吼える! ながたさん!

おもいつくままに、随想随筆。

2/29 ながために

ここ2週間ぐらい、モヤモヤしっぱなしで上手く書けないことがあります。
本当は、書けないなら書けるようになるまで書かないのがいいのですが、
後から自分で振り返って「ああ、あの時」なんて思ってみたい気もしますので、
今日はちょっと頑張って書いてみます。

例はお好み焼き屋さんで。

武蔵師匠が「兵法は敵を叩っ斬るためにある」と曰ったごとく、
お好み焼き屋さんをやるとするなら、まず目的は
「お客さんに楽しんでいただく」
これです。
全ての努力は、ここへ向かってなされるべきであり、
全ての要素は、この目的のために存在すべきです。

ひどく当たり前のことですが、
お好み焼きを焼けば焼くほど、これを忘れる。
そして思い悩むのは、
「本当のお好み焼きとは何か」とか、
「どんなお好み焼きを焼くべきか」とか。

違う。
それも大切といえば大切なんですけど、
もう一段視点を高く持たねばならない。

さらに極端に言ってしまえば、
「美味いお好み焼き」すら手段の一つにすぎない。
他のなんらかの要素があれば、冷凍のをチンしただけのモノでもかまわない。
たとえば、メイド姿の女の子がニッコリ笑ってサーブしてくれるとしたら?
ましてテーブルにべったりついて目の前で懸命に焼いてくれるとするなら?
一枚2000円でも食べに行きますよね。
もはやお好み焼き屋ではない、とかそういう話は今ちょっとだけおいておいて、
「お客さん楽しんでる」
という意味では、フツーのお好み屋より、あるいは味「だけ」で勝負して
フツー+α程度のお好み屋より、よほど楽しさを供給している。

もちろんそれは極端な例ですが、
こうして視点を一次元上げ、そこ一点に絞れば、
アイデアの幅は無限に広がる。

たとえば日本人は異常にカレーが好きですから、
ピザよろしく周辺部を盛り上げてカレーの海をお好みの上に掛けてしまうとか。
ピザといえば甘い系とかどうだろう、トッピングにパイナップルとか。
じゃ青海苔とかソースとか無理だから、上に何を掛けるのか。
生クリームとかベリーソースとかか。
ピザといえばパスタ、じゃモダン焼きのソバの代わりをパスタでどうだ、
カルボナーラとかクリーム系なら相性も悪く無さそうだ。
しかしそんなん出すと鉄板テーブルには合いそうにないな、ファミレス風にしてみるか。
じゃやっぱり可愛い制服が必要だろう!

とか。
やっぱり行きすぎてますけど。

アイデアの幅は、広ければ広い方がいい。
しかしそれは、「お好み焼きとは何か」というところからは、非常に出てきにくい。
なぜならお好み焼きには歴史があるので、
セオリーも決まってれば名人達人職人、有名店人気店幻のお店が
ゴマンとあり、また彼らが日夜研鑽を重ねに重ね、
やるべきことはやりつくされてるわけです。
そこから外れたことなんて、
おおよそ一度やったけどダメだったところとか、
特定の人にはウケるけど一般的にはサッパリ、とかそんなところばっかり。
で、しょーがないから
鉄板の厚さをコンマミリ単位で変えてみたり、
コテのチタンで作ってみたり、
もうほんとそんなどうでもいいことに「しか」目が向かなくなるのです。
それはいかん。
とりあえず効率はよろしくない。

効率がよくないことがなぜ「よろしくはない」かと問えば、
人間の時間は有限だからです。
無限であるならば、小さなところを撫でさするように詰めていくことも許されるでしょうが、
それをやるあまり、
もっと大胆に変化・革新できるところにエネルギーを掛けない、掛けられない、
それは本末転倒です。
むしろそれは余技でいい(というと言いすぎかな)

先日、受験での心構え、のところでお話しましたとおり、
「お客さん楽しい」
という点が「合格」なのであって、
極端に言えば合格すりゃなんだっていいわけです。
「メイドお好み」はかなりカンニングくさいですが、
まあ受かってるから良し、という考え方もある。
翻って鉄板の厚さに悩むのは、英単語帳を覚える努力にも似ています。
わるかないけど、合格するためにやらねばならないこと、
またやれば同じ労力で合格にぐぐっと近くなるであろうことは、
他に山のようにある。
そこに目をつぶり、挑戦することなしに、ぶ厚い鉄板磨いてるのは、
それは逃げです。

つまりお好み焼きは、媒体にすぎません。
好きだから、向いてるから、情熱をそそぎこめるから選んでる媒体、
メディアであって、
それ自体に悩む前に、それを用いてどういう表現をして、
どういう感動を誰と共有していくのか、
あるいは怒りをぶつけるのか、
あるいは哀しみで逆に人の心を満たすのか、
そちらの方が大切。
カメラはなんでもいいんです。いい写真が撮れれば。

しかし道進んでいきますと、誰もがここで引っかかる。
技術がつき手慣れてきて、「お好みを焼く」ということ自体の感動が薄れてくる、
またお客さんからも一定の「美味しいね」という言葉が聞けるようになってくると、
どっち向いて進めばいいかわからなくなってくる。
もっと進みたいのに、行き詰まってる。
90点を95点にするのは、息苦しい努力です。
でもそうじゃなくて、フト顔を上げれば、
60点の教科も70点の教科もある。
そこを引き上げる努力をするのもいいし、
選択科目で触ったこともない教科があって、
そっちをやるとひょっとするともっといい点が獲れるかもしれない。
いやまてそもそもこの学校受けるのが俺にとってベストか?

やらなければならないことや、
やって身になることは、
もうほんとに無限に広がってる。
それを思い出すためには、原点、一番最初、
初めてお好みを焼いてそれを食べてもらって、
その人が「美味しい」と言ったあの瞬間、
その喜びの位置に立ち、
「喜んでもらうために焼いている!」
と思い出すことこそが、
視点を上げる、ことなのではないでしょうか。

「紅ショウガの産地にこだわってるのに誰もわかってくれへん」
と言えば、誰もが「当たり前やん」と苦笑するでしょう。
他人のことならよく見える。
だけど自分が同じことを言ってるとは、なかなか気づかない。
くどいですがこだわるな、というわけではなくて、
手段としてこだわっているだけである、という意識を持ち、
サラッと流さなければならない。
(それをアピールしてお客さん喜ばせるというテクもありますが、
 それは細かい技術の話)

大切なのは、一番基本の視点。

……ということを、この一年ぐらい考えていました。
天にツバ、自分に一番ふりかかってくることなのですが、
しかしどんな道かに関わらず、真摯になにかに立ち向かう時に
必ず訪れる壁のように思います。
「上手くやろうと思うな」とか、「自分を壊せ」とか、
そうした言葉の裏にある心構えは、すなわち
もう一段上に立って考えろ
というところに集約されるように思います。
具体的かつ個人的には、3D斜め上視点のナビみたいな、
あんなイメージで鳥の目になって、自分とその周囲を見つめる、感じでしょうか。
一人称主観視点だとあまりにも障害物も多すぎ、方向もすぐ見失う。
神の視点で高く高く見てしまうと、浮世離れしすぎる。
自分との距離もしっかり持っておかないと、
肌触りなく風が吹いてこないものしかできないですからね。

また、そうした目で世の中を見つめ直しますと、
ひどく短くとも正しいベクトルのモノとか、
長くても変なベクトルであったり、明らかに騙しなベクトルであったり、
一応正しいんだけど本人何もわかっちゃいないなこれ、とか、
そんなイロイロが感じられるようになってくるような気がします。
日本人は生真面目で職人気質ですから、
すぐ眼前の何かにキューッとなる性向があります。
それが必要な場面もあり、また良い方向へ働くことも多いとは思うのですが、
それよりも大切なものを、覆い尽くしている可能性もある。
「大和」は世界最強、しかし工業生産力70倍の国に喧嘩売るのは
子供でも世界一のアホだとわかる。
同じことは、今も始終起きているような気がします。

しかし、そうやって大きく幅を広げれば広げるほど、
また道は困難になっていきます。
「メイドお好み」はかまわないと思うのですが、
それをするには、メイドさんに対する知識とか、素敵メイド服の用意とか、
女の子の指導とか、別のコストがたっぷりかかる。
それは、単なる「ウケ狙い」「儲け主義」では支えきれないところです。
情熱をもってやらないと。
その情熱の源泉は、「好き!」という愛でも、
「面白そうだ!」という好奇心でも、
「よーし、やったるでー!」というチャレンジングスピリッツでも、
それは人と時と場合によりけりだと思うのですが、
とにかく支えられるだけの何かを持って取り組まねばならない。
そうでないと、中途半端で恥ずかしいものになってしまいます。
「うわ!この店のオーナー絶対メイドオタクや!」
と客に叫ばせなければなりません。

それには、自分の引き出しを広く深く数多く、持つ必要がある。
表現というのはすなわち、全人格全能力をその媒体に叩きつけることです。
ならばそこを磨かずに、よいものはできません。
子供が懸命に描いた絵や、高校球児のヘッドスライディングが感動を呼ぶのは、
全力で取り組んでいるからでしょう。
それは当の然として、
そこに技術なり知識なり経験なり、
ありったけを盛り込んで、生み出していかねばならない。
それが、「表現」です。
芸術と言い換えてもいいし、人生と言い換えてもいい。

しんどいですが、だからこそ面白い。
初めてお好みを焼いたあの日を思い出しながら、
がんばっていきましょう。
僕も、がんばります。


2/28 オノマトペア

ロデオ・テキサス! 厚切りスティキ! イヤッホゥウウウ!(挨拶)

……ということで、ご存じの方も多かろうと思いますが
こちらのDVDをご紹介。
あまりにもおバカで笑えすぎます。
Web見ていただいたとおりのネタなんですが、
映像はさらに素敵な実況がついて、これがGood。
ま、人によって感じ方はいろいろでしょうけれど、
この作品の魅力は7割ぐらい実況にあるような気がします。

抱いて抱いて強く抱いて
キスミーテンダーフォローミー

いいリズムです。
「ジス・イズ・プロ野球〜」が10.19の彩りをさらに華やかにしたのは
紛れもない事実ですが、スポーツ中継の方向性に一条の光が(笑)
ま、こんな実況されると選手はたまったもんじゃないでしょうが。

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僕も文章書く時にリズムかなり気にする方ですけど、
やーっぱりイントネーションとかアクセントとか時間軸とか、
そういうのは生ヴォイスには敵わないんですよねえ。
敵わないながらも
「アホかあ!」と
「アホかーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」
では違う、みたいな工夫をしてるのですが、
コアな「読み手」の中にはこういう技法を嫌う人も多いですな。
擬音とかね。

まちごうてます(言い切り)

宮沢賢治兄さんを持ち出すまでもなく、
オノマトペアの豊富さと的確さは日本語が世界に誇れる一点です。
犬の鳴き声を音の波形で検討すると、世界一原音に似てるのが
日本語の「わんわん」ですよ。
そんな素敵なウェポンを使わずにどうしますか。
いや、というよりも、擬音語擬態語を抜きにしては、
日本語の表現力を100%使いこなしてるとは言えないのではないですか?
もちろん美意識は人それぞれですので、
「いや、俺は抜きで行く」
と意識的にそうするのは一向構わないと思うのですが、
お好み焼きのマヨネーズぐらいには意味があるものだと思います。
(擬声語はともかく擬態語には言語間共通性がなく、
 世界戦へ持って行きにくい、という弱点はなきにしもあらずですが)
しかし、
「夜の底が白くなった」
なぞという気取りきった表現より
「一面ぴぃやぁーーーーっとまっちろ」
の方が伝わるものが伝わると思うのですが、いかが?

つかさー、大ベストセラー物語でも平気でフォント替えとかやってんだよ?
顔文字よりやりすぎじゃん。
世の中はもう、そうなっちゃってるの。

まあ、どうでもいい話なんですけど、なにが言いたいかと言えば
「表現手法というのは無制限に認められるべき」
で、無理に評価するならばそれが効果的であったかどうか、という一点のみ。
それも表現であるからには新しくまたチャレンジャブルなものについては、
できるだけポイントを上乗せする方向で見てあげる必要がある、
といったところでしょうか。

たぶん2000年前からおんなじこと叫んでると思うのですが、
一向に直りませんな。
戦争しちゃうのと同じ、人間のどこかに潜むナニカをひっかくからかもしれない。
特に言語はコミュニケーションツールでもありますから、
「独創的な使い方されると(意思疎通が困難になって)困る」
という無意識の反発があるのかもしれません。
そう考えると自分も同じことを違うフィールドでやってるおそれもあり、
戒めねば。

のぅわぁあああるる。


2/27 見抜く

僕は、本質、ポイントを見抜くのがすごく遅いです。

たぶん中途半端に凝り性なので、近視眼なんです。
だから全体像をぼんやり見て、
「ああ、これはこういう感じなのかな?」
と掴む能力が低い。
子細詳細とその小さな差異をイヤになるほど並べて、
その中から法則性や原則としての良し悪しをなんとか引き出して、
ようやく「なんとなくこうってこと?」と「わかる」という感じです。
4-5年ぐらいかかる。

だものでたぶん、あのままシャープに勤めてれば
もう少しマシな商品企画屋になれたかもしれません。
見えてきだすと、「ちゃうやんそれって」という部分ばかりが眼について、
イヤになるんです。
ほんとは、それはいい徴候で、じゃあ
「なぜ『ちゃう』のにあれは売れてるのか」
「これはOKなはずなのになぜ売れないのか」
考えて検討して、ポイントを導き出し、そこを潰していけば、
「いい商品」に近づけたはずなんですね。

食器洗い機のユーザーヒアリングにお供した時に、
その時はお使いになってる方を集めて聞いてみたのですが、
口を揃えて
「なぜこれをもっと早く使わなかったのか」
とおっしゃる。
なのに(95年とかその当時)ちっとも売れてない。
なにが原因なのか。
答えは実に単純明快、「置けない」という物理的制約。

後から考えれば、ちょっと狭めのマンションのキッチンにでも立ってみれば、
「こんなもの置けやしねえ! なによりまず小型化だ!」
と「見抜いた」はずなんですが、それがわからなかった。
なんとなくそうじゃないかな、と思っても、自信が無ければ伝わりませんしね。
で、疑問だけはある。
その疑問を解決するために、一生懸命あがくべきだったんでしょうけど……
いや、あがけばあがくほど、別の点に目がいってダメだったかもしれません。
デザインとか、価格とか、専用洗剤だからかとか、騒音とか、ランニングコストとか、
邪魔をする情報はたくさんあった。
で、現に声を聞くとそういう声も聞けますし。
そうじゃない、「置けなきゃはじまらねえだろ」というポイントを見抜く目、
これを手に入れるには……
時間と経験が、必要なようです。

もちろん僕が遅いというだけで、早い人もいれば
初見のモノでもズバッと見抜ける天才もいるんでしょうけれど、
でも、その目が必要、という点は、同じ。

そう考えると、情報というものは、
「どれだけ入手するか」「どうやって入手するか」
なんてのはもはやこの時代どうでもよくって、
「どれが正しい/真実に近い/役立つ情報か『見抜く』」
という一点にかかっていると思います。
しかし、そのための選択基準、選ぶ「目」を持つのは、
容易なことではありません。
そういう方法論で決定打を見た記憶はありません。
武蔵流に「千日を鍛、万日を錬」で数当たるのが王道、
というかそれしか無い、って感じで。
勉強と同じなんですよね。
微妙に効率を上げるテクニックはいくらもあるし、
どれが良さそうだ、という雑知識先人の知恵はあるんだけど、
「結局やらなきゃダメ」
というのは絶対に変わらない。

ただ、やるにしても、
・「見抜く目を養う」という意識をしっかり持って情報に向かうこと
・目の位置、つまり視点の置き方を工夫する
これは必要だと思われます。
それについては、またいずれ。


2/26 自分で直すしか

と、いうことで引き続きからだばなし。

要・腰が決まってバックボーン・背骨が決まると、
身体のどこが滞っているのか、浮き彫りになってきます。
お風呂で快いお湯に漬かりながらストレッチとかマッサージとかしてますと、
柔らかくほぐれている部分と、押しても反応のにぶい、
ゴム押してるみたいなところとがあります。
この、「にぶいところ」っていうのがたぶんマズイ。
こういう凝り・滞りがあるから、血とか神経とかリンパとか気とか(笑)の流れが悪くなる。

僕の場合、右の肩胛骨の上
(天地側に上ではなくて、骨の上に、みたいな感じ)に大きな滞りがあって、
それは左の肩胛骨には無いんですね。
よく考えれば僕は「右」が悪いんです。
右目の視力、右の奥歯、右の腰の後ろ。
そういえば整体の先生行った時に、足の左右の長さが違う、
とボキボキやってもらいましたわ。
つまりは左右バランスが悪い。

そうだから悪くなるのか、悪くなってるからそういう風になるのか、
あるいは相乗効果フィードバックでますますそうなるのか、
はたまたたとえば凝りを取ったら身体が真っ直ぐになるのか、
あるいは身体を真っ直ぐにする努力をすれば凝りがなくなるのか、
あるいはこれもお互い原因と理由が表裏一体なのか、
その辺全然わかんないんですけど、とりあえず現実としてはそういう事実がある。
しかし「わからない」言っててもしょーがないので、
とりあえずどっちの方向も、身体を真っ直ぐにし左右対称を心がけることも、
凝り・滞りを消すようにマッサージやストレッチをやってみるのも、
やってくのがいいのかなあ、と。

右利きですから、ある程度右に負担が掛かるのはしょうがない、のですが、
一番負担重そうなペン握る時間なんか高校生の時に比べれば随分減ってるのに、
何がそんなに不均衡なんだろう、と考えてみました。
……キーボードかも。
僕の叩き方、右ばっかり忙しいんです。
左はほとんどパームレストに貼りついたままなんですけど、右はかなり浮く。
とりわけいつも言ってますenterとbackspaceが届かないので、
その時にはどうしても外れるんです。
あとデスクトップ機だと、マウス持って動かすという負担が大きい。
実はノートPC好き、って(いくらか)ここからも来てるのかもしれません。

物書きにThinkPaderが多いのはご存じの通りですが、
テキスト打つ時に必要なマウス操作ってたいしたことないので、
「こんなしょうもない動作で俺の右手を持って行くな!」
という身体の悲鳴も大きいかも知れない(笑)
(もちろん、キーボードの質が他とは段違いだ(った)というのが一番ですが)

それは余談。
ともあれアーロン座って一番の収穫はそういう意識を手に入れたことで、
おかげでデニーズの椅子でもミスドの木の椅子でも綺麗に座ってますよ。
深く腰掛けて。
いいドライバーは自然といいネジの回し方ができますし、
いいクルマに乗ると自然とまともな運転ができるようになるものです。
それと同じ。

また、軸が決まってると疲れやブレも感じ取りやすくなります。
ここにセンシティブであることはすごく大切なことで、
疲れたら休むべき。
立って歩いてもいいし布団に転がってもいい。
どんな正しい姿勢でもいつまでも同じ格好ではどこかに負担掛かってるはずで、
それが「わからない」ことのほうがよくない。

そうやって自分の身体の各部をチェックしていくと、
あちこちにそういう「滞り」があって、ゲンナリです(笑)
右だけじゃなくて、座ってると何故か左足に力を入れるクセがあるらしくて、
(つっぱって右の腰をかばってるんじゃないかと思うのですが)
すごい変。
もちろん負担も掛かってるらしく、
特に正座した時などに左足親指先にぴりぴりした痛みが走ったりします。
どっかおかしい。

あまり神経質になりすぎると本末転倒ですが、
そんなことも意識しながら、身体調節していきたいと思います。

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整体もカイロも結局はお医者さんと同じで、問題を治してはくれるのですが、
「なぜそうなったか」には人それぞれの背景があって、
そこまではなかなか立ち入れない。プライベートにも関わるし。
風邪や下痢なら「とりあえず治して」問題を解決するのは悪い作戦ではないですが、
身体の歪みやひずみ、っていうのは結局、
その人の生活習慣や生まれもっての骨格、
あるいは性格や遺伝にも関わってくるので、
「自分で治す」他無いわけです。
「これが正しいですよ」と正してもらっても、
それをどうやって維持するのか、あるいは元々どう悪くてどうやったら正しくなるのか、
というあたりのノウハウは溜まらない。
実は身体に関してはそここそが大切なところです。
イワシの頭じゃないですが、世には「正露丸体質」や「バファリン体質」がいて、
「確実にそれで治る」と豪語するじゃないですか。
でもあれは正しくて、それを飲む→治る、というサイクルを自分で作り上げた時点で
勝利なんですよね。
中身や根拠はもうどうでもいいわけです。

身体の不調、というのは本来そうやって自分で治さないと、
抜本的解決はできないようです。
(急性のカオティックな破綻は別です。
 ケミカルでもなんでも突っ込んで強制的にバランス戻す他ありません)
健康保険や医療費のとめどない増大が問題になって久しいですが、
健康・厚生の面での行政施策や教育方針、またシステムも、
根本から見直した方がいいと思います。
医者が足らない、医者を作れ、ってそれは、
自動車がよく壊れる、修理工場がたりない、修理工をでっち上げろ、
というのと同じで、それよりなによりまず、
「壊れない自動車を作る」のが第一でしょう。
プロXで見たのですが、確か長野県のどこかで、
村ごと健康に関して非常な関心をもって取り組んでるところがあって、
そこは地方農村らしく村人の多くがご高齢なのですが、
健康な方が多く医療費も小さいと聞きました。
やはりそれがまず、ではないかな、と思います。
お医者さん自身も、シリアスな勝負がしたいはずで(笑)
ぶよぶよと酒太った中年男性が
「いやあ最近どうも身体の調子が」なんてアホな話につき合ってはいられないですよね。
まず歩けと。

各種民間療法も結局根は同じで、
「なにかで(方法でも手業でも薬でも)治す」
言うてる限りは西洋医学対処療法とまるっきり同じ。
漢方だからとか気がどうとか、それはステロイドやレーザーが形変えただけのものです。
本来の東洋医学では今の言い方をすれば
「きめ細かなコンサルティングを元に個人個人のバランスを調節する」
のが本筋だったはずですが、今の世の中ではそれはあまりにコスト高で
わかりにくいが故に、エッセンスだけ取り出して葛根湯でボキボキやりましょう、
ってことになってますよね。
これじゃ意味無いわけです。

医師を作るシステムもタイトすぎてよそのことやってる余裕がない、
とかいろいろ問題はあり
(学究的なことをやるには一旦最前線から外れるのが通例のようです)
結局忙しい→ろくなことできない→治らないから忙しいの悪循環で、
「先進諸国としては医療水準が低い」
などという汚名を被らなきゃならないわけです。
みんな頑張ってますよ、お医者さん。僕の知ってる範囲では。
やっぱり、ある程度以上はシステムに起因する辛さもある。

日本は伝統的にそういうところの動きがすこぶる鈍くて、(国民性なのかな……)二○三高地で出さなくていい戦死者をものすごく出した当時から変わっておらず、そう言う時に有志個々人々の突破力に期待します。
もうこの時代にそんなこと言っててはいかん、と思うんですけど。
諸外国にもいい例もたくさんあるだろうし、
前述通りやっぱり医師志す人は志高い人が多いので、
(繰り返しますが金目当てでがんばれるような楽な道ではないです。
 ……なってから金目当てになるのはともかく……)
条件は悪くない。

しかし、そういう「トータルソリューション」みたいなのは、
未だに胡散臭い目で見られがちです。
家のリフォームや資産管理、下手をすればクルマの購入に至るまで、
アドバイザーがその人に合わせたカスタマイズをするのは当たり前のことなのに、
「この症状ならこれ」
という自動販売機みたいなことやってる。
それならディスカウント屋でクスリ買えばいいわけです。
それでは足りない何かが欲しいから、3時間並んで大病院行く訳じゃないですか。
そこに応えられてるか、というと甚だ疑問で、
だからポッと出の街の足つぼマッサーとかあんなんが大流行り。

いや別にアレが悪いとは言いませんが、
どうしてあんな変な商売が喫茶店ぐらいの密度で繁華街にあるのか、
と考えると、やっぱり根は深いと思います。

まあ、「ラジオ体操」などというメイジャー・リーガー・LittleMatsuiもやってる
国民体操
があったり、それを夏のレジャーランドのプールで2時間おきぐらいに半強制すると、
老いも若きも多くの人が粛々とそれをやっちゃう、
という素質たっぷりの国民だと思いますので、
やりゃあなんだってできると思うんですけどね。

信頼性の高さは、日本製の専売特許ではないですか。


2/25 自由な腰回り

今日もちょっとアーロンから。

人間の身体って一日の間にかなり変化するとか。
「靴を買うなら午後」
と言われますが、0.5〜1cmも違うんですって。
何時間も数十キロを支えてると、土踏まずアーチが変形して平たくなるそうです。
同様に、「椅子に座る」のも長時間続けますと、
骨盤とか周囲の筋肉とかあるいは脂肪とか、
そういうものがどんどん変形するようです。
しばらく座って、キッチンで夜食などとってまた座ると、
「あれ?同じ座り方をしてるはずなのに、違和感がある」
と思ったり。
アーロンのいいところは調節機能が豊富で、
そんな時にすぐ滑らかなガスダンパーを動かして上下させたり、
ポスチャーフィットを弄って当て直したり、
アームレストの開き具合を変えてみたり、
ぱぱっとできるところです。

#この辺、「そのぐらいの微妙な差なら吸収しろよ、椅子なんだから」
#という考え方もあり、それもまた真理ですけど。

そんな折り、
「これって意外と大きい要素か?」
と思ったのが、ズボン。
僕はジーンズ愛好家で、最後に綿パンを履いた日を思い出せないぐらい
(礼服のスーツ除く)ですが、
ジーパンって腰回りで履くものじゃないですか。
だから椅子に深く腰掛けると、余裕無くなって結構キツイ。
特に立った状態でぴったりのジーンズだと、かなりウェストに来ます。
しょうがないのでちょっとおっさんくさいのは我慢してだっておっさんだし、
ボタン外しています。
外さないと、「おなかキツイ」のに負けて腰が前へ出て姿勢が崩れるんですね。

てことは逆に、今までそんなことしてませんでしたから、
知らず知らずそういう良くない姿勢を取っていた、という証拠に他ならず。
ジーンズは外へ出る時メインにした方がいいかも……
なんて思ってみたり。
#時代は家に帰ったらスエットみたいなずべらーんとしたの着てたのですが、
ああいうの着ちゃうと人生終わりで、
後は座椅子コタツでヨダレステーションを半眼で見て日付が変わります。
な、もので「絶対ジーパン!」と思ってたのですが、
しっかりしててジーンズでないものも探してみよう、とか……
和服かな?

武術家や整体骨接ぎ、あるいは書家陶芸家の皆さんが
和服着てる物理的理由がなんとなくわかります。
椅子にせよあぐらにせよ正座にせよ、
「座る」
という動作で太腿を身体と垂直の方向に出しますと、
太腿の筋肉や脂肪が押し出されてお腹側を圧迫し、
あの周りの物理配置が全部変わるんです。
だから、それにかなりクリティカルに左右される
「腰で止める」というズボンのスタイルより、
「胸下で帯で止める」という和服の方が、
より座る→立つがスムーズかと。
そういうあたりの挙動を真摯に見つめていれば、
自ずと「合理的に」和服方向へ行っちゃうんですねえ。
だって結局、西洋人だって作業着といえばツナギ、
つまり腰で止めない服ですよね。
オーバーオールとかもそう。
ひっかかるひっかからない、とか、ポケッテリアとか以前の問題として、
この、腰回りの自由度、ここがポイントではないでしょうか。

ボタン外しながらそんなことを考えました。
昔から残っているもの、それにはやはり理由があるものです。


2/24 正しいことには、ちょっとした犠牲を伴う

最上の愛が無償のものだとするなら、
あれもありなんじゃないかと思えてきました(挨拶)

風邪はすっかり完治。
身体が春モードになると同時に暖かい一日で、
いい感じいい感じ。

アーロンチェアと格闘中です。
こりゃあ確かに熱烈なアンチ(変な表現ですが)が居るのもわかるわ。
もちろん僕の身体が、整体の先生に
「こんな(歪みまくった)背骨見たことない!」
「長く生きられへんで!」
とお墨付きをいただいたほど姿勢が悪い、というのもあると思うのですが、
どこかしら必ず「座ってること」を意識させられる椅子です。
もちろん懐は深いので、いろんな座り方ができますし、
それに合わせて調節もできるのですが、
「どう座るか」という意識を座り手に要求する点は常に同じ。

それってどこか違和感あるのに無理に座ってんじゃないの?
いや、そんな感じじゃないんです。
現に(季節が良くなってきたからかもしれないけど)
長時間座っても身体は凝ってない。
あれ?っていうぐらい、楽です。
少なくとも前の椅子に戻るのは絶対イヤ。

健康な身体を維持するには、
毎朝散歩したりラジオ体操したり、ちょっぴりコスト掛けた方がいいじゃないですか。
「椅子に座る」ということもおそらく全く同じで、
「常に正しく座る」という微妙なコストを払い続けることが、
結果的に長時間座っても身体に負担を掛けない。

レカロ嫌いとかも居ますけど、根は同じだと思います。
なんでこんなにキッチリ座らなあかんねん、と。
そして世の中には、往年のフランス車の椅子のように、
身体全てを包み込んでくれるような、
「くつろぎつつ支える」椅子もある。

ちょい余談ですがPEUGEOT 309GTIについてた椅子はホントによかった。
ソファみたいな座り心地なんですけど、身体キッチリサポートして、
もちろんどれだけ乗っても大丈夫。
あの子で一番印象に残ったのは、
猫足でも粘るエンジンでも手動式サンルーフでもなく、
椅子でした。

「いい椅子」と聞いてああいう椅子を想像してると、すごい間違いです。
こりゃ医療器具だ(笑)
薦められない。絶対気にくわない人いるもん、これ。
ま、だからこそデビュー以来これだけ年月が経っても、
「名前は聞いたことがある」に留まっているのかもしれません。

この、「正しく座らせる」のを、フレンチなオブラートに包んだような椅子があれば、
それサイキョーなのですが……
なんかマッサージ椅子みたいな外観になっちゃうかな。

それにしても、ぴよ先生も言ってたんですけど、
座り心地のいい椅子の条件の一つに
「座面のクッション性」
というのがあると思うのですが、
たいていウレタン一択のショボイのばっかりですよね。
あれ、どうしてなんでしょう?

往年のメルセデスのシートのクッションは、
フレームの上にいくつものバネを並べ、
(このバネレートも場所によって違うらしい)
その上に板を置いて、その上にクッションがあるんですよね。
そのクッションも、ベロア地(これがまた滑らず、運転にすごく疲れない)
の直下にはヤシの皮かなにかの通気性のある素材使ってて、蒸れない。
めちゃめちゃ凝ってるんです。
でも、こんな座面の椅子なんて、そう簡単にはありませんよね。
#往年の、ですよ。今のはよそのメーカーとまるっきりいっしょ。
#鉄フレームにウレタンをポンと置いたモノです。

テンピュールがそのものずばり座面にテンピュール使った椅子
出してますが、あれもあれで「蒸れる」という弱点があるんですよね。
接触面積の小さな枕ならともかく、椅子の座面となると
ちょっと厳しいような気も、します。
#最近、よそのメーカーがそこを必ず叩いてるのが見てて微笑ましい

しかしそうはいっても、
「椅子のおかげだ」とはまだ断言はできないのですが、
ここ数日すごい寝覚めが良くて、
「つ、次は布団&枕を……」
と浮き足立っております。
ロケット王糸川英夫先生も
「枕換えたらめちゃ爽やかになったで!」
とどっかで書いておられて、
まあ、長時間身体に触れるもの、にはそのぐらいインパクトあるようです。
椅子、布団、枕、仕事によってはキーボード、ディスプレイ……
あるいは部屋の環境だって触れてるもの、
冷暖房システム、照明、空気清浄機……
電子機器も、電磁波はどうかわかりませんが、騒音は必ず出てるわけで、
低周波高周波、耳に聞こえないものがよりヤバイかも。
あるいは振動。共振。
あまり気にしすぎるとノイローゼになりますが、
簡単にやれるところはちょっとずつやっていきたい、
と思う3月間近。
あーろん気だね、と。

……きびちい_| ̄|○


2/23 受験の気構え

シーズン柄。
受験生の皆さんに、少し、気の楽になるおまじないがあります。

受験勉強の目的を思い出してください。
「志望校に合格する」
そのためには何が必要なんでしょう、具体的には?
「入試で合格者最低点を上回る得点を獲る」
これですね。
お兄さんが大学入試の頃、たいていの大学の合格者最低点は
60%強、といったところでした。65%以上のところはまずなかったので、
65%取れば間違いなく合格なわけです。

つまりこれさえ実現出来れば、手段はなんでもいいわけです。
数学でぽっかり穴の開いてる分野があってもいい。
英語の単語集を一つとしてやり遂げてなくてもいい。
現国が苦手で、一度出してみたZ会は16点という点数が返ってきた。
構いません。
じぇんじぇん関係ない。

科目数と各科目の自分の能力値、過去問を解いたり模試をやったりで
想定した得点力、これを検討すれば、どれぐらいの位置に自分がいるか
簡単に計算できます。
例えばある私立大学文系で、
国語・英語・社会の3教科100点ずつの配点としましょう。
国語と社会が得意で英語が苦手だったとします。
国語は70点ならいけそう、社会は75点は確実だ、
なら、英語は、300*0.65-70-75=50、50点、半分取れば
「絶対に」受かるわけです。
びびる必要ありません。全部解く必要もありません。
「よりいい点数」なんて取る必要ゼロです。
50点だけ、取ればその時点で「確実に」勝利なのです。

ほら、だいぶ気が楽になったでしょ?

「えー、だって他の教科で転けるかも……」
というような教科が何個も何個もあるようでは、
志望校か文理の別かを間違ってます(泣)
つかもうちょっと勉強しなはれ。
心配しなくても得意の教科、というのはそう大崩れしないものです。
というか大崩れしないからこそ「得意」というのであって。

ポイントは、これは受験本番だけの考え方だ、というところ。
普段の模試や、中間期末試験、あるいは実力テストなどでは
「1点でもいい点を取る」という目的の元に勉強をしています。
しかし最後の最後、受験本番だけが、目的が、
「いい点を取ること」から「合格すること」に変わるんです。
だもので多くの人がそれに気づかず、
「よりよい点を取る」という努力目標に囚われて、
ガチガチの心と体のまま得体の知れない怪物と戦う羽目になるわけです。
そんな必要は、ありません。
受験に限って言えば、
本番は、練習よりもずっと簡単な目標のために戦います。
というか勝負でもなくて、穴空けないように、
いつもやってることをいつもどおりやればいいだけのことなんです。

逆に言うと。
かなり切ないことながら、スポーツと違い、
受験はやる前から結果がほとんどわかってます。
「本番でバカ力」なんてそうは出ない。
そんなん出せる人は模試でも出せる。
冷静に計算してみて「どうも足りない」という人は、
「落ちてもしょうがないか」というぐらいの気楽な気持ちで(なれるわきゃないですが)
行くと、ひょっとすると何かが起こる……かもしれない。
何も起きないかもしれない(泣)

しかし。
上述の事柄全てをひっくり返すようですが、
合格でも不合格でも、たかだが
「ある学校に行ける行けない」
という程度のことであって、
貴方に実力がないわけでもなければ、ましてダメな人だとか、
そんなことは全然ないです。
そこへ行こうとも行けずとも、そこから先にはまた道がびよーんと延びており、
そこでまた幸せもそうでないものも、いろいろあります。
どちらに行った人にもね。

だものでお気持ちを楽に、普段やってることを普段やってるようにやってみれば、
いいかと思います。
ドリンク剤とか、変なサプリメントとか、普段やってないことはやっちゃダメです。
豪華すぎる晩ご飯とかも。
ここまで来て夜型治ってなかったらもう諦めてそのまま。
徹夜する覚悟で行ってこい。

いつもの、ように。


2/22 ながら

「ながら」でできることには、ロクな事がないような気がしてきました。

FFって遊びのくせに「暇な時間」ができるというどうしようもない遊びで(笑)
そんな時やることといえば、右手のPCで「したらば」という掲示板を開いて、
FFよもやまなスレッド閲覧。
僕の巡回は黒魔道士、調理、釣り、たまにサーバーと60-69を語るスレ。

逆に言うと、2-3行のレスの集まりである掲示板ウォッチ、
それぐらいしかやれることはないんですね。
雑誌を見てても没入しちゃって画面忘れることありますし、
PCの方でDVD掛けててもどっちつかずになるし、
まして「ほえなが」なぞ書けません。

でもやっぱり本来、集中する、っていうのはそういうものだと思うんです。
マルチタスクな人ってたまーにいますけど、
ホントにそのマルチタスクって「よい」マルチなのかわかんないですよね。

歩く時もiPodで音楽聴いてるんですけど、それも最近、
「これって音楽楽しんでるわけでもなければ歩くことを楽しんでるわけでもないよな」
と思ったりもします。
#もちろんコンビネーションしたところに新しい喜びがあるケースも
#多々あるとは思います。
#ありきたりですが冬の早朝にジャズの管楽器とかいいですよ〜
人間の能力決まってますから、
100を2つで分けると、50:50でも80:20でも95:5でもなんでもいいですけど、
とりあえず「100ではない」ですよね。
それってホンマに楽しいのか、いいことなのか、と。
内職みたいなオートで手が動く仕事はあります。
そんな時に、そっち側をほぼ0にしてAMラジオに耳を傾ける、
それは日常よく行われることですが、
(僕も同人誌の紙折りとかはそんな感じです)
多少なりともクリエイティビティの問われることや、
あるいは、感受性をより高くもった方がより楽しめることについては、
「ながら」というのは止めた方が、いいように思います。

なんかもんのすごい当たり前のことを言ってますが(笑)

でも、己振り返ってかんがみるに、
それというのはどんなに小さい事柄でもそうではないか、なと思うのです。
つまりネコと遊ぶ時は100%でネコと遊ぶ。
アクアンタムに水をあげる時は100%であげてみる。
トイレに行ったら、備え付けてある先々月のJAFメイトなど読まずに、
今日のソレは3種類のいずれか思いを馳せながら集中してしてみる。

まあ年柄年中それだと疲れますが、
でも、そうすると、そんな小さな事もすごく楽しいことになるような気がするのです。

最近は、「手元で簡単になんでもできる」時代ですから、
「ここに集中!」
という機会がどんどん減っていってる気がします。
最も顕著なのは携帯電話(のメールやiモード)ですよね。
人と話してる時でも平気でやる人、若者だけじゃなくてどの世代にもいますよね。
「そこ我慢して話聞く」
という集中力がなくなってるんじゃないか、
あるいは、「メールが入った」という外的要因を、
自分の集中力がそこで切れたことの言い訳にして、
集中する作業を中断してるんじゃないか、と。
(世代間マナーの相違や根本的な礼儀の欠如、だけではないように思います。
 おじさんおばさんにもたくさん居る)

Webページも典型的にそうで、
更新頻度高ければ高いほど、1コンテンツの量が小さいので、
細かい時間につっこみたい欲求が増えます。
で、巡回してると膨大な時間使う。
そして得られる知識は断片やネタを拾ってくるニュースとかで、
実は使ってる時間パフォーマンスを考えれば、
新聞雑誌やTVなど既存メディアより優秀かっていうと、疑問なんですよね。
速度や深度や確度で「ごく稀に」他メディアよりずば抜けて真実に近い、
という力はありますけど、ノイズももの凄い。
それを除去する(除去するためには一旦手にしないといけない)
コストを考えると、まあどっちもどっちではないか、と思う今日この頃です。
それは「したらば」の読み過ぎでしょうか。

少し話がずれましたが、
細切れの時間にするすると入り込んでこようとする
こうしたメディアに絡め取られないように、
「今はこれ! 次はあれ! この時間はフリーだからダラケる!」
とか、多少意識していった方がいいかもしれません。

私達は、最近生まれた子供達と違って、
成長した後にこういうメディアに触れてます。
そういう人間の方が、免疫がないから弱い。
うちのまま上はびっくりするぐらいテレビ見ます。
うちのおばあちゃんは鬼のように殺虫剤振り回します。
同じように、メールやWebに浸食されている自分がいるのではないかな、
と、ちらりと。

「疲れない」というのはすごい罠で、
疲れもしないようなことをやってる暇は、人生にはないような気がします。
「ながら」でできる疲れないことをやって終わる1日より、
へとんへとんになって倒れる1日の方が、いい1日のように、思います。
気をつけないと。


2/21 アーロンチェア

やはりそれか、とのお声も聞こえてきそうですが、
やはりこれです(笑)

買ってしまいました、ハーマン・ミラー社謹製
アーロンチェア
新型のポスチャーフィット・Bサイズ前傾機能付き。
ちなみに購入はこちらのお店
お代金は本体11万円に消費税5500円送料1200円しめて11万6700円。
Bサイズ前傾つきは人気で、多くのサイトで入荷待ちだったのですが、
こちらは翌日確認の翌々日発送。(なので発注したのですが)
まだ大丈夫っぽいです。

「いい椅子が欲しい」
というのは仕事でも勉強でも長時間机の前に座る人間にとっては
切実な願いです。
10代など若い頃は身体の柔軟性も高く、基本的な体力もたっぷりあり、
また日常生活で自然と運動する機会も多いのである程度ゴマカシが効きますが、
30の声を聞くと、蓄積された歪みがじわじわと身体を蝕みはじめます。

3年ばかり前から、そう重篤ではないのですがしくしくとした違和感が
右の腰後ろあたりによく出るようになってきて、
まず整体の先生をまきをちゃんに紹介してもらって行ってみました。
腕の立つ先生で、実際3回ばかり通ったのですが
特に初回の衝撃は忘れられません。
「ああ、これが背筋が伸びるってことか!」
と、まるでメガネを初めて掛けたあの日のように感動しました。

しかし。
みなさん薄々お気づきの通り、整体やカイロやマッサージは結局、
どこまで行っても対処療法に過ぎず、
本来真っ当であった身体が歪んだのは、歪むような生活をして
本能的体内ホメオスタシスでも戻せないぐらい変なクセをつけてるわけで、
その歪みを取り除くには、生活習慣・身体そのものを変えていく他はありません。
で、なければ毎月のように「正しい身体」に戻してもらいに
通わなければならなくなります。
それはおかしいですよね。

ということで、手の届く範囲から、と毎朝腹筋をはじめました。
当初20回現在は32回。
あと、短距離ですがてくてく歩くようにしました。
長居駅往復で3-4キロ。
できるだけ毎日。
この二つは非常に効果的で、「進行を食い止める」ことはできたようです。

やればやっただけの効果はあるものだ、と自信も得て、
さらに歪んだ身体を正すべく、椅子と布団の改良に取り組もうと選んだのが、
アーロンチェア。
モノ好きですから小耳には挟んでた物体ですが、
スタパの兄貴も愛用と聞いては気にならずにはいられません。
初めて座れたのは、確かできたての東急ハンズ心斎橋店。
座ってみれば写真からイメージされる「硬質感」とはうらはらに、
柔軟なメッシュの座面と滑らかなリクライニング、
フカフカの重役椅子ともまた違う、独特の「柔らかさ」が印象的でした。
「むむむ、これは!?」

しかし、10万というのは誰にとっても大金です。
1万出せば選び放題の椅子に対し10万出す、それはクルマで言えば2000万。
フェラーリであったりメルセデスのSであったりするわけです。
そこで僕は得意の屁理屈をひねりだし、
「いやまあ、要するに座る人間の姿勢が大切なのであって、
 そこにさえ気をつけていれば最悪パイプ椅子でもよかろう」

道具というものは。
本当に良い道具というものは。
それを使う人間の力を素晴らしくブーストしてくれるものです。
しかしどのジャンルでもいつも思い知るこの単純明快無敵の真実を、
我々はいつも忘れる。

結局、前任の椅子は14800円で買ったOAチェアでした。
肘掛けがつきリクライニングができガスシリンダーで上下し、
機能的に何の文句もなく、OAチェアなのにグレーブラウンの座面と
木のフレームが暖かみがあって、気に入ってもいました。
しかし3年あまりで(わずか、というか、3年もった、と考えるべきなのか……)
座面は完全にへたり、底付きが。
底付きするクッションは、身体の感覚点が騙されるせいか、
ただの板よりタチが悪いものです。
安物の低反発クッションを敷いてみたりもしましたが、
違和感が増すばかりでした。

「……あれを買うか」
ここで、ここでまた14800円のOAチェアを買えば、同じことの繰り返しです。
そんな進歩のない人生はイヤだ。
人間は挑戦する生き物だ。
ゴッド・ブレス・ミー。

ということで調べてみればおやおや、いつの間にやら
「ポスチャーフィット」という新機構があるではないですか。
従来型のランバーサポート(背当て)は背面の真ん中あたりにあって、
裏表挿し換えることで強弱を換えられる、という極めてシンプルなもの。
そこから発想を転換して……
とかなんとかは本家のWeb見てください。
要するに骨盤を斜め下から押し上げるようにサポートすることで、
「出っ尻」や「猫背」にならない背骨のS字カーブを
無理矢理作り上げてしまう機構です。

考え方自体は新しくも何ともなくて、昔からカー用品店などでは
同じ考え方の、「シートの背の下の方に噛ますクッション」を売ってます。
本来、椅子というものはぐっと座った時にそのS字カーブをサポートするように
作られているべきなのですが、体格には個人差があり、
下手にそういう形に作ってしまうと、
合わない人には本気で合わない椅子になりかねません。
そういう危険を避けるためには、こういうギミックが必要です。

と、いうよりも以前職場で与えられた椅子が、そういうS字カーブを描いており、
僕の姿勢のせいもあると思いますが異常に相性が悪く、
ついには別の部屋にあった安物の椅子に換えちゃいました。
Microsoftのナスビ型マウスは愛用の方多いですが、
あれも僕はヒッジョーに苦手で、親指の付け根あたりを
ぐいぐい押してくる違和感が我慢出来ず、別のマウスを買いました。
「手に合わない」という理由で文字通り手放したマウスは、
生涯今まであれ一つです。
一般に「エルゴノミクスデザイン」と胸を張るデザインにはそういう陥穽があるようです。

ということで、正直申しますと座ったことがないので
ちょっぴり不安だったのですが、
まあ調節機構が付いてるってことは最悪オフにすればいいのだから、
と新型・ポスチャーフィット付きを選択しました。

実は先ほど到着したばかりです。
レビュー的には一週間ばかりしてから書いた方がいいか、などと思っていたのですが、
座った瞬間、
へらへらっ
と笑ってしまったので、ま、これは間違いなくイイモノだな、と思って
これを書いております。

たかだか二枚の板を組み合わせて脚をつければできる
「椅子」というものなのに、ここまで差がつくとは思いもしませんでした。
前の椅子がコロナだとすると、やはりこれはSクラス。
前のだけ座ってるとなんの不満もでないけれど、
乗り比べてしまうとどうしようもない。
ま、価格が違うんだから当たり前ですけど。
ポスチャーフィットやきめ細かな調節機構に目を奪われがちですが、
椅子としての基本的な座り心地、
これがまず非常によい。
全てはそこからスタートです。

要素に分解してどこがどうだからどういいんだ、というのを一つ一つ
挙げ連ねることは、不可能ではありません。
たとえば、座面の前端が非常に薄いので(フレーム分の厚みしかないので)
膝を下げて膝から下の足を後ろに持って行きやすい。
普通の椅子だと前端部に厚みあって、それをやろうとするとどうしても
腰が前へ行って背が背もたれから浮くのですが、
後ろへもたれたままでも足が折れる。
どうということはないことのようですが、それだけでも
座る姿勢の自由度が高い、ということです。
でもそうした要素要素より、それらいろいろが組み合わされて提供される、
総合としての座り心地……が、いいんです。

誉めてばかりではあれなので、
巷でよく言われる欠点も一応ご紹介。
・メッシュの座面/背面が衣服を傷つけないか
 確かにあまり高級な服で長時間かつ長期間座ると削れるかも……
・あぐらがかけない
 かきにくいです。
 いや、形状的にはかけるんですけど、座面の外フレームの材質が固いので、
 それが足に痛い。
・黒くて重くてゴツイ。
 と、僕も覚悟していたのですが、量感はそうでもなかったです。
 前任の肘掛け付きOAチェアとあまり変わらず。
 黒だから小さく見えるのかも。
 重さはありますが、脚やキャスターの精度が高いので、
 移動で困ったりはもちろんしません。
 それでも黒がイヤな方は、従来型ランバータイプならいくらか色付きもあります。
 あまり派手なのはありませんが……
・くつろげない
 くつろげないです(笑)
 エロDVD見るのも常に正しい姿勢(笑)
 だもので、もちろんですが、リビングの椅子には向きません。
 あくまでもデスクワーク用です。

 どのぐらい「正しく座らされるか」といいますと、
 僕の部屋のTVは机正面から左に45度開いた場所にあります。
 FFする時は椅子をそっちに向けてやってるのですが、
 机の上のPCでWebを見たい時、身体ひねりますよね。
 この時この椅子だと、かなり意識して上体をひねる必要があります。
 普通の椅子で行われている(であろう)おしりを座面の上でスライドさせるとか、
 重心をずらして背骨を倒して角度を稼ぐとか、
 そういう余裕が無い。
 つまりは、「一番無理のない姿勢を強制される(笑)」という椅子です。

アーロンチェア最大の問題点は最後の一点で、
これは「正しい姿勢で長時間座るための椅子」です。
しかし、仕事場ならともかく、家の自室、自部屋で、
そこまでシビアな作業を求められることが、ありますでしょうか?
我々みたいな特殊職業の人を除けば、
部屋の椅子、というものは、ある時は書き物をするかもしれないけれど、
ある時はビール片手にTVを見、ある時は寝そべるように腰掛けて音楽を聴き、
ある時は背を倒すようにして居眠りをする……
そういうものではないでしょうか。
それら一切合切の「余裕」を切り捨てて正しい姿一本に極めたのが
この椅子です。
「くつろぐならソファにでもベッドにでもいきやがれ」
という硬派加減。

もったいないですね、そんな専用椅子に10万出すの(笑)
また、この居心地の概念的な固さ(座面の物理的なものではなくて)を、
「気にくわない」と思われる方はおいでだと思います。
往年の金庫のようなドイツ車だって、好き嫌いはあったわけで。

ということで、あまり積極的には薦める気にはなれないのです。
無理にそういうのが合う人を見つけるとなると……受験生とか。
逆に言うとこれ、仕事場にはとてもいいと思いますよ。
日本の数学を背負って立つ大学の助教授さんとか。
半導体製造装置の設計でCAD弄りまくるエンジニアとか。

他にも、エルシオですとかコンテッサですとか、
評判のいい椅子はいろいろあります。
僕も両者とも短時間試座したことはあるのですが、
やっぱり「きっちり座る」という点でアーロンが一番だな、と思ったので
アーロンを選びました。
ハンズや大型家具ショールーム等々で、
いろいろ見て座ってみることをオススメします。

こういうモノの真価は馴染んでからでないと味わえないもの、
また一月ぐらいしたら、感想を書きたいと思います。
どうします? 背骨が伸びて笑顔が素敵になってたら(笑)

まあしかし、好き嫌いはあれ、イイモノであることは間違いないです。


2/20 ゴムモップと土門拳

今日はまずステキグッズのご紹介から。

・マルチスイーパー
TVショッピングでウチのまま上がお買いあげ。
実家に住まわってますと始終「ああ、僕はこの人の息子だなあ」と思うことがあるのですが、
「まず道具に凝る」
という特性は明らかにここからの遺伝で、
(ちなみに父は「まず情報を収集する」でした。
 ハイブリッドした結果がこのテイタラクです)
当人掃除がスゴイ嫌い。
しかし嫌いであるが故により良い道具をより良い道具を、
というエンジンがかかるらしく、絶え間なく新型掃除用具を購入し続けます。

形状は普通のブラシですが、ブラシの毛が、
「断面がV字をした柔らかなゴム」
なんです。ここがポイントでここだけがポイントのグッズ。
使い方は普通のブラシ。
このV字の開いてる方を前に閉じてる方を後ろにして、対象物をこするだけ。
しかし、ゴムですから毛と段違いの掻き出し力があって、
しかも掻き出されたゴミはVの閉じたところにキャッチされ、
かつゴムなので静電気も起きて細かな埃も逃さず、
しかるに掻き出した後の本体にはほとんど付着しない。
まさに夢・道具そうそれはドリィーム・グッッズ。

ああもどかしい。
使えばわかります(泣)

「すっげー、これすっげー」「な、すごいやろ?すごいやろ?」
と言い合いながら床に這いつくばる母子でありました。

特に絨毯、ウールやフリースの服、犬猫、この辺の
「掃除機で吸い出すorコロコロを転がすしかなかった」
という物体に対しては圧倒的戦闘力。
絨毯なんて掃いた日にゃ顔色が変わるぐらいゴミが出ます。
もちろん戸外の、たとえばタタキの掃除とか、
「掃除機はおかしい・しかしホウキでは綺麗にしきれない」
部分にはとてもよさそう。
ちょっとググってもちっともサイト出てこずリンク等張れないので、
TVショッピング等々を目を皿にしてご覧ください。
プラスチックの青い枝、黒いゴムブラシ。
貧相で安っぽい見た目からは想像を絶する威力です。
ハンディ・タイプとモップ・タイプ2本セットで6800円。
6800円での、ご奉仕。

---

■「強く美しいもの」 土門拳

お恥ずかしながら土門先生、お名前を聞いたことがあるだけで
ロクに作品見たことありませんでした。

素晴らしい。

なによりわかりやすいのが良いです。
興味ある対象物「だけ」を大胆不敵に切り出すそのスタイルはまさに
縄文土器さながら、あるいは魚市場の食堂で包丁を振るう親父の
ぶつ切り赤だし。
フレーミングにも、色にも構図にもライティングにも加工にも、
とりたてて奇抜なところはどこにもないのですが、
対象の魅力があまりにもストレートに画面から飛び出てきます。

すごい、と思うのが、その、対象の魅力だけではなく、
土門さんの興味、着眼点、いいたいことまでが伝わってくること。
特にこの本は写真横に関連小文がついてるので、それをよく確認できます。
日光東照宮のカットがある。
これがゲラゲラ笑い出しそうなおバカ極まる、
いやむしろ極まりすぎて愛嬌でしかない、そんなショット。
で、文を読むと、
「最初は成金趣味でつまらんと思ってたけど、よく見れば
 必死でそれをやってて、むしろ稚気愛すべきものですらある」
とある。
その感動そのまま、それが写真になってて、
僕みたいなど素人にもすぱーんと伝わってるんですね。

なんでもそうですが、「これなら俺にもできるじゃん」と思わせるのが、
スゴイものの一つの特徴です。
やってみれば絶対できない。
「ここ!」というところをドガンと切り出す、後は捨てる。
見習いたい。

やきもの撮ってる章があるのですが、
そこのトップは伊万里に白うさぎ。
このうさぎがかわいいんだ、これが。
僕、伊万里はピンと来ない人だったんですけど、この写真一発で
「む、伊万里いいじゃん」
とか思ってしまいました。
おそろしい。

写真ってたぶん、やきものとも共通点あって、
人知を尽くして天恵を待つ
じゃないですか。
で、ごく稀にとんでもない天恵が来る。
その時の震えるような喜びと、いかに天恵あろうとも切り出したのは俺だ、
という誇り、それは麻薬なんでしょうねえ。

ますますPro1が欲しくなりましたよ。
結局そこかい。

それはともかく、もう少し日本的なモノの勉強をしよう、と思いました。
人に何かをさせようと働きかける。
それも、素晴らしい仕事の証です。
ああ、そういうのが、したいものだよ。


2/19 書きあぐねてはいないけど

■「書きあぐねている人への小説入門」 保坂和志

面白かった。
でもこれ、「まだ書いたことがない」「書きたいけど書いてない」人向けではなくて、
職業もしくは趣味でも、相当書きまくってる人でないと面白さがわかんないような。
(まくってる、というのは量ではなくてエネルギーで)

気になったので広辞苑。
あぐ・ねる
物事がうまくゆかず、どうしたらいいかわからなくなる。あぐむ。
#現代語では多く、動詞連用形に付けて用いる。

つーことで表題通り、
「書いてるけどもう一押しが欲しい」という問題意識ある人にはより適切。
ただし世には「小説入門」みたいなどおしようもない腐れマニュアル本が
文字通り腐るほどありますので、全く初めての方でもそんなものよりは
2万倍ぐらい有意義です。
今わからなくても、書いてるうちにいつかわかることがたくさん書かれています。

---

最近の保坂さんは風景描写に力を入れてらっしゃるようで、
その効用として読者と作者との想像を繋ぐような役割をあげておられました。
(という風に読みました)
ですが僕は風景描写をほとんどしません。
御本読みながら省みるに、それには大きく分けて3つの理由があるようです。
(1)人間にしか興味がない
  興味ないもの描くとそこで文章がダレます。
(2)(1)と関連しますが出が劇屋なもので、風景に
  「ここはどこ」という書割以上の役割を求めない。
(3)(2)と関連しますが、現代では読者の中にビジュアルストックが充分にあるので、
  根元的に文章が苦手なビジュアライズを無理にしなくても、
  読者の想像力にまかせた方がいい。
てなところでしょうか。
意義は大変よくわかるのですが、
メリットデメリットとコストパフォーマンス考えると、
そうこだわる部分ではない、逆にこだわりすぎる弊害すらあるから、
だったら潔く「やらない」という選択肢もある、という感じ。
僕のCGには背景がほとんどありませんが、それと同じです、たぶん。

例えば、
「謎の巨悪が統べる邪悪なモンスターの巣窟、ヴァントゥーラロガン城」
と書けば、みなさん各々の「それっぽいお城」を思い浮かべますよね。
で、もちろん僕もイメージしてる像があって、
それに基づいて描いていく。
ここで、ある程度ちゃんとした像を読者の方にも持ってもらわないと、
「……はぁ、はぁ、はあ、こ、ここがヴァントゥーラロガン城の108階、最上階か……」
とか描いた時に
「ええっ!? そんな高いの!?」
とかズレが生じたりしますよね。

で、これをマズイととるか、そのズレもまた楽しみの一つととるか、
それは難しい問題です。
「え、そんな低いんだ」と思う人もいれば、姫路城みたいなものを想像してた人も
いるかもしれない。
で、僕はどちらかというと「108階」を避けて「最上階」と述べるに留めて、
姫路城を大切にしたい、と思うんです。
壊さなきゃいいわけで、こっちの思惑通り想像してもらう必要まではないのでは、と。

それ言い出すとなんも描けんやん、
とご指摘おっしゃるとおりで、
だから何も描かないんですってば(笑)

で、文章というあらゆる表現の中で最強に抽象度の高い表現、
コイツの利点すばらしさ、というのは何はさておきその抽象性で、
記号をやりとりすることでコミュニケーションが図れるところにあります。
「美人」
と書いただけで、僕と貴方の頭の中に、自分の美人が浮かび上がる。
ここです。

え、ちょっと待って、表現っていうのは
自分の中にある何かを形にしていく・具体化していくことじゃないの?
と指摘された方はなかなか早川電機。
そうです、おっしゃるとおりで、
伝えたい・形にしたいところをキッチリ作り込んでいけば、
あとのとこは「こんな感じで」とお任せするズボラができる、
というのが、いいところなんじゃないかな、と。

ズボラというと言葉が悪いですが、 
全部が全部、誰かが作ったフィールドに没入する、
ってすごいエネルギー要りますよね。
それが、舞台が自分の街自分の学校自分の家にある程度置き換えられるだけでも、
ずいぶん楽になる。
それは悪いことではない、と思うんです。
集中力の焦点も、合わせてもらいやすくなるし。

……といいつつ、年取るとひじきが美味しく感じられるように、
歳とキャリアによってその辺は変わってくるのかもしれません。
変わらないのかもしれません。
子供の頃から小説読む時は風景描写が苦痛だったもので……
だから、自分はなるべくそういうのは描かないだけなのかも。

まあ、写真家にも風景写真家と人物写真家がいるような感じ、
そのぐらいの違いなのかも。
どちらかからどちらかへシフトすることもよく起きることですし、
両方できる/したい人もたくさんいますしね。
僕は今のところポートレート・スナッパー、というところです。
これまた好き嫌いとセンスあるなしは哀しいかな面白いかなまた全然別物、
だからこそ「やってみる」というのは非常に大切なのですが。

---

しかしうんうんうなづけるところも多く、楽しく読みました。
最後、「ワープロを使わない」ことを書いておられたのですが、
実は僕も最近、「PCは使わない方がいいんじゃないか」とか思いつつあります。
デメリットはまったく保坂さんのおっしゃるとおりで、
まず、
いくらでも推敲ができるがゆえに、いくらでも推敲しちゃう。
「Routes」僕のパートは生テキストで確か1.2MBあるのですが、
これって一周推敲するだけで何日もかかるんです。
で、それで面白さ自体がどどんとアップするかっていうとそんなことなくて、
多くはデバッグ段階で指摘されるような誤字脱字なおしたりとか、
そんなん。文末表現をこちょこちょ弄くったり。
無駄とは言いませんがそれよりもなんかおまけでも作った方が
(いや「Routes」の時は作ったんですけど)
いいんじゃないかな〜、と自分でも思いながら弄くってました。

それに関連して、
「書きすぎる」というのもよく感じます。
つるつる手が滑る。
もちろんこれは後から削ったりできるわけですが、
というより削らなければならないのですが、
推敲修正というのもエネルギーの要る仕事で、二度手間なんですね。
書きながら「あ、書きすぎてる」と思うに越したことはない。

もひとつ、
身体への負荷も、最近「ちょっと真剣に考えないと」と思うようになりました。
なんかね、疲れが取れにくくなってきて。
朝起きた時が一番肩凝ってる、というかなりヤバイ状態で、
理由はやっぱり、机に向かってディスプレイ作業のやりすぎです。
ということで液晶も、この高精細万歳男が20インチ1600*1200ではなく、
19インチ1280*1024を買おうかと思ったりしてるぐらい。
もちろん、手で文字を書く負担も大学生あたりまでさんざんやりましたから
充分わかってるのですが、
あの負担、「あ〜もうダメだ手が痛くて書けね〜」という負担の方が、
アラートを身体が出してるという意味で正しい負担(変な日本語やな)
だったような気がしたり。

そんなこんな、こんなそんなで。
でも僕もせっかちな方で、イメージ沸いてくるとどかどかどかっと
描きたい方なので、その時手書きだと気が狂うと思います。
なもので当分手放せない気はするのですが、
できるだけ上のようなデメリットの意識はもって、
なるべくそれをカヴァーする方向で、PCは使っていきたいです。

---

どちらにせよ、司馬の叔父貴もしょっちゅう書いてるのですが
「小説にルールはない」
のが、実作者ならば誰でももってる超基本中の基本ドグマ、
「『執着しない』という心にすら執着しないのぢゃ」
と同じ、これを忘れてはニッチもサッチもいかない大原理なのですが、
そしてそれを、この本のみならずいろんなところでいろんな人が言ってると思うのですが、
あるいはまた、絵でも音楽でも鑑みていただければ、
「風景画はこうあらねば」
「ロックってこうだろ」
っていう言葉がいかに愚かな言葉か誰にでも、
それこそ気の利いた小学校高学年にでも理解出来る事柄であるのに、
なぜか、
なぜか小説(文章)だけはそのことがいつまで経っても理解してもらえませんな。
(という愚痴もこの本にも出てきます)

なんでなんでしょうね。
書き手が書きたいモノを書く、それに応じて感動する読み手がいる、
それでいいじゃないですか、それ以上の何が必要だって言うんですか。
歌手だってそうですよね、大事なのは誰が好き、誰のをよく聴く、
であって、上手い下手なんてどおっでもいいことではないですか。
なぜ物書きだけ。

それともそれはひがんでるだけで、
映画監督とか俳優さんとかも同じような愚痴を抱えているのでしょうか。
なんかそんな気もしてきた(笑)

とにかく、
「なにものにも囚われずにチャレンジ」
それこそがものづくりの喜びであるので、
それを忘れずにやっていきたい、と思います。


2/18 靴とビニール傘

【今日のホントにまったくどうでもいい一言】

「一口にうんこといっても世の中には3種類のうんこがある。
 すなわちフローティング、シンキングそしてサスペンドの3つだ」

---

オマーーーーーーーーン!!(挨拶)

マタ ヤッチマッタヨ ヨヤク ミス _| ̄|○
コノ オオイチバン デ _| ̄|○

W杯予選。
まあ、勝ったからいいんですけど……
久しぶりに使うと身体が忘れてますねえ。
真面目にEPGの付いてるHDDレコーダ買おうかしら。

風邪が一進一退でへばっております。
起床後エンジンがかかってくると大丈夫なんですけど、
しばらく活動するとすぐガス欠になる感じ。
鼻水の粘度と濃度が上がってきたから、もうちょいだと思うんですけどねえ。

てなことで今日は雑感雑感。

---

どうも新しいClarksが足にフィットしきれなくて、
「不満はないけどなんだか」
という感じなので、新しくウォーキングシューズでも買おうかしら、
と各メーカーのWebサイトなど巡ってみました。

ナイキのWeb使いにくい……
一般に気合い入れれば入れるほど空回りしますな、Webは。
Webデザインって、どっちかというとインダストリアルデザイン寄り、
「まず使い勝手」だと思う私はオッサンでしょうか。
まあナイキの場合はそこのイメージ戦略こそが生命線、
みたいなところがありますから、
譲れないっちゅや譲れないんでしょうけど、
でも、使いやすくてカッチョイイ、ってのがいっちゃんcool(笑)
だって、今どきゃ気の利いた中学生でも知ってますよ。

我々はすっかり忘れてますが、
中学生にもオッサンオバハンはいます。
え? それは大阪だけかな? ちがうよね?

ラーメン屋さんで鼻水が出てくるのを躊躇無くポッケに常備してる
サラ金・ティッシュでちーんできる少年少女。

そういう子ってもうナイキのWebなんかトップ見ただけでバックボタンですよ。
そして一生ナイキなんか買わない。
え? そういう子はそもそもナイキ履かない?
と、いうほど尖ったブランドでもないですよね。
損してるような気がするなあ。

アシックスとかさすが国内メーカーって感じ。
まあ、このぐらいで留めておいてくれるとありがたく。
「歩人館」という直営ショップもヨドバシ梅田の上にあるそうで、
一度行ってみようかしらん。

それはともかく、見慣れぬWeb見ると初めて知ることばかりですな。
最近のウォーキングシューズには、フィットネス用ってつま先に上ぞりの
角度付いてるヤツがあるらしい。
歩いてるだけでカロリー使ってダイエットですって。
あと、男女問わず、ビジネスでも履けるカッコ(人工皮革だけど)で、
でも中にはジェルとか入ってバリバリ歩けるタイプ、というのも
随分あります。
「通勤一駅ウォーキング」とかなら、こういうのがいいんでしょうねえ。
いやフツーに営業とか歩き回る人なら、こっちがいいか。

そうそう、こないだ北海道旅行でトレッキングシューズ壊れて泣いたんですけど、
あれってポリウレタン底のトレッキングシューズではしょうがない宿命だそうで、
5年で加水分解が始まって、朽ちるそうです。
でも軽くて耐衝撃性と耐摩耗性に優れた非常に良い素材なので、使ってるとか。
GTホーキンズのWebに書いてありました)
良いシューズはそれを前提に作られてて、ソール張り替えもやってくれるとか。

……新千歳のゴミ箱に叩き捨てて来ましたよ。
無知は損ですなあ。

---

こう、日常的に使うグッズは、
なによりも実用性・使い勝手を優先してしまうタチなので、
鞄もリュック・タイプから脱却できません。
特にここ数年、長居まで一駅(1.5キロ)を歩くことが多いので、
そうなるとリュック以外の選択肢が実質無いんです。

しかしリュック型で小洒落たのってこれがなかなか無い。
本格アウトドア用ならいくらでも選択肢あるんですが、
そういうところのシティ用ってどうしても(そして当たり前ですが)
アウトドア用品臭がするんですよね。
だけど鞄屋さんが作ると、革とか使いたがって
重くてかつぎにくくて物が入らない、のが多い。

プラダが当たったのって、「軽い」という性能面が
大きそうな気がするんですがいかがでしょ。
吉田さんのPORTERとかも。

鞄自体は軽けりゃ軽い方がいいに決まってるわけで、
その目的のためにはこの現代社会で革使うなんて愚の骨頂ですよね。
いくらでも革より軽量で防水性耐久性耐汚性に優れた素材がある。
#いや、僕は革鞄好きですけど。
#鞄って字に革入ってるし。
でも実際に自分が苦労して持ち歩く、ってなると、
そりゃ楽な方がいいわけです。
でも、アウトドア用品が合わないシチュエーションはいくらでもある。
「お洒落もしつつ軽ければ……」
というのを満たしてくれているから、あの辺が売れるような気がします。

水性ゲルインクボールペンって、現在最強の筆記具だと思うんですが、
あれもあれ以上の書き味を提供出来るのは高級万年筆のみで
(それも運筆の違う漢字圏では微妙な気が、個人的に)
しかもそれと比べればコスト・ウェイト・メンテナンス・入手性、
ありとあらゆる部分で優ってますよね。
そりゃ席巻して当たり前だろ、と。

あとはちょっとズレますが使い捨てビニール傘ありますよね。
あれもね、値段もそうなんですけど、
実は傘として非常に使いやすいんですよね。
透明なビニールで視界が明るく広い。
これは普通の傘にはない絶対の有利点。
で、他の素材だと完全に透明って難しいですよね。
耐久性とかそういう一切を諦めた使い捨てビニール傘だからこそできる、
素晴らしいメリット。
最近では僕も、家から出る時小雨なら、何本も眠ってるビニール傘を
差していきます。
忘れても捨てても痛くないし、第一、歩きやすいから。

人間どんなに安くても、無駄な物や使い物にならない物には
お金を出す気にはならないものです。
やっぱり、買われる以上は、「モノとしての」なんらかの魅力がある。

そしてまだまだ、気づかないだけのそんなものが、
そこら中にゴロゴロあるような気がします。
そういうのを見つけると儲か……いやいや、人類の幸福に貢献出来るのにな、
と思った今日この頃。

---

そして風邪気味でボーッとしてることにかこつけて、
ヤッチマイマシタ久しぶりのショードー・ショッピン!
モノとレポはまて次号!


2/17 小さなお店

北海道旅行の前に、安物でいいからビニールカッパ買っておこう、
と思って、100円ショップ行ったんです。
すると店長らしき人が、商品棚の整理しながらおすすめをやってるんですね。
「食器カゴいかがですか〜」
「手袋、いかがですか〜」
そんなダンディな彼、丁度私がカッパ(さすがに上100円下100円でした)
見つけたあたりで一言。
「虫ゴムいかがですか〜」

念のためですが
虫ゴムというのは自転車の空気入れるところのパッキンみたいなもので、
フツーの人には一生目にすることもない部品です。

”脊髄反射でしゃべってるなー”
と、ちょっと微笑ましい午後の一時。

---

幼い時に家が小売業を営んでおりまして(たばこと日用品と文房具)
時には店番などもしたもので、
「小商店主の主」
というのにはちょっぴり憧れがあるのです。
鶏口牛後なんて小難しいことを言わなくても、
一国一城の主、というのは男の子にとってはやっぱり一つ目標。

お店、となると、食べ物屋さんなら料理、喫茶店ならコーヒー紅茶、
小売物販店なら品揃え商品知識、
そんな基本に加えて、店そのもの、それ自体の魅力、雰囲気、
これも大切になってきます。
だからこそ店一つを自分の裁量自分の趣味で演出切り盛りできる、
これが腕の見せ所、それが楽しそう。

……なのですが。
昨今はチェーンなお店が多く、「店長」と言っても要は雇われマダム、
権限が非常に制限されてる場合が多いですよね。
そのくせ、責任だけは数字の形でハッキリでる。
昔ながらのオーナー店主なら、確かに結果は自分のせいですけど、
自分のせいだからこそ納得いくところもあったりして、
「ああ、来月は呼び込みガンバろ」
とか思えたでしょうけれど、
雇われ店長さんはそこまでは思えないですよね。
下手するとマニュアルで
「店頭に立っての呼び込みは悪印象を与えるから良くない」
とかあるかもしれないし。

「できる範囲で」という窮屈さがあるとどうしても、
「虫ゴムいかがっすか」になるような気がするのですが、どうでしょう。
ま、だからってマクドの店長が各テーブル回って
「いかがですか、お味は?」
とニッコリ微笑まれても困るんですけどね。

札幌で行った「てつや」と「MagicSpice」、
双方共に美味しいお店だったのですが、
店の演出は完全に好対照。
「てつや」はもう、今時のラーメン屋です。
どこでしたっけ、あんなんのプロモーション専門にやってる会社ありますよね。
あそこかあそこのフォロワーが作ったのがもう丸わかり。
昭和初期とかその辺りの風情だそうとして黒い木とか使ってて、
店内のポスターとかもそんな感じで、
能書きのフォントまで「ああまたこれかよ」で、
その文章の書き方もまでもが「どこかで見たよ」な生臭いテイスト。
#あれを専門にやってるライターさんがいるのかな
#どれ読んでも同じに感じる

もうね、いいんです。
年賀状ソフトのプリインストールイラストと一緒で、
そんなんもう何の価値も意味もない。
誰も何も見てない。誰も何も感じない。
コンビニの小綺麗な祝儀袋です。

#フォローしときますと「てつや」は味は抜群です。
#店員さんの態度とかも別に問題ないです。

対する「マジ・スパ」はどうやら民家改造。
それもごくフツーの一般家庭用のフツーのお家を改造したような作りで、
階段昇った2階で食べたのですがごく普通のダイニングみたいなところ。
店内の装飾も中学生か高校生の文化祭レベルで、
この御時世に、この御時世に半角や全角が乱れ飛ぶ
おそらくワープロ切り貼りづくりのメニューや手作りのペーパーが、
テーブルを彩ってます。
メニューなんかもフォントばらばらに使いまくって、
ホント出来の悪いWebページみたいな見づらいメニュー。

でもねえ、愛があるんですよ(笑)
一個一個とにかく手で作ってあるから、思い入れが伝わってくるんです。
旅行の時に書きましたけど、ノリは同人誌。即売会。

もちろん全国区標準で通用するしないとか、
そんなしょーもないこと言い出したらこんなノリじゃダメですわ。
あの店だって、「この店は美味い」って評判がなきゃ尻込みするような店ですよ。
似たやり方してる駄目な店はいくらでもあるし。

でもやっぱり、今という世の中、
これだけ情報がマニュアルがコンビニエンスな専門家が溢れまくってる世の中では、
ひとりひとり違う、人間の個性にこそ高い価値があるのではないでしょうか。
飲食店ならば味が、物販店ならば品物が勝負、
それが80%ぐらいを占めるとは思うのですが、
その先にあるもの、そこで「プラスアルファ」を狙うなら、
「マジ・スパ」の方向性が、バクチではありますが勝つ可能性がある。
その意味で正しいのではないでしょうか。
「てつや」のやり方では、負けないけどプラスは絶対に乗らない。

本筋は別のところ(この例なら食べ物)だから、
そこはディフェンシブに行く、それは一つ見識です。
ですが、せっかく「お店」という自分の城自分の領国を持つからには、
自分の白いキャンパスを目の前にするからには、
自分らしいお店
を作ってみたい、と思うものではないでしょうか。
またそれこそが店を持つ楽しみであったりするのではないでしょうか。
そこをポイ、と捨ててしまうのは、
店を持つ楽しみを半分捨ててるような気がします。

#ただ、人間誰しも得手不得手はあるので、
#不得手だと悟っているならどっかから買ってくるというのは
#それもまた己を識る高い見識。

システマイズされたお店の利便性にどっぷり浸かっておいて言うのも
なんだか無い物ねだり隣の芝生なのですが、
都会に住んでいると「顔の見える店」が少なくて、ちょっと寂しいです。
見えるところは変に押しつけがましいところが多いし(笑)

てなところで、
お店を持つ計画は今のところありませんが、
これ(個人ホームページ)だってお店みたいなもの。
ヘタクソ絵でも味気ないレイアウトでも、
極力借り物パクリものは止めて一つ一つ手作りでいきたいと思っています。
常識に囚われず、そして恥ずかしがらずに、
自分の顔や思い入れを、ガンガン表現していきたい、です。


2/16 「強く生きる言葉」

■「強く生きる言葉」 岡本太郎

TARO先生やっぱカッコイイよ……

「ほぼ日」でジミーちゃんがインタビュー受けてたのですが、
お笑い時代のある日、TV番組で絵を描くネタがあって、
ジミーちゃんはオチにあたるヘタ絵を担当するはずだったのですが、
やってみると案外、どころか実に雰囲気のある絵を描いてしまって、
オチがオチにならなかった、というエピソードがあります。
で、太郎先生なにがエライって、この番組を見て、ジミーちゃんに手紙出したんですよ。
「いい絵だ!」ってね。

なかなかできるこっちゃないですよぉ。
ものすごい「たとえば」ですけど、まああと25年ぐらいして僕がノーベル文学賞をもらい、
スウェーデンの街角の本屋さんで黒バック金文字で「HOENAGA」と書かれた書物が
売られてる様をご想像なさい。
もちろん国内ではセンセセンセの大合唱ですよ。
そんなある日、「関西一週間」ぐらいのまあカジュアルな雑誌をぺなぺなめくってて、
ある若手芸人がコラムというかエッセイというか埋め草みたいなの書いてて、
で、それが「むむ。」と思うような出来で、「センスあるな」と思ったとしましょうよ。

でもそこで、その芸人さん宛にファンレターは出せませんわ。
いろんないろいろが邪魔してね。
この、手紙出す、っていう行為に簡単に出るところが、スゴイ。

感動したものに声を出す。
めちゃめちゃ簡単なことなんですけれど、そんな簡単なことが容易にできないぐらい、
我々はガンジガラメになってるんですよね。
まずはそういうものから、自由にならねば。
同じことは、太郎先生なんかよりずっと簡単にできるはずなのに。
負けてられませんぜ。

---

ま、この本は金言集みたいなものなので、すぐ読み切れます。
どれもいい言葉なんですけど、(選は敏子さん)
中でもいいのは「音痴」の項。
「下手でもいいから明るく堂々と歌い上げるんだ。
 ふんぞり返って、羨ましがられるぐらいに」

表現の基本はこれですよ、これ。
垢ついてくると忘れがちな、でも一番大切なココロ。

以前、「たくさんの応募作品を審査する」という実におこがましい立場に
あったことがあるのですが、その時読ませていただいた一本に、
どうにも心に残った作品があります。
その作品、
技術はダメもいいとこ、設定も荒唐無稽、つーかどこになんのために応募してるか、
もう12回募集要項を声に出して読め、というようなアレなアレだったんです。
中身も妄想もいいとこで、まあ小学校中学年の男の子の、ヒーロー願望そのまま。
もちろん商用にはなりませんし、Webにあってもいわゆる苦笑系。

でもねえ、その人、ほんとにそのヒーローが好きで、大活躍させたくて、
実際大活躍させてて、ライバル達を悔しがらせて、ヒロインに惚れさせて。
簡単に言えば、
「実に楽しそうに書いてる」
んです。
それが、伝わる。
だから読んでてもイヤな気分全然しないし、「ああ、ダメだこりゃー」とか言いながら、
実際ダメなんですけど、でも顔は笑ってる。
そしてあまりに自由闊達な筆さばきに、ちょっとだけ、悔しい。

やっぱり、これですよ。
半分は、これ。

残り半分が、技術とかネタとか構成とかキャラ立てとかなんとかかんとか。
もちろん残りの半分が大切な差別化点なんですけど、
なによりまず、この気持ちこの熱い情熱が無くしては、
いいもの――人に羨ましがられるようなもの――は、つくれっこないんですね。

上手い文章書ける人はゴロンゴロンいます。
でも、「あ、くそ、コイツ楽しそうに書いてやがる」と思える人はやっぱり、
そうはいません。
自分が笑ってないと、他人も笑わせられないような気も、ちょっぴりします。

ということで今日も、
下手ですが明るく堂々と書き上げてまいりたいと思います。
ふんぞり返りながら(笑)

あ、そうそう、岡本敏子さんというのは公式には太郎先生の「養女」なのですが、
まあなんというか兼妻兼母兼妹兼アシスタント兼マネージャー、
とどのつまりは50年間いや没後もなお「TARO」を支え続ける
最強のパートナーです。

羨ましい。

ちなみに差は15歳。

……17か……
うむ。


2/15 のどあめとか

ちょっと風邪をひいてふさいでおりました。
北海道から帰って旅疲れで風邪気味、ようやく治りかけたのを
「闇王だー」と祝杯を上げてすっぽんぽんで踊ってみればぶり返し。

自業自得_| ̄|○

ということでここ2、3日、のど飴なめなめのど飴なめなめ。

今一押しは
・森永「鼻トールメントール」
痛い喉にぴったりです。
メントールで鼻スキリー、甜茶エキスでちょと苦め、
甘くないので連続食用が効くのです。

・UHA味覚糖「e-maのど飴」
も昨シーズンから愛用してるのですが、
(コンビニ行くとすぐわかります、丸い透明のケースに入ったヤツ)
今シーズンはノーマルをあまり見かけなくて残念。
シトラスミントはちょっとスッパめなんので、好き嫌いがわかれるかも、です。
これは使いやすいケースと一粒サイズの小ささから、
手軽に何個も続けていけるのが特徴です。

プラボトル入り「XYLITOL」がどうも当たったらしく、(私も愛用しております)
味をしめた
・ロッテが「のど飴」をボトルにしてます。
てっきりお馴染みのアレだと思ってパッと買ったら
「ハニーレモン味」という甘ったるいもので、ちょっと難儀してます。

毎度のお話ですが、
甘味料では味的にはお砂糖(とその起源の甘味料)にかなう甘味料はなく、
特に日本人はそれ以外の人工甘味料にかなりシビアな民族らしいです。
美味いマズイは別にして、飽きるんです。
アクエリアスが甘みを砂糖系へ戻したり、
ロッテも伝統のシリーズの「板」ガムではノンシュガーをうたわないなど、
メーカーも苦労しているようですが、
一旦なめ始めると連続でいくつもなめがちなのど飴はなおさら、
ここがひっかかります。
何個かなめてるうちに、「もういいや」と手が伸びなくなるんですね。
上述の3種のうち、最初の「鼻トール」はモロに砂糖系。
舐めてみてクセのある味ながら「あ、これ美味い」と思って
ひっくり返してみればやはりそうでした。

しかしここにのど飴ならではの
「常用するからこそキシリトール等々の虫歯原因にならない甘味料の方がいい」
という真実もあって、実に悩ましい。
まあ、おやすみ前に必死こいて電動歯ブラシで磨くことにしますか。

そして風邪をひくたびにおネピア様のお世話になり、
もちろんアイホを見る時は王子製紙を応援しているのですが、
近所のホームセンターではなかなかおネピア様を置いていません。
してみると安売りしなくても売れる強い商品なのかしら。
あるいは関西ではブルドックソースを見ないのと同じ、地域性かしら。

わかる人にしかわからないかと思いますがクリネックスとかエリエールとかとは
「お前ら何やってんだちょっとそこへ並べ」
と正座させたくなるくらいの違いがあり、鼻炎時に
「聞きティッシュ」
をやっていただければネピアだけは選べる自信があります(笑)
シェア的に言うとこの3つで上位を仲良く分けあってるそうですが、
その事実自体がどうしようもなく信じられない。

読売新聞がトップシェアなのと同じぐらい。

そう考えると「いやひょっとしてこれは相性か?」とも思え、
どうも私は「ネピア鼻」のようです。
きっと世には「クリネックス鼻」や「エリエール鼻」の人もおり、
いやむしろクリティカルなのは肌全体がそうであればそう、
おしり
にも「ネピア尻」「エリエール尻」などがあり、
もしそういう人を奥さんにもらってしまって買い物を頼まれて
いつものようにネピアのトイレットペーパーを買って帰ろうものなら
「こんなもの人間の使うトイレットペーパーじゃないわよ!」
などと罵声と共にびゅーんとロールを投げつけられてしまうのでしょうか
カウボーイの投げ縄のように。
そうなるとまさか返品するわけにもいきませんから、
身体中に巻き付けてジャミラごっこをした後にお代官様ごっこをやって
「あ〜れ〜」とひんむくしかありませんな。

……もう寝ます_| ̄|○

ひっくしょい。


2/14 闇王

闇王撃破あああ!

……回線不調で突っ立ってるだけでした。
これ以上ないココイチバンだったのに……

……ああ……ぜづない……

え?
バレンタインになにしてるんだ、って?
いやちゃんとLSの男性陣に殿様おにぎりを配りましたよ?
難しい英語で言えばTonosama R. Ballですよ?
調理師範のこの私らしい、心のこもった手にぎりの……
え?
そういう問題じゃない?
じゃどういう問題だっていうのよッ!!

ま、今日はこういうネタをやっとかないと、な日なので一応。

---

闇王、というのはFF11のラスボスです(キッパリ)
いや実はその後2段階ぐらいいかにもスクウェアらしく
「いや実は」「いや実は」と続くのですが、サービスイン当初から
「あいつが!」(当時はとても倒せなかった)
と言われていたのが彼で、ようよう倒せて幸せです。

もう思い残すことはないです。
いや辞めませんけど。

自分でもしつこいと思いますがやっぱり、やり始めたからには
「ああ、満足」っていうところまでは、粘りきりたい。
それがちょうど、ここ、「闇王撃破」だったんです。
借金やバクチと同じで、途中で「こりゃキッツイなあ」と思っても、
もう後戻りはできず、突き進むだけ。
しかし借金やバクチとは違って、やっていれば、
必ず闇王は倒せるのです。
時間がかかっても、効率が悪くても。

FF11には、そんな大切なことを教わりました(笑)

……まあ、半分冗談半分マジで、現在の累積プレイ時間、
98日と16時間。
100日ですよ100日。
1日8時間平均だとしても、300日、そう丸1年です。

最近、自分を納得させるいい屁理屈を思いついたんです。
「1年間専門学校に通ったと思えば(笑)」

いやまあ、これも半分冗談半分マジで、
ホントにいろんなことを教わりました。
もちろんそれらは現実の世の中のひな形、それもデフォルメかかったものに
過ぎないのですが、しかし、で、あるからこそ理解しやすく顕著でもある、
そんないろいろでした。
経済、それも職人と一次産業と消費者とどれもの立場、
人間関係、初対面のパーティメンバーもLSで長い付き合いの人も、
アメリカン・メンタリティ、なるほどそりゃこいつら世界も征服するわ、
とか、とか、とか。
ジョブもそうですよ、現実と同じく転職しました(笑)
どうにもならない社会システム(FFの場合はゲームバランス)の中で、
自分のやりたいジョブをやり続けるにはどういう工夫やどういう我慢が必要か。
そして社会はある日変わる。
その時奢らずあの辛い日々を忘れず謙虚にパーティのために貢献できるか……

経済学のお勉強でゲーム仕立てのメソッドがあるそうですが、
そんなことやるより、FF11のアカウント与えて
「この世界で金を稼げ」
と放り出す方が、なんぼも経済が身に付くと思います。
よくできたシミュレーションは、時として本当に生命を持ち、
「現実」になっていきます。
特にMMOはいわゆる「中の人」がモロに生身の人間であるが故に、
現実で起きることがほぼ起きてしまいます。
良いことも悪いことも。

そしてくじけそうになった50前後からは、
途中で入れていただいたLSの皆さんに本当にお世話になりました。
人生と同じ、旅は道連れ世は情けです。
人間、助け合えばなんでもできる。
いや、私はレベルが低いので山串焼くぐらいしか貢献できないのですけれど。

ということで、いろんなことを勉強させてもらいました。
これ、めちゃめちゃタイトなゲームですけど、
まあ、やった分の価値はあるというか、
つっこんだエネルギー分の元は取ってると思います。
というかもはやゲームではないようにも(笑)
もう少し甘ければ皆さんにお勧めできると思うのですが、
しかしあまり甘いと、「しょせんゲームやし」と取り組みが雑になって、
得られるものも少ないような気がします。
「真面目にやってよ! 遊びでやってんじゃないんだから!」
というのはFF名言の一つですが、
これぐらい必死になっちゃうぐらいでないと、
人間、脳も身体も回らないようです。

始めてすぐ、
「こんなものに大学生の時に出逢ってたら、
 人生道を踏み外していただろうな」
と思ったのですが、
よく考えれば出逢っていなくても踏み外しており、
出逢ってればこうしたいろんな事を勉強出来たかもしれない、
と思うほどです。
まあ、物事にはなんでも、裏、表があるということで。

ま、結論としましては。
「あー、楽しかった」

ヒュム♀ 3A(説明書顔) S バストゥーク ランク6
・主要ジョブレベル
黒魔道士 61 戦士 41 白魔導士 38 赤魔道士 34
・主要合成スキル
調理92 釣り49 木工19 骨細工10
・総プレイ時間
98日と16時間
リピートアフタミー
98日と、16時間。


2/13 PowerShot Pro1

これは少し欲しいかも。

カメラはいっちょ噛みしてみた挙句、
(どのぐらいかというとKiss買って安物レンズ3本揃えて
 CONTAX G1を買う寸前まで行くぐらい)
「ああわしゃ写真撮るのに向いてない」
と諦めてしまった口なのですが、
先日札幌旅行に行って友人の撮ってくれた写真を見て
「ああやっぱり写真っていいなあ」
と(笑)

写真って、面白いことに、誰が撮るかだいたい決まってきますよね。
ウチらの仲間ですと、M澤先輩とg石アナがばしゃばしゃ撮ってくれるんです。
J也さんも好きな方かな。
あとは鉄心さんの写真好きには結構脱帽もので、
狭い屋台で焼き鳥食べてる時にこれっぽっちも面倒がらずに
オリンパスのデカモノを引っ張りだす様には
「あなた昔写真部ですか?」
とツッコミを入れそうになります。

語り尽くされてることですが、
その場の感動や驚きを精一杯味わうために、
写真を撮る、という行為はノイズでしかないわけです。
しかし、例えば集合写真などは特にそうですが、
「よし写真撮るぞー!」
という時に行われるアクション、
いいアングルを考えたり、改めてその風景をよく見たりする、
そんなこともその感動をブーストするのに役立つわけですし、
もちろん、タイムシフトさせて感動を長持ちさせる、
あるいはその場では見過ごした何かを発見できる、
そうした喜び楽しみもあるわけです。

そして写真は、時に巧まざる真実をも写し出す(笑)

今回の旅行でも、羊ヶ丘でクラーク先生の前でセルフタイマーで
撮った4人の写真が実によくできてて、
M澤さん、博士、僕が偽クラークポーズをてんでバラバラにとって並んでるその後ろ、
丁度僕と博士の隙間から、クラークさん(の台座)にぶら下がってる
J也さんがちっちゃく写ってる。
なんというか、普段の立ち位置が突然映し出されたみたいで、
やったらおかしかったです。

そういう、
「見えない真実」
を写し出せるようになると、写真っていうのはすごく面白いんでしょうね。

それには、どういう姿勢が必要なんでしょう。
まず(シャッターを)切る、とか?
巧まざる部分に何かを求める、それはバクチですが、
でもバクチは打たなければ勝てない。
そういう「匂い」を嗅いで、シャッターを切るのかな?
陶芸とかあっち方向。
いやしかしスタジオカメラマンの方とかは、もっと作り込み系のような気もするし……
いろんなタイプのカメラマンが、おいでなんでしょうね。

もっかいちょっと、あの物体を片手に持ってみようかな、と。

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安物一眼レフと軽快なデジカメを所有した経験からいいますと、
カメラの描写力というのはレンズです。
画素はかなり関係ない。
だもので、描写力欲しい方はでかい口径の明るいレンズつけた、
大型機を買わざるを得ません。
逆にデジカメならではの軽快なハンドリングを求める方は、
必要以上に画素にこだわってエキストラコスト払わなくてもいいかと。
……なーんてエラソウに言わなくても、携帯カメラ等々で
デジカメ力を思い知ってる皆様の方が、
モノ的な要素に引きずられてミスチョイスをしてしまいがちな
古いメカマニアよりよほどしっかりした選択をなさってそうです。

PowerShot Pro1の気に入った点は、
・レンズが28-200という非常に使いやすいズームである。結構明るいし。
・なんといってもキヤノンユーザー垂涎のLレンズ。
・ホットシューや2型液晶のサイズから見て、このクラス
 (NikonだとCOOLPIX8700、SONYだとCyber-shotF828
 ではかなりコンパクトなサイズ。
・マクロも充分実用になりそう。
・割とカッコイイ。
てなところでしょうか。
これ一丁あればカメラでは困らない、という感じがします。
お値段はまあ……いいじゃないですか。
一生モノだと思えば。

……てのはカメラでよく使われる罠セリフで、
カメラ好きの家には「一生モノ」がたくさんあるわけです。
よく考えれば誰も「一生それ一つで」とは言ってないわけで嘘はついてない……

今さらCF、というのも上位機種を多く持つキヤノンの場合
しょうがないところがあって、要するにMicrodriveなんですね。
1GBのフラッシュなんかもなんとか手の届く範囲に来てるとは言え、
まだあの資産は捨てるには早い。
IXYの新ラインナップなんか見てると苦悩が読み取れます。

ま、これは発売されればいや発売前にでも、
歴代PowerShotGシリーズを使いこんできたスタパの兄貴が
レポしてくれると信じてるので、それを待ってみましょう。

え? ネコに小判?
小判だからこそ欲しいんじゃないですか何を今さら(笑)


2/12 イラク戦

なんなんでしょうね、軽い燃え尽き症候群なんでしょうか。
それでも完封して勝ってるやん、といえばそれはそうなんですが、
坪井ちゃんの凡ミスやイラクにいいようにプレス掛けられてたり、
俊輔投入まではなかなか辛い試合でした。

やっぱり中盤低めと高めに大展開のできるカードが1枚ずつは必要で、
つまりはヒデ・シンジ・俊輔・稲本のうち2枚は用意しないとお話にならないのが
今の日本の攻撃のようです。
2点とも要するに三都主なんですが、左サイドバックをあそこまで突出させて
自由にやらせられる環境を作れる相手、
というのは逆に言えば何をやっても勝てる相手ではないでしょうか。
三都主がいい悪いではなくて、(トルシエも最後の最後で夢を見たんですが)
サイドバックもしくはウィングバックをああいう使い方(サイド縦アタック専門)
できる、っていうのは、普段からそういう戦い方に最適化してる、
オランダ代表かスペイン代表でしかありえないのではないでしょうか。
強豪もしくはいい感じの相手にあれをやろうとしてもそりゃ絶対ムリで、
こればっかりやってると結局、強い相手に特に三都主サイドをねらい打ちされた時に、
攻め手を完全に失ってじり貧になる気がします。

そこでサイド変えられる選手が居ると右へ振る、という選択肢もありますが、
今回はそれは俊輔出てくるまでなかったですね。
特に低めから長いの蹴れる選手が欲しいところで、
もちろん福西も遠藤も素晴らしいボランチですが、
福西は自身の攻撃力が、遠藤はバランス感覚と運動量がより光るタイプなので、
その二人並べるとボールを動かす、という意味では今ひとつ。
(だからって国内に他にカードがあるのか、と言われると困るんですけど)

結局、やろうとするサッカーに合ってないスタメンでなんぼ試合やっても、
トレーニング効果はあまり上がらないのかも。
本当にいいチームはどんな敵どんな面子でも戦え、そして成長していけるものですが、
まあそこまで言うのは理想論に過ぎますし……

柳沢と久保のコンビもイマイチ。
久保ねえ。誰と組ますかって話になると困るフォワードですねえ。
一般論で言えばちょこまかかき回すタイプが合うように思いますが、
本山にしろ大久保にしろ、A代表での実績がなく……
高原と柳沢がいるので、よっぽどのことがない限り
久保+誰か、という、「久保軸」でテストできないんですね。
しかしこの人をサブ扱いするのはもったいないと言えばもったいない。
途中投入で生きるタイプでもないし。
なんとかならんもんでしょうか。

まあ、1次予選は天変地異でも起きない限り、
このままのんべんだらりんと勝ち切っちゃうと思うんですが、
その後がちょっと不安。

大変失礼ながら、TV見ながら
「ああ、いいサッカーの試合が見たい」
などとスカパー!のWebを拡げてしまいました。
ユーロ2004もあるし。
W杯までの日本代表の試合観てる時には、こんな気持ちにはならなかった。
勝つも負けるもどきどきしながら、高校野球で地元を応援する気持ちになったものです。

アジア2次予選を「チャレンジではない」と言えるほど立派な国では、
まだ無いような気がします。
相手あれですよ、こないだまで戦争してて、サッカーどこじゃなくて、
芝はおろか土のグラウンドもろくにないような国ですよ?
そこにあれだけプレス掛けられてボール奪われてちゃあ、ダメでしょう。
なんか五輪世代の変な病気が伝染ったみたいな。
向こうは治りつつあるのに(笑)

モチベーションの先は海外移籍でも金でも名誉でもなんでもいいので、
(そういう連中が全部行っちゃったという話もあるが)
もうちょい、剥き出しでいっていただきたく。

がんばれ、日本代表。


2/11 小銭の呪縛

170円の市電についてもう少し考えてみました。

長崎市の市電は100円でずっと黒字経営をしているそうです。
もちろん長崎の街はとても狭い上に急坂が多く、
市電に有利な地形なのですが、(というよりも自家用車が弱い)
それを差し引いても、この御時世でもそういう経営はちゃんと成り立つわけです。

多少サービス気味とはいえ、13500円で運転手1時間拘束して
貸し切り列車1本走らせることができるのなら、
「単価下げて客を取る」
という方向は思ったより成り立つかもしれない。
やらしい話ですが市電・市バスの場合は最後は税金投入があって、
きめ細かな路線と使いやすいタイムスケジュール、
そして100円ぐらいで利用できる交通手段であるならば、
常軌を逸した赤字でもないかぎり「しょうがない」と思えるような気がします。

大阪にも「赤バス」という小型低床バス(ルノー製)が、
主に幹線系ではもったいない、しかし需要はある、
例えば駅から病院などの地域循環ルートを100円で回っており、
見る限り割と使っている人もいるようです。

ひょっとすると、バスや市電ってこんな感じでいいのでは?

アムステルダムのトラムや、パリのメトロは、
外国人にもすぐ使える使いやすさでした。
大きいのは均一料金体系とその安心感じゃないでしょうか。

路線図なども、全情報を正確に……という気持ちはよくわかるんですけども、
ごちゃごちゃしすぎて一体なにがどうなのかわかりにくいですよね。

すでに本格的に高齢者の割合と数が凄いことになってきてて、
例えば平日昼間の美術館なんか行ってみても
おばちゃんおじちゃんが雲霞のごとくトルコの秘宝に群がっているわけです。
ますます都市部の公共交通を充実させる必要に迫られてるわけで、
そんな時に必要なのは使いやすさと安心感。
それにはやっぱり、お釣り必要な料金だったら釣り銭の出る料金箱や、
間違えたら怒らない運転手さんが必要なのではないでしょうか(笑)

あるいは車掌はバイト。若い子。
鉄道マニアの中学生ぐらいの男の子なら600円/hでも
喜んでやってくれるような気もしますよ。
下手すれば休み期間ならボランティアでも。
そのぐらいの男の子ならまだ可愛いですしねえ。
札幌なんか観光都市なんだから、路線と時間限ってやってみるとか。

いやほんと、スル関のカード使えるようになっただけで、
ずいぶんバスに乗ることの抵抗なくなりましたもん。
バス会社の人が思ってるよりずっと巨大ですよ、
小銭の束縛というのは。

あと、やっぱり本数かなあ。
市電・バスって例外なくもんのすごい待たされますよね、
吹きさらしの路上で。
あれが辛い。
あれもなんとかならないかなあ……
抜本的には本数増やすしかないのでしょうが、
なんか方法がないものでしょうかね。

それでも大阪市営交通局などは、前述どおりスル関連携だったり
(当たり前ですが地下鉄に乗り継ぐと、勝手に割引き料金を適用してくれます。
 最初それ知らずにキップ買ってました(笑))
次のバスがどこ走ってるか表示してくれる高機能バス停があったり、
赤バス走らせたり、Webに全バス停の時刻表載せてたり、頑張ってると思います。
もう一工夫二工夫あると、もうちょっと見直される気もするのですが……
ハイブリッド・バスで低騒音低振動とかどうかな?

ヨーロッパの都市が都市としての魅力に溢れるのは、
中心部ではクルマに大きな顔させないから、というところがあると思います。
市電・バスの活躍の場はこれからではないでしょうか。
ちょうどシネコン以前の映画館のような古くささを感じます。
ほんのちょっとしたことなんですよ。
シネコンつったってやってる映画同じだし、料金同じだし、立地だって同じだし。
でも、それでぐーんと映画見やすくなって、見る人もどーんと増えたわけですよね。
だからってメイド姿の若い女の子乗せてワインをサーブさせろ、
とは言いませんが。

どこかにブレークスルーが、ないもんでしょうかね。


2/10 刺激雑感

刺激というのは大切なもので、
やっぱり同じ景色ばかりみてると馴染んじゃって
脳が働かなくなるんですね。

昔、港湾で荷揚げ下ろしを仕事をしてる方々の
運動能力を調べた結果かなにかをどこかで見たのですが、
あんな毎日毎日、20キロ30キロじゃきかないような重い物を
何度も何度も運びまくってる人達にもかかわらず、
いうほど筋肉は発達してなかったそうです。
「これぐらい」というコツを身体が手にしてしまうと、
あとはサボる一方なんですね。

ということは、同じ負荷を続けるよりは、
できればプラス側、いやたとえマイナス側でも
「変化をつける」ことがとても大切。
でないと負荷掛けて鍛えてるつもりになっても、
実は現状維持でしかなかったり。

雪景色の札幌の街、歩道はロードヒーティングでむしろ乾いているのですが、
怖いのは横断歩道の、歩道と車道の境目あたり。
車道側の雪が溶けて流れて冷えて氷になって、
でも一見乾いた道路に見える。
そんなところを避けたりできるだけ上から踏みつけるように歩いたりしてると、
普段の散歩ならなんということもない距離でも非常に疲れました。
今も脚の、変な部分が軽い筋肉痛です。

でもそれは、普段使ってないところを使えて少し嬉しかったりもして。
と同時に旅に出ると、頭の方も普段使ってないところを使いまくるので
そこが楽しかったり。

負荷は量も大切ですが、質的に変化させることも、同じくらい大切ですね。

---

■「五輪書」 宮本武蔵

「水の巻」では具体的な剣さばき身体さばきに言及しているのですが、
武蔵の剣はさすが実戦剣であって、
「相手を倒す」
ことに第一のプライオリティが置かれていて、
そのために剣と身体を使うんですね。
剣は身体の一部というか延長であって、
剣のために身体を使うのではない。

剣術というと我々素人には剣と剣とが華麗に火花を散らす様ばかり
連想しがちですが、そうではなくて人間の肉体のぶつかり合いの、
その接点に剣があるに過ぎない、わけです。

全ての動作は「敵を斬る」ためにあって、それを忘れてはならない。
非常に当たり前マキシマムなことですが、
人間は根本にあることほど、忘れがちです。
商売は信用第一、とか、食べ物屋さんはまず味、とか。
僕らだとまずなにより「おもろい」でしょうか。

---

中田がボローニャに移籍して自身のWebページで
「やっぱりクラブの大小とかそんなのどーでもいーや、
 納得出来るサッカーができないと!」
「俺はやっぱりボール触ってリズム掴んでくタイプだ!」
と実に楽しそうに書いており、
実際結果も出しててあっと言う間にボローニャの中軸になってしまったようです。

大いなる刺激が加わると、本来の姿を思い出す。
刺激の前に急な対応を迫られると、人間は一番素直な、基本的な、
自分に合った対応をしようとするのではないでしょうか。

生死を賭けた真剣勝負も、
チームスポーツでシーズン途中でチームを変わるのも、
結果としてその根本大本大基本を思い起こさせてくれる。
ですが我々ぬるーい日常生活にまったりほっこり生きてる人間には、
そういう機会はなかなか得られないものです。
自らそういう意識で、そうした刺激を求める小さな積み重ねが必要です。
朝の散歩や腹筋と同様。
それがないと現状維持すら難しくなる。

できれば刺激も人工物ではなく天然からの方がよく、
旅などは最高です。
わかっちゃいるんですが最も刺激的だからこそ億劫になりがち。
だから少しでもキッカケになることは逃しちゃいけないな、と思う札幌旅行でした。

いっぱいいっぱいのつもりでも、
実は大量に余らせてる部分があり、
一歩離れてもう一度取り組んでみれば、
「ああなんだこんなに余裕が」
ということも多いようです。
そういうズームレンズみたいな視点の機動性を養うにも、
旅のような心体全体をシャッフルしてくれる刺激は最適のように思います。

旅らなくてもそういう刺激を得ることができればいいのですが……
しかしお手軽に手に入る刺激はまた、例え強烈であっても
頻度が高いが故に慣れてしまうおそれも大。
難しいものです。

またそこばっかりこだわっても、それは武蔵の言うように意味のないことで、
全ての道は「斬る」という一点に繋がってなければなりません。
逆にそこに少しでも寄与することであるならば、
なにをやってもよいわけで。

で、毎朝それをお祈りのように唱えてみる、
なんてことも考えられうるのですが(笑)
しかしそれも習慣になってしまった時点で、効力を大幅に失うんですね。
我らがコリン=ウィルソンは結局そのことばかりを
徹底的に書き続けている人なのですが、
さすがに慧眼で、この刺激に対する慣れ、その慣れ具合自体を
コントロールできるようになれば、
それはものすごいいろいろと……
いろいろと、なんだろ?(笑)

まあ、例えばいつでも庭の花見て感動できたり、
朝の腹筋でいつもと同じ回数だけど痛くなるまで鍛えられたり(笑)

そそ、天下のロベルト=バッジオが
「この歳になるとモチベーションを維持するのが一番大変だね」
なんて言ってる記事を読みました。
あのバッジオが、あの天才があの芸術家が、
そんなことを言うわけです。
刺激に対する慣れ、という悪魔(もちろん別の側面では天使でもある)
に対する戦いは、生涯終わることなく続くようです。

外的にシェイクしてリセットを掛ける方法、たとえば旅。
それに対し内面から同じことをする手段は、
いかにも非科学的で多少健康的ではありません。
というよりも、結局はヨガでもなんでも身体側のアプローチの助けを借りて、
無理からセンサーの感度を上げ周波数を変えて拾ってるような気もします。
その無理っぽさに我々はうさんくささを感じずにはいられないわけですが、
しかしそれが昔から有効な手段だったと言われればそれもそう。

でも、もうこんな21世紀、そういう古典的手段ばかりではなく、
フィットネスな感じで心のリセットを……

と言い出すとどうしてもヤバイ方向へ行きそうなので、
そんなときこそカール=ゴッチ張りに
「己の力で己を鍛える」
そう、それこそが大妄想。

「……おみやげは?」
「ほっけ。しまほっけの開き。佐藤水産で700円」
「……」
「ほっけ嫌いだっけ」
「……嫌いじゃないよ、嫌いじゃないけど……」
「うそうそ。はい、ロイズの生チョコ」
「ぁあ……
 ……もぉ。いじわるなんだから!
 忘れたかと思ったよ」
「んなわけないだろ、空港で買うまで気になってしょうがなかったんだから」
「うそばっかり。
 ……あ、これ、オーレだ……」
「ん、間違ったか。一番スタンダードなヤツを頼んだのだが」
「ううん、あのね、いいんだけどね、
 これはお酒が入ってるからね、たくさん食べられないの」
「ちょっとずつ食べればいいじゃないか」
「あまり日持ちがしないから……はんぶんこ、しよ」
「よかろう」
「ふふふふふ……ひとつずつはんぶんこ」
「ま、またそれですかぁ!?
 これは一切れのサイズがあまりにも小さすぎます先生!
 こんなものそんなことしたら最初からそうです!」
「にゅふふふふふ……それは一層好都合」
「あ、ほらそんなに乱暴に扱うとカカオの粉が、粉が」
「りゅふふふふふふふふ……よいではないかよいではないか」
「た、助けてカカオの精〜」


ほうら、リセットが。

もう寝ます_| ̄|○


2/9 北の大地へ3

3日目。
前述通りホテル(の下の居酒屋)の朝食で牛乳に大ショック。
一通り和セットカッ込んだ後にもかかわらず、2杯半飲んでしまいました。

今日の予定はダラダラと札幌観光。

待ち合わせて市電に乗る。
フトポスターを見ると、市電一両貸し切り宴会をやっている。
13500円と書いてある。
僕はてっきり一人頭13500円と思い、J也さんは一両一回がそれだと言い張る。
口喧嘩してても埒が明かないのでJ也さんが運転手さんに聞いてくれた。答えは
「一回です」。
帰って調べると阪堺電車では55200円でした。
昔、このサービス始めた時にニュースで「15万」とかいう数字を
聞いたことがあるのですが、あれは飲食費込みだったのかな。
でも安すぎる。
逆に言うとそれだけあれば運転手代と電気代が出てるわけで、
電車って効率いいんだなあ、と改めて感心……
というかホントにそれで1時間の運転手さん出てるの!?
赤じゃないのこれ!?

しかしそこで己の見識眼の高さを誇ったりしないのがJ也さんのいいところで、
「こんなに天気良かったらスキー行きたかったなあ」
などととぼけたことを言い出す始末。
このセリフ出た時に、前日J也さんのためを思って3時間で切り上げた
スキー大好きーのM澤先輩がピタッと2秒ばかり止まったのを
見逃しませんでしたが、そこはそれM澤さんも労組経験を経て
わがままオヤジのあしらいスキルをキャップ近くまで上げており、
「まあ、天気によってスキーの予定を立てるのは大変だから」
となだめる様に人間の成長を見ました。

人間というのは面白いもので、
誰か酔いつぶれると普段酔いやすい人も酔いつぶれにくくなります。

そう、成長といえば1日目遅くの2次会3次会でも
メインキャスターと化したg石アナの戦闘力は帰りの飛行機も待ってくれないほどで、
主に新婦側ご友人達を爆笑大盛り上がりの海に放り込んでおり、
そのあまりのテンションといつもと違う芸風に
「ああ、結婚もしたことだし、
 ああいう一般ウケするやり方へシフトしていくのかな、
 僕らのげんちゃんは旅立っていくのかな」
と少し寂しく思っていたのですが、
会がはけると「疲れた……」とポソリと漏らしフラフラと雪道を歩く始末。
右にも左にも打ち分けようとするその努力にプロの魂を見ました。
あんたはエライ。

そんなこんなでやりこめられてちょっと悔しい僕は、
『黙っていればいずれ小さなポカを犯すはずだ。
 その時鬼の首を取ろう』
と狙いを定めているとJ也さん、案の定170円の料金のところ200円を
料金箱に放りこみ、運転手さんに怒られてみたり。

しかしこれに限って言えばいつも思うんですが
この御時世におつり出ない出しにくい料金箱あるいは料金システムを
取ってる市電達こそが努力不足で、狂ったように
「両替はお早めに」
というアナウンスを毎日何千回毎年何兆回も流す労力と手間と
失われる時間を考えれば、多少イニシャルコストかかっても
ちゃんと自動でお釣り出る新型料金箱設置した方が
なんぼも効率いいと思うんですがいかがでしょーか。

市電とかバスとか乗る時、いつもこれが気がかりで気がかりでなりません。
しかもミスるとこの運転手さんのように親の敵みたいに怒るでしょう。
そりゃそっちにしてみりゃ超常識でしょうけれど、
エトランゼにとって他都市の市電やバスほどの魑魅魍魎はなくて、
前から乗るのか後ろから乗るのか、金はいつ払うのかどうやって払うのか、
整理券は取るべきなのか取らなくてもいいのか、
なにからなにまでみなわかりませんよね。

市電である以上サービスなんだから、
お客利用しやすいようにしてほしいものです。
つーか少なくとも怒るな。こっちは客やぞ。

要するに運転手という職人と車掌という接客業、
まさに水と油が一体化してるところにワンマンバス・市電の無理がありますな。
料金箱の上にQRIO置いて、そっちに接客してもらおう。

---

てことで博士の新型レガシィ(ワゴンNA・5MT・黒というマニア仕様)
に拾ってもらって羊ヶ丘へゴー。

水平対向の音が無くなったのは寂しいような、しかしすごく静かなような。
あと1000キロも走ってない新車だからかもしれませんが、
NA2リッターにはあのシューズは大きすぎる気がします。
サスが固いというより、足元がドタドタする感じがちょっと。
最近の新車は際限なくタイヤサイズが大きくなる傾向にありますが、
ほんの10年前はGT-Rも16インチを履いてたことを考えると、
あまりやりすぎるのはどうかと。

しかしその2点を除けば(新車にもかかわらず)いいクルマでした。
後席の居心地はこないだ乗ったプリウス以上。
広すぎず狭すぎず。
ノーズ切った時の、横置き直4FF車では考えられないスムーズな荷重の動き、
ロールのナチュラリティ、乗員に与えるストレスの無さは特筆モノで、
レガシィの魅力はここに尽きてるのではないか、と。
僕が買うなら?
んー、ターボよりNA、で、ATかなあ……
できれば6気筒がいいのですが(フラット6は完全バランス)、
あの6発はまるっきりトルク出てないダメエンジンらしく……
先代までは「好き者用」という気がしましたが、今の代はもっと一般向けです。
それを魅力と取るか堕落と取るかは人それぞれだと思いますが、
普通の人が普通に乗るなら先代までよりこっちのがいい。

そして羊ヶ丘ではもちろんのように
クラーク先生の前で変なポーズ集合写真。
北大にも「クラーク像」なるものがあり、駅から徒歩で行けることもあって
観光客が行ってみればそこにあるのはフツーの胸像でガッカリする、
というのが札幌の風物詩だそうですが、
こちら羊ヶ丘がお馴染みのアンビシャスポーズです。

ぜんぜんどうでもいいことですがTOKIOのやってる
「BE AMBITIOUS」のCMって新幹線のCMだから、
ひょっとすると札幌の人は知らないのでしょうか。
全国ネット放送が映るから、んなことはないか。

さんざん雪で遊んでからレストハウス。
一休みしてるとその裏に小さなスロープとソリ、そしてそこで遊ぶ子供達。
「すわ」
と言うことでM澤先輩とJ也さん、そして私がイヌのように転げ回って
遊ぶ様を博士が暖かく見守ってくれました。

ソリというのは、非常に面白いものですな。
滑走の快感はスキーでも味わえるものですが、
なんと言っても視点の低さがよりスピード感に直結し、
バンプで跳ねるごとに乗員の視点がガクガクするところがまた楽し。
「4人で組んでボブスレー乗るか!」
とクールランニングなことを思ったりしました。

スケルトン・スタイルにもチャレンジ。
あれね、思ったより怖くなかった。
仰向けスタイルは、腹見せてる分防衛本能働くかも、と思ったぐらい。
ま、もちろん超短距離壁無し低スピードですが。

---

お昼は今、札幌で話題沸騰のスープカレー。
文字通りしゃばしゃばの、しかしスパイシーなカレースープ。
タケノコのように生えて来つつあるスープカレー店でも有名な、
「Magic Spice」というお店。

美味しかったです。
でも全国区にはなるには時間がかかるかも……

完全に類推するもののない新しいジャンルの食品なので、
人々に美味いマズイの基準ができていません。
スパイシーなスープ、ってトムヤンクンか辛目のチゲしか知らないですよね、
我々は。
ましてそれをご飯に掛けて食べるという様式は。
そこでまず、食べてもらうのにハードルが高い。
そして食べても、逆に「カレー好き」には気に入ってもらえないかもしれない。
カレー好きの好む要素、ルーのコクであるとかごはんと絡み合う喜びとか、
そういう要素が欠けていますので。
ココ壱とかでメニューに載ると、一気に市民権を得そうな気もしなくはないですが、
「スパイシー汁物」
が果たして日本人に受け入れられるかどうか、
ここが一番のポイントでしょうか。

食品としては美味い、と思いましたし、
スパイス系ですからクセになる系の食べ物です。
ハバネロとかあそこまでキツイお菓子に人気が出て、
キムチ鍋がここまで一般化しちゃう御時世ですから、
案外いけるのかも。

あ、このお店自体はめっちゃ同人誌のノリで、大好きです(笑)

---

その後北大見物。
売店ではクラークグッズ花盛り。
早稲田、慶應、同志社といった有名私大の素敵なところといえば、
大学の成り立ちとそこに寄与した人の顔がはっきり見えるところで、
慶應の人々が「先生と呼べるのは一人だけ!」と吼えるのを聞くと
「何を愚かなことを」と言いつつも半分は羨ましかったりするものです。
国公立大学には通常、そういう要素がほとんどないものですが、
こと北大といえばこの人。
まさに「学父」のような位置におり、かつ短期間で風のように去ったが故に
後世に変な重しにもなっておらず、
それは彼にとってももちろん学生にとっても、幸せなことだと思います。

有名なポプラ並木は、今は立ち入り禁止でした。
ポプラというのは寿命が100年ぐらいしかないらしく、
それを超えてしまい実際倒木が起きたりして危険になったからだそうです。
冬でもちろん葉を落とした姿でしたが、
それがズラリと並ぶ様は、なかなかのど迫力。
夏の姿を見てみたい、と。

あとは博士のお部屋(もちろん助教授様ですからお部屋あるわけです)
にお邪魔して
(もちろん洋行帰りですからPCの前にはワイフの写真が飾ってあるわけです)
コーヒーをいただき、
「ステキ書斎は男の夢だ」
ということを再確認。
M澤先輩と「ビルでも建てるか」と妄想しました。
「僕にペントハウスちょうだい」
「じゃ俺は地下もらう」
「むむっ」
地下ガレージでクルマ弄るのもいいなあ……
あとは溢れるばかりの書庫とAVルームですな。
立花隆先生のネコビルに負けない一本を……
いや、ビルの数え方が本かどうか自信はないのですが。
アホ連一人1フロアだとすると、10階建てぐらいかしら?
でもビルの規模的には5-6階、階段で上りきれるぐらいが適切かなあ。

とかね。

---

ということで、あっと言う間の札幌滞在もここまで。
昨日もお邪魔した「佐藤水産」にもう一度行って、塩辛としまほっけを買いました。
飛行機の時間は1時間半ほど僕の方が遅かったのですが、
ま、電車の中も寂しいし二人と一緒に。

ありとあらゆるところへ連れて行ってくれた博士に大感謝しつつ
乗り込む混みまくり快速。
行きの電車ではあんなに
「仕事も! 妻も子供もいない! この48時間! なんて解放感!」
などと叫んで喜びまくっていたJ也さんも、
時間経つにつれて「おかあちゃんがR太が」と口にしながら
電話機を握りしめることが多くなり、
帰りの電車ではほとんどその小さな液晶画面を睨んでおりました。
お父さんですなあ。

「ええねえ。はよ結婚しーや?」
「『しよう』って言いなさい」

と独身二人アヴァンギャルズで掛け合いながら新千歳。
牛乳とソフトクリームでお別れの杯としました。
やっぱり、美味しかった。

そこからの1時間喫茶店で潰したのですが、
ふと思い立って、北海道帰りと言えば! な
「キタキツネのプリントしてある空港バッグ」
を所望せむとて土産物屋を見て回るも、
どうやらそれ目当てのパチモノばかり。
「違う違う! 僕の欲しいのはオフィシャルのん!」
と探してみればありましたありました。

……イチバン キツネサンガ カワイクナイヨ_| ̄|○

ということで購入中止。
六花亭のボンボンとロイズのチョコを買ってから、
もう一本「サッポロ・クラシック」を飲み、水を買ってお終い。
やっぱり、「サッポロ・クラシック」最高。
ビール大好きの私ですが、缶ではベストの称号を差し上げてもいいかと思いました。

たった3日でも馴染んでしまったのか、
伊丹に着いても寒くなく。
しかし家にたどり着いて自部屋に籠もってみると底冷えがして、
完全全館暖房の札幌をちょっと懐かしく思ったりもしました。

一人旅もステキですが、馴染みの仲間とバカ旅行もいいものです。
「アホ連大結集(含む家族)で熱海旅行〜」
という企画も持ち上がりつつあり、今から楽しみだったりして。

みなさまお疲れ様でした。
M澤先輩ツアコンどうもでした。博士添乗員役ご苦労様でした。
そして閣下、閣下夫人、
お幸せに。

札幌は、いい街でした。
「また行きたい」と思う街です。
今度は小銭を手にトワイライトエクスプレスかな。


2/8 北の大地へ2

2日目。
ギリギリまで寝てたのでホテルの(下の居酒屋でやってる)朝食が終わる時間、
しょうがないのでスターバックスでホットサンドとラテ。
ほら、言ったとおり(笑)
窓の外雪景色でこそ、シアトル生まれのラテが魅力的なのです。

熱帯魚みたいな「私をスキーに連れてって」ルックのJ也さんと、
カナダ・ナショナルチームユニフォームのM澤先輩が
ともに「らしいなあ」と思いつつ、僕自身は弟に借りた(ここが一番僕らしい)
フェニックスのスキーウェア。
似合ってません。
うちの弟さんはファッションセンス良くて、自分にぴったりなものを選ぶので
なにか借りるといつもげんなりします。
バンコランの真似をするパタリロみたいな感じになって。

まそれはいいのですが、地下鉄とバスを乗り継いで、
現地「スノーモビルランド・サッポロ」につきました。

もちろんスノーモビルは初めてです。
簡単な講習を受けていざ出陣。
面子はインストラクターの方を先頭に、
J也さん、閣下、博士、O24さん、私、M澤先輩。
後ろ3人がバイク乗り経験者です。
閣下夫人もお越しですが、女性は別コースでインストラクターさんも
別にお一人つきました。
機種はYAMAHAの実用車、BR250
2スト250単気筒車です。

1時間走り回って感想。
バイクともスキーとももちろんクルマとも違う、独特の乗り物でした。

バイクやスキーと違って、搭乗員の荷重移動で曲がるものではありません。
(上級者や上位機種はわかりませんが)
前のソリで道筋を定めて、そこへ後ろのキャタピラで乗せていくのですが、
キャタピラ部の接地面が大きいので、そう簡単には曲がらない。
ので、大舵角を当てて一気にトルク掛けて強引に曲げる、
という豪快なドライブが一番あってるようです。
スロットルはバイクと違って、右手親指で押す小さなレバーなのですが、
グリップ式スロットルではアクセル調節が難しいぐらい、
大きな舵角をよく使います。

最初、バイク感覚であまり舵角当てずにお行儀よく走っていたのですが、
それよりもギャッと切ってグワッとふかす方が有効だと悟ったので、
そうやって走るとこれがワイルドで楽しい。
あ、オフ車に乗ってる人だともっと馴染めるかも。

でもやっぱりキャタピラ使ってる構造上、
日本の山道をくねくね走るより、
カナダの大雪原とかをびみゃぁーーーっと走る方が
気持ちいいような気がしてなりません。
日本ではムリかも、と思いつつも、そういう場所でまた乗ってみたい。

閉口したのは今はかなり嗅げなくなりつつある
2ストスメル。
一列縦隊で車間距離も短いので、臭くて臭くて。
綺麗な景色とかモビルの運転特性と格闘する前に、
とにかくこれがたまりません。
おかげさまでたっぷり喉鼻を痛めて、この日はその後
鼻炎発作に苦しむことになりました。
もし、モビル乗りに行こうと思ってらっしゃる方がおられましたら、
・フルフェイスヘルメットを持参する
・花粉対策級の本格派マスクを用意する
などの自衛策を取られた方がいいと思います。
#こちらのお店は(ジェットの)メット、ウェア、手袋、長靴まで無料レンタルです。
あと、パワステはもちろんついてませんので、腕はちょっと痛くなるかも。

しかし初めての乗り物に乗れたので、
大興奮大満足。
めっちゃ楽しかったです。
エンジン付きのプリミティブな乗り物、って楽しいですねえ。
わたしゃチキンな科学の子なので、ヨットとかグライダーとかパラグライダーとか、
「自然まかせ」なのはちょっぴり苦手なのです。
ちっちゃくてもエンジンで動いて欲しい。
残るはジェットスキー(プレジャーボート)かな。

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で、バーベキューで羊肉をいただく。
個人的に肉魚のクセはからっきし大丈夫な方、いやむしろ
その方が個性あっていーじゃん派なので美味しくいただきました。

その後M澤先輩とJ也さんはばんけいスキー場にスキーへ。
私と博士とO24さんは市街へ。
今日帰ってしまうO24さんのおみやげ・セレクションで、
大丸の地下をうろついてみたり、「佐藤水産」を見て回ったり。
塩辛好きの二人で塩辛試食しまくって。
やっぱ美味いのよー。
海産物もフレッシュネスが基本だねー。

そして時計台裏の美味しいコーヒー屋さんで一休み。
いやあ、コーヒーはどこの街でも美味い店ありますねえ。
ウェル・バランスドなブレンドで、気に入りました。
ここももう一度行きたいお店。

さて、合流までまだ時間がある、ってことでJRタワーに登ってみる。
アホとなんとかは高いところへ登りたがるといいますが
(だから煙は隠さなくていい)
その通りで、900円払って昇ってみました38階。

つまり38階程度で展望台ができちゃう背の低い街なのです、札幌は。
それが、道の広さとあいまって空の広い、明るい街という
印象を与えてると思います。

昇って嬉しい誤算、夜景がすこぶる綺麗。
凱旋門から眺めるパリ、と言うと言いすぎですが、
適度な高さと、作られた街であるが故に縦横整然とした光の流れが
実に美しい。
都市の中で都市を眺めるのも、
六甲や長崎、函館のように都市の外から都市を眺めるのに
負けないぐらい美しいと思うのですが、
たいてい、都市の中からだと、でかいビルどもが邪魔をするんですね。
それが無い。
ので、美しい。
凱旋門を持ち出したのも、あそこもそんな感じだったからです。

そして特筆すべきはシャレのわかる設計者が用意してくれた、
夜景一望のガラス張り男子トイレ。
気分はマンハッタンペントハウス、世界は俺のモノ。
いや、あそこで小水を垂れ流す権利だけで900円の価値があります。
札幌の新名所かも。

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O24さんと駅で分かれた後、また2人と合流して4人で夕食。
今度は炭火居酒屋。
ここもまた、美味い。
とにかく素材が(一つを除いて)いいので、居酒屋的あまり手を加えない料理は、
なに食べても美味しかったです。
4人でいろんな話をしてゲラゲラ笑い転げておりました。
さんざ食べて4000円。
安い……

で、やはり札幌に来たからには、ということで、ラーメン屋さんで締め。
ところがすすきのの一軒目は人だかりでアウト、
狸小路の二軒目はなんと日曜10時で閉店。
ということで「てつや」という、ラーメンの鬼鉄心さんも行ったという
地元有名店にタクシーで乗り付けることに。

「てつや」、今最もスタンダードなしょうゆとんこつ背脂乗せ系。
美味い。
文句なく美味い。
しかし、「ラーメン」というモノの立ち位置を考えさせられる一品でもありました。

「美味いモノ」って、私見ですが最終的に完成度を上げていくと、
「水のようなモノ」になっていくような気がします。
バランスよく、一気に呑み込むように食べてしまう。
後には「ああ、美味しかった」という感想しか残らない。
それは、パーフェクトコンディションの日本酒の銘酒から、
「こけし」のカツ丼まで、美味いモノ全てに共通する特徴ではないでしょうか。

そして「てつや」の正油らーめんはまさにそういう品で、
スープ最後の一滴までごくごくと飲みまくってしまいました。
実にバランスがいい。
「ああ、美味かった……」と思いました。

しかし、ラーメンってそういうもんでしょうか?
ラーメンに限らないんですけど、いやそれこそフードに限らないですけど、
「ジャンクなもの」に、人はそんなもの、なんといいますか
「完成度」なんて求めてるんでしょうか?
それよりも、崩れる危うさを含みながらも一発本能に響くような、
ガツンとした何か、それが欲しいからこそ、
数ある食品のうちで「ラーメンが食べたい」と夜中発作的に思うんじゃないでしょうか。

もちろんどんなラーメンもあっていいと思いますし、
レアル・マドリードに「サッカーはもっとスペクタクルでなければ」などと
言ってるような気がぎゅんぎゅんするのですが、
「ジャンクであることを捨てたジャンク」
には、モノとしての価値はあれ、ジャンクとしての価値はない。
そんなことを思ったのです。
出たての頃から写真集買ってるマイナーアイドルがブレークしちゃった
アイドルマニアみたいな、そんなほんの一抹の寂しさを覚えました。

しかしジャンクであることと一般的によくできているモノであることは、
両立しえないのでしょうか。
そんなことは決してない、
ジャンク大好きな私はそう思い続けてはいるのですが、
今回「てつや」でラーメンを食べて、
「ひょっとするとムリかも……」
と寂しい予感が胸をよぎってしまいました。

モノとしての完成度を高める、それはやはり「結果として」
各要素バランスを極めていくことになり、
その、どの要素も得点の高いまーるいレーダー図、
それはもはやジャンクにはなり得ない。
イイモノ好きに気に入られても、ジャンク好きのハートを掴みきれないモノは、
ジャンクとは言い難いのでは……

そんないろんなことを無限ループに考えて、夜はなかなか寝つけませんでした。
誤解なきよう繰り返しますが、「てつや」のラーメンは非常に美味かったです。
美味すぎるが故に、そんなことを思ったまでです。

寝つけないので、ホテルで自販機で缶の北海道限定
「サッポロ・クラシック」
をいただきました。
美味い。
これはホントに美味い。
翌日空港でまた飲んじゃいましたもん。
くそ、こんなビールをいつも飲めるなんて北海道の人はなんて幸せなんだ。
何本か買って帰ろうかと思いましたが、そうやって運んで飲むと
美味しくないに決まってるので断念しました。
個人的にずしんとしたタイプよりも爽やかなタイプを好むので、
その点ポイント上積みしてるような気もしますが、
でも博士も大推薦の一本で、瓶はさらに美味いとのこと。
うーん……悔しい……

あ、あと水。
ミネラルウォーターのペットボトルを都合3本飲みましたが、
どれも美味しかったです。
都市圏で買える有名品、南アルプスだとかああいうのと違って、
なめらかでまろやかでクセのない感じ。
その分パンチはまるで効いてないのですが、温度変化や経時変化に強い印象。
次の日の「ボルヴィック」なんて飲めたもんじゃないですが、
「夢水氣」は飲めました。
日常的に飲むならこういう水の方がありがたいかも。

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総じて食べ物は一つを除いて美味いです。
翌朝、ホテルの朝食で牛乳を飲んだのですが、これなどは
「普段飲んでるあの白い液体、あれはなんだ!?」
というぐらいめっさ美味い。
そりゃこんなものなら嫌いになる要素などない、って感じです。
クセもなく変に絡みつく後味も臭みもなくまさに水のよう。
これなら飲みながらご飯も食える、という勢いです。

しかし問題は、そのご飯。
そう、たった一つマズイもの、それが非常にクリティカルなことに、
コメ
なんです。
それも「ちょっと落ちる」とかじゃなくて、洒落にならないぐらい。
なにがって、味がないんです。
そのホテルの朝食も、他別に全然大丈夫で、焼き魚も卵焼きも味噌汁も、
(味噌も美味しい)充分標準だったのですが、
ただ一点、ご飯だけがマズかった。
そこで思い返せばバーベキューの時出てきたおにぎりも味が無くて、
「まあでもこういうところで出してくれるものだから、こんなもんだろ」
と思ってたのですがそれは間違い、抜本的にコメがダメなんです。

そういえばウチでも一度「きらら397」を買ってみて、
家族全員から不評、コメ好きの母がブチ切れて
「もう二度と買わん!」
と絶叫してたことがありましたわ。

聞くところによると、北海道米は炊いてから時間が経つにつれて
味の落ちが早く、匂いも変になっていくとか。
やっぱりイネは南方起源ですから、あそこまで北の地で育てるには、
生物学的に無理に無理を重ねているのかも知れません。
しかし本州から引っ張ってくるコメは輸送費がかかるために高いとか。

たいていの食いしん坊はコメが大好きですから、
これはゆゆしき問題です。
どんなに美味しいお魚があってもお肉があっても
バターがあってもミルクがあってもビールがあってもお菓子があっても、
コメが不味くては生きていけません。
博士も「コメはいろいろ試したが……」とため息をついていました。
うーむ。

今北海道では、「道産道消」(うろ覚え)なる運動があって、
要するに北海道で獲れたものを北海道でじゃんじゃん消費しよ〜という
ノリだそうです。
食糧自給率はなんと150%を超えてるそうで、
(旬を外した野菜を除けば)ありとあらゆるものが揃う北海道、
それは非常に正しい方向だと思います。
「サッポロ・クラシック」一本でも「ああくそ、北海道羨ましい!」と
思わせるにたる逸品ですから、そういう食べ物飲み物、
北海道でしか味わえない北海道の味覚がさらにさらに揃ってくれば、
香港や韓国にメシ食べに行く人がうじゃうじゃいる昨今、
食べ物をさらなる観光資源にしていくことは十二分に可能だと思います。
毛ガニとかそんなスペシャルなものじゃなくて、
フツーにバター美味くてパン美味いわけですから、
それだけでもパン好きにはこたえられない場所ですし。

しかしそれには、しかし日本人の美味いモノ好きを集めるには、
絶対に「美味いコメ」が必要で、
それはもうどんな手段を使ってでも揃える必要があると思います。
新潟と道県ぐるみバーター契約して米回船みたいなのを定期運行して、
帰りは牛乳載せて運ぶとか。
いやもはやそんなノリで。

ここで不安なのは生粋の北海道育ちは米の美味いマズいに鈍感ではなかろうか、
という点で、そこはもうしょうがないので、
味見役を大都市圏かコメどころから引っ張ってくる他はない。

こんなに基本的食品で差があるとは思いませんでした。
まさに別大陸です。
米が米がと言ってますが、逆にいえば北海道生まれの皆さんがたとえば
東京でも大阪でも出てくれば、クソマズイ、
「これを牛乳なんて名乗っていいのか!?」
というような白い液体を飲まざるを得ないわけで、
こんなもの飲むぐらいなら死んだ方がマシだと思い詰めてる上京したての
学生さんとかも多々いそうな気がもりもりします。
バターもそう、お魚もそう。

札幌は、
特に馴染みきって「最高だ」と吼える人と、
1シーズンで「もうイヤだ」と帰りたがる人がいる、
と聞いたことがあります。
雪のせいかなあ、とも思ったのですが、新潟や仙台でそんな話は聞かないですよね。
たぶんね、コメですわ。
それをなんとか誤魔化す方法を見つけるか、あるいは我慢出来る人にとっては
いい街で、
我慢出来ない人にとっては
(働いてると必ずお家でご飯食べる、ってわけにはいかないですからね)
もう一秒でも早く逃げ出したいところになるのではないでしょうか。

イギリス人やアメリカ人が世界を征服して、
イタリア人や中国人が内向きなのは、
普段から美味いメシを喰ってるか喰ってないかの違いだと思うのですが、
食べ物というのは人の根本に強い影響を与えるものです。
札幌の印象に、日本と日本人に独特の粘り気がほとんど感じられないのは、
気候も街の作りもあると思うのですが、
あの粘る「ごはん」に対して執着心が薄いからではないでしょうか。

しかしそれはもちろんイイワルイなどない個性であって、
特に僕には、よその何の特徴もない地方都市よりも、
その個性的な、風通しのよい雰囲気が魅力的に映りました。
帰り、タクシーの運転手さんが
「いやあ、札幌は歴史の無い街で」
などと謙遜されてましたが、そんなこと言ったら神戸も横浜も同じです。
みんなすっかり忘れてますがこのお洒落で人気の二つの街は、
明治に作られた人工都市です。
なにも卑下する必要などありません。
歴史が無いが故に、猥雑な歴史の闇もあまり持たなくて済むものです。

その運転手さんにスピンターンを御馳走になって、
ウォシュレットのないチサンホテルに帰りました。
もっと魅力的な街にしていくための、手持ちの資産はいろいろあると思います。
サッポロ・クラシックに舌鼓を打ちながら、そんなことを。

また明日。


2/7 北の大地へ

北海道は二回目。札幌は初めてです。

もうね。
飛行機ってなんであんなに大変なんだろ。
ボトルネックは保安チェックで、
あれにどれぐらい時間かかるかわからないから、
二段の無駄時間できちゃうんですよね。
入る前入った後で。

しかし相手は札幌、飛行機以外の選択肢は選びたくない。

空港に着いてまずワン・トラブル。
今回札幌ということで、久しぶりに登山靴を引っ張り出してきました(笑)
こいつが、ソールの内部のウレタンが朽ちてて、
ソールが剥がれてきたのです。
ぺったん、ぺったん。
数回履いただけなのに……
もうイタリアの靴など買わん!

飛行機は777-300でした。
僕はあの飛行機があまり好きではなく、というかどの旅客機でもストレッチ版というのは
オリジナルの美しさを損ねている気がします。
が、さすがに最新鋭だけあって騒音とかマシなような気も……気のせいかな?
日本航空で椅子はレカロ。
レカロらしい固めの椅子は好印象で、持って帰りたくなりました。
東海ラジオの某アナウンサーは無類の航空ファンだそうで、
「家に飛行機の椅子がある」らしく、それを聞いてゲラゲラ笑ったのですが、
いやなるほど、この椅子ならば買ってAV鑑賞するといいかも。
……と、思っていたら帰りの全日空の機内販売誌に
(機体改修で取り外した)ビジネスのシート2脚を売るという宣伝が。
36万円。
うーん、1脚にして18万ならちょっと本気で悩んだかも。
全日空はどうやらフランス・シクマ社製だそうです。

新千歳でM澤先輩とJ也さんと合流。
そのまま電車で札幌へ。
36分で1本というのはまあまあのアクセスか。
多少混むけどバス1本の伊丹とあまり変わらないかな。
まとりあえず成田と関空はおかしい。
完成間近ですが、中部国際ってほんとに成り立つんですか?
いやほんと、大阪市内の人間でも「できれば伊丹から行きたい」ですよ?

車窓から外を見ると、どこもが地平線。
これはビルしか見えない関東平野や
すぐ生駒が見える大阪に住んでる者には物珍しい景色で、
「ああ、でっかいどう」
などと口にするのも恥ずかしい感想を心の中に留めておきました。
ちなみに書いててもすごく恥ずかしいです。
建物の立ち方の余裕、全体的な低さも、北海道ならでは。
行ったことないですけどアメリカってこんな感じなんでしょうか。

駅前地下街で、担当店舗の調査に向かうJ也さんに銀行マン魂を見る。
そして記念すべき札幌一食目はラーメンのお店。
ダメ。
塩ラーメンの具にタマネギ使ってるのは初めて見ました。
天下に名高きサッポロラーメンの名を汚してると思いますので
即刻お取りつぶしが適切かと。

そしてホテルへ急がんとて地上へ出てみれば猛吹雪。
すみません、サッポロを舐めておりました。
上着はスキーウェアで行ったのですが、まあゴムで縛ってあるはずの
手首から雪が入ってくる入ってくる。
粉雪パワー恐るべし。
慌ててセブンイレブンに駆け込んで手袋とビニール傘を所望。
店員さんが「今すぐお使いですか?」と声を掛けてくれたのは
現地ならではかセブンのマニュアルが優れているのか店員さんの資質なのか。
とりあえず雨の大阪で傘買ってそんなこと言われた経験ありません。

ホテルはチサンホテル。
えいつと。
ホテルというものはサービス業ですから、人的なもてなしが
トップ・プライオリティであって、モノ的な施設は二の次三の次……
だと思っておりましたが、さすがにここは古すぎる。
いやもう、部屋全体が日の丸飛行隊。
「普段はとにかくコスト・オリエンテッドなビジネス用」
という事実はホテルもちゃんと認識してるらしく、
なんたって有料放送の番組ガイドを開いてみれば「熟女モノ」のオンパレード。
札幌の人は物持ちが良すぎます。
……ということを後に着替えで部屋に来た博士に言ってみれば、
「いやここはいくらなんでも古すぎる」とのこと。
札幌のホテル一般がこうではないらしいです。
当たり前ですが。

今回はオールフリーのパックツアーを頼んでみたのですが、
ベンダーは近畿日本ツーリストです。
んー、「雪祭り期間の札幌に格安で行く」という望み自体が
「なめとんのか」なことかもしれず、それを実現させている以上文句垂れるな、
というのが近ツー側のノリかもしれませんが、
しかし、しかし「雪祭り期間の札幌に行く」ということは一応
観光っぽいものも目論んでいるわけであって、
そういう気分にはこのホテルでは「求められる最低限を大きく切っている」という
認識は持たれた方がいいかと。
ここを用意するなら、「格安」という点をもっと強調するか、「若者向け!」とか
「ビジネス用!」とか言い切っちゃう方がいいと思います。
……というような話を帰ってきてから母・祖母にしますと
「「近ツーはあかんやろお!?」」
とデュエットが返って参りました。
このような評判が広まりきってしまわないうちに。

まあしかし結局はそういうツアーと見抜けずほいほい頼んだ自分の責任であって、
誰に文句を言うわけにもいかないのですが。

そしてフォーマルに着替えてオークラまで徒歩。
吹雪は一過性のもので、もう曇り空。
聞くところによると札幌は山のように天候が移ろいやすいとか。
ふと見ると時計台のようなものが。
そしてよく見るとどうやらそれが高名な時計台。
そして道すがら大通公園でMatsuiの雪像を見ました。
もう満足。

雪像って陰影がハッキリしないから彫刻には向いてませんね。
色をつけるのがアレでしたら、黒やグレーをちょっと混ぜてみるとか、
そろそろ回避策を考えた方がいいかもしれませぬ。

オークラでさして懐かしくもない面子と顔を揃えて式へゴー。
語尾の滑らかな神父さんの上の十字架の上で間接照明がレインボー。
左から右へ七色の光流れる様はそこはかとなくパチンコ屋で、
ヴァージンロードは緋毛氈ではなくフットライトなのですがこれがまたグリーン。
思わず「ここは銭湯の電気風呂か」とツッコミを入れましたところ
M澤先輩にしかられました。
またここぞ、というクライマックスで録音済み多人数版
「アーメン」がSEで入ったのには、我慢出来ずに噴いてしまいました。

……現代社会の演出過剰問題についてはまたこんどじっくり。

というよりも天下の「オークラ」がここまでやってるところに
札幌の人々の趣味趣向を垣間見るような気もします。

しかしボケてるのは私だけではなく、二人が結婚証明書にサインをはじめますと
「あれは何をやってるんだ」
と結婚歴の一番長いJ也さんがスットンキョーな疑問の声を
式の真っ最中にもかかわらず上げ、
「サインやサイン、したやろお前も」
「おれあんなんしてへん」
「嘘つけ教会でやったら必ずやってるっちゅーねん、なあ博士」
「うち神式やったからやってへん」
「書いた書いた、オレ、緊張して自分のサイン間違えたもん」
「証明書になってない」
などというアホ会話を大声で繰り広げる迷惑な友人一同。
J也さん帰ってぴろこさんに事の真実を聞きなはれ。

そして式も無事に終わり、幸せの鐘を打ち鳴らす二人。
こんな今まで一度もやったことないことを、
この大切な大切な人生に一度しかない場面でさせるというのは
それはどうなの?と思いつつ、
しかし一度しかない場面だからこそ、
スペシャルなことをやらねばならないような気もしつつ、
確かにここで除夜の鐘や火事の半鐘をかき鳴らすわけにはいかず、
さりとてこのイベンツを見たのはわたくしHERO人さんのが初めてで、
それ以前には見たことがなく、
そう考えると結婚業界も流行り廃り進歩退歩があるのかな、
と考えてみたり。
いやむしろ本物のチャペル式では(ものすごい語弊のある言い方ですが)
鐘は鳴るものであって鳴らすものなどではないはずで、
してみると神社で10円払って「神様聞いてますか」と
鈴をがらんがらんやるアレとか、除夜の鐘を一人一回突けるとか、
そういう伝統とチャペルの鐘とをミックスさせた
和洋折衷和魂洋才ビバ日本なイベンツなのかしら?

そして披露宴へ。
北海道式は式次第が内地のものと違って面白かったです。
具体的に言うと
発起人挨拶・主賓挨拶の後祝電披露、さらにケーキまで切ってから
乾杯の発声に至るので、1時間お酒飲めないんです。
ツラカッタ。
しかし主要な挨拶は終わってから宴歓談に入るので、
「スピーチ誰も聞いちゃいない」
という事態を避けられるんですね。
今回も食べ出してからは友人各一組と余興のみ。
新郎側は不肖私めがいつものとおりちゃらんぽらんな挨拶を。
そうです我々は場をあっためる役目です。
主役はお二人です。

すみませんアホウなお話で(泣)

料理はかなり素晴らしかったです。
料理長、長野五輪なども担当したことのある高名な方だそうで、
メニューはオーソドックス一辺倒の正統派フレンチでしたが、
いやホント、美味しかったです。
デザートなどバイキングになってて、この甘いものあまりちょっとな私でさえ
別腹とばかりにいくつか堪能してしまいました。
しかしさすが北海道、と一番感動したのはパンの美味さとバターの美味さだった、
というのはシェフにはナイショ。

宴は盛況のうちにお開き。
披露宴ってほんと、新郎新婦の人柄が反映されてしまうものですが、
お二人そのものの、賑やかで明るい宴でした。
いやあ、楽しかった。

おふたりさん、いろいろ大変なことがあるでしょうけれども、末長くおしあわせに。

---

二次会は新郎新婦も引っ張って、
二人の想い出の地、「飲茶亭」。
聞いた話ではもっと固いイメージだったのですが、
全然カジュアルなお店でマスターもお若く冗談のわかる方、
そしてここで我々は切り札、g石アナを投入。
土・日のレギュラーの合間を縫って札幌滞在13時間という強行スケジュール。
盛り上げておりました。

私は隅の方でビールを飲んでました。
いやもうなにがって、サッポロビールが美味いのよ(笑)
やっぱビールはフレッシュネスが決め手だわ。

MENちゃんの奥様と、娘さんのあやのちゃんもこちらには参加。
あやのちゃん可愛い〜〜〜。
お父さんに似ず(失礼)めっちゃ美少女で、
でもお父さんに似てなんでも食べる。
いやもう、持って帰りたいぐらい。
家族のために頑張るお父さん、というフレーズが身に染みて理解できましたとも。
そりゃあんな娘がいれば粉骨も砕身もするわ。

三次会は小洒落た創作居酒屋。
店内をくねくねと歩かせて狭い間口から半隔離空間で身をかがめて食べる系です。
ご存じの通りながたこういう系には極めて辛口、斜めの視線で席に着いたのですが、
大都会のこういう店ほどベタつく要素はなく、
逆に料理はもう全然水準以上で、
「ま、このまま頑張っていただきたいな」
などとアホ感想を述べるに留まりました。

料理店のポイントはたった一つ、
味でも立地でもマスターの人柄でも企画でも使いやすさでもなんでもいいんですが、
「もう一回来てもいい」
と思わせるか否か、ではないでしょうか。
どれも水準以上でも印象に残らないより、
どこか突出してるところがそういう気分になりやすいです。

このお店、たぶん東京や大阪にあると
企画ものとして最初は頑張るけど客が勝手に来るようになって
調子こいて料理や店員の質を維持出来なくなり、
競合店増えていつの間にかお客いなくなって潰れる、
というパターンだと思うのですが、
ここだと競合店もさほどは増えそうになく、またお客の数も限られており、
たぶん大都市圏からの観光客は札幌まで来てこういうタイプの店を
わざわざ選択するとは考えにくいので、
調子に乗らない→長持ちする
ような気がします。
単に勘ですが。

翌日はスノーモービルだということで早めに帰ろう、
ということでそのお店でお開き。
明日集合は9時45分。
ふと時計を見ると3時を軽やかに回っている。

あはは、と笑いつつMatsuiの像をまた見ながら、
ウォシュレットのついてないチサンホテルへ向かいました。

いつも寒いので夜だから寒いわけではなく、
外が寒いから中はすべて暖かい。
一日過ぎる頃には、お昼の悪印象が全てぬぐい去られておりました。

翌日は、また明日。


2/6 クラウン

明日から3日間、札幌雪まつりへ行って参ります。
みっふぃーやピカニャーの雪像を見て萌え転がる予定。
だもので次回更新は早くても9夜、遅ければ10夜デス。

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アムラックス行った時に新型クラウン見ました。
なかなか良いのでは(笑)

クラウン、というと僕らみたいなへそ曲がりには権力の象徴、
日本車の悪しき部分の権化みたいなクルマ。
マナーの悪いオーナーもまた多く、
(いや、もちろんほとんどの方がまともなのですが、なにせ分母が大きいから
 妙なのの絶対数が半端ではない)
という前に89年にセルシオがデビューして以来トヨタの最高級車は
(センチュリーを除けば)セルシオであり、
世界基準でメルセデスやBMWの腰を抜かさせた日本のエースが存在するにも
関わらず未だにクラウンに乗る、というメンタリティは
NomoもDaimajinもいるのに「上原最高」とか抜かすG党のような
めくるめくめまい感覚を呼び起こさせる妙ちきりんかつ理解不可能な気分であって、
こういう人達とは一生深いところで理解し合えることはあるまい、と……
言い過ぎですね、すいません。

いや、商品としてはどっちかというと歴代とても評価しており、
逆に言えばセルシオという「世界の認める絶対の存在」を横目に見ながら、
しかし買わせてしまうだけの魅力がある、とも言えます。
神社仏閣演歌調と揶揄されますが、世の中には演歌の好きな人がごまんとおり、
あんたたちゃはそれに応えてるのか、とつっこめば途中から諦めた日産はまだしも
最初から逃げてるホンダやマツダや三菱にはぐぅの音も出ますまい。
世の人が欲しがるモノを作る。
メーカーの基本です。
それを営々とやってきたトヨタはエライ。
最近こればっかりですけど。

しかしさすがにセルシオのデビュー以来15年、
「国産の一番いいクルマといえばセルシオ」という認識が
民々にはっきりと刻み込まれ、
かつ「いつかはクラウン」だったオッサン達がおじいちゃんになり
スティアリングを離すか枯葉マークを手にマーチあたりに乗り換える昨今は、
「両側パワーウィンドウが同時に上がらなければクラウンではない」
などと言いがかりをつけてくるピーなお客さんの呪縛からもかなり解放され、
また、ヤンキッシュな方々も「今時クラウンではカッコつかん」と
アリストやオデッセイなど別のクルマに逃げ去ってくれた模様。
とどのつまりは「肩肘を張る」必要が無くなってきた時期のようです。

そこで出てきた新型は、なるほどインテリアなどは野暮ったいですが、
エクステリアは随分垢抜けてて、僕みたいな反クラウンな者でさえが
「え? こんなにやっちゃっていいの?」
という気がするナイス・デザイン。
もちろんほとばしるセンスや溢れる芸術性はからっきしありませんが、
それこそが金閣銀閣からのジャパニーズ・グッドデザイン、
プリサイズ「きっちりしている」という意味では、U-12ブルや初代ソアラ、
あるいは初代ワゴンRや初代ステップワゴンの風も感じるよいデザインです。

人はこれを笑いますが「きっちりしかし良デザイン」というのはおっそろしく難しく、
機能性をベースにきっちり作るだけでは誰も誉めてはくれないのです。
むしろ無機質な冷たさだけが目立ったりするもの。
しかし新型クラウンは、このクラスにしては実に思い切って、
ワザとキャラクターラインを走らせる、という手に出、
しかもこれをごく軽く山なりに通すことで塊感、
いいように言いすぎれば獲物に襲いかからんと背を丸める山猫のような
イメージを出すことに成功しています。
今回ついに直6を捨てオールV6化、ノーズをずどんと縮められたのも効いてます。

#だから広告で使ってる斜め上からアングルからのショットは失敗です。
#今作のいいところがちっとも強調されてない。

くどいようですが
「ええ!? これ、クラウンでしょ!? こんなスポーティでいいの?」
と声が上がるぐらいスポーティに仕上がっており、
それは小物を光る光らせないとかそんなどーでもいいところには左右されず、
したがってアスリートでなくてもそうです。
というよりもアスリート自体がちょっとアレで、
「今時サブネームエンブレムにそのフォントはないだろ」とか
「黒使えばスポーツ、ってのも思考停止だよな」とか
ツッコミどころが出てくる分、ちょっと損してるかもしれません。
#後者はさすがに恥ずかしさと市場欲求を秤にかけて、
#ノーチャージ注文装備みたいですけど

残念ながらプリウスに夢中で走ってないのですが、
聞くところによると新車でW124メルセデス
(先々代Eクラス、ミドルセダンの歴史的名作)
を乗り継いだ若者がこれを運転して
「これはスゲエ!」
と叫んだそうですから、まあかなりイイ出来なのでしょう。

つい先だって、マイチェン・セルシオを岡崎教授がカードラかなんかで
ボロカス叩っ切ってて、(教授にしては珍しい)要約すると
「6速とか言う前にやらなあかんことは山ほどあるやろ。
 Sや7は、こんなもんじゃないよ?」
だったのですが、ハタ、とそれで思い出しました。

クラウンは、そういうくびきから逃れられたのです。
誕生以来、日本最高のセダンであらねばならない、
自他共にそう思い込み続けていたくびきから、やっと。

メジャーリーグ、リーグ優勝決定戦、
Matsuiのホームベース上での大ジャンプガッツポーズ。
「巨人の四番」という凄まじいしがらみから逃れ、
ヤンキースのただの一員として野球を楽しみながら戦うMatsuiの姿。
あの姿と、オーバーラップしました。
世界戦だ、相手はSだ7だ、最高級だ、アメリカ人だ、看板だ……
そんなつまらない雑音から(ある程度)離れてのびのび作ってみれば、
なんだかいい感じに仕上がっちゃいましたよ?
そんなモノのような気がします。

最大の惜しむらくは……というより、微妙なところなんですけど、
「クラウンである」
ということでしょうか。
あまりに手垢が付きすぎて、あまりに様々なモノを背負いすぎてるその名。
マジェスタの下、マーク2の上。
しかしこれに限っては、スカイラインとは違って、
「それも含めて」と言ってもまあギリギリ、認めてもらえそうな気もします。
なんてんでしょー、もちろん買ったこと無いからアレなんですけど、
「狭いけど一戸建て」
って感じでしょうか。
普通の人が手の届く、ちょうど頃合いの高級品。
セルシオになるとやっぱり、「いちばんエエの買うたったー!」という
気負いになるんですよね。
また天の邪鬼に「5にすればいいのに」とか言いたくなる(笑)
でも、「クラウンです」といわれると、もう二の句告げない。
お歳暮は高島屋なんです。
通販生活から送っちゃ駄目……とはいわないけど、違いますよね。ヴィトンでもない。
良いも悪いもひっくるめて、クラウン、っていうのはそういうクルマ。
損もしてますけど、そういう意味では得もしてます。

んでまたトヨタさんエライ、って話になるんですけど、
こういうクルマって、例えばビッグ3にもそういう、
ジジイばっか乗るジジイカー
ってのがあるんですが、完全に立ち枯れ作戦なんですね。
チェンジ無しでダラダラ作って、
あるいはチェンジしても見るべきところゼロの化石カー作って、
乗ってる人間が死ぬのを待つ。
ブランド捨てるわけです。
で、下の若い奴を、FF大型車ベースのどーでもいいのでっちあげて
マトリックスとかあんなんで宣伝して拾うわけです。
それに比べれば、たとえば僕みたいな、最もクラウンから遠い人間、
小うるさいクルマ好きの30代前半男性、
今までならクラウンに乗るぐらいなら毒をあおる、
そんな人間にも
「あ、くそ、クラウンカッコエエ」
と思わせるクルマを作ってくる。
そこがスゴイ。
そしてブランドに寿命がある、なんてのは大嘘で、
本当に大事に育てて、大本根幹にある一本の幹を見失わなければ、
ブランドというのは永続するモノではないでしょうか。

そしてクラウンの幹は、良かれ悪しかれ、そして好き嫌いはあるにせよ、
「こっち向き」
であるということ。
「おとうさんどうですか、こんな居心地でよろしいでしょうか」
その点で言えばもちろんのごとく日本最高、
いや、厳密に言えば日本人にとって最高。
セルシオが超高級ホテルなら、クラウンは由緒正しき名旅館。
もちろん我々は豪華ホテルのバスローブを身にまとってワイングラスを
手にすることにも憧れるわけですが、
良い宿で女将さんが鍋の用意をしてくれる、そのもてなしのすばらしさも
骨身に染みて知ってるわけです。

インテリア、前述どおりダサイですよ。
でも、居心地は悪くない。
センス悪いダサさじゃないんです。
もてなそうと知恵を絞ったが故に、表面の美しさを演出しきれなかったんです。
和風旅館だからって、エアコンついてなくて許される御時世ではない。
そんな感じ。

「目指せ日本最高」、ようやく吹っ切れたようです。
しかしそれは、簡単な道ではなかったです。
セルシオデビュー前後から、ペリメターフレームを止める止めない、
マジェスタの立場はどう、そして頑張ってるのに客はセルシオにそして外車に……
悩みに悩んだ10年間があって、初めて今のクラウンがあるわけです。
「そこをやれるのは体力があるからだ」なんてのは弱き者の遠吠えで、
リスクは誰しも同じです。
現にトヨタにも、やりきれずに滅びたコロナやカリブといった
名ブランドがゴロゴロある。
問題はやりきるかやりきらないかで、それを、クラウンはやった、と思います。
それだけでも偉い。

ちょっと誉めすぎの気がしますが、
まあ、「おお?」と思ったので、こんな具合に。
お値段、一番高いので500弱、一番安いので350弱。
もちろん絶対値としては高価ですが、500でBMWを買おうとすると3しか買えない
現実をおもんばかれば、これの方がいい選択のような気がもりもりします。
今から夏前後デビューと言われるマジェスタがすごく楽しみです。
くどいようですが一番遠い人間に「む」と思わせるのは、
なかなかできることではないですよ。

そら利益も1兆出るわ。

スカイラインがSのマークを、ブルーバードが青い鳥を、
いやさカローラさえもが花弁を捨てた昨今、
車種専用エンブレムがノーズにあれほど誇らしげに輝くクルマは、
世界的にはもちろんのことソレの好きな日本車にも非常に希少。
ひょっとするとレクサス店発足と同時に「セルシオ」の名を失うかもしれない
彼のクルマとは違う何か、をその輝きにチラリと感じずにはいられません。
その何か――伝統――とは、辛く重くしかし華やかで得難い、
実に面白いものですね。


2/5 稼ぐに追いつく……

「稼ぐに追いつく貧乏無し」などと言いますが。
こないだ初めてそんな気分を実感しました。
またFFですが(笑)

えっと、「ブラックコタルディ」というお洋服があるんです。
これが当時末端価格60万ギル(日本円にしておよそ600万円)ぐらいして、
すごい高嶺の花。
(それでも以前はそんなもんじゃなかった、とにかく材料が出ない)
性能的には微妙なんですけど、要するに
「よその人がほとんど着てない服」
というのがポイントなんですね。
これが欲しいなあ、とぼんやり思っていたところ、
黒大先輩の姉様が貸してくれたんです。
で着てみたらこれがまた自分で言うのもアレですが似合ってる。
「これだ!買うしかない!」

貯めましたとも。
途中で値下がりがあって、結局買ったのは47万と1000ギル(笑)だったんですが、
まあとにかく売れる装備全部売って、
フナ、すっぽん、ネビム、釣りまくっては加工して、
得意の調理でパンプキンパイ焼いて競売出して、
懐かしの採掘などにもう一度チャレンジしてみたり、
コツコツコツコツ。

レベル上げもせずログインしてる時間ずーっとお金稼いでいたわけですが、
おかげさまでいつの間にやら目標金額を達成して、買えたんですね。
50万なんて、そこまでの私は持ったこともない大金でしたよ。
30万もなかったんじゃないかな、貯まればでかい装備にすぐ使うって感じで。
リアルと同じです。

でも、今のヴァナは以前と違いいい感じに軽いインフレ誘導で、
「みんなと同じもの」ならかなり簡単に手に入り、
「ちょっと変わったもの」がすこぶる高い、
という市場になってます。
逆に言うと、「ちょっと変わったもの」を我慢するとすごく安く生きられる。
#今回は僕はその「ちょっと変わったもの」を手に入れるために
#他のことを「みんなと同じもの」で我慢したわけですが。

使うの我慢して一生懸命働けば、お金は貯まるものなんだなあ、と(笑)

当たり前のようですが、サラリーマンって給料が決まってるじゃないですか。
残業もサービスだとかある時間以上はカットだとか、
「働いても貰うお金は変わらない」
のが当たり前ですよね。
僕もやってましたから思いますけど、そうなるとこの、昔から言われる
「稼ぐに追いつく〜」
は実感として得にくいんです。
昔の農村では、「働き者かどうか」というのは人間の資質や能力の判断の上で
極めてクリティカルなポイントの一つだったようですが、
主戦場であるところの水稲生産以外でも、
どれだけ余計に働いてどれだけ余計に稼げるか、
そこは明確にやっただけのリターンが出たわけですね。
たとえ効率は悪くとも、少なくともマイナスには絶対にならない。
「時間をやればいいというものではない」「効率が大切」
などと言いますが、まずもって時間やってる人には働き者が多かったりします。
小難しい小理屈捏ねてるより、まず働く。
するとできた仕事の量は増える。
雇用側は多少なりともちゃんと応えてってあげる。
この二つのサイクルが、働く実感に繋がる。
そんな気がしました。

なにを当たり前を、と思われるかもしれませんが、
その当たり前の実感が薄いのが、今のあまりにシステマティックな
雇用環境なんじゃないかなあ、と。
英国プレミアシップのサッカー選手は、もちろん契約は複数年なんですけど、
「週給何万ポンド」
って表現されるんですよね。
そんなノリの方が、ひょっとすると働いてる実感を手にしやすいのかもしれません。


……さてそうやって満願叶ってブラコタ購入、
下はフィッシャホーズとフィッシャブーツでスポーティに装ってフレンドに
「セクシー」などと言われて有頂天になってるわけですが、
一旦残額が少なくなってしまいモノも手に入ってしまうと、
「あんな金額どうやって稼いだんだ!?」
と自分で自分が信じられません(笑)
しかし気分とは逆に現に稼いだわけですから、
「まあ50万ならいつでも稼げるな、そして100万といえば
 あれの2回分かたいしたことないなふふふ」
などと妙な余裕ブッこいてその割には稼「が」ない(笑)

ま、結論としましては、
目標って、大切。

ええとある日16歳ぐらいのファンの女の子からメー……Zzz……


2/4 茶封筒

「今年の恵方は東北東らしいで」
「ふ〜ん」
「丸かぶりは一本全部食べきるまで口をきいたらあかんそうや」
「寿司屋欲こきすぎ」

食べるまでは海苔ますけどそれはやりすぎ。

---

「こないだデビッド・ボウイがテレビで歌っててなあ」
「ふむ」
「中年のスキッとしたおっちゃんやったわ」
「ふむ。もう中年やろなあ。僕が中学生の頃からやったはるから……」
「あれ、昔は女の人のカッコしてやったはれへんかったっけ」

それはボウイ・ジョージです_| ̄|○

そして即反論ができなかった己の記憶力のあさはかさよ_| ̄|○

---

遅ればせながらこないだから「暴君ハバネロ」に凝っておるのですが、
これ、食べてる時は非常に美味しくてまさに止まらないのですが、
食べ終わってからお腹が変になります(泣)
いや食べてる最中も腋の下や額に変な汗が。

でもネタ系激辛スナック菓子と違ってさすが東ハト、
ちゃんと美味い。
一度はご賞味あれ、て感じです。
特に辛いモノ好きの方には結構こたえられないかも。
夏にコレとビールとか、想像するだけで美味そうです。

---

友人の結婚祝い用祝儀袋、私は最近コンビニで300円や400円のを
買うておるのですが、ふと疑問。

どうせ剥いちゃって捨てられちゃうものに300円も400円も出さなくても
茶封筒でええんちゃうか(笑)

いやさ、儀式ですから、なんでもないものが高額なのはしょうがないし、
それを言っちゃあ例えばその場を飾るだけの花々が数万円多ければ
数十万円掛けられるわけで、それはいいんですけど、
ここってめっちゃ末端ですからねえ。
本質と全然関係ない。
そこを小綺麗な封筒に包むのは、こちらの祝賀気分を表現する一手段だというのも
わかっちゃいるのですが、
相手はこっちが祝ってるのわからないような遠い知人でもないし……
まあ、その周辺へ妙な気分を引き起こさせないというディフェンシブな意味も
よくわかるので、変なこたできないんですけどね。

でもそこで、隣の100円のフツーの赤白封筒手に取っても、
こっちの掛けてるエネルギーって同じわけですよね。
手作りの心のこもった封筒でも用意するならともかく、
いわば見栄で100円のじゃなく400円のカラフルな小細工ついたのにしてるわけです。
そこが自分でイヤラシイ。

んじゃあ、そーゆーの作ればいいじゃん、とか思ったりもしたのですが、
自分が喪主の時とか振り返って考えるに、
ああいう時大切なのは礼を欠かないように
「どなたにいくらいただいたか」
であって、それ以外のファクターって、いわば余計な手間掛けるだけなんですよね。
そんな封筒で持ち込まれたりしたら、受付の人も(その封筒を)
特別扱いせざるを得ないし、本人もまた後で礼する時に
「封筒までお手製で……」
とかなんとか覚えてなきゃならないし。
それって相手に負担掛ける自己満足のケがだいぶしますよねえ。
そういうのやること自体が妙なアピールっぽい気がして
「自分でやるのは」ちょっとイヤな年齢になってきました。
もらう側からすれば嬉しいことだろう、というのは重々理解しつつも。

ただ、ご祝儀は多少いろいろやってもいいような気もします。
不祝儀はディフェンシブ一辺倒でないといけないんですけど。

封筒で思い出したのですが、
田中角栄元首相が運転手さんだったかが病気になった時、
病室へすっ飛んでいって、ベッドの足元にそっと茶封筒置いて帰ったんですって。
中開けると当時のお金で100万円。

カッコイイ〜。

かの政策が後の日本に及ぼした悪影響とか、政治手法が与えた悪影響とか、
そんなことはさておき、まず、親分たるものこうでなくては。
その状況で彼ができる一番のこと、それはたぶんそれで、
それを何気なくできる、これが抜群にカッコイイ。
この話聞いて「なんでもお金で」とか思う方が余計なファクター考えすぎ、
幼稚園児と一緒にお遊戯でもして脳の垢落としてきた方がいいです。
てか、自分にできんからといってひがむのはよくない。

その、気迫と思いのこもった茶封筒と、
コンビニで買った己の可愛い祝儀袋とを鑑みてみて、
いやまだまだ、スケールがちいちゃい、と反省することしきりでございます。
どんな封筒であれ、その人が使ってるとカッコイイ、
そんな人をめざしたい。ああめざしたい。


2/3 雑感

オリジナル・ラヴの田島貴男さんが、
岡本太郎や矢沢永吉やニーチェの本を
「お守りがわり」にいつも持ち歩いてるという話を聞きました。

えーと、私もそれに近いノリで司馬の叔父貴の本をいつも2冊ばかり。
頭が動かない日にめくると、すごく刺激になるのです。
逆に、大好きなそんな本も読み進められなくなるぐらい
妄想がびゅんびゅん回ってる時もあって、
そんな時は無理せずその妄想に心をゆだね。
バロメータですね。

自分にとってのそういう、
「精神用コーヒー」みたいな本がある、というのは実に幸せなことです。
叔父貴の本でも「街道」は特にマッチしてて、もはや手放せません。
今21巻目ですが、43冊読み終えたらどうしようと今から不安です。
もう一周か(泣)

自分の描いたなにかが、どなたかのそんなモノになれたら、
これに優る喜びは無し。
そういうものを描いてゆきたい。

---

1年ぐらい前に「これやってるんですよー」とご紹介しました
チタン練り込みネックレス、その時はちょっぴり恥ずかしくてお伝え出来なかった
メーカーはファイテン
その時は幾分胡散臭かったWebサイトも今やもう立派なもので、
TVCMをご覧になった方も多いかと。
去年の阪神にも使ってる人多かったので(金本選手や井川選手)
知名度も売り上げも上がったんでしょうねえ。

なんつーてもランディ=ジョンソンが使ってるとなれば、
原理や能書きはどうでもよくて、「使ってみよう」と思いますよね。
女優さんが化粧品宣伝するのとはワケが違う、
真面目に成績そして人生に直結する試合で実際に使ってるところを
見せつけられるわけですから、信じてしまいます。

個人的にも結構効いてて愛用してたのですが、
「にんにく卵黄」同様、
効いてるから無理ができる→結果的に身体に負担を掛ける
というケースがあって、今はその日の気分でつけたり外したりしてます。
逆に言うと、そのぐらいは違います。

それでも自分の感覚より説明を求めたくなるのが我々ぐらいの世代の
悲しい佐川急便で……と思っていたら、「伊東家」で
キップをツボに貼ると身体が暖まる
という裏ワザをやってました。
キップの磁力がツボを刺激してるんですって。
実際、サーモグラフィで貼る・貼らないの差を見せつけられりゃ
信じる他ないですわな。
むろんプラシーボの可能性もたっぷりあるのですが、
たとえそうだろうと実効出てりゃいいじゃん、という根元的な話は置いておくにしても、
普通は「え〜? キップで〜?」と逆プラシーボな気がしますし、
まあ効果あるんでしょうね。

ピップエレキバンは今日も元気に売られてるわけですが、
あれって確か普通の医学ではこれっぽっちも根拠ないんですよね。
でも、効くと思うから買い続ける人がいて、支えてる。
広告宣伝による一見さんサイクルだけでは、絶対にあんなに持ちません。
やっぱり、適度な磁力によるツボ刺激には血行増進効果があって、
それがコリや冷えによく効いてるんでしょう。
たかだかキップ程度で効果出るわけですからねえ。

世の中にはまだまだ、我々の知らないことが多いですな。
謙虚にいかねば。


2/2 雑感

スーパーボウル見逃した_| ̄|○

あればっかりは熱戦が多いのでよく見ているのですが。
今年は特に激戦だったらしいのでなおorz。

---

夕食後「さてFFでもしますかね」とパッドを手に取ってみればメンテ。
うとうとして起きて今1:30、
「すみません長時間になります最短でも翌朝8時」
という凄い断り文が。

サービス開始当初から血反吐を吐きながら頑張ってきた
エースネットワークエンジニアが、度重なる
「このままじゃそのうち駄目になります、
 これだけの予算掛けてこれとこれとこれを……」
と進言するのを
「まあまあそのうちそのうち」
と聞き流され、ある日「ああ、これじゃ駄目だ」と気持ちが切れて
12/31付けで退社したと見た(笑)

Etherのハブなんかでもちゃんとした(?)寿命がある、
って事実すら知らない人がほとんどですからねえ。
いや僕ももちろん全然知らないですけども。
駆動部分の無い電子機器だからって、無限に動いてくれるものじゃないッスよ。
ルータとかも平気で壊れますしね。
電気で動く以上、電源周りとかはやっぱり劣化するのです。

しかしこう、ここんとこ度重なるメンテの際に
「ネットワーク機器の構成変更」とか「サーバ機材の入れ替え」
なんてことが後から報告されるんですけど、
そんなんて多重化とかでなんとかなんないの?
ブレードサーバとかってホットスワップじゃないの?
なんて素人的にも思ってしまいます。
妄想ですが、
「アタックされて守りきれなかった」
と発表するとサービス自体への信頼が揺るぎそうだから、嘘ついてるとか。

だってこないだまで特に問題なくうまくいってたのに、
最近あまりにダメダメなものなので、
そりゃもうヒューマンファクターかなあ、と……

---

最近とみに英会話能力が無いのが悔しいです。
いや、ちゃんとした英語じゃなくて英会話。
もっというと罵倒。

北米の外人さんの酷いのは酷い、と前にもお伝えしたかもしれませんが、
「戦利品をロットするな」
(時間が来れば勝手に分配されるから)
という文化が向こうにはあるらしいです。
そういえば一度、トンデモ超墨にそんなこといわれましたわ。

じょおおおおおおっっっだんんじゃない。

いや、日本がアメリカがどうのとかではなくて、
FF11は1年半前からサービスされてるMMORPGです。
我々が作り上げてきた文化がいわば「ヴァナの常識」であって、
一応それを元に行動してくれないと困る。
常識を無視する輩はどんな集団でもいて、それはもうしょうがないのですが、
新しくやってきて新しい常識をでっちあげ、るぐらいならまだしも
それを押しつけるとは何事ですか。
恥を知りなさい恥を。
いや知らないんでしょうけど。

と、その話聞いて、
「ああ文化摩擦ってのはこういうところからくるのかなあ」
と。
ほら、カラー柔道着の時とかも、日本人的にはたまったもんじゃなかったですよね。
それこそ「こっちのいうこと聞けないなら柔道やめろよ」とか言いたいところですが、
もうそんなことも言えないぐらい、世界に根を下ろしてしまった。
だから喜ぶべきことでもあるのですが、
でもやっぱり正直、寂しいですよね。
「『柔道着が白い』ことまで含めて柔道である」
という気持ちの根幹まで理解した上でなお、
「でもメリットあるし」とカラー柔道着に賛成してる外国人、
なんてどー考えても少なそうではないですか。

ちょいと前の日本人がエコノミック・アニマルと称されましたが、
あの頃の日本人というのは相手に合わせず己のやり方を貫こうと
しすぎていたのかもしれませんね。
それが効率よい、それが正義だと信じて。
ま実際そうだったんでしょうけれども、具体的なメリットデメリット以上に、
「これはこう」
という譲れないものも、各国各民族各集団、いろいろあるわけです。
それを、無視したり、自分のものを押しつけていたり。
「郷に入っては郷に従え」
とはよくいったもので、やっぱりそういう文化・常識は、
尊重すべきですねえ。
ていうかするからしてくれ。

「戦利品はロットするものなの!! もう2年も前から決まってるの!
 あんた……ヴワクワァ!?!?」

と、罵倒したいわけです。

---

「……あよ」
「あ、おはよう。……眠そうだね」
「……あんたのせいで眠れなかったのよ」
「え?」
「あんたが夢にでてきて、だからドキドキして眠れなかったの!」
「そ、そんなこと言われても……」
「バツとして今日のお昼は屋上で昼寝だからね!」
「……お弁当、忘れたね?」
「ちっがうわよ、持ってこなかったの!」
「サンドイッチがいい? ピザパンにする? ウィンナーロール?」
「……メロンパン」
「果汁入りだね」
「……今日は、普通のにする」
「はは、じゃあ、ミルクも買っておかなきゃ」
「あんたはいつもどおりウーロン茶?」
「うん」
「じゃそれもらうからいい」
「え、だってメロンパンには」
「いいの! お金の節約!」
「……ふふ、はいはい」
「食べ終わったらすぐ昼寝だからね!
 ……ちゃ、ちゃんと膝貸すよーに」
「はいはい。
 じゃ本でも持っていっておこうかな」
「駄目よそんなの」
「ん?」
「あ、あんたのせいで眠れなかったんだから、
 ね、寝るまではちゃんと世話してなきゃ駄目じゃない」
「世話って?」
「……あ、あたま撫でるとか、いろいろあるでしょ、いろいろ」
「本読めないよー」
「だってあんたのせいなんだから!!」

という感じで眠れなくなってしまったのでFF話から追加。
えーと、サーバ止まってるわけですが、そゆ情報を我々がどこで見るかっつーと
公式サイトですな。

センスねえでしょう!?!?

もうね、愚の骨頂っつーかね。
「おや繋がらない」、こういう非常時にユーザーがWebに求めてるもの、というと
「今システムに障害があるのかないのか」
ですよね。
それがあれば待てばいいし、無いのならこっちの機材や回線かもしれないから、
原因を探る。
まずそれこそ画像無しの表紙ページにサーバステータスおよび緊急告知を
「テキストで」出して、あとはこのページへの導入を「Enter」って書いときゃいい。
何か障害起きると、この糞重いページにみんなが殺到するから
このページ自体もすごい重くなる。
こんなとこに装飾はいらんのです。
火事から逃げる時に化粧するバカはいないでしょう?

……つーよーなことはWebデザイナーなら誰でも知ってる(と信じたい)
じゃ何がこんなページになる理由か、っていうと
プレゼン文化なのかなあ、とか。
あんまよくわかってないお偉いさんとかが見て、「良し悪し」判断されちゃ、
まあこのぐらいにはしておかないと駄目ですよね。

これに限らず、あの「社内プレゼン文化」っていうほど無駄なモノはない、
と元電機メーカー企画屋の僕は固く固く確信してるのですが、
いかがでしょうか。
企画屋がプレゼンすべきはお客様であって、
上役やないんです。
あんなことしてるから意志決定でブレが生じたり時間がヤケクソにかかったりする。
ベンチャーやワンマン中小企業の小回り、って結局は
アレが無いからじゃないでしょうかね。

もうね、パワーポイントとか寒気がしてきますよ。
あんなもんで体裁整えてるヒマがあったら中身練れと。
ああいうのは、最初は
多数のみんなに見せる手段がない→
OHP使おう→
OHPは準備があまりにもめんどくさい→
じゃPPでノートパソコンでプロジェクターだ
ってとこから始まったと思うのに、
いつの間にやら手段と目的が逆転してますよね。
美麗な会議資料なんて要らん、つーの。
いい企画ってのは一目で便益がわかるものです。
「少林サッカー」と聞いただけで「どう考えても面白そうだ」となる、
これ。
また、あんなことやって仕事してる気になるのも実によくない。
他の社と一緒になんかやる時なんか、
プレゼンにプレゼンで対抗して、お互い無駄な時間と労力たっぷりつっこんでる。
もう完全なマッチポンプで、仕事のための仕事をしてお互いに
仕事増やしてるんですよね。

パワーポイント、いや会議資料をPCで作ることと、
コピーを禁止してみてはいかがでしょう。
そうすると非常にシェイプされた仕事になるような気がします。

話を戻すと、
あるいはまた、ユーザー舐めてるのかな?
「頭から小綺麗なのにしとかんとカッコつかんやろ」とか。
えーと、そのレベルのユーザーさんはまず重くて表示されない時点で
ぶち切れてるのでその努力は無意味です。

「下を拾えば上も拾える」というのは多くの場合幻想で、
それは正規分布の中心点を下にシフトしてるだけで、上は切ってます。
そしてFF11やるような人の多くは、コレ見て
「センスねえええええ!!」
と思ってると思いますわ。

見てくれはどうでもいい、と言ってるわけではなくて、
見てくれ以上に大切なものもあって、見てくれはその後だ、
てところです。
その大切なものを忘れているもしくは無視していると、
信頼や親近感なんてこれっぽっちも沸かない。
人間だって、そうでしょ?

……と、こんなこた仮にもWebデザインやってりゃ誰でも知ってると思うので、
これも別のヒューマンファクターであると信じたいああ信じたい。

---

とかひとしきり吼えてますとメンテ終わってました。
競売覗いて、寝ます_| ̄|○
いや待てせっかくのメンテ明け、ラテで釣りだorz
いや今日またみんなでレベリング行くからロランパイ焼かなきゃ凹○

ああ、もう(泣)


2/1 雑感

えと、今年から毎月やってたここのバック色変更を止めてみようかと思います。
理由はめんどくさいから……ではなく、
本人毎日見てる時間割と長いので、ちょっとでも目に楽な色で……なんです。
飽きたら変えるかもしれませけどもー。

え?エディタで書いてコピペで載せろ?
それねえ、何度かやったんですがどうも長続きしなくて……すみません。

---

こないだ、ちょっと喉がいがらい瞬間があったので、
のど飴買ってきて舐め回してみて以来、クセになってしまいました。
よくないです。
前回の虫歯はアメとチョコとガムのせいではないかと疑っているので……
でも僕は、口唇刺激といいますか、「口寂しい」といいますか、
てのが割とキツイ方で、そんなのだの飲み物だのが机を彩らないことはないです。

コーヒーも、中学生ぐらいまではミルク好きですからカフェオレ系で飲んでたんです。
ですが夜、お勉強中に飲んだり、大学会社と仕事中に飲むようになってから、
ブラックに。
個人的はブラックでないと3杯が限度で、(缶でなくても)
それ以上かぱかぱ飲んでると胃もたれがして非常にしんどいのです。
そんな暴飲に慣れてしまったのか、
カフェイン系で眠れなくなることはあまりなく、お店で淹れてくれるエスプレッソとか
アレ系のキツイものを何杯も飲まない限り大丈夫になってしまったり。
いいんだか悪いんだか。

コーヒー、苦手な方は逆にブラック飲まれた方がいいように思ったりもします。
それもちょっと良いのを。
紅茶でも日本茶でも安いのって変な渋みが残ったりするじゃないですか。
あんな感じで、やっぱり安いのは安いのです。
前にもオススメしたかもしれませんがドトールで売ってるインスタントは
結構いけます。
値段も900円とバカに高いのですが、何杯出来るか考えれば
まあ缶コーヒーよりはずっとマシで、しかも缶コーヒーよりはまあ、美味しいです。

思うに、缶コーヒーという存在が「コーヒー嫌い」を増やしてるような気もします。
あれはホント、さむーい日にお外でミルク砂糖入りホットを
手元も暖めながらエネルギー&熱補給の意味で飲むところに
価値があるのであって、そういう意味ではコーヒー本来の姿からはズレてる。
(というかそういうシチュエーションで飲むなら非常にうまい)
あと、「アイスコーヒー」という存在。
あれねえ、普通に冷やしただけのならいいんですが、
(だから缶の冷たいのはまあいいのですが)
どこでどう歴史的経緯があったのか、
「濃いめに淹れて氷で薄める」
という妙ちきりんな文化があるでしょう?
それって氷(元の水)の美味いマズイで絶望的に仕上がり差が出るんですよね。
だから本気の喫茶店とかならともかく、
リキッドを買ってきて家で薄めたりすると、まーマズイわけです。
あれもまた、「コーヒーってこんなもんか」と思われる一因かも。

しかして「ホントは違うんだよ〜!」と思ってみても、
大勢の人がそれを求める以上、それにはやっぱり社会的意味があるわけで、
だから駄目、とか言うつもりはサラサラありません。
でもなんとなく、「こんなもんか」と思われてる誤解、というか
認識のゆがみは解いておきたいような気が、
コーヒー・ファンとしては時折あったりするのです。

世にはそういうものがいろいろあって、
「違うねん違うねん、これ味わってみてよ!」
と言っても、なかなか通らないものもある。
人の本質を見抜く能力なぞ実に低いもので、もちろん自分も含め、
まずなにも見えてないと言っても過言ではない。
そんな折りに、「いや、これは本当はこうなんですよ」という情報が欲しいものですが、
そゆのに限ってなかなか無いんですよね。
コアな人はもう自分の世界に夢中になってて、またこれも少々歪んでますし、
ライトな人はズレたまま。
そこがいろんな認識における、ミッシング・リンクになってるような気がします。

#リンクとリング、どっちが正しいんです?それともどっちでもOK?

世界のNomoがご自分でエッセイを書いてるのですが、
プロのピッチャーが職業として捉える試合の流れとか、
すごい面白い。
あと組んだキャッチャーの評とか。
「書いてるうちに女の人のこと思い出してるような気になりました。
 女房とはよく言ったものです」
ぜんぜん視点が違うんですよ。我々素人とは。当たり前ですけど。
肩とか打撃力とか表面上の配球とか、
我々はそんなものばっかり見てますけど、
本当にピッチャーに愛されるキャッチャーってのはどういうものか、
その片鱗が伝わってきます。
そういう視点で見ると、まるで野球の見方が変わるわけですね。
9分の1の打力を犠牲にしても、組ませたい/組みたいバッテリーがある。
モノがわかった監督であるならば、もちろんそういうことも重々考慮して
オーダー組むわけです。
もしそういう流れがちっともないようなら、その首脳陣はちょっと駄目かもしれない、
とかとか。

そういうのを知っていきたいなあ、
そうするともっと面白いのにー、
と思うわけです。

話の筋は逸れっぱなしですが、
野茂が小学生チームを集めての「NOMOカップ」というのを堺で主催したそうなんですが、
今小学生のリーグって4つに分かれていて、お互いで交流戦が無いんですって。
野茂が「んなばかなことがありますか、一緒にやりましょうよ」と言ったら、
4つのうち2つは不参加、参加した2つも「ルールが違うから」って理由で、
決勝戦2つやったそうです。

そりゃオリンピックで韓国に負けるわ。

現場の人は、小学生も監督ももちろん「やりたいなあ」と思ってるんですって。
そりゃそうですよね。競技だもの、たくさんいる中で、いろんなチームの中で
勝負がしたい。
だけども、そこにしょーもない人間どものくだらない思惑がのしかかる。
現役メジャーリーガー・ノーヒッターのお言葉ですよ?
黙って聞きなはれ。

名前売ったりしてる場合じゃないッスよ、ホントに(泣)

まそれはともかく、
違う視点、それもできれば野球におけるNomoのように、
本質突いた視点を身につけていきたいものです。
どんなことであれ……



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