守的な普通の人へのアピールの悪さ
・巨大なバッテリを積まざるを得ないことに起因するパッケージ上の制約
というところでしょうか。
メリットを活かしデメリットが無視出来る市場、お客さん像を考えれば、
小型スポーティカーという選択こそ実に素直な選択です。
逆にこのデメリット部分が最も苛烈に現れるのが
プリウスの形状、つまりファミリー・ミドルセダン。
しかしここで大所高所に立って、
「いや、この技術は伸ばさなくてはならない!」
と決断、真っ赤っか覚悟で買える低価格を実現、
バッテリ寿命等々の問題点は買い取ったクルマを
スクラップすることで無理矢理解決(との噂)。
こうまでして「たくさんのお客さんに乗ってもらう」
という茨の道一直線を選んだ、
これはトヨタの恐ろしさです。
ホンダが間が抜けてたのではない。

そして一度乗ったオーナーの声に耳を傾ければ、
「もう少しこの『唯一無二』感を前面に押してもいいのでは」
と判断もできたはずで、
それが端正な3ボックスだった初代とは違い、多少色気のあるスタイルであったり、
広告戦略等々でも先代のようにエコエコ言うだけではなく
スポーティなイメージも売る……
といった路線修正に繋がったのではないでしょうか。
乗るまでは僕も、「いや、前の方が大人しくて万人ウケしたような」と思いましたが、
乗ってみれば、「ハイブリッドカーとしての魅力を前に押し出す」という意味では、
現行型のちょっとスカした感じの方がいい、と思います。

正直、プリウスに低燃費はおまけです。
ほぼ世界に唯一このクルマでしか味わえない未来感覚、
それがこのクルマの最大の魅力です。
エアロ着せていいサスかませていいタイヤ履かせたバージョンが欲しいぐらい。

ハイブリッド・システム自体、「フル電気自動車までのつなぎ」ぐらいにしか
考えていませんでしたが、社会インフラや
(これを考えると水素や燃料電池車はあり得ないと思うのですが……)
日本のバカバカしいほど高額の電気料金を考えるに、
(先月の我が家の電気代、53000円)
また、「エネルギー源をできるだけ高効率で使う」という面から考えても、
実は50年単位で次代を担う主力技術かもしれません。
トヨタがエスティマやクラウンでこっそり展開してるのも、
「いずれ全てのクルマがハイブリッドになりかねない」
という読みがあるからではないでしょうか。
停車時に無音無振動、というのは高級車には有難い特性であり、
モーターアシスト時の瞬発力はスポーツカーにうってつけです。
つまり、ファミリーミドルセダンが成り立てば、どんなクルマもハイブリッドになりうる。

そこで思い出したのは革新的パッケージを持ちながら、
「アメリカ人がV6(V8)を欲しがる」
という実にくだらない理由で捨てられた初代エスティマ。
いまこそあの床下ミッドシップパッケージを復活させ、
横倒し2400の横にモーターとバッテリを並べるべきです。
そのハイブリッド・ミニバンこそ、エスティマの完成型であるような気がします。

そんなプリウスも細かく見れば、
足がちょっと安物くさく、(タイヤがたぶん省燃費スペシャル……)
特にバッテリの搭載位置の関係か、後席のNVHがかなり悪い、とか、
(パッケ面では見た目ほど辛くないです。173cmの僕なら大丈夫)
線と面を少なくまとめることに懸命になりすぎて暖かみの無いインテリアとか、
「しょせん国産ミドル級である」という事実を唐突に思い出させてくれる
ウィンカーの安っぽいコチコチ音とか、
(マーク2クラスの部品使うだけで全然違うと思うんですけど……
 鳴らしてないですけどホーンとかもしょぼいんでしょうね)
ケチはいっぱいつきます。
この世界で(ほぼ)唯一、くどいようですが
どんなフェラーリもどんなメルセデスもこのクルマの前では
旧世界の巨神兵に過ぎないスーパーカーを量産するにあたって、
しょーもないケチがいっぱい付いちゃうところが、
大変失礼ながら三河根性であって、
もういい加減そこを離れないといけないような気もします。
ですが逆に、死してなお主を守る老忠犬のような三河魂があるからこそ、
血と涙を噴き出しながらコイツを量産して早7年、とも言え、
それはもう難しい問題です。

しかしどちらにしろ、
ドイツ人もイタリア人もアメリカ人も、
エラソウにペラペラくっちゃべるだけで実際の解決策としてのロクな
実車を出せてない今日、いやそれどころか
SLRだエンツォだいやマスタングの再来だと思考停止としか思えぬ
欲望の塊を懸命に捏ねまくっている昨今、
たとえスマートでなくても革命でなくても、実効の出る
「ハイブリッド」という方向性で先行も先行、
たった一人で無人の荒野を駆け抜け続けるプリウスは、
疑うべくもなく日本のエース、日本車史上3指に入るスーパースター。
彼or彼女がいる限り、
「日本のクルマは世界一」
と胸を張って威張っていいと思います。

もしもクルマ選びに迷われたら、お近くのトヨタのお店で
プリウスに乗ってご覧なさい。
「なんだ、どれも同じじゃん」
という気分になって、本当に自分が欲しいモノがなにか、
あるいはそのモノにどれだけのバリューがあるのか、
見えてくるかもしれません。
もちろんその場で、プリウスの発注書にサインするのもよし。
エコ視点に乏しいアメリカ人に大人気で国内に回ってこない、
それはプリウスの本質が省燃費だけではない何よりの証左ではないでしょうか。

トヨタは凄い。
もちろんプリウスも凄い。
そして悲しいかな、いつもの風景ながら、
その凄さを一番良くわかってないのが、我々日本人です。
乗る前の自分も含めて。

猛省。


1/26 夜行バスは行きに限る

サンシャインクリエイション22 終了しました。
お越しいただいた皆様、どうもありがとうございました。
お手伝いいただいたM大先生にも感謝感激でございます。

販売部数は22。
サンクリは天井が低い室内でやるので、
温度はいいのですが酸素が薄くなります(笑)
規模が手頃でジャンルがコッチ寄り(どっちや)なので回りやすいのも
好きな点。
4回目かなあ、結構出てます。
3月はスルーですが6月は出る……かも?

復帰してから地味屋台でやってきましたが、そろそろもうちょっと
「それそのものも楽しむ」
ようなノリで何かいいアイデアないものか、とヒマなブースでMさんと。
「やっぱ紋付き羽織袴かな」
「裸はどうでしょう」
「つまみ出されます」
「文字通りつまんで」
「そりゃいい絵面だけどね」
「『一見さんお断り』とかどうです?」
「わざわざ言わなくてもウチは現実としてそんな感じです(さめざめ)」

まあなんと言いますか、売れる売れないよりも
あの屋台やってるみたいな雰囲気が好きなので、
またやります。
次は6月のコミコミ(大阪)を考えています。
「おお、半年空いただけのことはある!」
と思っていただけるものを……

むはー。

---

今回の教訓。
夜行バスは、帰りの方がしんどいです。

行きはなんのかんの言っても気は張ってるし体力残ってるし、
大丈夫なんですね。
帰りの方がクテクテに疲れてるしたいていアルコールも入ってるし
早く家に帰りたいし、どうしても新幹線と比べてしまいます。

ただ、6時に現場に着いても開いてるのは24時間営業のデニーズだけで、
バーガー屋もコーヒー屋も開いてないので路頭に迷いますな。
東京駅着6時12分かなんかで、7時前後に着いちゃったものだから
開きたてのロッテリアとウェンディーズをハシゴしてしまいました。
チリをつつきながら本読んでれば時間はすぐ過ぎていくのですが、
固い椅子でおしりが痛い。
そして東京は大阪よりびみょ〜に寒いので店舗内の温度もびみょ〜に低い。
えうー。
でもそれでも前日入りの疲れと比すればまあ、どっちもどっちってとこでしょうか。
8時に東京に着ける新幹線があればねえ……
終日運行は無理でも、4時台と5時台に1本ずつ走らせてはもらえませんでしょうか。
池袋が京橋ぐらいにあればなあ。

そうそう、実に細かいことをほえながチックにつつかせてもらえば、
行きは近鉄+東北急行コンビ、帰りは阪急+西武コンビ。
帰りは西武のバスだったので、サンシャイン横のプリンスホテルの目の前が
始発だったんです。
でもその乗り場、かなり大きな看板もあれば行き先案内板もあるのに、
夜の10時に灯りが入ってなかったんですね。
3、4人待ち人が居たのですが、みな「ここでいいのかしら」と不安顔でした。
リピーターが多いでしょうし、もちろんバスは定刻にちゃんと来たので
いいのですが、こんなとこぐらいケチらなくても。
逆に西武のイメージダウンになるような気がしました。
バス自体はOK、乗員の方も明るく親切、その辺は文句なしだっただけに。

ま、しかし旅は小さくてもハートと身体がシェイクされて、
元気になるものです。
めんどうがらずにちょくちょく、いろんな手段でいろんな場所に行きたいですよ。


1/25 サンシャインクリエイション22

1/25(日) サンシャインクリエイション22 参加します。
池袋サンシャインシティ ワールドインポートマート4F A23ホール N09b
サークル名はもちろん
「PowerNetwork!!」
でございます。

新刊はありません。
なんとかしようかとも思いましたが、時間に追われて中途半端なのも
どうかと思いましたので……
(正直、冬コミハズレ一位みたいな気分で応募したもので……すみません)
『可憐』、『ドラ』ちゃん、それと『街道』を再刷して持って行きますので、
まだお手に入れられて無い方は、ぜひどうぞ!

というかそろそろ新作ピシッと描かないといけませんね。
アイデアばかりはいろいろあるのですが、手が……

なんて言うててはいかん!
今日、人形を1コマ1コマ動かしてアニメにしてる方の(クレイアニメと同じ手法)
番組をやってて、丸1日やり続けてたった20秒分だとか。
でもそれが10日で200秒、1ヶ月で10分、
半年で1時間の立派な長編アニメになるんですよね。
1コマ、1コマです。

ガムバリマス。

---

ということで26まで更新休みます。
では、東京いてきまー。


1/24 長距離バス

↑のを書いた後、「さてホテルでも予約しますかね」と思い
「旅窓」を開いたのですが、
今日の明日のではあまりピンと来る場所が無く、
ハタ、と近鉄バスがあべの橋から出てることを思い出し予約してみました。
と、長距離バス各社が力を合わせて提供している
発車オ〜ライネット
なるものに飛ばされ、そこで予約。
もちろん発券もローソンのLoppiで可能、今朝近所で受け取りました。

ネット+コンビニコンボ便利すぎ。

ご存じの通り長距離バスというものは
・睡眠時間という空き時間を移動に使え
・安い
というずば抜けたメリットを誇りますが、
欠点は「辛い」という一点。
最近は3列シングルシート車がほとんどですし、
前後間隔も広くリクライニング角度もかなり取れ、
全席禁煙車ですえた匂いもしませんし、
旅慣れた人が多くて迷惑な人比率も新幹線などよりよほど小さく、
無論トイレもあり休憩に神経を尖らせることもなく、
クルマ自体の騒音振動乗り心地も随分とよくなったものですが、
いかんせん、やっぱり「8時間座りっぱ」が辛い。

あと、距離も微妙なんですよね。
名古屋まで2900円なんですが、アーバンが3500円(金券ショップ)なんです。
そりゃアーバンだろ、と。
逆に仙台。12200円は魅力ですが、堂々の所要時間12時間……
飛行機乗りますわな。
あとやっぱり疲れるので行楽や本気のビジネスで使いにくい、とか。

僕の通ってた中学高校は黒姫に山荘を持ってて、
(昭和30年代にこんなものを自力で持とうとしたのは凄まじい慧眼)
そこへ行くのはバスでした。
もちろん4列で隣はたいていS上さんとかはまちょーとかゴツイ人ばかりで(笑)
前後も路線バスに毛の生えた程度の間隔で、
トイレなどなくSAのトイレ休憩ではみんなでもぞもぞと起き出して
おしっこに行ったものです。
そして寒空にあのコックさんが描いてるハンバーガー自販機に心奪われたもの。
大人になって金銭的余裕が出てきた頃には、
あの自販機は絶滅の危機に瀕してて……

かつ、すごい時間かかりましたよ。
朝の7時とかそんな時間に集合で
(大阪市内を抜けるのに早めに出ないとすごい時間を食う)
山荘に着いたのは夜の7時とか8時とか。
でも、子供というか若者というかの順応力ってすごくて、
あまり文句も言わずに乗ってました。
ま、周りみんな友達ばかりという気安さもあったんでしょうねえ。
緊張が無いだけでも、随分疲れは違うものです。

長じてクルマに乗るようになり、山荘の周辺も様変わり。
長野オリンピックの時に、ほんのすぐ側まで高速が延びました。
一度遊びに行った時は、山荘−自宅ドアトゥドアわずか5時間45分。
クルマという移動手段が本気になった時の威力を思い知りました。
今の子はもう少し楽に移動してるんだろうなあ……
でも、アレはアレで、あの「行くぞ」って気分が楽しかったようにも思います。

……とか思いながらつらつら眺めてると、
サンシャインに着くヤツがありました(笑)
阪急バスと西武バスの共同運行で、池袋−梅田便というのがあるんですね。
ぬぬぬ。
まあ、天王寺で乗れるのが幸せ、と思おっか。

こういう、高速であったり高サービスであったり超便利であったり人気であったり、
というセンターラインから、「少しだけ外れているところ」に、
意外とイイモノが転がっているのかもしれません。

久しぶり(3年ぶりぐらいかな)に乗ってきまー。


1/23 「パタリロ!」DVD

だーれが殺したクックロビン!(挨拶)

永井一郎最高。

「パタリロ!」が来たので、10話ばかりぶっ続けで観てしまい。
続けて観てみると、やっぱり最初の数話はリズムが取り切れてないんですね。
パタちゃんのギャグの前後の間合いとか。
マライヒが出てくるあたりからスムーズになってきて、
警察長官という素晴らしいサイドアタッカーを手に入れてエンジン全開。
9話でようやく、お馴染みクックロビン音頭に専用BGMがつくんです。

同梱ブックレットで魔夜先生ご自身が
「パタリロの声はイメージがなかったけど、白石さんの声を聞いて慣れた」
とおっしゃってましたが、
我々特にアニメから入った視聴者もそうで、
もはや今連載中のパタちゃんも白石さんがしゃべってますし、
バンコランは曽我部さんでマライヒは藤田さんで、
最近出番少ないですが警察長官はもちろん永井御大です。
そうそう、特筆すべきはタマネギ部隊の豪華さで、
古川登志夫(諸星あたる)、野島昭生(KITT)、三ツ矢雄二(上杉達也)、
古谷徹(アムロの方のレイさん)、塩沢兼人(水鳥拳の方のレイさん)、
塩屋翼(ユウキ・コスモ)、そして神谷明が21号役でゲスト出演。
どうですこのラインナップ。主役・主役・また主役ですよ。
なんの顔見世興行ですか。

アニメもメタギャグが許されていた牧歌的な時代の作品で、
「アタックNo.1」の主題歌とかバンバン歌ってるんですね。あるいは

「マリネラに雪を!?」
「雪を!?」
「橋幸夫。
 ♪いたこ〜ぅの〜い〜たろぅお〜〜……」

どうですこのクダラナサ(笑)
今だと「橋幸夫」という固有名を出すのも難しいでしょうなあ。
あるいはまた、偽マライヒをおちょくるのにパタちゃんが
「東洋から来た小坊主が、
 『このはしわたるべからず』と書かれた橋を、
 『真ん中を渡ればいいんですよ』と渡って落ちた」
という小咄をするのですが、これ、マライヒ役の藤田さんが一休さんでもあり、
また一休さんのオープニングで毎回流れるシリーズ屈指のハイライトシーン
であると知ってるとさらに可笑しい。
本物が自分パロをオフィシャルにやっちゃうと、凄い破壊力があるわけです。
こんなしょーもないことに時間掛けるあたり、同じくダジャレにページ数たっぷり使う
原作のテイストそのままとも言え、
まあなんといいますか、いい時代だったなあ、と感傷に浸れます。
今の言葉で言えばボーイズラブたっぷりのこれを
夜7時からやってたという事実もすごい。
本放送開始1982年4月8日。
なんともう、22年も前……

わくわくしながら1話目を再生して
「うわ!状態ワル!」
と思いましたが、過ぎ去った歳月を顧みてしょうがないかと納得しました。
セル画の影が背景に映ってるあたり、まあ、味と思えば。
当時から色にこだわり、普通のアニメよりも遙かに多い色数を使ったそうですが、
特に淡い色調の背景にその良さは残ってます。

この作品が私に与えた影響は非常に大きく、
永井警察長官のようなアホジジイがよく出てきたり、
「ミラクルズ!」となぜか作品名に感嘆符がついてみたり、
バンコランの眼力に根拠がないように大ちゃんのカッコヨサには根拠がなかったり、
まあ、子供の頃よく遊んでくれた、ちょっとなよっとした芸大のお兄さん、
て感じの親しみを勝手に持ってます。
先日、「浪花のモーツァルト」キダ・タロー先生も、
夕方の番組でプラズマTVの特集中、
「プラズマといえばパタリロに出てきたロボットですな」
とネタを振ったところ誰もついてこず、
「パタリロは名作ですよ!」
と逆ギレしたとか。

若い方にはあまり馴染みのない作品かもしれませんが、
名作であることは間違いなく、機会があれば観ていただきたく存じます。

プラズマーーーーーエックスーーーーーーーー!!!


1/22 小型PC、2台

先日ブラリ思い立って日本橋に行ってみたところ
(決して「週刊私のお兄ちゃん」を買いに行ったんじゃないですよ、決して)
そういえばX40とえっふぃーなMURAMASAが未チェックだったことを思い出し、
見てまいりました。

両機とも結構いい感じ。

X40は、ThinkPaderからはボロカス言われてますが、
想像したほど安物臭くもなく、やはり
「頑丈で素敵なキーボードとトラックポイントがついたT2」
と考えれば充分魅力的。
たしかLet's開発チームのどなたかが言ってたと記憶しますが、
1.3kgというのが人間手で持つ時の「重い・軽い」のボーダーらしいです。
なるほど隣の1.6キロのX31と持ち比べてみれば、
そこには400gという数字以上の差が。
「あ、これぐらい違えばある程度いろいろ我慢出来るかも」
て感じです。
正直、今どちらか買うなら僕ならX40かなあ。

しかしそう考えるとなおのこと、ほぼ同じ重量で光学ドライブの載ってる
W2というマシンは鬼で、まあ普通の人にどれがいいかなと訊かれれば
相変わらずアレをオススメするような気もします。

えっふぃーMURAMASAは劇的に速くなってました(笑)
Crusoe時代はメモ帳に日本語書き込むだけで「おそっ!」と思ったものですが、
さすがにそんなことはなくなってます。
相変わらずアプリ起動はもたつくことはもたつきますが、
個人的には許容範囲。
ほら、ノートの場合、HDDが寝てて、新しいアプリ立ち上げる時に
スピンドルスタートから始める時ってあるじゃないですか。
あんな感じ。
「おお、これなら我慢はちょっとですむ」
と思いました。
クレードル・システムと合わせ、「サブ機」「サテライト機」用途ならば
相変わらずトップクラスの実力者ではないでしょうか。

両機とも1スピンドル機、20万円弱のお値段、スペックも似たような物、
ですが、方向性が全然違うので店頭で見ればどちらが自分の好みか
一目でわかります。
個人的にはX40かな……
「ThinkPad」という響きから連想される様々はかなり無くなってますが、
それは古くは390とかあの辺だってそうですし、昨今ならRシリーズとかもそうで、
まあ、もう、しょうがない、です(笑)
Tとかあの辺がそのテイストを細々受け持ってくれればいいんじゃないでしょうか。
古いメルセデスと今のメルセデスみたいな感じ。
今のメルセデスと違って罪がないのは、
値段が競合他機種(T2orSS/SX)とあまり変わらない点かな。
惜しむべき失った何かよりも、得た「軽み」みたいなものに好印象を持ちました。

良家のお嬢様で知られてた女の子が見慣れぬジーンズ姿で現れたような感じ。
でもまあ、悪くないと。

言い過ぎですが、そうですね。

ちょっと不意の物入りが続いて費用を捻出しきれないのが悲しい(泣)

……で、店頭で「ちょっとお金欲しいなあ」と思った瞬間頭に浮かんだのが
「釣りで材料を揃えて海串(ミスラ風海の幸串焼)を焼こう!」
だったので、自分に頭を抱えました。
そらクローズアップ現代でも取り上げられるわ。

しばらくはヨレヨレのs30と共に歩みます……


1/21 サーバメンテ

夜中目が覚めてしまったので、握り……ではなくてFFの電源を入れてみた。
(我が家ではすでにPS2と言わない)
メンテ。
およよ?
珍しい。
夜の夜中(プレイ・ゴールデンタイム)にやるってのはFFには珍しいのです。

……と、思ったら次の日も緊急メンテ、
そして次の日には6時間に及ぶ大々的なメンテが。

1日2日なら
「おいおい冗談じゃネエよこっちゃ客だぜ!?」
なんて悪態もつきたくなりますが、こう破滅的だと逆に心配になってきます。
僕が知る限りでは発売日直後の大混乱を除けばここまで深刻なトラブルは
初めてです。

技術的なことはまるっきりわからないのですが、
夜12時前後になると「R0」(クライアントがデータを受信出来ない状態)
がこの一週間ぐらい頻発。
先日もLSのみんなでコンシュで羊追って遊んでた時にみんなその症状に。
毎日、しばらくすると治っていたのですが……

アタックかなあ。
それかサーバのハードウェア的なトラブル……

---

とある巨大企業に勤めるSEに聞いたところ、
最近ではほとんどのサーバシステムが、
いわゆるメインフレームと言われる巨大な専用機ではなくて、
P4やPowerPCのクラスタ、大雑把に言えばパソコンがズラズラ並ぶ並列型だとか。
もう、コスト的に比較にならないらしいです。

先日もAppleがデモってましたが、PowerMac G5を1100台使った並列サーバが
世界3位の処理能力を持ってるとか。
戦闘力もそうなんですが、それをたった520万ドル(5億5千万円)で
実現してるのがミソで、世界トップの「地球シミュレータ」(NEC製スパコン)だと
3億5000万ドルするそうな。

さすがに1000というと大きな数ですが、100ならまあ想像できる数で、
ちょっと大きな企業のある部署となれば、
据え置き個人機持ち出し機含めればそんもんじゃきかない数、
PCがあったりするわけです。
てことは、ちょっと大きな会社の一部屋の処理能力を合わせれば、
世界最強のスパコンの何分の一かの処理能力を持ってることになる。

恐ろしい時代ですねえ。

スケールメリットの出る、みんなが使うモノこそが
最も競争にさらされ、進歩が速く、水以上に安価になっていく。
それはもはや止めようのない流れで、その流れに乗ってないモノは、
いかに洗練され高度な技術が凝縮していようとも、
いずれその圧倒的な潮流の前に押し流されてしまう。

機械的な、物理法則が支配するモノですと、なんといってもそこが壁になるので、
まだ「素性がいい」というだけで抵抗の余地もあるのですが
(例:マツダ一社で世界中のレシプロエンジンと戦うロータリーエンジン)
情報の世界ではもはやそれは成り立たない。

PS3に使われると「Cell」というCPUの考え方も、
実に汎神論的といいますが、
「ありとあらゆるモノの中Cellが入って、
 お互いにその力を融通し合っていろんな処理をしていく」
みたいなノリで(と、僕は理解してるのですが)
初めて聞いた時は
「んな夢物語を」
と思いました。
が、「G5が1000台で世界3位」という話を聞くと、
まんざら成り立たない話でもない。
いや、というか、もはやそれが当たり前のことになってて、
先進もなにもそうしていかなければ時代に取り残される……
というような勢いです。

そのうち、「サーバ」という考え方も無くなって、
そのクライアント(ではなくなるのですが)のマシン一つ一つが、
全体の処理の一部をになう形になるのかも。
すると、例えばFFなら、参加してる人数が増えれば増えるほど、
一台一台の処理が軽くな(る部分もあ)って、
楽になっていく、とか……

またそうなってくるとお互いを結ぶ有線無線の「道」、
通信網がより一層大切になってきます。
古来、道が良いモノも悪いモノもひっくるめて「文明」をもたらしたように、
今もその「道」は、いろんなモノをもたらしてくれる、
またもたらしてしまうモノのようです。
しかしそれは、当たり前ですが、
どんなリスクがあろうともオープンでなければならない、と思います。
こういう時代に国がやるべきこと、というのは、
そんな難しいことではなくて、こんな高速道路の建設であったり、
意外と今までの施策にメタファーできるものではないでしょうか。
犯罪防止だったりね。

#物理的なそれと同じもしくはそれ以上の巨額のお金が動くことに
#多くの政治家さんは気づいてないのかしらん。
#あるいは気づいてる目ざとい人はすでにガッポガッポ儲けておられるのかしらん。

ただまあ、あまりにも技術の陳腐化が早すぎるので、
ある技術に巨額を投じてミスると痛すぎる、
というのも現実判断としては正しいですがね。

……てなことを、「メンテナンス中です」という文字を見ながら思いました。

「動いて当たり前トラブルとクソミソに言われる」
というゴールキーパーみたいな仕事は実に大変だと思いますが、
まあ、それはしょうがないことですので、頑張ってください。
もうそろそろ心ある人々は、
そのトラブルの本当のタネがどこにあるのか、理解しつつあります。
それは攻撃的MFがうわずりっぱなしで敵のSBをほったらかしにしたとか、
守備的MFがそれを追いすぎて中央に食い込んだ敵攻撃的MFをマークしてないとか、
寄せの甘いDFが敵FWにシュートを撃たれてしまったとか、
もっと上に行けば会長の補強方針がおかしすぎるとか、
見る人は見てます。

でも、GKが止めれば、万事丸くおさまるんですから(笑)

早く終わらないかな。


1/20 ハム太郎ソリに乗る

今、ミスドでトレーの下に敷いてある紙には、
「ハム太郎」の映画の広告が載っています。

ぱっと見て奇妙な違和感があったのでよく見ますと、
ハム太郎達が3DCGで作ったソリみたいなのに乗ってるんですね。

うーん、これってどうなん?

そんなものわざわざモデル作らなくても、
フツーに絵で描けば良いのでは?
そしてそれがまた、失礼ながら、モデルとしてもちょっと古臭い。
テカってるし。
(ただこれはワザとこういうテイストを狙ってるかもしれないのでどうにも……)
しかも前後2台あるんですけど、カメラ角度すら変えてない単なる縮小コピーで、
これもまた実に気持ち悪い。

正直、全体の可愛らしさをわずかながらもスポイルする存在なんですね。
もちろんこのソリが作られる過程はまるで知らないので断言はできないのですが、
まさか原作の方が3DCGに凝ってて、御自ら作りたてのモデルを
ごり押しで使ってきた、なんてこたないでしょう?
どこかでコレにゴーを出す存在があって、ゴーが出たんですよね。

気になったのは。
従来、こういう「金になる」コンテンツは、
強力なマーケティング・シンジケートが結成されて、
骨の髄までしゃぶりつくさんがため、
ありとあらゆる手練手管でそのコンテンツの魅力を向上させようと努力がなされ、
まあ結果としてお客側も楽しめてみんな幸せ、
という図式が成り立ってたわけですよね。
田舎からでてきたてのアイドルをもの凄い実力派音楽チームが
バックアップするのもそうだし、
マンガでもアニメでもそうでした。
マンガが連載で芽が出れば、歴戦のアニメ関係者の手によって
素晴らしいアニメに仕立て上げられ、それがまたマンガの人気も盛り上げ、
相乗効果でどんどん……

と、いうようなマシーンの精度と力量が、
もはや「アニメにおいては」ちょっと落ちてきたのかなあ、
とか。
エロゲーだって必要とあらば、3Dモデルを2Dに馴染ませるために、
2D/3Dグラフィッカー陣総出でPhotoshopで修正する時代ですよ。
「ハム太郎」なんて金づるをこんなぞんざいに扱っていいはずがない。

末端の実戦部隊にはまだまだ優秀な人材もたくさんおいでだと
思うのですが、たぶん、お金の流れが悪い。
例えば、昔ほど収入が無いのに、上流の取り分が割合ではなく絶対量として一定で、
結果的に下流の取り分は劇的に減ってるとか。
#戦後立ち上がったような業界は、ちょうどこういうフェーズにあるところ
#多いみたい。ラジオとか。
#映画はその最悪期を脱したところ?かな?

必要以上に還元しろとは言いませんが、
金の卵産んでくれてるのはニワトリであって、
そのニワトリ殺しちゃうとなにも得られなくなる、というのは
気の利いた幼稚園児でも知ってる事実。
もうちょいなんとか、ならないものでしょうか。

そのテカるソリを見ながら、
子供の頃よくアニメ見てた人間としてはちょっと寂しくて、
思わず「パタリロ!」のDVDBOXを取り寄せてしまいました。


1/19 簡単な裏打ち

一日中座ってる仕事してますと、椅子はすごい大切です。
今の椅子はOAチェアには珍しい木と布を使った物だったので、
一目で気に入って買ったものなのですが、さすが14800円、
もう座面がへたっちゃって、30分もするとお尻が痛い。

おかしなもので、僕はよくミスドやドトールで1時間や2時間、
PC打ったり本を読んだりしてるのですが、
ああいう「最初から固い椅子」の、お尻の痛さとは別なんです。
あれも痛いんですけど、立ち上がってしばらく歩いてると、治る。
でも、「へたった座面の椅子」の、なんとも言えない気持ち悪い痛さ、
は、尾を引くような感じがするんです。
背骨まで曲がってしまいそう。

触点から得られる情報は「やわらかい」であって、
筋肉や神経はそのつもりで体勢を整えるのに、
実際には底付きして固い。
この感覚と実際のズレが、なんだか随分良くないことのような気がします。

ならば、と思って安物の低反発クッションを買い求めそれを敷いてみたものの、
そうするとアームレストが低くなって使えなくなったり、
背もたれの位置がずれて後ろに反り返った時に気持ちよくなくなったり。
結局、いい椅子買わなきゃ……といういつもの結論に落ち着くわけです。

また先日、酔っぱらって帰宅してそのままちょっとFFやった時に、
画面の真ん中の方がぼやけて見えて、
「むむ、端子の不調か?」
と思って近づいて見てみると、くっきりはっきり写ってる。
不調なのは目の方でした(泣)
今、16インチのSXGAですが、もう少し大きいのにした方がいいかも……
19インチのSXGAも安いし……とか。

こういうところに、コスト掛かるようなお年頃になってまいりました。

しかし考えてみれば起きてる時間、
座って・画面か本を見てる仕事&趣味であり、
人生の2/3を腰掛けまた向かい合って過ごしてる訳ですから、
コストは掛けて掛けすぎることはない。
少なくともクルマとかに掛けるよりよっぽど重要……

なのはわかっちゃいるんですが、踏ん切りがつきませんねえ(泣)

腰なんかも、腰痛を持病にしてしまうとすさまじいコストがかかる、
っていうのが近くに実例がいくつもあれば自分も軽いのを散々経験してるのに、
なかなか。

---

お金にしろ労力にしろ、コスト掛ける、時には要するに
どれだけリターンがあるか
ということにその掛けられるコストの量を決めたり、
情熱を決めたりできるわけですが、
「腰が痛くなるのを予防する」というのには、なんのリターンもなければ、
保険のように「ダメになったら必ずお金がもらえる」という保証もないんですね。
あくまでも「予防できるかもしれない」であって、
確実に予防できる、ではない。
だから人は、虫歯になるまで歯を磨かず、風邪をひくまでうがいをしない。

それをひっくり返せるのは、そういうクライシスに遭ってから、
そこから復帰する段階でそういったことをやってみて、
「ああ、これをやっておけばよかった!」
と自ら痛感する、それしかあえりえないんですね。

僕も実は歯の磨き方すごいちゃらんぽらんだった方なんですが、
去年の冬から虫歯治療に苦労してから、
ちゃんとブラウンの電動歯ブラシ2分間、毎日やってます。

まあモノに限らず、人生そんなことはたんとあるわけですが、
これって……知識では埋めようがないミゾなんですよね。
人はやっぱり、やりたいことをやりたい生き物であって、
そういう目でモノを見れば、どのようなありえないプラス評価も、
考えられないようなマイナス評価もできる。
幼稚園から「歯は磨きましょう」ってこっちのことを思って
大人達が一生懸命に言ってくれていた生活の知恵、
もはや「真実」以外の何物でもないその言葉を、
我々はムシして、ムシ歯になるわけです。

知識は大切ですが、それを実行ある血肉として動かすには、
体験の裏打ちが必要なことが非常に多い。

その、体験というのは、そんな大層なものではなくて、
実際に自分でやればいい程度のものだったりするわけです。
例えばある国の国民性だって、難しいことゴチャゴチャ考える前に、
そこ行けば良くも悪くもものすごく理解がすすむ。

FFでは、「したらば」掲示板にジョブごとのスレッドがあって、
黒魔のとこは毎日見てるわけですが、
「お前そんなこという前にやってみろや!!」
と言いたくなるような書き込みが、タマにある。
頭で理屈考えてるだけで、体験が全然伴ってない。
(具体例で言うと「後衛は食事なんかしなくたっていいだろ」とか。
 画面の前でひっくり返りそうになりました)

で問題は、
それは、体験してる者にとってはバカバカしいまでの当然であって、
しかしそれを体験してない者、
もしくは体験しててもそれを見ようとしない目には、
上手く説明できないんです。
で、下手をすると相手の土俵にのって、空理空論に空理空論で
対抗する羽目になる。
虚と虚がどんなにつばぜり合いを繰り広げても、そこからは
なんーーーーにも生まれないのです。

ネット中心の高度に過ぎる情報化生活には、こういう陥穽がある。

田中角栄元首相が道路の幅を決めた方法は、
「クルマ2台置いてバイクと人を両方に置いてみる」
とか聞ききましたが、
それはまさにどんな理屈よりも100%の真実であって、
それ以上の方法は無いわけです。
それに関するあらゆる方程式は現実から導き出されたモノであって、
方程式から現実が導き出される訳ではない。

共産主義やナチズムなど理屈で国が人が歴史が動いた例は
枚挙に暇が無く、元来人間というモノはそういうモノか、とも思ったりしますし、
そういう抽象化指向が無ければ、科学いや文化は発展してこなかったのかも、
とも思いますが、
行きすぎたそれは害が大きすぎる。

……と、話がズレズレになりましたが、
要するにやっぱ買うかな、アーロンチェア。


1/18 握り金玉

えーと、今いろんなことで大変な友人と電話で話してて。

「いろんなことが脳裏をよぎって、悶々と過ごす夜……
 ついエロ本を手に取ってみたり」
「ああそれあるある、読み慣れたエロ本をね!」
「ながたさんもですか!」
「イエス! イエスイエスイエス!」

独り身の男の子というのはまあそんなものでして。
そしてまあその、気になるあの子と二人でデートに行って、
静かな湖畔で水切り石を投げる時のために、
右手のスナップを練習するわけですな。

「……どうして煮詰まるとそうするのでしょう。
 落ち着きますよね」
「胎内回帰かな……」

というのも、そういう時って新規のエロ・グッズを買い求めるという
攻撃姿勢にはなかなかならず、
なんつーかもー下手すると10年選手の勢いの、
馴染みの(泣笑)エロ本だったりエロビデオだったりするわけです。
と考えると、エロティカルな衝動というのは二の次であって、
そういう生物としての古皮質なところへ立ち返って、
生の実感を取り戻すところに落ち着きがあるのではないかと。

と、無理矢理コムズカシク言ってみる。

で、『忘れられた日本人』の中の、古い言葉を思い出しました。
昔(といっても明治とかその辺)、ある地方では、今で言う「左うちわ」、
とりたててガツガツ働きまくらなくても暮らしていける、
例えば大庄屋の次男坊みたいな人の暮らしぶりを、
「握り睾丸」
と表現したそうです。
ほら、昔は和服でしたから、袖抜いて服の中通して、
その手でアレを弄るのは簡単だったんですね。
つまりリラックスして生きてる状態を、そう表現した。若干の羨みとともに。

#(私信) 電話では「握り金玉」と言ってましたが微妙に違ってました。
#すみません。

そう言えば僕、パジャマとかスウェットとかで仕事とか勉強とかできないんです。
ジーンズ履いて、ちゃんと睾丸を締めないと(笑)
もちろんこれは逆に、緩めるとリラックスして力が出る人も、
おいででしょうね。

ということで、むかーしから続く、男の子にごくごく一般的な行動のようです。
ダウンタウンの浜ちゃんが結婚後、ビデオ観ながらナニしてるのを
菜摘に見つかって
「バカじゃないの!?」
と言われちゃったそうですが、
まあそんな感じで、奥様方もある程度しょうがないと思っていただければ……
そしてまた若人達も、「俺はこんなことしてていいのだろうか」
なーんて思わなくても多くの先輩達もやってたand/orやってる、ってことで……

と、誰に語りかけるともなく。
「握り」ではなく「握られ」でありたい、
とかオチをつけると下品になりそうなのでこのへんで。
インヴィンセボー。
(東サルタバルタ語で「あなたを全力でお守りします、さようなら」)


1/17 松が取れてもまだなもの

すみません。
松の内が明けて年賀状まだ描いてません。
ちゃんと描きますので……次の目標は1末(泣)

毎年遅れるのですが必ず描いてるので、しばしお待ちを(泣)
15を超えたのは久しぶりかなあ(泣)
しかしこうなると年賀ハガキで出すのが恥ずかしいですな(泣)

すみません〜〜〜(泣)

---

知り合いにも家族持ちが増えてきて、
(つーかまだの方が圧倒的少数派になっちゃったよ!(泣))
そういう人はまず例外なく
「私達結婚しました」
年賀ハガキを寄こすわけです。
そしてしばらくすると、家族写真になるわけですな。

さあここで、友人と電話で話してて

「ながたさんとこだとそうでしょう、もう」
「ええもう、家族写真ばっかりですよ、
 あれが人柄出るもんでさ、同じ3人家族でも
 愛車らしきジャガーをバックに正装で決めてるヤツもいれば、
 近所のうなぎ屋の前でユニクロ的カジュアル服のヤツもいれば……」

とか言いながら、いただいた年賀状の束をくってると、
ふと気づいた。

実は、家族全員で写ってる一家より、子供だけの一家の方がずっと多い。
子供だけ:家族一緒=7:3
てな感じ。
夫婦だけのところは、新婚さんが2組写真入り、1組普通の、
旧婚さんが1組ピンクのシャツでピンクのセーターを腰に巻いて写真入り(笑)

うーむ。

これはホントーにぶっちゃけーた話、
お気を悪くなさらないでくださるとありがたいのですが、
もらう方としましては、
その人と交流があって、せいぜい配偶者の方も知ってる程度で、
その子供とはあまり交流がないので、
(J也さんとこのR太君とか、変に接してる回数多い例外はありますが)
子供だけのもらっても
「?」
って感じがしまして、えーとできましたら恥ずかしがらずに
家族ご一緒の方が嬉しいような、嬉しくないような。
いや、本当に別にどっちでもいいんですけど、
そしてお子様の写真だけでも、
「へえ、こんな子があの人に」
みたいな気分に浸れるんですけど、
せっかくの写真なんですから(笑)

しかしもし、自分が同じ立場になったら、
どっちにしちゃうか、それはわかりませんなあ。
ここで、全員で写ろうという意識と、子供だけ写そうという意識と、
そこにはなにか大きな違いがあるような、
別に違いは無いような(笑)
こればっかりはそういう立場に立ってみないと。

そのシチュエーションでもギャル絵を描こうとして嫁はんに呆れられる、
に5ギル。

……すみません今から下描きデス……
ちくしょう、一生ギャル絵描いてやる!(号泣)


1/16 RMT

えーとまたFFから。

FFのクエスト(街人から依頼を受けて、それをこなすと報酬がもらえるもの)
の一つに、「意地」(もしくは「根性」)というものがあって、
どちらが釣りが上手いかで兄弟が喧嘩してて、
「とりあえずフナを持ってきてくれ。手段不問。1匹につき100Gの報酬」。
で、これ、ある一定数フナを渡すとクリアになり、
「太公望の竿」
がもらえます。
この竿、メチャメチャに強力な竿らしくて、所有した人皆が
「あ、いや、全然違う」
と非常に冷静に語るぐらいですから、そうなのでしょう。
釣り人みなの垂涎の的です。

じゃその一定数渡してクエストクリアすればいいじゃん、って、
実は問題はその一定数。
なんと1万匹。
ちなみに、釣りスキル46+4のあたくしが満月に枯れてない場所で
休み無く釣りまくっても2時間で5-6ダース……
1万匹というと833ダースを超えます。
1日5ダースずつ釣っても160日、
半年もFFの釣りだけに自分の人生を2時間ずつ費やすわけにはいかない、
と計算して諦めました。

これがいかにエゲツナイクエストで、
いかに「太公望」が手に入れ難いかおわかりいただけましたでしょうか。

しかし、抜け道はあるんです。
「手段は不問」なので、他人が釣ったフナを買えばいいんですね。
今おおよその相場がダース4000G。
1匹100Gの報酬を差し引くと、ダース2800G。
この伝で1万匹を全部買うと考えると、
235万G
ぐらいで太公望が「買え」ちゃうわけです。
実際、競売に稀に、引退する人のものでしょうか、太公望が流れるんですけど、
おおよそそんな値段です。250万前後。

えー日本円にして2500万円ぐらい。

さて。
私はレベル61の黒魔ですが、50万ならまあなんとか掻き集められる、
100万となると結構本腰入れて頑張らないとダメ……ですが、
まあ、もうちょっとやってる人ならば、250というのは
そんな無茶無茶な数字じゃないんです。
150万ぐらいの装備だって、結構売れちゃう。
装備ならば、レベリングの時に自分がちょっと強くなったり、
あるいは仲間に見せびらかして喜んだり、
という程度の利益しか無いわけですが
(それは大きいんですけどね、それを楽しむのがRPGですから)
この太公望にはそれ以上の意味がある。

金を稼げるんです。

釣りは、上級者になると高い魚が釣れます。
競売に流さなくても店売りで充分高い。現金化が速い。
いつ始めてもいいしいつ終わってもいい。
準備もほとんど要らない。ランニングコストも実に微々たるモノ。
実に効率と都合のいい金稼ぎで、
1匹1500Gクラスが、1-2時間で5ダースや6ダース釣れちゃうんです。
10万ギル20万ギルを1日で稼ぎ出しちゃう。
太公望買うための250万なんか、下手すると一週間で取り戻す。

まったく、この世の中は金持ちがさらに金持ちになるようにできてますな!(笑)

さてそこで問題は。
度重なる規制にも関わらず「寝釣り」「監視釣り」と呼ばれる、
外部ツールを使ってオートマチックに釣りをする人々がいるんです。
(規約では禁止が明文化されました)
まあ、「あの豪華な装備欲しいから」というのでやるのならば、個人的には
「ルールはルールだけどそれもメタゲームと言えなくもないし(笑)」
とも思えるのですが、
#あ、天地神明に誓って私はやってませんよ。
実はそれでギル(ゲーム上のお金)を稼いで、
リアルのお金を儲けてる人々がいるんです。

RMT(りある・まねー・とれーど)
と言われるのがこれです。
もちろん規約では禁止されてます。

今、FF11の場合は相場が10万G=3000円内外、ぐらい。
10万G、というのがどれぐらいの価値かと言いますと、
始めて面白くなってくるレベル30ぐらいまでなら
装備等々充分まかなえる金額です。
で、これをヴァナで稼ごうと思ったら、やっぱりすごく大変で、
レベル上げを中断して金策に走り回ることも、しばしばです。
そこも含めてゲームだ、とも思うのですが、
忙しい社会人等々で
(忙しいならするなという根本的な話はおいといて)
おいしいとこ取りをしたい、と思う人はたくさんいるわけです。
そんな人にとって、3000円などというのは実に安いもの。
買い手は、ちゃんといるわけです。

で。
最盛期には、これで月収にして何百万、年収にして何千万と稼いでた、
という話があります。
たとえば300万/月として1億ギル/月ですが、
330万ギル/日
なんてのは、太公望持ちを複数揃えれば
(そうもちろんこういう人はマシンを何台も並べて多数アカウント
 多数サーバーでやってます)
実に造作も無いことです。
しかも無限増殖ワザみたいなもので、1本目の太公望さえ獲ってしまえば、
あとはその太公望が2本目3本目を瞬く間に生み出してくれるわけで。

恐ろしい世界でしょう?(笑)

ま、現実にはギル買い手の方がそんなには居なさそうなので、
そんなめちゃめちゃな儲け話は少し眉唾なのですが、
まあ、計算上は魔法でもなんでもなく可能な話、なんです。
また、ここまで本気でなくても、太公望でちょっと稼いで
ちょっとギル売りに出せば、3万5万のお小遣いになっちゃうわけで、
大学生なんかならもう、有難いもんですわな。

おもしろいのが、このRMTというもの自体、禁止されてますから、
「世の中には存在しないはずのもの」
なのですが、
この取引、ギルをお金でやりとりする、っていう取引自体は
法律的には現実の行為として認められており、
例えばこれをヤフオク等々で行って、持ち逃げ等々を働きますと、
立派に「詐欺」として成り立ち、
警察屋さんが動いてちゃんとした(?)犯罪になるそうです。

以前にも書きましたが、「商才」とか金儲けのセンス、
っていうのはこういうところに鼻効くかどうか、で、
魚の店売値も、太公望が250万で買えることも、
もう遙か昔にわかってる事実であり、
その時点で「ん!? これは!?」と思える人が、
そういうものを持ってる人、なんだろうなあ、と思います。
しかしまた、これには訓練の要素もあって、
例えば僕が本気で別のオンラインゲームで「儲けよう」と思ったなら、
こうした類の換金性がよく手軽で継続的にできる、
そんなあたりを重点的に探すでしょう。
何度も同じようなことをやってる、本物のプロみたいな人も、
きっといるのでしょうねえ。

世の中には、
「この人なんでこんなにお金持ってるんだろ」
という人がタマにいますが、案外こんなかんじで、
思わぬところで思わぬ大金を転がしている人々が、
結構いらっしゃるようです。

こんな世界もありますよ、というお話でした。
釣り行ってきます(笑)


1/15 「ナウシカ」原作

ナウシカの再放送はほぼ欠かさず観てきたのですが、
先日DVD買った時に観たばかりだったので今回はスルー。
代わりに、実に久しぶりに原作を読み直しました。
ええ、もちろん7巻一気に読破ですよ。

でもやっぱり、映画上手く出来てると思います(笑)
最初からキッチリした全体構想があって、
それをあの尺でまとめるとああするしかなかった、
のか、
ボンヤリと描きたいことがあって、それを映画の時点でまとめるとああで、
連載してみるとああだった、
のか、
それはわかんないですが、どちらにせよ
映画はあの尺の中に、重要な要素をちゃんと投入してるところが凄い。
あれを3部作にして全部描ききったと想像してご覧なさい。
ちょっとゾッとしますよね。
自分で何かをある尺に合わせて書き換えろ、と言われて、
ああまで上手く全体の背景までスッカリ取り替えて書ききれるか、
と言われるとまったく自信なし!

いつも思いますが制限というのは、
決してマイナスばかりに振れるものではないのです。
思えばメーカーの商品開発なんか全部そうで、
与えられたフィールドと条件の中で、如何に勝負するブツをでっち上げるか、
ですからね。
これぞプロの仕事。

しかしもちろん、原作も面白いです。
クロトワ萌えの皆様には原作で無ければならんと声を大にする方も多いかと。
クシャナを救うところなんか漢ですね。

結局、人の敵(という言葉は適当ではありませんが)は人、
というのは、実に寂しい気がする結論ですが、それはそうです。
環境破壊なんか技術でなんとでもなる、
その技術を使うも使わないも、人が決めることです。
戦争なんて避けようと思えば簡単に避けられる、
それを避けないのは、人間のやってることです。

「環境を汚す大製造業」とか、
「我々の生活を脅かすあの国」とか、
仮想的に敵視する幻想を作り上げて、
そこへ問題をすり替えるのは、やめないと。
自分の心に潜む闇、汚濁にも目を開き、
それをどうにかできないにせよ、
「それは、私の中にもある」
という意識ぐらいは持っていて、罰は当たらないようにも思います。

人間は本来オプティミスティックにできているもので、
まあ、なんとかなるものです。
でなきゃ野山で鹿追ってるぐらいで諦める(笑)
「なんでこんな寒いねんやってられるか!」ってね。
あるいはあまりに暇になりすぎたのがいけないのかも知れません。
スイッチを押せば暖かくなる道具を手に入れすぎて。
だから余計なことを考える。
しかし、その暇を使ってまた、いいことも同じように考えられるわけで、
スイッチを押す道具はやっぱり、必要なのです。

ひとつ、印象的だったのが、ある場面で
「人は詩と音楽を楽しんで生きるようになるのだ」
とありました。
絵画が無いんですね。
ちら、と意識が働かれたのかどうかはわかりませんが、
僕が同じ場面同じ事を書くなら、詩は入れません(笑)
歌と踊りとかにするかな?
謙譲の美徳です。
そこで抜いてることに、逆に愛を感じます。
もちろん絵画も詩も、人類の資産ですとも。
でもそれは、パチンコとかクルマとかノートパソコンと
同じレベルであるような気もしたり。

どっちにしても、映画と並んで一般教養として
観ておくべきものでございます(笑)
これと「AKIRA」と「攻殻」の1は。


1/14 透明になる、歌い手

「フランク=シナトラやっぱ上手いわ!」
でお馴染みのマイまま上ですが、
さすがに自らもたとえ歌う人の極少ない古い洋楽(英語)とはいえ
カラオケ全国ランクで1位を獲る歌い手、
歌の上手い下手には非常にうるさいです。
しかしそんな彼女もアンディ=ウィリアムスやナット=キング=コールには
さすがに一目置いているわけで(笑)

「上手い人の歌というのは」
「ふむ」
「その歌の世界に入っていけるわけやな。
 歌い手が見えなくなって、歌の世界へ」

にゃるほど。

おっしゃるとおりで、ワタクシがいつも思いますところの
「味噌の味噌臭きは上味噌にあらず」、
それを歌い手的に言えば、確かにそうです。
良い歌・そしてそれを歌う良い歌い手というのは、
歌としての何か、歌い手としての個性、
それが消えて、
歌の世界に埋没できる。

ナット=キング=コールがスタンダードを歌うアルバムを一枚持っており、
とてもお気に入りでよく聴くのですが、
悔しいことにおっさん、なんの気負いもてらいも肩の力の入りもなく、
まるで笑いながら、近所の居酒屋で求めに応じて一席、
なんてなノリで、自然にのびやかに歌う。
しかしこれが、うまい。
こういうアルバムって、ともすれば
「どれ食べても同じ味〜」
ってな感じになるおそれがあるものですが、
さっすがこのクラスになるとモノが違う、
「L-O-V-E」と「Unforgetable」ではまるで違う味わいを醸し出してる。

わかってるんですってば目指すところはココだってこたバンバンバン!

これをずーっとさかのぼって読んでいただくとおわかりのように、
僕は個人的には、書き手の個性でスパイクを入れるのは
決して悪いことではなく、むしろ大きく意味があることだとずっと思っていますし、
実際モノを読む時にはそういう視点で読むことも多いです。

#それが、なんかこんな致命的なことを自分で言うのもアレですが、
#「小説」というのに向いてないんじゃないかと思うところです(笑)

ただ、やはりこういう実例を見てみますと、
そして……
まあ、ぶっちゃけた話、いろんな批評とかもいただいて判断するにですね、
マイナスの面の方が大きいくさい。
頑固者とそしられようとも負けたつもりはこれっぽっちもなくてですね、
ミニバンに両側スライドドアなんか要らないんです。
でも、そうでなきゃダメくさい。
で、フト考え直せば、別に片側スライドドアにこだわっていたわけではなくて、
要らないじゃん
と思ってただけなので、じゃ両側にするってことには、たいして抵抗はない。
そんな感じです。
というよりも、入れようとして入れたスパイクが通用する相手
(読み手さんだけではなく、主題とか、そのモノをとりまく環境とか含め)
には、ほおっておいても通用するから、
別に無理に入れなくても、その方が楽じゃん、とも思ってみたり。
もっと平たく言うと、僕のスパイクが好きな人は、
それがなくても好きになってくれる人なんです(笑)

とにかく、無理強いはどっちにしろ不自然ですからやめることにして、
激しさはうちで渦巻かせるだけ渦巻かせて、
それを出す時には、できるだけ「勝手に湧き出るように」出していきたい。
逆から見れば、無理に絞り出さなきゃ駄目な時は、
それは中身が練れてない、エネルギー不足、イメージ不足なわけですから、
もう一回やり直す。
#と、言ってられない時が多いのだが!(笑)

そうして紡ぎ出された文章はきっと、僕などという夾雑物は消えていて、
「その世界」
だけが鮮烈に描かれたものに、なっているはずです。
究極目指すべきはそこで、
手練手管は、表現の出口付近しか受け持ってはおらず、
クルマで言えばタイヤ、オーディオで言えばスピーカー、
そりゃめちゃめちゃ大事だけど、
タイヤだけ良くても良いクルマとは言えず、スピーカーだけよくても
鳴らすプレーヤー陣がしっかりしていなければよい音は鳴りません。

弓道の指を離すポイントというのは、
「離す」という意識ではなくて、しぼりにしぼって
「自然と手が離れる」というところが、その一点だそうです。
そんな感じで、書けたらいいなと。
先日「いろんなものが書けるようになりたい」と言いましたが、
それは理屈としては難しいことではなくて、
ナット先生のように、
美しい歌の時は美しい世界へ、
悲しい歌の時は悲しい世界へ、
楽しい歌の時は楽しい世界へ、
いざなうような、そんな文章を書くこと、です。

実現は、実にムズカシイ。
でもそれは、Unforgetableな基本中の基本です。


1/13 あははうふふは知識じゃねえのか

「ほぼ日」でタモリさんと糸井師匠の対談が続いており、これが面白い。
その中で
「海辺を恋人同士が二人で歩いて、
 波が来て『きゃっ』とかって避ける、
 あれは絶対、自然に出たものではなくて、
 どこかで見たものをやってるよね」
という話があって。

そういう、
「こういう時はこうだよな」
という知識にのっとった行動、というのは、
意識的無意識的問わず、実は割とあるものです。
しかし。
それはけして悪いことではなく、
大げさに言うと人類が営々築き上げてきた資産の継承であり(笑)
みんながやってきた、ってことはつまり、
よくできてることだったりも、します。

僕はごく小さな子供の頃、くしゃみをする時に大人の人達が
「はくしょん」
というのが不思議でたまらなく、マンガなんかの漫符や擬音でも
そう描いてあると
「この音は違うだろ」
とか思っていたのですが、
ある日むずむずっと来た時にフト思い立って、意識的に
「はくしょん」
と言うがごとくにくしゃみをしてみました。

すると、これが結構、いいんです(笑)

身体的な衝動にまかせたくしゃみという行動は、
次にどんなことが起きるか、そのコントロールが
例え瞬間であるにせよ自分の手から離れてしまう。
それが、「はくしょん」と発音(?)することによって、
は、で息を吸い、
く、で顔をしかめ衝動を凝縮し、
しょん、で一気に吐き出す、
という一連の制御された流れになる(ような錯覚を起こす)。
それが、安心感をもたらす。

で、結局は渚の恋人達も同じことで、
そこからどうするか一個一個考えてるとお互い疲れますから、
波が来てきゃ、
おっと、大丈夫かい?
うふふ、へ・い・き
これでルートが確定するわけですな(笑)
それが、横歩いてる彼女が足元ズブズブになっても平然と歩いてたら、
どう処理していいかわかんなくなりますよね。
僕もズブズブになってないとダメなんだろうかとか。
この革靴高いんだけど、とか。
それは大変ですよね。

しかし、そういういわば「お約束ごと」に乗る、
それ自体への抵抗も最近は社会的にあって、
いい例が結婚式なんですけど、
「ホテルでベルトコンベアみたいなのは……」
とみんなこねくり回すわけです。
でも、結局のところ、どこをどうこねくり回しても、
「二人の結婚を報告するのに近しい人を集める宴会」
という大前提からは逃れようがないので、
同じ、といえば同じなんですね。
前例でも、どこをどう変わった行動をしようと、
それこそ二人で海に向かってダイブしてみても、結局
「海辺で二人きりな恋人同士」
という基本シチュはなーんも変わってないわけで、
あははうふふとツインダイブと、中身は一緒。

で、こう、あるコトに対する、そういう人々がでっち上げてきた
「スタンダード」
を極めるとこまで極めようとしたのが80年代で、
その反動でそれを全否定してこねくり回そうとしたのが90年代で、
結局一緒やん、という事実に気づいて少し落ち着きを取り戻しつつあるのが、
00年代ではないかな、
とか、思ってみたりします。

ほんとの最初の最初は、ほんとに自然に、
波が来た、きゃ
という行動であったはずで、
そこにはこんな変なゴチャゴチャは無いはずで、
もちろん良くも悪くもなくて、
「そう」っていうだけです。
思うに、こういう、
だってそうだもん
という行動とか、言葉とか、そういうものを、見直していくと、
もう少し気楽な人間社会ができちゃうのかもしれません。
大げさに「きょわ〜い」とか言うのも、
憮然とすまして突き進むのも、
両方、嘘、とは言いませんが、
基本に対して何かの手が加わり過ぎてる。
それを、俳優さんがドラマでやったりするのはいいと思うのですが、
フツーの人がなぞるのはまあ、もういいじゃないですか、という感じです。

それはかすかなことなんですけど、
心に浮かぶホントの「きゃ」を見極めていきたい。
それには……ひとつひとつへの集中力かなあ、と思います。

あまりにも足りません(泣)


1/12 シフトスケジュール

「本当の自分」というのは、どこからどこまでがそうなのでしょう。
自分自体にもテンションの違いとかありますし、
一体どの自分が「本当の自分」なのか、とか、
そんなことを考えていると夜も眠れず昼寝ます。
あの人に対するこんな自分、
このコトに対するこんな自分……
どれも結構違いますよね。

それらオールをまとめて「自分」というのでしょうが、
それもなんだか粘菌類みたいで、漠然としすぎている気もします。

「生」なのがホントの自分?

「生の自分」一本で生きている人も多々おられますが、
そしてそんな風景がすごく素敵な人もたくさんおられるのですが、
逆に、「そりゃマズイだろ」という人も多々おられますよね(笑)
いや、笑いごっちゃないこともよくあるのですが。

そういうのを見てると、そういう「生の自分」というのには
からっきし自信のないボクチンとしては、
「言うてもそれはできんで」
という自制が働きます。するともちろん、生ではない。
こう、生きてきた歳月を経て、「この時はこうすれば丸く収まる」という
技芸も身に付いており、自分の利益不利益、特に
「よく見られたい欲」とかそんなのは別にしても、
周りみんな幸せで、自分も特に不満無いならそれでいいじゃん、とも思います。
そんなこんなで、「生」という選択肢も取りにくい。

そんな「生自分」であってさえ、誰が見ても触れても
「ああ、あの人はいい人だ」
と言われるような人になる努力は、必要、というよりも尊いと思うのですが、
それにも限界はあるし、天然には勝てないし。
諦めることは、ないですけど。

「表」「裏」というのではなくて、
両方自分なんですけど、モード違うというか、対応が違うというか、
それを表裏と言うのかも知れないですが、
でも嘘はつきませんし姿勢も変えてないつもりではあります。
ATのシフトスケジュール変えるのあるじゃないですか、
スポーツとか、エコノミーとか。
あんな感じかもしれません。
ギア比同じ、機構同じ、ただ、制御の仕方が違う。
……もしシフトスケジュールだけの話なら、
もう決め打ち一本で行ってしまうのがいいのかも知れませんね。
結局クルマのATも、使うのは標準スケジュールだけで、
スポーツ走行の時はスポーツモードを選ぶよりも、手でシフトしますから。
要は、「このパターンでいこう!」という汎用性もあり効率も良く
そしてクルマに(自分に)合ったシフトスケジュールが組めればよい。

そんな、ある程度「形整えた自分」と「生の自分」との間で右往左往する32歳です。
40を不惑と言いますが、それぐらいにはおおよそが決まってくるのかな。
それを、その自分的ベストスケジュールを「スタイル」というのかも知れませんね。

正直、今でもちょっとその言葉を使うと気恥ずかしいです。
まして20そこそこの連中が使うのみるとゲラゲラ笑うしかない。
(もちろん、ごく少数ながらお持ちの方がちゃんとおられますが……)
え?
そう。
でもね、跳ね返ってたおっちゃんが言うんだから間違いないって(笑)

友人と電話で話してて、
「僕のキツさを知らない人は、まだ付き合いが浅い人ですよ」
なんて言い放ってはみたものの、
考えてみれば古くからの友人、いや古くなくても近しい人々は、
そんなこと百も二百も承知でつき合ってくれているわけで……
まったく、得難いことだと感謝しています。

まあちょっとずつ、右にフラフラ左にフラフラしながら、
ベストギア比を探っていく毎日が、続きます。


1/11 続きをしようぜ

GKを除く全ポジションまんべんなく、
才能が次々に溢れ出てくるアルゼンチンという国は
ひょっとするとブラジル以上のサッカー大国なのですが、
その中心にいるのがファン・セバスチャン・ヴェロン。
素晴らしい精度のキックを持つ大型MFで、
ボランチ位置からトップ下までをまんべんなくカヴァーできる珍しいタイプの
センターMFです。

ちなみにウチ(といえばミラクルズ)のエレーナのモデル。
中田は、本人の好みは別にしてタイプ的にはこういうタイプだと思います。
よく(ヨーロッパで)守備的MFをやらせるにはパワー面でキツイ
という意見を耳にしますが、小野伸二やマウロ・シウバ、それこそ
デイヴィッドがやれてるわけだし、走り回る猟犬みたいなのはそれこそ
ゴロゴロ市場に転がってますから、そういうのと組ませて……
と、考えてハタ、と、日本人にはそういうタイプはあまり居ないなあ、と。
戸田が上手く行ってれば、ねえ……
サンダーランド行ってたらよかったかも、ですね。
サッカー選手は寿命短い分、ホントに移籍は怖いです。
ブレークもあるけどまるっきりダメにもなる。

ヨシカツ、帰っといで。お母さん怒ってへんから。

で、そんなこんなで現在はイギリス暮らしのヴェロン。
去年マンチェから油モビッチ資金でチェルシーへ移籍したのですが、
ケガして最近は出てないんですね。
そんなヴェロン邸に強盗が入ったとか。
寝てるセバスチャンを叩き起こしてナイフで脅し、
言ったセリフが
「おいハゲ、フォークランドの続きをしようぜ!」

不謹慎ながら大笑い。

いや、これはいつも見てるサッカーニュースWebのネタなので、
(そこは事実をベースに登場人物のしゃべり等々に脚色を加えてて、
 それが面白いサイト)
たぶんホントじゃないんですけど、
向こうの人なら言いかねない。

日本人にはそういうメンタリティなくって、
ちょいデリケートなのを覚悟で言っちゃいますが
例えば在日アメリカ人の豪邸に強盗に入ろうと決意しても、
「おいヤンキー、俺たちゃヒロシマを忘れちゃいないぜ」
なんてまあ100%言いっこない。

歴史的にいいことも悪いこともコロッと忘れてしまうのが我々の特徴で、
例えば中国には歴史的にものすごい恩恵を受けて続けてるはずですが、
あんまりお返しという形がやれたことはないですよね。
最近の発展に力貸してると言えばそれはそうですが、
それは日本だけの話ではないし、そもそもが国と国民の力が一番ですしね。
アメリカとの関係でも、もちろんいい思いをたくさんさせてもらってるわけですが、
ヒドイ目にも山のように遭ってる。

でも、そんなことはほとんど「歴史的事実」という名の
忘却の彼方へさっさと追いやって、
今日と明日を頑張る。

だってヒロシマは酷いもの。
あんな人類史上に残る非人道的大虐殺やられて、
発奮して一人残らず死に絶えるまで、
カルタゴのように国が平らにならされて塩まかれるまで
老若男女ゲリラ戦戦うか、っていうとその10日後には
「やめやめ。もう降参」
そしてギブミーチョコレート。

こうしろとは言いませんが、イラクの人々にも
「こういうやり方も、あるよ?」とちょいとお知らせしたい気分です。

謝れ謝らない、の話がいまだに出ますが、要するに
「謝る」という行為には「ああ、すまんかったー」という気持ちがなくてはいけなくて、
それがあまりわかない以上、謝りにくいなあ、
とか真面目に考えすぎじゃないでしょうか。
我々はどうも、そういう事実に関して
「すまんかった」「あれは酷かった!」
と振り返る能力の低い(良くも悪くも)人々のようです。
だもので、気持ちはさておき
すまん
言っておけばいいような気が、だいぶします(笑)

そういうマイナスもあるのですが、
必要以上に前向きという面では、僕はこの特性は嫌いではありません。
ただ、それは世界的に見ればかなり特殊な感性かもしれず、
それは、覚えておいた方がいいような気も、します。

(余)
ただ、日本でも萩と会津や津軽と南部のように、
ずーっとやってる地方もあることはあるので、
日本人、というくくりも正確ではないのかもしれません。
国、という曖昧模糊とした意志決定状態になったときに、
そこで醸成される最大公約数的な「気分」が、
こういう性質を持ってるのかもしれません。

個人として生で持ってるそういう気持ちと、
国あるいは民族として持ってるなんとないそういうものとの間に、
あまり乖離があるのは望ましい状態ではないような気もしますが、
だからって生の気分がそのままぶつかり合っても話がややこしくなる……
いや、その方が誤解がなくていいのかな。
これから先、国境という垣根が無くなっていったら、
どういう風になるんでしょうね。


1/10 口は悪くても

「最近口が悪くてねえ」
「なにをいまさら!」(挨拶)

---

すみません、どうも最近更新が不定期になってるのですが、
一つの理由がこれ。
口が滑りすぎてる気がして、それが自分でも……
ヤ、というわけではないのですが、
よくない、……というのともちょっと違うような気がするのですが、
どうしたもんかいな、と。

嘘っぽく常識人を気取るのは止める。
それはいい。
だけど、きゃんきゃん言ってるだけではホント高校生みたいなものですから、
なんというかこう、経験と知識を混ぜ込んでうまいことまとめあげてこそ、
年齢相応といいましょうか書いてる意味があるといいましょうか。

なのですが、
どうもそこが、少し前まではものすごい丁寧に麺棒で延ばしていたのですが、
「まあもーえーか」
みたいなところがあってですね。

おでんでも、煮込めば煮込むほどいい、というわけではなくて、
各ネタにベストタイミング、というのがあるそうです。
練り物はダシ出す方ですから、煮すぎるとダメですよね。
でも、コンニャクとかそれを受け止める方にも、
受け止められる許容量ってあるらしくて、それを超えると出て行くんですって。
ガッテンでやってました。

そんな感じで、3時間ぐらいかけて徹底的にコネ倒した
ガムみたいな歯ごたえのうどん作っても、
それそのものには実は意味はなくって、
(それだけでも個性になるといえばそうなんですけど、それはちょっとさみしい)
「どのぐらいの固さの麺を、どんな料理に使うか」
というのこそが大切なところ。

で、やっぱり思ったんですけど、
ここ(ほえなが)って、こう、腰を据えて読むものではなくて、
出勤してからチラッとWebチェックとか、家帰ってきてメールチェックしながら、とか、
そんなんじゃないですか。
で、そんな
「小腹空いたからつるつるっと一杯」
って時に、土鍋で3時間煮込んでも崩れないグルテン王みたいな
麺出してちゃ、駄目……とは言わないまでも、
あんま合ってないんじゃなかろーか、とか。

そんなこんなで、ちょっと最近は崩し気味に行ってみようか、
とか思ってます。
それは形も中身もで、
前ならちゃーんとオブラートにくるんだことも、生で(笑)

昨日の話なんかそうで、
書かない方が無難、でも、気になったことは事実なので、書いてみました。
書くからには枝葉つけて一盛りのお弁当に仕立てあげるのですが、
まあ、要するにえびの天ぷらが揚げてみたたかったわけです。
これを、「じゃ今日は天丼」と組み立てられるようになると、
かなり違うと思うのですが、
それは、まだ無理。

でも、そんなジャッキー・イクスみたいななんでもできる書き手、って
実はかなり少なくて、
(「文学とは人の哀しみを描くもの」とかそういう固定観念がはびっこってますからな。
 この未来世紀21に!)
できりゃそういう手になりたい、とも思っております。
素材見て、ブイヤベースからたこ焼きまで変化させられるような。

「ちゃんとした一席をちゃんと作れなきゃ」
というのはもうヤメだ(笑)
街のお総菜屋さんにも意味も意義もある!

でもなかなか、道は遠いですね。
結局、「美味い!」と思えるものを作らねばならないところは、
どこをどうやっても同じですので。
逆に言うと、そこさえ、その気持ちさえ忘れなければ、
何を作っていようとも、どういう風に作っていようとも、
きっと、いいものができる、と信じています。

でも、「辛口だ」とよく言われるのですが、そうですか?
随分セーブしてるつもりなのですが。
いやマジでマジで。ホントに。
こんなんで辛口だとか言ってたらあーた、

……。

まあ、そんなこんなで、いつもどおり、いちおー、頑張っております(笑)


1/9 一番福

時事ネタですが。
関西圏で西宮神社の「一番福」を争うダッシュ大会が毎年あって、
そこに前年トップを走りながらゴール寸前で転けた消防士の方が出場、
今年は見事雪辱を果たして一番福をゲット……
というのがミニドキュメンタリー仕立てで夕方のニュースで流れたんです。

その後の顛末はみなさんご存じの通り、
抗議の電話がTV局はおろかその職場にまでかかっちゃって、
ご当人は一番福を返上されることに。

いいじゃないすかそんなぐらい(笑)

こう、「ごはんまだかなー」と思いながらぽけーっと観ててさえ、
スタートの瞬間左右2人ずつぐらいが両手を拡げて後続をブロックしてるのが
明らかにわかる正面からの映像でした。
で、その時の僕の感想は
「うわ、大変なんやな、この競技も」

だってねえ、F1だってやってますしねえ(笑)
そういうことが前提のイベントじゃないんですか?
これ以前にはこういう例はなかった?
周辺事情わかんないですが、まあ、昔からぐちゃぐちゃ色々あったと思いますよ。
きっと。
今回、どういう事情がどうあったのかわかんないんですが、
そんなヒステリックに叩かなくても……
たかがお祭りじゃないですか。
まったくバカバカしいことに必死になって一年を費やした
良くも悪くもおバカさんが居て、
そのおバカさんの考えた作戦のおバカ度に周りのおバカさん達のバカ度が
敵わずに負けた、というだけのこっちゃないすか。

いや、普通、徹夜していい場所取ろう、ぐらいまでなら
頑張れるかもしれないけど、友人なり仲間なり動員してブロックさせようとは
考えませんぜ(笑)
まあ、そういう仲間の存在こそが一番福だ、ってオチで。

あとちょっと気になったのが、これ放送したTV局は
どっちのネタとして放送したんでしょう。
(もちろん表面的には感動ドキュメンタリー仕立てですけどね)
僕チキンですから、たぶんあの絵だと
「これどうしましょう」とか本人に確認に行ったかも(笑)
まあ、「あ、ヤバ」とは思ったけど、取材コスト掛かってるし、
生ものだから時間足りないし、そのまま行ってまえ、ってとこなんでしょうけどね。
大人って怖いから、
「どっちにしろ話題になりゃいーだろ」
てところですかね。
コワイコワイ。

映像の怖いところはそのダイレクトさで、
もう、あの絵一枚見せられると、我々文章屋も、
言葉並べるナレーターも、ついてませんでしたが音屋も、
もう全く無力なんです。
なにをどう書いて言って被せても、ブロックはブロック(笑)
ウチのまま上も、
「あ、邪魔してる。こりゃヒドイなあ」
そして話題はそれ。
まさに百聞は一見にしかず、
映画で俳優さんが一番お金をもらうのも、そりゃもうしょうがないと思いました。
コワイコワイ。

ま、それはともかく、来年ぜひ雪辱戦を(笑)


1/8 これで三回目です。

狂牛病の話が出た時に。
もちろんエゲレスで起きたことが日本で起きないはずはなく、
大丈夫だ大丈夫だと言ってる方がおかしくて、
そしてやっぱり日本で起きちゃった時に、
次にアメリカとオーストラリアが大丈夫だ大丈夫だと……

こう、みんな心の中では「んなわけねえじゃん」とか思ってるわけですよね。
へたをすると、提供してる方も
「本当はそうは言い切れないのかも……」
と思ってる。

でも、言わざるを得ないし、
受け取る方も、「言って欲しい」みたいなところもあるじゃないですか。
だって多くの人が、やっぱりお肉食べたいもの。
牛丼が焼肉がハンバーガーがビーフカレーが。

やっぱり、もうこういう、世界中の事情が筒抜けになっちゃってる時代ですから、
そういう時は「〜だから安全です」という嘘をつくのは止めて、
「○○のは止めて××のにしました」
と言うに留めるのが一番ではなかろーか、と思ったりもするのですが。
まあ、極端な話気の利いた中学生でも
「それはどうかな?」
ということを商品の売りとして徹底的にアピールしたわけですよね。
詐欺、といわれてもグウの音でないんじゃないですか?

死者に鞭打つように叩きたいわけではなくて、
「もういいじゃないですか、そんなわきゃないってみんなわかってんだから」
と慰めるというか、あるいはまた、
「それはもういいから、安全にしていく方法を考えましょうよ」
とか。
「『オーストラリア牛肉フェア』始めました」
というスーパーのニュースとか見てると、
2度同じ間違いをしてまだ直そうとしないのは、
あまりにも、愚かしいというよりも、恥ずかしい。
誰もそんなこと思ってないよ、と。

ちょっとそれに類する問題提起なWebとか覗いてみますと、
アメリカでは、日本では食品には許されてないワザが、
いろいろOKになってるそうで。
放射線どばー、とか。
そう言われてみれば、穀物などに対して収穫後薬品散布の問題もありましたし、
選手がポックリ死ぬまで筋肉増強剤オールブッスルーな
メンタリティの人々がやってることですから、
そりゃまあ、何入ってても不思議ではないですわな。
終戦直後にDDTを頭から振りかけられる子供達の姿を見て、
今の我々は絶句するわけですが、
50年後の人々にもまた、絶句される可能性は大。
見えにくくなってる分、逆にますます反動はキツクなってるかもしれません。
レイチェル・カーソン女史も草葉の陰で黙って泣いておろう。

そうは言われても我々は相変わらずスーパーで牛肉を買わざるを得ず、
食品関連のこうした話を聞くたびに無力感と脱力感が襲うのですが、
んなこといっててもしょうがないので、吼えてみますか。

大丈夫な牛肉が、食べたいな……


1/7 「価値」と「意味」

まあ、そういうことを仕事にしてる方には当たり前のことだと思うのですが。

モノには「価値」があって、それに対して「価格」がつけられて
対価が払われるわけです。
モノとしての良し悪しが「価値」を決めて、
それが払ってもいい額を上下させる。

ただ、時折、「モノとしての価値」とは関係ないところで
価格が上下するモノがありますよね。
需給関係で欲しい人多いのに数が少ないから値段上がる、
それはすごくわかりやすいのでいいのですが、
いかようにでも手にはいるのに、そしてモノとしての価値で見るならば
価格における差ほどでは無いのに、ベラボウに高いモノが、存在する。
歴史あるブランドとか、一昔前のメルセデスとか、ですと、
「80点を90点にするには60点を80点にするのよりずっと金がかかる」
という理屈でまあ、理解できるのですが、
モノによってはそれですらなくて、ただ高い。
もしくは価格はともかくとして、数が異常に売れる。

その原因としては社会的要因、
「流行」とか「みんな持ってる」てところが多いと思うのですが、
それを含めて「価値」とか考えるからヤヤコシクなりがちなのではないかと。
どちらかというと、「意味」って言い換えればどうでしょう。
モノには、「価値」と「意味」がある。

メルセデスは、昔は「モノとしての価値」を極限まで追い求めたわけですが、
それを続けた結果、別の「最高級品である」という「意味」が生まれた。
で、「価値」ではなく「意味」を求めて買う客が増えて、
その旨みを知ってしまって
(その他量産台数上げないと世界的再編の中で生き残れないとか
 外的要因もあって)
「価値」はまあ、ある程度のところで妥協して、
「意味」をしっとり持たせる方向へ転換した。
「価値」がもたらす必然としての「意味」だけではなくて、
「意味」で「意味」を作るというか、積極的にそこを演出することによって、
顧客における「意味」を増幅させて、大きな価格を納得させる。

昔から見てるクルマ好きにとっては、
モノ的価値が相対的に落ちているメルセデスは商品としての魅力が薄いんですが、
#というか、我々にとってのメルセデスの「意味」は、
#「『最善か無か』というモノであること」にあって、そこ以外にはない。
#そこを失ってコストパフォーマンスの話をするなら、割と悪い。
現在進行形の情報としてもたらされる「意味」で
今・ナウ・なにかクルマを選ぶ、という人にとっては、
以前よりもさらに「意味」づけされているメルセデスは、
非常に魅力的に映る。

まあ、なんでもそうで、
ガラクタみたいなモノが火を噴くように売れるのも、
時に一瞬であるにせよ「意味」が持たされているからで、
逆にそういう「意味」を持たせることに成功すれば、
さほどでも無いものでもよく売れるわけです。

家電屋に勤めてたころは、
「どこそこのはバッチつけただけで5000円高く売れるからな」
というボヤキを聞いたものですが、
そこのバッチに5000円の「意味」があるのであって、
そこはそこにそれだけの「意味」を乗せるために、よそで苦労してるわけです。
映画会社買ったり、ゲーム作ったり(笑)
それは簡単な努力ではない。

モノ的な「価値」を高めていく努力も尊ければ、
お客さんにとっての「意味」を高めていく努力も尊い。
どちらよりかに好き嫌いはあるにせよ。

モノ好きなものですから、モノ的価値が低いのに高額取引されたり
街に溢れたりするとイライラしてたのですが(笑)
まあ、そんなふうに考えると、それはそれで、と思えるようになりました。
逆に、「これはイイモノだから!イイモノだから!」とだけ訴えるのも、
努力不足のそしりを免れません。
料理人の皆さんだって、味で勝負は基本、
センス無くても頑張って器に凝り、店構えに凝り、
若い衆殴って躾を教え、好きでなくても名酒を揃える。
どんなに美味い懐石料理も、ポリプロピレンの給食容器で出てきてはゲンナリです。
それとまあ、同じ。
そんなことしたって味という「価値」は1ミリもあがりゃしませんが、
料理としての「意味」はぐーんとあがります。
それが、お客さんの満足になって、
ひいては、大きな対価になって還ってくる。

どっちかというとそこを弄くるのを潔しとしない、
みたいな気分があったのですが、
そう考えると、それもサボってるだけかも、
と反省しました。
トータルでより大きな「意味」を持つモノを、つくっていきたいです。


1/6 忘れられた日本人

■「忘れられた日本人」 宮本常一 岩波文庫

めっちゃ面白いです。
オススメ。

昔がよかったというわけでもなく、
今がいいというわけでもなく、
その時代時代で、人間はいつも、
同じような悩みかかえ、同じような喜びに笑っている。

壮絶に貧乏で、暮らしていけないので、
小さな子供を余所の家に置いて帰ったりするんですけど、
それが非人道的かって、それ、しょうがないことなので、
その上で精一杯をやるんです。
お母さんが手を引いて子供と一緒にほうぼうの家回る。
泊めてくれと頼めば、昔はむげにもせず泊める。
で、囲炉裏端で母子二人寝る。
「ここに置いて帰ったらこの子はここで一人で……」
と思えば、置いて帰れない。
置いて帰れないなら、そのまま家に帰って、また次の家に向かう。
そしてあるお家に泊めてもらうと、
そこの大ババさまみたいな人が、
もちろんこの人はそんな事情も背景もぜーんぶわかった上で、
「おお、ええ子や、ええ子や、ワシと一緒に寝ような」
と言って一緒に寝てくれる。
母親は涙ながらに翌朝、「お願いします」といって一人帰るんですね。

しょうがない、
じゃあその時にどれだけ精一杯できるか、
というギリギリのところは、結局どんな時代でも、変わらないような気がします。
ただ、古い時代には、妙な観念論みたいなのが無い分、
「こう困ったらみんなでこうする」
という流れが、キチンとできてたような気がします。
みんなが困ってたから、困ることを恥ずかしいと思わなかったのかもしれないし、
「困った」ということが、今ほど難しくなかったのかもしれません。
少なくとも、現在が社会システムとしては優れてて、
昔は無秩序で無知蒙昧な無法状態だった、と考えるのは誤りのようです。
手に入れたものもあれば、失ったものもある。
そう、忘れられてるものも、ある。

だから逆に、こういう本を読んで昔の人の知恵やうまい生き方に触れると、
「なんだ、今の世の中って、全然じゃん」
とか、変な肩の力が抜けます。
エラソウに言ってて、もちろん自分も必死でエラソウであろうとして、
でも、やってることは、昔の人なら簡単にやってたことを、
ごちゃごちゃ言うだけで、できない。
現代社会も現代人も、その程度のものです。

だからもう少し気楽に、いきましょー。

また、歴史になるほど古い話ではないところが、
自分の中の時間を巻き戻せて、想像しやすいところです。
やはり宮本先生の全集は読まねばならぬか……


1/5 褒美は出てる

モルダバイトピアス!(挨拶)

獲れちゃった……
魔法攻撃力+5(ダメージ約4%アップ)という一生モノの装備です。

いや、オンゾゾで遊んでるLSの人がいたので、
「一度やってみましょうかー」
とか気軽に声をかけてみたらいつの間にやら5人PT、
我らがLS一番盾がライバルPTに張り勝ってNMゲット、
そして一発ドロップ。

譲渡不可なので金で手に入らないところが、仲間のおかげ、
という感じがして嬉しくもあり、少々恥ずかしくもあり。

レベリングでヒャッホイしてきまー。

---

もういっちょFFよりの敷衍ネタ。

MMORPGのバランス取りって大変なのはよくわかるのですが、FF11が
「上手く誤魔化したなー」
というのが「赤魔道士」の処遇。
もう強化につぐ強化ボーナスにつぐボーナスで、
全ジョブ中最強無敵のジョブに作り替えてしまいました。
専用の固くなる魔法使えばナイトよりも固く、
連続魔(キャストタイムが極小になる必殺技)+コンバートで
「専門家の」「最強のNukerのはずの」黒魔以上の攻撃魔法での削り能力を持ち、
MP量がPTのサバイバリティを決めるこのゲームにおいて
MPを増やすという神魔法を持って戦闘補助専門家・吟遊詩人の顔色すら失わせ、
剣も装甲も中盤までは戦士ナイトと同等のものを装備できる……
という無茶苦茶なジョブに仕立てたんです。
極端なことをいえば赤赤赤赤赤赤が成り立つ、PTのどこでもできる
スーパージョブなんですね。
だって65ソロで闇王倒せるそうですもの。

で、当たり前ですがそんなスーパージョブになると人気があがって、
やりたくなる人増えて、人口増えるわけです。
(実際、「誘われやすい」+「ソロ能力が高い」が両立してるのは
 このジョブだけと言っても過言ではなし)
ほーら、これで後衛不足一気に解消。
だって後ろ赤赤赤でもなんの問題もないもの。

それじゃあ世界中が赤ばっかりになるんじゃって?
それが上手くしたもので、赤さんはPTでは実に地味な役回りなんですよ。
前衛や白さんのようにピンチで死を賭して仲間を救うわけではなし、
狩人さんやシーフさんや我々黒のように大ダメージだして喜べるわけではなし、
ただひたすらにリフレリフレリフレリフレコンバートリフレリフレリフレ……
ピンチを大ケアルで救った白さんが「ありがと〜」言われ、
MBで大ダメージぶちかました黒が「精霊スゴイですね!」言われてる間に、
リフレリフレリフレリフレ……

つまんないでしょう!?

元来がこういう、「中途半端だけどなんでもできるジョブ」を好む人は、
自由な立ち回りが好きな人が多いはずなのに、
リフレタンク
になることを強要されるわけですね。
それを見てると、専門職やってる者は
「ああ、赤さんは大変だ」と思います。
逆に言うと、そういう地味〜な役回りに耐えに耐えてレベルを上げてるからこそ、
ソロではなんでも好きなことができる。

白or黒には、赤の圧倒的ジョブ性能に対してひがむ人も多いのですが、
私個人的には、ああいう地味な努力重ねて頑張ったはるのだから
まあ、あのぐらいの性能でもいいんじゃないかな、と思います。

---

で、ここからが本題。
これってなんだか、示唆に富んでるような気がします。

積極的にやりたくない・地味な役割の仕事に、
華やかにすぎるご褒美を出して人を集める。

現代社会のシステムっていうのは、
それをできるだけ「そうと気づかせずに」精密に構築する
システムなのではないかと。

そんなことを言い出すと
「そりゃお前さんは好きなことして暮らしてるからいいだろうけどよ」
と怒られそうですけど、
ええ、好きなことして暮らしてます。
でも、昔サラリーマンやってたからある程度わかりますけど、
失ってるものもすっごい大きいですよ?
「明日の収入に困らない」
というのは、極めて巨大な人生の要素なのです。
その圧倒的なご褒美を得るためには、少々仕事しんどくても地味でも、
しょーがないじゃないですか。

世の中には、性質と仕事とがびったりマッチした
どうしようもなく幸せそうな人
(ウチの友人連中はそんなのばっかりなのですが……)
もおられますが、そうはいかない場合も、多いですよね。
でも、そうだとしても、だからって、
「自分らしくありたい!」
とか無理に気張らなくても、いいと思うんです。

若い頃は、「そうであるべきだ!」とか理想論振り回していたものですが、
世の中ってよくできたもので、
というかよくできた世の中でなければこんなに繁栄はしないはずで、
少々理想とは違う仕事に就いても、
まあなんとか、ちゃんちゃんと報酬がくだされるものです。
若い人はすぐ転職を考えますが、
なんというかその、よりいい場所へのキャリアアップなら全然問題なしですが、
ではなくて「今のでは、ちょっと」というぐらいなら、
まあもうちょっと頑張ってみなさいな、
と思うんです。

お前が言うな?
いやまあ、経験者だから言えるとも言えてですね。

「ホントの自分を見つけるために!」
とかよく美辞麗句並びますけど、キツイこと言うようですが、
そんなものは二十歳前にサッサと見つけとくべきで、
もしそれ見つけがてら、となると相当キツイ旅を覚悟しないといけません。
んなね、雑誌とかに載ってるようないい例ばっかじゃないよ?
逆に言うと、キツイからこそ頑張れる若いうちに、
とも言えますが、どっちにしろキツイのは、キツイよ、と。

そう思って大企業サラリーマン時代を振り返ると、
「ああ、あのシステムはよくできてた」
と感心しきりなわけです。
赤魔道士と同じ、黙ってやってりゃ褒美はうなるほど出る。
会社に忠誠つくせとかそんなことじゃなくて、
今のシステムを利用できる分利用しつくさないともったいない、
ってところ。
それこそ転職でも、今の社の名前とポジションを武器にして転職するわけですから、
しゃぶれるところはしゃぶりつくす、攻めの姿勢でいかないと、
結局同じことを繰り返すのではないかなあ、
と思ったりします。

誰に言ってるわけでもなくて、
誰もが知ってる大手企業に勤めるウチの弟君が、
会社辞めたいとか言い出したので。
辞めたことある人間として、こんなことを。


1/4 ムカシ☆ハ☆ツラカッタ☆デス

ネビムナイト!(挨拶)

遂にLSの大御所にお願いして釣り服まであつらえてしまい。
釣りスキル41、
「全部買っても235万で、半分釣るなら100万前後で太公望か……」
などと余計なことを考えつつあります。

---

今年もFFやりますよ〜。
しゃぶりつくせるところは、つくすのです。

黒が、だいぶマシになりました。
理由は
・クリアマインド強化
・リフレ赤がうじゃうじゃいるように
・60以降AFの精霊スキルupと敵対心マイナスで精霊を撃ちやすく
・60以降ナイトのフラッシュ・暗黒やモンクのサポシ不意だまでタゲ固定
・60以降白のケアル5・リジェネ2でのヒーラー能力向上
なんてところでしょうか。
ようやくながらにしてNuker
(ヌーカー・ここ一番で大ダメージを与えてトドメを刺す人。
 物理ダメージで削っていく人は「アタッカー」。
 ちなみに、トータルダメージは「アタッカー」の方が大きいことが多い)
としてまあそこそこ見所が出てきました。

それでも、こうなってみれば
「これぐらいあったりまえだろうがッ!!」
と最後に小さい「ッ」を使ってほのかに小池一夫先生風味を
出してしまいたくなるというもので、
(もっと出す場合は「ン」を使用。用例:「なンだってッ!」)
相変わらずのレジ地獄、
61にもなって氷河の目玉ごときにまっ黄っきにされるあまりの紙装甲、
レジに泣きながらガを3つも唱えればMPの尽きる悲惨な低燃費、
PTに一番感謝されるのは「デジョン2で帰りが早い」という本業と関係の無いところ、
ロクでもないジョブであるのは確かです。
相変わらず、「スペルキャスター」やりたい人に薦められるジョブではありません。
でもただ一点、
「任意のいつでも500-750程度(現在61)のダメージで削れる」点が、
他のジョブには無い性能なので、比較的重宝されているだけです。

ここでFFの基本6人PTの組み方をお伝えしますと、
前衛3+後衛3が基本です。こんな感じ。

【前衛】 盾
【前衛】 物理アタッカー
【前衛】 物理アタッカー
【後衛】 主回復
【後衛】 戦闘補助
【後衛】 戦闘補助

で、いわゆる後衛ジョブというのは、
白魔道士・赤魔道士・黒魔道士・吟遊詩人・召喚士
の5つしかありません。
(前衛ジョブは、
 盾:ナイト・忍者
 物理アタッカー:戦士・モンク・シーフ・狩人・獣使い・暗黒騎士・竜騎士・侍)
このうち主回復は白が務め、
MPブースター+前衛補助の役割で戦闘補助のもう一席を
赤魔道士と吟遊詩人どちらかで埋めますから、
黒は召喚さんともう一つの戦闘補助の席を争うだけなんです。
つまり、
白・(赤or詩)・(黒or召)
というのが基本型。
そして召喚さんは数が少ないので、必然的にひっぱりだこになるんですね。
(もちろん白赤赤とか白赤詩も可能、狩り対象によってはこちらの方がよい)

で、現状まとめますと、
「誘われやすく、またPTの一員として充分貢献できているが、
 ジョブ性能自体はそんなたいしたものではない」
というところです。
これからの希望としましては、
・コンサーブMP常時化(で、燃費向上)
・「精霊の印」を「MBと同じ状態を作り出せる(1.3倍撃、レジ極小)」に変更、
 かつ5分アビに。
・「魔力の泉」の持続時間を3分に。
ぐらい結構完成されちゃうんじゃないでしょうか。
欲を言えばきりがなくて、MBぐらいレジなくせ、とか、
お洒落服があまりにもなさすぎる、
(生まれてから75レベルまでチュニック系とローブ系しか選択肢がない)
とかいろいろあるのですが、まあそれはおいおいでも。

---

でね。
ここからが今日の本題なんですけど(笑)

つい先日までの黒は、こんな恵まれた職業ではなくて、
私も50前までそれで上げたんですけど、今にして思えば
「よくもまああんな忍耐の必要なことを黙ってやってたものだ!」
と自分で自分に感心できるくらい、我慢してやってました。

いや、「我慢して」というのはちょっと違ってて、
ごちゃごちゃ言ったって「それはそうでしかない」ものだし、
そこを自分の力ではどうすることもできない以上、
やるか
やめるか
の二択でしかないわけです。

このゲームの真のラスボスはMaatというジジイなのですが、
このジジイの名セリフ、いやおそらくFF11最高の名セリフ、
いやいや下手をするとゲーム史に残りかねない超名文句が

「イヤならやめてもいいんじゃよ?」

すごいでしょ!?
客商売とは思えないものすごいセリフですよね。
SMクラブだってこんなこと言いませんよ。
いや行ったことないですけど。

でも、悔しいながらもまさにおっしゃる通りで、
嫌なら辞めるしかなくて、辞めたくなければ続けるしかないんです。
で、黒のみんなは歯を食いしばって続けた。
今にして思えば、
改善されてみれば、
「どうしてもっと文句を言わなかったのだろう」
「どうしてあんな悲惨極まるジョブを黙々とやっていたのだろう」
「どうして赤とか、優遇されてるジョブに逃げ出さなかったんだろう」
と思うんです。
でも、その時は、そんなことより、
やるか、やめるか、
しか考えなかった。
もっと言うと、やめるという選択肢はなくて、
どうやってやるか
しか、考える対象がなかったんです。

これは僕だけではなくて、今ちょい高めの黒を持ってる人はみなそうですし、
いや、黒だけではなくて、他の不遇ジョブいっぱいありますけど、
(今では召喚さんとかそうです。完全ほったらかし)
今もそうやって頑張ってる人々が、たくさんいる。

で、これが、アジアモンスーン型農耕民族の粘りではないかと(笑)

我々のごく近くに、世界中の誰がどう考えても奇怪な、そして時代遅れな
「世襲専制君主をいただく共産主義国家」
が生き残ってるじゃないですか。
この21世紀に、地続きの同じ民族の国が液晶売って儲け倒して
W杯でベスト4行ってる時期に、
民が飢えて人間を拉致して不審船を出撃させている。

「どうしてあそこの人は黙っているのだろう」
「どうして民衆は暴動を起こさないのだろう」
「どうして(もっと多くの人が)韓国や中国に逃げ出さないのだろう」

と、いうのは、つまり、そういうことだったんです。
みんな、がんばったはるんですな。
文句言う暇があったら、この現状をどう切り抜けるか、
そこに物心のエネルギーを、たぶんつぎこんだはるんです。

この力が上手く働くと、
ヴェトナムなんてちっちゃい国が世界最強最大最高の国を追い払えたりするのですが、
物理的に無理になるギリギリ
までだと、がんばっちゃうんですね。
その現状で。
「百姓は生かさぬように殺さぬように」
とはまあエゲツないですがよく言ったもので、
殺さぬようにしてれば頑張りよる、という実体験ベースの言葉なのでしょう。

甘い水の方へ渡り歩くばかりが人生ではない、ともちろん思うのですが、
しかし「それは苦すぎる」と周りが苦言を呈する自由は、あっていいと思います。
お節介ではなくてね。
で、言われる方も言われる方で意固地に
「だって頑張らなきゃ!」
と言う前に、
「ん? そんなにこれって苦い?」
ともう一度冷静に振り返ってみるのも良いかも知れません。
コマイ話に戻して恐縮ですが正直、
あの糞どツマランボンクラ時代を無理してやって、得たものと言えば
「ムカシ☆ハ☆ツラカッタ」
という9文字の言葉一つです。
あとはなにも、ありません。
なにひとつ、ありません。

せっかく情報が、個人レベルで世界中の情報が共有できる世の中なのですから、
「それはおかしいで?」
ということはお互いに言い合う方がよかろう、と思います。
昨日の話と似てますが、なんとなく、
ちょっと小うるさくなり気味でも、そんなことを言おう、と思う今日この頃です。


1/3 スパイシースィーツ

御大邸にて、okbちゃん、オリッヒ、J代さん、満ちゃんという
ああ懐かしのプチ新年会。

あの頃は青春だったなあ……
……はっ!?
今でも青春ですよっ!?

いいワインを2本も空けさせてしまいました。
あれですな、呑みきってから言うのもアレですが、
僕みたいな味わかってないものに呑ませてもネココバですな。

いつまで経ってもワインだけはよくわかんないです。
ビールも日本酒もウィスキーも焼酎も、それこそジンあたりでも
自分の中でのおおよその美味い不味いと、好き嫌いができてるものですが、
ワインだけは「飲みやすい飲みにくい」ぐらいしかわからず……
フランス人に騙されてるんじゃないでしょうね、我々は!?

それとも、あれは「薫り」という要素が大きいお酒のようですから、
鼻ツンの僕には苦手なお酒なのかも知れません。
ほら、よく言ってるじゃないですか。
「草原を渡る履き古した革靴の底のような香りに、柑橘系が少し」
とか。あれ。
そういえば御大は鼻が効く方でした。
ウチは、母が実はそうなので、今度ワインを呑ませて試してみます。
またハマられでもすると大変なことになりそうですが……

ぴろさん、今年高校ですよ。
時の流れは……

「またモー娘。のコンサート行くの」
「はい」
「今は誰ですか、新メンバーですか、それとも……」
「加護亜衣です」
「エライことになってますが」
「問題なし。加護亜衣です。いやむしろ加護亜衣です」
「ぴろさんはほら、巨乳好きですから」
「肥えてると乳がおおきなりますからな」
「いいんですってば」
「ながたさんの頃は誰ですか。伊藤つかさですか」
「そのとおり!」

時の流れは……
写真集おばちゃんバージョンは買いませんでした。
想い出は綺麗なまま残しておきたい。

あ、でも最近は本場直輸入の昔の逆輸入流出AV
ややこしいなあ
を、結構本格的に売ってるサイトがありまして。
すごいですよ、日本語完璧、レビューも日本語。
アマゾンと見まごうがっしりしたデータベース。
そしていなにより
白石ひとみ姉様ですよ。
樹まり子観音様ですよ。

……ぽちっとな!

いや、だから、想い出は綺麗なままってさっき……

したたか酔っぱらって終電1本前の関西本線と阪和線で帰って参りました。
ICOCA(非接触ICカード型定期券兼プリペイドカード・チャージ可能)
ですよ、ようやく。
秋にはSuicaと相互乗り入れするらしいですね。
というか。
私鉄王国関西なんだから、どちらかつーと私鉄とリンクしてくれ。
私鉄側が折れてあのカードに擦り寄る他ないのかな?
でもまた、近鉄とか大変そうだからなあ……

#調べてみますと、スル関勢も「PiTaPa」っていう同じICカードを計画してて、
#相互乗り入れするそうです。

なんてことを思いながら、タッチアンドゴーしてきました。
仲間由紀恵さんは好みのタイプです。
こちらはいつでもおkです。
……どうも私は、ああいう「構えてないけどいつでも構えられる」というタイプに
弱いらしく、顔立ちとかあんまり決定要素じゃないように思えてきました。
とりあえずオールべったり作り物、というのが非常に苦手で、
#それぐらいならばオール生ものの方が100倍マシ・
#ちょっとイタんでいても(笑)
##人のことは言えないしな!(泣)
それは人間に限らず、敬して遠ざけております。

「こっち向き」というのは、人間にとって非常に魅力的な1ポイントなのですが、
その、向き方、というのにもいろいろあって、
正面向いて目を見て顔を合わせていても、向いていないこともある。
逆に遠く離れて別のことをしていても、ばっちり向かい合ってることもある。

誰かに向く時、何かに向く時、
ばっちり向きたい、
と思う三が日です。
できればそれが相手に伝わって、向いてるな、と思ってもらえると、
すごく嬉しいのですが……
とか言ってるとまたいつもの、変にスイートな彩りになりそうなのでこの辺で。
こう、普段ピリピリしてるくせにいざとなると妙に甘みがあるところ、言うなれば
スパイシースイート
がながたさん風味ということで……

すみませんまだ完全に正月気分です。
いいじゃないお正月ぐらい。

いや待てよ!?
お正月がこんなに気分のいいものであるならば、
年がら年中365日お正月にすればもっと幸せになれるのでは!?

……わしゃ正月仮面か(泣)

安永航一郎先生は本当に偉大だ、てことで。
家中のカレンダーを赤丸で埋め尽くしてまいります。


1/2 対象外

M澤先輩と閣下と、心斎橋で終電までプチ新年会。
ビール呑みすぎ。
カジュアルな居酒屋でどうして7000円ですか。
いくつになっても大食いなんだから。
僕もね(泣)

---

最近、とみに思うのですが、
32歳独身男性
って世間から相手にされてないんです(笑)
世間、というのは生の人間ではなくて、マーケティングが作り出した
仮想現代社会の方ですけどね。

と、いうのは、このぐらいのお年の男性はたいてい、
「結婚して小さい子供も居る、そろそろマイホームなパパ」であり、
世間はそういうポジションの人に対して、
お金を使わせようとあの手この手を打ってくるわけです。
ボリュームゾーンですからね。
家もそう、乳幼児の教育衣服レジャーイベントもそう、クルマでさえそう。

で、そうではない、私(や同じような人々)は、「ほったらかし」なんです。
ひがんでいるのではなくて、
ここにはちょっとしたチャンスがあるのではなかろうか、と
さじぇすちょんしてみてるだけですが。

とは言いつつも、それってどうなんでしょう。
家族内の立ち位置がどうであっても、結局は人は人で、
いつでも同じなのではないでしょうか。
家族に手間暇取られるのは当たり前で、そして幸せなことであるにしろ、
会社でもポジション、家でもポジション、
では大変なのでは無かろうか……
と、エー加減に生きてる私なんかは思うのです。
余計なお節介かも知れませんが。

で、そんな時に、「一個の自分に戻れる何か」があり、
それに対する分厚い社会的なサポートがあればよいのだろう、
とか勝手に想像するのですが、
いかんせん上述のように「金にならない」ので、
あまり無さそうな気がするんです。
私みたいにどフリーで生きててさえ
「ねえなあ」
と思うわけですから、いろんな制限に搦められて頑張ってる皆様にとっては、
ほんとに探しづらいのではないかなあ、と。

まあ、おおよそ子供の手が離れる50すぎあたりからまた、
やたら華やかになってくるので、
「そこまではそういうもんだとして働け」
ってシステムなのかもしれませんけども。

ただ、脅すわけではありませんが、そのくらいになってから何か始めたとしても、
もちろん始めるに遅すぎるものなど何も無いのですが、
失われた20年は結構痛い。
いいじゃん趣味で、というのはそれはそうなんですが、
ある程度は身を入れて一生懸命になれるものでなければ、
楽しさもほとんどなかろう、というのもまた事実。

……でもないかな!?

ということで、「仮想世間」がぎゃーぎゃー言ってる
「父親像」とか「中堅社員像」は話半分、
あとは「自分」であることも忘れずにいてて欲しいなあ、
と同輩に向かってポソリ、と呟いてみるわけです。

いや逆か、ずっとノっていけばそれも良し、という考え方もありますね。
死ぬまで、いや死そのものすら分厚い手が差し伸べられる(ただし有料)
な御時世ですものね。
もちろんそれは悪いことではなくって、むしろここまで
システマイズされてる以上、上手く使わないと損、という気すらします。
だってのぞみ速くて楽やもん。

---

と、いうような結論の出ないことをしみじみ思ったのは、
ちょうど去年ぐらいからでした。
わずか1-2年ズレただけで、
世間(くどいようですが生ではない仮想世間)の接し方そのものが
ガラリと変わってしまう。
現代マーケティングの精密さに、驚嘆するとともに、
実に胡散臭さを感じてしまいます。

外れてみれば、「なんてうさんくさい」と商人の笑わない笑みを
そこに見れるわけですが、
中に居る時は、ほんとの笑顔に見えるものです。
ていうか、私もそう思ってま・し・た。
それは悪いことではなくて、当たり前のことなのですが、
しかしこちらとしては、「愛想笑いだな」と見抜いていたいものです。

で、ないとホントの微笑みの価値が、わからないような気がするんです。

……というのが結論で、落ちたかな?
エトランゼや子供、そして我々芸人がどうして社会に必要か、といえば、
「王様は裸だ」
と叫ぶことだと思いますので、
「あ、ばか、それは言わなくていいんだ、
 みんなわかってんだから」
てなことも、なるべく言うようにしたいと思ってます。


1/1 あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

今年は高校1年から続いてきた年末年始行事、
「アホ連大集合」が遂に中止となってしまいました。
もちろん理由は、家族持ちが多くなって、
大阪に帰ってこれないand/or帰ってきても時間が合わない、
です。

悲しいような、喜ばしいような。

しかし17年も続いた行事も終わる時はあっけないもので、
例年の幹事は一人家に居て、夕飯に蕎麦を食べ、
挨拶でもしようかとFFにログインしたら……そのまま年明け(笑)
LSの心優しきナイトさんが
「悪い人ではないんだけどあまりにもわかってなさすぎる」
外人さんの攻勢を受けてたので、
みんなで助けようと思ったら助けられなかった、
という実にびみょーな年明けでした。

そして仲間内MLにあけおめのメールを流して、
ちょっと寝て、新年。
雑煮を食べて、年賀状を見て、
おばあちゃんと一緒に鷹合神社にお参りして、
ボケーッとテレビを見て、またFF。

のんびりしていいような、つまらないような。

お正月って、こんなもんだったかなあ(笑)
視点を変えれば、というヤツで、
例年みたいに「楽しんでやるぜ!」という気迫が足りないのかもしれません。
やっぱり年に一度のスペシャル・デーぐらいは、
こちらから楽しさを分捕ってやるぐらいの気持ちで迎えないといけませんなあ。

反省。
来年(今年か)はなにかやろうっと。
というか、やるぞー>関係各位。

---

さて、年の初めということで、今年の抱負。

……と、思ったのですが、いろいろ考えても結局、
「がんばる」
という言葉に集約されてしまうので、そういうことで(笑)
いろいろやっていきたいと思っています。
腰を軽くして、スピードを上げて、力一杯、走ってみる。
そんな一年にしたいと思います。

足りないところはありすぎるので、
そこを埋めようと思っていてもどうしようもない。
多少なりとも足りてるもしくは誤魔化しきれるところで、
なんとか、生きていこうと思っています(笑)

途中、いろいろまた筆が滑ったり妙なテンションになったりするかもしれませんが、
それもまあ、ながたである、ということで。

がんばります。



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