吼える! ながたさん!

随想随筆、楽しまなきゃ人生わ。

 8/31 BOOKS

本日は8/1から8/31までに仕入れた何かを列挙します。
(先頭の■がAmazonへのリンクです)
いちおう、自分的にまるっきりダメだったものは掲載しません。
特に一般的におすすめできそうなものにはひとこと入れます。


■本■

「街道をゆく」35 「オランダ紀行」 司馬遼太郎 (朝日文庫)

「街道をゆく」36 「本所深川散歩・神田界隈」 司馬遼太郎 (朝日文庫)

「街道をゆく」37 「本郷界隈」 司馬遼太郎 (朝日文庫)

「街道をゆく」38 「オホーツク街道」 司馬遼太郎 (朝日文庫)

「街道をゆく」39 「ニューヨーク散歩」 司馬遼太郎 (朝日文庫)

「縛られた巨人 南方熊楠の生涯」 神坂次郎 (新潮文庫)

「アラスカ 風のような物語」 星野道夫 (小学館文庫)

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街道残り4〜!
今月5本の中では個人的趣味として「オホーツク街道」かな。
風景が眼前に拡がる司馬節を聞いていると、オホーツク人気分になります。

今月のベストと言えば「縛られた巨人」。
いやもう、熊楠先生おもしろすぎます。
無茶苦茶。
でも彼の無茶苦茶には、「俺はこれをするんだ!」という強い意志と方向性がある、
だから非常に危ういんですけど、いつも明るい。
だから街の人に愛される。
周りも相当振り回されたでしょうけれど、(特に奥さん、親友のお医者さん)
それもまた人生の楽しいワンショットでね。

羨ましいです。
真似はできませんが、気分はあのぐらい大きく。

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今月はやはりアテネ・オリンピック。
始まるまでは「ふ〜ん」という感じですが、始まってみれば個性豊かな選手達の大活躍、
結果もそうですが楽しそうに全力を出し切るその姿にいくぶん打たれ、
少しは気にする日が続きました。

ひとことで言うなら、
「根性も必要です」。

やっぱり、特にトレーニング技術や理論が進んだ現在では、
同じような練習をする人々の中でぬきんでるには、
根性とかガッツとかそういうプラスアルファが絶対に必要。
ただ、これに重きを置きすぎて、竹槍でB-29を落とせると思ってもいけないし、
軽く見過ぎて、「いやたのしむんですたのしむんですええじぶんのために」
とキメた眼で虚空に呟いても仕方がない。
冷静で合理的な計画と準備、
それをやり抜くど根性、
そして本番ではやってきたことと自分を信じてリラックスして全力を出し切る。
どれが欠けても、バランスを欠いてもダメで、
どれか一つだけ突出してれば結果が出る、そんな甘いもんではない、
それは、神様にすがるのとまるで同じ、それじゃダメ、
ということで。

今月も当たり前のことゆうてるなあ。

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で、競泳陣柔道陣体操陣レスリング、あるいはマラソン、
「個人競技が強かった」と言われましたが、
個人競技の人々はやっぱり、そういう流れに、選手個々で素早く対応できたんでしょう。
対する団体競技は、選手にはそういう気持ちはあっても、
バックアップする組織の方がちょっぴり遅れていたというか……

それでもサッカーやバレーはまだマシだと思うのですが、
くどいようですが野球は酷かった。
野球の酷さたるや、空港に降り立った連中がヘラヘラ笑ってた、
結局はそこに象徴されます。
選手達でさえ事の重大さを理解してない。
サッカー(男子)やバレーは、「言うてもあんなもん、期待大きすぎ」と言う結果ですが、
野球は「信じがたいほどの惨敗」ではないですか。
わかってますか、相手3Aとかなんとか言うても、要するに半プロですよ。
シダックス相手に負けたんですよ。
あるいはキューバなどアマチュア。
それに日本プロ球界オールスターが雁首並べて綺麗に討ち死に……
時代が時代なら「エーゲ海に身を投げろ」モノですよ。

いや、洒落じゃなくて、98フランス最終予選、
ギリギリの闘いの中で無理矢理監督にされてしまった岡田さんが、
大一番ソウルでの対韓国戦を前に、冗談めかしながらも
「負けりゃ俺が玄界灘に飛び込めばいいんだろ」
記者団に語った、という話を聞きました。
アトランタ五輪を率いた西野さんは期間中心労で白髪が激増、
毛染めでそれを悟られないようにしたと言います。

別にそんなことをして欲しいのではなくて、
そのぐらいの気迫が欲しかったなあ、と。
負けてニコニコしてるってことは、要するに
「あれが精一杯、僕ちゃん達はよくやったよ!」
ってことですか。
そんなひっくいレベルのものを、毎日ゴールデンタイムに中継してるんですか。
3Aにも劣るようなものを。

結果は神のみぞ知る、です。
アイバーソンが出てもアメリカ・バスケチームは銅が精一杯、
それはいいんです。
ただ、出てしまった結果に対して、どういう気持ちを持つか、
そこのところでその人がそのチームがどう成長するかが決まるのではないでしょうか。

またマスコミもあまり叩かないのがおかしい。
サッカー・マスコミって凄い自虐的で(サポーターもそうです)
僕はそこがあまり好きではないのですが、
しかしやっぱり、敗因を合理的にほじくり返す作業は必要で、
出てしまった結果に対して「次はガンバレ」という期待も込めて
罵声と非難を浴びせるのも大事なことです。
バッジョもベッカムもロナウドもそれを乗り越えて大きくなってね。

それが「よくやった」とか、あまつさえ「長嶋さんが迎えに来ました!」とか。
そんなんはもうええねん。
文庫本で言うたらあとがきに
「編集の誰それさんにお世話になりました、また呑みに行きましょう」
って書いてある程度の意味しかないことで、ニュースバリューなど一片も無い。

プロ野球は、組織も、選手も、それで喰ってるマスコミも、またファンすら、
ちょっとオカシイです。
オカシイことが悪いこととは言いませんが、少なくとも、世界標準では無いし、
他競技の選手の負けてなお輝く笑顔見てると、
今や、日本標準ですら無い。

そこんところを、気がついて欲しいです。

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最近ではめっきりナイター観戦の熱意もなくなり、
ぶっちゃけ、プロ野球なんかどうなろうと構わないんです。

ただ、これ式の思考様式や行動様式の人々が、
この国の中枢にいて、大きな利権とお金と、情報リソースみたいなものを
食いつぶし続けている、その事態に非常な危機感があるんです。

そしてこれはたぶん、プロ野球はその象徴であって、
同じような古い体質の集団が、
そこら中にその巨体をダラしなく横たえているに違いない。
脱皮もせず、女王蜂よろしくその身を回りの働き蜂に支えて貰いながら。
知らぬ間に環境は変化して、女王の価値や意味が低下してきても、
巣の外の出来事には眼を閉じて、みんなでわっしょいわっしょいと担ぎ続ける。
そして新しい女王蜂候補が出てきても、いびり倒して巣から追い出す。
そうすると、もうその巣は滅びるしかないわけです。
それは、困る。

なかんずく昨今は、いつも申しますとおり、
市井の人の「え、そりゃオカシイやろ?」という声と、
マスコミ経由で「これが標準」と示されようとする声との間に、
相当なギャップがある。
だからわざわざ強い言葉使ってでも、書き残さねばなるまい、と、書いてます。
物理的には何物をも動かさないかもしれませんが、
何もしないよりはマシだろうと。

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でも、勝っても負けても爽やかだった選手達を観て、
「よぅし、俺も!」
なんて気持ちになりませんでしたか。
僕はちょっぴりなりました。
すがすがしくて、明るくて楽しくて。

貰うばっかりじゃなくて、与える方にもならないと。
根性入れてがんばろう、
とシンプルに思った、熱い夏8月でした。



 8/30 マンツー・マンツー

己を一番知らぬのは、己ですな。

33にもなって、自分についてハタと気づいた点。
気が小さいもので、マンツーでしゃべるのが苦手なんです。

しゃべるの自体は、上手い下手は別にして嫌いではなくて、
大勢で居る時は割とギャーギャー言う方です。
そもそもコレだって独り言を毎日毎日延々やってるようなものだし、一人でも大丈夫。
けどもなんだか、二人きりだと、いろいろ気を遣ってしまって、
結局一番気を遣わないのよりも悪い結果になることがしばしばのようです。

そーなんですよ、それで気づいたんですけど、
だから電話苦手なんです。マンツーですから。
(こっちの環境関係なしに掛かってくる、というのも4割ぐらいありますが)

例外は、というか僕の友人にはそういう人が多いので非常に助かってるのですが、
ガンガンしゃべってくれる人は大丈夫なんです。
現物でも電話でも。
それが会話の糸口になるので、徐々に、あんまり考えなくなるんでしょうね。
で、リラックスする。

なぜ気を遣うかと考えれば、良くも悪くも、
「楽しい気分になってもらわなきゃ」
という強迫観念みたいなのに囚われすぎてるのかもしれません。
良いように言えばサービス精神、悪いように言えばエエカッコしい。

不思議なもので、3人以上になればこれが悪く働くことはほとんど無いのですが、
(少なくとも当人にとっては)
2人だとこうなる。
「3人以上は社会」などと言いますが、なるほど、です。

と、なればこれをさえ捨てれば1on1でも平気なわけか。
ということで今度から、たまにはそんな感じで行ってみたいと思うので、
ボケーッとしてても「ありゃ、俺の話面白く無いのかな」とかご心配なく>関係各位。

……いやしかしメールは平気なんだけどな。
やっぱり作り込みに根拠無く自信があるのかな。

これは謙遜でもなんでもなくて、
人間としてあんまり面白い人でもなければ善い人でもないので、
一生懸命そうあろうとしているのです。
いや、してた。
最近はだいぶ諦めてます。
やれるだけやったのですが性根はまるっきり進歩せず、
とどのつまりは変えようもない。
そこで開き直るは、「面白くない」という面白さもあり、
善人では無いからこその合理視点みたいなものもあるだろうし、
まあ、どこに価値があるかなんて、自分が決めるものではない。
環境が変われば、コーラの瓶一つが村の宝物になるわけです。

だもので、その辺でツッパるのは止め気味なのですが、
30年の習い性というのはそう簡単に抜けるものではない。
で、マンツーの時にはそうなっちゃうようです。

気持ちを変えて行動が変われば、
行動を変えて気持ちが変わることもあります。
二人で話す時にも、みんなの時と一人の時と同じような、
フツーのながたかずひさ
であろう、と思う今日この頃。

ハイヒールモモコさんが惚れた旦那さんの一言が、
「僕の前でそんなネタに一所懸命ならなくていいよ」
とかなんとか。
エエ言葉です。
言うたり言われたりしてみたいですウォンチュー。



 8/29 ブシドー・シンクロ

シンクロ団体。銀。
またウチの言い放ち系まま上吼える。
「あんな演技あかんわ!日本調にこだわり過ぎや!
 ええ加減あのコーチクビにせな!」
いや井村コーチあったればこそ日本のシンクロは今の位置に居るわけで。
2位ですよ、2位。

難しいものでねえ。

やっぱあの競技、あちらさんの方がいろいろ有利じゃないですか。
言うてはならんことかもしれませんが、シンクロ・新体操・フィギュアの3点セットは
見てくれおよび運動の質という点で日本人女性に明らかに不利で、
それで数ある欧米諸国を押さえて2位なんだから信じられないぐらい
頑張ってるといえなくもない。

伊藤みどりさんの奮闘とか、涙無くしては見れなかったですよね。
3回転半飛んでも飛んでも優勝は別の人でね。

標準的なアングロサクソンやラテンが相手なら、柔軟性では上だとか思うのですが、
スラブ系だけは別格で、あの人達は骨格がおかしいですよね。
骨盤と背骨の間にひとつ別の関節があるみたいな。
お尻を出して胸を張る、あの決めポーズの美しさが、
あの人種だけ別格。
たぶんあれ、30過ぎれば猛烈に太り出すことへの神様の補償行為ではないかと(笑)
男子の方は、そこをまた別なように使うコツみたいなのがあって、
それが膂力の強さになるのでは。

日本調のプログラムも、まさか真正面からクラシック系の、
バレエとかオペラとかあっち系から引っ張ってくるような音楽と舞踊にする、
つまり相手のフィールドにわざわざ乗り込んでいくよりは、
勝算の高い作戦ではあると思います。
今回の個別の問題として、女子なんだから力強さとかキレとかスピードとか、
そっちに力点置きすぎるのはどうかな、とは思いましたが。

芸術点みたいなの諦めちゃって、
アクロバットな高難度技を連発して見るものを圧倒する作戦もなくはないのでしょうが、
リスク高いし、バランス悪くて鼻につくし。

繰り返しになりますが、やっぱりあれ系の採点競技で、
欧米諸国の多くを押さえて銀を獲るというのは並大抵の努力ではなく、
大活躍だと思いました。
近い目で見れば、今回でコーチもエースデュオも引退するそうですので、
次はガラッと変わるでしょうし、
長い目で見れば、プール競技に黒人系の選手および国が進出してくると、
また全然話が違ってくると思います。
コートでウィリアムス姉妹が暴れ回るように、プールでも。

ただ、母が斬って捨てたテーマ「武士道」ですが、
あれ見ててひとつ、「男子シンクロも極めると面白いかも」と思いました。
言うまでもないことですがどんな舞踊にも男子の部があるもので、
パワーとスピード、心沸き立つような闘いに挑む戦士達の踊り、
あるいは獲れた鯨を神様に捧げるイヌイットの踊り、
いやそんなものがあるかどうか知らんのですが、
そういうものなら、充分鑑賞に耐えるだろうと。
20年前、シンクロがロス五輪に正式採用された頃、情報番組にネタ扱いで
(もちろん本人は大マジ)男子シンクロをやっておられる先生(確か高校教諭)が出てて、
その天空高く両脚を突き上げるお馴染みの演技を見た文珍兄さんが、
「横溝正史さんかと思いました」
と愛情あるツッコミを入れてたのをよく覚えてます。

時代は変わりましたなあ。



 8/28 都鄙の差

「日本人は都鄙の差にうるさい」
と言われることがあります。
実際、首都圏の人が地方大学を受験することを
「都落ち」などと表現するのは、学問にも地方にも失礼な話で、
「片手落ち」とか「釣りキチ」よりよほど差別用語です。

なぜこういう意識が育ったかかと言えば、司馬叔父などは
「明治維新以来、西洋文明が新しく価値のあるものになり、
 それを取り入れる窓口がまず東京であったから」
と説明しておられます。
なるほどそう言われればそうで、
その事実は綿々と1990年あたりまで100年間続いてきました。
まず余所から入ってくる新しいモノは東京から。
新しいモノに価値があるとするなら、やっぱり東京が一番「イイトコロ」であって、
それ以外はそこから時間距離物理距離が離れれば離れるほど、
「イイトコロではない」という評価にならざるをえません。

しかし今は違います。
相変わらず世界の情報・人間・モノ・サーヴィスは奔流となってまず東京に来るのですが、
じゃあ
「新しけりゃ価値があるのか」
「余所(主に欧米)から来りゃ価値があるのか」
というと、今そんなこと言えば馬鹿にされるだけです。
窓口としての価値は減じてはいないのですが、
窓口そのものの価値はかなり落ちてる。

ちょっと過剰に表現すると、交通の要衝は古来賑わうモノですが、
ルートが変わればそれで終わりで、衰えるどころか場合によっては滅びます。
そこには何も残ってないから。
もちろん今さらあの大都市が中央窓口としての意義を失うとは考えにくいので、
(壊滅的大天災でもないかぎり……いやそれでも建て直しそう)
その面ではこれからも変わらないと思うのですが、
ともあれこれからは、窓口ではない部分の意味も価値も、大きくなっていくことでしょう。
ネットの発達は情報とモノに関して言えば、かなりカヴァーしてくれるようにはなってますし。

こうして、窓口かそうでないかという部分で都鄙の差がつきにくい世になるとするなら、
日本人の意識も変わるんでしょうか。
誰もが東京へ東京へとは言わなくなるんでしょうか。
それとも、京の都を恋しがる平安貴族達のように、
相変わらず都へ都へと志向するのでしょうか。

僕はどうも、江戸時代や鎌倉時代のように、
もう少し鄙、田舎の人が胸を張れる、いや田舎だからこそ胸を張る時代になっていく
ような気がしてなりません。
美味い空気・飲める水・静かな環境・渡る風見える空、駆け回ってもはねられない野。
そうしたあたりまえのものが今もう都会にはゼロです。
僕は大阪市内生まれ市内育ちですが、
子供の時はまだ水飲めて、大和川へ遊びに行けたものです。
今もう無理です。
そういう莫大な資産を生で持ってるわけですから、
あとは土地土地に根ざしたなにかスパイスが加わっていれば、
辺鄙なところの方が魅力になるような気がします。

そこんところの転換点にあるような、気がします。

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少し話は変わります。
僕の友人に、3人ばかり、この手の話に非常にウルサイのがいます。
別にイイワルイではなくてそうだ、っていうだけなんですけど、
土地の話をする際に「田舎かどうか」っていう話がまず出ます。

いろいろ観察しますに、どうもそれは、
自分の出身地と比べてどうか、という無邪気な愛郷土心でもなく、
現生息地についての帰属意識でもなく、
まして前述のような
「都会の方が新しいものいっぱいでいいんだよ!」という合理的価値判断でもなく、
単なる好み、のようです。
単に「都会好き」。
女の子の胸はデカイ方がイイ、っていうのと同じレベル。

しかし単なる好みも侮れないもので、自分の周囲に頻繁にコミュニケーションを取る
人間が何人いるか考えてみれば、3というのは凄く大きな数字で、
5%はたぶん超えてる。
たとえば日本全体にならせば600万人で、そりゃま、それだけの人間が「都会好き」なら、
東京という都市も膨れあがろうものです。

昨日の話とも似てますが、上述の「田舎の良さ」を考え合わせれば、
「地方中核都市」という中途半端な場所の魅力は減る一方で、
高級万年筆か100円ボールペン、「東京か田舎か」みたいなところで、
二極化も進むのかも知れません。

逆に考えれば、社会の趨勢と違っていたり、物理的な生活環境を考えれば
無理だと諦めたりして、口に出さない「田舎好き」もきっと5%ぐらい居そうで、
そういう人を引きつけられるようなアイデア、思い切らせるアイデアがいろいろあれば、
もう少し人も帰っていくような気もします。
そのアイデアはもちろん、「便利」とか「新しい」とか「ある」とか、
そういうキーワードでは無い。

もちろん、田舎がいいとか都会がいいとかではなくて、
どっちか一辺倒というのはおかしいですよね、っていうだけです。
日本の田舎は、特に古くからの田舎は、
吐きそうになるしがらみやしきたりや人間関係があって、
外から見てるほどいいものではありません。
また逆に、神戸や札幌のようなピカピカの都会は、
明るさと華やかさと心地よい秩序がある反面、
書き割りのような厚みの無さを感じることもあります。
京都の夜の街角からは、タヌキもトトロも道真も出てきそうですが、
神戸の夜には泥酔した阪神ファンしか出てきません。
ま、ひったくりしか出てこない大阪の人間が言えた義理ではありませんが。

ただなんとなく、「僕はイナカモノですから」と胸張って田舎の人が言い放つ時代が、
すぐそこまで来てるような気がします。
くりかえしになりますが、
増やしたり、取り入れたり、急いだりするところには、活路はないと思います。
都会の「過剰」は、田舎の「不足」と同じぐらいの不満足を生んでると思います。
「足りなさ」をどうやったら「満足」に置き換えられるのか、
そこの視点とアイデアがあれば、全く不利ではない、と思うのは理想論かな。
というより、それを具現化するのが大変なんだ、と怒られそうですね。
「うわーちくしょーここやったら住みてえなあー」
と思える場所が、増えて欲しいものです。



 8/27 結局は、現実に似て

HOTWIREDにこんな記事が。
オンラインゲームのアイテム収集に「下請け労働者」が出現

RMTが商売になるのは以前計算して思い知っており、
ウチのサーバには全サーバに有名轟くお金稼ぎ一団がいるので、ヴァナのフレンドと
「あれってバイト雇ってやってるんじゃないの?」
とか笑いながら言ってたのですが、
まさか現にロシアや中国で雇われゲーマーがいるとは。
それを組織立てる会社まであるとは。
さすがアブラモビッチの国。そして太平天国の国。

外人さん(特に北米)のマニアというのは肝の据わり方が半端ではなく、
本気でやると決めるとぺんぺん草も生えないほど頑張ります。
この辺やっぱりNASAの国で、用事もないのに月へ行っちゃうんですよ。
しかもひな形ながら経済が一応しっかり回ってる世界に置いては、
現実同様、「金持ちはますます金を持つ」。
タネ銭が多ければ多いほど、ビジネスチャンスが増え、
どんどん投資してどんどん回収できる。
以前「太公望の竿」について書きましたが、250万タネ銭があれば、
そんなもの3、4日で取り返せたりするわけです。
となれば、RMT使って買って、ギルを稼いでRMT使って売ればいい。

こういう外部ソースを使うことに関して、
僕は個人的には自粛してます。
理由は倫理的なものではなく、
「それをやるとゲームが面白くなくなるから」です。

僕が小6の終わりにファミコンがデビューして、しばらくして「ゼビウス」が出て、
面白くてもう、狂ったようにバキュラにザッパー撃ち込んでたんですが、
わたくし下手くそで、16面(一周)なんかクリアできっこなかったんです。
それが、またしばらくしてファミコン雑誌に、残機が99機(確か)になる裏技が載りました。
さすがに99機もあれば力ずくで突破できます。
初めて見る強敵(テラジ)に泣かされながら初めて16面を突破して、
で、
終わり。
身体の中から「ゼビウス欲」がスッポリ抜け落ちてしまい、
ホリの連射パッド(確か)まで買ってプレイしてたのに、以後パッタリやらなくなりました。

その時のほろ苦い経験があって、
だからやりません。
せっかく楽しいのだから、自然に「ああもういいかな」と思えるまでは楽しみつくしたいなあ、
と思うのです。

アラスカのレミング(餌)とシロフクロウ(狩人)の個体数変移が、
大自然のバランスとしてよく紹介されます。
レミングが減るとフクロウも減る。するとレミングが増えるので、またフクロウも増える。
するとたくさん食べてレミングが減るので、フクロウもまた減る。

MMORPGの経済の世界でも同じで、
高級品の高位合成が賑やかになると、下級素材に対してのコスト要件が甘くなって、
素材が高騰します。
すると、素材屋がワラワラと勃興して、しばらくすると値下げ合戦になります。
(素材狩りは、労働力を考えなければ原価ゼロなので、
 下がり始めると簡単に叩き合いになります)
それはいつの間にか高位合成にも波及して、合成品の値段も下がります。
コスト掛かるモノで自分内ボーダーを切ると、職人達はモノ作りを止めますから、
需給バランスが崩れて、また合成品の値段が上がって……
と、「本来は」上手くサイクルが回るものです。

ただここに、素材がどんなに安値になろうとも力ずくで掻き集め続ける、
ロボットのようなプレイヤーが出てくると、話は変わります。
時間あたりの収入が減るので、通常型の素材屋が全く立ちゆかなくなり、
そういう人は別のお金儲け口を探さなければなりません。
なんとか見つかればいいのですが、見つからなければ、
ゲームそのものへのモチベーションが下がります。
特にFFでは(最近かなりマシですけど)戦闘が非常にタイトなので、
「ちょっとでもいい装備したい」=「お金がかかる」
という気分が常にあって、
「あれが買えない以上レベル上げにもいけないなあ……」
が続くと、
「……まぁ、もういいか」
ってなことになるわけです。
ゲームはファンタジーなので、現実もしくは我に返られると困る。
結局、ちゃんとしたプレイヤーの人口が減れば、RMT業者も立ち行かなくなり、
そして撤退……
結果、誰もいなくなる。

これではマズイので、システム側としては、取り締まりやモラルへの訴えかけ
以上のなにかの策を講じる必要があります。
方向性としては、
「ギルに価値があるように見せて実はない」
のが一番なのかもしれません。
超贅沢品はいくらでもインフレしてるんだけど、標準品はカスみたいな値段。
で、普通に戦うだけなら、実は標準品で充分で、
それよりもプレイヤースキルや、狩り場の混み具合や編成や……の方が
はるかに効く。
ただ、贅沢品持ってると威張れますし、目に見える、しかしわずかな差はちゃんとある。
1000ダメージの魔法が、1050ダメージになると、当人大満足なわけです。
こんなもん立ち回り次第でなんとでも誤魔化せる差なんですが、
数字になって出てくると気分が違う。
こういう世界にすればいいわけですな。

考えてみれば現実社会でも、よく例に出されるのはボールペンで、
5万する高級万年筆と、100円の水性ゲルボールペン、
やれるこたおんなじなわけです。
でもやっぱりモンブランの万年筆欲しい。
でも、万年筆持ってなきゃいい文章書けないかって、
そんなものペン先の分かれ目ほどにも関係がないわけですな。
ハッタリは効くけど、そんなもの10行も書けばバレるわけです。
5、6戦すればプレイヤースキルがバレルのと同じで。

もちろん、「意味があるように見える」のも非常に大切で、
それがモチベーションを生む。
共産主義は崩壊したんです。

こないだね、みんなであるアイテム(12万Gぐらい)を
落とすモンスターを狩りに行ったんです。
出現間隔は15分、1戦すると暇ができるので、横の水たまりで釣りしてたんです。
すると我らが小さな赤勇者がモンスター釣っちゃって、
みんなでしばいたんですよ。
で、見たことないアイテム出て、みんなで「なんじゃこりゃ」って首捻って、
倉庫キャラで競売見てびっくり。
90万G。
思わぬ臨時収入に狂喜乱舞の6人、赤勇者など本命のモンスターと戦ってても
「いいから釣るんだ」と脅される始末。
ゲラゲラ笑いながら帰りました。

やっぱり、ほんのちょっぴりでも「お金」に意味があるからこそ、
このエピソードも楽しい想い出になるわけで。

結局のところ、どんなにファンタジーを求めても、
上手く行くのは現実社会に似てる社会だ、というのが切なくも面白い。
それどころか、ファンタジーを取り巻く一段メタな環境までもが、
現実社会そのままだというのも。

私は普段ファンタジーを生業にしてるのですが、
なんだか考えさせられることが多いです。



 8/26 「言葉」の時間

鉄心さん来阪。
ばらの木→マーフィーズ→はなみち(長居)→我が家。

結局のところ確認したのはいつものように、
志を持って「寺子屋でもやるか」で、
まるっきり懲りもせずに日本語周りとコーヒー担当を申し出ておく。

もちろん語学を教授する能力なぞこれっぽっちも持ち合わせてないので、
「一緒に勉強」というスタンスですが。
ロクに古典読んでないので、一緒に読みましょうよう少年少女達よ(泣)

学科名は「言葉」。

学校教育でも「読む」はまだマシだと思うので、
プラスして「書く」「話す」「聞く」かなあ。
基本的なディベート技術だってゼロなので、議論というと相手打ち負かそうとするもの、
って考えてる人まだまだ多いですよね。
そではなくて両方の意見を聞き話し、良い点悪い点を洗い出してさらにいいものを
見つけ出していったり妥協点を見いだしていったりするのが議論討論で。
その辺の基本から。

「書く」では読書感想文撤廃。
レビューとエッセイと文芸批評をまとめたようなものを、
プロでもないものにさせるのは正気の沙汰ではありませぬ。
「素直に感じたままを」とか言ったって、そんなんなら映画の新聞広告みたいに
3行ぐらいでつきますからねえ。「男シュレックかっこいい」とか。
ではなくて、もうちょいあたりまえのコミュニケーション道具としての文章を
適切に作成する能力、から、まず。

「聞く」ってのも案外見落とされがちで、
文章ならそこそこ読めても、人の話聞けない人もいる。
ちゃんと聞けるように。

もちろん、学校の先生方が大変なお仕事だというのは重々承知、
だからこそ足りない穴を埋める必要がある。

「言葉」まわりに関するイメージを豊かにし、センサーを鋭敏にし、
良し悪しを見分ける審美眼を養う……

鮎のほろ苦さを美味さと感じられるようになると、食が豊かになるではないですか。
あんな感じで。
もちろん、自分もまるっきりダメなので、
何か教えてるふりして一緒に学ぼうという魂胆ですけど。

お習字なんかがいい例だと思うんですけど、
「人に読んでもらいやすい字を書く」
というのは日常非常に有用な技術ですが、学校ではやりきれないですよね。
で、お習字の塾がある。
なにも段取るとかどこそこに入選するとかそこまでは要らないけど、
「字って綺麗に書けると楽しいね」
ってのがわかってるとわかってないでは全然違うと思うんです。

そんな感じで、我々の普段使っている言葉の周りには、
豊穣たる世界が広がってますよ、ということを……
まあ、子供だけでなく大人も。
なにより自分が、どうやったらそういう豊かさを感じることができるようになるのか、
思案してるところです。


……と、このように、よき友には非常に大きな「触発作用」があるので、
具体的なものは何も学ばなくとも、
そこにいろんな人がいる、その空間に浸るだけでも、
大いなる勉強になる。

なんかこう、散発で飲みに行く以上に、巧いことやれんもんですかね(笑)



 8/25 抜本的に間違ってるやろ、全部が全部。

カンガルーズ戦を観ましたか。

カンガルーズ抑えの切り札、ウィリアムス投手のウィニングショットは
ご存じ「コアラ・ボール」で、ボールに特殊な回転を加えることで
縫い目を可愛いコアラに見せ(しかも背中に子供つき)
打者をなごませ打ち気を削がせる荒技、
しかもその物理的特性上、ボールをよく見る好打者ほど技の掛かりが良い、
という厄介な技で、
日本を代表する打者、日本一球団の主戦捕手、4年20億の主砲、
盟主の4番を外様にやらせてる天才KOプレイボーイ、タワラちゃんの旦那さん、
あまりにも素晴らしいバッターが揃うがゆえにますます打てない。
(日本のプロ野球ではこうしたサブリミナル・ボールは確か禁止されてるはずです。
 ま、投げられてもこのクラスの好打者でなければ、
 そのコアラがユーカリをくわえていることすら確認できないのですが)

大輔も不運で、アボリジニ打法、グレートバリアリーフ打法、オペラハウス打法、
バオバブ打法、日本では滅多にお目にかかれない秘技・秘打の目白押し。
(日本では秘打は基本的に禁止されていて、種田が八重樫から受け継いだ
 開脚打法がルールギリギリで黙認されている程度)
あれ最多勝を何度も獲ってる現在日本最高の投手松坂大輔だから
なんとか1点に抑えられたわけで、デニーだったら何点獲られていたことやら。
秘打には秘投、ロッテのサブマリン渡辺ならあるいは何かが起きたかも知れませんが、
遺跡が多く埋まっているアテネのグラウンドでは、手首で土掘り返す時に
神殿の頂上部分でも発掘してしまう恐れがあります。
そういうルール想定外のことが起きると日本チームはたいてい、
アングロサクソンに押し切られて不利な裁定されるので、やっぱり渡辺でも無理かも。

サッカーのように海外組の力を借りられないものか、と家族に問われましたが、
確か野球はラグビーのW杯と同じ、「その国でプレーしてる選手はその国の選手」
という規約があったはずで、だからウィリアムスが出てきた時は、
桜のジャージ着たウィリアムスが爆走した時ほど驚きました。
きっとあれはあれですわ、付け届けかなんかですわ。
ずるい。

それ以前になんといっても日本のプロ野球は、
夜8時という森田健作議員ならすっかり熟睡してる深夜にも関わらず、
マジで裏金が発覚しちゃったヒール球団の視聴率でさえ4%を超える人気スポーツですから、
層の厚さは外国へ出稼ぎに行ってる連中の助けを借りなくても充分あるわけです。
ええ、たかだか世界一の外野手でしょ、クレバーな50発打てる四番でしょ、
走攻守揃った遊撃の魔術師でしょ、ノーヒット2回の日米通算192勝投手でしょ、
まあ、いなくても構わない選手達ですよね。

まあしかし、カンガルーズの奮闘も認めなければなりません。
オーストラリアではスポーツの得意な男の子は上から順に、
オージー・ボウル、クリケット、ラグビー、サッカー、ゴルフ、F1、バイク、素潜り、
そして野球、らしくて、それ聞いてたいしたことなかろうと思っていた私が阿呆でした。
オーストラリアは広い国土に人口が2000万弱もおり、日本の1/6もいるのです。
そりゃそれだけいりゃ優秀な選手もボコボコ出てきますわ。

ただ一点、一点だけ問題点を上げるとするなら、
やっぱり指揮官不在は痛かったかも。
やっぱり接戦難戦では、「これでいくぞ!」という熟達の指揮官の決断が
必要になるものです。
長嶋さんとは携帯電話で連絡を取り合う予定だったそうですが、
ギリシャ政府のお達しでFOMAのサービス区域が途中からごく一部に制限されたらしくて、
それで通じなかったんでしょうなあ。
そうそう、西武の和田さんが「光り物で相手投手を攪乱している」と
退場を命ぜられたのは痛かった。
あれも日本が隠し持つ秘密兵器のひとつだったのに。

とどのつまりはまともにやれば10回やって10回勝てる相手に
2連敗したのは実力とは全く無関係な不運としか言いようがなく、
サッカーの方でイタリアがアルゼンチンに3-0でぶちのめされたようなものです。
あるいは井上康生さんのようなオーヴァー・トレーニング症候群の可能性もあるかも。
日本の高校野球は銀傘という屋根施設のある球場で行われるので、
アテネの日射しが厳しかったのかもしれませんね。
北京オリンピックの際はぜひ、東京ドームでの開催を。

シドニーの時には「いやフルプロで負けるはずはない」「首脳陣がプロなら」
と理由が明白だったのですが、それでも勝てない。
やはり五輪には魔物がいるようです。
オリンピックを舐めておりました。

でもきっと4年後には、金メダル取れますよ。
だって日本のプロ野球は、世界一のプロ・スポーツだもの。
僕らは子供の頃、原っぱでマイ・グローブを手に、
小林繁のフォームを真似、松本匡史の盗塁を夢見てたものです。
今の子供達が、イチローのTシャツを着て中田英寿のスパイクを履くように。
そんな日本のプロ野球が、いつまでもカンガルーズやカストロズに負けているはずはない。

信じてます。



 8/24 サヨナラダケガ人生ダ

于武陵の名詩に、井伏鱒二の名訳があります。
良く紹介されるのでご存じの方も多かろうと思いますが。

勧君金屈巵   この杯を受けてくれ
満酌不須辞   どうぞなみなみ注がしておくれ
花発多風雨   花に嵐のたとえもあるぞ
人生足別離   「さよなら」だけが人生だ

特にラストの行。
どこをどうやったらこんな名訳ができるんですか。
本職作り手が翻訳だの現代語訳だのをすると、自分の味付けをしたがったり、
また勝手にそうなってしまったりして、ロクな結果にならなかったりしますが、
稀にこういう大当たりが出ますね。

やっぱり作り手ですから、「その気分」になって詠むのに慣れてる、
いや、それしかできないわけです。
だからそのシチュエーションで自分なら、というところまで突っ込んで描く。
そこに手触りが出る。

これは特に、日本人の感性、仏教的無常観だの侘び寂びだのに
ジャストフィットしてて、だからこそ人口に膾炙したんでしょう。
ものっそ便利なフレーズですよね、これ。
ご当人も気に入ってたらしく、旅館の揮毫なども残っています。
(まあそれは、布施明リサイタルがあればシクラメン歌わないと怒られるようなものかもしれませんが)

詩才ばかりは才能で、こればっかりはどうしようもありません。
むろん私にはありません。
なぜ無いと言い切れるかというと、賞味できないからです。
そんな告白しても一銭の得にもならんのですが、ランボーも中也もわからんのです。
ほっといてよ!
しかしこうして、俗謡ギリギリまで行っていただけると甚だわかりやすく、
これならば、楽しめる。
たとえば梅沢富美男「夢芝居」(作詞:小椋佳)
「稽古不足を 幕は待たない 恋はいつでも 初舞台」
こう来られると友人と一緒にカラオケボックスで手を叩いて喜べるわけですな。

え? それはあんたが大衆演劇な方向性なだけ?
そうでっしゃろか。
やっぱりみんな、「人生別離に足る」とか言われるより、
「サヨナラダケガ人生ダ」って言われた方が、楽しめるんじゃないでしょうか。

ま、楽しみ方というのはそれぞれでいいのはもちろんなのですが、
「美味い」と思う喰い方が正義で、
本人が希望するならソースでも醤油でも味の素でもかけりゃ良く、
いまわの際に「ざるそばをどっぷりつゆにつけて食べたかった」と白状するのは、
カッコはどうでもいいとしても、本人的につまんないじゃないですか。

どんなものごとにも、もう少し自由な楽しみ方が、いろいろあるはずだよなー、
と思わせる名訳です。

ものごとの一番大きなヤツは、言うまでもなく人生ですな。
さよならだけではないわけです。



 8/23 完成度

野口さんの見事な勝ちっぷりを見て感動。
競技場入った瞬間にガッツポーズ、ご本人にとっては計算ずくの勝利なんでしょうねえ。
シドニーで高橋さんがサングラスを捨てたのもカッコよかったですが、
あの余裕のガッツもカッコよかった。

おっちゃんほら、瀬古がイカンガーを競技場で抜いたシーンを生で見てまっさかいに、
ハラハラしてもたけど。

苦手の下り坂前にスパート掛けて精神的に楽に走る、
言うのは簡単ですがそれをやっちゃうのはやーっぱりすぎょい。
「勝つ」
というのは本来ああいうもので、
誰が何をしようと勝つ
ものなのかもしれません。

F1、ミハエルが13戦12勝、年間最多勝&連続勝利記録更新中、
(これでまだドライバーズが決まらないポイント制度はやっぱりおかしいと思うのですが)
他チームは
「いったいどこをどうすればミハエルを止められるんだ?」
と苦慮していると思うのですが、
2位にはなれるんです。
バリチェロが相手なら、バトンもトゥルーリもライコネンも充分戦える。
だからフェラーリのクルマは非常に強いにせよ、
クリティカルファクターではないんですね。
やっぱりポイントはミハエルにある。

イチローが、
「プロとアマの差よりも、プロと凄いプロの差の方が大きい」
と言うのですが、池谷理論を借りるまでもなく、
60点と80点の差より、80点と90点の差の方が、
それよりさらに90点と95点の差の方が、大きい。
ヌデレバさんとは10秒の差なんですけど、
あれが実は「勝つ」と「勝つかもしれない」の巨大な差なんですねえ。

もちろん、接戦乱戦拮抗戦を制して勝つことも意義深いのですが、
その「ここまでいけば勝てる」というボーダーを知ることができれば、
非常に戦いやすいかもしれない。
準備もしやすいかもしれない。

言い直せば、苦しいトレーニングを積んで「自信を得る」といわれますが、
そのメカニズムがしりたい。
闇雲に積めばいつかは得る、それはよくわかってるんですけど、
それじゃこの科学の世にあまりに漠然としすぎてる。
どこかに臨界点がある、ならなんらかの方法で、
その臨界点を意識できないものか。
臨界点はどこか、その臨界点に達するにはどうすれば最短距離なのか。

まあ、そんなこと考える暇あったら練習しろ、
というのが昔から言われてる一番の解決策ですが(笑)

バリー・ボンズとかねえ。
完全になにか「掴んじゃって」ますよねえ。
あれだけHR打ちまくって、かつイチローより打率がいいんですよ?
どういうことですかと。
よその選手達もみんな一生懸命努力してるわけです。
才能だってみんなある。
なのにその一線を越えられるのは、10年に1人とか、
少なくともある期間のその競技に1人出てるか出てないか、ってところじゃないですか。
強かった時のシュテフィ・グラフとか。
中嶋悟だって国内F2走ってた時はホント無敵で、
よそのカー&ドライバーが全く歯が立たなかったんです。
ああそうそう、motoGPのロッシもそうですよね。
今年いきなりホンダからヤマハへ行ったんですけど、関係者の間では
「バイクで勝ってると言われるのが嫌だからだ」
なんて言われてます。実際今季もホンダ車の方が圧倒的に強いんですが、
勝つのはロッシ。現在ポイントリーダー。
あれはなんだ。

努力と才能、その2つももちろん大きな要因で、絶対不可欠なんですが、
それだけでは一押し足りない。
「それ」の手に入れ方は一生懸命やるしかない、
それは構わないのですが、
「それ」は一体なんなのか、それが知りたい、なあ。
できればもうちょいマシな手に入れ方もね。

---

アイデアだけ書き留めますと、
強い意志、とかそんなんは前提条件として、
「完成度」
っていう考え方はヒントかもしれません。

ものごとなんでもそうですが、全てバランスです。
どこかが突出して良くても、他が駄目だと、総合力は落ちる。
ヴァンズワムを呼ぶ前のジュビロが、GKだけが弱点で、
それで大事な試合を、いやむしろ大事な試合に限って、ボロボロ落とした記憶があります。
一か所穴があるだけで、堤防は決壊する。

各種トレーニングにおいても、筋力だの瞬発力だの持久力だの、
ここの筋肉だここの神経だ燃焼効率だメンタルトレーニングだ、
要素に分解して鍛えていくわけですが、
それをやりすぎると、バランスが見えなくなっていく。
そして、鍛えすぎた筋肉で身体を壊したりする。

常にトータルで、「俺は強いのか?」と問い続けるのがよいのかも。
その時間違えてはいけないのは、「これだけ筋肉がついてる」なんてのは
糞の役にも立たない情報なので、そうではなく、
完成度高く、
隙無く、
いつどこから誰に何にどう来られても、
「まかせろ」
と言えるかどうか。
かなあ。

それには、「強さ」のイメージをきっちり作って持つことと、
その強さと自分との差を、いつも把握していることも必要かな。
あともちろん、そこを埋める意志と努力。

自分に引き戻してみれば、やっぱり、
「それは誰が読んでもおもしろいものか?」
というところだと思います。
できれば男女、加えて老若、加えて東西、加えて古今。
もちろん、結果としては、誰にとってもおもしろい、なんてのは理想に過ぎないのですが、
しかし当人として「誰にでもおすすめできる」というところにまでは、
持って行けるはずです。
(それをベースにして、どのゾーンをどうつつくか、というのはまた別の非常に細かいテクニカルな話で)

「完成度高いですよ」
それを自分で言えるような、戦い方をしたいものです。



 8/22 ギタリストになりたくて

まきをちゃんの、というか「Chokami it!」のライヴ行ってきました@梅田ロイヤルホース。

楽しかった〜。
「蔵童子」ラスト以来久しぶりに聞いたのですが、バンドになるとさらに迫力あります。
肩肘張らずにリラックス。
オリジナル曲ですが、パワフルなので知ってる曲のようにノっていけます。
メンバー全員、オレンジで揃えたシャツが印象的でした。
バンドカラーに合ってると思います。
明るく・楽しく・うるさめで(笑)

「ふらりと気軽に楽しもう」と行ってみればふらりと気楽に楽しめました。
身の丈自然体が心地よい、楽しいバンドです。

---

パーカッションの方がゲストで、ドラムとソロの掛け合いパートがあったのですが、
「叩きもの」はいいですなあ。
やっぱりおそらくは最古の楽器、空気や床の震動なんて物理現象込みで、
身体の奥底を揺さぶられます。
これはCDでは電波ではなかなか表現できないところ、ライヴならでは。

逆に言うと叩きものの方はちょっと寂しいですな。
やっぱCDとか聴くとガックリくるのでしょうか。
「俺の魅力が出てないよ……」とか。
そりゃどの楽器もそうか。
でも、特に魅力の真髄が伝わりにくい切なさがあるようなないような。

二三言話してもらったのですが、
「いや僕音程のある楽器できないんで」なんてご謙遜。
僕ら素人からすれば、音程の無い楽器で人にインパクト与える方が凄いです。
「いいメロディ」という他人のアシストをもらえないわけで。

「ドラムが決まるとバンドが決まる」
などと言われますが、その意味がよくわかりました。
土台をガッチリ固めて、聞き手の身体を「よしノるぞ」ってところへ持ってくのが
ベースも含めたリズム楽器で、そこが決まらないと、
上にどんなイイモノを乗せても足元に不安が残る。あるいは崩れやすい。
リズム楽器は地味ながら、大変重要な役割です。
ミスも許されないし。

「ここちよさ」を生み出す基礎には、地味な、しかし丁寧でしっかりとした技術がある。



 8/21 普通にガンバリマス

結果が出だしてから言うと後出しジャンケンみたいになるので恥ずかしいのですが。

五輪前の注目選手紹介番組とか、あるいは選手団の映像とか見てて、
「なんか普通のスポーツマンorウーマンが多いなあ」
と思いました。
カッコからして黒髪の普通の髪型、言動も地方都市の高校生みたいな、
ごく普通の、「ガンバリマス」。
そう言われると普通に「ガンバレ」と言いたくなるような。

前回や前々回はそうじゃなかったような気がします。
なんかこう、「楽しむんです!」とか。
それはそれでいいんですけど、実はそれは、そのさらに前の世代の、
森末さんとか山下さんとかあの辺の、
「死んでも優勝」っていうのの裏返しなんですね。
必死になってこう!っていうのは、同じ。

考えてみれば当たり前のことで、スポーツですから
「自分の力全部出します」というのが一番大事で、
結果はまあ、神のみぞ知る。
自分より強い人が居れば負けるし、居なければ金メダルだし。
楽しむとかメダル獲るとかいうのは、実は余分なことです。
もちろんそれ以前から、そういう気持ちで戦う人は多くて、
たぶんそういう人には、結果もついてきてたんでしょうけど、
ようやく、素直な、「がんばります」が、
言葉でも態度でも表現できるようになってきたのかな、と思います。
だから肩も凝らないし、無理に浪花節お涙頂戴を聞かされて鼻白むわけでもなし、
応援しやすい。
メンタル面ではそこが今の日本選手の良さではないかと。

もちろんフィジカルの面での指導力も、高くなってるんでしょうね。
合理的科学的トレーニングを、日本人の体格・能力と性質に合わせてアジャストする、
それが各スポーツで進んだのではないでしょうか。
どの選手もことさらな強調はしないですが、勝った選手は多くが
「あれだけのことをやったんだから」と言います。
そこには、自分に加えて指導者や指導方針への信頼がある。

4、5年前ですが、立花龍司さんがメッツ行って帰ってきて、
「いや、もちろん優れた面もありますが、方法論的にはさほど目を見張るほどでもない」
みたいなことを言ってました。
この御時世ですから、コーチングのいい方法論など、
アッという間に世界中で共有されてしまう。
あとは創意工夫と、選手とコーチの信頼関係なんでしょう。
そういう面では、師弟関係慣れしてる日本選手は強いのかな。

勝った後の表情もさまざまで、面白いですね。
感無量タイプ、雄叫びタイプ、平然と微笑むタイプ、やっぱり泣きじゃくるタイプ、
柔道100キロ超級の鈴木さんがピースサインを出した余裕は心憎かったです。
「去年の世界チャンプだよ俺?なんてことないですよ」みたいなね。
まあ、これがあたりまえなんじゃないでしょうか。
メダリストにはいろんな人、そしていろんな環境といろんな勝ち方があるわけですから。
教科書通りの優等生発言ばかりはおかしいし、
無理に自分と周りを鼓舞するようなトゲトゲしい人ばかりでもおかしい。
そういう人も、いてもいいですが。

サッカーの五輪代表も、あれガーナ戦勝った、というのは非常に大きくて、
2世代前ならガタガタに崩れてボロ負けしていたかもしれません。
アルゼンチン戦のモチベーションのないフル代表を見ましたか。
というよりそう、98フランス・ジャマイカ戦みたいなもんでね。
「勝っても意味無いじゃん」とはスポーツ、というよりオリンピックでは
言ってはいけないセリフで、参加することに意義があって(笑)
参加するからには、頑張って勝って、よかったね、っていう方が絶対いいわけです。
そういう面で、いい意味で「あれ?」と驚きました。
でもま、考えてみれば、繰り返しになりますが、
目の前一勝負一勝負を、全力で頑張る。
それが、スポーツの根本で。

アテネの選手達には、そういう感じが良く出ていて、
それがすがすがしいのだと思います。
「ああ、僕もあの競技してみたいなあ」
それでこそスポーツ、ですね。



 8/20 アテネオリンピック 1次リーグ vsガーナ

日本 1-0 ガーナ

日本の得点: 37' 大久保
(B組の勝ち抜けはパラグアイ、イタリア)


アフリカ勢らしく、ガーナは
「調子に乗れば手がつけられない・調子が出なければ目も当てられない」
チームで、この試合も戦術も戦略もへちゃらもなく、とにかく個人技でゴリ押し。
日本、相変わらず最終ラインや自陣深くでコネてボールを失うミスは出ましたが、
でも、勝ちました。
特に前半の展開の大きさ、速さはこれぞ日本の目指すサッカー。
本気のこのチームに勝てたのは大きい。
つまり充分、通用する。

この3チーム相手に1勝2敗は、冷静に見れば「至極真っ当」な結果で、
1つ勝っただけでも、あるいは負けた2試合も1点差まで詰め寄ってることを考えれば、
まあ、70点ぐらいはあげてもいいのではないかと思います。
正直この試合負けたらボロカス言ってやろうと、
2戦目の敗戦でグッとこらえて手ぐすね引いてたのですが、
ちゃんと勝ちました。
偉い、偉い。いや、ホントに。

五輪代表を見続けて最後に思ったのは、
顔はおっさんで、Jでレギュラー張ってても、
良くも悪くも「まだ若者」。
トゥーリオや阿部ちゃん、大久保なんてクラブの大黒柱がいるので、
我々はあのチームを「B代表」みたいに思っちゃうのですが、
そうではなくやっぱり「23歳以下」。
思い起こせばシドニーもアトランタも、まだまだ初な「若者達」が世界の戦いに挑んだからこそ我々は胸を熱くしたわけで、その視点が抜けてました。
それが那須ちゃんの高速連続2失点であり、シンジさんシンジさんであったり、
まあでもそれは、この世代なら当たり前といえば当たり前のことです。
これから、の若者達が、強豪3チーム相手にあれだけの善戦をした、
と考え直すと、点が甘くなってしまいます。

また、やっぱり成長はしてるんです。
最初見た時はほんとにひどかった。
何度も書いたと思いますが、技術はいいの。あるの。それもとびきり。
なのにこう、「勝つんだ」っていうキモチがまるで見られない。
「闘志がない」とか「根性がない」というよりも、そもそも
「当事者意識がない」。
それこそ
「今、日本ではこんな若者が新社会人になってるのか」
と目の前が真っ暗になるような悲惨なチームでした。
それがどうですか。
山本監督の手腕、そういう面からの選手選択・起用をうまく織り交ぜ、
みごと、ちゃんと戦うチームになりました。
そして本番で、まあまあ頑張った。
こういうメンタル部分こそ一番鍛えるのが難しいところ、
あのクズチームをここまで仕上げたのは、ホントに凄いです。
もちろん、それに応えた選手達も。

「谷間の世代」と言われますが、単純な世代論は非常に危険で、
どの世代にも、ちゃんとした人はいるし、
割とどんな人も、鍛えれば強くなる。
その実に好例です。
「3年五輪組山本先生」って感じ。

山本采配の真骨頂は1戦目のハーフで那須を切った点につき、
当たり前のことですがあれが今までの日本人監督にはなかなかできなかった。
そして2戦目に途中交替で使うのもまた凄い。
僕なら、1戦目で切るのはできると思うんですけど、2戦目で使うのは絶対にできない。
普通どっちかなんです。
切るか、使うか。
賛否というか、考え方はいろいろあると思いますけど、
この二つの交替を二つながら使える、ここが懐が深い。
まだ日本代表監督は「優秀な外人さん」の方がいいと思うのですが、
(だって母国イングランドだって外人監督ですしね)
16年、4回分ぐらいのどこかで、とりあえず岡田と山本というチョイスを持てるのは、
ありがたいことです。
言うても楢崎とヨシカツが居てくれてるようなもので、あれがあなた、
大神とシュナイダー潤之介しか居なかったらどうしようと思っちゃうでしょ?
「やっぱ山本さんなら頼りになる」
というのは、今回の収穫のひとつではないでしょうか。

目指すサッカー、大きい展開速い展開のサッカーは、
ヘタすると今のフル代表よりできてます。
ただ、基本的な、トラップであるとか、クリティカルゾーンでボール失わないとか、
そこが相対的に落ちてる。
もう一回、曲芸空中戦から目を足元に向ける必要はある、と思います。
割と、日本のどこでも見られる現象ですけれども。

そこそこ、売り込みにはなったと思うので、
今野とか阿部ちゃんとか、闘莉王、大久保、
外国で揉まれて新しい血と勢いを、停滞気味のフル代表にもたらして欲しい。
下手にラックで勝ち上がるより、身に染みていろんなことを勉強しただろうと思います。
いつかこの敗退が大きく花咲かんことを。
ドイツW杯チームに誰が名のりをあげるのか、楽しみです。

おつかれさまでした。



 8/19 朴殿


彼氏彼女のデートです。

「……あっ!」
「おっと!」
「……あ、ありがとう」
「危ないなあもう、しっかりしろよ。
 何もない道端で転けるなんて、一種特技だぜ?」
「うぅ……泣きそう〜」
「どした? どこかケガしたか」
「ううん、せっかくキレイにお弁当を詰めてきたのに……
 今ので偏っちゃったよ〜」

それはどこの萌えキャラですかと問われれば、
アフリカンアメリカンのソングをシングしてる「踏まれたい女」住之江区No.1
見てくれヤンキーしかし心は乙女、
人は見かけによらぬものよらぬものただ明日へとえいえんにあ〜

そんな感じでまきを姉とyokkun(37th)と焼肉@トイレで玉出ー爽やか玉出ー。

「お弁当なんか作ってたの!?」
「作るよ〜、普通〜」
「そんな経験無いよ!? 作ってもらった経験なんて!」
「作らへんものなの!?」
「いやむしろ僕が作ったぐらい」

ホントに。
いやまあ、サンプル数がめちゃめちゃ少ないので一般化するのは問題があるのですが。

「そんなもん高校生の時にでもされてたらその場で結婚を申し込んどるわ」
「そうかなあ、作ったけどなあ、
 チョコレートケーキとか作ってね、
 容器に綺麗に並べてね、周りにほそーく切った紙を詰めてね」
「ああ、いいですねえ、ありましたありました」

yokkunまで。この裏切り者。男子校仲間ぢゃん。

「……というようなことで、明日はドライブでデートだ、という日に男の子としてはどういうキモチでどういう行動を取るのかと。新曲の歌詞ね」
「「うーん」」
首をねじる二人。
「特に何もしなかったかなあ。洗車ぐらいはしたけど」
「僕はクルマに乗り始めたのが遅かったので……」
「クルマでかけるカセットとか編集したりしなかった?」
「誰がそんなメンドクサイことしますか」
「ああ、しましたよ僕も」

また裏切り者ー。

「そんなことするの!?」
「するよ。私の好きそうな曲ばっかり選んでくれてね。
 ちゃんとインデックス書いて、綺麗にラップしてそのカセットくれるのね」
「ふええええ」
「『ああ、この曲選んでくれたんだー』って嬉しくて」
「それってごっつスペシャルな人じゃないの!?」
「ううん、たいてい」

たいてい。
ズォーダーですか。

すいません。
自分の努力が足りないからリターンが返ってこないだけでした。
インガ・オゥ・フォー。

……いや待て。
まきをちゃんはだって、いうても若い時から音楽家、相手にしてみれば
「音楽好き」という効果的な攻めポイントがわかっているわけで、だからそこを突く。
僕ならば。ほわほわほわ……

 「はいこれ」
 「お、なんですかこれは」
 「ながたくん、本が好きだな、って思ったから。
  はいこれ、今月の特選選り抜きセレクショ〜ン」
 「おお、ありがとう!
  月野先生にゼロ先生に鬼ノ先生に……
  ってHコミックかい!」

いいかも。
ダメかな。

「まあ、ドライブ中のことはいいの。
 待ってる女の子が向こうに見えたところで終わるから」
「あ、わかった。オチな、一生懸命頑張って用意して、
 テープも作って洗車して車内清掃して、
 で待ち合わせ場所へクルマで行ったら、
 彼女もクルマで来てた。
 『あれ、ウチのクルマで行こうってゆーてへんかったけー!』」
「歌になりません」

彼氏は大中古のFCセブン、彼女はK11マーチあたりかな。
「しょうがねえなあ」って顔して、コインパークにクルマ停めて、
マーチの助手席に乗ってあげるのね。

 「しゅっぱつしんこ〜!」
 「おう。……カセット持ってきたぞ」
 「ええよ!なんでもかけて!」

そして流れ出すRCサクセション『雨あがりの夜空に』。
もちろん二人で大合唱、なんてったってバカップル。

 「「♪どうしたんだい ヘヘイベイベー バッテリーはギンギンだぜ〜」」

「ながたさ〜んながたさ〜ん」
「妄想入ってますね」

仕事ですから。
いや。
人生ですから。

久しぶりにドライブしよかな。
もちろんソロでね。
さざれ涙。

表題は二軒目に行った韓国小料理店の名前です。
マッコリ、今日も美味しかったです。



 8/18 「えー一席おつきあいのほどを」

もうこうなったら全書き換えやファイガーヽ(`Д´)ノ

明け方でトリップしてます。

塩漬けにしたまま筆(推敲)の進まぬ「はなこ」ですが、
納得いかない時、つまり推敲ガシガシやらなきゃなんない時に限って、
とことん進まないものですな。
うまくできてるヤツは自分で読んでも面白いので、
大げさではなく寝食忘れて夢中でやっちゃうものですが。

2時間掛けて6ページとかね。
書く時一生懸命考えて、ラッシュができてきっちりチェックして、なおこれ。

先日宣言通り今回のはなちゃんは
「ダメっぽいものをいかに及第点まで引き上げるか」
をテーマに取り組んでおり、
実に辛いのですが、挑戦はやはりしてみるもの、
こういう時にフィットしそうなフィーリングが少し芽生えてきました。

安っぽい抽象的なカタカナを使い出すのは、ながたさんが困ってる証拠です。

私基本的に、無理矢理分類すれば戯曲描きで、小説書きではなく、
だもので散々怒られたりするのですが、
だって小説がなぜキングオブ文学かといえば
(クイーンオブ文学は詩かな)
「なんでもええ」
ところにあるのであって、大きく言えば戯曲も随筆も科学読み物も全部小説です。
それはいいのですが、
要するに「劇」、それも思いっきり古典的な舞台劇として描いております。
そうしたいからそうする、のではなく、
それが一番あってる、やりやすいからそうしてるだけで、
結果として長所短所あるのですが、
それはまあ、もうしょうがないかな、と思っています。

戯曲と「いわゆる」小説の形式上の大きな違いは、
会話文と地の文との割合かと思われますが、
だもので僕の品には会話文がやたら多い。
というより描きたいのは会話や動作を通じた人間のドラマであって、
地の文はそれをアシストすればいい、
という考え方です。
心理描写は、一人称描写である場合は、会話と同じ扱いです。

個人的に、調子が悪い時には、どうもこの、
地の文と会話文とのペース配分が狂うらしい。

なぜ狂うかというと、戯曲を戯曲として書く場合、
当たり前ですが、尺、時間軸があるわけです。
そこに乗らない地の文は単なる説明文に過ぎないわけで、
せいぜいがナレーションが入る程度、
劇になる時には無くなります。
そういう意識で書く。
ところが、劇として上演されることを前提にはしない、
いわゆる小説風に文章の上だけで書いてますと、
そんな時間軸をすーっかり忘れて、地の文書き込んじゃうわけですな。
もちろんそれは悪いことでも何でもなくて、時には必要なことですし、
そっちを大切にするスタイルももちろんある。
ただ、僕はそうではない。
だから、文章が自分から離れて、まごついちゃう。

ということは、もう一度自分に引き戻せばいいわけで、
じゃ具体的には、テクニカルにはどうやって引き戻せばいいのか。

前置き長くなりましたが、要するに
「落語やってるみたいな感じで」
やれば、だいぶ修正がやりやすい。
時間の流れの基準ができるんです。
そこから早めたり遅くしたりはその場の判断ですけど、
人間(というより僕)の身体が感じる、しゃべる・見る・聞くの時間、
それが流れるので、
「あ、ここは要らない」「もうちょっとあってもいい」
という判断が、すごくつけやすい。

時間軸以外でも、使う言葉もそうです。
僕は言葉遊びなんかは好きで寛容な方で、
捻った言葉の使い方や、造語も全然OK、むしろ作者の顔が見えていいと思うのですが、
(私も書き手ですから、「お、ここで凝りましたね?」とかニヤリします)
あまり多用するとそこに気を奪われて、リズム害すること多いのはご承知のとおり。
ここでも、もし「噺」として文字無しだったら伝わるかどうか、
この基準ができるので、判断がつけやすい。
(話し言葉として通じなければ使わない、というほどラディカルではないですが)

話が少し逸れますが、
「判断」というのは、「判断基準」がなによりも大切で、
自分なりの基準ができてない人には、判断などしようもありません。
それを作るにはやはり、そのモノとかコトとかに、
かなり慣れ親しんでおらねばならず、
またどっぷり浸かりすぎても、世間一般、すなわち人間のナチュラリティから
遊離してしまうので、マズイ。
時間掛かります。
なんにつけ若手の評論家めいた人の中に、箸にも棒にも掛からない方が
おられますが、こういう方は軸がないから何を言ってるかさっぱりわからないんですね。
最近は、若い人に限らないですけれども。

こうした自分なりのチェック・システムができてくると、
「いいか悪いか」
「どのぐらい悪いか(いいか)」
が把握しやすくなるので、非常に有意義です。

達人は、本システム以外に、こういう種々のサポート・システムを作り、
ネットワークさせているようです。

当たり前すぎて鼻水出そうな例えですが、メーカーみたいなもので、
技術陣が一生懸命イイモノ創っても、
企画が営業が経営が宣伝がサービスがしっかりしてないと、売れない。
逆にこうしたところがしっかりしてると、技術屋が作ってくるものに対して
「いやそれダメだよ」「ここはもっとこうー!」
というアシストが素早く入るわけですな。

あとは僕で言うなら、情報入力システムかなあ。
アイデアピックアップ・システムとか、アイデア無理矢理膨らましシステム、とか。

ま、とにかく、
「泣きそうになったら一席ぶつ」
という個人メモです。

蛇足ですが、
小学校の時落研にいました。得意の噺は「ときそば」。
無邪気なものです。
そういう資質があるからそういう風になるのか、
そういう道を辿ってきたからそう育つのか、
これはいつも、さっぱりわからない。

運命は決まっているのか、決まっていないのか。



 8/17 一部屋でも大学

女医・吉岡弥生さんが東京女子医大を立てたきっかけが、
母校である済生学舎という医学校が(現在の日本医科大学)
女子学生の締め出しを始めたからだとか。
(当時は官立の医学校が少なかったので、
 医師免許を取るための私学がたくさんあったそうです)
「それなら私が!」
とばかりに自分の診療所の一室を教室とし、
「東京女医学校」という看板を出した。
時に29歳、西暦1900年。
当時の東京神田界隈というのはもうそんな学校ばっかりで、
山のように私学・私塾があり、様々な事共を教えていたようです。

ビジネスにおけるベンチャーは言うまでもなく、
最近はコンテンツでも、「ほしのこえ」の新海誠さん筆頭に「スキージャンプ・ペア」や
街のFlash職人に至るまで、ごくごく少人数で「戦えるコンテンツ」ができる御時世です。
テキストなんかもっとそう、ある日いきなり「あれはオモロイ!」と日本中が知る。
また、弥生さんの時代に戻りつつあるのかも。

寄り集まってマスになればなるほど、巨大なメリットも出てくるのですが、
拾えない不満・与えきれない満足も必ず出てきます。
「普通でないものを味わう」のがコンテンツに触れる満足の本質だとすれば、
マスになって「みんな知ってる」時点でそれはコンテンツとしては性能が落ちてる、
とムチャに言い切ってしまうことも可能です。
(それを乗り越えるぐらい基本性能が高いと、いわゆる「ブレーク」できるわけですが)
「ニッチを狙う」というのは現場を知らん人間のおかしな物言いで、
シャープだってどこだってニッチなんか狙ってるはずなくて、
「この商品は素晴らしい!」というつもりで作ってるサービスしてるわけです。
ただ世を得ず時を得ず、小さなシェアしか獲れないだけで。

その、弥生さんの思った「この人達にこれを!」という強い方向性こそが、
今は一番大切なことなんじゃないでしょうか。
それさえあれば、お金とか人とかは、粘り強く付いてくるような気がします。
そのお金や人は、そこを支持せざるを得ないから。
これが、ワッと集める都市浮動票みたいなカネ・ヒトとの違いで、
それは、ワッと散る。

未だに、街の本屋などではこれ式のワッと・ワッとな話が多いのですが、
あれは本当に上手くやってる人が目くらましで言ってんじゃないかと(笑)
あるいは、マス媒体に乗ってる以上、そういう話に構造的にならざるを得ないのか。
マスに乗って「いや、こじんまり」とか言ってたら、存在自体が矛盾ですからね。

だから本屋さんやマス・メディアがつまんないのかな。
考え方が古いのですが、マス媒体である以上、その考え方を脱却できない。
それを止めた瞬間成り立たない。
構成員の意識とかどうとかではなくて。
NHKが常に強いのは、弥生さん式のコンテンツを昔からやってるから、でしょうか。

話は全然変わるのですが、
我が家は僕が中学に上がる直前まで日用雑貨店(以前は酒屋)をやっており、
僕もたばこ屋の店頭に座って「ヤマト」を見てたもので、
「家が店」というのは楽しかったなあ、と振り返ります。
自営業というのは、業種を問わずいろんなことが起き、
いろんなことをやらねばなりませんので、
毎日がバラエティ。
それが大変なのですが、それが楽しいんですね。
やってみれば休み少なくて金勘定がしんどいんですけど(笑)

ぼんやり、いろんな白日夢を見ています。



 8/16 雑感

この夏なし得なかった夢を今こそ果たさん、
と、コミケの申込書を書いてます。
相変わらず微細なスケールでお送りしますほえながです。
種々雑感ノートから引き出し。

・古い、といっても明治頃の和歌山では、
 芸妓さんのことを「猫」と呼んだそうです。

 いい感じですね。

 FFにはミスラというネコ種族があり(画像はこの辺をご参照)
 我々の仲間にもたくさんおりまして、
 実際猫のようにスキル高く、上手く早く、行動的で、
 そして自由気ままな人が多いです。

 ミスラにしろ芸妓さんにしろ、
 そういう人が選ぶのか、なってから行動してるうちにそうなるのか、
 あるいは両方なのか、少しわからないのですが、
 まあ、猫というのは、そういうものらしいです。

 猫、とくに♀猫には色気がありますが、あれは猫好きの欲目でしょうか。
 犬にも、犬好きにはたまらない色気があるものでしょうか。
 もしあまり無くて、色気は猫の専売特許だとするなら、
 そこにひかれるひかれない、が実は、
 ネコ派イヌ派の大きな分水嶺かもしれませんね。

 あと、辛い時に分かち合ってくれる方がいいか、
 いつもと同じでいれくれる方がいいか。

・ネーミングというのは非常に大切で、
 「サンマルク・カフェ」のパンはそこを狙い撃ちしており、
 たとえば「津軽りんごアップルパイ」と言われるだけで、
 普通のアップルパイよりちょっと美味しそう。

 ほんのちょっぴり、がいいんです。
 「世界一うまい店」が「町内一うまい店」に負ける、というお噺がありますが、
 ショーソン・オ・ポム・ドゥ・プロヴァンス
 とか言われるよりずっと効く。

 なんでも塩加減。

・五輪代表を見てて思うのですが、結局のところ。
 なんでも。

 「こうであろう」という意図が見える、
 そしてそこにできるだけの力を使っている。

 というのが、一番大切なことではないか、とつくづく。
 それであるならば、足りなくても、「可能性」がモロに見えるので、
 応援したくなるものですし、目が離せないものですし、また、実際、伸びるものです。
 結局のところ、結果とかできあがり、って、
 人間ではどうしようもない要素もすごくあるので、
 そこに根拠は置けないんですね。

 人は楽しむために、
 という言葉が綺麗過ぎてペシミスティックに言い換えるなら、
 人は暇を潰すために、
 生きているので、それをよりよく潰してくれるものに、
 声援を送り注目を浴びせるものです。

 なにがよりよく潰してくれるか、というと、
 やっぱりそうはいっても人間は自分が好きなので、
 人間そのものの可能性を見せてくれるもの、
 これがすごく好き、なんでしょうね。

 それを表現するための形が、スポーツであったり芸術であったり、
 あるいは商品であったりサービスであったり、するような気がします。

 五輪代表を
 「負けて困るのはお前らやぞ!わかってんのか!
  戦ってるのはお前やぞ!!」
 などと怒鳴り散らすのは心の中にだけグッと止めて決して表に出さず、
 自分の戦いに赴こうと思いますよ。

 ……反面教師という言い方は無くはないですが、そりゃあまりに切ない。



 8/15 アテネオリンピック 1次リーグ vsイタリア

日本 2-3 イタリア

日本の得点: 21' 阿部 91' 高松
イタリアの得点: 3' デロッシ 8' ジラルディーノ 36' ジラルディーノ
(日本の1次リーグ敗退決定)


まあ、しょうがないッス。
イタリア、やっぱり強かったし。
パラグアイ戦同様、「負けりゃ一緒」というのも込みで、
1点差まで詰め寄ったのはがんばった。

まずもってこのグループはホントに地獄のようなグループで、
どのチームにも「3勝」と「3敗」の可能性があります。
冷静に見て、日本は一番弱い。
ガーナも、我々には馴染みがないですが、
若い世代ほどアフリカ勢が強いのはご存じのとおり。
現に今のところ五輪ではアフリカ勢が2連覇ですからね。
だからまあ、結果は、しょうがない。

ただ、初戦はいろいろ言い訳ができるにしても、
2戦目も初戦同様、最序盤でガンガンと点獲られて、
試合全体をコントロールされたのは、ちょっと学習能力がない。
獲られ方もまたいつものとおり、見事にサイド切られクロス上げられ。
あのシュートは美技ですし、ジラルディーノはインテルもミランもユーヴェも欲しがる、
去年セリエAで23点獲って得点ランキング2位の反則プレーヤーなのですが、
(ちなみにオーバーエイジではありません)
シュートさえ撃たせなければゴールは獲れないわけで(笑)

だってさ、阿部ちゃんのFK見ても、充分通用してるわけですよ。
個々要素なら。
でも、足りない。
しかも「やっぱり」、まるっきり足りない。
そこはシンジやソガでは全く埋まってない。
つまり、戦術や技術ではないんです。

それを見せてくれない限り、「やっぱり○○だった」と死ぬまで言われますよ?
最終予選はあんなにがんばったじゃない。
思い出そう。

次だ!
ガーナ戦はなんでもいいから何かを見せろー!



 8/14 スターライツスターライツ

大阪の母シリーズ。

今日は多いぞ、高校の同期に後輩交えて9人、内訳は
閣下/閣下夫人・HERO人/ゆきこさん・M澤先輩、
okbちゃん(38)・オリッヒ(40)・まんちゃん(42)にノブヤ(42)さん。
ウチらは35です。
場所は心斎橋CB。

新婚旅行の土産話というのは、何度聞いてもいいもんやね。
幸せそうでね。

閣下がヤンキースタジアムで
「Take me out to the ballgame」
を熱唱するために暗記していった、というエピソードが大好きです。
もちろんこの日は、ヒデキvsカズオの対決Tシャツ(なんとオフィシャルもの)
を着込んでのご登場。
いろんな人が気合い入りすぎです。

HERO人の方は、仕事でずっと居たミラノを拠点にスイスに行ったり。
カッコイイのよ、「世話になった連中と馴染みのピザ屋に食べに行った」言われるとね。
ミラノですよミラノ。ハヴィキノでもイクァイノでもないですよ。
さすが国際派……
あれですな、一緒に日本橋テクノランドで鼻水垂らしながらMSXで遊んでた友達が、
スコットランドに留学してミラノで客船内装の買い付けしてたりすると、
なんだかホントに人生というのはわからない。

「ハネムーン行きたい」
「行こか」
「そうするか……」

M澤先輩とうなずきあって酒をあおりました。
小学校5年生からの幼なじみだもんね☆

どこのwebだったかに
「☆はつのだ☆ひろとテリーマン以外認めない。それが俺のジャスティス」
というカッキョイーセリフがあって、いつか真似ようと思いました。

お二組からパスタとドラキュラ葡萄汁をいただきました。
こんな重い物をわざわざ持って帰ってきてくださって。
もらってばっかり。
お返しはいつものように、「プライスレスふるさとの友」で。
順番逆にするとなんだか寂しい。
ご夫婦二組、終電無くなる時間までごめんなさい。
たーこさん、すいませんいつもokbちゃん借りまして。

「青山」で駄弁って(漢字はこれだそうです)
「神座」で始発前ラーメン、という黄金パターンでした。
みなさんご苦労様。

気の置けない仲間と時間を忘れて呑み語る、これにすぐる娯楽無し。

結局の所、人が一番広帯域で、かつ柔軟でバラエティに富み、
何が起きるか何を起こすかわからない。
落語や漫才が面白いのは、スジやキャラだけではなく、
そういう予想のつかなさ、これなんでしょうね。

こういう楽しさ面白さを、紙やwebの上に表現してみたいことでありまっする。



 8/13 モリゾー

お盆、ということで遊びづく。
本日は東京よりOさんMさんが名古屋においでとのこと、アーバンに乗って行く。
アーバン混み気味、席はなんとか。

行っても別に見たいところ行きたいところがあるわけではなく、
旧交を温めるのが第一義、3人で灼熱の都市部をウロウロしてました。

MR-Sに乗るMさんがRX-8が欲しいと言いだし、
しかも乗り換えではなく増車方向。
若い頃に芸者遊びをやりすぎて今は工場でただ働きの爺ちゃんが
「若いうちはしっかり生きなアカン」
としみじみ言うように、クルマに700万使ってしまい現在は7年選手のフランス車の次の車検代に戦々恐々としている私は切々と説いて曰く。
「買ったら乗せてね」

そして名古屋では愛知万博モードへかなり突入しているのを見てふむふむ。

こないだg石さんに教えて貰ったんですが、
実は愛知博というのは万博としてのグレードは非常に高くて、
大学で言うと科学博や花博はカレッジで、今回のはユニバーシティ。
もちろん大阪万博以来のトップグレード国際万博だそうです。

それでいてこの大盛り上がり。

いや、えーっと、僕はもちろん2008オリンピックは北京で決まりで、
北京が出てくる、つまり2000000%勝ち目が無いのに税金を使って無意味な立候補する、
それは市民(府民)への絶大なる背信行為に他ならない、
と未だに時の首長を許すつもりは全くないのですが、
それでもあの立候補の時、
「東京の人冷たい」
とは思いました。
フランスがパリと砂漠、韓国がソウルと田んぼ、とはよく言われることですが、
今や日本も「東京と山」になってしまっており、
首都圏だけで120%完結してしまうから外に目を向ける必要がないのは
よくよくわかるのですが、それにしてもまるっきり関心がなさすぎる。
ならば近い関西圏がいくらかアシストしてあげるべきかとも思うのですが、
そこでものを言うのは日頃の付き合いで、
人的交流は結構あるはずなのに、東海圏の皆様は普段東向きでこっち見てくれないものだからこっちも見る義理がない。
というよりもそもそも関西圏にはもう他人事に構ってる余裕などゼロ、
東京から送られてくるニュースの他には、せいぜいかつみ・さゆりを映すので精一杯。
物理的にムリなんです。

こういう時こそマス媒体の力の本領発揮どころ、
さして面白くもないものをさも面白いものかのように喚き立て、
さしてよいものでもないものをさも世界一のもののようかに叫び立てるのは、
十八番ではないですか。
というかあなた方の社会的役割と存在意義と意味はそこにあってそこにしかない、
その義務を放棄してしまっては、文字通りの自殺行為です。

東京から見れば名古屋は心理的に遠いところかもしれませんが、
なに、新幹線に乗りゃたった2時間ではないですか。
千葉の奥の方行くより近いよ?
行ったげてください。

え? 私ですか?
はい、「すっごいおもしろい」と聞いたら行きます。

すみません。
でも結局の所誰の本音もそうで、コンテンツ面白ければほおっておいても
わんさか人は押しかけます。
規模全然違いますけど、フェルメール来た時とか、雪舟展とか、すごかったですよ。
今のところ「おもしろそう」感が漂ってこないので、話題にもなりにくいんですね。
こうなったらもう、今から「火星の石」を取ってくるしか……

それか、手堅く行くなら熟年&高齢者だけを徹底して狙い撃つか。
彼ら彼女らは暇でイベントを欲してますから、
経済的にも物理的にも「手軽なお祭り」というのは非常に腰が浮きやすい。
その辺のホスピタリティに充分留意して、広報活動もそっち向き、
そして来て良かったと思わせリピーターを狙えば、会期長いだけにあるいは……
それでも1500万というのはかなり厳しい数字かもしれません。
花博が2300万強だったそうなので、かなり慎重に出した数字だと思うのですが、
観光客にとって大阪は、後背地(笑)に京都・奈良・神戸を控えるという立地の良さがあり、
また地元民には「大阪万博」の良いイメージが残ってもおり、
バブル最後の90年、
言うてもテーマがはっきりしており花好き園芸好きは根強い……
などなど考え合わせますと、
やっぱり相当気合い入れないと厳しいような。

現地民に「いや、まだソウルにやられた時のトラウマが」などというつまらん話を
聞きましたが、ことここに及んではそんな後ろ向きのことを言うてる場合ではなく、
ぴあとかなんとかウォーカーとかあんな媒体に
じゃぶじゃぶ金をブチ込んで、首都圏からの応援を仰ぐほかない、ような。

ちなみに公式HP
見ておわかりのように「いいものなんだろうな」とは思うのですが、
「楽しそうだな」とはなかなか思えません。
哀しいかな人間というものは「いいもの」になぞこれっぽっちも興味がなく、
自分を面白くさせてくれそうなものにしか、興味がないんですなこれが。
特にお祭りですから、
学校の先生のちょっといい話、より金魚すくいの方が嬉しいわけです。

……などということはこんなことで僕なぞがごちゃごちゃ言わずとも自明の理ですが、
それにしてはこう、
「もwりwあwがwってw いくぜ〜〜〜〜〜〜wwwwww!」
っていう気迫が感じにくいHPだなあ、と思いました。

トヨタさん大スポンサーなんだから、もう恥も外聞もなく
F1に乗せてどっか走らせるとか、2000GTに乗せてあげるとか、
そんなこと言い出したら今から前売り券買いに行きます。

しかし世の中よくしたもので、ここで大コケにコケればそれはそれで、
「ああもうああいうやり方はダメだよね」
という社会的理解が広まるので、それはそれでいいことかもしれません。
地方都市なんかで東京はおろか大阪でも20年ぐらい前に
「あ、あれは失敗だった」と気づいたことを
(たとえば今になって市電廃止とか)
今になってやろうとしているようなところありますが、
ああいう愚かさを少しでも食い止める成功の母たる失敗になれば、
きっとモリゾー君も草葉の陰に埋没しながらうれし涙を流してくれるような気もします。

そんなことを考えながら、
出張の帰りに新幹線の窓から
「ああまだ名古屋かまだ1時間もあるかー」
と思いながらいつも見つめていた赤い看板、
海洋パブレストラン「ジョン万次郎」に行ってみました。
普通に美味しい居酒屋でした。
なんで名古屋なのにジョン万なん?
とチラッと思ったのですが、ひょっとすると万次郎の人生のどこかで
尾張藩かなんかと関係があるかもしれないので迂闊なことはしゃべれません。
シュリンプ・カクテル・サラダをつつきながら
「エビだ。エビはめでたい。エビさえ入れれば、売れるんだ」
と百福ごっこをして遊んでいました。

いつも行くたびに思うのですが、
名古屋は行ってみればとてもよい街で、
ルンペンさんが平気で転がりまくっている大阪の繁華街なんかより
ヘタすると居心地がいいのですが、
どうして用がないと行きたいと思わせないのでしょう。
私大阪人ですが、悔しいことに、
神戸や京都は特段用が無くても、まあぷらぷらしますか、と思えます。

人を来させる魅力、というのは、ひょっとすると、
「なにがあるから行く」
ではなくて、
「なにもないけど行く」
というところにこそ、本質があるのかもしれません。

そなこと今さら言ったって、とは思いますが、
まあこれからのことも鑑み。



 8/12 アテネオリンピック 1次リーグ vsパラグアイ

日本 3-4 パラグアイ

日本の得点: 22' シンジ(p) 53' シンジ(p) 81' 大久保
パラグアイの得点: 5' ヒメネス 25' カルドーソ 37' カルドーソ 62' トーレス

パラガイ、かんなり強かったです。
南米予選でブラジルを破って出てきただけのことはある。
普通にやって向こうの方が強いので、
順当な結果が順当に出たと考えれば、落ち込む結果ではないです。
むしろあの相手に3点もぎ取ったのをうなずいてもいいぐらい。

イタリア・パラグアイ・ガーナ・日本が並ぶ「死のB組」、
死のグループだけに、どこにも突破のチャンスがあると思います。
1勝1分の勝ち点4でも充分行ける気がするので、
またその意味でも今日、1点差まで詰め寄って得点を3取ってるのは大きい。
まだまだ、全然。

山本采配、前半で那須を切ったのは、
選手の心理面で(TVを見てる我々的にも)非常に効果的でした。
あの決断はお見事。
かき回せる松井を入れ、シンジを慣れたボランチに戻し、
モニで破り倒されてた左をケアして、不安定な那須を切る。
一石四鳥。
機能しないDFを前半で切るのはなかなかできることではなく、
チームへの喝になってたことも考えると一石五鳥か。
いやまあ、負けりゃ一緒といえばそうなんですが。

繰り返しですがパラグアイいいチームです。
伝統のガツガツ当たりでガチガチ守って、
高速カウンターを炸裂させてゴールが見えたら距離があろうとガンガン撃つ。
そしてまた決まるんだこれが。
足元のしっかりさ、これが日本の選手の曲芸的な上手さと違って、
基本ができてるというか、ムリしないというか。
止める、ちゃんと蹴る、失わない。
シュートもそうです、
蹴れる、枠に強く蹴る、入る。

もちろん、日本も負けてないというか、別の良さがたっぷりあるのですが、
こういうガッチリ強いチームに当たると、どうしても一押し押し切れない。
ヘルキャットvs零戦という感じが(笑)
被弾しだすと火だるまになるあたりとか。

なんだかポルトとかギリシャとか、大大会での流れ見るに、
ここ、下手したら金メダルを伺っちゃうかも。

ただ、負けたんですが、最後の最後まで楽しめました。
それはやっぱり、いい試合いいチームだと思います。
まだ始まったばかり、落ち込まずに(那須さんも)がんばろう。



 8/11 なにもない

この日はほんとに、ガックリくるぐらい何もない日でした。

いつもは暗闇で目を見開いて15分ぐらいもきもき考えてると、
なにかしらタネみたいなのができて、
それをベースにぽちぽち打ち出すと、
昨日の↓ぐらいのは15分ぐらいでできちゃうんです。

結局時間が、労力がかかるのは、よく言われますが、
「いいタネ探し」
です。
僕の場合は、街で目にした・耳にした・したされた感じたことが一番多くて、
あと読んだ本とか、目にした新聞の一面記事とか、点いてたTVで流れたニュースとか、
メディア経由。
それから友人のメール、電話、家族との会話。
人経由。

なんの変哲もないのですが、これだけ入力デバイスがあると、
どこかになにかしら「あ」と思うことがあって、タネになるものです。
そこを膨らませる技術というか「手」は、もうね、5年も6年もやってりゃ
「いやそんな壺ならいつでも作れます」。
名人が壺叩き割るでしょ、よくできてる綺麗な壺を。
あれだから、手で作ってるからよくできてるように見えても、
ちっとも魂入ってないので、本人から見れば存在自体が許せないんです。
だから割る。
100%に対して80%の出来だから納得いかない、
そんなんじゃないんです。
あれはマイナスの物体なので、割るしかない。

逆に言うと、「オート作成」の罠から逃れさえすれば、
完成度が低かったり納得度が低かったりしても、
そこにはなんらかのキラリと光るもの、チャレンジ、新しいもの、
そういう要素があるものです。
それは実になる力になる。

僕はここ半年ぐらい、それを意識するようにしています。
出来不出来はともかくとして、「オート作成」だけは避けよう。

こないだ書いた「ミラクルズ」が随分「オート作成」になっちゃったので、
ゲンナリしながら修正中です。
今回は、そういうゲンナリモノをどこまで持って行けるか、
それがチャレンジになりそう(泣)

なんらかのモノを創る際には、かならず制限があります。
締め切りとか原価とかそういう生々しいもの以外にも、
人間死にますし24時間しかありませんし、紙に鉛筆ですし絵の具使いますし、
リンゴ落ちますし夏は暑いですし、
なにより相手は人間ですし。

「つくる」というのは、そういう制限と、自分の思うイメージとのすりあわせ作業であって、
そこが辛いのですが、
逆に言うとそここそがものづくりの楽しさの極です。
そこが一番おもしろい。
だから、手で、自動的に、オートマチックに、
制限に合わせて形をぐにょぐにょと整えたようなものなど、
何の意味も価値も、ないのです。
おもしろくない、ですからね。

---

ちょっと話がズレました。
いい食材仕入れて、知恵を絞って献立・調理方を考えながら、
その材料と今日という日にぴったりの料理をつくる。
これが面白いのですが、
時化でも起きたのか、まるっきり食材が入らない日が、たまーにあります。
11日がそんな日。
どうしても日常生活はルーティン部分がありますから、
オールオールルーティンで生活のどの部分でも変化が起きず、
また本人の気分の盛り上がり盛り下がりも全く無い、
そんな日も、あったりする。
本も、最近は2冊ばかり並行してちびりちびり読むようにしてるのですが、
両方ともたまたま、あまり興味をそそられないエピソードだったりして。

以前はそんな日のために、バッファというか代原(自分用に代原というのも変ですが)
を用意してたのですが、それは止めてます。
そんなんで日付だけ埋めても、しょうがないので。
(商業誌のコラムとかだったらもちろん別ですけど!)

なんでもいいから埋める、となればPC、FF11、クルマ、サッカー、
お馴染みのネタはいろいろありますが、
そういう時のそういうネタは自分で読んでてもキレが悪いし。

てことでこれも、↑12日分を書いてから書いてます。
「どうして書かなかったんだろう」と思い出しつつ。
食材が入らなかったんですねえ。

ただ、腐りかけの材料でも美味く料理してみせる、
ムリにでも書く、というのもまだまだ必要な修行なので、
「いい材料がねえんだよ」と店を開けなかった点は反省してます。
反省反省。

「いいネタに、自分なりのいい味付けに」

やるべきことはおそろしくシンプルですが、
ゆえに非常に難しい。

今日はネタが無いというネタで攻めてみました。
ご存じのとおり濫用すると読み手には実にしょぼーんな、
一年に一回使えるかどうかのネタでございます(泣)



 8/10 破断事故

76年の運転開始以来ノーチェックってあーた……
そりゃ壊れるよ、どんなシステムでも。
30年だもん。

蒸気でタービンを回す、
というシステムは火力発電所(石油・石炭・天然ガス)でも同じはずですが、
こういう事故は火力発電所ではよく起きるもんなんでしょうか。
それともやっぱり、複雑で点検整備も難しい、原発ならではの事故なんでしょうか。
どっちにしろ、人為ミスや天災ではなく、
「予想外の出来事」で緊急停止せなあかんようなシステムはちとマズイと思いますし、
その「予想外」がもっとクリティカルなところで起きたらどうするの、
という不安は拭えません。
原発は本当に重大事故が起きた時の社会的影響が洒落にならんので、
「予想外」は一つたりとてあってはならぬ
――もちろん、ボーイング767が原子炉建屋に突っ込んでくることを含めて――
と思うのは僕がビビリすぎでしょうか。

自由化が進んでコスト競争が厳しいらしいですが、
あんなものこそスケールメリットがものすごい効きそうな業界、
それで「厳しい」言うてることは、逆に今までいかにエエ加減でやってきたか。
いや、戦後しばらくは、手厚く保護して「とにかく電気は安定供給」だった、
それはよくわかるのですが、政策の切り替え時を間違えてしまったようです。
70年代頭にオイル・ショックがあったのも原発に追い風でしたね。

やっぱり、どこをどうひねくり回しても原発というのは非常に
「割に合わない」技術で、もうやめませんか。
もうてっきり諦めたものだと思っていたのですが、
まだ高浜でプルサーマルやるとか考えてるんですね。
ムリ。
だってイギリスでもフランスでもアメリカでも、再処理なんて諦めてるじゃないですか。

コンコルドのマッハ2に意味が無くなった時代なのです。
しばらく月へ人間はいかなくていいんです。
今の科学技術というのは、
「それそのものでどれほどのスペックがあるか」
そこに意味があるのではなく、
「それによってどれだけ人間が幸せになれるか」
そこに意味があるのです。
付近住民の皆さんはじめ国民みんなで大事故に脅え、
再処理燃料を海上輸送するといっては国際的に轟々たる非難を浴び、
そりゃそうですよ逆の立場だったらサッカーの試合で国歌にブーイングものですよ、
結局できたゴミとカスは処理方法もなく、青森の山奥で1000年保管、
で、大ガスはともかく重厚長大産業の副産物片手間電力に
ビクビク脅えなあかんような高コスト電気、
ってそれホントに誰が幸せになる技術なんですか。

AをBに切り替えれば、Bに携わる人が必要になりお金も落ちます。
社会全体で見れば少なくともゼロサム、いや少しずつでも人類は進歩してますから、
トータルでなんらかのプラスになってる、そう思います。
あれは巨大な不良債権のような気がして、仕方がない。
極端な例ですが関電が潰れたとして廃棄処理とか、どうするんでしょう。
気が遠くなるほど莫大な費用がかかりますよ、単純な建物じゃないですからね。
国が税金使うんでしょうか。
そろそろ、政策として引導を渡す時期に来ているような気がしますけども。



 8/9 いや間違えたらあかんやろ

TVポケッと見てますと、「全国そろばん選手権」みたいな映像が。

ものすごいっすよ。
3桁の数字が0.18秒ごとに(ちょっとうろ覚えですがだいたいこのぐらい)
映し出されて、それを暗算していくテストとか。
その映像が追っかけてた人は、最終的に6位になったのですが、
最後はものすごい桁数の高速暗算テストみたいなのが、200問。
それを6問ミスで「いやあ、本番は練習のように力が出ませんでした」……

って待てーい。
そろばんやねんから間違えたら失格やろー。

優勝の方も1問間違えていたりして。
そろばん、というか「計算」って、「あってナンボ」ですから、
間違えてりゃ1分間に200問解けようと1000問解けようと無意味ではないですか。
もちろん、ただの1問でも間違えちゃ駄目ですよ、
その1ミスは200問の答え全てへの信頼を失わせる。
1問ミスった時点で二念なく勝利資格無しですよこんなもの。

冗談ですよ(笑)

いや別に選手の方々の凄さにいちゃもんつける気は全くないです。
そりゃもう映像見てりゃバケモノとしか思えない。
僕は2桁の繰り上がり計算する時に頭の中に計算用紙出す必要のある人間ですから、
それはもうすごいのは認めます、
それともちろん、実用から離れスポーツとして特化していった結果、
そういう速度と精度を併せた判定基準を用いることで落ち着いてるのだとは
重々理解できるのです、が。
みょーに納得いかない。
なんかものすごく大事なことが置いてけぼりにされてるような……
ぶっちゃけ、「なら電卓の方がいい」とか、関係ないのに思っちゃいました。
イメージダウンになっとるような。

その場にいると当たり前に思えることも、
ど素人から見れば変でたまらない、
世間でよくある一コマでした。



 8/8 運はあるようだ

指揮官に一番大切な性能は「運」だと思うのですが、
さすが神様、持ってやがる(笑)

冷静に考えればアジアカップなぞというものは92年、
ハンス・オフト率いるドーハ組がすでにもぎ取っており、こんなもの手にして当然。
それがなんだかすごい偉業をやってのけたかのように感じさせてしまう(笑)
だってさ、中国にバーレーンにヨルダンでっせ?
まともにやりゃあ間違いなく勝てる相手ばっかりですやん。
こーんなものは……

と、言いつつなんとなく嬉しいのは、
TV画面で見ててもチームの成長が感じ取れるからではないでしょうか。
2人ビハインドを跳ね返したPK戦、
10人で4点取って再逆転で延長で勝利、
開催国相手の決勝(こないだのユーロと同じですな)、
追いつかれながらも突き放して勝利。
冷静さと、最後まで諦めない意志の強さ、ひたむきさ、
それを随分楽しませてもらいました。
それでもう充分です。
やっぱり、スポーツで何が見るに値するかといって、そこですな。
だから高校野球はレベルが低かろうと常に感動を呼ぶ。

私的MVPはナカザワ。
能活でもいいし鈴木も頑張ったと思いますし、
やいのやいのいつも言わせてもらってますが
今回の主役が俊輔であることは間違いないのですが、
中沢のボンバヘッがどれほどピンチを救ってくれたかと鑑みるに、
また明らかにヤヴァイ三都主サイドを火の玉のように走り回ってくれたことも合わせて、
彼じゃないでしょうか。
もちろん、今回は全員印象的で、主将もよかったし
地味ですがマコとかも頑張ってましたよ。
途中から孫継海というマンチェスター・シティで
割と使って貰ってる選手が出てきたのですが、
あんなんでプレミアで通用するなら、中沢なら充分やれますよ、ユナイテッドでも(笑)

さて。
楽しめたのもよし、みんな頑張ったエライ、それもよし、
それはそれとして、前述通り、こんな程度の相手にここまでギリギリの戦いを
せにゃならん、というのは、かなり厳しい現状です。

ジーコ・ジャパンになってから特に目につくのが
サイドをズバーンと切られて綺麗に折り返されてドカンと決められる失点。
もはやフォーメーションや選手の問題ではなくて、
守備の考え方とセオリーそのものに問題があるのではないか、と思います。
専門家ではないので具体的な指摘はできないんですが、
素人目にもサイドバックもしくはウィングバックを攻撃の面から選びすぎてるように
思います。
左の三都主と心中するならするで、なら右はもう少しバランスの取れる選手を
使った方がいい。加地はいい選手ですが、右も左も突っ込めドンドン、では持たない。

攻撃の方も、やはりヒデや小野が居ないと、
日本のウリである大きな展開が少なくて寂しい感じ。
浩二も福西も長いの蹴れるんだから、もっとボールを大きく動かせば、
もうちょいチャンス作れたかも。
それでも玉ちゃん見てると、
「ああ、ようやくああいうボールをキチンと決めてくれるFWが出てきつつある」
と涙出そうになりました。
FWなんちゅーもんはむずかしいボールをジャンピングボレー、そんなんいいんです。
今日の3点目、あれをちゃんと決めてくれる、
それだけでいいんです。
あとは日本の場合、MF陣がセットか流れから取ってくれるし。
攻撃の収穫は玉ちゃんじゃないでしょうか。
あと鈴木は常に頼もしい、と。
いっぱいチャンス潰してるんですけど、いっぱいチャンス作ってます。
ディフェンシブフォワード
という新しいカテゴリーに分類したいのですが、どうでしょう?(笑)
いや真面目な話、一人で何とかしてくれるストライカーが
一国に何人も揃うことは滅多になく、
(スペインにもポルトガルにも一人もおらん)
さりとてFWはやはり2枚必要だ、ならば、1枚は得点能力以外で選ぶのも
手としてはありだなあ、と思うのですが。

あ、あと大会運営的にちょっと審判の質が酷すぎるので、なんとかしてほしいですな。
結局いつまでたっても、強国が勝ち上がれば第三国=弱小国=審判の質もちょっと、
という図式は変化のしようもないですから、欧州や南米から呼ぶのも手です。
せめて決勝トーナメントはね。
そんなところで意地張って妙な理想追いかけてもしょうがない。
主役はピッチの選手ですからねえ。

神様の話に戻しますと、
選手交代のノリとかはだいぶマシになってきたような気がしなくもないです。
決勝も1点リード、FW一枚ぐらいは換えてもいいんじゃないの?を換えなかったからこそ
追加点が生まれたと考えられなくもなく、やはり運はある。
ただ、この指揮官に関しては、
そういう具体的な戦術指揮の面よりも、
チームの雰囲気作りの上手さ、それを誉めたい。
サブのメンツの笑顔がとても印象的なんですよ、どの勝ち試合のあとでも。
すなわち日本型「大将」、でーんと構えてようがすようがす、
そして構成員が全力を出せる雰囲気を醸し出す、
それでいいのではないか、と思いつつあったり。
その分スタッフの皆さんは頑張ってくだされ(笑)

までも、とりあえずはおつかれさま。ほんまようやったようやった。
みんなおめでとう〜。



 8/7 フォオオオオ

どうせ明日はアレの話題なので、今日は雑感。

---

蛙男商会」さんをご紹介。
「works」の「菅井君と家族石」シリーズがかなり楽しい。
ネタのテンポとバラエティがいいです。
こういうの見るとFlash作ってみたくなりますよねえ。
ま、作り始めるとガックリくるんですけど。
「でも俺嫌いじゃないぜこういうの」

---

いやしくも日本語を弄くり倒して口に澱粉質をねじ込もうと考えるものならば、
やはり一言、ひとことでいいから、日本語に足跡を残したい、
そう思うものです。

「フォオオオオオオオオオオオ……」

と言えば気を溜めながら吐き出す男性の雄叫びの表現ですが、
これの原典はもちろん週刊少年ジャンプ連載『変態仮面』。
まずタイトルからしてイカしてますよね、
ひねりも躊躇もなにもなく「変態仮面」ですよ。
もちろんモチーフは永井豪先生の名作「けっこう仮面」にあって、
それに「スパイダーマン」風味を振りかけたものだと思うのですが、
あまりの棒球というものは、人は往々にして笑いながら
わざわざ空振りに行ってしまうものです。

「考えなくていい」
というのはエンターテイメントにおいては非常に大きなポジティブ・ポイント。

気弱な男の子がパンツ被ったとたん
「フォオオオオオオオオオオオ……」
とフェノメノン、正義のヒーロー・変態仮面となって悪人をブチのめす。
こんなわかりやすいカタルシスはない。
ブチのめし方もまた気が利いてて、とりあえず股間に悪人の顔を挟んで
解決するんです。
「それは私のおいなりさんだ」
これでまた、モノのわかった悪人達がちゃんと右往左往してくれる。
実に正しいヒーロー劇です。

コミックスで6巻しか出てない、ってことは連載わずか1年前後だと思うのですが、
それでなお我々前後の男の子の心のヒーローとしてケンシロウや翼君やスグルと
共に君臨するのですから、まあ、立派なものだと思います。
変態仮面のようなキャラ、
「フォオオオ」のような決めセリフ、
描きたいものですなあ。

---

2日ぐらい前からめっちゃめちゃ頭痛くて、バテだと思ってたら風邪のもより。
J也さん夫妻と浴びるように酒呑んで治り気味。

酒呑むと風邪治りますよね?
コーラ呑むと胸焼けが治りますよね?

「百薬の長」と言いますが、血行増進と適度な麻痺みたいなのが、
身体をシェイクして不定愁訴みたいなのを吹き飛ばしてくれるのかもしれません。
それは刺激飲料全部そうで、紅茶や珈琲にも本来そういう作用があります。
ただ、飲みすぎて慣れすぎて効かなくなってるだけで。

南方熊楠の生涯を描いた本を今読んでるのですが、
熊楠先生、大の大酒飲み。
豪快な天才ではあるのですが反面繊細でシャイな努力家でもあり、
それが証拠に何度も何度も「よし、やるぞ!」って自分に言い聞かせてるんですね。
数週間分の食料を買い込んで、部屋に籠もる。トイレもおまる。
そんな時に壁に貼り出すのは
「禁茶・禁煙」
さすがロンドンっ子、紅茶はとても大切な要素だったようです。
そこで「禁酒」を持ち出さないところが自然児らしくていい(笑)
無理なことやっても、無理ですからね。

ロンドンでどのぐらい貧乏だったかというと、
家に遊びに来てた猫に、「干し肉を口の中でしがんで、汁を自分が飲んで滓をやる」
という具合で、それに愛想をつかした猫が出て行っちゃった、というぐらい。
自由でいたいから、と大英博物館のエライさんとかから就職口紹介されても断るんですね。
そうして学問に驀進する様は、割と感動です。

やろうと思えば、どこでもなんでもできる。



 8/6 8/6

原爆忌です。

戦争はいかん、それはいつも思うことですが、
毎年この日になると切々と思います。
これだけ世の中が進歩しても、相変わらず無くならないものですが、
ほんの少しでも、無くなる方向への努力は怠ってはいけないように思います。
「なにができるんだよ」と言う前に、投票に行って社民党の候補にでも入れておけば
少なくとも9条は護ってもらえるわけで、(別にどこの誰でもいいんですけど)
言う前に、やろう。

大げさなことじゃなくても、今そこにできることが。
1人じゃ変わらないのは明らかだけど、1万人なら10万人なら変わりうる。
それを始めるのは、誰かエライ人じゃなくて、自分です。
まずは、ペットボトルの巻紙を剥がすところから。

それを少しずつでもやっていきたい。
いずれそういうことを意識しなくても、「やってる」人になりたい。
世界中、そこから。

---

というわけで、なんとなく33。
小さい頃はこんな33になるなんて思いもしませんでした。
いや、だからといって「こんな33」という未来予想図があったわけでもないのですが。
ただもう少し真っ当な人生をちゃんちゃんと歩んでるものだとばかり思ってましたが、
現物は予想外に手強かった(笑)

じゃ駄目かってそうじゃなくて、
J也さん夫妻から心のこもった誕生日プレゼント貰ったり、
遠く日本の中心からおめでとうメール貰ったり、
ゴーヤチャンプルーつつきながら銘酒の飲み比べして、
クーラーの効いた部屋でラブコメ描いていられるのだから、
とても幸せです。

人生50年だとすればあと17年、
同年代の皆さんは最近痛切に感じることが多いかと思いますが、
17年なんて「ああっ!?」という間です。
最近だんだん、「自分のことはどうでもいいか」と思うようになりました。
なんかね、そんなの考えてる余裕も無くなってきた。
人生はあまりに短く、学(芸でもなんでも)はあまりに成り難し。
もはや「なにができるか」なんて考える暇すらもなく、
ただ、今できることを、ひとつひとつやっていこう、
そう思うのですよ。

32歳は、まあ、悪くはなかったです。
表面ではとてもとても停滞してましたけど、
内面ではいろいろ得る物がとても多かった、そんな歳でした。
メシ喰ってた時間、って感じです。
ただひたすらにもしゃもしゃと。

来年もまたどうせ、
「こんな34になるなんて思ってもいなかった」と言うに決まっているのですが、
いい意味で思ってもいなかった一年を送れると……いいなあ。

がんばんべー。



 8/5 ハイキング

「明日じゃあ天王寺夕方で」
「おう、また連絡するわ。明日昼間は家族で信貴山でハイキングやねん」

ハイキング!

ハンギングならこないだ達郎とちょっと、
ガイキングなら「『大空魔竜』っていうからには主役は身体が顔の人型ロボットの方ではなくてあの顔飛ばした後は微生物みたいでなんとも怖い竜型ベースの方なんじゃないのか?
と子供の頃からの疑問がまた脳裏をよぎるわけですが、
ハイキングとは。
わたしゃそんなのもうここ何十年もやっちゃいませんよ。

上の会話はこちらに里帰ってきたJ也さんともので、
おじいちゃん・おばあちゃん・J也さん・ぴろこさん・R太君の3世代5人揃って
盆休み幸せハイキング、ということですな。

ミニバンのCMのキャッチだったかなんだかで、
「家族の季節」
というフレーズが記憶にあるのですが、
思えばそう、子供の頃はハイキングとかピクニック、行ったわけです。
で、歳をとるとだんだん行かなくなって、
でも子供ができるとまた行く。
でまただんだん行かなくなって、
孫ができるとまた行く。

そうですよ、ほんこないだまで
ズリアナー・トウキヨウー
とか叫んで扇子振り回してたアホウ共が、
子供ができた瞬間カルピスママですよなめとんのか。

(いや、J也さんとこは両方真面目ーなお二人なので、関係無いんですけど)

よくできたもので、人間、どちらだけでも退屈なようです。
あっちもやってこっちもやって、15年サイクルぐらいで。
学生時代はS13シルビアとか愚かしいクルマに乗ってた連中も
ええ私も乗ってましたともBB4プレリュード5MTグラナダブラックでね!
先を争うように8人乗りのバスみたいなクルマに乗るわけで、
高山植物とかスケッチ始めるのね。

まあ、世の中ほんっとに、うまいことできてますわ。

---

ちょっと余談ですが私ツッパリが大嫌いなんですが、
なんでというとヤツらはほぼ間違いなく「やめる」からです。
全くもって存在矛盾で、
不満があるからツッパる、それはわからんでもないのですが、
世の中いつだって矛盾だらけ、ツッパるならいつまでも突っ張れるはずです。
でもやめる。
なら最初からやんなきゃいいじゃん!

だから50を超えてもツッパッテる永ちゃんとかは尊敬。

わざわざ大事にしてみますと、
これは日本人のいいところでも悪いところでもあり、
「いやまあ、あの頃はみんなああだったから」
と口を拭って平然としてるでしょう?
「いやもうその話は止めてよ恥ずかしいから」
みたいに苦しそうにする人ってまず居ないですよね。

これなんですって、中国でブーイングが起きる原因は。

これ、僕は日本人だからいつもの風景で、「ああはいはい」って感じですけど、
違うメンタリティの人から見たら信じられないかもしれません。
こないだまで鉄パイプ持って校舎の窓ガラス割りまくって、それを
「いやまあ、若かったし」
で済ませようとする。
いや、犯罪やから。
余所の国の人から見れば「反省してない!」とか捉えられても、しょうがないですよね。

ま、どっちもどっちで、
よその国の方はすいませんが、日本人ってのはこういう人が
「とても」多いっていうのを理解していただきたく、
また日本人もやっちまったことは「あいすまんかった」としっかり思うようにしましょうー。

それはそれとして、ありゃ酷いですけどね。
日本がどうとかじゃなくて、物理現象として。
そもそも五輪控えてるんだから、日本人観光客は大のお得意様だと思うのですが、
この一件で何万人規模でそれを喪ったような気がしたりしなかったり。

「それは、得にならない」ということをよくわかってない、という意味では、
日本に言われたかないかもしれませんが、現実として、
「国際社会的に子供」
であって、これからあの人達が世界に飛び出すかと思うとガクブルものです。
60年代70年代あるいはバブル期の日本人観光客も酷かったらしいですが、
そんなもんじゃないですよだって数だけでも10倍。
まあ、そこを乗り越えないと大人にはならないのですが。

ただ、こないだJでもどこか対浦和戦で、
三菱自動車を揶揄するような横断幕が出たそうで、
あまり人のことは言えません。
サッカー周りのことなら、多少辛辣でもいいと思うんです。
「啓太・山瀬落選おめでとう!」とかそんなんは。
だけどそれ以外のことはいいっこなし、ですよねえ。
それがルールで、スポーツは、ルールがあって成り立つものですから。

スタジアムはそうなのに中国政府は割と大人な対応で、
あの辺の冷静さ、あるいは損得勘定は上手いですよね、伝統的に。
やっぱり、2000年間激しい対外関係をやってるとああいう力がつくのかなあ。
いろんなことを考えさせられる一件ですね。



 8/4 エプロン

バーテーバーテーハラバーテー。
蒸しゃ苦しゃするこんな日にサッパリしようと髪を洗うと
見ないようにしている洗い桶の抜け毛はおろか、
タオルドライでむしり取るように抜けてゆきますます蒸しゃ苦しゃ。
気分はGetWild頭皮はGetMild、かむろ哲哉って感じですエイベックス!

そんなことはもうどうでもよろしい。

FF11です。
「調理師エプロン」取りました。
称号:三ツ星の調理人。

「指定納品クエスト」というもののご褒美なのですが、
これが1日分小一時間の労働を約40日続けるというもの。
最初は「メンドクセエ!」「金も掛かる〜!」と思っていましたが、
「習慣」とは恐ろしい。
3週間ぐらい続けてるとそれが「あたりまえ」になってしまって、
昨日も気がつけば「あれ?もうあと2300?今日いけるじゃん!」てな感じ。
もう2品ばかりご褒美グッズがあり、それはあまり欲しいビジュアルではないので
どうしようか迷うところなのですが、まあ「やれ」と言われればやれなくもないなあ、
って感じです。

この、「40日」という「がんばれば、なんとか」感がいい設定で、
これがたとえば「太公望」をとるクエストですと、
釣る・購入合わせて無理のない範囲ってことで1日4Dずつ納品しても
210日つまり7ヶ月ぐらいかかってですね。

……7ヶ月か。

子供の頃に「半年」なんていうと、もう考えることもできないぐらい彼方の未来。
いや、高校生ぐらいの時でも、もっと季節感っていうか、
私は毎年学園祭で劇やってて、それはその年の劇が終わった直後から
次の劇の企画がスタートする、まるで宮崎映画のような長期スパンな事業だったのですが、
本格的に秋の話をするのは夏休み前からかなあ。
休み中にうちの家で「打ち合わせ」と称する遊び大会をやってねえ。
鯖ちゃんの持ってきたMSXで遊んでるだけ。
毎年やってると、みんな力の入れどころがわかってるから
鞭が入るのが遅くなるんですよこれがまた。

いやそれはいいんですが、
「半年先」っていうとめちゃめちゃ遠かったもんですけどね。

半年先が遠くなくなったのは、
進歩が変化が無くなった証拠なのか、
それとも昔よりも先が見えるようになった証なのか、
はたまたその両方か。

始める時は、いつも、「ああ、どれほど遠い先だろう」と思うものです。
最初の1/3ぐらいは、稼いだ結果と目標との差に、イライラも無力感も募るものです。
しかしやってますと、少しずつ少しずつ結果が蓄積されて、
慣れもあれば効率も上がって、劇的な変化はともあれ
「これをこうしてればいつかはこうなる」というのが見えてくるものですな。
あとは淡々とやってれば、他のことやる余裕もできて、
しかも最後には、なんとかなる。

まあ、いつものようにあたりまえのことを述べておりますが、
見てるほど大変じゃないですよ〜、っておはなしです。
「そりゃ○○だからだ」と言われちゃうかもしれませんが(笑)



 8/3 まじめにやるに、かぎる。

ナカザワ〜! ナカザワ〜〜〜!

フィリップの覚え愛でたくシドニー五輪代表組にレギュラー選出されてた頃は、
あのやたら上手い黄金世代で一人だけ足元がヨレヨレでねえ。
彼が持つたびにドキドキしっぱなしでしたよ。

それがどうですか今や。1stDFですよ。

特に4バックではCBは肉体派と頭脳派が組むのがよろしく、
中沢が弾いて宮本がカヴァー、ここはよく機能してると思います。
あとは4バックの時のSBとの、3バックの時のWBとの連携かなー。
今戦は1人少ないのもあって、(特に失ったのが中盤守りの要・遠藤だったのが痛かった)
完璧を望むのは酷ですが。

経過だけ簡単にご説明しますと、日本から見て
0-1 遠藤退場 1-1 2-1 2-2 2-3 3-3 延長突入 4-3
という大熱戦。
「サッカーは4-3が一番面白い」なんて言いますが、まさにそれ。
前戦のPK戦も熱かったですが、やっぱり本戦で熱いのに限ります。

しかし自信というのはすごいもので、
0-1から、10人で2点入れて逆転、
それだけでも立派なものなのに、
残り5分で再逆転されて、しかしなおそれを弾き返してみせる。
すばらしい。
ああいう時は、もちろん「負ける」とも思わないのでしょうが、
「勝つ」とも思わないのかもしれません。
勝つと思った時点で、勝敗を意識しているという意味で、負けると思ってるのと同じ。
ただ次の1点を。
しかしそう思えるようになるには、やっぱり自信、それを生む経験、ですねえ。
ヒデ、小野、久保、高原、稲本、坪井、楢崎、
これだけ抜けてこれだけやれるのは、都並が以下略。
いい時代になったものです。
決めるべき時に決めた玉ちゃんももちろんエライのですが、
そこへ全員でボールを運んだ、チームとしての一体感が印象的でした。
藤田とか、控え選手もいい空気出してますよね。

正直、アジアカップなんて適当にやって適当な成績でいいじゃん、
とか思っていたのですが、この苦戦二つを乗り越えたのはとてもとても大きい。
ようやく「ジーコ・ジャパン」って感じになってきました。
いややっぱり、戦いは真面目にやるものです。
真面目にやると、得るものがとても大きい。
当たり前ですけど。

次は北京で中国相手ですか。
これ以上ありえないいいシチュエーションじゃないですか(笑)
勝って悪役になりましょう〜。



 8/2 緻密に設計、やるのは一気

フィンセント・ファン・ゴッホといえばあの筆致から想像されますように、
「いてまえ描法」
で一気に描き上げるものだとばかり思っていました。
実際、描き始めてしまえば、形も色も迷うことなく
一気呵成に描いてしまったようなのですが、
実はそれに至る「構想」の段階ですごくエネルギーと時間を費やしたそうです。

有名な「馬鈴薯を食べる人々」でも、
登場人物の手だけの素描
(この作品はジャガイモを食べる労働者達の「手」が主題の模様)
をいくつも描いて準備万端整えて、
いざ、という具合に描いたとか。

表現作品というのは捏ねた方がいいか捏ねない方がいいか、
またどちらが自分に合うか合わないか、なんてことを考えていましたが、
やはり一気描きの最北にあるゴッホがそうであるならば、
「緻密に設計、やるときゃ一気」
というのが結論のようです。

しっかりした設計図が無いから、フラフラと迷って苦しむようです。
イメージがあると、その場所・場面の重要性、全体でのポジションがわかるので、
苦労にも重みづけができる。
「ここは大事なところだから粘ろう」「ここはまあいいや、流せば」のような。
あと、イメージに対する進捗がわかってる、ってのも心強いですね。

ただ、やってる最中にやってること自体に刺激を受けて翼広がるものですから、
それを練り込むのは忘れては怖れてはいけないのですが。

以前書きましたが、
「描いてるうちに『おお、こういう手もある!』」
という工まざる神様アシスト、の素晴らしさを我々は知っているので、
いや、神様アシストが降る降らないで人間の小さな努力など吹き飛んでしまうのを
よく経験するので、
ついついそこに行ってしまいたくなります。
しかし、よく考えればそれと緻密な設計図を描くのとは、全く並立する。
イメージバッチリ固めてスタート、
でも途中でそのバッチリイメージをも上回るいいイメージが、
描くことそのものによって湧いてきた、
それならばそこで舵を切ればいい。
どっちにしろ、海図持ってることは非常に意味があるわけです。

いや、どんなときもサボっちゃいかん、ってことですな(笑)
基礎確認。

---

「ミラクルズ!」の新作、一応クランクアップ。
今回実は上のように、あまり海図持たずに大海原へ飛び出してみました。
「ま、アドリブで〜」というノリで。
結果辛くて辛くて(笑)
いや、やっぱり設計図はしっかり引いて、海図はしっかり持って、
事を始めるにしくはなし、って感じです。
それを確認しただけでもめっけもの、だと思おう(泣)

ヒロインは今トップにおいでのおはなちゃんです。
キツめのど真面目な女の子ですが、
「エッチなのはいけないと思います!」という「堅物」方向ではなくて、
自、そして他を律しすぎてしまう「言いすぎ」方向で。
「言うてることはわかるけど言われても」
そこから起きるトラブル、反省、そして……
という感じです。
基本はもちろんいつものようにラブコメですが。

キャプテンとか、描いてるうちにどんどんアホになってく気がするのですが、
ようやくキャラがキャラとして動きつつあるような手応えも少し。
今までは物体としての輪郭を描いていた感じがするのですが、
今はもう動きを描けば誰だかわかる、そんな感じに。
M78星雲より遠い目標ながら、「うる星やつら」の女の子って
「萌えキャラ」とはあまりに遠い、ひどい癖のある連中ばかりですが、
でも可愛い。
現実の女の子は机を投げたり電撃を出したりしないのですが、
でも彼女達は「そこにいそう」な感じがしますよね。
ああいう、「生きてる」感が出したいなあ、出せればなあ、といつも思っております。
男の子ももちろんですけど。

次はキッチリ設計図描いて、ピシッと組んでみたいと思います。
誰になるやらわかりませんが。



 8/1 ドラマとは

ヨシカツ〜! ヨシカツ〜〜〜!

勝ったからといってあれは実に拾い物で、あの程度の相手に対して
しっかり崩せないのはどうか、とか、やっぱりアレックスは根元的に守備が下手なので
(一対一の守備力ではなく、居て欲しい時・所に居ない)先発させるのはどうよとか、
そんなことはもうどうでもよい!
PK戦、

日本 × × ○ ○ ○ × ○
ヨル ○ ○ ○ × × × ×

というマンガみたいな大逆転劇で、もうね、
6人目サドンデス外したの中沢なんですけど、
「いや、だいじょうぶちゃうか!?」
5人終わってタイに持ち込まれた時点で、
キッカーとヨシカツの立場が完全に逆転してるんです。
表情とかもう、キッカーは虚ろな目上の空で、ヨシカツは完全集中。
カッコよかったですよー。
久しぶりにカッコイイ川口能活を見ました。

ぜひリーガ・エスパニョーラあたりからお声掛けていただきたい。
「GKはガッツだけあればいい」というリーガが合うような気がするのですが。
オリンピック、ソガもいいですがオリンピッカー・能活でも良かったですなあ。

「サッカーの全てがここにありました!」
と実況の田畑さんか解説の松木さんが叫んだのですが、
まさにそのとおり。
PKは「くじよりマシ」という程度で、非常に不合理な決着方法だと思うのですが、
1on1シュートアウトなど検討されながらも廃止されないのは、
このドラマ性のおかげなのかもしれませんねえ。

別にいわなくていいことをいっちゃいますと、
「ミラクルズ!」の予定の中に、一番の大一番(俺はほんとにもの書きか)
があって、それの決着はPKでつける予定だったんです。
当然、ミラクルズが勝つわけで、その目論見が、

敵 ○ ○ ○ × × ×
ミ × × ○ ○ ○ ○

こんな感じ。
できるだけドラマチックに、って考えると必然この大逆転の形か、
これの先攻後攻を入れ替えたものになるのですが、
(最後にチームメイトの歓喜の輪の中心に、
 GKを入れたいか6人目のキッカーを入れたいかで変わる)
事実は小説より奇なり、
まさかもう一段盛り上げる手法があるとは。
いやはや、脱毛です。

ドラマというものは、シチュにあるのではなく、人にある。




以前のほえなが
04年 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
03年 12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
02年 12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
01年 12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月 5月 4月 3月 2月 1月
00年 12月 11月 10月 9月 8月 7月 6月後 6月前 5月後 5月前 4月後 4月前 3月後 3月前 2月後 2月前 1月後 1月前
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