吼える! ながたさん!

随想随筆、楽しまなきゃ人生わ。

6/30 Books

本日は6/1から6/30までに仕入れた何かを列挙します。
(先頭の■がAmazonへのリンクです)
いちおう、自分的にまるっきりダメだったものは掲載しません。
特に一般的におすすめできそうなものにはひとこと入れます。


■本■

「二十一世紀に生きる君たちへ」 司馬遼太郎 (司馬遼太郎記念館)

「人間というもの」 司馬遼太郎 (PHP文庫)

「街道をゆく」25 「中国・びんのみち」 司馬遼太郎 (朝日文庫)

「街道をゆく」26 「嵯峨散歩、仙台・石巻」 司馬遼太郎 (朝日文庫)

「街道をゆく」27 「因幡・伯耆のみち、檮原街道」 司馬遼太郎 (朝日文庫)

「街道をゆく」28 「耽羅紀行」 司馬遼太郎 (朝日文庫)

「街道をゆく」29 「秋田県散歩、飛騨紀行」 司馬遼太郎 (朝日文庫)

「街道をゆく」30 「愛蘭土紀行T」 司馬遼太郎 (朝日文庫)

「文章読本」 谷崎潤一郎 (中公文庫)

「禅とは何か」 鈴木大拙 (角川ソフィア文庫)

「山本昌邦備忘録」 山本昌邦 (講談社)

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今月は司馬遼太郎月間でした。
「街道」のテンポが上がってますが、この辺から叔父はあまり小説を書かず
「街道」ばっかり書いてるので、ブロックごとにまとまりが良くて読みやすい、のかも。
今「愛蘭土紀行U」を読んでますが、これ読了で3/4クリア、
いよいよゴールが見えてきました。

あ、「二十一世紀――」は名品です。非常に短いので、おすすめです。

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今月一押しといえば「禅とは何か」かな。
TVショッピングのように「ああ、そりゃ禅じゃなきゃダメだよね」という気分にさせられます。
実にヤバイ。
司馬叔父が「悟ったような禅坊主が大嫌い」と事あるごとに声を荒げますが、
(もちろん大拙先生はそんなことないのですが)
よくわかります。
雰囲気としては武道の達人で人間的に駄目な人いるじゃないですか、あんな感じ。
「俺はわかってるよ(強いよ)」
そんなもん糞の役にも立てへんねん。
そこから何をどうするか、が勝負であって、何一つ悟らずただもがいてるだけでも、東大阪の零細企業でネジ切ってるオヤジさんの方が56億倍偉い。

大拙先生はもちろん、「そっからやねん」と言い実際行動されてるわけですが、
となると、「じゃちょっと待って悟っても悟らなくても、同じ?」という疑問が生じます。

個人的には、それでいいのではないか、と思います。

最後の最後まで胃に穴を開け続けた漱石、
狂い死んだニーチェ、ゴッホもそう、
ジジイになってなお小娘にプロポーズしかけたゲーテ、
悟れない自分に合わせて仏教世界を再構築した親鸞上人、
みんな無茶苦茶です。
で、そういう人々のおかげさまをもちまして現在の我々がおるわけで、
安心立命なんぼのもんじゃい、と。

悟らん方がええんちゃうか、少なくともウチらみたいな人間は。

というのが、ほんのちょっぴり舐めてみた感想です。

業ですが、致し方なし。

……というのが悟りっていうんじゃないか、とチラ、と思っちゃうのですが、
こういう風に古典宗教というのはありとあらゆるシチュエーションに罠と網を張っているので、実に油断なりません。

チャクラ開いてる暇があったら、古い友達にメールの一本も送れ。

自戒。



6/29 Let's dancing.

6/26「あたりまえを、あたりまえに」の補足。

さて、そこまではいいんです、
「肩肘張らず、できることをできるようにやればいいんだ」
そこまでは割と到達するんですね。
ただ、それを、肩肘張ってやっちゃう。
必死になって、「気持ちを楽に!」。

親鸞上人のお言葉に
「ボク、諦めることを諦めたよ!」
という、これを考えついて言い放っただけであんた天才だよ、
という超名言があるのですが、
「楽に行こう」「自然に行こう」「無理はせず」
と、意識する時点でかなり負けてるわけです。
もちろんそこまで至った人は「意識したら負けだ」という事実もよく理解しているので、
「意識しちゃダメだ意識しちゃダメだ意識しちゃダメだ……」と、ループする。

ここだ。
ここをどう突破するか。

親鸞上人がそうおっしゃってる、ということは、もうあと一壁、
このループから脱却さえすれば、勝利が見えてくるわけです。
もちろん、意識してるうちは無理でしょうけども、方向性は掴みたい。

ヒントは、原点回帰だと思うんです。
それも、わざわざ戻るんじゃなくて、勝手に帰っちゃう、というか。
童心に戻る、と言いますが、あれは戻ろうとして戻るわけじゃないですよね。
仕事でも趣味でも人間関係でもなんでもいいんですけど、
我を忘れるなにかに没入して、子供の頃のようにそれ一心になってしまう。
それです。
そういう時間を、日常のどの切り口からでもいいので、増やしていくと、
自然、他の面でも同じような心持ちで居られるようになるんじゃないでしょうか。
ご存じのように、悪い感情はどの場面にも悪影響を及ぼします。
ならば、良い感情も同じ。

……というだけだと、
「どんなことでもいっしょうけんめいやりましょう」
というまた小学校の道徳の教科書になっちゃいます。
で、もうちょっと考えてみました。

舌の根も乾かぬうちから矛盾してるようですが、
テクニカルなメソッドとしては、
「最初やってたところへわざと戻ってみる」
ところかもしれません。

私事で例示しますと、昔書いた作品とか、今読むともちろん火が出るほど恥ずかしく、
また非常にマズイところが多々見えるものです。
しかし、面白いところもちゃんとある。
「書けてる」んですね。
僕の場合、それはやはり、「言いたいことが言えてるところ」のようで、
それができていれば、それを覆う皮は、まあ、二の次三の次、っぽい。
となれば、それをこそ、大事にする。
言いたいことをしっかり言い、言いたいことがないなら言わない。
それを繰り返すことこそが、僕にとっての、大筋正道のようなのです。

そんな感じでなんでも、
やりはじめたころ、子供の頃、驚きと喜びに満ちておそるおそる触れていたあの頃、
の気持ちと気分で立ち向かう、
のが良いのかなあ、と思うんです。

子供の頃、難しいことはわからなかったあの頃、
でも、ものを見分ける眼は、今と比べてそう悪かったわけじゃない。
あの頃の直感に、今の知識や経験をプラスできれば。
本当に良いヒト・良いモノ・良いコトは、子供にも伝わります。
目指すはそこではないでしょうか。
(目指すというような指向性を持ってはいけない、というのはとりあえずおいといて)
なら、自分がまず子供に帰ってみて、
なぜそれをよしとしたのか、
考えてみる、感じてみる、のがいいのかもしれません。

これを大阪風に小難しく言いますと、

「どうでもええからぎゃーっとやったらええねんばーっとぉ!」

こんな感じ。
しかし、これこそがいつの間にやらできなくなっている。
人間、ピンチになると力が出るものですが、ピンチ時、ってやっぱり、
余計な要素を全て捨てて、一番大切なことだけにぎゅーっと集中しますよね。
あれが、いい結果を生む。
この、余計を取り除くために、人は自分で自分を追い詰めてみたり、
あるいはお酒や薬の力を借りてみたり、
いろいろモガクわけですが、
考えてみれば、これ以上簡単なことなんかないわけです。
最初から今まで一貫して持ってる、自分自身の芯の芯、
それをぎゃーっとばーっと。
ただそれだけ。

なぜ、出せないかというと、なにより、「怖いから」です。
愚かだった頃、幼かった頃、稚拙だった頃の記憶があって、つい全否定してしまう。
でも、確かにとっかかりのとっかかりは原始の海みたいな混沌でしょうが、
ある程度進むと、味というか色というか、個性、つまりは自分が出てきたはずで、
となると、そこへ戻るのは悪いことではない。
その「自分」を、身につけたイロイロで、より前面へ強く出してみたり、
飾ってみたり、人当たり良いようにササクレにペーパーを掛けてみたり。
ちっとも怖くない。
怖くない。
ね?

自分に言い聞かせてますが。

その上で今できるめいっぱいめいっぱいをやってのければ、
満足はあるはずで、
それが、結果という第三者や時流時勢が関わることでどう出るか、
それは「わかりません」という他ないです。
無責任なようですが、それこそが一番責任ある態度です。
「結果はどうでるかわかりませんけど」と言えるぐらい、
結果が気にならなくなるぐらい、懸命にやった、という意味で。
それがなにかにどう値するとかしないとか、それは他人の決めることで。

あんまり難しく考えずに、やりたいことをそのままにやる。

「やりたいことを」も難しいですし、
「そのままに」も難しいですし、
「やる」というのも難しい。
だから、難しく考えることで自分を誤魔化そうとする。
ちがうちがう、その前に、
「やりたいことを」「そのままに」「やる」べきですわ。

「踊るアホウに見るアホウ、
 同じアホならニクソンジャクソン」

というポーツマス地方の格言がありますが、
なにをどうやったってアホであることは変わりないのだから、
楽しく踊った方が勝ち。

けだし名言、
レッツ・ダンシン。



6/28 バファヤロ〜

「あれ?あんたあそこのファンじゃなかったっけ?」

青臭い献策するとするなら、
年俸600万ぐらいでも「野球さえやれれば」という人はいーっぱい居てるはずで、
そゆ人集めて、今高い人はよそに格安で売り払って、
大阪市には泣いてもらってドーム引き払って藤井寺に帰って、
ユニフォームはもう、F1ドライバーより酷いほど「Joshin」とか「SHARP」とか
「KONIKA-MINOLTA」とか、とりあえずゆかりの企業からちょっとずつ出してもらって、
その代わりチーム名から「近鉄」は外して、そう、広島がやったように
藤井寺の玄関口に大鍋置いて募金集めて、
……って、もがいてみませんか。

打つ手は全て打って、ダメです、というのなら、悲しみようもあるのですが。
だって年赤字40億、でも10億の箱借りて5億の選手がいるんだもの、
「もうちょっとなんとかすりゃなんとかなるんじゃ!?」
って思いますよね。

ホントに買う会社ないんでしょうか。
立派な文化事業ですよ。
美術館建てるよりずっと印象いいと思うんですけれど。

青波党もいきなり名前が「バファローズ」になってはたまらんでしょう。
神戸陸運局となにわ陸運局が合併してナンバーは全部「なにわ」です、
つったら暴動が起きますよ、暴動が。

しかし「どうにもなりません」からホールドアップしてごめんなさい、
のはずなのに、新会社作ってこれからも球団経営には絡みます、というのも図々しい。
この辺は異論いろいろだと思いますが、個人的に望んでるのは
チームとしての「バファローズ」の存続であって、近鉄はもうしょうがないんです。
責任果たせないんだから、諦めなさい。

も一個異論あるところですが、合併されるぐらいなら潔く消滅の方がマシかも。
明日から阪急応援しなさい、って無理です、それは。
山田久志の人を小馬鹿にしたようなサブマリン、
ブーマーの振り終わってからの第一歩の遅さ、
福本豊の「たこやきみたいでんなあ」、
文化が違うんです文化が。
ああ、フリューゲルス・サポーターが横浜FCを立ち上げた気持ちがよくよくわかりました。
あれ、外から見てると「そんな無理せんでも」と思うでしょうが、
そのぐらいの気持ちになるんですって。

笑ってるそこの貴方、貴方、貴方。
あなたのお好きなチーム、阪神としましょうか、中日と一緒になれ、
明日から「中日タイガース」。
道頓堀が水死体で埋まりますな。

これはいったい、誰が幸せになる解決方向なんです?

商売ですから。
客(ファン)がなにより大事で、次が商品(選手)ちゃいまっしゃろか。
そのお客さんは近鉄のお客さんでもあるのですが、まず球界のお客さん。
「もういいよ、プロ野球なんか」と言われるのが一番マズイ。
しかもスターがこぞってMLB行ってるこの御時世に。
それこそ球界全体で「チームとしての」バファローズの救い方、
また再建策を考えるべきなのではないでしょうか。
その過程でメインスポンサーが変わったり、本拠地が変わったり、
選手が売られたり、それはしょうがない。
でも、チームが無くなっちゃ、応援もなにも、できなくなってしまうもの。

忘れられたロートル選手や聞いたこともない新人選手で年間100敗、
キャッチボールのできる藤井寺の外野席。
それでも、無いよりは、あった方が。

いまんところ、そんな風に思っています。



6/27 まあまあです。(ユーロ2004 準々決勝 スウェーデンvsオランダ)

スウェーデン 0-0 オランダ
(PK 4-5 でオランダの勝利)

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ほのかにオランダらしさが戻っており、順調にボールポゼッション、
スウェーデンがそれを警戒してまず守るところから入る、
そんな120分でした。
大盛り上がりには欠けましたが、そこそこ面白かったですよ。

欲を言えばもう少しスウェーデンにガツガツ行って欲しかったですが、
両サイドバックが変わってて、自信戻し気味のオランダが相手だと、
まああんなものかな、とも。
印象的には

        Vニステルローイ
ロベン                    VDメイデ

                 セードルフ
     ダヴィッツ 
            コクー
Vブロンクホルスト             レイツィハー
      F・デブール   スタム
           VDサール

CBにフランクが入って、ボールさばきを半分担当してくれるので、
(ケガで途中交代しましたが)
コクーの負担が減り、中盤が幾分機能を取り戻してました。
ただ、相変わらず攻めが「両ウイングにおまかせ」以外の手が無く、
時折セードルフかダヴィッツがミドルを撃つぐらい。
単調。
セードルフはよく言えば万能型悪く言えば中途半端で、
この方式ならルートの後ろに陣取って前3人にパスをさばく役だけ
やってればいいと思うのですが、肝心のそのシーンを一番見ない。
ダヴィッツと一緒にボール追ってる。
ファン・デル・メイデがあまり効いてないのもあると思うのですが、
やっぱり、チームとしての練度がまだ足りない……のかなあ。
結局、ロベンがいくら頑張ってチャンス作っても、真ん中がルート一枚だから
(もちろんダヴィッツもセードルフも突っ込んできますが、
 その頃にはもう守備陣が揃ってる)
ガタイのいい北欧守備陣ならまあなんとかなるでしょう、と弾かれる。
これがクライファート&ベルカンプだと、まず「放り込まれたらヤバイ」ので、
守備陣に慌てふためきが生まれるわけで……
ベルカンプは偉大だった。

と、なると素人としてはコクーをCBに下げて底をダ+セにして2トップ、
マカーイ、Vホーイドンク、クライファートという余所の国からすれば
もったいないオバケ出まくりのベンチFWからもう一枚、
と考えちゃうのですが、
それは何回かテストしてマトモに機能しなかったようです。
たぶん4-4-2でルートと横並べてたんじゃないかと思うのですが、
4-5-1っぽく縦並びで中盤と前線とのボールの出し入れをやれば……
ベルカンプは偉大だった。

結局、「10番」を世界中で疎んじてるうちに誰もいなくなった、そんな感じです。
日本のようにヒデ、俊輔、もちろんシンジ、売るほど居てる、っていう方がおかしい。
今大会でも確固たる「ゲームメーカー」というと疲れ果ててるジダン将軍以外は
絶不調のラウル、ちょっとズレますがネドヴェド、ぐらい?
トッティ王子はちょっと違いますしね。
ということは、ポルトガルの好調はデコ(ルイ・コスタ)の存在が極めて大きい、
ということになりますな。

波乱もなにも、
いい10番がいるかいないか
と考えるとあたりまえといえば極めてあたりまえ。

……と、後付けなら理由なんていくらでも考えられるわけです。
評論家の皆さんは大変ですな。

準決勝はポルトガルvsオランダの超好カード、しかし中継無しガックリ都市ホーン岬。
10番不在のオランダに対し、大物が勝手にボロボロ転け、
ここまで来たら狙うは優勝だけのポルトガル。
モチベーション的にはポルトガル絶対有利ですが、
今大会のサッカーの女神はことに気まぐれ、
有利な方ほど足をすくわれてるようにも思います。

もはや思い切ってギリシャに優勝してもらいたかったり(笑)
それはそれで歴史の証人になれて嬉しい気も。



6/26 あたりまえを、あたりまえに。

台風が頭の中まで浚えてしまったようで、ここ4、5日、
つるつる上滑りしたものばかり書いてます。
すいません。
いつまでもこうなのもダメなので、今日は言いたいことを整理してみます。
お聞き苦しいかと思いますが、それはいつものことなのでご容赦されたし。

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コアなほえなが読者の皆様には3/22「PowerNetwork」が一転機だったのをご記憶いただけているかと存じますが、以来3ヶ月、スの入った脳を懸命にコーヒーと生姜紅茶で刺激しながら考えてきまして、とりあえずの結論が一応出たんです。
どうぞお笑いください。

あたりまえのことを、あたりまえのようにやる。

これです。

「人生とはなんぞや」という巨大なテーマに立ち向かってみるに、
一段基本に立ち返ってみますと人間になり、人間は動物であり生命です。
自然界に目をやりますと、イヌでもネコでもカブトムシでもいいのですが、
要するにメシ食ってウンチして寝て、時来たりなば恋をしてエッチをして
できた子供達を育ててみたりほったらかしにしてみたりして、やがて死ぬ。
ただそれだけのことです。
それ以上でも以下でもない。

結局人間もどこをどうあがこうとうも彼ら彼女らと同じで、
同じように生きて死にます。
ただそれだけのことです。

しかし、それこそが滅茶苦茶に大変です。

現代に生きる我々はもうすーっかり忘れてますが、今日食べるものが今そこにある、
というのは奇跡的な幸せであり、世のほとんど全ての生き物はそれこそが生きることの
一大事業、必死こいてそれを毎日毎日やっております。
安全な睡眠場所をきっちり確保できる動物だって
ごくごく限られた肉食獣猛禽類程度ですよね。
配偶者捜しだって大変ですよ、我々はまだ非常に恵まれてる方で、
種によっては絶対的にどっちかの数が愕然と少ない種だってある。
いや、人間でも、飢餓貧困戦乱に苦しむ人々は、今も世界に山と居る。
ともかく、我々が今居るような状態は、
地球中の先祖代々が知恵と力を出し合って、営々と築き上げてくれた
非常な幸福です。

だからこそ我々も、また、同じように、
精一杯普通に生きて普通に死ねばいいだけのことです。
なーんにも難しいことはない。
生命を維持できるだけの食物と水に感謝し、雨露のしのげる住居に落ち着き、
笑いあえる家族、力を合わせる友人を大切にする。
そして、それを子供達に伝える。できれば、ちょっぴりでも良くして。
ただ、それだけのことです。

ところが。
ここからが現代の人間の悲しみなのですが、
そうして「生きること」をより上手くやろう、と思ってきた人類は、
上手くやれすぎるように行きすぎてしまいました。
とても美味しいものを余るほど食べられ、完全な空調の備わる巨大な邸宅に住み、
コミュニケーション手段の発達で大量で複雑で濃密な人間関係を構築できる。
で、結果、
そこにひずみが生じて、
肥満になり糖尿になり冷房で身体を壊し家を買うのに悶え苦しみ、
絡み合った人間関係がぐじゃぐじゃになった愛憎を生む。
本末転倒です。

もちろん、いい家に住んで毎日美味しいごはん食べて、
様々な文明の利器で便利な生活を送る、
それは正しい。
それを求めて今までやってきたわけで、それ自体は絶対の正義なんです。
ここに疑念を抱くタイプの方々が居ますが、
これを否定すると、自由も、基本的人権も、限定的とはいえ平和も、健康も、
科学と文明の与えてくれた全てのものを否定することになる。
私は、風邪ひいただけで死ぬ世界に住むのは嫌です。
私は、首を鉄鎖で繋がれて、新大陸に売られていくのは嫌です。

ただ、順番が違う。
普通に口にして問題の無いものがちゃんと口にでき、
誰もが、狭くても一応はちゃんとした住居に住め、
いろいろあれども家族みんなで笑って暮らせる、
それがまずあって、そのあとに、
美味いとかマズイとか、広いとか狭いとか、うちの父親は頑固者で、とか、
そういうのが来る。
べきなのに、そういう付随要素ばかりが先に来て、
そういうところばかりが話題に上って、
で、結局、水道の水飲めなくて、韓国やフランス行って「野菜うめ〜!」って驚かなきゃならなくて、家なんか到底買えなくて、自分に掛かった空恐ろしいまでのコスト考えると、貧乏人の子だくさんなんていつの時代の話ですか、っていうことになる。

それは、どこででも起きてます。

TVとか見てても。
TVって、「おもしろいこと」をやってくれるからみんな見て、
その結果CMも見て、スポンサーにも意識が行って、宣伝効果にもなる、
はずなのに、
飲料水メーカーがスポンサードしてる番組の中で、ドキュメントなのに、
他社のペットボトル出てくるとモザイク掛かってる。
どっち向いて仕事してるんですか。
順番が、逆です。
やっぱり、末端に力入ってるとヤバイ。
本筋に、「おもしろい番組」を考えればすぐ、
意味もなく視聴者の目に触るようなそんなことを、しようとも思わないはずです。

楽に楽しく生きたい、
その欲求に従っていろんなシステムを整備しまくりにしまくった結果、
逆にそれにしばられて、
しんどく、苦しく生きてる、
それが現代です。

一部の科学や学問と同じです。
精密な論理と実験と観察と統計を重ねに重ね合わせ、出た結論は
「心理学的に、サッカーではホームチームが有利」
5つの子供でも知ってます。

といってもちろん、繰り返しますが、昔に戻る必要などなくて、
「人間が楽に楽しく生きる、ホントの基礎はどこなんだ!?」
というところをはっしと見つめて、
そこに「まず」資源を集中すればいいだけのことです。
で、余れば今まで同様、じゃんじゃん無駄なことに使えばいい。
水も飲めないのに、なぜ毎週のように新作清涼飲料水が出てくるんですか。
国立大ぐらいタダでいいじゃないですか、日本の売り物は人材しか無いのに。

と、いうことで。
「あたりまえ」ってなんだろう、というところをまずしっかり見つめて、
それを、奇をてらわず、無理をせず、「あたりまえ」にやっていく、
のが、実は今、求められることであり、
やらねばならぬ(というと言葉が固いですが)ことなのかなあ、
と思う次第です。

---

そして上でも少し触れましたが、この、
「あたりまえをあたりまえに」
というのは、どこでもかなり崩れていることで、
だからこそ「リコールを隠す」というそれ以外なら何をやってもいい、
一番やってはいかんことをやってしまう。
それではいかん。
あたりまえ見直し運動、を起こさないと。

では、私のやれる範囲、つまり文章表現活動にて
「あたりまえ」とはなんぞや、と考えてみました。

むずかしい(笑)

未だ「これだ」と言い切れないので、順を追々今あるイメージをご説明申し上げますと、
551の豚まんみたいなものではないかな、と思うんです。
いや別に551じゃなくてもいいのですが、「美味い」というイメージがありますもので。

餡がイメージで、皮が表現。
ナチュラルでジューシーなイメージを、素材の味わいだけの皮で包みあげる。
両者はハッキリ分かれていながら一体のもので、どちらが欠けても困る。
イメージがガッチリ・たっぷりしてないとスカスカの味になっちゃいますし、
技術は無理なくしかししっかり中身を包まないと、中身に負ける。
そんな感じです。
で、それ以上のことはプラスαに過ぎない。
皮に龍の絵がスタンプされてるとか、箱にお団子頭のチャイナ娘が描いてあるとか、
そんなんはいいです。
中身も、まあピザ味カレー味ぐらいまでならともかく、
きんぴらとかいちごミルキーは要らん。
いや、くどいようですがあってもいいのですが、それは美味い豚まんあっての話で。

と、考えると、
『柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺』
というのは恐ろしい句で、正岡子規は天才だ、という結論になるわけです。
これ聞いただけで、秋の法隆寺の境内で、夕陽でも落ちる時分、
カラスでも飛ぶのでしょうか、どこかの縁側なり腰掛けなりに座り、
柿を囓る風景、そのイメージが誰の頭にもズバーン!と沸いてきます。
法隆寺見たことない人でも、なんかテキトーな五重塔のシルエットでっち上げて
イメージしてしまう。
そんな力がある。
で、しかもそのイメージを包んでる表現は極めて薄味薄皮で、
しかしちゃんと包んで肉まんの形に仕立て上げている。
平凡・無技術のように見えますが、違う。
平凡ってのはこういうのをいいます。
「こないだ10月に奈良の法隆寺行ってさ、おやつ代わりに柿持っていっててさ、
 一回りしてちょうど夕暮れ時になって、帰る前にとベンチに座って柿食べてたら
 ゴ〜〜〜ンって鐘が鳴ってさ、なかなかいい風情だったよ〜」
ダメでしょ?

特殊なことをするのが表現ではなくて、
結果として特殊なことになる、のが表現なわけです。
パスは通せば勝ちで、股抜くとか非利き足のアウトサイドで出すとか、
そんな必要はない。

それが、「あたりまえのことをあたりまえに」かなあ、と。
特別な主題を捻ったり、設定や人物に凝ったり、話筋をこんがらがらせたり、
驚くような舞台設計をしたり、
いや、もちろんそれはそれで良いことなのですが、
順番は、あと。
ドアハンドルのデザインに凝る前に、
車体全体のシルエットを美しく仕上げなければならない、のです。
で、それさえピシッとできていれば、
子規の句のように、ディテールはむしろ要らない。
いや、無い方がぱあっと聞き手読み手のイメージが拡がるとさえ言える。

「しかし、それを言い出すとコンテンツ勝負みたいになりませんか」
というのはいいご質問で、ある面ではそうです。
日本料理は素材の味を引き出す、だからいい素材があればあったに
こしたことはありません。
ただ、正しい料理法が身に付いていれば、どのような素材でも
そこそこ美味しくは仕上がると思いますし、
逆に正しい料理法が無ければ、どんなコンテンツも台無しになるように思います。
やっぱり、板前さんの包丁さばきあったればこその大トロ刺身で。

地味になるかも知れません。
初めての方には箸さえつけてもらえない平凡な品・見てくれになるかもしれません。
しかし、やはり、「食べて美味い」それ以上の価値は、どこにもないと思います。

人間、人のことならよく見えるものです。
「美味いものが一番だよ!値段とか店構えとか場所とかそんなんあとあと!」
誰しもそう思っているのですが、こと自分のことを振り返ると、
その「一番」をよく忘れています。

さりとて必要以上に「気取らず、自然に!」と言い出すと
これまた肩に力が入ってしまうので、この辺の匙加減が非常に難しいのです。
そんな時一定の基準になりうるのは、「やれること」。
それはその時点その時点で決まってるわけですから、
またあたりまえのことを言うようですが、
「やれることを、精一杯」
というので決まり、のようです。
挑戦は尊いですが、無理にならない範囲で。
楽に楽しく、しかし一生懸命精一杯で。
そんなバランスではないでしょうか。

---

3ヶ月かかってとりあえずの結論は、
小学校の道徳の教科書に書いてあるようなことになりましたが、
でも今思うのはそういうことです。
文章書きだけではなく、いき方そのもので、
正しいと思うこと良いと思うことをやり、
良くないと思うことカッコ悪いと思うことをやらない、
人に優しく自分に厳しく、正々堂々と信じる道を淡々とまっすぐに歩く、
それだけのことです。

優しく笑ってすこやかに。
あたりまえを、あたりまえに。



6/26 負けたあかんやん (ユーロ2004 準々決勝 フランスvsギリシャ)

フランス 0-1 ギリシャ

ギリシャの得点:65分チャリステアス

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準々決勝4試合で一番の鉄板だと思われてましたが、まさか負けるとは。
フランスが「らしくない」もいいところで、シャンパンサッカーと賞されたパス回しは
完全に影を潜め、単調な単発単独攻撃を繰り返してはギリシャの組織的守備に
いとも簡単に弾き返されていました。

さすがにここまでくるとFIFAもちょっと考えた方がいいような気がします。

もちろん、ピシッとした守備網を築き上げそれを90分やってのけたギリシャの
頑張りには賞賛に値するのですが、だからといって正直に言いますと、
感動を誘うほどのものでもない。
アップセットの面白さ、というのはこれでもかこれでもかと襲いかかる強者が、
殴られても殴られても立ち上がる弱者に敗れる、というところにあって、
これじゃ50:50とまではいいませんが、10回やれば3回や4回は勝てそうです。

世界中の情報が瞬時に飛び回る時代になり、
攻撃に比べれば鍛えやすい守備が、特に中堅国のそれが急激に上手くなり、
0-0ならどんな相手でもやってのける可能性が増えてきた、
その要素は確かにあると思います。
しかしそれ以上に、列強のお歴々のパフォーマンスが下がっているような
気がしてなりません。
ユーロ2000のフランスやスペインはもうちょっとマシだったように記憶するのです。

02W杯でセネガル、韓国が上位に食い込んだように、
スター選手を揃える強国が、連戦の疲れと代表としてのチーム作りの時間不足で、
かなり弱っていると思います。
各国リーグが40試合弱、各国のカップ戦が数試合、加えて
チャンピオンズ・リーグやUEFAカップ。
その過酷な日程を終えて、それからユーロやW杯ですから、
コンディションが明らかに悪い。
特にこの試合ではジダンの精彩の無さが印象的でした。

たとえば今年、スペインではセルタというチームが2部落ちしたのですが、
ここはここ数年ずっと強くて、R・マドリードとバルサの2強に続く地位を
デポルティヴォやヴァレンシアと争う位置にいました。
で、去年4位になり、宿願かなってチャンピオンズ・リーグ出場権を得たのです。
ところがその試合数増が重荷になり、リーガで全く勝てなくなり、
監督を替えたりいろいろしたのですが効果無く、2部に落ちてしまいました。

かように、よほどの選手層を持たないと本国リーグとヨーロッパ戦とを
同時に戦うのは、大変なのです。

本末転倒じゃないか、なら途中で諦めたりすべきでは、と思われるかもしれませんが、
チャンピオンズ・リーグやUEFAカップに出ると、入場料や放映権がガバッとはいるので、
クラブとしては非常に美味しいわけです。
もちろん選手は名誉と挑戦心のために戦ってますから、諦めるわけにはいきません。
加えてR・マドリードに至っては、シーズン前のもっとも身体を作り
戦術やコンビネーションを磨く時期に、アジアに観光旅行でお遊びのサッカーを
やりにきます。
全てはお金のために。

ジダンはそういう意味で世界一忙しい選手と言え、
ヨレヨレのシーズンが終わったあとで連戦連戦の短期決戦4試合目、
ついにガス欠です、という感じではないでしょうか。
(そんな中でも1試合目のFKを蹴れるのは鬼としか言いようがないのですが)
アンリ/ピレス/ヴィエラもアーセナル無敗優勝の立役者、
チェルシーのマケレレ、ユーヴェのテュラムとトレゼゲ、バイエルンのリザラス、
マンチェのシルベストル。
各国の代表的クラブの主力です。
それだけくたびれ果てている。

それはスペインもイタリアもイングランドもオランダも同じ事情で、
だからこそどこもかしこも精彩を欠き、ヨタヨタと個人能力に頼ったプレーを続けるしかなく、
セットから1点でも奪われれば取り返しのつかない重荷となってのしかかる。
こうなればもうモチベーション勝負で、
開催国で圧倒的なサポートを受けるポルトガル、
引き分けでも大絶賛されるギリシャやラトヴィア、
初栄冠の欲しいスウェーデンやチェコ、
が、意図を押しつけ勝ちを奪う、それは必然とさえ言えます。

繰り返しますがアップセットというのはたまに起きるから面白い、
それも強いのを弱いのが倒すから面白いのであって、
弱まってる強かったものを強まってる弱いと思われているものが倒しても、
さほどの感慨はありません。
(ギリシャには悪いですが)
02W杯の頃からかなり思ってたことですが、「ユーロはさすがに別だろ」と
根拠無く思ってたのがこの敗戦で打ち砕かれました。

それより問題は、この流れで行くと、サッカーがつまんなくなるんです。
守って守ってミスの出るのを待つ。
あるいはセットからの1点で勝負あり。
試合が流れず動かず、ボールの奪い合いだけに終始する。

チャンピオンズ・リーグもおかしいな、と思ってたんですよ、
ポルトvsモナコ、なんの華もない。
カウンターの撃ち合いで、要するに「ミスらない方が勝ち」というつまらん戦いです。
それが一試合ノックダウンのカップ戦ならともかく、
こんな2チームが一次リーグを勝ちあがりホーム&アウェイのトーナメントを、
列強を薙ぎ払って勝ち上がってくる、それはやっぱり、おかしい。

ホーム&アウェイ一試合ずつの各国リーグ戦を縮めるのは物理的に不可能ですから、
やっぱり金になるからといって不必要なまでにチャンピオンズ・リーグやUEFAカップを
拡大したり、不要なカップ戦を開設したり、
それは角を矯めて牛を殺す結果になると思います。
一試合制・第三国開催・ノックアウトトーナメントにするとか。
各国の方も、これほどヨーロッパ戦が大事になってくれば、
ヨーロッパ戦に出るチームには国別カップ戦から除外する、
など名誉傷つかない方向でサッカー全体に貢献する方法は無いものでしょうか。

簡単に言えば、手段はどうでもいいので、
スーパースター集団の本気の戦いが観たい、
ただそれだけのことです。

ただ、ごちゃごちゃ言ってても現状はこう、なので、
今がチャンス、ある程度以上のどの国にも、
こうした大きな国際大会で栄冠を得る可能性のある季節です。
我らが日本代表も、ドイツ、強化次第では、もしかしてもしかするかもしれませんよ?
そんな勇気は与えてくれた、ギリシャの健闘でした。
ギリシャ人は働かない、とよく言われますが、
なに、やりゃできるじゃないですか(笑)

残るはスウェーデンvsオランダ、チェコvsデンマーク。
もはやまるっきり予測もつかない、という意味ではこれから先も楽しみです。
まあ……この方がいいのかもしれませんね。



6/25 カタログ引き出物

先日、親戚の結婚式に出て、引き出物がカタログ選択方式。
今日来ました。
見事第二希望。
テーブルサイドワゴンのはずが、卓上三段引き出しになってしまいました。

もうね、「原価安い方にしました」ってのが見え見え。
慌ててカタログひっくり返してびっくり、業者の名前どこにも載ってない。
もちろん百貨店でもないし著名通販業者でもない。
申込ハガキの半券には、「カタログギフトサービスセンター」という4個の普通名詞。

わっはっは。

最近、こういう目に遭った時に一番いいな、と思うのが
「笑っちゃう」
ことだと気づきました。
業者に怒ってみたり、
関係者に「アレはアレやで」と言ってあげようか言わずにおこうか悩んだり、
あるいは第二希望を書いた己の愚かさ加減を悔やんだり、
そういうのもう全部無し。
めんどくさいもん。
人生の時間がもったいないし。
「わっはっは、やられた〜!」
以上終わり。

(といいつつこれを書いてるのは矛盾と言えばそうなのですが、
 まあそこはそれ「絶対儲かる株式投資」なぞという本が量産され続けるのと
 同じと思っていただければ)

「笑い」というのは万能メディスンですな。
しかも「時」と違って即効性がある。
対処療法ではありますが。

蛇足しますと、
カタログそのもののクオリティはすごい高いんです。
起毛のハードカバーで「My Premiam」なーんてプレートのタイトルついてて、
中はアルバム方式で、白バックソフトフォーカスの小綺麗な写真が刺さってる。
やっぱり、外が必要以上に小綺麗、っていうのは胡散臭い。
中がスカスカだからこそ厚化粧するわけです。
だってヴィトンのバックや天童木工のデッキチェアでも並んでれば
(どんな結婚式や)
ガリ版刷りわら半紙一枚で充分、
そうなりゃこっちも家族で殴り合って選ぶわけでさ。

「名こそ惜しけれ」
というのがSamurai、日本人の最高の美徳だとするなら、
名の無いものほど信じられないものはありませんねえ。



6/24 チャレンジャー

今この話題を持ち出すこと自体、品が無いことだとは重々承知しながらも、
しかし無視するのも不自然ではないかと思いつつ。

「名は体を表す」と申しますが。

三菱自動車に「チャレンジャー」ってクルマがありまして。
96年デビュー、私その時思わず、
「こんな名前つけるあんた達こそチャレンジャーだよ!」
と叫びました。
86年にスペースシャトル「チャレンジャー」が
世界中の衆人環視の中73秒で爆発したのは記憶に新しいところ。

乗り物ですからねえ。
いかなIT成金でもホステスといちゃつくために買ったクルーザーに
「タイタニック」とは名づけんでしょう。

いや、そんなん全然気にしない人がほとんどだというのはそうです。
でも、世の中にはそういうのをめっちゃめちゃ気にする人もたくさん、
それこそ何百万何千万という単位で居て、
だから成田山さんは平日真っ昼間に行っても御祓い受けるクルマ並んでるわけです。
買う人乗る人だけじゃなくて、周りも気が悪いじゃないですか。
「うわ、前のクルマチャレンジャーや。爆発せえへんかな」
しかもダッジ・チャレンジャーのように伝統のある名前なら、
あえて変える必要もありませんが、なにも新しくつける必要もない。

結局問題は、
「なぜそんな名がアイデアとしてすら出てくるのか」
「なぜ多段の流れの中で誰も『それはちょっと』と言わなかった/言えなかったのか」
「なぜ意志決定機構がそれをブッスルーしたのか」
要するにチェック機構もなければ何万という社員の誰かの声が一切届かない
(届いても藻くずのように消えてしまう)
ところに最大の問題があって、そりゃ、そんな組織なら、
ハブも割れりゃシャフトも折れますわ。

「しまった!」っていうことは100%誰にでも起きうることで、
どんなに多段のチェックを繰り返しても、人為要素でその隙間を抜けるわけです。
バケツで放射線物質扱えば、どんな精密なマニュアルもどんな多重の安全機構も
なんの意味もない。
で、それが起きた時にどういうリカバーかますか、というところが正念場であって、
もうそりゃ、「ごめん」と言ってやれるだけのことやるしかないですわな。
腹くくって、それこそそれで会社が潰れても、そりゃもうしょうがない。
でも、それで大ピンチになっても、誠実だったな、と思えば、
世間の情状酌量もあれば手を差し伸べる人もいるわけで、
山一証券マンはよそでそこそこ頑張ってるわけです。

といってももう遅いですが。

こう、私メーカー出身なものでメーカーには超甘甘で、掲示板なんか見てまして
「S○NYのPCがまた壊れたよ! 客を舐めてる!」
とか書いてありますと、
「それ選んだお前の眼力がねえんだよ」
と呟いてしまうのですが、
そんな私でも、さすがにあそこまでいきますと言葉もないです。
乗って無くてよかったと思うと同時に、乗ってる方の心中お察し申し上げます、
いや皮肉じゃなくて真面目に。
次クルマ買う時経済的に苦労するもの〜。
今もうとめどがないほどどうしようもないらしくて、
中古車オークションとかも止まってるそうです。
ランエボぐらいですって、値がつくの。
あれが一番ハブ割れそうなクルマですけどね。

未曾有の大ピンチで、しかも日産やマツダと違って
「金さえあればなんとかなる……かもしれない」
という状況ではない。
メーカーとしても商売としても一番大切な「信頼」を根こそぎ失ってるわけで、
これを回復するには生半可な努力or作戦では通用しませんでしょう。
今となってはダイムラー・クライスラーの逃げ足、
あれは中身知ってたからやってのけた芸か、と穿ってしまいます。
買収もなにも買った方がイメージダウンになりますからねえ。
まさに進退ここに極まれり。

ただ、あたりまえですが、ほとんどの従業員の方々はみなさん真面目な方々
でしょうから、そうした方々が苦しむのは可哀想、です。
会社は、国と違って直接参政権のない封建制度ですから、
バカ殿様の悪政で民が苦しんでるのと同じ。
さりとて我々もしばらく三菱の車なんて買う気ゼロな訳で、
なにかいい方法は無いものか、と全くそういう能力がない頭でも
ボンヤリと考えてしまいます。

(余談ですがさすがにCM広告の類は今すぐ止めるべきです。
 大喪の礼などというどうでもいい時にすぐ止めれるのに、
 今止めなくていつ止めるんですか。
 こういうセンスないことしてるから
 「変わっちゃいねえな」と思われるわけです、よ)

普段勝ち誇ったように「ビジネスとは」などとおっさってるMBAとかなんとかシンクタンクとかなんとかとかなんとかとか、あるいは「マーケティング」とか「経営コンサルタント」とかなんとか、ごちゃごちゃ言ってる方々、
腕に自信があるのならこんなチャンスありませんよ。
中身は今も国内トップ5の実力がバッチリそろってて、
問題は市場の信用と信頼が一切ない、ただそれだけ。
しかも負けても誰にも責められない。イエス・ノーリスク。
これを生き返らせりゃ一生その自慢話で喰っていけます。
いや、教科書に載る。

どうです?
ここでこそ「チャレンジャー」にならないと。
負け馬には乗らない? んなこた小学生でもできまっせ。

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んーと、次なんか変なことが起きるとしたらホンダとか。

えっと、「ディテールにこだわり出すとヤバイ」というマイ基準がありまして、
90年代初頭のマーク2にサイドミラーワイパー設定してた頃のトヨタとか、
2代目シーマにアホみたいに巨大なドアハンドルつけてた頃の日産とか。
最近のホンダ車はもんのすごいディテールにこだわるんですよ。
それで「お、これいいアイデアだね!」なんて結果出てりゃいいんですが、
いやむしろ不細工。
きちゃなくなっただけのストリーム/ステップワゴンのマイナーとか、
エリシオン/ライフの妙ちきりんなドアハンドルとか。

要するに大筋真ん中で力入ってないから、余った力を余分なところに使ってるんです。

「客はアホや」
それは事実です。そこに気づくのが大人への第一歩ですが、
よい大人というのは(たとえば今のトヨタやメルセデス)
アホな客を全力で騙す
もので、だからこそ騙された方もヨダレ垂らして恍惚の表情を浮かべられるわけで、
アホ相手やからこれぐらいでええやろ、というのは絶対に失敗します。

ステップワゴンとかそうなんですが、
「両側スライドでなければ勝負にならない」
というのは今や「リンゴ落ちます」というのと同じ物理法則であって、
いいとか悪いとかいう問題ではないんです。
設計のし直しなんか要らないんですよ、切り裂いて穴開けりゃいい。
ワンボックスの運転特性なんか誰も見てない。
バランス悪くて転がったって「そりゃ運転が悪いですよ」ですみますもの。
アウディTTだってメルセデス・Aだってゴロゴロ転がる御時世、大丈夫大丈夫。
でも、それすらやらない。
規格変わり端に3年でライフを新しくしたり、
インテグラの目を泣く泣く取り替えたり、
あの頃の方がまだマトモだったような気がします。

ホントいうと、ホンダぐらいは、永遠の若者というか、
「これいいでしょ! ねね、ほら!」
っていうクルマ作りを続けて欲しいのですが、
世界規模になり社齢も重ねますと、やっぱり大人っぽくなっていくもんなんですねえ。
ちょっとつまんないです。

なにも起きないのが一番ですが。
誤解無きよう言っておきますがわたしゃ新車で3台買ったホンダ党ですからね。

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最近の若者でヤバイなあ、と思うのが、ネオナチみたいな子いるじゃないですか。
根拠のない反韓(反朝鮮)や反米のきわどい言葉ブンブン振り回すような。
胸の悪くなることに、たとえば液晶モニタの情報集めてたりしても、
(サムソンなど、韓国製が強い)
「石油缶で百貨店造る国の商品は……」みたいな言い方するわけですよ。

でも、我々もタイヤミサイル・トラックを造っててね。

結局、国とか民族とかそゆことやなしに、誰にでもどこにでも起きうることです。
今回の話だって、雪印の時だって、
「ああ、うちでも起こりうる……」
と、ほとんどのサラリーマン・ウーマンの方々が思ったんじゃないでしょうか。
そしてそんな時に、「なにもできないだろうな」を我が身を振り返って寂しい思いも。
せいぜいが、ひっそり辞めるぐらいですかね。
内部告発とか言いますけど、そうなると普段世話になってる、
そして善良な人々の顔がいっぱい浮かんでくるわけです。
そんな簡単なものじゃない。

ただそれでも、芽が小さなうちに、
「いや、これはやらなきゃダメです!」
とは言える、言えた、はずで、
今回のことをよく肝に銘じて毎日覚悟を決めるぐらいしか、
取りうる策は無いのかもしれません。
が、しかしそれこそが、一番効果のあるお薬だ、とも思います。

書いててくらーい気分になってきましたが、
やっぱり、好きなクルマ・好きなメーカーで起きたことなので、
書かずにはおられませんでした。
三菱自動車の皆様は、もはや失うものゼロ、「潰れて当然」なわけですから、
逆になんでもできる二度と来ないチャンスです。
タイヤが外れても乗ってみたいと思わせるクルマ、
頑張ってみてください。

システムが肥大化複雑怪奇化し、
誰かの小さなミスが、社会にカオティックなまでに巨大な影響を及ぼす現在です。
ミスはしょうがないとして、
「ごめん」それから「それはダメですよ」の大切さを、
忘れないようにしたいです。
繰り返しますが、これは、誰にでも、起きることです。



6/23 A4フルサイズ文明

弟さんのA4ノートが壊れたんです。
症状としてはHDDクラッシュですが、Celeron400という時代モノだったので、
これを機に新機種購入。
東芝のA4フルサイズ満艦飾ノートの春モデル在庫機を値切って買う、
という僕では考えられない購買行動です。
ウチの兄弟ほんっと似てないんスよ。

ところがねえ。
ええのよ、これが。

つまりね。
僕がサブノート機好きだったのは、もちろんモバイル用途で扱き使って愛着ある、
でもそれ半分、「技術の粋」、そのモノ的魅力が半分、だったんです。
今、技術という技術はA4フルサイズに注がれとる(泣)

あれですよ、もうかなり映り込まなくなったツルツル液晶15インチワイドの1280*800、「マジか」と思うぐらい高視野角高コントラスト、見やすく明るく鮮やかで、DVD鑑賞に充分堪え、応答はちょっとだけ厳しい気がするけど、色とかシャープネスとか文句なし。いや、下手なテレビより断然キレイ。件のDVDドライブはマルチドライブ、−+はもちろんRAMまで読み書きできちゃう。しかもDVDもCDも、OS立ち上げずに単独で観れる聴ける。めちゃめちゃ便利。GeForceGO5200載ってますから、FF11だってバッチリですよ。CPUはPentiumMの1.5で処理速度も文句なし。P4になおしゃ2.4ぐらいの力ありますからね。しかもずっと低発熱=低騒音だし。それにスピーカーは小型とはいえharman/kardonのバッチつき、確かに大音量では割れますが、普通に聴いてる分には「悪くねえな」。あとワードとエクセルついててもちろん無線LAN載って1394ついててSDカードスロットあって、そしてお値段が型落ちとはいえ18万。

むーん。

週末、HDD換装に気をよくして久しぶりにThinkPad関連のHP巡ってたら、
若松通商さんでs30用英語キーボードの出物を見つけてしまい、
しかも「最後の入荷です!」って書いてあってしまい、
ポチ、とボタンを押してしまい、
来てしまい、
換装してしまい、
20650円使ってしまい。

うぐぉう。

ヨーロッパの歴史ある都市、たとえばパリ。
古い建物を大事に大事に使い続けてるわけです。
困ったところ出てきたらすごいお金掛けて改装してね。
もう、ぜんぜん潰して新品建てた方が早いし安いし便利。
でもそうじゃない、歴史と伝統、それはお金では換算できない価値が……

泣いていい?

MD/CDラジカセ時代にモンスターケーブル買ってニヤついてる
オーディオマニアみたいな気分になってきましたっていうかそのままやん。
いや、もっとひどい。
オーディオだと、古くてもでかくても、「音がいいから」という絶対の性能は
10年でも20年でも保ちますが、PCの場合5年経てばどんな高級機だろうと
間違いなくガラクタですからね。
いやあ、もっとひどいですかね。
だって正直、ウチのデスクトップ、1年半前に「中の上」ってパーツ選って作った、
総額にすると30万はたぶんくだらないマシンより、「いい」んですもの。
ウチのマシンじゃ電源OFFでDVDなんか観れないし。
ゴツイし暑いし五月蝿いし。

そう、昔はノートPCって、デスクトップの何かを我慢したものですが、
今やなにも我慢しないどころか、デスクトップには無い何かすら手にしている。

業務用以外では、デスクトップPCって(日本では)なくなっちゃうのかもしれませんねえ。
いや、もちろん昔から「いずれは」だったんですけど、それがもう目の前に来てる、
そんな気が強烈にしました。

---

ノートばっかになってくると、2年リースでたとえば5000円/月、
レンタル明けたら新機種をまたリース、そんな法人リースみたいな個人版も
普及するかもしれません。
ノートは特に破損・紛失・故障が怖いので、その辺の保険とか代替機の手配とか
合わせてやられると、TCO削減、という意味でSOHOでも魅力的な気がします。
中古買い取りとか、最近は廃棄ですら面倒ですからね。
そんなのも全部一体サービスで。
デルとか得意そうですけどね。
もちろん周辺機器一式の顧客管理もやっちゃうわけです。メールで
「年賀状の季節ですがプリンタのインクは大丈夫ですか? ご注文はこちら!」
あんまり行きすぎるとスパイウェアみたいになっちゃいますが、
「DVDをよくご覧のようですが、どうです今度の新機種!画質がぐーんとアップ!」とか、
「HDD容量でお悩みですね!そんな貴方に外付けHDDを特別ご奉仕!」とか。
お節介かなあ。
いや、ウィルスガードとかももう一体化しちゃってサービス内容にONした方がいいかも。
あとADSLとか回線も……

一見大量生産大量消費を促進させる旧来的な考え方っぽいですが、
だってもう人々の欲に歯止めなんか掛けようないんだから、
それならその欲を上手くコントロールした方がいいと思うんですよ。
禁酒法も売春防止法も賭博禁止法も、
人間が人間である以上成り立つはずないんだから、
コントローラブルな抜け道用意した方がいい。

なら、リース/レンタルに、ユーザ側に充分なメリットがあれば、
メーカーが生産から廃棄までコントロールできる……ある程度は。
これ、やっぱり流通とか第三者ではやりきれないことなので
(ごく薄い販売マージンに長期的に回収させるリスクを負わせるのは不可能)
メーカーがやるしかないような気もします。
メーカーというよりもサービス業ですが、技術で勝負できない(する気のない)メーカーは、
(それをメーカーと呼んでいいのかどうか疑問ですが)
結局サービスで差別化する他ないのでは、とか勝手に思ってみたり。
でなきゃ結局デルですよ。
全てが同じパーツで構成されファイナル便益が全く同じ、
しかもデザイン要素が機能によって強烈に制限されるPCにおいては、
2位3位なんて選ぶ意味無いもの。
んで「いや俺は判官贔屓」とか無理して2位選ぶと撤退されるし。

まあ、でも、それは極端な話で、軽くクルマ程度に、
デザインやブランディングで微妙な棲み分けができちゃうのかも。
特に日本市場では。
私、あの、最近おっちゃんになったなあ、と思うのが、
「auの端末の方が魅力的」
とか言われてもなにがなんだかサッパリわかんないんです。
「わからない」ということはもう我々好事家の手を離れた、ということで、
ちょいと寂しいですが、抗いようもない時勢の流れなのかもしれません。
もちろん、そのこと自体に良し悪しはありません。

そういえば、PCI Expressのプラットフォームがデビューしても、
なーんの感慨も沸きませんわ。

僕が子供の頃、オーディオマニアのおじさん、なんて存在は
すごく「趣味人!」って感じがして、一種憧れの眼差しで見たものでした。
レコードプレーヤーは重さが命、針がMCだMMだって言ってるような方々ね。
今そんな人は絶滅寸前ですが、気がつけば、自分が同じような立場に立ってます。
「CPUクーラーはALPHAだよ!」とか。
でもきっと、今僕をそういう目で見てる子供達も、
次の子供達には同じ目で見られるなにかにこだわってみたりするのでしょう。
なんでしょうね、小型ロボットとかでしょうか。電動スクーターみたいなのかも。
インターネットみたいに、思いもかけない凄い発明があるのかもしれません。

なーんか、とりのこされちゃったなあ、っていう気がしながら、
弟が視聴している「ラストサムライ」の画面に見入っていました。
いやマジで綺麗なんだこれが。
でも、「あまり詳しくない人の方が結果的に利益を受ける」というのは、
文明社会として非常に正しいありかたのような気もします。

誰もが、便利で快適で安全な生活を営める。
それが、文明ってヤツで。

文化とはまた違うのが考えどころだけど。
そそ、文化だったんです。サブノートはね。
それが喪われて、文明に呑み込まれていく。
両立できるはずなのに、呑み込まれていく。
それはもう、吐き気がするほどお馴染みの光景です。
そして後々、喪ったものの大きさにアフターフェスティバル。

いいなあ、と思いつつなんだか寂しかったのは、
またこれか、と思ったからかもしれません。



6/23 これもサッカー (ユーロ2004 グループC)

イタリア 2-1 ブルガリア

イタリアの得点:48分ペッロッタ 94分カッサーノ
ブルガリアの得点:45分(p)ペトロフ

デンマーク 2-2 スウェーデン

デンマークの得点:28分トマソン 66分トマソン
スウェーデンの得点:47分(p)ラーション、89分ヨンション

(スウェーデンが1位、デンマークが2位で決勝トーナメント進出)

---

PK戦というのは、極限の精神・肉体状況で行われるからか、
そこまで引っ張ってきた主役達が外してしまって結果が決まることが多いです。
00シドニーの日本-アメリカ、我らがヒデ、02W杯韓国-スペインのホアキン、
もちろん94アメリカのR・バッジョはいつまでも語り継がれることでしょう。

98フランス準々決勝、フランス対イタリア、白熱緊迫のスコアレス・ドローはPK戦へ。
最後はディ・ビアッジョが外してフランスが勝利しました。
彼の好調がチームを支えたともいえる大黒柱で、万感胸に迫るモノがあったのでしょう、
うずくまって号泣します。
その彼を慰めたジダンの言葉が好きで、よく覚えています。
「セ・ラ・ヴィ」(これも人生さ)。

この2試合始まる前の状況というのが、
「デンマークとスウェーデンが2-2で引き分ければ、
 『イタリアの結果にかかわらず』両国共に決勝T進出」。
イタリアが勝って勝ち点5で並んでも、3国同士の試合での得点数が下回るからです。
もちろんイタリアチームやマスコミは
「まさかやらかすんじゃねえだろうな」
とプレス掛けてたんですが、見事やらかされ……たとはさすがに思えないですが、
気分として「2-2はありだよな」と22人が思ってるのと思ってないのとでは
じぇんじぇん違うとは思います。
しかもまた微妙なことに次の相手、2位抜けがチェコ、1位抜けがドイツorオランダ。
デンマークから見て2-1になった時に、そのまま勝ちきればまずドイツなわけです。
その時点で「チェコのがいいかも」と目標を転換しても、それは勝ち上がるための
正統な戦術ですから、誰にも文句言えませんわな。

そしてイタリアは無敗のまま涙をのむ。

しかし要はこんな状況を起こさなければ良かったわけで、
1勝2分けなんてショボイ成績で突破しようというのがそもそもの間違い、
あれだけのタレントを揃えとるわけですから、何がなんでも勝ちなはれ。

ま、これもサッカーさ。

予想なんてするもんじゃありませんねえ。
02W杯も、「う〜ん、やっぱりフランス!」とか言って
思いっきりグループリーグ敗退しちゃいましたし。
評論家の方々は偉いわ。

---

サッカーがあまり好きではない方々のご意見を総合すると、
「強い方が勝つわけではない」という不確定要素が大きすぎる、
点に集約されるように思います。
引き分けの存在、ホームアドヴァンテージの大きさ、ピッチや天候のコンディションのブレ、ビッグクラブと弱小クラブのあまりの戦力差、審判の不安定な裁定が試合内容に甚大な影響を与える、そしてPK戦という理不尽以外何物でもない最終決着手段。
一見、的を射ているようにも思えますが、
そこが人間の所業の面白いところ。
一年40試合弱戦うと、まずは強いところが勝っちゃうのです。
J発足10年を超え、栄冠を手にしたチームは
磐田、鹿島、横浜、V川崎、広島、清水、
たった6つです。
特に常に争えるとなると前の3つだけ。
J2上位も入れれば20かそこらのチームが血眼になって争ってるというのに。
「強い方が『必ず』勝つわけではない、しかし、『結局は』強い方が勝つ」
というよりも、それらの種々の理不尽と不確定を乗り越えて
「勝った者が強い」
のが、サッカーというスポーツです。

言葉遊びのようですが、しかしそれは真実で、
何を「強い」と定義するかといえば、「勝てる」以外のモノサシはありえません。
そういう意味で言えば、「勝った」チーム=「強い」チームです。
襲い来る理不尽は誰にも同じ、今日それで勝ちを拾えば、明日はそれで勝ちを喪うのです。
そう、それは、人生と同じ。
セ・ラ・ヴィ、なのです。

あいもかわらず同じ弱点抱えて平然と乗り込んでくるスペインの敗退には
同情の余地ありませんが、せっかくほんのり攻撃的になろうかな、
としていたイタリアが負けたのは惜しかったです。
もうちょっと、エンジン掛かってからが見たかったなあ。
06ドイツでは、ぜひ、オフェンシブ・イタリアを見せてもらいたいものです。

おつかれさまでした。



6/22 本はアイコンである

おっちゃん、最近脳集中力無うてなあ。

最近本読んでても、「おもろいなあ」思う本でも、いや、「おもろい」思う本ほど、
読むの時間かかるねん。
何ページか読んでると、バッファっちゅーかキャッシュっちゅーかが一杯になってしもうて、
消化しきれんくなる。
ほなもう先へ進まれへん。
飽きてる、倦んでる、そういうのとはちょっとちゃうねん。
もちろん嫌になってるわけでもない。
また次の日には嬉々としてページ開くわけやな。

思うんやけど、歳とるとな、経験が増えてるからな、
「読書スキル」そのものが上がっとんねん。
せやから、おおよそおもろそうなところつまらんところ、作者の力の入れどころ抜きどころ、
また自分の好みに合いそうなところ合わなそうなところ、
「勘で」わかってくんねん。
第六感やな。

友達のクルマ好きが昂じてカー・セールスマンになってもた男が、
「カーセンサー」のちっちゃいちっちゃい画素粗い粗い写真見て
程度見分けるのと同じ能力や。

粗々で見ても、全体がぴしゃっと見えるようになる。
なにもおっちゃんだけの魔法のチカラちゃうで、誰にでもある能力や。
それも、どこにでも発揮されとる。

たとえば今使ってるPCなりMacなりのデスクトップ見てみいな。
キレーなアイコンが並んどる。
これあれやで、たった32×32ドットやで?
iTunesのアイコンなんかホンマよーでけてるわ。めちゃめちゃキレイや。
せやけど32×32ドットでそのまま、ダイレクトに、絵なんか描かれへんでえ?
試しにやってみ。
なんぼほどせっばいせっばいスペースか。
おっちゃんら若い頃、16×16ドットでチップキャラ表現しよう思たもんや。
128×128ドットとか言うたらそらもう「え、そんなスペースいただいていいものですか」
と恐縮して身を縮めながら恐れおののいた。
おっちゃんの原画を鯖王さんがラップスキャンして……
おっと、昔話はもうええわ。

そう、生で粗くすると、ホンマ粗いねん。
今でもVectorとかで手に入る素人さんのフリーソフトの類、
あんまりキレイでないアイコン多いな。それが普通やねん。
iTunesのアイコンは、美しくあることに命かけとるAppleの連中が、
特殊で複雑な演算をする(故にものすごい計算を必要とする)3Dソフトで
作り上げた美麗な画像を、これまた一生を画像縮小にのみ捧げようかって連中が
夜も寝ずに開発した画像縮小専用みたいなソフトで縮小しとるわけや。
せやから、32×32に、それだけの表現力がある。

本っちゅーのは不思議なもんで、文庫本一冊、原稿用紙にして300枚から500枚や。
せやけどその同じ300枚で、人の人生を変えてしまうほどのものもあれば、
焚き付けにもならんもんもある。
作者はそれぞれ、何十年も煩悶しながら、あるいは鼻ほじりながら数日で、
中に沸き立ついろんなものを、ぎゅーっと圧縮する作業をするわけやな。
沸き立つものが素晴らしく、圧縮能力が高ければ、それはええもんになる。
慣れてくると、ほん一部見ただけで、
iTunesのアイコン一目見て「キレイやな」と思うぐらい簡単に、
「ああこれはええもんや」ってわかるようになる。
そしてええもんほど、圧縮率が高くて純度が高いわけやから、
それを解凍して味わうのに時間がかかるようになるわけやな。

とすると、ようようにして、この歳になってはじめて、
本の中に込められてる熱量の多い少ないが、
わかるようになってきたちゅーことかもしれん。
逆に言うと、しゅぱしゅぱ読めるような本ばっかり読んでてもしゃーない、ちゅーことか。
いや結局、同じ32×32ドットやねん。
しゅぱしゅぱ読もおもたら、どんな名作でも問題作でも、しゅぱ、読めんねん。
要はセンサーを鍛えて、「これは!」と思える力、それを大事にする、っちゅーことやな。

精読と多読はお互いに補うもんや。
ぎょーさん読まんと何がええのかもわからんし、
ええの見つけたら骨までしゃぶるのが一番や。
おっちゃんも、昔読んだ名作をもう一回読もかな、と泣きそうな気持ちでいっぱいや。
しゃーないねんけどな。
「こころ」の味わいのわかりすぎる中学生とか、オカシイやろ?
「芥川が」とか言う高校生とか、かまへんからグーで殴ったれ。
ん?おっちゃんも昔そうやったんちゃうの、って?
ワシもう高校生ちゃうもん。

……っちゅー理屈考えて、「衰えやない」と自分に言い聞かせてんねやけど、
でや?
まあ、たとえそうやったとしても、そんなもんもうどうしょうもないので、
せめて次の日も開けたくなる本を読も、とは思てる。



6/21 ダメだこりゃ(ユーロ2004 オランダvsチェコ)

グループD  オランダ 2-3 チェコ

オランダの得点:4分ボウマ 19分ファン・ニステルローイ
チェコの得点:23分コーラー 71分バロシュ 88分シュミチェル
(チェコ、決勝トーナメント進出)

あかんわ。
オランダ、チームになってない。
バラバラ。

まず栄光のベテラン勢(ファン・デルサール、コクー、スタム、ダヴィッツ、セードルフ……)
と若手の間に埋めがたい溝があります。
能力的なものではなくて、考え方が違う。
ベテランが「まあ落ち着かせて」と考えている時に若手がつっかかり、
若手がガッツリ行こうとしてるのにベテランの腰が重い。
それでもベテラン中心におはなしが回ればなんとかなるんでしょうが、さすがに寄る年波。
なんか1テンポ遅いんです。
1失点目、もちろん無確認でパス出したコクーも悪いですが、
スタムの位置取りも恐ろしく誰もいない後方。CBとSBの連携など無いも同然。
コクーは本来中盤底のはずなんですが、びっくりするほどDFラインに貼りついてました。
公式HP見るまで、スタムと組んでCBだと思ってましたもん。
あんな風になっちゃったら、逆に中盤制圧力下がるから、
なんぼサイドアタッカーが人数いても、意味無いではないですか。

もうまるっきりチームとして何がしたいのかわかりません。
これは監督のせいかな。
だって同じ環境のフランスは、もっとマシなチームだもの。
やはり監督というのは、戦術・指揮だけでなく、「チーム作り」の能力が大切ですねえ。

それでも無様な負け姿晒すぐらいなら、個人能力でなんとかする手もあると思うのですが、
それは伝統的に苦手ですね、この国は。
ニステルローイも突っ立ってるだけ。ウイング置く以上真ん中に張らなきゃならないのはわかりますが、「お前何様や」とツッコんでしまいました。
んなこと今やロナウドやヴィエリでも許して貰えないですよ。

ああ、もったいない(泣)

ほん4年前、イタリアをゴール前に貼りつかせサンドバックのように殴り続けた、
(でも勝ちきれずPKで敗れた)
あの強いオランダを知る者には哀しい敗戦でした。

対するチェコ、いや、ナイスバランス。
2点目、ネドヴェドがサイドから速いクロス、202cmコーラーが胸で落として
走り込んだバロシュが撃ち込む、教科書に載せたいような綺麗な1点でした。
チームとしての有機的な動きができれば、FWなんか電柱で充分。
高い個人能力を無駄に殺してるだけのオランダとあまりにも好対照。
オランダ相手に2点ビハインドでも諦めないガッツも素晴らしい。
これと言った必殺技は無いのですが、結局16チーム初の連勝で
1番に勝ち抜けを決めてしまいました。
お見事。
日本が見習うべきはこの姿勢。

サッカーは、チームスポーツですな。

というか、練習試合とはいえこのチームに勝てたというのは、自信持てますなあ。
ギリシャがポルトガルを倒し、ラトヴィアがドイツに脂汗をかかせ、
イタリアはまだ1つも勝てず。
目が離せません。



6/20 脱力もまた力なり。

脳に関する研究がすすんで、睡眠の効用も少しずつわかりつつあります。
レムとノンレムに分かれるのは皆様ご存じだと思いますが、
夢を見てる方のレム睡眠、この時脳はとても活発に活動しているらしい。
どうも起きてる間に仕入れた情報を、整理し直す時間のようです。
だから夢というのは言ってみればデフラグ中の脳の一時待避データが、
あっちゃこっちゃから引っ張り出されてまた格納されて……
という過程で起こる偶然の産物にすぎない(かもしれない)。
もしそうならフロイトユングがっかり、文字通り夢もチボーも無いですが、
まあ科学というものはそうやって進歩していくわけで。

ともかく、睡眠というのは、決して休息だけではなく、別モードでの活動時間のようです。
だからとても大切なんです。削るなんてとんでもない。
そういえば、とても難しくてワシャワシャになった問題、ふてくされて寝て起きたら、
「あ、これはこうじゃ?」とすぽーんとわかっちゃう、そんな経験もありますよね。
あれは、充分な休息で脳が活力を取り戻す他にも、
睡眠中に一生懸命情報の整理・記憶・あるいは検索や思考までをも
やってくれてるからのようです。

これ、(もちろん根拠なんかゼロですが)たぶん身体もそうで、
睡眠中、というのはただ休息/スタンバイ/エコノミー/リフレッシュモードなだけではなく、
起きてる間にはできないことをやる、
(例えば起きてる間に頻用する要素を生産したりとか)
別モードの活動、とも言い換えることができそうです。

ネコというのは、1日15時間ぐらい寝るそうです。
日がな一日寝てるわけです。あれ見てると、
「結局人生喰って寝て終わりかい」
と世のあはれを感じずにはいられません。
ナマケモノとかそうですよね、そんな動くの嫌なら生きるな、と。
そうじゃない。
寝ている時間、それもまた人生なのです。
それを表現するのは、起きてる時間にしかできないにしても。

---

そしてこれをちょい拡げると、
「脱力もまた力なり」
という考え方になります。
先日の「動き」シリーズで考えましたように、自然の力に身を任せ、
例えば重力に従って身体をぽとん、と落とす、これも素早くロス無いよい「動き」です。
力を抜くことで、動きを出している。
結局欲しいのは「動き」であって、力はその手段でしか無い。
そして人間が意図的に出せる力などたかが知れていて、自然がくれている力、
こいつがすこぶる大きい。

睡眠中の情報の再構築能力、おそらくはこれもベース性能に依存して個体差があるのでしょうが、しかし少なくとも意志とか気迫とかそういうところには左右されない(……かな?)。
ともかくそれこそ、起きてる時間と同じぐらいのことをオートマチックにやってくれている
モードかもしれません。
これを利用しない手はない。

ストレッシブな現代社会に置ける健康バディのまず第一歩は、
「とりあえずリラックス」と最近よく思います。
こんなわけで、力を抜くことと力を出すこと、それは等価であるように思ったりするのです。

例えば、背中に枕当てて脱力するだけで、背骨がボキボキ鳴ります。
(僕の背中はちょっとあれすぎるのですが)
胴体の重みが左右に天秤棒のようにかかるので、中央の背骨が伸びるわけですね。
無理して伸ばしたり、電動フットマッサージャーをゴインゴイン言わさなくても。
小さな具体例のほんのひとつにすぎませんが、こうして応用の効くところは、
いくらでもあるような気がします。

標準状態は決してパワーオフではありません。どこかに何かが突っ張ってるから、
生きていられるわけで、アイドリングなわけです。ではなくて、
パワーオン−ニュートラル−パワーオフ(別パワー利用中)
とすると、高燃費かつバラエティに富んだ動きができそうです。
プリウスも要らない時はエンジン止めます。鷲や鷹のような猛禽類は、よく滑空してます。
ああいう感じで。

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また、表現の者にとっては、脱力は「我を離れる」手段のひとつです。
表現というものは、その対象に自分をシフトさせたり、見てくださる相手の目になったり、
また、本来形無きものに形を与える、
つまり客観化するという業である以上、
「我を離れる」ことはとても大切になってきます。
生身の人間としての「我」を脱力を通じて離れ……というとカッコイイですが、
要するに肩の力抜いて「あーまーこれはえーわ」を繰り返していくことで、
最後の最後に「これだけは」が浮かびあがる。
これがエッセンスなわけで、ここを描ききれば、まあ後はなんでもいいんです。
飾りは適当で。

随筆や感想文でも、結局、なまの自分をそのまま描いては、相手に伝わらない。
「すげえ、すげえ、すげえ」では。
「野茂のフォークぐらいすごい」と言って初めて伝わる。
そこで、すごさに感動してる我、以外の自分、それが必要になります。
離れて初めて、すごさを「表す」ことができる。
表さないでいいのなら、ただ、感動に打ち震えていればいいわけです。

脱力はその幽体離脱の一つの方法のようです。

もちろん、力入れる方が無意味なわけではなくて、
こっちもそっちも、で、幅が広がるわけですけれども。

脱力、簡単なようでとても難しいです。
僕の好きなアメコミにコンピュータエンジニアの悲哀をコミカルに描く
「DIRBERT」があるのですが、あれのTシャツが日本橋で非売品で飾られてて、
胸に大きく書かれたキャッチが
「DO NOTHING!」
サラリーマン生活ではそれこそが非常に大変なことだ、
というのはもう、皆様ご存じの通り。
だから人気があるわけで。

どちら向きでも、幅を拡げるのは簡単なことではないですが、
拡げ方はいろいろある、というお話でした。
寝る子は育つ、とはよく言ったものです。



6/20 スピード

(これも寝かせてみましたが止まっちゃいました。掲載します)

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パッとやったらそれで完成。
これがどうやら、理想です。
できたら、できあがり。

井原西鶴の矢数俳諧の記録が一昼夜に23500句。
「作って即完成」ならばいけそうなんです。
全部単独歌だとして57577、一句で31文字、×23500で約73万文字。
一昼夜24時間で1440分。
728500/1440=505.9字/分。
漢字仮名交じり文にすると、(つまり密度あげると)久米宏さんだと560字/分、
標準的なアナウンサーでも400字超えるらしいですから、
「しゃべる」だけなら充分いける。
ただ、口に出す即句になってる、という条件さえ満たせば。

あるいは梶原一騎先生が夜な夜な赤坂で豪遊して月産1700枚(850KB)。
もちろん、PCもワープロも使わずに、です。
「遅かない」と思ってる僕(ぱつんぱつんで月産500KB)の倍を、思いっきり遊びながら。
これはもう、「書いたら完成」でないとありえないスピードです。
もちろん推敲もされたと思いますが、それは、あくまでミスの確認と潰し程度であって、
「推敲して完成度を高めていく」
あるいは
「完成形を変化させていく」
という類のものでは、どうもない。

そういやピカソもゴッホも最晩年はめちゃめちゃ速筆です。
ゴッホは毎日一枚仕上げてましたし、ピカソも今うじゃうじゃ作品残ってますよね。
「あの二人の作風だからできるんだよ」というのは表層に目を囚われすぎで、
フォーマットと作品の完成速度に関連性はありません。
文章なんてのは特に同一の土俵ですが、何十年も掛かったものもあれば、
二週間で書かれた名作もある。

常に「できたらできあがりでなければならない」とまでは申しませぬが、
「基本的にできたらできあがり」ぐらいの力を持ってる、
のが理想なのでしょう。

そこで。
この、「できたらできあがり」、
これを実現するためには、どうしたらよいのでしょうか。

雀鬼桜井章一さんが、お弟子さんに
「3秒以内にツモって切れ」と教えてらっしゃるそうです。
大雑把に言えば、迷うようならダメな手だと。
また、水泳のトレーニングで、選手にヒモつけて、目標タイムで無理矢理引っ張る、
というものがあるそうです。
そのタイムの時の身体の感覚、これを身につけさせる。
これはかなり画期的方法だったらしく、一般的に効果がある、と認められてるらしいです。

つまり、スピードを出すことによって、スピードが身に付く。
パッとやったらそこでお終い、
それを意識的に訓練していくと、
いつしか「パッとやるとパッとできる」ようになる。
……かもしれない。

ここで大切なのは、速度それそのものではなく、
当人の「パッと」「スッと」(なんでもいいんですけど(笑))
であって、できもしない無理矢理な速度を設定する必要もないと思います。
また、「頭の中で反復推敲するスピードが上がる」というのとは、また違う。
それは紙上でやってる推敲を頭の中に戻しただけで、
速度以外ではさほどの意味はありません。
あくまでも、「出たら、出来てる」というのが目標・主眼で、
速度自体は別にどうでもいいわけです。

---

というわけで、最近はそれを意識しながら書いてます。
妙に「ほえなが」の量が多いのは、そのためです。
あまりイロイロ考える前に、まずキーを叩く。
できるかできないかは神のみぞ知る、いいか悪いかは読者さんのみぞ知る、
テメエはとにかくキーを叩け、と。

そうしてるうちに、
「パッと」にもいろいろあって、「スジ」みたいなのがわかってくる。
閃きにも小さな閃き大きな閃き、
きらびやかな閃き(でもすぐ収束する)地味な閃き(でも蚊取り線香のように長い)
いろいろある、ことが見えてきます。
なら、ドガーンってヤツにはそれ相応の堅牢で重厚な文章を、
キラッてヤツには軽くかわいくコンパクトな文章を、
ってところが、自然と見えてくる。

……んじゃないかな〜、とかとかとか。

---

手前味噌お恥ずかし、なんですが、
こないだ書いた「忍」ってじぇんじぇん推敲する気になんなくて、
「もうええやん」みたいなところがあるんです。
それは、めちゃめちゃ出来がいいっていうわけじゃなくて、
もちろんサボってるわけじゃなくて、飽きてるわけでもなくて、
わりと無理なくスッと書けてるので、「いじりようがない」んです。
(もちろんダメパートあるんですが、切るか残すかしかなくて、
 残させてよ、っていうのはいつもの癖で……)

で、これは結構、思ったよりいい感じで、
「うむ、理想は、あがっちゃったらあがってるのがいいよな」
と素直に思えました。

思いますに、完成形からのブラッシュアップ、というのは、
「本人満足度」を80点から82点、83点……にしていくものではないでしょうか。
(単純ミス修正を除きます)
でも、「客観クオリティ」みたいなものが、80点(あったとして)からどう動いたか、
なんて、神様でも知りゃしない。
ヘタすると、78点、76点……ってなっちゃってるかもしれない。
ならもう、変なことはしない方がいいのです。
映画のディレクターズカットみたいなの、喜んでるの監督だけですよね。
(物理的不具合修正とか、他メディアに展開する時にそこに合わせて加筆修正するとか、
 それはしょうがないですが)

名作「オズの魔法使い」の名シーン、ドロシーの「Over the Rainbow」の独唱シーンは、
エライさんに「タルい」と切られかけたそうです。
それを音楽監督かなんかがぶん殴って止めたらしくて、
だからこそあの曲はあれだけの名曲に育っていった、とか。

そう、もう「意図通りあがった」ら、それが世間一般標準常識に比してどうだ、
なんてコチョコチョ考える前に、えい、てのがいいようです。
後でごちゃごちゃ弄り回すよりも、
弄り回さなくてすむ、骨から出来のイイヤツを作り出せる能力を、磨くべきで。

昔、g石アナのお宅にお邪魔して、一緒にネットやってて、
メールかうちの掲示板への書き込みだかを、
僕が「ちょっと待って推敲するから」と言うと、
「さっすが本職」と言われました。
「えっ!? 源ちゃん(仮名)推敲しないの!?」
よく考えてみれば、g石アナの仕事は、推敲の効かない仕事でした。
彼は普段から、一発勝負。

文章だから、(後でなんとでも)という甘えは確実にあるのです。
そりゃもちろん、誤字脱字や明かな文脈矛盾は直さなきゃダメですが、
「これでいきたい!」と思ったら、それ一発で決める、
それは表現手段全てに共通する理想の姿、であるようにも思います。
絵でも、たとえば水墨画はやり直し効かないわけで。
文章でも、「連載」ってやり直しが効かない。
あんな怖いことよくするなあ、って感心するんですが、
これも要するに一発でキメりゃ、問題ない。

---

まとめます。

「スッとやる」っていうのを以前お話ししましたが、
基本はあれと同じ、「居つかない」という甲野先生のお言葉も同じ、
パッとやって、できてる。
そのためにどうもポイントは、
「無理なく」=「アイデアやイメージに適切な手法・テクニックを選択している」
ということらしく、そこを鍛えるには、逆に、
「スピードに乗ってパッとやってみる」
と、よいかもよいかも、と。

走ればそのうちどこへ走っていいか見えてくる。
それ繰り返すと、身体が走り方覚えて、
だいたいどっち向けばOK、って勘と学習が働いてくる。
そうするとついには、「走り出せば目標に向かってる」。
(目標に向かって走り出すのではなく)
こんな感じかな?

脳の把握した因果律を厳密に考えすぎ・そこに重きを置きすぎるのは、
人間の傲慢かも知れません。
身体だって考えてくれてるわけで、偶然だって作用する。
「なんかしらんけどこんなアイデア、どない?」
というどこかからの微弱なシグナルを、脳にあまり考えさせすぎない、
のがいいのかもしれませんね。

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(……という一文を、こともあろうに寝かせていたわけです(笑)
 我ながらビックリするほどアホウでごじゃりまするな)



6/20 重厚な人格

(本日は在庫一掃セール……)

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「重厚な人格」。
大人っぽくて、カッコイイですよね。
ちゃらんぽらんと生きてきましたわたくしも、
そういうものにちょっぴり魅かれちゃうお年頃です。
軽い軽いと言われて幾星霜、憧れもあります。

高校生の時かな、休み時間に浅はかな持論の展開をしてたんです。
今とやってること全く一緒。
「漢文とか今やってもしょうがない。
 同じ時間を使うなら、もっと実学・実用性のある最新のものをやるべきだ」
なんてね。それを聞いて同級生優等生がぴしゃり。
「でもそれも、勉強するのは、悪いことじゃないよ」

まーったくおーっしゃるとおーりでー。

内容よりも、その年にしてそういう「知の王道」を見据えてる、
その精神の成熟度合いが実に羨ましくて輝いてて、
浅薄な自分に思わず頬を染めてしまいました。

どやったらなれるのでしょ?

そんなことを考えつつまた甲野先生の古武術の本めくってて、
タックル潰しのイメージがこう書いてある。
「自分の重みを、一気に、最短時間で一点にかける」。
体重60kgでも、それを相手の腕の一点に、ブロンズ像を上から落下させた
かのようにかける。
確かにこれなら、とても効きそうです。

それが「重厚さ」ではないでしょうか。
力を入れる(わざと重厚に振る舞う)のではなく、
体重を増やす(知識を仕入れて固める)のでもなく。
そう、逆に究極に精神が軽やかであることこそが、
重さ、不動さ、強さ、決めるべき時にドシンと決まっている、
肚がすわっている、
そこにつながる。

効率とかそんなことコチョコチョ考える前に、「学ぶ」とはなにか、
その一点に五条大橋の牛若丸のようにふわりと戻って考えれば、
答えはおのずと明らかです。
自分が大事とか、受験がどうのとか、社会ではどうだとか、
そんなところに固着しているから、跳び立ってないから、グッ、重く来ない。
組み合った相手の手を、自分の足はべったりと「自分の考え」という地面につきながら、
下向きに押してるだけです。
これでは、インパクトが無い。
ではなく、一瞬一点、凝縮原点、最後に戻る基礎の基礎(FPですな)に立ち返って、
それだけをガツン、とぶつける。
これが非常に効くわけです。
相手にとっては実に重い。

これこそが、精神の重厚さ。

もっていき方は人それぞれ。
常にセンターを意識するタイプもいるでしょうし、
極限まで足腰の軽さを鍛えて荷重移動の技をマスターするタイプもいるでしょう。
ただ大切なのは、
最後にかける一瞬一点、それがどこで、なんなのか、
ってことを意識すること、なんでしょうね。

ハッ!
ということは軽いってのも道一つじゃん!

……と、自分を慰めてみるのです。
軽いなりに、それを活かして、スズメバチのように刺してみましょう。



6/19 s30パワーアップ

ふと思い立ち、ThinkPad is30をパワーアップしました。

腐れ縁です。

ラブコメなど読んでますと、
「あ、あんなヤツとはただの腐れ縁よ!」
などと頬を赤らめながらぷい、と言い放つポニーテールのヒロインなぞが出てきますが、
「『腐れ縁』ってどんなんだろう」
と、そういうものにはそれこそ縁がない僕には、よくわからなかったのです。

要するに、「好きでもないのにずっと一緒」てのが、そうなんですな。

好きでもない、どころか、気にくわない部分が山のようにあります。
栄光のキーボードも「最高!」から「よそよりゃマシ」にまで堕落し、
突起の多いデザインは鞄中でひっかかりまくり、
売りのミラージュブラックは指紋尽きまくるだけで逆にこれ以上ないほどに醜悪、
そもそも初期型で基盤がおかしいかなんかで、音源チップにバグがあるくさく、
1時間もmp3聞いてると「ビビィッ!」とかプラズマXが鳴き出し、
心臓が鷲掴みにされるようにビビリます。
もちろん公式発表など無いので滅多なことは言えませんが、小型TP初の台湾製
(アッセンブルという意味ではなく、OEM専業メーカーへの丸投げ)
という噂もあり、535や560、あるいは570や600を知るものに取っては、
はっきり言ってガラクタ
です。
もう一度言いましょう、こんなものにThinkPadの名前を与えるのはどうよ、というぐらいの、
はっきり言ってガラクタ
です。

これが売れなかったので遂にIBMは小型ノートを諦めたのですが、
もちろん、B5ワンスピンドル機の命運がつきつつあったのもあったのですが、
そもそもモノが悪いんです。
こんなもん売れてたまるか。
メルセデスで言うとね、先代のE。
作り方変えて、「最善か無か」から「お値段相応のいいものを」にした、
その掛かりのマシンなので、作り慣れてないんです。
だからガラクタ。

でも、ここ頑張らないと駄目なんです。
まさか止めるわけにはいかないので、
(止めるならキーボード部門やHDD部門のように、コンシュマー・ハードウェア部門ごとどこへなと売り払えばいい)
止めないなら、やるしかないんですよ。
メルセデスも結局そこを乗り切って、未だに古き良きモノを知る人間に懐かしがられながらもしかし、トップブランドとしての存在を誇示し続けているではないですか。
でも止めた。
引き継いだXシリーズでさえ、やりきれずに青息吐息です。
600の鍵盤触ってヨダレを垂らした世代としては、実に、実に実に悲しい。

じゃ手放せばいいじゃん、って、これが繰り言になりますが、
「キーボードのいい」10.4-B5-ワンスピンドル機が、
もう世の中に無いんです。

12.1-A4-ワンスピンドル機にもちゃんと2回も挑戦しましたが、
(ThinkPadX20、DynabookSS/S5)
駄目でした。
つかね、ドトールのテーブルにも新幹線のテーブルにも載らんのよ。
んなものモバイルなんて言えるか。

10.4-B5-ワンスピンドル機なら、フェードアウトしたVAIO SR、同TR、
そして未だにたった一人で怪気炎を上げるLet's note R系。
このどれもが横長変態キーで、とても長時間触れたものではないのです号泣。
R3でちょっとマシになったと見て喜んで触りに言ったのですが、
確かにちょぴっとだけマシになってましたが、まだしんどい。
ああそもそも!
タッチパッド!
タッチパッド使う人はどうせマウス使うんでしょうから、スティックに文句をつけるな。
我々は声を大にして訴えたい。
SHARPのMuramasaはキー形状も悪くなく、efficeonが載ってだいぶマシになったと言うのですが、これに今さら乗り換えて……
ああそもそも!
1.8インチHDD!
出始めのこれの存在が、小型PCの魅力を大きくスポイルしたことは否めません。
今はだいぶマシになってるそうですが、VAIO U初代あたりのパフォーマンスは酷かった。
今もTRとかの足を思いっきり引っ張ってます。
ThinkPadにもX40という12.1型A4の機種があるのですが、
これに二の足を踏むのは「HDDが1.8インチ」という理由もあります。
そのぐらいヒドイ。

……と、お馴染みの繰り言を繰り広げました。
そんなこんなで、替えが無いのです。
X30系(12.1型)もなんぼほどいったろかと思い詰めましたが、ガマンしました。
そうこうしてるウチに、そもそもX30系ですらフェードアウトの予感です。

もうこうなったら、s30のパワーアップだ。
おかねもないことだし。

うん、最後の一行が一番の理由だね。

---

ということで、売って得する買って得するソフマップギガストアにて2.5インチHDDを購入。
モノはHITACHI(元・半分IBM)のHTS548040M9AT00。
長ったらしいですが「54」00回転の「8」MBキャッシュの「40」GB、とスペックがすぐわかる命名法なのです。もちろん流体軸受け。12000円弱。
あと、3.5インチ-2.5インチの変換コネクタ。1050円ぐらい。

換装は半日悶えに悶え苦しんだ挙げ句、こちらのHP(一番下のメモ)を参考にしました。
参考もなにもそのままやりました。
OS、もともとMe→XPアップグレードインストール機だったもので、軽さを求め2000に。
最近の「ソフトウェア導入支援」というソフトウェアはめちゃくちゃに便利にできており、
これを起動するだけで、最新のドライバとかをIBMのwebからガスガス入れてくれます。
535で一枚一枚ディスケット作ってたことを考えると……
時代は……変わった……

結果。
いや、13000円でこんな幸せが買えるなら、さっさとやっとくべきでした。
HDD駆動音が1/3ぐらい、4200→5400で、ファイルコピー等々も明らかに速いです。
あと久しぶりに触る2000の小気味よいことよ。
エンカルタとか見るの、DT(P4-2.4、1GB、XPhome)より速い。
ただ、ちょい発熱は増えた、かもしれません。パームレスト、前より熱いです。
までもTPだし大丈夫でしょう根拠ゼロですが。

PCに限らずDIYというのは、お金を節約する意味合いだけではなく、
成功すると楽しい、からやるのです。
失敗するとめちゃめちゃへこみますが。

P3-600という今はもう、というスペックのマシンですが、
こうしてHDDを最近のに(といっても2世代ぐらい前の)
換えるだけであーら不思議生き返る。
オークションでキーボード探して換装しようかしら魂までが頭をもたげます。
それもこれも、整備性が高くユーザーが整備できてしまうThinkPadならでは。

IBMばんざーい(号泣)

ThinkPadだけは……TPだけは、真面目に作り続けてください……
他に、無いんです。
他に。


6/19 クリエイティビティの欠如 (ユーロ2004 イングランドvsスイス)

グループB  イングランド 3-0 スイス

イングランドの得点:23分ルーニー・75分ルーニー・82分ジェラード

---

わかったわかった。
サッカーね、やっぱり創造力(想像力)が必要なんです。
イングランドにはそれがない。
正確に言うとベッカムの右脚は天然変態なので、そこにしかない。

このクラスが相手だと、パワーとスピードと組織的な誠実さでなんとでもなるんです。
だから強い。ように感じる。
でも、やりたいことをさせてくれない相手、フランスをイタリアをブラジルをアルゼンチンを、
要するに小ずるい連中を相手にすると、途端に攻め手が無くなる。
だからいつも途中で敗れる。

1人。
1人ジダンがトッティがロナウジーニョがアイマールが居れば、
よほど強くなれると思います。
FA(イングランドのサッカー協会は、母国ゆえ「イングランド」とかつかないのです)
の急務は、「向き不向きが」などという泣き言を言わず、
ただ1人でいいから、(よその国だってそんなにたくさんいるわけじゃない)
その人材を育てることじゃないでしょうか。

力ずく、その方向も無くはないと思いますが、それには往年のドイツ人のように
「死んでも負けない」というメンタリティが必要です。
イングランド人にはそれはない。

ただ、選手個々のクオリティが割と高い、にもかかわらずさ組織への誠実さは高い、
(だからこそ創造力が足りないとも言えるが)
さすがネルソンの国、なので、守ってベッカム守ってルーニーを篤実に繰り返し、
フランス戦最後のようにオロオロしなければ、しぶとくやれそうでもあります。
今戦で、「俺達はこれだ」と自信回復できたんじゃないでしょうか。

大きな大会には、波があるものです。
その波を上手く乗り切る、流れを味方にしたものの方が、強い。
98フランス、ユーロ2000のキー・チームはオランダだったと思います。
ここに勝ったブラジルとイタリアが、力を使い果たして(共にPK戦)
次戦(決勝)で共にフランスに敗れました。
有名な逸話ですが、このPK戦に勝利した直後、
ブラジルのザガロ監督が泣き出したんです。
優勝以外頭にないブラジルの将が、それほど感激した勝利だったわけで、
それはどれだけエネルギーを使ったかの証でもあります。
「スラムダンク」で山王に勝った湘北が次戦ポロッと負けたようなもんです。

そんな「駄目流れ」を一発で断ち切ったイングランド、あとは登るだけ。
結果的に言うこと二転三転してお恥ずかしいですが、
やはり地力はありそうです。



6/18 殻と中身

半月ほど寝かせてみたのですが、寝かせるに従って重荷になることに気づきました。
だもので、出し惜しみなしで。

-----
■殻と中身

ものすごいあたりまえのことですが。

最近、「あたりまえ」こそが何よりも大切なのではないかと思うようになりました。
これも、あたりまえのことですが。

物事には、殻と中身があります。
両者は密接に絡み合い、剥きにくいゆで卵のように、
無理に剥がすと中身まで取れちゃうこともありますが、
それでも大雑把には、殻と中身に大別されます。

表現もそうです。
絵でも音楽でも彫刻でも舞踊でも、文章でも。
一例を挙げましょう。

「静まりかえる月夜」
「天頂に輝く蒼白き満月の中には、タキシード姿の兎が餅をつき合ってゐる。(白地に黒だから「タキシード」って表現したのね、ふふ、僕ってセンスあるな)その下では低い闇が黒々と山も川も野原も大地をも街に立つ貧乏ながら高潔な托鉢僧侶の弊衣がごとく、染め抜いてゐた」

上も下も中身同じものです。殻が違うだけ。
(タキシード兎や托鉢僧侶が後に活躍すれば、
 下のには「違う中身も隠されている」とも言えますが、とりあえず)

表現やってて「罠だなあ」と思ったのは、
この、「殻」を精密に懸命に描くことこそが表現だ、と思いこんでしまうことです。
特に技術ついてくる中級以降、常にこの罠が口を開けて待っている。
集中力途切れると、僕ごときでも「手書き」になるんですが、
手で書いても、「まあおかしくないもの」が書けるようにはなってくる。
もう、手がオートマチックに小綺麗な「殻」を作ってくれる。

でも、それは何も表してない。

表現趣味とは距離を置く普通の方々なら
「なにをあたりまえのことを」と思われると思いますが、
これが知らないうちに、そうなっちゃうんですね。
念を押しますが表現だけじゃないですよ、
勉学でも仕事でも、人間関係でもそうです。

もちろん、美しい「殻」を作る、それも表現の一つです。
意味も意義もある。それだけで成り立つものも多い。
ただ、「中身」の大切さは、常に常にそれよりも若干優る、と思うわけです。
「何を言っているか」「何を描いているか」
建築なら、外見のデザインももちろん大切ですが、使う人の使い勝手、
これが非常に重要です。標準建て売りプレハブ住宅に負ける使い勝手では、
せっかくの「殻」も台無しではないですか。
クルマでも、カッコイイデザインのために、居住性やトランクや最小回転半径を犠牲にしているのはいっぱいあります。それってほんとに、「いいクルマ」なんでしょうか。

なんでもバランス、行きすぎるとどっちもダメだと思いますが、
でも、中身偏重の方は、触れてみれば、使ってみれば、味わってみれば、
「うん!これでいい!」と愛着が沸くものです。
逆にその素っ気なさこそが、淡泊な味わいとなって飽きが来ない、
あるいはおかしみと共に個性になる、なんてことも。
でも逆、殻偏重は、コミットすればするほど、疲れてくる。
神経質に小さなことがどんどん気になる。
なぜか、ってぶっちゃけ、中身そんなでもないからです。
そっちに目をやっちゃうと、語ることが無くなる。だから、目をつぶる。

今お読みいただいてるこの文章、これも殻で、中身は、
「殻ばかりに気を取られる罠に気をつけよう」
ってだけです。それをわかりやすく印象深く説明する、
それがこの殻の存在意義と役割で、ならば、
それにできるだけ即し、かつその中身が輝くように働く殻こそが、
よくできた殻、すなわち、よい表現、なんです。

使われる物、道具には、その機能に立脚した機能美があり、
表現も道具の一つですから、
「中身とマッチしている」すなわち「良く伝わる」という高い機能を有するものが、
美しくないはずはない。

よい表現とは単独で存在するものではなく、
中身(イイタイコト)をぴったり包むように存在しています。
似合う服を選ぶように、似合う言葉を、自分なりのセンスと好みで選んであげる、
それが、表現の面白さの実は極めて大きな部分なのではないかな……
と、最近気づきました(笑)
逆に言うと、ヴェテランマンガ家さんのように絵柄を決める、
すなわち殻の標準パッケージを決めてしまえば、こんなに楽なことはありません。
ここで楽して、中身の充実を図る、というのも一つの見識・やり方です。

ボクちん欲張りだから、両方できるといいなあ、と(笑)
中追い込んでく時(や物理制限の厳しい時(笑))はいつものながた節、
でもいつもの主題に新しい服を着せる楽しさも忘れずに、てな具合で。
ただ、「中身はこれでいいか」ってチェックは、
「表」へ「現す」ことばっかりやっているからこそ、常に意識していたい、です。

目標は高く大きく!

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補遺)

「忍」書いてる時に、あるパラで納得いかなかったので、
中身(描くべき内容)同じまま、シェイプ一本槍で全書き換えしてみたんです。
すると意外なほど簡単に解決しました。

あたりまえに思われるかも知れませんが、小綺麗な殻ができあがっちゃうと、
それを壊すのがもったいなくなるんですね。
これが技術つくことの罠です。
本質を高める努力、また全体のバランスを考える意識、それよりも今そこにある
小綺麗なパーツを大切にしてしまう。

同じぐらいのクオリティのモノ、すぐ作れるんです。それを忘れる。
初心者の頃よりスクラップ&ビルドのスピードもクオリティも精度も上がってるのに、
初心者よりそれをやらない。
本末転倒です。

やりすぎる方の罠はお馴染みかもしれませんが、やらない方の罠もありますよ。


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■主題

表現する人には、その人ごとに、中身、つまり主題があります。
一つの人もいれば、たくさん持ってる人もいます。
たくさんに見えて、まとめてみれば、いつも同じ主題の人も。

僕はいつも同じ。
お恥ずかしいですが、
「想い」
という美しい、簡単に使うにはもったいない、日本語です。
男の子と女の子の間にあればそれは「愛」になり、
同性や仲間の間にあればそれは「友情」になり、
家族の間にあればそれは「絆」になり、
目標に向かって存在すればそれは「情熱」になります。
どうもそれを描きたくて、なにか描いてるようです。

辛いことにせよ嬉しいことにせよ、不足にせよ充足にせよ、
そこにはなにかの心の動きがあります。
そこで感情が動く、すなわち感動が起きるわけで、
想うことは感動の種であり芯であり、場合によっては全てであったり、します。

その中身を、言葉や文章構成、キャラクタ造形などのコロモで、
厚すぎず薄すぎず、ぱりっとさくさくっと黄金色に優しく包んで揚げる、のが、
表現ということではないかな、と。

今のところなんとか、「肉抜きトンカツ」みたいなものをお出ししたことはありません。
(揚がり具合は多少ブレはあります、すみません)
いちおう、いつもちゃんと肉入ってます。
これ書きながら青くなって確認したんですが、大丈夫でした(笑)
と、いうよりも、でなければ書けない人なので、書いてる以上は、
それを必ず書いてます。
ほっとすると同時に、頑固者でよかった、と胸を撫で下ろしました。
死ぬまで「あれは駄目だ」と思わなきゃならないようなものを残していたら、
死んでも死にきれないじゃないですか。

成功か失敗かは運次第ですが、やるかやらないかは本人次第ですからね。

でも、上と同じお話ですが、揚げ慣れてくると、
「ま、その辺の雑草でも俺が揚げれば美味くなるのさ」
なんて勘違いしがちです。それが行きつくと、
「まあ、コロモだけでも食べてよ。美味いから」
になる。で、実際中身が入ってなくても気にならないぐらい美味かったりするものもあるのだなこれが。
まあでも、自分では、それはちょっと、と思いますので、
いつも肉の仕込みからきっちり行きたい、と肝に銘じています。

テーマは決めるものではなく、決まるもののようです。


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■大吟醸酒

「文章は短く」とよく言われますが、
「よい文章は短い」というのが本当のところのようです。
ただ、短く書こうと意識すると、要点を絞り意味のつながりをクリアにします。
その意識と作業が、よい文章を生みやすい、のは事実です。

よい文章とは何か。
ひとつ目安になるのは、密度が「濃い」文章、かもしれません。

殻と中身、という視点で追っていくと、どうも殻が分厚すぎたりキラビヤカにすぎたり、
中身と合ってない部分が見えてきます。
これを、中身を引き立たせるような殻に合わせていくと、
自然とシェイプされたいい文章になるような気がします。
単純に音数や文字数が小さい・少ないのではなくて、
「コンパクト」って感じの、凝縮感が出る。
これが、「濃さ」。
もちろん、絢爛豪華な装飾過多にも意味はあるのですが、
実はその殻の部分の価値、って時代と受け手によって変化するんですね。
風雪に耐えうるのは、やっぱり中身です。
そうでなきゃ古典や外国文学が成立しませんものね。

ここを狙いたい。

ご存じの通りダラダラ書くのは大の得意で(笑)
それもよいのですが、やっぱり密度濃い方がお得な気がしますよね。
繰り返しになりますが、文字数はもちろん、
展開が早いとか人数が多いとか感情描写が熱苦しいとか、
そういう表面的・構造的なことではなくて、
「中身にぴたっと」っていうイメージが、濃い・薄いを決めるような気がします。
簡単なところ、軽いところはさくさくっと、
重要ポイント、重いところはずっしり丁寧に。
串カツでいうなら、揚げる中身に合わせたコロモの付け方と揚げ方を。

今までは「重くしたら得意のアホパートが入れられないじゃん」
「かといって軽すぎるとバカにされるしなあ」と、
一作一色でしか捉えてませんでした。
ではなく、確かに作品ごとに色調はあるにせよ、その中で軽重はつけられるはず。
それを楽しむのことが、面白い、のだろうと。

ちゃれんじちゃれんじ。


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殻も大切です。
が、中身はもっと大切です。
中身に合わない殻を背負ってしまったヤドカリ君は、その殻に振り回されてしまいます。
カッコ悪いだけじゃなくて、危ない。
中身を充実させ、「これぐらいがちょうどいいよな」という殻を選ぶ。
それが、ただしい順序です。

肝に銘じます。



6/17 司馬遼太郎記念館

私どもは、司馬遼太郎記念館に来ている。

近鉄奈良線・八戸ノ里駅徒歩8分、(大阪の真ん中からだと30分強)
行ってまいりました叔父呼ばわりして私淑する、
司馬遼太郎の終の棲家そして記念館。

設計は安藤忠雄、
「なにかを見せるのではなく、なにかを感じてもらう」
とのコンセプトだとか。
門をくぐるとまず氏が愛した雑木林そのものの、飾り気無い庭から、
邸宅の書斎をガラス越しに。
頃良いサイズの空間に、これまた飾り気のまるでない机、書架、
「サムソナイト」のロゴが入ったソファカバー。
ほんと、近所のおっちゃんの書斎なんです。
いや、ウチの亡父が使っておりました、応接間の机と書架の方が立派なぐらい。
人柄です。
実になんてことない、だからこそ、いいんです。
使ってる物も、場所も、なんにもスペシャルじゃない。
だからこそあの、簡潔でわかりやすく読みやすい作品群が、
生まれ出でたのではないか。
また、この書斎の主のような、なにひとつ天性など持たなそうな(失礼)人物が、
あれほどのものを書ける、それそのものが人間の可能性を指し示すようでもあります。
ふと、安心しました。

ぐるり回って記念館へ。
大展示はただ壁面11mを覆う大書庫、ひとつ。
著作や収集した書籍・資料(の一部)がみっしりと飾られており、
今度は言葉を失います。

もうね、なんぼほど真剣味が足らんか、ということです。
方法論はいろいろあれ、胸を張って「これと同じぐらいには」とお前は言えるのか、と。
言えません。
すみません。
我々書き手にはもちろんキッツイのですが、
少々「本読んでる」つもり「勉強してる」つもりになってる知識人的な人々に、
ぜひ一度ご来館いただきたい。

私事になりますが、書いてるときゃ無私なんです、それはね、いちおう。
でも、その無私タイムが人生のどれぐらいを占めるか、って言われたら
「む」と答えに詰まる。
8時間ずーっと書いてても、たった33%ですよ。
司馬遼太郎は、それが、ほぼ100%なんですな。

そりゃかなわんわ。

……などと言ってる場合ではないので、もっともっとやんねば、と感じました。
まったく、思う壺です。

開館数年、書庫の隅のコンクリート打ちっぱなしの天井に、
染みがにじんできてるんです。
コンクリート建築にはよくあることらしいんですが、これがよく見ればなんと
竜馬の顔。
いやほんとに。あの有名な写真、あの表情が浮かんでるんです。
ようでけた話や。

本以外なにもないので、観光で訪れるところではありません。
しかし、そう、お寺の本堂のような、(本がご本尊ね)
清逸な気分に浸れる場所です。
スタッフがほとんどボランティアらしく、それもまた、居心地の良さを増しておりました。
なにもないのに、また行きたくなる。
そんな場所は、大自然の懐、名所旧跡の類を除けば、そうそうあるものではありません。

モノではなく空気を残せる人間。
こりゃなかなか、難しいですぞい。


(司馬遼太郎記念館HPは、こちら。)



6/16 グリコ・ジャイアントコーン

我が家は揃って、グリコ・ジャイアントコーン・ファンです。
この季節は2週に1度は生協で4本ずつ買う勢いで、
それでもいつの間にか無くなっており、
「うわ、風呂上がりに食べよ思てたのに!」
ということは人生一度や二度ではありません。
類例で「知らん間に無くなる食べ物」は他に、
赤福、551の豚まん、フォルマのチーズケーキぐらいのものです。

ジャンクだからとナメてはいけません。
いやアイスだからナメるんですけど。
ヤツは大阪の誇る優良企業・江崎グリコが心血をこめて作り上げた、
計算し尽くされたアミューズメンタル・ジャンクフードなのです。

まず慎重にぺりぺり剥がさなければならない包装紙からエンターテイメント。
あわてて引きちぎって大切な上部のナッツを一粒でも落とさないか、
いつもドキドキさせられます。
そして現れるのはチョコたっぷり・ナッツたっぷりの上層部分。
齧り付くと、当然ですがチョコナッツの香ばしさ甘さがこれでもか、と襲う。
一番美味いものを一番に持ってくる。
これぞ浪花の焼肉文化、塩タン特上ロースから行きましょう。
「まずイイモノ喰わせろ」、そんなジャンク魂大満足です。
で、それを3口ぐらいいただくと、下のオンリー・バニラアイス層。
さきほどよりはぐっとあっさり、しかし「アイス感」では一番の部分です。
チョコの甘さを洗い流すように楽しみます。
それを3口ぐらいで、今度はコーン層。
ここがまたウェハース独特のぱりぱり感がバニラに付加されてよき味わい。
街のアイス屋さんと違って、ソフトクリームのようにびっしりとコーンの中に
バニラが詰まってるのもたまりませんな。
ポイントは、内側のごく薄いチョコ・コート。
ただのウェハースだと、味が薄い(無い)分、バニラオンリー層よりも
さらに薄味になるところですが、チョコの甘さがそれを補って、いやむしろ甘い。
しかも食べ進むに従って、円錐形ですからチョコウェハース分が相対的に増加して、
甘さとパリパリ感が増幅されていきます。
クライマックスは先端部分。
ここにはアイスがほとんど無く、でもチョコ・コートがほんのちょっぴり溜まってる。
だからすごく甘い。しかしウェハース分で乳製品のしつこさを拭ってくれる。
ここが最後に控えるからこそ、食べ終わると、
「ああ、甘くて美味しいものを食べた〜」
というインパクトだけが尾を引くのです。

この味わいの七変化、時系列をも考え抜いたフルコースの組み立て、
これがジャイアントコーン「ならでは」の美味さの秘密です。

たとえばハーゲンダッツなどの直営店で、
はるかに美味いアイス・はるかにしっかりしたコーンのコンビネーションでも、
この変化は味わえない。
コーンは「アイスを支える台」せいぜい「アイスの合間の箸休め」
そんな不当な脇役扱いから、アイスと共に戦線を組み立てる主役へと引き上げた、
これぞモナカの国日本でしかなしえない芸当。
いや時間変化とともに盛り上がるドラマという点では、モナカをもしのぎます。

名画「Zガンダム」でのカミーユとフォウのデートを覚えておいでですか。
公園で二人でアイスを食べて、二人ともコーンを捨てるんです。
「なんてもったいない」
これがジャイアントコーンを食べて育った我々のツッコミです。
戦時中に敵方の小娘といちゃつくエースパイロットとか、そんなこたどうでもいいのです。

私が子供の頃はまだすき焼きがごちそうでした。
ジャイアントコーンなど高嶺の花、50円や30円のもっとしゃりしゃりしたソーダ味とか
そんなのんで夏の日射しをしのいだものです。
その憧れも付与されているのは正直に認めましょう。
いや、ジャイアントコーン自身もまだまだ未熟、食べ進むにしたがって
先端部分が水分に負けてふにょふにょになったり、
あまつさえ折れて惨劇を引き起こしたご記憶を持たれる方も多かろうと存じます。
しかし時が経ち、250円のハーゲンダッツがいくらでも食べられるようになっても、
「アイス食べた」感でジャイアントコーンに優るものはありません。
チョコナッツ・バーじゃ駄目なんです。
木の棒は、喰えません。

安っぽいジャンク、そう「乳製品」の称号を貰えない「ラクトアイス」にすぎません。
しかしジャンクにはジャンクの戦い方がある。
知恵と工夫で俺達はいくらでも美味くなれる。
そんな希望を与えてくれる、美味しい「アイスクリーム」だと思います。
これぞジャパニーズ・ナイスジャンク。



6/16 GK合戦(ユーロ2004 デンマークvsイタリア)

グループC デンマーク 0-0 イタリア

セレンセン馬鹿当たり、釣られてジャンルイジも大暴れ。

なんつーかまー、ウィング置く系、3-4-3でも4-3-3(オランダ)でも
4-2-2-1-1(4-5-1、スペイン)でもそうですが、
それというのはあーた、ボールポゼッション・フットボールでこそ破壊力があるわけで、
それでもあーた、4-フラット4-2系はもとより3-5-2系でもWBに守備意識が強ければ
守りに守り倒されて有効に機能しないのはオランダやスペインがいつも肝心なところで
勝ちきれないお馴染みの風景、最近は「ポゼッションもどうよ?」とか
オランダ人でさえ言いだす始末……

いや、イタリアはやっぱり、5-2-1-2もしくは5-3-0-2で
黙々とロングボール蹴ってる方がいいと思いますけどね。
ボール支配からのアタッキングなんて、やれもせんことを指向するより
ヴィエリヴィエリ雨ヴィエリで。
王子とピエ蔵、どっちもちゃんと働けてない。
サネッティに替えてガットゥーゾってのもわけわからん。
おんなじやん。
パジェロに替えてランドクルーザー・プラドって感じです。
トラップの采配ってW杯の時も思いましたが、
「間違ってはいないけどどうなの?」って感じがよくしませんか。

しかし結局イタリア、初戦はいつもあんなもんです。スロースターター。

デンマーク、前半強かった。
そそ、ここはいい試合するんですよね。なんたって92年の覇者ですからねえ。
もうひと味。
ミス無く基本に忠実に実直に、だからこそ意外性がない。
ゲストのヨシカツが「ミドル、ミドル」って言ってたのですが、ミドルに限らず
攻め手のバリエーションが無くて、結局それではイタリアの壁は破りきれず。

まあでも、「いい0-0」でした。両チームとも悪くない。
世界中のGK少年少女に夢を与えた試合でした。

3試合しか観てませんが、02W杯よりも選手のコンディションいいように思います。
観るに耐える試合が多いです。
スウェーデンが復帰したラーションの大爆発でブルガリアに5-0、
三つ巴が俄然面白いグループになってまいりました。

……もう少し中継が欲しいよぅ……


6/15 TOTO the FlyingCat

「僕はネコです。名前はトト」

母サンクトペテルブルグ・ハプスブルグ(チンチラペルシャ)と父ポン太(シャム)の間に生まれる。いわばナチュラル・ヒマラヤンであるが顔が真っ白のため誰も信じてくれない。
胸元の赤いバンダナは司馬遼太郎記念館で買ったもの。ご主人とお揃いで、お洒落・風邪予防など、77の使い道があるかもしれない。
運動神経はない。
ために他猫のような軽やかな跳躍が全然できず、常に飛んでいる。
苦手なものは静電気と夏。好きなものはクーラーとコーヒー。
「のすのす」または「もすもす」と歩く。

幼少のみぎり、駅前商店街の豆腐屋の二階に下宿する三文文筆家のご主人の手に渡り、
「まだない」という名前になりかけたところご主人のご母堂に助けてもらう。
「トト」はエジプトの知恵と文字の神様から。
最近は身体の配色のため「ああサッカーくじの」とよく誤解してもらえる。

心のヒーローは「長靴をはいた猫」ことペロ先輩。
いつか魔王を倒すようなすごい猫になりたいと思っているが、運動は苦手なのでドラ先輩のように科学の力でなんとかしようと学研・ひみつシリーズを愛読する。
もほもほの手にしては手先は器用で、こないだは機械音痴のご主人のためにキューブ型PCを一台組み立てた。
生活下手なご主人に代わって買い物かごをさげ(エコロジストである)お使いに出かけることもしばしば。

両親から受け継いだ人懐こく優しい性格で、ヒトネコ問わず商店街の人気者。
主食は白ご飯、鰹節は別皿で。
梅おにぎりカラーもりりしい、青い瞳の日本猫である。

---

……という彼が、昨日からtopに飛んでいた奇妙な物体の正体です。
6/14↓のようなことをつらつら考えてふと、
「そうだ、初心に帰ろう」。
サイトをオープンしたての頃、ペチャ(ウチにいたペルシャ)のイラストが
topを飾っていたのです。
確かMac(名機LC475ですよ)にUDシリーズのタブレットを接続して
色を塗った覚えがあります。Aldus SuperPaintを使いました。
では、今回は……
てなことで、この少年キャットが誕生しました。
ぱわねのマスコットボーイに……なるのかなあ。
どんなナイス・ガイに育つのか、あたたかく見守ってあげてください。
では本人から抱負など。

「とう!」

……がしゃ〜ん! からからから……


6/15 あと一歩(ユーロ2004 フランスvsイングランド)

グループB フランス 2-1 イングランド

フランスの得点:91分ジダン 94分(p)ジダン
イングランドの得点:38分ランパード
(72分ベッカムPK失敗)

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こんなもの奇跡でもなんでもない。
奇跡というのは、起きえないことが起きることを言うんです。
これはただフランスの2得点の時間が遅かった、それだけのゲームです。
すぐHDDから消しましたもん。

イングランド(とエリクソン監督)のメンタリティが弱すぎるんです。
いくら相手がフランスだからって、あまりにも気弱い。
リードわずか1点、それもベッカムのFKからもぎ取った無理からの1点。
んなもので後半20分過ぎから25分も王者フランスをしのぎきれますか。
イタリアやヴァレンシアみたいにそれを生業にしてるチームならともかく。

イングランドきついですねえ。ちょっと買いかぶってました。
グループは勝ち抜けてもまたベスト8とか4とかでポックリ、じゃないでしょうか。
日本戦の前半で見せたような激しいクオリティ、
あれは格上相手には全く出せないようです。
4-4-2なんですけど感じ的に4-4-0-2みたいなもので、中盤フラットだともうまったく
2トップにボールを供給できない。
左サイドスコールズなんて一ミリも怖くないし、
日本戦でアレックスがやった、控えてスペース作って
(ネビルを最終ラインに貼りつかせてベッカムを引き出して)
飛び出して突破する、これをリザラズに好き放題やらかしまくられてました。
これやられるから頼みのベッカムまで守備に忙殺されるんです。
あれはネビルがアタックにいってボランチがDFラインをカヴァーしなきゃならんでしょう。
日本戦でのあれはミスもしくはアレックスの芸かと思いきや、
どうもそういう決まりで動いてるくさい。
それじゃ攻撃なんて組み立てようもないですよ。
ただ、エリクソン監督を責めるばかりにもいかなくて、
「創造性」の「そ」の字もない選手層を考えるに、
やっぱりキック&ラッシュの国やなあ、とトホホ涙が出てきます。
ま実際、それでバルテズに止められてさえなければ
王者に2-0で勝てた試合なわけですから、開き直ってそれで押し切るのが吉、かも。

フランス……強いといえば強い。やっぱりあれを勝ちきるのは強い。
ただ、こちらもボランチとオフェンシブハーフとの間に若干のミゾがあります。
ヴィエラ・マケレレですから、ボール回収力と自身の攻撃力なら一級品ですが、
それを捌く、という点で「ああやっぱりデシャンは偉大だった」と痛感します。
最後に使った、98フランスフォーメーション、4-2-1-3矢尻型でジダンが
アンリ・トレゼゲ・ウィルトールを走らせるタイプの方がやりやすいかもしれません。
か、好調ピレスがもったいなければ、トリプルボランチ気味に引かせて
前線の3人に長目のパスを入れる役割をさせるか。
ミラン・システムになっちゃいますけど。
でも気迫はよかった。
02W杯の失敗が骨身に染みて堪えてるようです。
モチベーションはかんなりありますよ。腰が据わってる。
フランスと闘う国は、よほど性根入れてかからないと駄目だと思います。
本気です。

いやしかし、ベッカムの高速スライダーみたいなFKも凄かったですし、
ジダンの直接FKの、低く長く美しい軌跡、あれぞまさに芸術品。
この2本のキック見れただけでもナイス・ゲームでした。
……やっぱり残しとけばよかったかな。

---

と、日本車・日本人に続き初めて日本チームが優勝したにもかかわらず
ル・マンを放送しなかった(できなかった?)テレビ朝日様とイングランドが
重なった夜でした。

あと一歩頑張れば。
その一歩がしかしやはり、王者とそれ以外の差、なのですな。



6/14 中くらい


ほぼ日刊イトイ新聞」のコピーが、
「ゴキゲンを創造する、中くらいのメディア。」
インパクトゼロ、という点でコピーとしての性能は平凡ですが、
webの良さ2つを的確・簡潔に封じ込めている、という点では非常に良くできてます。
さすが糸井重里、本業ではやはり目を見張る力がある。

世には、いろんな「中くらいの」があります。
サイズもそうですし、コストパフォーマンスもそうでしょう。影響力もかな。
既存のマス媒体、TV新聞雑誌等々ほどの社会的破壊力はありませんが、
しかし、個人でぽつねんと街の片隅に居るよりは、はるかに強い。
まさにゲリラ戦です。ま、たいていはB−29を相手に竹槍振り回すようなものなんですが、
たまには、大物暗殺して戦局を変える力も持つ。

「公」と「私」の中間でもあります。
個人HP、「私」的なものといえど、世界中の誰でもが読める以上、
さすがに滅多なことは書けないわけです。
特に僕なぞ本名ですし周りにも思いっきりオープンにしているわけですから、
周りに知られて困ることは書けない。
でも、たとえば、の話、新聞から談話求められてしゃべる、
「公」よりももうちょい突っ込んだことも言える。
好きなだけのエネルギーと言葉の量を使って、
誤解無きように徹底的に言えますからね。
そして当人の意志さえあれば永続性がある。
いつでも誰でも、確認できるわけです。

そこがwebのいいところ。
なら、「ぱわね」ももう少し、その「中くらい」へ寄せていこうかな、と思ってみたり。

以前、「ほえなが」は特に、僕の個人思いつきメモ、という役割が
すごく大きかったのですが、実物のメモを持ち歩くようになって、
ちょっと意識変わりました。
それは思いっきりの「私」で、こりゃあひとに見せられません。
友達にでも見られたら顔で目玉焼き焼けます。
とすると「ほえなが」はじめwebは、一発フィルタ通したの、って感じで、
ちょっとだけパブリックへ寄せたものの方が、いいかも。
その方がお読みいただきやすいでしょうし、ちょっぴり普遍性も出るかもしれません。

と、思ってガチガチ方向へ振ってみたら、振りすぎて頭痛が。

考えてみれば僕には本気の作品群という「公」があり、
あれらはそりゃ見てくれは同人誌かもしれませんが
今すぐにでもISBN打って本屋に並べていただいても構わないぐらいの勢いで
書いております。
レベルのことは言うな。
同じことを、webでやっても面白くない。
そう、同人誌にできるようなことを、「ほえなが」に書いてはいけないのです。
いけなくはないですけど。
時にポーンとどっちにも振り切れるのが「中くらい」の良いところですもんね。

公、私、中くらい。バランスよく。

単純な二元論は日本人に合わないのでは、と鉄心さんと話してて思いました。
「まあまあ」とか「なあなあ」とか、上手く使えばそういうところをうまく埋めてくれる
メディアのように、思います。
捨てるには惜しいものを捨てなくて済む。
「公」では言えないけど、みんな思ってる王様の耳について語れる。
それだけでも、随分心の晴れることだと思います。



6/13 大拙先生


鈴木大拙さんの「禅とは何か」を読み始めました。

なぜ読もうかと思ったのかと言いますとこれが間の抜けたおはなしで、
今回の「ミラクルズ!」はGK守口忍様。武術の達人でございます。
お父様が出てくるのですが、当然、このお父様がさらに凄い人。
だから忍様も鍛え上げられているのですね。
名無しでは困りますので、名前を考えよう。
ひとネタ仕込むために、上は「大」がいい。
達人ですから、号のようなちょっと大げさなのがいいですな。

大観。だめだ、横山先生に怒られる。
大宗。だめだ、100円ショップのようだ。
大哲。だめだ、知人の息子さんだ。
大悟。だめだ、25年前のアニメの主人公みたいだ。
大空。だめだ、魔竜だ。
大拙……うむ。達人にして「拙」というのがいい感じだな。これで行こう。

ユングって「シンクロニシティ」って概念化しただけで偉人だと思うんですけど、
と思ってつけて、何気なく司馬叔父の「街道」読んでますと、「奈良散歩」で
鈴木大拙師の華厳経の解説がどうのこうの……

アア ミョウニ ミミナジミ ガ ヨカッタヨ。

もうね、最近健忘症じゃないかと不安で不安で。
しかし名前ってホントだいじなもので、つけちゃうとそれでもう動き出しちゃうんです。
もう変えられない。
大拙さんごめんなさい……ってお詫びに、一冊読んでみようと思ったのです。

仏教解説書なんてこれっぽっちも興味なかったんですけど、
大拙さんは東京帝国大出の超エリート、在学中に参禅して号を得、
なんと明治の1897年(27歳)渡米して英訳業務に携わりながら
種々の仏教関連書物を英語で著述、
今もそれらは世界で読み継がれるベストセラー……

と、お恥ずかしながら初めて聞いて、「そんな偉人だったとは」てな感じでAmazon。
まだ50pぐらいしか読んでないんですけど、
むっちゃくっちゃわかりやすいです。この50pで元とったと思うぐらい。
よい宗教解説書はそのまま宗教書になりますが、まさにそれ。
仏教興味なくても、おすすめできます。
というか、こう説かれると「仏教もいいよね」なんて思っちゃう。

こないだ読んだ本で、元キックボクサーのつわものが呼吸法に関して、
「いや、頂上はたぶん同じで、登り方がいろいろあるだけだよ」
(おそらくはフレッシュ・エアをできるだけ多く取り込む)
と事も無げに言ってたのが印象的だったのですが、
そんな感じです。
信仰なり宗教なりもっと原始的な自然への畏敬のこころなり、
それは結局目指す頂上は同じで、
必ず死ぬにもかかわらず生きねばならぬ不安を拭い、
無常な世にさらに大きな枠を与えることで安定させ、
心と体の病のもととなる悪感情を消し流す。
それを満たせれば、まあ、なんでもいいのかもしれません。

論理ではどうもできないことだからこそ、フィクションが必要で、
彼らがお医者さんだとすると我々はコンビニで売ってるサプリメントですな。

先達として、教えられること非常に大、です。


6/12 動き(補遺)


6/8-10「動き」の落ち穂拾い。

重力始め大自然の摂理として掛かってくる大きな力を、
知恵と工夫とちょっぴりの自分の力で方向を転換し、まとめ、形作り、使う。
すると軽負荷・ハイパフォーマンスでしかも予想がつかないが故に面白い「動き」、
=「行動」ができるのではないか。

文章表現にあてはめてみます。
どんな道にもあてはまる気がします。

達人になればなるほど、
「最初に描き出したらあとは流れに身を任せ」
なんて話をされます。

以前、連載なんてむちゃくちゃなことよくやれると思ってました。
途中で設定矛盾が生じたり、あるいは無駄な脇道とか行っちゃったら、
取り返しがつかない。
でも実はそうじゃないんですね。
物語には「流れ」(これが重力や慣性のような「自然の力」)があって、
作者というのものは本来、物語の最初を転がし始めたら、
あとは大雑把に意図する方向へ、ドライビングのステアリングのように、
トン、トン、と調整するだけのもの、なんです。
こうすると、無駄な部分なんて出ない。
多少冗長になっても、最後にできあがれば「それも味」とか、
「あそこでテンポ落とすから後が効く」とか、ちゃんと効用が出る。

川の流れは美しい。
でもそれは、一直線真っ直ぐなどではないのです。
蛇行し時に留まり時に湖になり、早瀬になり大河になり、だからこそ美しい。

僕はあくまでパワー戦で、描きたいものを自分の力で描ききる、
それがライティングだと思ってました。
ちがう。
いや、それはそれでありなんですけど、違うやり方がある。

マイ・ベスト3に入る作品に、夏目漱石「こころ」があります。
これも新聞連載。
実際、前半2/3ぐらいはものすごい流れがたるいんです。
でも、投げ出す気にはならない。
どうにもゆったりゆったり流れて、早くいけよ!とか思うんですが、
その流れに載せられてしまう。
で、後半1/3ぐらいで怒濤の急転回をするんです。
「えっ、まさかまさかまさか」
いや、わかってるはずなんです。
頭で考えりゃすぐ読める結末なんですけど、
読んでる最中はその「流れ」に翻弄されて、読めない。
で、ガーーーン!って衝撃が来る。

これはたぶん、最初から終わりまで計算ずくで書いては、
得られないインパクトなんです。
人間の想像できるものなどたかが知れています。
「こういう山こういう谷で」みたいな「作った起伏」っていうのは、
しょせん読まれちゃう。

もちろん持っていく最終地点はおおよそ決めるにしても、
(「寝ている人を抱き上げる」という最終目標ですね)
それに至る方法論としては、こちらの方が、より豊かなのではないかなあ、と思います。

よく「神様が降ってくる」などといいますが、
神様は偶然降ってくるのではなく、
降りやすいように動いてるヤツのところへ、降ってくる。
というよりも、
そういう巨大な「流れ」を自在にコントロールしてみせる
知恵・工夫・経験・勇気・感覚、
そういうものを持ってるヤツが、プチ神様になる。
物理法則を変えることまでは不可能ですが、
物理法則を味方につけそれを100%使いこなすことまでは、
がんばれば、なんとか。

こないだ、「忍」を書いた時に、ちょっとだけそんな意識で書いたんです。
(こんなにまとめて考えてませんけども)
おおまか流れや小ネタは仕込みましたが、
あとはその場その場で「こっちの流れで〜」みたいなノリで。
これがなかなか、楽で楽しい。
で、実際出来上がりは「あ、ここ遅いな」と思う部分があり、
リズム命の昔のながたならば、削ろうあるいは短くしようと奮闘したでしょうが、
置いておきました。
逆にそこがあるからこそ、早い部分の早さが際だつ。
かもしれない(泣)

ということで、大「流れ」を大切にすると、よりいいものができそうです。
それを見つけ出す嗅ぎ分ける感じる感性、
また見つけたらより激しく大きく流すようにし向ける、そんな力、
これが欲しいところ。
コントロールできる流ればかりでちんまりまとまらず、
大きすぎる奔流に流されて手も足も出なかったり、
(僕だとこないだの「モウリーニョ」とかそうです……)
その辺には気をつけながら「楽しく悪戦苦闘」、ってとこですかね。

---

そして、そうやって「流れ」に逆らわない人は、
(もちろん、流されるまま、ではなく、流れを上手く使う人)
普段でも、とてもナチュラルで、ゆえに魅力的。
押しつけてこないから圧迫感ないですし、
逆にこっちが退いてると、スッと入ってきてくれたりする。
とても居心地がいい。

僕もそんな人になれたらなあ、と思うのですが、
元来が「キーッ!」って方なので、なかなか。
真の挑戦とは、なんでもかんでもにがむしゃらにパワー・クロールではなく、
流れに逆わず、流れに乗ってどこまで早く遠くいけるか、
ここにポイントがあるようです。

無理せず自然に精進精進。


6/11 笑い飯


深夜に「笑い飯」が出てたので録って見ました。
やっぱり面白い。

ダブルボケ兼ツッコミ、というのは今まで類例ありませんよね。
しかもそれを50:50で交代でやってのける。
画期的です。

漫才コンビ、っていうのは基本的にボケがアホなことを言って、
ツッコミがまともなことを言って、そのコントラストを楽しむものです。
で、ツッコミがボケられる、(やすきよ、サブシロ、阪神巨人、カウスボタン)
またはボケが切れなどの芸で立場を逆転する、(いとこい、ダウンタウン)
と、よりボケが引き立つわけです。
バニラ・アイスにウェハース。

しかしこんな、両方がボケで相方がボケてる時にツッコミに変わる、
というスタイルは見たことがない。
バニラ・アイスとチョコレート・ジェラート。

だから関西圏の人間(特に玄人はじめお笑いにうるさい連中)に
異常にウケがいいんです。たぶん。
ウチのまま上も、初見でいきなり興味を示し、「いや、注目株だ」と説明すると、
「なるほど、なんかオモシロソウや」
と匂いを嗅いでおりました(笑)

ネタもびっくりするような大ネタや天才的なキレがあるわけではなく、
キャラが立っててオーラが出てる、ってわけでもない。
これも逆にすごい。
あくまで「漫才」として面白いわけです。個人性能に頼ってるわけではない。

今回のネタも、ラストに向かって子供時代のワシントンとそのお父さんの会話を、
何発も被せ合うんですが、どっちのも面白い。
でも違う人間がやるから、色というか味というかは変わるから、飽きは来ない。
「これを受けて次はどうくる!?」
連歌のようです。

考えてみれば、関西の男の子でオモロイ同士が会話すると、あんなんなんです。
お互いにホラ吹き合って、ボケあってツッコミあって、周りがゲラゲラ笑ってる。
でも、「漫才コンビ」というセオリーからは、あのコンビは出てくるはずもないんですね。
普通ちゃんとコントラスト出して組ませる。
聞けばインディーズから吉本入りしたそうで、
お互い前のコンビの相方は、ついていけなかったらしいです(笑)

漫才なんて、もう大変革なんかありえない、と思っていたのに、
ネタのキレ、という意味でダウンタウンが最後だろう、と思っていたのに、
こんな簡単な落とし穴がありました。
誰も気づいてないもしくは気づいてても「無理だ」とやりもせず諦めた、
でもよーく考えてみればバカバカしいほどに「あたりまえ」のやり方。

あとはあの、ベテランのようなナチュラリティ。
意識が客と自分よりも、お互いにあるんじゃないでしょうか。
「コイツよりオモロイこといわなあかん!」って感じで。想像ですが。
だから見ごこちがいいですよね。
若手さんは一生懸命すぎて見てて疲れること多いんですけど、それがない。

弱点を考えるとすると、コントラストが無く個人能力で引っ張るわけでも無いが故に、
外すと大ハズレする危険性、でしょうか。
あとまだ、場数の少なさに起因する素人臭は残ってます。
ただ、二点とも経験と共に消せます。
喧嘩せず頑張って欲しいものです。

M-1でだいぶ名前を売ったようですが、
全国的知名度はまだまだだと思います。
今が旬、中川家や雨上がり決死隊のように、すぐ漫才やってくれなくなるかもしれません。
TV欄に「笑い飯」の文字があったら、要チェックですよ〜。


6/10 動き(3)

つづきです。

ここでもう一つ。
「動き」とは何かを考えるために、クルマのドライビングに注目してみましょう。

クルマは、小型車でも1tとか1.2t、巨大な重量物です。
それが60kmだの80kmだのでカーブを回る。
むちゃくちゃな運動エネルギーです。
これをエンジンパワーとブレーキの制動力で全部コントロールする、
そんなことできっこない。

ではドライビングのポイントはどこか。

上手いドライバーは、
クルマの慣性力や遠心力に逆らわず、ねじ伏せるようなことをせず、
むしろそれを積極的に利用し、
アクセル(パワー)・ブレーキを「キッカケ」に使った荷重移動・姿勢制御によって、
前後左右への動きの方向や力を微妙に変え、コントロールし、
それによってより速くコーナーを駆けていく。

大事なのはパワーではない。
タイヤグリップでもベンチレーテッドディスクブレーキでも
アクティブヨーコントロールディファンシャルギアでもない。
ドライバーとしては「クルマの動き」そのものをコントロールできる
ドライバーこそがいい(速い)ドライバー、
クルマとしてはドライバーの意のままに動かしやすい、
よりコントローラブルなクルマこそが、いい(速い)クルマ。

「動き」というものが本質的に
「重力や慣性力などの物理的各力を『上手に』コントロールすることにある」
のならば、こういうクルマのような「カラダ」がよい身体であり、
こういうドライバーのような頭、というか考え方、コンセプト、イメージ、
こそがよい動きを描き出す……と、考えられます。

---

ではコントローラブルな「カラダ」とはどんなものか。

もう一度クルマの例に戻ってみます。
クルマの場合、この「コントローラブル」を要素分解すると、(福野礼一郎氏によると)

・車重が軽く
・トレッド/ホイールベース比が小さく
・重心が低く
・Z軸回りのヨー慣性モーメントが小さく
・駆動力の伝達効率が高い
かつ、
・あらゆる部品の剛性が高い

ただ、カラダの場合、体格は簡単に変更しようがないので、
多少無理矢理こじつけてみるに、

・無駄な筋肉や脂肪が無く
・各関節やそれに基づくカラダの各部分の柔軟性が高く
・無理のない姿勢・自然体であり
・体幹に力があり
・その上で末端を上手く制御している
そして、
・各パーツが健全な形で力を発揮できるよう、血流血圧神経リンパに問題がない

こんな感じでしょうか。
各論はいろいろ異論あると思われますが、
フィットネス、健康維持(増進)とは本来、
こんな感じのカラダ作りを目指して行われるべきであり、
筋肉量を増強して基礎代謝を上げてダイエット、とか、
有酸素運動を長時間やって心肺機能を鍛え上げるとか、
それはベクトルが違いすぎるような気がします。

本来的にはどのようなスポーツであれ、(クライフの例のように)
こういうカラダが生み出すテクニックを競い合う形、が望ましいと思われますが、
単純パワー・スピード・スタミナがモノを言う部分も多いが故に、
体重を増やし筋肉を増やし心肺機能を高めアミノ酸クエン酸をサプる。
それは確かに、現在そこにある競技・スポーツで相手を打ち負かす、
という意味では有効です。
ですがそのやり方、またはその簡易版廉価版が、
「健康なカラダづくり」に役立つ、とは、少し考えにくい。

レーシングカーとスポーツカーは違う。
我々はスポーツカー、楽しいクルマを目指すべきで、
レーシングカー、勝つクルマを目指してもしょうがない。

---

でもって。
ここからそういうカラダづくりの具体論が展開すれば言うこと無しなんですが(笑)
残念ながら不健康極まるからこそ「楽していいカラダになりたい」と思ってまして。

ただくどいようですが、少なくとも「健康になりたいなあ」と思う
少々運動不足気味の人に対して、
底がV字型になってて歩くだけで脂肪がぼーぼー燃える靴履かせ、
「連続20分以上汗がにじむペースで視線は15m先ッ!」というよりは、
「楽なカッコで適当に楽しくあるこ〜」という方が、正解ではないかな、と思います。
ちょっと強迫観念に囚われすぎてる。
まずこれを払拭しなければ、と、いろいろ述べてみました。

具体的メソッドはともかくとして、「コントローラブルなからだ」をめざす、
いくつかキーワードはありそうです。

ひとつは「シェイク」。
マツダのサス・エンジニアに「神様」と言われる人が居て、
この人がセッティングの際まずやるのが、サスの各部やボディとの間を受け持つ、
「ブッシュ」というパーツをバラし揺り動かし元の位置にキチンと収めること、
だそうです。
まずパーツがあるべきところにあるべきですから、
シェイク、つまり重力と慣性に基づく軽負荷を連続して与えてみて、
可動部を確認し拡大し、血流を良くし温めてコリをほぐす。

それと関連しますが、「リラックス」。
現代社会は非常にストレッシブですから、ほおっておくとどんどん緊張方向です。
気がついたらゆるめる。何はさておきゆるめる。趣味のようにゆるめる。
これも、あるべき姿に戻る、と同義ですが、
普段ゆるゆるであるからこそ、キュッ、と締めた時に力が集中しやすいのではないか。
あるいは、全身の力を末端から中心部(丹田でもチャクラでもなんでもいいのですが)
に集めるようなイメージでも。

運動音痴の我が家に久しぶりに来たスポーティボーイ、マイクル。
触ってわかりますが筋肉量も一番少ない。体重も最軽量。
ただ、そのカラダは物理的にも構造的にも実に柔らかいんです。
寝る時なんかカラダ二つ折りにして「大丈夫か?」という姿勢で寝ている。
でもコイツ、ジャンプ等々の単純運動はもちろん、喧嘩でも一番強いんです。
普段は一番おとなしくて、メシなんかも他の3人が食べるまでずーっと待ってるんですが、
一旦キレたら、体重で倍近くありそうなミル吉や、普段から暴れ回ってる
アホリッキーさんをモノともしません。
あれは弱者の悲哀ではなくて、強者の余裕だったんだ、と思い知らされます。
強さの源泉は、ふにょんふにょんの「リラックスボディ」にありそう、です。

市原のオシム監督も言ってましたが、
「ウサギがライオンから逃げる時に肉離れを起こしますか?」
接触プレーならともかく、単独運動で肉離れ起こすような鍛え方はそもそも間違ってる、
と100m3秒で走るチータに説教されても、我々は返す言葉を持ちません。

また、マイクル見てると思うのですが、彼は兄弟で一番よく眠り、
寝相いろいろで寝て、起きると跳ねるように歩いています。
ネコといえばお馴染みの腹を横に出したダラケポーズですが、
あれをあまり見ないんです。(もちろん他の3匹はよく寝そべってます)
休む時は休む、起きてる時は元気よく、というメリハリも、
いい影響を与えてるのかもしれません。

動かし方は自分の好みや向き不向きによって組み立てていくほかないにしても、
充分な・かつこまめな休息と、
自然体をキープする姿勢の維持、
この2点は動かし方と同じぐらい重要でしょう。
でもこれこそ人それぞれ何かやり方持ってるでしょうから、
「大事ですね」と確認するだけにとどめます。

---

さてと。
「動き」について思いめぐらせたのは、
「健康になりたい」という気持ちからだけではありません。
この、
「動きの本質」=
「大きな各種物理力を意志とイメージと知恵と工夫と小さな力でコントロールしていく」
また、
「よいカラダ」=「コントローラブルなカラダ」またそれを組む時の考え方、
というのは、「すべての」「動き」に応用できそう、な気がするのです。

たとえばこころの動きにも。
たとえば僕なら、文章表現にも。


一旦締めます。
また今度は、どんなほえなが風こじつけが炸裂するのか、おたのしみに。


6/9 動き(2)

つづきです。

「動き」に効くのは重力ではないか。
筋肉を軽く使った重心のズレをキッカケにして、荷重移動で動く。
すると軽負荷大パワーハイスピードが手にはいるのではないか。

---

しかし現在はスポーツでも、こういう考え方ではありません。
筋肉を鍛えて初速を上げ、
各関節の動きを最短距離・最高効率で動くよう最適化し、
ひねってうねってためて末端の速度をできるだけ高めて、
それをパワーに変換して対象に叩きつける。
要するにパワーの源泉は筋肉。
だけ。

パンチの例なら、(トップ・プロは存じませんが、我々では)
拳という小さな柔らかいものを、筋肉の収縮力から生み出される
パワーとスピード「だけをもってして」、相手に叩きつける。

しかしこの方向は、素質にもよりますがてっぺんが決まってますよね。
じゃあ、身体に恵まれて、体重重く筋肉質でリーチ長い方が有利、
ってバカみたいな結論になる。
そんなもんスポーツでもなんでもないじゃないですか。

余談ですが。
単純な体格がチーム力を左右するスポーツというのは完全に時代遅れで、
ルールの改正が強く求められると思います。
たとえば男子バレー。
リベロ制の前に30cmネットを高くするか低くするかしないと、
身長がモノを言いすぎてます。
あるいはラグビー。
スクラムという単純体重(=摩擦力)がとても大きな要素を占める。
押し合いはテクもへちゃらも体重で決まる。
展開が展開がってプレースタートはスクラムかラインアウト(身長で決まる)
じゃないですか。

同テクニックを持つ相手同士が対戦した時に、
「体格で勝てる」要素が大きいスポーツ、特に団体競技は、
見てて面白くも何ともない。
まして球技の良さ、っていうのは各選手の力と技が「球」に変換されるところに
妙味があるわけで、その変換がキチンとなされないてない球技には、
改良の余地があると思います。

いい例がそれらの日本代表の世界戦で、これっぽっちも面白くない。
で、その理由が、
「だってこんなの無理じゃん」
なんです。これがよくない。10年前のサッカーのように、
「ああ日本人ヘタクソ〜」
というのが、正しい姿、というか希望のある姿なんです。
日本人勝てないからどうの、ではなくて、そのスポーツそのものとして、
体格のあるなしで勝負が決まると、
ちっちゃい子がやる気なくなる=競技人口が減る=衰退する
ので、マズイんじゃないかなあ、と。

戻ります。

ヨハン・クライフというサッカー史上5本の指に入る名選手がいます。
監督としても名監督なのですが、彼はフィジカル重視の現代サッカー界に
事あるごとに苦言を呈します。二言目には「テクニック、テクニック」。
この、彼の言う「テクニック」こそ、ボールコントロールという意味だけではなくて、
より広い意味、「身体の動き」まで言及しているのではないでしょうか。

現役時代の彼は、今とは時代が違うとはいえ、実にひょろっとした風貌で、
でもプレーは凄い。
彼の有名な技に、ボールを足で引くと同時に身体を180度反転させて敵を抜く
「クライフ・ターン」があります。
今でこそ気の利いた小学生でもやってますが、当時は画期的で、
ドイツやイタリアの屈強なDFがズバズバ抜かれるんです。
(ネットで探すと動画あります)
あれを見てると、彼が「テクニック」と言うのもよくわかります。
触られなければ体格なんか関係ない。パワーもスピードも要らない。
そしてこの技のさらに凄いところは、
クライフにしかできない技ではなくて、考え方を理解してコツさえ掴めば、
誰にでもできる、という点です。
というよりも、そういう技のことを、「テクニック」という。

足速いの偉いカラダゴツイの偉い、からは、なかなかこの発想には辿り着きません。
行きつく先は肉弾戦と走り合いで、それじゃ前述のように、面白くないですよね。
ケガも多くなるし、選手寿命も短くなる。
疲労が蓄積して、ますますいいプレーができなくなる。
その悪循環を断ち切るには、もう少し、
「身体の上手い使い方」という意味での「テクニック」を重視していくのがよい、
というのが、クライフの言いたいことだと思います。

サッカーでテクニックと言えばブラジル人選手がすぐ思い浮かびます。
今ちょうどユーロ前なので、ナイキのCM、対ポルトガル戦で
ゲーム前に熱くなって遊んじゃう、というバージョンがあるのですが、
これで出てくるロナウジーニョのむちゃくちゃなボールさばきなど、
人間業とは思えません。
では、どうしてブラジル人選手だけがああいうムチャな動きができるのか。
という理由として考えられているのが、
カポエラというブラジル独特の格闘技
(側転みたいなのをやりあうような、少し前に動画携帯のCMで出てたヤツです)
で使われる、「ジンガ」と呼ばれる足さばき、これが影響しているのではないか、
という説です。
このジンガ、大雑把に言えば
ジャッキー・チェンの酔拳や間寛平師匠の暴れジジイ、ああいう動きです。
つまり、重心を大きくズラし続けることで、
予測できない・早さ・大きさ・方向の動きを非常に軽い負荷で延々出し続ける。

A→Bを全て管理下に置いて、STOP・GO・STOPを筋肉で全部行う、
のではなく、
A→Bを「おおよそ」にして、重力や慣性力に「→」の部分を任せ、
筋肉は方向の切り替えやおおよその方向付け、だけに使う。

サッカー、いやスポーツだけではなく、
この考え方は、日常生活に応用が効く、のではないか、と。
より効率よい身体の動き、より楽な身体の動かし方、を考える時には、
つまり「健康」を考える時には、
主に筋肉を中心としたパーツを鍛える、よりも、
パーツの動かし方、パーツ同士の連携の仕方、
そちらをスムーズに・適切にすることの方が、大切なのではないでしょうか。


つづきます。


6/8 動き(1)

「動き」に効くのは重力ではないか。

重心のズレをキッカケにして、(ここで筋肉をトン、と使う)
荷重移動で動く。
これがタメとモーションが無いが故に予測しにくく、身体に楽で、
しかも驚くほど大きな力が出せる、動き方なのではないか。

---

M澤先輩や鉄心さんのようなスポーツマンとメールをやりとりし、
甲野先生の本始めいろいろ見てますと、そんなことを思ってみました。

人間の身体は、もちろん普段は意識しませんが、結構重いものです。
成人男性なら全体で65kgほどもある。
65kgというとかなり重いですよ。
360L級中型冷蔵庫一台分。
ブラウン管TVだと、ワイド32とワイド36の中間。
とどのつまりは家中にある何よりも重いものなんです。
パーツ単位で見てもかなりある。
取り外して計ったこと無いので正確にはわからないですけど、
腕一本でも5kgとかはありそうですよね。足ならもっと重そう。頭もです。
つまりダンベルなどわざわざ持たなくても、
肩関節たるは常に5kgの物体を支え続けてくれている。

我々は普段、この重いものを、筋肉でコントロールしていると思いこんでいる。
また、意識してそうしている部分も多い。
重い物を持ち上げる、その時には「よいしょ!」と両腕両足の筋肉を緊張させ、
腰を気遣いながら顔を真っ赤にする。

ところが、甲野先生が気づいた介護の一動作で、
「寝ている人を抱き起こす」動きというのがあります。
まず半身を起こさせて、後ろに回って、羽交い締めの格好になる。
そして、「自分が倒れるように」後ろへ倒れ、
相手の腰が浮いた瞬間、一気に身体を伸ばし上方へ力を転換する。
(甲野先生は「足裏の垂直離陸」という表現を使います)
これをすると驚くほど簡単に人が起きあがるそうです。
介護専門の方がビックリするぐらい。
試しに僕も、クルマのトランクからネコ砂20kgを取り出す時に真似事をしてみました。
今までのように両腕の力で「うんせ!」と持ち上げるのではなく、
手を掛けた後は、後ろに倒れるように、自分自身の重心を後ろにズラしてみる。
すると驚くほど簡単に、手の力なんかほとんどなくても、すっぽりとネコ砂が抱えられる。
(その後運ぶのは大変だったんですけど(笑))

考えてみれば、ネコ砂より僕の上半身の方が重いわけです。
だから天秤/シーソーになれば、僕の上半身が勝つ。
すなわちネコ砂が持ち上がる。
力なんか要らないわけです。支えてるだけで。
めちゃくちゃな「あたりまえ」です。

ということは。
これ、この「『自分の重さ』を上手く使う」、重力を味方につける、
ことを意識すると、意外に簡単に、大きな力がドバッと出せる。
そこには、筋肉も必要なければ運動センスも(あまり)必要ない。

たとえばパンチ。
「5kgの重り」がいきなりポイ、と放り投げられたとしましょう。
小さめのコンクリブロック一つ。
大怪我しますよね。頭だったら命に関わります。
でも、パンチで人に大怪我は、なかなかさせられない。プロでもなければ。
ところがここで「腕」という5kgを、ブロックのようにポイ、と
放り投げることができたとすればどうでしょう?
すごい破壊力が出る。

さらに重力以外にも、自然から・物理法則にて、我々にかかっている力や、
そのかかり方には、いろいろある。

テコの原理。
末端に行けば行くほど、同じ重さででかい力が出る。(その代わり距離が必要になる)
逆に言うと、動きに必要な重さは大きくなる=止める時に必要な力は大きい=
破壊力がある。

あるいは慣性力。
動くものは動き続けようとして、止まってるものは止まり続けようとする。
いったん動かし始めれば、後は実は勝手に動いてくれている。
(加速させ続ける場合はどんどん力を加えなければなりませんが、
 ファーストトルクで出るファーストスピード以上の「効率で」
 スピードを載せていけるかどうか、と考えると非常に疑問)

などなど、など。

つまりは初めに申しましたように、
重みのある身体の一部、それをバランスさせている重心とその位置、
それをまず意識する。
そして、筋肉をキッカケに使って、動きの方向と動き方を出す。
あとはそのパーツが重力と慣性力に従って動くのを、
筋肉は微調整・制御するだけに使う。
これなら、非常に軽負荷で、つまり疲労がなく、
タメが無い故にトータルスピードがあり、相手に読まれにくく、
かつ、ニュートンを味方につけた強大な力を発揮できる。

これがいわゆる「動きの極意」みたいなものではないでしょうか。

なるほどよく見れば「動」という字は「重力」と書いてあります。
さすが中国人。


つづきます。


6/7 ComicCommunication6 お礼

ComicCommunication6 お越しいただいた皆様、本当にありがとうございました。
久しぶりでどっと疲れました(笑)

今回は25冊ぐらい。
新刊の「忍」全部売れちゃったのが嬉しかったです。
やっぱりちょこちょこ売れると、店頭販売は楽しいですねえ。

今回は店名を「PowerNetwork!! DIRECT DIRECT」と題してみました。
ほら、よくweb通販は「DIRECT」ってついてるじゃないですか。
だったら直接対面販売は「DIRECT DIRECT」かなあ、って……

そして店舗デザイン・コンセプトは「リサイクル」。
敷物に昨日の新聞を使ったことをそう大げさに言わなくてもいいですか。
一瞬お買いあげ本を新聞でたこ焼きのようにくるもうかと思ったのですが、
そんなんされる方が迷惑かな、と思ってやめました。
エコ。
そしてエゴ。

いつも思うのですが。
ウチ文章系なので、買わなくてもガンガン立ち読みしてくださって結構なんですが、
やっぱりなかなかその辺が伝わりにくいですね。
もっとこう抵抗感無くすっと手にとって見ちゃう、
そんな居心地があればなあ、と思ったり。
ドヤッテ実現シマショウ?

せっかくの即売会、「とら」とかで同人誌買うのとちがって、
その場に作者や関係者が居るのですから、
そーゆーとこお客様にも楽しんで貰えたらなあ、と。
こちらもせっかくだからネタ仕込むのも楽しまなきゃ、と、
今回はそんな感想デス。

懐かしい顔にもお3人ばかり会えて、とても楽しかったです。
もちろんいつもお買いあげの常連さんも、おぼろげながら覚えておりますよ(笑)

新刊お買いあげの方には割引券でお知らせの通り、
そんな感じの通販も予定は未定です。
ご期待ください。

さて、次はどこに出ようかしら……


6/7 こんな感じです

yokkunさんのリクエストにお応えして、恥部を曝しましょう。
昨日の6/6の分の、草稿です。
読まないでいいです、見て、
「ああなるほど、こう悩んで最後ああ落としたわけね」
と思っていただければ。

もちろんながら、「こんだけやってんだよオレ偉いだろ!?」という意味ではありません。
スッと書けりゃそれにこしたことないです。
でも、ま、僕ごときでもこんなぐらいは二念なくやっておりまして、
もっと凝縮志向の方なら、もっともっと無駄にしてるかもしれません。

大切なのは「いいのができる」ことで、そのためならなにをも厭いません。

どんな分野もプロってのはそんなもんです。
僕はまだまだ、脇が甘い。



**********
■モウリーニョ (第一稿)


本日は「予想できる人間ドラマ」を覆せるかどうか、という主題で。

ポルトで先日欧州チャンピオンズ・リーグ(CL)を制してしまった
モウリーニョ・コーチが、プレミアリーグ・チェルシーの指揮官として迎えられました。

まず状況説明を。

CLというのは「欧州一のクラブチームを決める」ので、
各国の昨シーズンの上位数チームしか出れませんので、
ものすごい格式が高いです。
レアル・マドリードなどは国内リーグを捨ててでもこれを獲りに来ます。
その優勝トロフィーの姿から「ビッグ・イヤー」と言いますが、
ビッグイヤーを手にする、というのはサッカー選手ならば誰もが憧れる目標なのです。
それを獲った。
しかもミランだレアルだマンチェスター・ユナイテッドだバイエルンだ、
という強豪ではなく、ポルトガルのポルトという、弱小とは言えないものの
小振りなチームで。
CLは天皇杯のような単純ノックアウトトーナメントではなく、
32強の時点でグループリーグ、準決勝まではホーム&アウェイでやりますから、
(決勝は一発勝負)
フロックフロックでは優勝は無理です。

ま、まず間違いなく「ある程度以上」優秀なコーチなわけです。

次に。
チェルシーというチームは、ロンドンに本拠を置き、プレミアリーグ(イングランド)
でも人気の高いチームです。実力もかなりあります。
ただここ数年、マンチェ&アーセナルの2強時代が長く続き、栄冠を勝ち得ていません。
昨シーズンまでの指揮官はクラウディオ・ラニエリ、イタリアン。
彼は就任前の外国人頼みのチーム編成を良しとせず、
(酷い時にはスタメン全員が外国人)
外国人にイングランド人を上手く混ぜ、着実にチームを作ってきました。
先日日本戦で出てたテリーやランパードがそうです。

そこに昨シーズン前、ロシアの超富豪アブラモビッチがチームを
まるごと買い取ってしまいます。オーナーになったわけです。
名前の通り(笑)石油系で財を成した方だそうで、その資金力は無尽蔵。
各国からスター選手を掻き集めにかかります。
クレスポ、ムトゥ、マケレレ、ヴェロン……
各国代表のエース級が次々に引き抜かれていきました。
オファー額が中途半端ではないらしく、クラブにとっても本人にとっても
「ダー」と言わざるを得ないようです。
その乱れ買いっぷりたるや、ラニエリ監督が補強希望リストを手に、
「今季のご予算は?」
と訊きますと、
「もうそんなことは気にしないでください」
と応えた、という逸話がまるっきり作り話に聞こえません。

さて。
ラニエリ監督の手腕もあり、アブラモビッチオーナーのお金もあり、
上手く噛み合ったチェルシーは、プレミアシップ2位、チャンピオンズ・リーグ4強、
というとてもいい成績でシーズンを終えます。
ここで、ポイントは3つあります。
・金がありスター選手を掻き集めても、それを上手く使いこなせるコーチは実は少ない。
 カルロス・ケイロスの例を引くまでもありません。
 事実、アルゼンチン代表、ルーマニア代表、オランダ代表が顔を揃えるキラ星のごときFW陣で最も重用されたのはアイスランドのグジョンセンでした。
・プレミアではアーセナルがバカみたいに強かった。
 115年ぶりの「無敗」王者です。
 マンチェスター・ユナイテッドという世界的強豪を上回り2位、というだけで、
 チェルシーの頑張りがわかろうというものです。
・CLも、その「アーセナルを破って」4強進出。
 アーセナルも本拠地はロンドンです。
 積年のライバルを破っての4強ですから、価値があるわけです。

#サッカーでは、「ダービー」(同一都市本拠のチーム同士の戦い)
#は非常に盛り上がります。
#また、敵愾心も中途半端なものではありません。
#私セレッソ大阪が好きなのですが、たとえばガンバ大阪とジュビロ磐田が
#優勝を争ってましたら、声を涸らしてジュビロを応援します。
#スペインなどは地域間感情がもっと酷くて、バルセロナのサポーターは
#レアル対ユヴェントス(イタリア)のCL決勝で家の前にユヴェントスの旗立てるらしいです。
#ここが野球とはかなり違う点です。

しかし。
どうもオーナーはラニエリ・コーチに満足してないんじゃないか、という憶測は
シーズン中絶えず流されており、終盤、アーセナルが優勝を決めたあたりで
ラニエリ解任は既定路線になってきてました。
さあ、そこで黙っちゃいられないのがサポーター達。
「せっかくいい流れじゃんかよ!」
というのは、そう、横浜ベイスターズの大矢監督あたりをイメージしていただけると
いいかも。
最終戦はホーム・スタジアム6万人が
「俺達のコーチはラニエリだけだ」
の大合唱。コーチ冥利に尽きる、ってもんですわ。

ところがそれも効果無く、
アブラモビッチ・オーナーはラニエリ・コーチの首を切り、
モウリーニョ・コーチを招聘しました。

長々すいません、おおよそチェルシーの現況がわかってもらえましたでしょうか。

つまり、
・新コーチは愛された前コーチ以上の結果を、オーナーにも求められており、
 サポーターにも厳しい目で見つめられている。
のがポイントです。
つかこれだけ言え?すいません。

さあて、お次はその、モウリーニョ・コーチの人となりと性能です。
外国メディアの翻訳しか手に入れる能力がありませんので、
実像とは歪み果ててるかもしれませんが、
公式コメントだけ聞いててもかなり「オレ流」です。

彼は選手としてはプロ・キャリアすらないほどで、
若い頃からロブソン監督の通訳をしたりして、
コーチ専業で這い上がってきた方なんです。
だから、自分に絶対の自信がある。
というかそうでないとやってられない。
ついこないだまで日本にいたフィリップさんにもちょっと似てます。

とは言っても単なるビッグマウスではなく、
CLもですし、ポルトガル・リーグも制覇してます。
実績充分ではないか、と思われがちですがここにこそ罠がある。

まず、ポルトガル・リーグですが、ここは3強+雑魚という構成なんです。
スポルティング・リスボン、ベンフィカ、そしてポルト。
極端に言うと、Sリスボンとベンフィカとのホーム&アウェイ都合4試合を
勝ってしまえば、優勝はほぼ間違いない。
ま、それが難しいのですが、実力が拮抗したプレミアよりは、楽ではある。

次にCL。
確かにまぐれでは無理とはいえ、よーく見ると、
マドリー一強でマルセイユだけ叩けば上がれるグループF、
(そして実際2戦とも勝って這い上がり)
マンチェスター・ユナイテッドを叩いたのは見事ですが
これもホームで2-1、アウェイで1-1の最小得点差逃げ切り、
8強はリヨン(フランス)という8強の中ではモナコと並んで与しやすい相手、
ホームで2-0、アウェイで2-2。
4強はデポルティヴォ・ラコルーニャ(スペイン)、
ホームで0-0、アウェイで0-1。
そして決勝はモナコと3-0。
要するに山はマンチェ戦で、あとは実に効率のいい勝ち方と、
ドローに恵まれて勝ち上がってます。
決勝も、相手モナコの攻撃組み立て役ジュリーが20分でケガ、
主審が不調でモナコのエース・モリエンテスの絶妙の裏取りをいくつも見逃し、
3-0と言うほどの戦力差ではないと感じました。

簡単に言うと、「守り勝つ」チームです。

それは悪いことではありません。
サッカーの醍醐味は攻撃と守備が一点、瞬間で切り替わる点です。
つまり守りは攻め、攻めは守り。
守ることでチャンスを呼び込む、「カウンターアタック」という戦術は、立派な戦術です。

全てのスポーツでそうですが、攻めは水物ですが守りは鍛えられます。
平凡な選手しか揃って無くても、コンビネーションを磨き走り回ることを厭わなければ、
「守れる」チームには比較的短時間でなれます。
な、もので、サッカーでは、弱小チームがいい成績を残すために、
カウンター主体のチーム編成、がよく行われます。

セレッソ大阪やガンバ大阪が2位になったりしたことがありましたし、
昨シーズンは市原が頑張ってましたが、大雑把に言えば全部ソレです。
7もしくは8人で守って、2もしくは3人で点を獲る。
奇跡のアトランタ組もそうです。
攻撃は城・ゾノ・中田オンリー。あとはみんなでゴリゴリ守る。
で、たまには、ブラジルに勝っちゃえたりもするんです。

しかしながら。
この戦い方だけが優れているのなら、みんながこの戦い方をするはずです。
そうはならない。実はこの戦い方、
「弱小チームがそこそこの成績を残す」
にはぴったりなのですが、
「なかなか負けないけどそんなに勝てない」
という性質上、
優勝とか、常勝とか、そういう言葉とは縁遠いんです。
サッカーは、引き分けのあるスポーツです。
勝ち・勝ち点3、引き分け・勝ち点1。
守り抜く、ということは、
勝つ可能性をある程度犠牲にして、引き分ける可能性をあげています。
4試合あって、2勝2敗を取るか、1勝3分を取るか、
ここがサッカーのチーム編成のミソで、
2勝2敗のチームは4勝の可能性もあれば4敗の可能性もある、
1勝3分のチームは、4勝の可能性はすごく小さいけど、4敗の可能性もすごく小さい。

そしてまた上手くできてることに、
サッカーというのは得失点差が非常に小さく、
またセットプレーというチーム能力にあまり関係のないプレーからの得点割合が
かなり大きいんです。
弱者がセットからの1点を守りきって勝つ。
このアップセット、番狂わせの可能性もサッカーの魅力ですが、
逆に強者にとっても、守り抜いて引き分けを狙う弱者に対しゴリ押せる、
個人技でねじり伏せる、そのチャンスでもあります。

カウンターは「相手を呼び込んで発動する」というその性質上、
引き分けてる時や勝ってる時にしか使えません。
1点でもリードされると、逆に今度はこちらが出て行かなければ、
相手はジッとしてるだけです。
そう、1度リード喰らうと、今度は逆にこっちがカウンターの餌食になる。
「カウンターチームはカウンターに弱い」
と言われるゆえんです。

で。
たいていのカウンター主体のチームは、
「優勝狙えるぞ?」という成績が出てきたあたりで、浮き足立つんです。
そういう経験が少ないのが一番の要因ですが、
長いシーズンの終盤で、自慢の守備陣に疲労が蓄積してるとか、
得点を獲ってくれるエースのパターンが研究されるとか、
いろいろが重なって、殺人カウンターが機能しなくなって、リードされて、
出たところを逆カウンター喰らって、
結局、オーソドックス王道強者に敗れ去る、のが、たいていの場合、です。

さてと。
カウンターサッカーの弱点はもう一つあります。
「あんまりおもしろくない」
ということです。
守備も極めれば実に趣深いものですが、普通あんまりそんな見方しないですよね。
パスがグルグル回って、ゴール前シーンが多い方が楽しい。
たとえ点が入らなくとも、贔屓のチームのそういうシーンが見たくて、
サポーターはスタジアムに出かけるわけです。
ところが、ゴール前に8人が貼りついて殴られまくる。
ボール支配率35%とか、そんなめった打ちに合う。
で、それでもカウンター一発が炸裂して勝てばまだしも、
コーナーキックあたりから失点してそのまま敗れ去ったりもする。
暴動ものです。

つまり、カウンターは「結果を出さなければならない」という宿命があるんです。
それも、セレッソやサンフレッチェがカウンターサッカーなら、
サポーターも「生き延びるためだし!」と納得もできようものですが、
ジュビロやマリノスといった強豪が、もしカウンター主体で組み立てて、
シーズンを通しての結果が出なかった、そんな時にはもう、
サポーターの怒りは収まりません。
同じ2位でも、美しい2位、楽しかった2位と、
泥にまみれ屈辱にまみれた2位があるわけです。
セレッソサポーターはどんな2位でも喜べますが、
ジュビロサポーターには、2位は最下位と同じです。

チェルシーは強豪です。
カウンターサッカーを許して貰える土壌ではありません。
来季、ラニエリと同じ2位、CL4強でも、
もしCL決勝で見せたような典型的カウンターサッカーをやり続けてのソレでは、
たぶん首が飛びます。

前例があるんです。
ヴァレンシア(スペイン)→インテル(イタリア)の、クーペル監督。
ヴァレンシアをCL決勝に導いた彼の手法も、カウンターサッカーでした。
「見る睡眠導入剤」とまで言われたほど退屈な。
ヴァレンシアの時はまだよかったんです。
もちろん強豪なのですが、「CLで決勝までいくなんて!」というぐらいの位置ですし、
前へ出てくるチームの多い、攻撃的なリーガ・エスパニョーラでは、
守備主体でカウンター、という戦い方自体に個性があり、
またそれがバスバス決まるとそれはそれなりに美しかったものです。
その彼が、インテルへ。
インテルというのも名門であるにもかかわらず気まぐれなオーナーが
気まぐれな補強を繰り返し、成績が出ないと監督のせいにして首を飛ばす
イタリアンなチームで、
しかも悪いことにここんとこはライバルであるミランの方が調子が良くて、
もちろん巨人にあたるユヴェントスは毎年堅実に力強く、
最近は名将カペッロ率いるローマも力をつけ、
4強の座すら危ない、というテイタラク。
「ぜひ優勝を!」
と願うサポーター関係者の前にやってきてしまったのが、
カウンター監督だったんです。

もう、選手サポーターから大ブーイング。
ロナウドなぞ今でも
「クーペルだったからレアル行った。クーペルが居ないなら戻ってもいい」
なんて公言するぐらいです。
でね、ちゃんとユヴェントスにつぐ2位獲ったんです。
でも、今季、調子が出なくて負けがこむと、すぽーんと首が飛びました。

もう、カウンター監督の末路の典型です。
本来なら、カウンターならカウンターで、それを磨きに磨き込めば、
美しさも出ますし、個性にもなります。
事実彼が去った後のヴァレンシアを引き継いだベニテス監督も、
カウンターサッカーを継承し高めて、今季はリーガとUEFAカップの二冠を獲りました。
左サイドバック・カルボーニ、なんと39歳。
世界的スター選手なぞアイマールとアジャラ程度、
バラハ・アルベルダの中盤底・コンビを中心に守って守って守り勝つチームです。

#余談ですがここはほんっとにR・マドリード以上にフロントが無能で、
#ラニエリ・クーペル・ベニテスと3将が頑張って成績を残すのに、
#それをご破算にする選手補弱や売却を繰り返します。
#ヴァレンシア・ファンの心中察するにあまりある、という感じ。

で、それをずーっとやってりゃ、今年みたいにレアルやバルサのような
「撃ち勝つ」チームが転けた時に、ちゃんとチャンスが回ってくるんです。
これを、どうしても関係者(特にオーナーや会長)は、
撃ち勝つ華麗なチームを妄想して、カウンター監督のクビを飛ばしちゃうんですね。
サンフレッチェも優勝監督バクスターを、
「次のステップへ」
とかなんとか言って替えたじゃないですか。
そこから二部落ちまで経験するほど低迷しましたよね。
自分のチームの器や、歴史的な個性、
それは監督替えたくらいでは変わらない。
変な妄想はせず、「自分なり」に沿った戦略で闘っていく方が、いいように思います。

さて!
カウンターの話が長くなりましたが、要するに要するにそんな監督ですから、
チェルシーで結果を出す
となると非常に疑わしい。
そして今、ナウ、2位なわけです。これ以下に落ちることは、許されない。
しかし戦術的にはもとより、選手層もガラリと変わるでしょうし、
そもそも監督も初めてのプレミアシップですから、
(一応通訳の経験はあるようですが)
いろいろと戸惑うこともあれば、ミスもありましょう。

そんなミスが出た折、現況は、クーペルが呼ばれた時のインテルよりも厳しい。
クーペルの時のインテルは、リッピにシーズン序盤で逃げられて(クビにして)
残りをタルデリでヨロヨロとクリアした、その次のシーズンでしたから、
まだ「よし、ヴァレンシアで名を馳せたクーペルで心機一転!」って気分にも
なれたわけです。
でも今のチェルシーは、「ラニエリで良かったのに……」です。

サポーターの圧力ってね、サッカーでは非常に大きいんです。
ここが日本のプロ野球とは全然違うところです。
サポーターの力で、監督はもとより編成担当や会長のクビまでが飛ぶのです。
今、サポーターは、アブラモビッチ・マニー・パワーでチェルシーが強くなった、
だから黙ってる。
でも、今度は、それを弱くしたのがオーナーだ、となると、
オーナーにも牙を剥くんですな。

やなもんでしょう?(笑)
俺のチームだ、俺の好きにして何が悪い、って感じですよね。
でもそれは、許されない。
メジャーリーグなんかもそうですね。

で、牙剥かれたら生け贄の子羊が必要になりますな。
石油関係のビジネスマンですよ?
そんなとこの躊躇や人間性なんかどうせゼロに決まってるじゃないですか(偏見)
てことで、開始3ヶ月、3連敗でもして首位アーセナルと10pt差、
このぐらいでもクビが飛びかねないんです。

実にハイリスク。

しかし、普通に考えて、これ以上ヨダレの出るような好条件はないわけです。
金だけ出して口はあまり出さないオーナー、つまり
自分の好きな選手を掻き集められる環境、
自分の要らない選手を二念なく切れる環境(これは前者と同じぐらい重要)
そしてその現有戦力とモチベーションは2位やCL4強で実証済み。
そしてロンドンという世界都市の人気チーム、
それを復活させるという栄誉と名声。
ここで良い結果を残せば、
10年後にはポルトガル代表監督どころか、イングランド代表監督を率いてW杯、
などという監督としてこれ以上ありえない栄光を手にすることも、できるかもしれない。
こんなチャンス、巡ってくるだけでも超・幸運です。
引き受けないでは、居られない。
僕が彼でも、引き受けます(笑)

スーパー・ハイリターン。

バクチです。
あまりにもバクチです。
ぶっちゃけ個人的に、うまく行く可能性は2%ぐらいだと思います。
なぜかというと、上の繰り返しになりますが、

・まず最初の一山を乗り越えられない
 プライドだけ高い古豪、というのは、難癖つけるのだけは超一流です。
 あれじゃ駄目だ、と最初の半年で思われてしまうと、もう終わりです。
・プレミアはそんなに甘くない
 アーセナルがマンチェがニューカッスルがリヴァプールが立ちはだかります。
 ボルトンやシティのような、「一発のある」チームが、敵意剥き出しに
 クビを掻ききりに来るかも知れません。
 どれほど自慢の鉄壁の守備システムが機能しても、
 ワープスター・アンリにピョッと走られればそれで負けてしまいます。
 つまり、ポルトガルのような「勝とうと思って勝てるリーグ」ではない。
 勝てるだけの充分の準備をして、あとは神様のお導きに従う、
 そういうリーグです。
・すでにスターが居る
 ランパードなどイングランド人選手は、サポーターのアイドルです。
 このあたりと悶着起こして出すとか出さない、なんて話になると、
 一気に人心が離反します。外人監督ですからね。
 「モウリーニョ様におまかせ」だったポルトとは、ここが違う。

などなどなど。
日露戦争の日本海海戦のように、
「よく要素要素を見ていけば、あれほどでなくても日本が勝つのは当然だ」
というものでもない。
要素要素を見ていけばいくほど、「無理だ……」という気分が募る。
しかし。
しかし彼なら、CLという大舞台をポルト程度で制覇してしまった彼なら、
奇跡をやってのけるかもしれない。

起こりうる人間ドラマ、それは
「就任僅かで若い俺様監督の鼻っ柱が叩き折られる」
これです。
これをモウリーニョがその意志と知恵、そして勇気で覆してみせるのか否か。

もうすでにある筋書きを、見事覆してみせるかどうか。
もし覆して見せたのなら……
人間って偉大だなあ、って思えるじゃないですか(笑)

ということで、来季、欧州選手権の後は、
イングランド・プレミアリーグ、特に「チェルシー」に注目です。
ニッカン等スポーツ紙系webでも、一応結果ぐらいは見れますから、
チェックされると面白いかと。

長文失礼、一番言いたいのは上の4行です(笑)



**********
■モウリーニョ (第二稿)


本日は「予想できる人間ドラマ」を覆せるかどうか、という主題で。

ポルトで先日欧州チャンピオンズ・リーグ(CL)を制してしまった
モウリーニョ・コーチが、プレミアリーグ・チェルシーの指揮官として迎えられました。
状況説明しますと、

・チェルシーはロンドン本拠のプレミアの名門。
 先年アブラモビッチというロシアの超富豪に買収されました。その名の通りの石油関係者で、無尽蔵の資金力にモノを言わせ各国からスターを買い漁りました。
・しかし前任のラニエリ・コーチは、それに惑わされることなく、以前の外国人偏重を改め、ランパードやテリーといったイングランド人若手を育て、今季はマンチェスター・ユナイテッドを抑えリーグ2位、CLでも同じロンドン本拠のライバル・アーセナルを破って4強を果たした。
 もちろん近年ではベストの成績です。
・サポーターは当然ラニエリを愛しており、最終戦ホームでは6万人が「俺達のコーチはラニエリだけだ」の大合唱。
・しかしアブラモビッチ・オーナーはラニエリを気に入らないらしく、クビ。
 連れてきたのは、モウリーニョ。

で、モウリーニョ監督を見るに、(CL決勝だけです、すみません)

・選手としてのプロ経験はなく、名将の通訳から這い上がったコーチ専業者。
・そのせいか強烈な自信家で、(でなきゃやってられないかな)
 「気に入らないヤツは出て行け」の将軍様タイプ。
・ポルトはポルトガル・リーグも制覇してますが、ここは要するに3強+雑魚、というリーグで、スポルティング・リスボンとベンフィカの2チームを相手にホーム&アウェイ都合4試合を勝ってしまえば、ほぼ優勝が転がり込む。
 つまり、強豪ひしめくトップリーグ(イタリア、スペイン、イングランド)で列強を押しのけ続けた経験はない。
・CLでのポルトの戦い方を見ると、もう典型的も典型的なカウンター・スタイル。それもモナコと比してもまだ古典的で、DF個人能力で敵を掴まえ、あまつさえエース・モリエンテスにはボランチをマンマーカー、攻撃は前の3人、特にデコの閃きにおまかせ、というスタイル。

さてここで、カウンターサッカーというのはどういうものか、簡単にご説明しますと。

・7−8人で守って2−3人で攻める。
・相手に攻めさせて、できた隙を速い攻撃で突く。
・守備システムは鍛えやすく、DFも比較的安くて補強しやすく、補強しなくてもコンビネーションと根性でかなりなんとかなる。
・つまり弱小チームがそこそこの成績を出すにはもってこいの戦術・戦法。
・しかし、サッカーは勝ちで勝ち点3、引き分けで勝ち点1。
・つまり、「なかなか負けない」が「たくさん勝てる」わけではないカウンターサッカーは、勝ち点を荒稼ぎ、というわけにはいかない。
・ので、優勝とかそういうものは狙いにくい。
 王道型の殴り勝つ強豪チームに、最後は抑えられてしまう。
そして、
・相手に殴られっぱなしの自軍を見続ける、サポーターには辛い戦術
なので、
・結果が出ないと辛い。
特に
・セレッソぐらいの2位でも大喜びできるチームならともかく、ジュビロのような強豪がシーズンを通じてやると、「優勝」という結果以外は許して貰えない。

さらに一つよ〜く似た前例。
ヴァレンシア(スペイン)の前の前の監督はクーペルさんという方でしたが、この方も守備守備からのカウンター・スタイル。しかしヴァレンシアをまとめ上げ、見事CL準優勝へと導いたのです。しかも2回。
で、この実績を買われ、名門・そしてオーナーがお金持ちの、インテル(イタリア)の指揮を執ることになりました。
シーズン成績は3位・2位。
ですが、これでもオーナーは「結果が出ない」と判断、3年目途中でクビ。

はい。
愛され・結果もそこそこ出してた前任コーチの代わりに、
オレ様キャラの新コーチが来ました。
新コーチは前2年ですごい成績を出しましたが、
それがチェルシーで発揮できるかどうかというと、ものすごい疑問です。
クーペルさんの例があります。
結果は……
おおよそ、予想できますよね。

長々書いてきましたが、そう、「おおよそ予想できる事態」が今我々の目の前にあります。
それを覆す・覆るのが、サッカーの、いやスポーツの、いや人生の、
喜びであり楽しみです。
鼻っ柱の強いオレ様青年監督が、見事ありえない結果で世界中を黙らせてみせるか、
はたまたスポーツの女神様は、そこまでの乱暴狼藉を許さないのか。

来季のチェルシーは、歴史が見れる……かもしれません。



**********
■モウリーニョ (第三稿)


本日は「ありえない」が起きるかどうか、という主題で。

---

ポルトで先日欧州チャンピオンズ・リーグ(CL)を制してしまった
モウリーニョ・コーチが、プレミアリーグ・チェルシーの指揮官として迎えられました。
状況説明しますと、

・チェルシーはロンドン本拠の名門。
 しかし近年はタイトルとは無縁な年が続いてます。
 ところが先年、アブラモビッチというロシアの超富豪に買収されました。
 その名の通りの石油関係者で、無尽蔵の資金力にモノを言わせ
 各国からスターを買い漁りました。
・しかし前任のラニエリ・コーチは、それに惑わされることなく、
 以前の外国人偏重を改め、ランパードやテリーといったイングランド人若手を育て、
 今季はマンチェスター・ユナイテッドを抑えリーグ2位、
 CLでも同じロンドン本拠のダービーライバル・アーセナルを破って4強を果たしました。
 もちろん近年ではベストの成績です。
・サポーターは当然ラニエリを愛しており、最終戦ホームでは6万人が
 「俺達のコーチはラニエリだけだ」の大合唱。
・しかしアブラモビッチ・オーナーはラニエリを気に入らないらしく、解任。
 連れてきたのは、モウリーニョ。

で、モウリーニョ・コーチを見るに、(CL決勝だけです、すみません)

・選手としてのプロ経験はなく、名将の通訳から這い上がったコーチ専業者。
・そのせいか強烈な自信家で、(でなきゃやってられないかな)
 「気に入らないヤツは出て行け」の管理者・将軍様タイプ。
・ポルトはポルトガル・リーグも制覇してますが、ここは要するに3強+雑魚。
 スポルティング・リスボンとベンフィカの2チームを相手に
 ホーム&アウェイ都合4試合を勝ってしまえば、ほぼ優勝が転がり込む。
 つまり、強豪ひしめくトップリーグ(イタリア、スペイン、イングランド)で
 列強を押しのけ続け栄冠を勝ち得た経験はない。
・CLでのポルトの戦い方を見ると、もう典型的も典型的なカウンター・スタイル。
 DF個人能力で敵を掴まえ、敵のエースにはマンマーカー、
 攻撃は前の3人、特にデコの閃きにおまかせ。

さてここで、カウンターサッカーというのはどういうものか、簡単にご説明しますと。

・7−8人で守って2−3人で攻める。
・相手に攻めさせて、できた隙を速い攻撃で突く。
・守備システムは鍛えやすく、DFも比較的安くて補強しやすく、
 補強しなくてもコンビネーションと根性でかなりなんとかなる。
・つまり弱小チームがそこそこの成績を出すにはもってこいの戦術・戦法。
・しかし、サッカーは勝ちで勝ち点3、引き分けで勝ち点1。
 つまり、「なかなか負けない」が「たくさん勝てる」わけではないカウンターサッカーは、
 勝ち点を荒稼ぎできるわけではない。
・ので、「優勝」は狙いにくい。
 王道型の殴り勝つ強豪チームに、最後は抑えられてしまう。
そして、
・相手に殴られっぱなしの自軍を見続ける、サポーターには辛い戦術
なので、
・結果が出ないと辛い。
特に
・セレッソぐらいの2位でも大喜びできるチームならともかく、
 ジュビロのような強豪がシーズンを通じてやると、
 「優勝」という結果以外は許して貰えない。

さらに一つよ〜く似た前例。

ヴァレンシア(スペイン)の前の前のコーチはクーペルさんという方でしたが、
この方も守備守備からのカウンター・スタイル。
しかしヴァレンシアをまとめ上げ、見事CL準優勝へと導いたのです。しかも2度。
で、この実績を買われ、名門・そしてオーナーがお金持ちの、
インテル(イタリア)の指揮を執ることになりました。
シーズン成績は3位・2位。
ですが、これでもオーナーは「結果が出ない」「試合が面白くない」と判断、
3年目途中でクビ。

はい、まとめます。

最近振るわぬ古豪に、愛され・結果もそこそこ出してた前任コーチに替わって、
若い自信家の新コーチが来ました。
新コーチの戦法はしかし、どうも強者の戦術ではありません。
非常によく似た前例では、2位でも解任されました。
しかも彼には時間はない。チームは今既にそこそこの位置に居ます。
今年、すぐ、結果を出さなければ、許されない。

確かに、ヨダレの出るほど美味しい話です。
無尽蔵に資金のあるオーナー、
しかも金は出すが口は出さず自分の好みの選手を掻き集められ、
歴史と伝統に彩られた古豪の名誉、
そして前年2位を獲れる充分な現有戦力とモチベーション。
そして勝利を遂げればこれ以上ないほどの賞賛を浴びることができる。
しかし。
それへの道は、極めて厳しい。
失敗した極めて酷似する前例もある。

限りないハイリスクハイリターン、
これを41歳の、選手経験も無いと言っていい青年監督がどう捌くのか、
ここに非常に興味が沸いている、のです。

---

もし成功すれば、これは珍事です。

古豪を名将が復活させた例と言えば、たとえばNBAレイカーズをフィル・ジャクソン、
あるいは監督ではありませんがフェラーリをミハエル・シューマッハー。
しかし彼らはもうその業界では、
「その時点で既に」「史上最高」の名さえ戴くカリスマであって、
いわば「彼についていけば」と万人が認めていたわけです。
モウリーニョには、まだそれはない。

ノーマーク・ダークホースが、味わい深いヴェテラン名将に率いられ、
催眠術かけられたみたいに勢いで勝っちゃう、そんなこともタマにあります。
今年の甲子園の済美高校とか。
しかしそれは短期決戦やトーナメント戦だから起きうる話で、
1年まるごと戦い続けるリーグ戦では、起きうることでしょうか?

ありえない。
どう考えても、ありえないんです。

しかし。
今年のレアル・マドリードのように、
「ああボランチとCB居ないじゃないですか、しかもグラパンぶっ壊したカルロス・ケイロスでしょ? 100%駄目ですな」
と、シーズン始まる前から「無理」の烙印を「論理的に」「簡単に」押せるわけじゃない。
「ひょっとしたら……」
が心の底に2%ぐらい、あるんです。
あのポルトのメンツでCLを制してしまったコーチが、チェルシーの選手層を手にしたら、
どんなことをやってのけるのか……

つまり彼が見事栄冠を手にすれば、
それは歴史的瞬間なんです。
サッカーのコーチング、とかそんな狭い範囲の話ではなく、
組織運営、組織管理の方法論そのものに大きな衝撃を与えうる。

誰もが知ってる古典的で堅実な方法論を、
愚直なまでに誠実に、揺るがずに行い、
またそれをやってのける組織員だけを集め、鍛え、信頼され、送り出し、闘う。

あたりまえのことです。
誰もが知ってる、ごくごくあたりまえのことなんです。

でも、いろいろのいろいろがあって、
このあたりまえをあたりまえにこなすことにこそ、
今の世の中では、凄まじいエネルギーを必要とします。

それは、間違ってる。

若きモウリーニョが、その強い強い意志を持ち続け、
「あたりまえ」で「ありえない」奇跡を起こすのか。

あるいは、さらに上手の「あたりまえ」を用いて、
ヴェンゲルやファーガソンといった熟達が、その野望を打ち砕くのか。

プレミアの結果なんて一般紙ではちいちゃーくしか出ないですが、
ま、よければ「チェルシー」という甘そうな名前を覚えておいてください。



**********

こんな感じです。で、できあがりが、これ↓


6/6 モウリーニョ

昨日から今日にかけて、一生懸命、
チェルシーのコーチに就任したモウリーニョさんのお話を書いてました。
ギョッ、と要約すると、

・超大金持ちロシア人オーナーが買収したイングランドの古豪・チェルシー、
 前任のラニエリ・コーチはそこそこの結果を出し、サポーターに愛されるも解任、
 そしてモウリーニョが選ばれた。
・「オレの言うことをきけ」タイプの青年自信家、しかしその戦法は典型的かつ古典的な
 カウンターサッカー、プレミアで優勝を狙えるとは正直思えない。
・実際、よく似た例で、カウンター監督クーペル(ヴァレンシア→インテル)は、
 2位になった翌年クビが飛んだ。
・しかしそうは言ってもチャンピオンズリーグ・ウイナー、前年のUEFAカップ・ウイナー、
 もちろんポルトガルリーグ覇者。41にして極めるもの極めてるとも言え、
 ポルト程度の選手層であれだけのことができれば、
 チェルシーの選手層&アブラモビッチ資金があれば、
 一体どんなことをやってのけるのか、大いに期待もできる。
・だから、来季は「チェルシー」「モウリーニョ」に注目ッスよ!

こんだけ。
こんだけのことを、何行書いたかわからないぐらい書きました。
体調崩すぐらい書きました。

ひとつひとつの言葉に、派生する言葉・事件・内容が山のようにあるのです。
アブラモビッチ、彼の選手の買い方、チェルシー、不振の古豪のあり方、ラニエリの戦い方や実績、サポーターの彼への愛情の示し方、モウリーニョのヒストリ、カウンターサッカーとは何か、どういう成果が出るのか、どんなチームがあるか、クーペルの扱われ方、インテル・オーナーの毎年のバタバタ度、実はヴァレンシアの前のコーチはラニエリ、ラニエリ→クーペルの時もサポーターはラニエリを懐かしんだ、ポルトのCLの勝ち上がり方、しかしプレミアにはヴェンゲルやファーガソンが君臨する、フィル・ジャクソンやミハエル・シューマッハの事例……
言い出すとホントにキリ・ゴンザレスがない。

でも、言いたいことといえば、

『誰もが知ってる「あたりまえ」を強い意志を持ってやり続ければ、
 結果はあとからついてくる。
 実績も、才能も、経験も、なにもいらない』

これと、

『モウリーニョはそれをかなり証明して見せた。
 しかし、はるかに厳しい環境、世界の頂点で、それをもう一度やれるのか。
 あるいはやはり、もっと上の「あたりまえ」が、その鼻っ柱を叩き折るのか。
 注目』

これだけなんです。

でも、これだけポン、と出されても、「はあ、そうですか」ですよね。
どのぐらいモウリーニョの挑戦が困難なものか、示す必要があって……
で、のたうち回っておりました。
力不足です。
あるいは、ポン、と取り上げるには、サイズの大きすぎる主題だったのを、
見抜けなかった眼力のなさです。
地道に取材すれば一本ノンフィクション書けるサクセス・ストーリーですもんね。
それをCL決勝一試合見ただけでエッセンス書こう、なんて、考えが甘すぎる。

手触りのない主題は、手荒に扱ってはいけない。

そんな感じで本日は上記2点。
にプラスして、ながたまだまだッス!ってことで!


6/5 ネコ・エステ

【本日の関西人】

「和久、『クレ551』買うてきて」

確かにどっちも赤いけどもや。

---

本日は皆様と一緒に、ネコ・エステシャン、ネコ・エステシェンヌへの道を
ひた走りに走ってみましょう。

我が家には4匹のネコが居ます。
ネコという連中は非常に気ままでして、好き嫌いが非常に激しい。
4匹は兄弟なのですが、全員性格も好きな食べ物も全部違う。
ですから当然、撫でると気持ちいい場所、撫で方も違います。

一番オーソドックスなのはマイクルで、
喉の下、背中全体をやさし〜く撫でる、という教科書的な撫で方を一番喜びます。
ミル吉は撫でるよりも、掻く方がお好み。
特に背中側の後ろ側、シッポの付け根の方、ここをカリカリやるのが一番効く。
リッキーは下腹部です。撫でる・掻くよりも、揉むような、マッサージ式です。
べちゃっと寝てますから、その辺をもみもみしてやると、
仰向けになってゴロンゴロン転がって喜びます。

どの辺でどこがベストのポイントか、といいますと、
撫でてて相手が一番長く飽きない、ところです。
もちろん顔も、「ああそこそこそこだんねん」という恍惚たる表情になります。

なんだかAV男優さんみたいな気分になってきましたが、
ネコですら雄猫ばかり相手しているところが限りなく切ないですな。

さて、アイ吉だけがずっとわからなかったのですが、
(上記3パターンを試してもイマイチっぽく)
今日見つけました。
なんとこの人は、「背中の筋肉を掴むように揉む」のがベストらしいです。
ふと発見して比べてみると、なるほど、この人だけ、他の兄弟より、
固く背筋が張ってるような気がします。
これが人間で言う「凝り」なのかどうか、そこまではわからないのですが、
とにかくこれをほぐす感じで少しだけ強めにぐりぐりしてやると、
今までにないぐらい喜びます。

マッサーの方が、スポーツ選手を担当して、
「彼の筋肉は驚くほど柔らかいよ!」
なんてことをおっしゃいますが、
ネコも同様。
筋肉の質も違いますし、もちろん脂肪の付き方や皮膚の厚み、全部違います。
兄弟ですが、毛並みも違います。毛質も違う。
(ネコの兄弟は異父兄弟が同時に生まれることがあるらしいですが、
 それでも母親は同じなわけで)
そういう「体質」によって、どこが一番効くかが、ぜんぜん変わってくるのです。

#ちなみに、運動センス順にやっぱり筋肉は柔らかいようです。
#運動神経抜群のマイクルは、全身ふにょんふにょんです。

ネコが「あ、コイツ、ネコ好きや」と人間を判断するのはどうもここらしく、
多数のネコに長時間触れた経験のある人間は、
ネコに個体差があり撫で方にもいろいろあるのを、
無意識的にも体感で識ってます。
だもので、初見でも「ここかな?ここかな?」という手の動きをする。
ネコをよく知らない方は、頭ごなしに撫でつけようとして、(またそうして)
「ああコイツわかってない」と思われちゃうわけですね。
エラソウで恐縮ですが、キャット・ファーストハートな皆様の撫で方には、
いろいろと問題点がございます。

・頭ごなし……
 イヌもそうですが頭上からいきなり来る物体は怖いです。
・速度……
 たいてい速すぎます。「母猫が子猫を舐めるように」という定説がありますが、私はそれでは速すぎるように思います。接触面積も感触もネコ舌と人間の手ではまるで違うので……
 自分の髪を手櫛でとく時ぐらいの速度でいいのではないでしょうか。
 そこでどうして「恋人の髪を」とか言わないのでしょうか。
・場所……
 「自分の舌・足が届かないところ」を特に喜びます。
 まず背中が無難です。のど元はたいてい効きますが、ある程度の信頼関係がないと触らせてくれません。頭頂にポイント持ってる人は少ないです。(もちろん嫌な場所ではないようですが)
・手業……
 手のひらを撫でつけるように撫でる、のは効果薄いです。
 (1)爪を立て気味にして、熊手で潮干狩りするような感じで。
 (2)同じく指先を曲げて、優しく指先ストロークだけで揉むような感じで。
 (3)掌全体をネコの身体のカーブにフィットさせ、指先も含めた掌全体で撫でる。
 のような動きが良いでしょう。

さあ貴方も気まぐれなネコ達のハートをガッチリキャッチ、
1秒後にカルカンの袋が開く音に負けてしまう悲哀をたっぷり味わいましょう。

……メシやってますと、機嫌によっては少々の無理を聞いてくれます。

---

ネコ・エステやってますと、
「どっちがペットだ」
とフト疑問に思います。
名作「攻殻機動隊」でフチコマという思考ロボット達が議論しあうシーンがあり、
「人類を倒しロボットの世を作ろう!」
「それでなんのメリットがあるわけ?」
「……えーっとオイル交換とかさせられる」
「今でもやってもらってんじゃん」
なんて展開になってましたが、まさにその通り。
ヤツらは仕事もせずただ舌平目など高級なメシをカッ喰らい気が向けば散歩して野良猫に会えば逃げ帰り、そして1日15時間寝るだけです。
なんと優雅な。
「地上最強の生き物は人間だ」などと口に出すのは、人間の強がりにすぎません。
ネコは特に、ワガママであるが故に、こうして視点をぐらつかせてくれます。

そして、ワガママ=ナチュラルであるが故に、実に正直です。
普段から大事にしてますと、安心して寄ってきてくれます。
乱暴に扱っていると、遊ぼうともしてくれません。
■「TIPPI アフリカに育まれた少女」という写真集がありまして、(おすすめです)
幼い少女がダチョウの背に乗って羽根をガバッと広げたり、
ライオンと遊んだりして度肝抜かれます。
ですが、彼らにとって危害を加えるはずもない小さな人間の子は、
遊び相手以外ではないんですね。
だから大丈夫。

たぶん邪念がありすぎる私なぞライオンさんと対面すれば
ぐさーとやられてしまうと思うのですが、
せめてウチの4匹には安心しつづけてもらいたい、と思うのです。

そして人間も動物です。
安心してもらえる、ように。


6/4 描かない

以前(3/23)パパイヤ鈴木さんのダンスの話をしました。
ある歌番組で、「彼らは日本のトップダンサーですよ!」と紹介した4人の方と一緒に、
パパイヤさん踊ってたんですけど、
素人の僕からして一番「美しく見える」=「見心地がいい」のは、
パパイヤさんだったんです。

明らかに身体能力的には他の方より劣ります。
なのになぜ美しく見えるのか。
素人なりに睨みつけて考えたんです。
どうも事象としては、
他の方:A(止めて)→B(止めて)→C(止めて)
パパイヤ:A(止めて)→B(通過)→C(止めて)
らしい。
Bを通過することで、動きのスピードが遅くても、A→C間の移動時間は同じ。

ここでポイントは、一連のダンスの中から、
「抜いていいB」を見つけ、抜く。
ここなんです。
A→CをA→B→Cと同じ時間で動かすことで、
楽をする、あるいは速く(上手く・要領よく)見せる、というのは実は副次効果で、
どうもメインは、「要らないBを抜いてある」、ここっぽい。

それによって全体の流れがよりスムーズになり、
視点と感覚のフォーカスの動きがシンプルになり、
(より大切なAやCが強調され)
適切な余白が余韻と余情、受け手の想像の余地、行間を生み、
受け手側が勝手に表現を自分流にフィット・ブーストさせて、
結果として、見心地がいい。美しい。

もちろん、Bはただ適当に抜けばいいというものではない。
抜いていいBをその場の判断で先読みして・累積パターンマッチで・抜いていく、
そこにはセンス・技術・経験が必要です。
それもまた、「上手い」という感覚を見るものに喚起させます。

これこそがクリエイティビティと呼ばれるものです。
レシピどおりマニュアルどおりをロボットのようにやるのなら、ロボットの方が上手い。
本当の上手さ、というのは、そこじゃないんです。
オーケストラの指揮者が世界的な尊敬を集めるのも、
コンビニのお弁当がどこまで行っても最後の一線を越えないのも、
これが理由。

(実は「止めずに止めたように見せる」ところにも高度なテクニックがあり、
 あるいは同じ移動でも直線/等比的に動かすのではなく曲線/指数的に動かす、
 それこそが「上手い」と思わせる正体、のような気もしますが、
 今日は別角度からの話に絞ります)

---

上手いマンガ家さんは画面が白い、などとも言われます。
マンガはモロに「デフォルメ」の表現です。
「何を強調して描くか」+「何を省略して描かないか」。
人はどうしても前者に気を取られるのですが、それをガッチリ支えてるのは、後者です。
両輪バランスよくないと、真に「上手い」とは言えない。
いや、「上手いとは思うけど、魅力的とは言い難い」という変な状態になるんです。

最近、特に一枚物CGとかですと、PCやソフト、周辺機器、それからノウハウの発達で、
もうものすごい凝りたくった絵とか、時間さえかければいくらでも描けます。
それを繰り返してると、「描く」方の腕はまあ上がる。
でもそれだけでは、「描かない」方の腕は、いつまでも上がらない。

「なにを・どう描くか」を常にゼロから考えていますと、
いつかこの、「これは描いて」「これは描かない」という部分に、
自分なりの基準ができてきます。
(その結果としてガリガリに描き込んである、あるいは滅法シンプル、
 というのはいいことだと思います)
その基準こそ、「絵柄」=「個性」というヤツではないでしょうか。
だから、ただ闇雲に描き込み続けた(あるいは省略し続けた)絵は、
どんなに上手く見えても個性的ではないし、個性がない以上何も訴えませんから、
つまり、美しくない。

無論これは舞や絵だけではなく、なんでもそうです。
仕事でもそうでしょうし、ちょっとドライに言えば人間関係でも。

あれを手にしようこれを頑張ろう、
それも大事ですが、
あれは捨てようかこれはもういいや、
それも同じぐらい、大事。

---

個人的には、ご存じの通り「書きすぎ」のケがあります。
振り返れば、おおよそなんでも「すぎ」てました。
書きすぎを無理に「ちょうど良く」コントロールするより、
「書かない」を大胆に繊細に見つけバサバサ切る、
方が楽かつ適切のようです。
書きたいところは、思いっくそ書けばいい。

「書く」を細部への集中、アップショットとするなら、
「書かない」は全体の俯瞰、ロングショットです。
「書かない」を意識することで、全体バランスを整える効果も狙える。

これが一つ、テクニカルステップかなあ、と。

要するに「メリハリ」なんですが、
「メリハリをつけよう!」なんて言われてもメリハリてなんやねん、ですよね(笑)
描くところは描く、描かないところは「積極的に」「勇気を持って」描かない。
それが上手さ・個性・美しさへと繋がる、ようです。
「いいんだよそんなもの描かなくて」
と上手い人がよく言うのが、ようやくわかりかけてます。

描くことは描かないことでもあり、描かないことは描くことでもあり。
色即是空・空即是色。


6/3 裾

まずおみそれしましたごめんなさい。
スンシュケ→アレサンドロで大チャンス作っちゃいました(笑)
シンジのシュート(DF越しにGKの股間抜き)も「OH! NO!」でしたが、
三都主の、控えてスペースを作って(敵のサイドバックを無駄にラインに吸収させて)
飛び出す、そしてそのスペースにピシャリの俊輔、どちらもお見事でした。
その前のマリ戦、松井の股間抜きスルーも素晴らしかったし、
昨日はファンタジスタ・デーでしたね。

MF大国日本万歳。
ジュンイチ、早く良くなってね。

-----

おっちゃんな。
最近家にいる時にな。
Tシャツのすそ、ズボンの中に入れてんねん。

ハラ冷えるとな、ぴーぴーなんねん。
消化吸収が悪なるとな、体調も落ちんねん。
せやから、ハラ、中から外から、ぬくめなあかんねん。

石原センセいうエライ人が書かはった本読んで、なるほどなあ、思てな。
それからそうしてんねん。
中からはあったかい蜂蜜生姜紅茶や。
イーグル、いやワシ、水分摂らなあかん星人やさかい、
水気がいつでも欲しなんねんけど、
ほんでそうゆう時はつめた〜い水なんか最高やねんけど、
ホンマちょっと、でガマンすんねん。
あれな、やっぱり喉越し楽しむ部分が大きいから、実はそんなにたくさんは要らんねん。
ゆ〜っくり飲んだら、ホンマ一口でいけんで。
で、そのあと、生姜紅茶や。

せやけどこの季節、布団蹴飛ばして朝起きたらハラ丸出し、っちゅーこともよーある。
その時はもう冷えきっとるから、外からもぬくめなあかん。
そこでシャツ入れんねん、ズボンの中に。
違うで〜。
ぜんぜん違う。
ホンマにホンマに。上にシャツ着るよりずっと効果的や。
ほれ、Tシャツのすそ出してたら、結局下ツーツーやから、ハラ丸出しと一緒やねん。
そんなんナンボ上にシャツ着ても一緒や一緒。

もうな、カッコ気にしてたアカン。
健康が何より大事や。
風邪ひいて鼻垂らしたり、大事な仕事を「風邪ですねん」言うて休む方が
よっぽどカッコ悪い。

おっちゃんもな、若い頃は身体弱いのを恥ずかしげもなく誇っとった。
鼻炎持ちやさかい、鼻ズルズルのまま街をよう歩いた。
「ハナカミはネピアや!」なんてようゆーとった。
せやけどな、よう考えたら、やることやってへんねん。
自分の身体、大事にしてへんかってん。
そら風邪ひいても体調崩してもしゃーないわ。当たり前や。
せやけどな、せやけどもや。
人生の時間は、ホンマ短い。
体調崩して寝込んでるヒマなんか、あらへんねん。
そのためにやったら、Tシャツでもなんでもズボンに入れてまうわ。
ハラマキでも巻こか思うわ。
もう、カッコツケテなにかがどうにかなる年でもないしなあ……
すまんすまん、遠い目してもた。
ええか。
ハラは出したらあかん。
ハラ出してカッコエエのは、峰不二子ぐらいやで。
……おっちゃん、古いか?


6/2 評価の時間

日本人は人を評価するのがべらぼうにヘタクソだ。

ノーベル賞・田中さんの言葉を待つまでもなく、
世界選手権10連覇の中野浩一を空港で一人も出迎えなかった故事が指すまでもなく、
それは厳然たる事実です。
評価のできなさが信賞必罰のなさに繋がり、
「やればやるほどバカをみる」。
それが社会全体のモラルの低下とモチベーションの低下を招いている、
ように思います。

しかし。
下手だ下手だと言ってるだけではトネガワが海外へ行くばかりです。
上手くなるためにはどうするか。
鍛えるしかない。
やらなきゃどんなことでも上手くなんてなりません。
できれば、子供の頃から。

小学校で、「評価の時間」というのを設けてみてはどうでしょう。
友達ひとりひとりに、クラス全員で「ここがいい・ここが悪い」を出してみるんです。
子供のことですから極端な偏りも出ると思いますが、
そこは訓練ですから、いじめられっ子でも無理にでも「いいところ」探させる。
できるまで帰さない(笑)
もちろん優等生でも「悪いところ」出させる。
で、そこからみんなで議論というか、話し合ってみる。
そうすると、小学生も高学年にもなれば大人が後から考えるよりずっと賢いですから、
「いや、それは悪い所じゃなくて、それがあるからこんないいところが」
みたいに、長所と短所は表裏一体、という真実まで迫れるかもしれない。

大人でも、案外どころか全然、自分の長所短所はわかってないものです。
指摘されて初めて、わかることも多い。
すると、自分への理解が深まりますから、
長所を伸ばし短所を消す、あるいは短所を長所に切り返す、
そんなことが早くからできるかもしれません。
そうすると人生、楽に生きれますな。
また、客観視してもらうことで、不要な劣等感コンプレックス、
これも外れるかも知れない。
人間、特に小さい頃は、実にくだらないコンプレックスに一人で悩んでるものです。
そんなのどってことない、と言われれば、ずいぶん日々が楽しくなる。

……と、ここまで考えて、
「ああ、欧米の学校での『議論』てのはこれをやってるんだ」
と思い至りました。
人物評価だけではなく、様々な社会的事象について、
あるいは身の回りのなにかについて、
いろんな側面から観測する、いろんな考え方で考えてみる、
それをお互いにぶつけ合って、知識を増やしより真実や重要な核に迫る。
議題を評価する。
それが本義です。
テクニカルな「論戦術」なんかオマケにすぎない。
ディベートの訓練は、評価技術の向上に繋がる、ように思います。

ポイントは絶対に長所短所セットでやるところで、
長所だけだと宗教がかり短所だけだと赤軍じみてしまいます。
あくまで「客観的たる」(といってもなかなか難しいのですが)
ことが大切で。
あとは先生の度量でしょうか。
子供はよく見てるので、信頼おけない先生の前では
正直な話なんか絶対しないですからね。
その時間だけはスペシャリスト呼んでもいいかもしれませんね。
いくらなんでも一校に一人ぐらいは無条件で生徒に愛されてる先生いるでしょう。

---

「あかんあかん言うててもあかん」
というのが最近のテーマです(笑)
自分にできることをやり、できないところでも知恵を絞る。
小さくとも少なくとも、それが大切なんじゃないかな、と思います。
千里の道も一歩から。


6/1 崩し

サッカーは、「2つ崩すと得点機」というスポーツだと思います。
攻撃側からいえば2つの「崩し」、守備側からいえば2つのミス。

「崩し」自体には、いろんなものがあります。
スルーパス、スーパーシュート、ドリブル突破、40mのロングパス……
それが2つ重なると、トップレベルではほぼ点が入ります。

オフェンスでいうと、お互い体制充分の1対1で「崩し」ができる選手、
これが一流選手です。
ディフェンスなら逆、体制充分の相手のどんな必殺技でもほぼ抑え切れるのが、
いいディフェンス。

たとえばシンジのパスは、特にアイスランド戦2点目の久保へのパスを
見ていただくとわかりますが、
DFが詰めても、得体の知れないところへ飛んでいって、得点機を演出します。
これが崩し。
で、それを受けたドラゴン先生が、柔らかいタッチでキーパーをかわして放り込みました。
これが二個目の崩し。

一流の中でも良い選手、というのはこの「崩し」を複数個持ってる選手です。
さらに、連続して用いることができる崩しを2個持ってる、
つまり一人で決定機を演出できる、
これがギャラクティコです。
要するに、超一流選手とは、一人でゴールを脅かせる選手。

ベッカムが凄いのは、
「ボールを獲ってクロスを送り込む」に連続して
「そのクロスは異様な軌跡でDFが対応できない」
の2個の崩しを一発で行えるところです。
ジダンもそうです。キープ+ラストパス。
キープでFWの時間を稼ぎDFの時間を削る。
だからパス出した時点で、あとは触るだけ。
ロナウドもそう、縦突破+決定力。
縦に速いFWなんか山のようにいます。
万全のボールもらえば決めてくれるFWも、まあ探せばいます。
でも両方持ってる選手は、世界でもほんの数人。
ぽろり、と裏へ平凡なボールを転がせば、後は勝手にやってくれる。

だから、彼らには、普通の選手の何十倍、一流選手の何倍ものお値段がつくのです。
(DFの選手が安いのは、どんなに優れたDFでも、1つしか止められないからです。
 ただ、「いろいろな」1つを「確実に」止められる人は居て、そういう人は高い)

ベッカムではない普通のサイドアタッカーは相当優秀であっても、2個目が無い。
だから、他者との連携が必要になります。
「持った時点でズレが生じている(崩されている)ロングパスを出してもらう」とか、
「受けたFWがとんでもない高さからヘディングを撃つ(崩す)」とか。

つまり逆に言うと、ギャラクティコを揃えなくても、
チームとして機能がしていれば、
2個の崩しをチームとしてできれば、
1+1を延々とやれれば、
理論上パフォーマンスで劣ることはない、のです。

これが「チーム作り」です。
各選手の「崩し技」に鑑みてどういう「チーム崩し」を志向していくか、
あるいは逆のアプローチ、
こんな「崩し技をやりたい」からこういう選手を集めてこういうチームを作ろう、
それを考え、まとめ、実行できるように鍛えていく。
もちろん両者はお互いに補い合う関係ですから、
柔軟に訂正したり補強したりして、
最終的に「崩せるチーム」を作り上げれば、いいわけです。

---

ジーコ監督が駄目だ駄目だ言われるのは、
要するにこのチームコンセプト、
「どんな崩しをするチームを作ろうとしたいのか」
がこれっぽっちも見えない、からです。

僕は、日本の強み、というのは、
この2個の「崩し」を、主にパスで、つまり組織力で、
多様なパターンで、素早く、数多く、繰り出せるところ、
にあると思います。
「日本は強い(くなれる)日本は強い(くなれる)」
と呪文のように唱えている理由はここにあります。
組織力「だけ」で2崩しをポンポン連発できるチームは、
実は世界を見渡してもそんなに無い。
冗談抜きで、フランスとオランダとスペインとアルゼンチンぐらいです。
あとはイタリアもブラジルも、結局「個人崩し」が絡むんです。
さっきの超一流選手にハイお任せ、っていう。
もちろん、それも強さの一つなんですが、
サッカーという競技の醍醐味は、そこではない。

凄い選手の凄いプレー、んなもの当たり前じゃないですか。
今野みたいなのが11人でベッカムを殴り倒す、
これがサッカーの醍醐味です。

フルスペックのカメルーンをコンフェデで叩いた試合、
シンジ→ヒデのピッチ横断パス2本でエムボマさんの目の玉をひん剥いた試合、
あれが象徴的です。
組織力を鍛え、2連続崩しを多量に出し、
相手の「崩し」を単発で止めさせることをやり続ければ、
どんな宇宙人が相手でも勝てる。
またそこにしか日本の生命線は無い。

だもので。
代表のチーム作りと選手選考は、そのラインに乗って行われるべきだ、と思うんです。
その意味で、アレックスと俊輔には、僕は常に疑問を持ってるんです。
もちろん個人としての「崩し力」は充分ありますよ。
でも、この二人は、ボールを止めることで、前の崩しを無駄にする確率がすこぶる高い。
止めてパス・クロスを出せても、DFが揃ってたらどうしようもない。
俊輔に至っては「崩しのためのキープ」ではなく、
容易に「キープのためのキープ」になって、
宝物のような「崩し済みボール」を簡単にロスする。
しかしこれはスタイルなので、これ自体にイイワルイはありません。
し、速攻中心のチームにアクセントとして一枚入ってる、それは有効だろうと思います。
でも、二枚同時には要らん。

ということで、アイスランドごときに
(明らかに日本より格下でした。中盤ノープレス・スカスカ)
勝ったとか、そんなんで喜んでる場合ではありません。
絶好調のドラゴン先生におんぶだっこです。
俊輔・アレックス・加地・稲本・シンジの5MF、つまりかなりオフェンシブなMF陣で、
シンジがあそこまで好き勝手できる、
なんてのは相手が弱い証拠以外の何物でもないです。
宮本先生までゴール前まで攻め込みましたからね。
こんな結果など、どうでもいい。

6/2のイングランド戦は、向こうユーロ控えてるので(6/12開幕)
本気のイングランドとやれます。
ここで「どんなチーム崩しの方向性を見せ」「それをどれだけこなせるか」というのが、
非常に見物なのです。

トルシエ時代でも、フランスに5-0で完膚無きまでに叩かれた試合ありました。
2001年3月です。
でも見てたんですけど、さほどガックリ来ませんでした。
方向性は「いつもの」ってはっきりしてて、かつその「いつもの」ってのは、
99ワールドユース準優勝、00シドニー五輪グループリーグ突破、
っていう結果を残してる方法論だったからです。
やれれば強い。
ただ、まるっきりやれてない。
なら、やれるまで鍛えるか、やれる選手を連れてくるか、です。
事実この時のメンツから城・名波・テル・アツ・俊輔・望月といったカードが、
1年少し後の02W杯では落ちてます。
みな当時の一流選手です。能力が足りないから落としたんじゃない、
チームコンセプトに合わないから落としたんです。

方法論を優先してそれに選手を当てはめるのがいいのか、
選手の特性を見極めて有効な方法論を導き出すのがいいのか、
それはどちらでもいいと思います。
ただ、もうそろそろ「こうしよう」ってのが、見えてきて欲しいなあ、
と思うわけです。

まあ、「由らしむべし知らしむべからず」なのかもしれませんが。
なんたって神様だからなあ……

---

ということで、サッカーをご覧になる時には、(エラソウですいません)
この「2つの崩し」、特に最初の「崩し」に注目してご覧になると、面白いです。
ダイジェストでは、この最初の崩しはなかなか見せてくれません。
イタリア・セリエAは、もう1つめの崩しからさせないようにガツガツつぶし合う。
スペイン・リーガエスパニョーラは、1つめは割とルーズですが、
2つめで真剣勝負をやる。
もちろんチームカラーによっても違います。
ジュビロは、惚れ惚れするようなパス回しグルグルで、崩す。
レッズは、「速さ」を軸に、崩していく。
強いチームはよく崩し、崩されても立ち直りと修正がすこぶる早い。
見てるうちに、「なんかこのチームの崩しは肌に合うな」と思うチームが
できれば、それを応援するといいと思います。

繰り返しになりますが、
優秀な選手を集めても、その1+1が上手く機能しなければ、
点の獲れるチーム=いいチームにはなりません。
逆に言うと、1+1さえ上手く機能すれば、どんなチームどんな選手(どんな監督)でも、
いいチームと言えます。
「監督のせいにしてたって、ドイツに行けなくなるのは俺達だ」
忘れずに頑張ってくださいませ。

イングランド戦、楽しみにしてます。



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